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2012−10
自然(おのずから)の道(みち) |
管長 巫部 祐彦 |
信仰を受け継ぐ2.(家業と信仰) |
幸福への道程は、1.七罪を犯さない。2.自分や先祖の犯した罪を祓う。3.長呼吸法で神気を戴く。4.八徳を積む。心掛けです。 (古神道・神理教を“本教”と記します) 家業を怠ることなかれ(御教誡第八) 1.七罪が終わり、2.祓の前段として、先月は信仰の本質・意義と目的について考えました。今月はそれを踏まえて表題に進みます。 昭和の前半までは、会社勤めや公務員の割合はほんの一部で、日本人の大部分は農業や商工業等の家業を受け継いでいました。 御教誡第八は『目先の利益に眩まされて無闇に仕事を替え、家に蓄積された知識や技術を安易に捨るべきではない』との教えです。 今も昔も事業欲に目を眩まし又、道楽・放蕩の親父・息子への、農地や商売をお金に換え財産も子孫も絶やす事への警鐘なのです。 又、家業が、家族の絆や自分が必要とされる居場所としての心の支えとなっていたことに気付くよう、御教誡第八があるのです。 家業の心の部分である“家の信仰” ・家の信仰 社会が様変わりした現代は、家業を継ぐ人の方が少なくなりました。経営規模や工場の拡大・効率化や分業・機械化により、個人経営(=家業)は成り立たちにくくなったのです。 家業は“生活の糧”と伴に、家族共通の“心の居場所”という二つの意義を持ちます。 では時代が変わり家業が無い家は、この二つとも無くしてしまうのでしょうか。 前者は勤め人になれば取りあえず解決出来ますが、後者の“心の居場所”はどうなるのでしょうか。現代社会に家業の割合が減って行く事は寂しく感じますが、後者は家業の核心ですから是非とも残したいものです。 ここに現代の生活様式に合わせて、古来からの方法で後者を受け継ぐ方法があります。 それは、欠かすことの出来ない心の絆や支えの補いとなる“家の信仰”です。 これは家業の利点として最初に挙げた“家に蓄積された知識や技術”も、心の点では家族の共通・共有物となります。 ・正しい信仰 昨今の宗教教団にはいかがわしいものが多く、それが又信仰離れに繋がっています。 しかし、先月の視点を理解していれば、例えば本教がまともかいかがわしいかが理解出来、正しい信仰に辿り着けるのです。 そうして得た正しい信仰を受け継ぐことが、先祖も親も子にとっても一番の安心です。 その理由は家業と同じで、共通事を継続する中での心の繋りが、その部分での自分や家族の心地良い居場所作りとなる事です。 先月の信仰の話とも関連しますが、信仰は家業の心の部分ですから、もし現代家業が無い家も、ここにその核心を持つ事が出来ます。 核心は信仰を形として、現代社会の古くて新しい安心・安定・生き甲斐の基となります。 信仰と宗旨 当然の事ながら信仰(心の拠り所とする宗派・神仏)と宗旨(葬儀をする宗派)を同じに出来れば、より大きな安心を戴けます。 本教のような明治以降に成立した教団の教徒(宗旨が本教の家)は、まだ本教に改宗した理由や経緯が伝わっています。しかし、仏教徒のほとんどは、改宗した年代や理由や経緯も不明な家が大多数と思われます。 それは江戸時代の初めに幕府が天皇と国民を離す為に、キリスト教を防ぐ事を名目に、寺請制度を作り皆仏教徒としたからです。 当時の心ある日本人には屈辱的でした。 しかし若干ではあれ神社保護政策等、飴と鞭を使い分ける江戸幕府成立当初の強い力に誰も異議を唱えられなかったのでした。 徳川家康の陰謀は、現代の日本人までまんまと騙され、未だに解けていないのです。 日本人は元々神道ですから、約四百年を経ても元の神道に戻るのは“改教”ではなく“帰教”であり、大多数の御先祖が喜ばれます。 普段気付きにくい事ながら、信仰に宗旨を併せ、祖先と親が自分達の祭祀を継続して貰えることは大きな安心に繋がるのです。 又、近年の火葬場葬で骨も要らない・後の年祭もしないという風潮を、教義の上で諭せる本教は心の拠り所となります。敬神尊祖の自然な神道思想は、近年の幼児や老人虐待という痛ましい事件への心の予防にもなります。 信仰と宗旨の一致が信仰を受け継ぐ理想です。是非、家族の皆様とご相談一考下さい。 表題を分割して、先月は1信仰の本質・意義と目的、今月は2家業と信仰について述べました。来月は筆者の体験をお話ししながらまとめられればと思います。 |