背景色が選べます!


                                                          2011−9

平成23年9月号 第1171号

        

自然(おのずから)(みち) 管長 巫部(かんなぎべ)(さち)(ひこ)

 

 神道の原理主義(世直しとなる()(えん))

(古神道・神理教を“本教(ほんきょう)”と記します)

 

ノルウェーでのテロ事件

 7月22日にノルウェーの首都オスロとその近郊のウトヤ島で起こった連続テロは、百人近くの死者を出す(だい)(さん)()となりました。

 事件に巻き込まれ亡くなった青少年を中心とした方々のご(めい)(ふく)を祈ります。

 また怪我を負われたり精神的な衝撃を受けられたりした方々には、是非元の健康な体と心を取り戻して頂きたく思います。

健康に生きる価値・意味、三つ

 東日本大震災でも生存出来た方々の中に、『自分だけが生きて良いのだろうか』という思いに()らわれる人も多いと聞きます。

 健康にしかも楽しく生きることには、少なくとも三つの価値・意味があります。

 一つは、父母・祖父母・御先祖と、大元の御先祖である自然なる神≠ノ安心戴けます。

 二つは、そうした災害やテロ事件を自分のことのように感じている世界中の人達に、

『ああ良かった!』と安心を与える事です。

 人間は映画やテレビドラマでも、悪事も刺激の内ながら、ハッピーエンドが良いのです。

 いくら()(じょう)(あっ)(かん)に見える主人公でも、心に善を持つ人を好むものなのです。

 三つは、亡くなった方の分までしっかりと生を充実させることは、その方々の死を無駄にしなかったという慰霊にもなるのです。

 被災された皆様も、元気を出して立ち直り・前を向いて楽しく生きて行きましょう。

原理主義

 事件当初『こんな大爆発と多数の死者を出すようなテロをするのは、イスラムの原理主義者に違いない』との(おく)(そく)が流れました。

 しかし犯人を捕まえて見るとキリスト教の原理主義者だったとのことでした。

 イスラムの原理主義者には、(いた)(かゆ)し≠フ感があることでしょう。

 仏教にも原理主義があり、日本では(じん)()()(はい)とか葬儀等で塩を使わない等、長い間尊崇してきた神道を否定するものもあります。

 要するに是等の原理主義は民族や宗教の違う人間への(はい)()(しゅ)()と言えます。

 

神道の原理主義?人は小さな神

 ではもし神道に原理主義というものがあるとすれば、それはどんなものなのでしょうか。

 筆者を含め本教の信仰者は神道の原理主義者だと自覚しますが、神道への一般的な見方である右翼でもなく民族主義でもありません。

 本教の主祭神や天皇陛下や御教祖を(そん)(すう)・信仰し、他教の人達の尊崇・信仰を集めている神仏には(そん)(ちょう)・敬意を表します。

 日本では外国の神様を(ばん)(しん)と呼んで、()()する向きもありながら、七福神等御利益の神様としてお祭りする習慣もありました。

 本教では(あわせ)(まつる)(もろもろ)(のかみ)の十四柱目に(てん)(しん)()()(あまつかみくにつかみ)≠ェあります。

 ここにここまで上げた重要な神様以外の、全ての人類が信仰するものが含まれていると考えるのです。即ち、本教の主祭神や天皇陛下や御教祖を(そん)(すう)・信仰しながら、全ての神仏に(そん)(ちょう)・敬意を表するというものです。

 神観や霊魂観等、考え方の違う部分については議論しながらも、()()・排他をしません。

 日本の何人かの神道学者が(とな)えているような、神道は『ユダヤ教と同じような民族宗教』

ではなく世界宗教と筆者は(とら)えています。又、外国の何人かの宗教学者のように、神道は『宗教の基本を備えたもの』と捉えています。

 神道は、日本に特に色濃く残された人類の歴史の(えい)()・文化・(たま)(もの)・宝石≠ニ言えます。

 それは決して基本的に小さな理性しか持たない一人の天才・教祖によって作られるものではありません。小さな理性と言っても、それは量の問題であり駄目なものではありません。神に比べると小さすぎて(つみ)(けが)れに()まりやすいものの、人は神の子孫であり神の(ぶん)(れい)(わけみたま)を戴き、()(こう)(れい)(こん)を持つ存在です。人は小さな神なのです。

神は人を殺さない・世直しの()(えん)

 本教では人は神の直系の子孫であり、その他の動植物は元は同じながら、神の造られた自然から生まれた二次的な存在と考えます。

 他の原理主義や排他主義は、(みずか)らを神の子孫ではなく、動植物と同じく二次的な存在のように考えているのではないでしょうか。

 自らを神の(しもべ)のように捉えることから、主人である神を(ぼう)(とく)すると思う対象に、テロのような過ちを犯すのだと考えます。どの宗教の神であろうとも自ら人は殺さないし、自分の使徒にそうして欲しくはない(はず)です。オレオレ()()・二輪車でのひったくり・露出や痴漢等の()(れん)()(こう)()も同じで、自らを小さな神≠ニ自覚出来れば有り得ない事です。この教えを広めることが世直しとなる()(えん)です。


季節のことば
     白露    9月8日頃(今年も8日)

          
 白露は秋分の前の二十四節気で、露が草木の葉に白くたまり秋が本格的になる頃との意味です。
 昔使っていた陰暦の日付は季節と食い違っているため、白露のような節気を作ってその目安にしました。
 二十四節気を更に三つに別けて七十二候としますが、日本で言う白露の三候は初候《草露(そうろ)白し》で始まり、二候《鵲鳴く》、三候《燕去る》となります。

 初候で最初に述べたように秋が始まり、二候で鵲が鳴くとあります。鵲は鷺の仲間ではなく、日本では主に佐賀県に生息するスズメ目カラス科で、胸とお腹が白い鳥です。鳴き声からカチガラスとも呼ばれ、武将が吉兆と好んだようです。三候で燕が南国に帰ります。
 もうすぐ秋分の日、ようやく暑熱ともお別れです。