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                                                          2011−6

平成23年6月号 第1168号

        

自然(おのずから)(みち)   管長 巫部(かんなぎべ)(さち)(ひこ)

 

(古神道・神理教を“本教(ほんきょう)”と記します)

 遊びの文化・信仰の文化

頑張ろう

 阪神・淡路大震災の時も頑張ろう・神戸%凾ニ使われて、神戸を根拠地とする球団が優勝した時には感動したものです。

 頑張ろう≠ヘ今回の東日本大震災以後、再びよく使われるようになりました。

 政治家の好きな言葉のようですが、筆者は左腰に手をあて右手を拳にして突き上げながら「頑張ろう!」と叫ぶのは、見るのもやるのも違和感を感じます。

 

頑張らない・あきらめない

 平成16年7月号で《頑張らない・あきらめない、元気を出して!》の題でお話しした事があります。

 (こう)(がん)(ざい)を服用する患者さんと共に闘う医師の、治療現場の様子を元にした体験本についてでした。

 (くち)(ぐせ)のように「頑張って!」を連発する医師が、

「先生、私もう充分に頑張っている…」と涙ぐむ患者さんとのやりとりからの気付きの話しでした。

 そこで、肩に力を入れすぎないように、精神的な介護を心掛けながらの治療を考え『頑張らない!』という本を出した、というものでした。

 その後、今度は『あきらめない!』という本を出し、更に一歩前に出て、より精神面で積極的な看護の取り組みについての(ちょ)(じゅつ)の紹介でした。

 重い病気を抱えたり精神的に傷を持っていたりする人に「頑張って!」の連発は負担に感じるようですし、それは健常者にも同様だと思います。

 

頑張って!の代わりに使える言葉

 季節の表し方等を見ても、日本の言葉の文化は他に抜き出て素晴らしいものだと感じます。

 何もかも一緒くたにして(あん)()に「頑張って!」の一辺倒で通すのではなく、日本語にはそれぞれの場合に応じた色々な言い方がありそうなものです。

 例えば、「元気を出そう・(せい)が出ますね」「きっとうまく行くよ」「応援しています」「じっくりいこうね」「無理はしないで」「気楽にいこう」「楽しんでね」「出来るところまでやってみよう」「しっかりね」等です。

 紹介した2冊目の本の題である「あきらめないでね」もあります。

頑張って!」も日本語の一つですから、これを(いじ)めて使うのを止めましょうと言うのではありませんが、場に応じて使い分けたいものです。

 

頑張ったね・頑張ろう・頑張って

 ○×を付けるのはどうかと思いますが、結果を()めての「頑張ったね」を○だとすると、「頑張ろう」は△、相手にも場合にも構わずやたらと連発する「頑張って」は×に近いと感じます。

無い元気は出ようがない≠フ議論も聞きますが、それならば無い頑張りも出しようがない≠ニなります。

 元気と頑張りの二つは似た感じながら、元気は神の分霊である人間に生まれ持って備わった(くす)しい(不可思議に優れた)本質から自然と()き出て来るものです。

 頑張りも同じく生まれ持った力を出すものながら、自然ではなく人間の力で無理矢理にでも引っ張り出すような感覚があります。

 頑張りが守りで元気が攻めの(いん)(よう)の関係でしょうか。

 他教には自力本願か他力本願かのどちらかに(くみ)する教えがあるようですが、本教はその両方を使います。

 神の不可思議な力を戴き自然に元気が湧き出るものが他力であり、元は神の恵みながら自らの力でそれを引き出すものが自力です。

 本教は神からの湧き出る力を元としながらその両方を使わせて戴きますから、「頑張って!」を決して()(ぎら)いすることはないものの、使い方を考えたいものです。

 

遊びの文化

 先ほど言葉の文化≠ノついて触れましたが、それ一つにしても無限の広がりがあり、日本は本当に素晴らしい国だと誇り持ち、決して()()してはなりません。と同時に、これら私達の文化をより多く(えん)()ししっかりと()(しゃく)して心の栄養としたいものです。

 遊びの文化も古くから伝わって来たものの、近年滅びつつあるといえます。

 わらべ歌・空き地での隠れん坊や(かん)()りや球技・手作りの(おも)(ちゃ)、これらは今や子どもではなく学者の研究や大人の思い出の趣味として遺物化しているようです。

 ガキ大将や年上の子どもから学ぶ遊びのコツや人間関係を伝える場所は、ほとんど消滅しています。

 遊びの文化は一人で終結する物ではなく、上下関係を含んだ集団で大小の完結を見ながら次の世代に(つな)がって行くものです。

 又大小の完結といいながらも、その時代の子どもやリーダーの質によって様々に退化・進化して行くものですから限られた時間で完結する物ではありません。

 遊びの文化(しょう)(めつ)するということは、先ほどの言葉の文化や後に述べる信仰の文化・又日本の文化一般に(じん)(だい)な損害を与え、社会から(うるお)いを失わせます。

 遊びの文化が乳・幼・児童期に大切な事に気付き、意識を向けている日本人の()()に少ない事でしょうか。

 この大切な時期を任せられている教育者にも、気付き危機感を抱いている人が少ないのは残念です。

 学力は遊びから生まれている事に気付いていても具体策が出せず、(ほん)(まつ)(てん)(とう)()()み教育が行われている限り、引きこもりは増え社会は(すい)退(たい)し続けます。

 御教祖の祝詞にもある『(いき)(どうろ)しく・(うれ)()く・(かみ)(さか)(だち)(むね)(かき)()(ばか)りに(かしこ)(いみ)じ(怒りを感じ・憂い・怒りに髪が逆立ち・憂いに胸が裂かれるように恐れ多く不吉である)』の心境です。

『幼小の教育など百年一日で何にも変わる物はない』と言う教育者の声を聞く事もあります。

 地域に空き地がなくなり家庭ではゲーム機が横行する現代は、教育施設でもその対応を考えるべきです。

 本院境内にある幼稚園は、現代に失われた遊びや人間関係の持ち方を伝えるものですが、こうした()(ねん)を持つ教育施設が全国に増えることを願っています。

 又本教としてもこの教育の発展に寄与する事が、御教祖の説かれる社会救済の(じっ)(せん)でもあります。

 教祖の御教語第二十四節に、【社会救済は神の心で人の責任である。この心が即ち信心である。(きん)(じゅう)には此の心ありても此を実行する事が出来ぬ。神は実行しつつ、人は為さむと思い到れば実行する事が出来る。】とあります。他の範となるような上級学校の設立を、社会救済として取り組んで行ければと祈ります。

 

信仰の文化

 信仰の文化も他の文化と同様に滅びつつあります。

 先月震災地域での日本人が賞賛された話しを伝えましたが、他の地域では義援金詐欺があり地域内でも火事場泥棒の横行する(ところ)があると聞きます。

 救援物資を秩序を持って配給する処もあれば、無法地帯のような処もあると聞きます。

 このままでは今の世は、先の二十四節にある心があっても実行出来ないという(きん)(じゅう)の世に(おちい)る方向に向かうのではないでしょうか。

 信仰文化とも見なせ遊びの文化と同じく、一人で終結する物ではなく、上下関係を含んだ集団で大小の完結を見ながら次の世代に(つな)がって行くものです。

 たまに天才・秀才が出たとしても、一人信仰とか家族だけの信仰とは質も量もかけ離れています。

 又大小の完結といいながらも、その時代のリーダーの質によって様々に退化・進化して行くものですから限られた時間で完結する物ではありません。

 本教の教えは今の時点で、八十代を越えて巫部家に伝わる古神道の歴史の(えい)()を御教祖が大成された、他に抜きん出た素晴らしい教えです。

 しかし教育と同じように時代の変化に応じて処方が変わる訳ですから、完結とは言えないかも知れませんが、どの時代にも対応出来る古くて新しい教えです。

 今、教育者にも真の教育を知らない或いは知っていても実行しようとはしない人が多いように、本教の教信徒でも真の信仰を知らない或いは知っていても実行しようとはしない人が多いように思われます。

 しかし私達は幸運にも本教という(とう)(だい)の元にいます。

 教祖の()(きょう)(かい)の九番目にあるように、まず私達自身が(ざる)を水に(ひた)すように、この教えを本気で信仰する事が大切です。

 これが出来る人が増える事により、本教と共に社会にも元気が出てきて繁栄がなるのです。

 社会の繁栄の為に本教の繁栄があるので、この点決して本末を転倒させてはいけません。

 この点は教祖御昇天以来、本教人である私たちが少しずつ忘れてきた事を反省しなければならないのかも知れません。

 皆様と元気な声を掛け合い・応援し合い・じっくりと・無理はしないで・気楽に・楽しみながら・あきらめずに進んで行ければと祈念します。



季節のことば     夏 至   6月21日頃(今年は22日)

          

 夏至は二十四節気の一つで、冬至(今年は12月22日)に対極し、一年で一番昼が長く夜が短い日です。
 日の出と日の入りの方向が最も北寄りになります。
 家相で南向きが良いとされるのは、夏は日差しが差し込まず冬に差し込むという科学的な根拠もあるのです。
 二十四節気を更に三つに別けて七十二候としますが、日本で言う夏至の三候は初候《空穂枯る》で始まり、二候《菖蒲咲く》、三候《半夏生》となります。
 初候の空穂は食虫植物である靫葛に代表される夏草の事で、矢を納める筒(靫)に似ている為そう呼ばれます。
 そうした夏草が枯れて、二候で菖蒲(あやめ)が咲くようになります。三候の半夏生は21年の7月号に取り上げましたが、農家の季節指標でもある半夏生の花が咲く頃です。
 生命溢れる草花の様子に、生きる喜びを見出しましょう。