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                                                          2011−5

平成23年5月号 第1167号

        

自然(おのずから)(みち)   管長 巫部(かんなぎべ)(さち)(ひこ)

 

(古神道・神理教を“本教(ほんきょう)”と記します)

 鎮魂と復興への祈り

思わぬ現実

 3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沖地震とも東北・関東大震災ともいう、マグニチュード9.0最大震度7の世界屈指の巨大地震・津波が起こりました。

 皆様もご存じの通り、この原稿を書いている4月の始めに判明している死者・行方不明者だけでも3万人に及ぼうとしています。又、原子力発電所の事故は未だに収まらず、冷却もままならずに放射能を放出し続けるという制御しきれない様子です。その後も震度4以上の余震は一ヶ月弱で90回にも達していますし、今年は例年になく寒い日が続いています。

 未だに15万人を越える人達が避難所生活とのことですが、さぞ不安で寒く不便な生活を強いられていることと胸が痛くなります。

 又、放射能の影響は数百キロ圏の野菜や飲み水や魚にまで及び、幼児の()()や男子の精子他健康被害の可能性が指摘され、飲食・生活に不安を与えています。

 原発近くの方は家族の遺体を探しにも行けないとの報道を見ると、その無念さは想像を絶します。

 加えて農作物や海産物にも影響を及ぼし、(ふう)(ひょう)という2次被害が復興を妨げています。

 起こりうるとは思っていても実感が()かず、実際に起こってしまうと平和ボケの私達には思わぬ現実に目の覚める思いがします。

 

東京での体験

 筆者はこの時丁度東京原宿の東郷神社の記念館2階で、教派神道連合会の会議に出席していました。

 此所も震度5強で、3分の1しか入ってないコーヒーが(こぼ)れそうになり・頑丈そうな扉や建物全体が(きし)み・コップが割れる音が聞こえました。

 こんな大きな地震に(そう)(ぐう)したのは初めてでしたし、揺れが激しかったり緩んだりが長く繰り返され、何処まで強くなるのかと不気味に思いました。

 電話連絡が途絶えがちになる中で何度も電話してようやく大教庁との連絡が取れ、東北・関東地方の教会の安否を確かめるよう願いました。

 翌朝までに教会のほとんどに連絡が取れ、家財の散乱や停電等はあったものの、ご無事とのことでした。

 教会によっては不可思議なお助けを戴いた方もおられたようですが、未だ各教会の信者さん全てに安全が確認されているわけではないようです。

 最近連絡が少なくなっていた本院直属の教師に連絡の取れてない方がおられ、被災地にもこうした不明者も多い事と安否が気遣われます。

 会議もそこそこに終え電車が動いてないというので渋谷まで歩くと、バスターミナルは黒山の人だかりで、一時間やそこら待っても乗れそうにありません。

帰宅難民≠ニいう言葉が(ささや)かれたように、遠くへ帰る人達は駅舎やデパートの床に座っています。

 後で小学校等の仮眠所に誘導されたとの事でした。

 かなりの距離を歩いて帰る人もいるようで、筆者も新宿まで歩いたのですが、ビルのガラスが割れて下に落ちているところもありました。東京での死者はこうした事故に巻き込まれたのかと思われます。

 閉店したデパートや飲食店もありながら、多くの店が()いていた事は安心となりました。

 着いたホテルはエレベーターが使えず、食堂には宿泊客が集まってテレビで津波の様子等を見ていました。

 外で食事を取った後コンビニに寄ってみると、おにぎりやパンやカップ(めん)等の(たな)は空の状態でした。

 翌日、停まったり動いたりする電車を乗り継ぎ、羽田から北九州に帰る事が出来ました。

 

日本人へ外国からの(しょう)(さん)

 心ない義援金詐欺や火事場泥棒の話も聞かれますが、日本在住の外国の人等から驚きと共に賞賛の言葉が聞かれた時は希望の光が差したようでした。

 便(びん)(じょう)(りゃく)(だつ)や避難所でも順番争いをしない等、(ちつ)(じょ)を乱さない冷静な日本人への嬉しい評価です。

 筆者も体験したのですが、あれだけの揺れでも騒ぐ声が聞こえずコップが割れても悲鳴を上げる女性の声も聞かれません。

 (ぼう)(だい)な人の流れとなって歩く様子も(たん)(たん)として、(いら)()つ様子も(けん)(そう)もなく冷静でしたし、それがお互いの安心となっているように思いました。

 被災地においては、もっと(ひど)い環境の中でもそうした秩序と冷静さを保っているのだろうと察します。

 筆者は平和ボケとか危機意識の無さとか道徳意識の低下が叫ばれても改善の感じられない現代社会に、若干あきらめの心情もありました。

 しかし、こうした話しを聞くと日本人もまだまだ捨てた物ではない、と希望が持てます。

 道徳意識や信仰心が薄れても、まだこうした人間らしさを残しているのは何故でしょうか。

 これも(ほう)(かい)()()が叫ばれながらも、家庭の教育・社会環境が何とか機能しているからと思われます。

 (もち)(ろん)だから(じゅう)(ぜん)だとはとても言えず、こうして残った人間性を頼りに、それが一層向上するように自然な道徳・信仰の振興に努めねばと考えます。

 

天災・人災の(とら)え方・原因

 東京都の石原知事が『天罰』発言を非難され、後で(てっ)(かい)(ちん)(しゃ)するという事件がありました。過去現在を通じて怪しい宗教には、災難が有れば『天罰』・無くとも『災難が起きる』と(おど)して信者集めをする教団もあります。

 古神道・神理教の私達は、このような天災をどう(とら)えればよいのでしょうか。

 人災は病気や怪我や家庭・社会の中でのトラブル等で、自分や自分の祖先が(おか)した(つみ)(けが)が原因だと考えます。病気や怪我なら教書『人体本言考・神理の声』があり、その部位により自分と祖先を見直します。

 天災は(この)(たび)のような地震・津波・台風・(えき)(びょう)等広い地域に災害を(もたら)すものですが、本教ではこれも社会が(かか)えて祓っていない(つみ)(けが)が原因だと考えます。ただ、私達はこれを被災地域社会の(つみ)(けが)が原因だと、対岸の火事でも見るように考えるべきではありません。

 自分が出来るのにリスクを背負うのが(いや)で他人に押しつける・名誉や出世の為に履歴に傷を負うのを(いと)い他人のせいにする等、悪知恵を働かせる人がいます。

 現代ではこのような事は悪知恵ではなく自己防衛と言い訳をし、それが世間・社会に通るという道徳意識の低さが目立ちます。

 世界の平和とか環境とか国の為とか社会の為という

広い視野から見るのではなく、自分・家庭・所属する社

会ばかりが中心の(りょう)(けん)(せま)(そん)(とく)(かん)(じょう)も目立ちます。

 他人の不幸は見て見ぬ振りをし、(おど)(だま)してでも自分・家庭・所属する社会を守ろうという考え方です。

 知って行うにしろ知らずに行うにしろ、一人の意地や利益の為に結果的に誰かが泣いていても、それを(とが)められない社会に天災があると(とら)えます。

 今回の震災も世界或いは日本人全体の問題として捉えなければ尊い命が失われた意味も薄れ、形や場所を変えて又災難がやってくるのだと考えます。月並みにも聞こえますが正しい事は繰り返し言われるべきであり、それは信仰を元とした道徳や法律・取り決めの運用にまず自分から取り組む事です。そしてそれを家族・自分の属する社会へと少しずつでも広げて行く事です。

 

やるべき事と心構え

 この度の震災に私達がやるべき事は、まず亡くなった方々の(ちん)(こん)と被災者・地域の(ふっ)(こう)を祈る事です。

 又、ボランティアの(よう)(せい)に応えられる方は是非そうして頂きたいし、出来ない人は()(えん)(きん)等を出来る範囲で(きょ)(しゅつ)する事です。本教では、

家族の病気・(しょう)(がい)(しゃ)はその家の(つみ)(けが)れを健常者の代わりに負ってくれている≠ニ考えます。従って、

生きている内は家の宝として・もし亡くなっても守り神として大切にするべきであり、決して家の恥として隠したり()(がい)してはならない≠ニ教えます。

 病気や災難から逃れるだけが信仰ではないのです。

 精一杯の出来る奉仕や援助を考え行いましょう。

 次に心構えとして物質的には、自然災害や大火事や(えき)(びょう)等への避難経路や持ち出し用具の確認等です。

 精神的には幼稚園の卒園式でも話した事ですが、無念の内に亡くなった人の分も勉強(成人は仕事)に(はげ)み・家族が幸せになることだと思います。

 古事記の(やまと)(たけるの)(みこと)の辞世の歌の一つに、

(いのち) (また)けむ(ひと) (たたみ)(こも) ()(ぐり)(やま)

  (くま)()()() ()()()() その()

(今自分は死に行くが、命が無事な人達は()(ぐり)(やま)の大きな(かし)の木の葉を(かんざし)にして楽しく踊りなさい。)があります。これは健全な精神を持つ人の自然な心です。

 後に残った私達がしっかりと勉強し働き幸せになる事が、この災害で亡くなった人の()(れい)と考えましょう。

 その為に人類引いては日本には信仰の文化があるのですから、これを通じて幸福の社会を実現しましょう。


季節のことば     立夏  5月5日頃(今年は6日)


 立夏は二十四節気の一つで、若草が萌え夏の気が立つような頃で、春分と夏至のちょうど中間です。
 旧暦では4.5.6月が夏で、それが始まる月の名を取り四月節とも言いました。
 二十四節気を更に三つに別けて七十二候としますが、日本で言う立夏の三候は初候《蟇始めて鳴く》で始まり、二候《蚯蚓出る》、三候《筍生ず》となります。
 蟇・蚯蚓は嫌いな人もいることでしょうが、食物連鎖の中心的な動物でもあり、生命の漲る様子が連想されます。
 近年見かける場所が減りましたが、境内で糸に綿を付けて蟇釣りを楽しみ、蚯蚓を餌に魚釣りに熱中したものです。
 筍は本院の徳力山では早い時は2月から採れますが、今の時期は本番で神理幼稚園の子ども達も山に入ります。
 溢れる生命と食べる楽しみを賜る神に感謝です。