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                                                          2011−4

平成23年4月号 第1166号

        

自然(おのずから)(みち)   管長 巫部(かんなぎべ)(さち)(ひこ)

 

(古神道・神理教を“本教(ほんきょう)”と記します)

 幸福の方程式・(がい)(でん)2の2

 先月は幸福の方程式外伝1(うらみ)現実の()()(ごく)の悟り≠ニ(うら)む人の霊魂の安定を祈る≠フ神の(ことわり)の振り返りと例証に紙片を費やしました。

 従って外伝2の内容に深く踏み込めませんでした。

 今月は振り返りと例証を少なくし、外伝2の2として時代が経っても変わらない事・物・心≠ニ大切にする()でる≠ご一緒に掘り下げたいと思います。

 普段・日常の生活に役立てて頂ければ幸いです。

 

先月までの振り返り・自分も相手も救われる手法

 二、三月で外伝1として、ある人が(うらや)(さげす)(うと)み・(にく)と進み又相まって、(えん)(うら)み)を買い(いじ)めを受けた例を上げました。

 これは読者の皆様の生活する家庭や学校や職場等でも、大なり小なり起こりうることです。

 余りに(ひど)い場合には自分が場を変わるなり、或いは相手に変わって(もら)うなりしなければなりません。

 又同じ場の中でなるべく関係を絶とうと無視等も考えられますが、根本的な解決にはなりません。

 多くの場合、社会生活を共にする以上はこうした問題から逃げ出すわけにはいかないのです。

 そこでどうするかというと、これを神祖からの自分の成長の為の勉強・修行、自分も相手も救われる事が世直し・役立つ喜びと思い直し、逆転の発想として、

 

1.一人で(なや)(かか)え込まず信頼出来る人に相談し、自分の苦しみを理解し分かち合う。(八徳の一つ自白)

2.ただ(けん)()して()(まど)うのではなく、その人の(げん)(どう)や顔つきを見直し観察する。

3.その人の顔を見て、地獄の鬼に責められる(もう)(じゃ)のような顔をしていることに気付けば、自分を取り戻すと共に相手の心の底が見えてくる。

4.その時、嫌悪感が少しの部分でも同情に代わればしめた物で、自分と相手の精神(四魂)の安定を大元の神である天在諸神に祈る。

 幸福の方程式のリズムが狂った時は、もう少し原点に戻って、こうしてご一緒に祈りましょうと提案したのです。

 

(うら)みから役立ちへ

「少しホッとしました。(うら)み返さずに済みそうです。」と相談者から言って頂きました。

 怨みは相手だけでなく自分の地獄をもこの世に作ることですから、1月号からの繰り返しになることながら論外です。

 仕返しは駄目というのは(うらみ)この世に()()(ごく)を作る(つみ)≠ニいう(かみの)(ことわり)からなのです。

 現代の世界の戦争・紛争や過去の日本のそれらを見ても同じで、『一方的な不利・(そん)は駄目』と主張することも大切ながら、仕返しを繰り返し合うのは無益です。

 無益どころか、(いたずら)に人命や物資が消費され、文化は(ほう)(かい)し人の心は(こう)(はい)(うら)みは(でん)(せん)して、戦争当事者のみでなく世界全体を(けが)すのです。

 現代社会には気付かぬうちに、こうした罪穢れが(まん)(えん)しているのではないでしょうか。

 無差別殺人等一時の()()らしも、現世と死後の世界に渡り、自分と自分が見守るべき家族の地獄を作ることに、犯行の前に気付いて貰いたいものです。

 悪口を言う時の人の顔を思い起こせば、例え結婚式場であっても恐ろしく、(あっ)()(もう)(じゃ)のようです。

 ()める時の人の顔を思い起こせば、例え葬儀場であっても(やさ)しく、神様・祖父母のようです。

 人や社会を怨み色んな形で攻撃することは足重く、気付かぬ内に地獄(()(みの)(くに))にいるようなものです。

 人や社会に役立つことは、心も軽く・気付かぬ内に天国((ひの)(わか)(みや))にいるようなものです。

 筆者は人から憎まれたり攻撃をされる人よりも、人を憎んだり攻撃をする方の人に(あわ)れを感じます。

 人を(けな)したり()めたりした直後に、気付けば鏡で自分の顔を確かめたいものです。

 自分では気付かないものの、(けな)せば顔つきだけでなくその心も(こお)り、()めれば顔つきだけでなくその心も(やわ)らぐのです。分かって頂くように(うなが)し、言葉と祈りで救いたいと()(きゅう)するところです。

 筆者は人から怨まれ攻撃をされて苦しむ人に、

『恐れてはいるかも知れないが、憎み返しているのか否か』を問います。

 まだ憎しみが育って無いならば、解決は早いのです。

 ご一緒に憎む人の罪の解除と四魂の安定を祈ります。

 『()しきを(かえ)して(よき)きと()す』のように、『怨みを返して(あい)()(八徳の一つ)と成す』としたいものです。

 

悪口を言わない歌

 悪口と言うのは(くせ)になると自分では言う積もりはなく、言ってないと思っていても口が勝手に?言っていることがあるものです。失敗すると頭を()くように、自分に都合の悪い話になると人の悪口で()()()す等で、それが癖になるとそのまま人格になってしまうのは恐ろしいことです。ここは単純に『人の悪口は言わない』と決め、繰り返し自分に言い聞かせることです。

 余談ながら福永教会の三角清三教会長は、ご高齢ながら会うといつも次のような歌を()かせてくれます。

『人は神さぁ〜ま、仏ぇ〜さぁま。人の悪口ぃ〜、言うではないぞヨイショ♪』せめて職場や学校や家庭で悪口は止め、出来れば良い(とこ)探しを楽しみましょう。

『天に向かって(つば)()く』という言葉がありますが、悪口は上方の神祖に不平を漏らすのと同じで、必ず自分の顔に落ちてきて、気持ちの悪い思いをするのです。

 悪意も感謝も本気で言うほど真上に向かうことから、勢いを付け倍になって返ってくると思いましょう。

 周囲の人に気持ち良くなるような言葉を使い行動し祈るなら、必ず自分も心地良くなるのです。

 

外伝2の2・大切にする事(=八徳の一つ・(あい)()

・守り・救いから攻勢・環境作りに外伝1は人から(ひど)い目に会った時への守り・救い(()(こん))でしたが、外伝2は攻勢((ちゅう)(じょう)(こん))に立っての手法について考えましょう。

 例えば中根で言えば自分が酷い目に会わないような環境作りですし、上根で言えば自分だけでなくその社会全体の皆が幸福であるような環境作りです。

 時折触れる事ながら、本教では神の御意志は、『形のない神の御意志を、現実に形あるものとして造り出す事』と伝え、もう少し具体的に言えば、『この世を神の世とすること=全ての人が神の意志を意志とする真の自由と幸福を得る社会作り』つまり、『家庭と社会の幸福に役立つ至高の喜びを得る人が大多数となる環境作り』と言えます。

 

・真の自由

神の御意志を意志とする≠ニいうのは、例えば親子で意見が違うように見えても、それぞれがお互いの幸福を願っているのは共通するのと同じです。

 しかし幸福を具体化する方法が違った時に、親の自由・子どもの自由と言い合って、互いの意志が違うように思うのは勘違いです。

 方法論の違いを言うのではなく共通部分があることを認識出来れば、神と先祖と全ての人が共有出来る真の自由の意味が分かり喧嘩別れ等せずに済みます。

 親と祖先と大元の神の意志(全ての人の幸福・四魂の安定)を信頼し、そこに(もとい)があることに安心感が持てるのが神道の悟りの一つでもあります。

 従って真の自由とは、神・先祖・親の互いが安心(四魂の安定)を目的とした、考え方や行動を言います。

 これも時折触れる『木の話』ながら、子孫の末端である私達を木の葉に例え、勘違いした自由を心地よい風と思い違い枝から離れれば枯れてしまうのです。

 何が本当の自由がよく考え悟れば、いくら方法論を戦わせても神祖親子の(なか)(たが)い等有り得ないのです。

 

・何が大切か・どう環境を作るか先月も触れましたが、時代が経っても変わらない事・物・心≠ヘ重要です。

 歴史の(えい)()を重ねた本教の教えや仕事への心構えや教育理念、又自然の景観や歴史的な建造物やそうした場所での生活習慣は失ってはならないものです。

 そうした場所や習慣を見直すことで、現代に忘れ去られようとしている感謝や優しさや思いやりやもてなし、又生活や信仰の文化に深く命を吹き込むのです。

 そうした環境は意外に身近な処から作られます。

 例えば靴を(そろ)える・声を出して挨拶をする・人の話を誠意を持って聞く等の基本です。加えて神に手をあわせ、自然やその草花や周囲の人やひいては社会を一つ一つ大切にし・愛でる気持ちが大切です。

 そうした仲間が増えて行けば、自分も(ひど)い目に会うことはないし、同時に周囲の人も支え合い神の御意志に添った真に自由で幸福な社会が出来るのです。

大切にする事≠ヘ振り返ると八徳の一つ(あい)()≠ナあり、結局は繰り返しの中で物事が進む事と理解出来ますが、機会を見てもう少し深めたいと思います。


季節のことば     穀雨   4月20日頃(今年も20日)


 先月の『なたね梅雨』に続き雨にまつわる季節の言葉ですが、『穀雨』は二十四節気の一つで、穀物の成長を助ける雨という意味です。
 江戸時代の『暦便覧』には"春雨降りて百穀を生化(生成と変化)すればなり≠ニ記されるところから、『百穀春雨』等とも呼ばれます。
 二十四節気を更に三つに別けて七十二候としますが、日本で言う穀雨の三候は初候《蕗初めて生ず》で始まり、二候《霜止み苗出る》、三候《牡丹咲く》となります。
 初候に蕗を目で見て楽しみ食べて楽しみ、二候は霜が止み苗が出る季節感を楽しみ、三候の4〜5月の大型連休で花の王と言われる牡丹を観賞する贅沢な期間です。
 事故や病気に気を付けながら行楽を楽しみ、本院・教会への参拝もお待ち申し上げます。