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2011−4
(古神道・神理教を“ 幸福の方程式・ 先月は幸福の方程式外伝1 従って外伝2の内容に深く踏み込めませんでした。 今月は振り返りと例証を少なくし、外伝2の2として時代が経っても変わらない事・物・心≠ニ大切にする・ 普段・日常の生活に役立てて頂ければ幸いです。 先月までの振り返り・自分も相手も救われる手法 二、三月で外伝1として、ある人が これは読者の皆様の生活する家庭や学校や職場等でも、大なり小なり起こりうることです。 余りに 又同じ場の中でなるべく関係を絶とうと無視等も考えられますが、根本的な解決にはなりません。 多くの場合、社会生活を共にする以上はこうした問題から逃げ出すわけにはいかないのです。 そこでどうするかというと、これを神祖からの自分の成長の為の勉強・修行、自分も相手も救われる事が世直し・役立つ喜びと思い直し、逆転の発想として、 1.一人で 2.ただ 3.その人の顔を見て、地獄の鬼に責められる 4.その時、嫌悪感が少しの部分でも同情に代わればしめた物で、自分と相手の精神(四魂)の安定を大元の神である天在諸神に祈る。 幸福の方程式のリズムが狂った時は、もう少し原点に戻って、こうしてご一緒に祈りましょうと提案したのです。 「少しホッとしました。 怨みは相手だけでなく自分の地獄をもこの世に作ることですから、1月号からの繰り返しになることながら論外です。 仕返しは駄目というのは 現代の世界の戦争・紛争や過去の日本のそれらを見ても同じで、『一方的な不利・ 無益どころか、 現代社会には気付かぬうちに、こうした罪穢れが 無差別殺人等一時の 悪口を言う時の人の顔を思い起こせば、例え結婚式場であっても恐ろしく、 人や社会を怨み色んな形で攻撃することは足重く、気付かぬ内に地獄( 人や社会に役立つことは、心も軽く・気付かぬ内に天国( 筆者は人から憎まれたり攻撃をされる人よりも、人を憎んだり攻撃をする方の人に 人を 自分では気付かないものの、 筆者は人から怨まれ攻撃をされて苦しむ人に、 『恐れてはいるかも知れないが、憎み返しているのか否か』を問います。 まだ憎しみが育って無いならば、解決は早いのです。 ご一緒に憎む人の罪の解除と四魂の安定を祈ります。 『 悪口を言わない歌 悪口と言うのは 余談ながら福永教会の三角清三教会長は、ご高齢ながら会うといつも次のような歌を 『人は神さぁ〜ま、仏ぇ〜さぁま。人の悪口ぃ〜、言うではないぞヨイショ♪』せめて職場や学校や家庭で悪口は止め、出来れば良い 『天に向かって 悪意も感謝も本気で言うほど真上に向かうことから、勢いを付け倍になって返ってくると思いましょう。 周囲の人に気持ち良くなるような言葉を使い行動し祈るなら、必ず自分も心地良くなるのです。 外伝2の2・大切にする事(=八徳の一つ・ ・守り・救いから攻勢・環境作りに外伝1は人から 例えば中根で言えば自分が酷い目に会わないような環境作りですし、上根で言えば自分だけでなくその社会全体の皆が幸福であるような環境作りです。 時折触れる事ながら、本教では神の御意志は、『形のない神の御意志を、現実に形あるものとして造り出す事』と伝え、もう少し具体的に言えば、『この世を神の世とすること=全ての人が神の意志を意志とする真の自由と幸福を得る社会作り』つまり、『家庭と社会の幸福に役立つ至高の喜びを得る人が大多数となる環境作り』と言えます。 ・真の自由 神の御意志を意志とする≠ニいうのは、例えば親子で意見が違うように見えても、それぞれがお互いの幸福を願っているのは共通するのと同じです。 しかし幸福を具体化する方法が違った時に、親の自由・子どもの自由と言い合って、互いの意志が違うように思うのは勘違いです。 方法論の違いを言うのではなく共通部分があることを認識出来れば、神と先祖と全ての人が共有出来る真の自由の意味が分かり喧嘩別れ等せずに済みます。 親と祖先と大元の神の意志(全ての人の幸福・四魂の安定)を信頼し、そこに 従って真の自由とは、神・先祖・親の互いが安心(四魂の安定)を目的とした、考え方や行動を言います。 これも時折触れる『木の話』ながら、子孫の末端である私達を木の葉に例え、勘違いした自由を心地よい風と思い違い枝から離れれば枯れてしまうのです。 何が本当の自由がよく考え悟れば、いくら方法論を戦わせても神祖親子の ・何が大切か・どう環境を作るか先月も触れましたが、時代が経っても変わらない事・物・心≠ヘ重要です。 歴史の そうした場所や習慣を見直すことで、現代に忘れ去られようとしている感謝や優しさや思いやりやもてなし、又生活や信仰の文化に深く命を吹き込むのです。 そうした環境は意外に身近な処から作られます。 例えば靴を そうした仲間が増えて行けば、自分も 大切にする事≠ヘ振り返ると八徳の一つ |
季節のことば 穀雨 4月20日頃(今年も20日) 先月の『なたね梅雨』に続き雨にまつわる季節の言葉ですが、『穀雨』は二十四節気の一つで、穀物の成長を助ける雨という意味です。 江戸時代の『暦便覧』には"春雨降りて百穀を生化(生成と変化)すればなり≠ニ記されるところから、『百穀春雨』等とも呼ばれます。 二十四節気を更に三つに別けて七十二候としますが、日本で言う穀雨の三候は初候《蕗初めて生ず》で始まり、二候《霜止み苗出る》、三候《牡丹咲く》となります。 初候に蕗を目で見て楽しみ食べて楽しみ、二候は霜が止み苗が出る季節感を楽しみ、三候の4〜5月の大型連休で花の王と言われる牡丹を観賞する贅沢な期間です。 事故や病気に気を付けながら行楽を楽しみ、本院・教会への参拝もお待ち申し上げます。 |