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                                                          2011−3

平成23年3月号 第1165号

        

自然(おのずから)(みち)   管長 巫部(かんなぎべ)(さち)(ひこ)

 

(古神道・神理教を“本教(ほんきょう)”と記します)

 幸福の方程式・(がい)(でん)2の1

 (おお)(もと)(てん)(ざい)(しょ)(じん)に一度助けられた私達なのに、気が付けば又悩みの中にいる事は(さい)(さい)(おう)(おう)です。

 先々月・先月と、それをどう考えどう助かる方向に進むべきかというお話しをしました。

 一月は幸福の方程式(1.七罪を抑え2.罪穢れを祓い3.長呼吸法で神気を戴き4.八徳で幸福を引き寄せる)を使い日常性を高める心得をお話ししました。

 幸福の方程式は、皆が神{幸福}になる一番の近道()上根の信仰への中央を太く走る一本道です。

 太古から(にぎ)(はや)(ひの)(みこと)(もの)(のべ)()(かんなぎ)()()に伝わり御教祖が大成された、これ以上の道はないのです。

 二月はその(がい)(でん)として職場内の(いじ)めを例に、このリズムの立て直しのきっかけとなる考え方((うらみ)は地獄)と心構えについてのお話しをさせて頂きました。

 少しでもお役に立つ事が出来たでしょうか。

 今月は『幸福の方程式・(がい)(でん)』と題を付け、先月の守りから攻勢に転じ、同時に誰でも愛せるような方向に進める積極的な人生について考えたいと思います。

 

先月の振り返り

・振り返り@・又悩む原因

 信仰は自分や家族や御先祖が助けられたという、(いわ)(ゆる)()(こん)の信仰から入ることが多いものです。下根は決して恥ずかしい物ではなく、人の本性でもある信仰を忘れた人からすれば、異次元であり(はる)かなる高みです。

 下根は信仰のみを見れば幸福の方程式の第一歩ですから助けられ御礼をしておしまいではなく、(ちゅう)(こん)(じょう)(こん)へ進む為の機会とするべきなのです。

 しかし私達は得てして現実の事件にあまりにも(もろ)く前後左右に揺さぶられ、下根→中根→又下根と繰り返しながら、振り出しに戻ることがよくあります。

 日々の信仰を忘れ、振り出しどころか神祖に逆恨みをしたり、『やはり信仰等は役立たず』というところまで戻ったりして、一層(つら)い思いをすることがあります。

 こうした(しん)(ぷく)を繰り返す私達の幼さが、又悩む原因の一つと言えます。

・振り返りA・外伝への手がかり

 幸福の方程式は、信仰を目指す人に初心上級を問わず・誰にも出来る・どれからでも手を付けられる・簡単且つ奥の深い・最も有効な教え・日常の心構えです。

 しかしこれを繰り返す気力も失った時、取りあえず且つ元からどう直すかの心の持ち方を、教えを活用して手がかりとし以下のように考えたのでした。

・振り返りB・陰と陽、加えて四魂の調和

 楽天家は、《こうすれば、もっと・もっと…と考え、期待・工夫・役立ち・歓声等楽しみの種は尽きない》と生きているだけで(もう)け物のように軽く脳天気に考えます。

 悲観家は《しかし、でも・でも…と考え、失望・()(せつ)・無益・怒声等心配の種は尽きない》と生きる事へため息が出たりして重く(ゆう)(うつ)に考えます。

 楽天家と悲観家は陽と陰の関係のようなもので、そのどちらも世の中に必要で、お互いの程よい(かっ)(とう)が世の中を神の心に合わせて進ませているのです。

 又一人の心の中に比率の差はあれ、楽観と悲観の両方の性が(かっ)(とう)しあうのが人間です。行け行けドンドンばかりでは始末がつきませんし、失敗を恐れて何もしないでは他人・他会社・他国にも遅れ世の中も(すた)れてしまいます。陰陽両方の調和が必要です。

 調和は私達の四魂も同じです。(にぎ)(みたま)が荒ぶる心を(なご)める穏やかな心といっても、いつもへらへらと笑ってばかりいると、(けい)(べつ)されることになります。

 (あら)(みたま)が乱暴に見えても、世の中(自分の事ではなく)に()(ふん)を発しないのは、積極性のない世に役立つ生き甲斐の持てない人となります。

 (くし)(みたま)が智恵を働かせるといっても、それを自分の利益の為ばかりに使えば、(こう)(かつ)な人間として周囲に(うと)んじられることになります。

 これ等を調整安定させるのが(さき)(みたま)の働きで、その働きをより広い視野から補助し()()するのが御先祖で、その大元に天在諸神がおられるのです。

 不安を安心に導くのも四魂を安定させるのも、本教の教えを活用すれば元から直す様々な方法が生まれてきます。

 

・振り返りC・自分で作る()(みの)(くに)(地獄)

 筆者への相談は、『人(部下)から憎まれていて、この事態を怖いし苦しく思う。何としても、この状態から救って欲しい』ということでした。

 只この方は突っかかられたり無視されたり電話を途中で切られたりされ恐怖感はあるものの、相手に憎しみを持っていませんでした。そこで筆者は、

()(みの)(くに)(地獄)は亡くなって行くだけでなく、生きながらにして行ったのと同じ状態の人もいる。』と、考え方のきっかけとしてお話ししたのでした。

 いない人の悪口を言う人、又面と向かって(ののし)(けっ)(てん)(あざけ)()(つの)る人がいます。

 相手の欠点を直そうという善意ならまだしも、自分の優秀さを誇示し議論等で自分の優位を保とうとする目的の為に手段を選ばす悪意をむき出しにするものです。

 人の悪口を言ったり聞いたりすることは、(とう)()が異様に高いあめ玉を()めるような物です。

 悪口を言うことは、始めは他人の欠点を見つける能力に酔って心地良いようですが、その場は笑っても後で舌や喉にからまり気持ちが悪くなります。

 悪口を聞くことは、始めは他人の欠点がおかしくて優越感も湧き耳に心地良いようですが、その場では笑っても後で胸や腹や心に不快なものが残ります。

 悪口を言って一瞬は笑いの中心にいても、周囲の人達は自分も言われるのではとの不審の念を抱きますし、元々気持ちの良い(善意の)話ではありません。

 又(ののし)(あざけ)()(あつ)して一瞬は自分が議論等で優位に立ち(ある)いは勝っても、そうされた人や周囲の人達からは失望や怨みや恐怖感を買うことになります。

 人によっては善意のつもりが議論に夢中になる内に自説に捕らわれ、押しつけ又は悪意に変質して、それに気づかない場合も考えられます。

 余程の悪人に対する時は別かも知れませんが、一般に悪口や威圧の余得は祝詞で言う『()(さき)(くぼ)()』に過ぎず、広い目で見ると返って損失となるのです。

 七罪((たい)()(())(どん)(ぷん)(まん)(ゆう)(えん))は全てこの世に自分の生き地獄を作ることながら、他人をもそこに引き込む(えん)(うら)み)は他の倍もきつい地獄です。

・振り返りD・心の持ち方・外伝1

 そこで外伝1として、(いん)湿(しつ)(しつ)(よう)(いじ)めや悪意を投げ掛ける人の精神(四魂)の安定を祈るという、言わば逆転の発想を提案したのでした。

 その辺りをもう少し詳しく整理すると、

1.一人で(なや)みを(かか)え込まず信頼出来る人に相談し、自分の苦しみを理解し分かち合う。(八徳の一つ自白)

2.ただ嫌悪して逃げ惑うのではなく、その人の言動や顔つきを見直し観察する。

3.その人の顔を見て、地獄の鬼に責められる(もう)(じゃ)のような顔をしていることに気付けば、自分を取り戻すと共に相手の心の底が見えてくる。

4.その時、嫌悪感が少しの部分でも同情に代わればしめた物で、自分と相手の精神(四魂)の安定を大元の神である天在諸神に祈る。

 この外伝1の手法は、相手が安定するほど自分への(いじ)めも減るのですから、必ず双方に良い事です。

 こうした事象について別の見方をすれば、(いじ)めを受けるのはその人又は相手の御先祖からのSOS(救助信号)とも考える事が出来ます。

 (いじ)めという事象に(とら)らわれがちですが、御先祖の苦しむ内容により他の災難・病気もあり、とにかく本人或いは御先祖の罪を祓いなさい、と伝えているのです。

 こうした時にはその役割を前向きに(にな)うことでもっと大きな幸せ・人間力を得る事を(けい)()されている、と考える事が不幸を幸に一層早く転じる心得だと言えます。

 

外伝2・大切にすること

 外伝1はどちらかと言えば幸福の方程式の1.七罪のように守りでしたが、今度は4.八徳のように攻勢に立っての手法について考えましょう。先日大教庁を建てた設計士さんと話しをしていて、時代が経っても変わらない事・物・心≠フ重要性について聞きました。

 例えば人間の長い歴史の(えい)()を重ねた本教の教えや石段・参道等の景観や、神理幼稚園の60年に(わた)る心と体を育てる教育理念についてです。

 本院や教会や歴史的な建造物やそこで生活する人は古き良き物を変わらない≠ワまに受け継いでいる人が多いのですが、現代は変化する&が普通です。

 近年はバブル時代等古い物を捨てて全て新しい物に変えるのが美徳≠フように言われました。

 現代は若干変わったとはいえ、変わらない事・物・心≠尊重する意識は薄いようです。しかし、

 古来変わらない&カ化や習慣や理念は心に(うるお)いを与える原点であり、私達はこれを大切にし・()でる心を持ち続ける事で幸福が求められます。(続く)


季節のことば     なたね梅雨   3月下旬頃


 春分も過ぎる三月下旬から四月上旬にかけて、天気がぐずつきシトシトとした雨が降ることが多くなります。
 梅雨の時とよく似た前線が本州南の沿岸沿いに東西に走り、その上を低気圧が通るという天気図です。
 ナタネの花が咲く頃に降るので"なたね梅雨≠ニ呼びますが、気候の暖かいところではサクラ梅雨という感じです。
『花に嵐の例えもあるぞ、さよならだけが人生だ』とは、唐の于武陵の五言絶句〈勧酒〉を井伏鱒二が紹介するにあたっての名訳です。
 花に嵐と同じで良い事(友人・人生等)には邪魔が入りやすいが、今この出会い・時間を大切にしようということです。
 花の綻びを抑え・散らせる冷雨になることが多いのですが、春季大祭準備奉仕の皆様には、暖かく気持ちよく共に観賞出来ることを楽しみにしています。