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                                                          2011−1

平成23年1月号 第1163号

        

自然(おのずから)(みち)   管長 巫部(かんなぎべ)(さち)(ひこ)

 

(古神道・神理教を“本教(ほんきょう)”と記します)

 秋季大祭(本院(つき)(なみ)(さい))でのお話し2

 昨年12月号で自然の道は丸二十年(240回)となりました。継続は力なりで大きな勉強となりましたし、今年から(おん)()()(しん)で良いものは大切にしながらも又新しい境地に踏み込む意欲を燃やします。

 

年頭のご挨拶

平成二十三年のお正月を迎えることが出来ました。

今年は(かのと)()(かのと)(()())(あや)(かしこ)(ねの)(かみ)(うさぎ)(いく)(ぐいの)(かみ)()()です(それぞれ()から()に変わる)。

来年は(みずのえ)(たつ)(みずのえ)((みず)())(くにの)(とこ)(たちの)(かみ)(たつ)()()()(にの)(かみ)(つち)()で、(そう)(こく)が三年続くことになります。

 昨年述べたように相克だから悪いということではなく、(一昨年は(つち)が重なる基礎固め)昨年・今年は形が固まると共に(みき)()が伸び上がる(きざ)しとなります。

 又同じく昨年に続き重ねて(けず)って道具を作るように、物や組織が形成される年とも考えられます。

とすると折角物や組織が2年続けて形作られて行くのであれば、一層善い物や組織を、善い形に作るべき≠ニいうことになります。

 何を作るにしても主体になる人と補助をする人が心を合わせ、一体となって取り組むよう心掛けましょう。

 そして来年は(みず)(つち)ですから、今年までに作った素材を土と水をこね合わせるようにして、一層大きなものを形成するということとなります。

 今年もお仕事と共に信仰に(はげ)まれ、希望を持たれて健康で豊かな年となりますようお祈りします。

 

先月の振り返り

・振り返り@・教信徒の皆様と共有したい夢

 昨年の秋季大祭(本院月次祭)のお話しで、筆者の皆様と共有したい夢として一つ目は、

『本教の()(じょう)の教えと御神徳が日本中・世界中の人に(しん)(とう)し、(きょう)(じゅ)して頂きたい』そしてその結果が、

『本院・教会の教殿が満場となりますよう』とご一緒に言葉に出して頂くよう((こと)(だま)の活用)御願いしました。

 具体的には、勤労者や学校に通う青少年が御家族一緒に参拝され神前奉仕も出来るように、大祭の土・日開催へのご理解を御願いしました。夢の二つ目は、

『本教の(たく)(えつ)した教えが、生活にも役立つし社会活動にも役立ち(じっ)(せん)として働き掛けることで、社会に役立ち信頼も深めたい』ということで具体的には、

『幼稚園の上級学校の設立や、(こん)(きゅう)(しゃ)・高齢者への支援・(いや)しと共に教えを活かした終末医療等の精神的援助が出来る社会福祉施設の運営』です。

 経済や社会状況を見極めながら実現に向かうよう祈念します、というお話しでした。

・振り返りA・助けられたこと・助かること

 昨年の秋季大祭(本院月次祭)のお話しで、先ず皆様の祖父母や両親やご自身が本教の大きな御神徳と教えに助けられたかどうかを問わして頂きました。

 多分大多数の方が助けられたであろうと思われます。

 次に今家族や親族に先天的・後天的な心身の(しょう)(がい)、又家庭内の不和や子育て等で悩んでいる方はいませんかと問わせて頂きました。

 これも大多数と思われますが、悩み苦しんでいるのは自分だけ思うのは(かん)(ちが)いで、本教の教信徒でも見直せば多くの人が大小の苦しみを持っていると感じます。

 安心して頂きたいのは、本教の教信徒は御先祖のお陰で、本教の御神徳と教えの直ぐ(そば)にいる事です。

 自身の心の成長の過程として、又人を助け世に役立つ為に与えられた試練としての苦しみも、教えを活かす事により直ぐに救って戴けるのです。

 自分の安定した幸福と人を救う為の訓練と考えれば、本教の教信徒が悩み苦しむ事を恥ずかしいと思い又隠す事はありません。

 それなのに私達は自分や両親や祖父母が本教に助けられたことを忘れてしまい、今の苦しみを恥として隠してしまっているのでは、ということです。

 昔の救って戴く前の心に立ち戻ってしまい、まず自分や家族や周囲の人が苦しんでいることすら認めようとしてないのではないでしょうか。

 そうした心の動き自体が『(つつ)()(かく)す』を(ほん)(げん)(その言葉の持つ本来の意味)とする(つみ)(おちい)ることです。

 そこで、これを本教の教えである、例えば喜びも悲しみも分かち合う『自白』という手法があるとお伝えしたい、というお話しでした。

 

今から助かること、の続き

・家族や親戚に(しょう)(がい)者がいた時の心の動き

 私達は他人の事はある程度見えるけれど、自分のことは分からないものです。

 一般に家族に障碍者を持った時の心の動きは、1.事実への驚きと(どう)(よう)2.事実を受け止める事への拒否→3.事実の受入れ→4.原因と病名の確定から始まります。

 ようやく3.4.に至って若干冷静になり、次から繰り返さないようにと原因を探り、病名を確定し早期治療・改善を目指そうという気持ちになるようです。

 しかしこの辺りではただ目先の邪魔な事柄を早く片付けよう・(くさ)いものに(ふた)をしよう・自分の不快感を取り除こう等と(あわ)てているだけの人が多いのです。

 家族の心配をしているようで、実は自分の事しか考えていないのです。でも人は本来神性を持つものですから、素直に考える人はここから次の段階に進みます。

 5.(しょう)(がい)者の立場に立ってその不安や希望や将来を考える→6.家族に障碍者がいたことで心が成長した自分達を振り返る事が出来る、となるのです。

 そして7.障碍を持ったあなたがいて良かった、との心境に至る人や家族を見ることがあります。

 そこに至るには障碍者と苦しみを共有したり、その苦しみから来る暴言や暴力のやりとりも多々あることでしょう。そうした体験を経て、あなたがいて良かった・あなたがいなければ気付かなかった・あなたとの生活で人として成長した、となるのです。本教では、

(しょう)(がい)者は家の宝として大事にするべきだ』と教えます。その理由は、

『障碍者がその家の(つみ)(けが)れを替わりに背負ってくれている』と考えるからですし、先に述べた、

『共に成長する』ということにもあると考えます。

・どうすれば助かるか@信仰・認知・告白

 信仰の力を借りないで7.に至る人や家族もいますが、例えば『(しょう)(がい)者は家の宝』という教えを聞いた事がある位でも7.に至る気付きの可能性は高まります。

 信仰の力を借りないで7.に至る気付きの過程にたどり着く人や家族もいますが、信仰は一層その気付きの過程にたどり着く可能性を高めます。

 どうすれば助かるか、それは信仰と共に先ほどの心の動きと同じで、先ずはご自分や家族が重荷に感じている事実に気付き認める事です。

 私達はついこの部分をおざなりにして、

『自分はいいんだ・自分さえ我慢すれば』等として無理矢理に目をつぶっていまいがちです。そして家と自分の恥として誰にも相談せず、家族内の(ない)(しょ)(ごと)()(ごと)(とど)めようとして返って罪を育ててしまうのです。

 本教では(いの)れ・(くす)(くす))れ』と教えます。

 それで治れば内緒事のままで良いのでしょうが、そうはいかない現実もあります。

 そこで一つに先月号の最後に()れた、喜びも悲しみも分かち合う『()(はく)(はっ)(とく)の一つ)』という手法があります。喜びは分かち合えば倍になり、悲しみは分かち合えば半分になるという考え方です。

 苦しいけれども自分や家族が重荷に感じている事実を認め、医学で治らないものは御神前・教会長・教師・教友又親しく信頼の置ける人に相談することです。

 相談して治るものでなくとも話せば心が楽になりますし、自分だけ特殊の悩みと思っていても話せば共通の部分が多いことに気付きホッとするものです。

 そうなれば一層心も楽になり、病気や災難に加え(なや)んでいたことで益々落ち込んでいた気持ちも、事実は別としても気持ちだけでも軽減されることになります。

 気持ちとは大きな力で、気持ちが改善すると苦しみだけでなく、(しょう)(がい)や家庭内の不和や子育ての悩みが軽減する不可思議を戴くこともあるのです。

・どうすれば助かるかA

 前半(2P最後)で『(つみ)』の(ほん)(げん)(その言葉の持つ本来の意味)は『(つつ)()(かく)す』という本教の教えをお伝えしましたが、それを解くのは『(はら)い』です。

 これも時折お伝えしていますが『(はら)い』の(ほん)(げん)は『()(あら)せ』であり、人は神の(ぶん)(れい)(わけみたま)ですから、祓うことによって元の(きよ)(れい)(こん)に立ち戻るのです。

 そうなれば神の分霊として(まさ)に日の出のように()の光が周囲を照らして(あらわ)れるように、自分も幸福になり周囲の人をも幸福に導く存在となるのです。

 昨年からお伝えした幸福の方程式を使い、1.七罪を抑え→2.罪穢れを祓い→3.神気を戴き→4.八徳で幸福を引き寄せるということを基本と心掛けましょう。

 必ず自分も家族も社会も幸せになるのです。

 来月はそれでも苦しい人を救う方法を考えます。


季節のことば    松 納 め
   1月7日(以前は小正月の15日)

 本院の近くだけの風習でしょうか、10数年ほど前までは松の内まで車や二輪車にも注連飾りを付けていましたが、いつの間にか減ってしまい最近ではあまり見当たりません。
 注連飾りは神社や神棚の注連(七五三)縄や玉飾りやそれを簡略化した輪飾りで、井戸(水道の蛇口)や竈(コンロ)の他、玄関やお風呂やトイレにも飾ります。
 松飾りは門松といわれる大きなものや、門松に見立てた松の枝や注連飾りを玄関の軒や家の門口に飾るものです。
 では是等を片付けるのは何時・どういう風にすれば良いのでしょうか。
 松の内・松納めは以前は小正月の15日でしたが、近年は仕事の取り掛かり等の関係か、7日が普通となりました。
 小さなものは初穂料と共に近くの神社に納めるか、これも近くのどんど焼きにお持ち頂くのが良いでしょう。