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                                                          2011−11

平成23年11月号 第1173号

        

自然(おのずから)(みち) 管長 巫部(かんなぎべ)(さち)(ひこ)

 家族信仰と代表((いけ)(にえ))?信仰

(古神道・神理教を“本教(ほんきょう)”と記します)

 

教祖の御歌の深い意味

()き人の よき(おこない)は 少しでも

学びて(おの)が 鏡とぞせよ=i(じん)(どう)(ひゃく)(しゅ)

という教祖の御歌があります。

 時折本院や研修会でお話しますが、教祖の御歌はそのまま(きん)(げん)として受け取れるものの、多くはもっと深い意味があります。

 表層の意味だけを受け止めて、私達は、

「はい分かりました。素晴らしいお言葉を戴き有り難うございました!」で終わりがちですが、御教祖が、

「もう一度よく考えてこの歌の心の深層も理解し、もっと生活に活かせるようにしなさい」と言われていることに気付く人は少ないように思います。御歌を深く読むと、生活に役立つ事が多くあります。

 

表層の意味

 先ず、この御歌の表層の意味を確認すると、

《自分で善悪を判断したり行動したりすることは素晴らしいことです。

 しかしいざ実行するにあたり人生経験の多少もあり、本当に善いのか・どう実行するのか、難しく感じる時があります。

 そこで学ぶは()()ぶ≠ナ、先ず先輩に見習うべき人を見つけ、その心掛けや行動を学び自分を見直す鏡としましょう》との教えです。これはこれでもっともな教えで教祖の御歌だからこそ説得力もありますが、まあ昔から言われて来たことでもあります。

深層の意味

 次に、深層の意味を読み解くと、

《善い人の良い行いを手本に、少しでも学んで実行するのは良いことです。

 しかし本教の信徒である私達は、善い人の真似をして終わりでは発展がありません。

 更にもう一段階上の人の手本≠ノなりましょう。鏡にせよ≠ニいうのは先ず自分の鏡であると同時に、その鏡が他人の為にも使え役立つ事を知るべきです。

 自分も善い人の()(はん)として社会に役立つことで、もっと深い人生の喜びを知ることが出来ますよ》とお教え下さっているのです。

 信仰が困った時に願う()(こん)に始まるのが恥ずかしいことではなく、又信仰へ入るのに祭式等の形から心を整えるのと同じです。

 これは他の御歌と比較しての筆者の読解であり、もっと別な深い意味もあるのかも知れませんから、皆様も取り組んでみて下さい。

 教祖の御歌の多くはこうした二重三重の意味を含んでいますから(どく)(しょ)(ひゃっ)(ぺん)≠ニ同じで、繰り返し()()めなければ損をします。

 

代表信仰

 代表信仰とは筆者の造語ですが、家族信仰と対比して造ってみました。

 本教に限らず社会一般の奉仕活動や職業上の手法で『この方法は素晴らしい』と思っても、家族や職場には伝えにくいものです。

 その理由は、

*自分だけで(えつ)()っている(ひと)りよがり。

*家族や社会に伝えたくても遠慮やあきらめがある、等です。その結果、先祖をお守り戴く社寺へのお参りはお祖父ちゃんかお祖母ちゃんの一人か二人で、後の家族は祭があることも知らない、ということになるのです。

 先ほどの御歌の教えに、善い人としての模範・モデルになるべきだとありましたが、なかなか現実は難しいものです。

 

(いけ)(にえ)信仰

 生贄信仰も筆者の造語ですが、代表信仰のもっと発達?した形です。それは、

*信仰なんかは好きな人を代表にして任せればそれで良い、と他の家族が思っている。

*先祖を祀る社寺との付き合い上しようがないから、「あなたが行って」と一人に押しつける、等です。これはよくテレビで見たり、気が付けば身近にいる『教育はお前に任せたから、責任もお前にある』等と言うお父さんと似ています。気の弱い家族に社寺の祭への参加を生贄か犠牲者のように押しつけて、自分は鼻をつまんで知らんぷり、という態度です。

 しかし信仰とは・先祖祀りとは、そんなに退屈で無意味なものなのでしょうか?

家族信仰

 本院でも教会でも月次祭や教祖祭を始め、月に何度か祭事があります。また散歩のつもりで参拝したり、健康作りのつもりで(ほうき)や雑巾を手に清掃奉仕をしたりすることも出来ます。その時、夫婦や子どもや孫をご一緒に、みくじを引いて皆で見せ合ったりする時間は、心身をとても充実させるものです。

 信仰は本来家族が楽しく打ち解ける場の一つなのです。本院・教会・ご家庭の神殿を中心に家族での信仰を見直しお楽しみ下さい。


季節のことば
     小春日和 陰暦の10月


 
 11月は24節気の"小雪≠ェある等寒い日も続くようになりますが、その晩秋から初冬にかけ暖かさが戻ることを"小春日和≠ニいいます。小春とは陰暦10月の異称で、『暖かで春に似ている』という意味があります。

 小春日和は"小六月≠ニもいい、今の暦では大体11月から12月上旬にあたり、時々気まぐれに顕れる現象です。季節が進むと"冬暖"冬日和≠ニ呼び方が変わります。
 どの言葉もしっくりと心と体に馴染むようで、日本語の素晴らしさを感じます。
 筆者は学生の時母方の祖母を亡くしましたが、その折り、『小春日に 祖母の面影 揺らぎ逝く』又2年前に、
『小春日の 微笑み残し 去りし伯母』の腰折れ(若干加筆)を詠んだ記憶があります。