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                                                          2011−10

平成23年10月号 第1172号

        

自然(おのずから)(みち) 管長 巫部(かんなぎべ)(さち)(ひこ)

 

 信仰者と非信仰者の距離

(古神道・神理教を“本教(ほんきょう)”と記します)

 

シアトル訪問

 8月下旬に親族の結婚式に呼ばれて、野球のイチロー選手が所属するマリナーズがある、北米西海岸のシアトル近郊に行きました。

 近郊と言っても時速70q以上飛ばす大型二連結バスでシアトルから小一時間掛かる、住宅地が広がる町でした。

 夏の日差しは強いものの湿度は低く(せみ)()もいないそうで、毎日ノンアルコールの夕食パーティーは全て庭で行われました。

 地震もハリケーンも竜巻も少ない、世界でも住みやすい地域だということで、会う人の心も穏やかで親切でした。

 花嫁は北欧系のアメリカ人で、そのお父さんは筆者より一つ若い、おそらく日本人以上に真面目でよく気の付く牧師さんでした。

 その父親も世界大戦直後に牧師として日本の東北に10数年いて、その10数年後このお父さんもまた10数年いたとのことでした。

 従って家族は皆日本通で日本語も話せる人ばかりですし、3月には来日して震災の復興奉仕を一ヶ月ほどされたとのことでした。

シアトルで学んだ事

 結婚式の翌日に、そのお父さんに誘われてキリスト教の日本人ミサに出席しました。

 その後宗教問答もして刺激的な時間を過ごしましたが、勉強になる事も多くありました。

 一つは、日本人留学生や比較的裕福な在米家族やワシントン大学への公費研究の教授一家等、知的水準の高い人が多いようでした。

 しかし、話の内容がとても平易で分かりやすく、同時にユーモアがあったことです。

 二つに『子どもメッセージ』という時間があって、絵本でキリストの業績と共に道徳を伝えていることでした。

 他教であっても道徳の元に信仰がある(じっ)(せん)を目にして、絵本の質が世界一高い日本でこそ神道道徳を伝えられると強く感じました。

シアトルの信仰者

 都市部では日本と同じく非人間的な犯罪が起こっているのに反し、この地域は人心が安定し自然も豊で信仰者の比率も高いようです。

 先週連れ合いを亡くしたという人も来ていますし、癌の手術明けの人も来ています。

 頭からソフトボール大の(しゅ)(よう)を取り、片目で半顔がそげ落ちたような人が、片言の日本語で陽気に話し掛け世話を焼いてくれます。

 新婦の祖父の牧師が「奇跡です」と言うのに、「信仰は心を温め生きる意欲を再燃させてくれるものですね」と話したことでした。

東北の教会慰問とその信仰者

 アメリカから帰った翌々日、柳総監・瀬戸総務局長と伴に、東北の2教会に伺いました。

 こちらも素晴らしい教会長は勿論、教信徒の皆様に心の安らぎを感じました。

 神前の清掃奉仕やその合間の語り合いや教会長への相談等を、普段の生活の中で自然に行っているようでした。

 どちらの教会も本院に比べ、家庭からの心の距離が近いことに(うらや)ましくも思いました。

 シアトルとも併せて考えるに、身近に自然が多い地域ほど信仰の機会に触れることが多いのではないかとも思いました。

 

信仰者と非信仰者の距離

 人は生来信仰者であり、成長の過程で反抗期があるように、ある意味健康な非信仰の時期があっても長期間ではなかったようです。

 しかし敗戦に伴う時代の流れや都会信仰のようなものから本来の信仰が薄れ、反抗期的非信仰がそのままの人もいることでしょう。

 又そうした人に育てられ、信仰の環境さえなく育った人も現代には多いようです。

 そこで、信仰者と非信仰者の間には、そんなに大きな距離があるのでしょうか?

 距離はなくともお互いに大きな誤解の原因があるようです。それは双方共に信仰の是非について、話し合ってもきっと分かり合えないに違いないという思い込みと無力感です。

 しかし、真の信仰者も真の非信仰者もそれほど多くはないと考えますが、それぞれの方にはどうお感じでしょうか? 気の抜けた信仰や(あい)(まい)な不信仰もあり、お互いが思っているほど双方の間に距離はないはずです。

認め合い

 互いに信仰は当たり前だ≠ニか、見えない物を信仰するのは非合理で無くとも生きられる%凾ニ(かた)(ひじ)()るのは止めませんか。

 野田新首相が言ったように『ノーサイドで行きましょう』から始めては(いか)()でしょうか。

 それぞれの違いを認め合うことから始めなくては(よう)(きょう)(あく)()の思う(つぼ)で、結局変な宗教に引き込まれることもあり得ます。まず私達信仰者から身を寄せて受け止めましょう。


季節のことば
     本院秋季大祭     10月15(土)・16(日)日


 季節の言葉も6周(年)目になると、ご一緒に知っておきたいことが減ってきますが、今回は一番大切な本院大祭についてお取り次ぎさせて頂きます。
 一般に、春の祭は山から降りて来られた神に農業を始め諸業の繁栄を御願いし、秋の祭は山に帰られる神に収穫を始め様々な神徳を感謝するというものです。
 大祭はこれから後も長く続く為に、大人だけでなく子ども達の賑やかな声や、奮い立つ楽しい思い出が必要です。

 今年の秋は願ってもない土・日開催となりましたので、家族が集い楽しむ大祭になればと願っています。
 皆様には教会・家族お揃いで帰院され、清々しい境内の神域で過ごされ、本殿始め造化大神宮・大元稲荷社・教祖殿や教祖・萩尾の奥津城(墓所)で莫大な神徳を戴かれて下さい。