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                                                          2010−9

平成22年9月号 第1159号

        

自然(おのずから)(みち)   管長 巫部(かんなぎべ)(さち)(ひこ)

 ()(にち)(じょう)への(いざな)

 

(古神道・神理教を“本教(ほんきょう)”と記します)

夏期講習会

 今年の夏期講習会は20数名という少人数でしたが、お陰様で(らく)()(しゃ)もなく祭式や食事等()()(あい)(あい)と学び合い触れ合う様子を、微笑ましく見守らせて頂きました。

 本教(かっ)(せい)()の一端を(にな)おうと数年前に出来た神理(やく)(どう)の会≠フ皆様には、二日目の懇親会の企画や司会をして頂き(なご)やかな時間を楽しむことが出来ました。

 午前中には睡魔と戦いながら講義を聴き、午後は7時近くまで暑熱に耐え祭式練習と(ゆう)(はい)を行います。

 又翌朝4時過ぎに()(ふる)()こして起床して(みそぎ)()(のぞ)み、(ちょう)(はい)・朝食を終えて受講に向かいます。

 どちらかと言えば耐える時間((みそぎ)=()()ぎ)の多い中に、楽しみも見出(みいだ)すという2泊3日でした。

 以前にもお話した記憶がありますが、これを楽しみというか習慣として毎年のように帰院下さる方が今も何人か()られます。

 実生活や教務活動で直ぐに使うことがない内容もありますが、心身の(みそぎ)や本教の修得のみでなく、神に波長を合わせる心地良さもあるのだと思います。

 受け入れる本院の私達も終了後に同等の物を感じますが、時間とお金を使って帰られる方達の方が圧倒的に質も高く量も多いものと考えます。

 お帰りの皆様には祓うべきものを祓い、少しでも多くの御神徳と教えを得て戴きたいものです。

そして、これを整理して実生活や教務に活かすことで、年を追うに()(みの)り多く安定充実した人生を過ごすと共に、周囲の人にも好影響を及ぼし信頼されます。

 受け入れる側もお帰りの皆様の学びと生活に便(べん)()(はか)れるように誠意を尽くし工夫を重ねたいものです。

そして、受講者とその実り喜びを分かち合うと共に、世に役立つ聖職に従事する幸せを味わうのです。

 

日常の重要性

 日常(=繰り返し)は退(たい)(くつ)にも感じますが、それは生活の基盤でありリズムですから大変重要なものです。

 リズムのない生活は不自然ですから、体調や精神を(むしば)む原因ともなります。

 境内にある神理幼稚園も7・8年前から毎日のリズム(日常性)を(こと)(さら)に心掛けるようになりました。

 朝登園すれば着替えて積み木や質の高いゲームを楽しみ、1030分からクラス毎に集まって感謝の挨拶をして絵本や保育者の話を聞きわらべ歌等で遊びます。

 11時から体操や(かん)()()(さつ)をした後、散歩をして季節の変化を感じ外遊びに移ります。

 12時に昼食を取った後、1430分の降園時間までごっこ遊びなどを通じて午前中の遊びを深めます。

 季節や自然の変化を感じられるチャンスは逃さないようにするものの、園外保育を週に何度も入れたり教師のその場の思いつきを押しつけたりしません。

 生活にリズム感を持った子ども達は落ち着きが出てきて、生来備え持つ秩序感や正義感や自主性を一層(はぐく)むことになります。

 子ども達は、自分自身の一日の流れを体得しているから落ち着くことが出来るのです。

 その結果人の話を聞く力等が伸び、例えば運動会の全体練習の回数が劇的に減る等の効果を得ていますし、その分遊びの内容が深まり人間力も高まるのです。

 又こうした力は、小中学校に入っての勉学にも役立っています。

 今の神理幼稚園では、他人の話を聞く事が出来・理解出来ることで幸せな子ども社会が成立していることが、子どもの遊びぶりや目配りを見れば分かります。

 この経験をした子ども達は、大人になっても幸せな家庭・社会を作ることが出来るのです。

 それは大人も同じで、激動する社会を渡り歩くと言って、自身の生活リズムまで激動させるのは刺激があって楽しいようで、決して良いことではありません。

 激動の社会の中で生き抜くからこそ、日常性(=生活のリズム・繰り返し)を基本として保つことが大切です。

 自分の生活にリズムが出来ているからこそ、激動の時代に対応が可能なのです。

 本院は朝の神拝式から日常が始まりますが、一般家庭や社会も習慣や仕事内容により個性はあるものの、まず毎日のリズムが大切ですから心掛けましょう。

 

日常と非日常のバランス

 日常は大切ですが、非日常も(ないがし)ろには出来ません。

()き・退屈・ストレス等

 (いん)(よう)のバランスが大切なように、繰り返しばかりでは()きが来るというのも自然の(せつ)()です。

 毎日のリズムが日常であれば、退屈や飽きやストレス等は非日常へ(いざな)う感情です。

 ()きや退屈やストレス等は負の感情で、(ぼん)(のう)や悪と決めつけられがちです。しかし神道ではそれ等の感情を作ってバランスを保つのが、神の人智を越えたお働きと考えます。だから飽きや退屈やストレス等を()(かたき)のように嫌うこともありませんし、反対にそれらを理由にして非日常な刺激ばかりを求めてもいけません。

・欲・悲しみ・怒り等

 平常心が日常であれば、欲や悲しみや怒り等は非日常へ(いざな)う感情です。

 欲や悲しみや怒り等も負の感情で、(ぼん)(のう)や悪と決めつけられがちです。しかし神道ではそれ等の感情もそれぞれに神に与えられた意味・価値があります。

 又、一見負の感覚があるからこそ正が際立つのです。

・迷惑

 人に迷惑を掛けずに暮らすのが日常ですが、例えば家族の病気災難や不慮の事故等で仕事先等に迷惑を掛ける非日常も起こりえます。しかしこのような迷惑は誰にでも起こりえる掛けても良い迷惑≠ナす。

 詐欺や暴力と違い掛けても良い迷惑≠ヘ掛け合う中で世間様との(きずな)を育てたいものです

・罪と罰

 ()(へい)を恐れずに言えば犯罪者であっても世に不要な人はいない≠ニいうのも同じように考えます。

 一つは、例えばAという犯罪者が(おか)した(ざん)(ぎゃく)(こう)()も本当はその本人が犯したくて犯したのではなく、罪(そうさせた環境)が犯したという考え方です。

 一般に(いわ)(ゆる)罪を憎んで人を憎まず≠ェあり、これは本教の人の本性は神≠フ教えを(こう)(てい)するものです。

 (ばつ)(刑罰・神罰)についても罪を犯した人を罰すると言うよりも、犯した人を(きた)め(=反省させ)ながらその罪を(しず)()(さん)させようと言うものです。

 二つは、犯した罪の恐ろしさを知らしめることで同じ過ちを繰り返さないようにする為、という考え方です。しかし現代は繰り返すどころかエスカレートしているようにさえ見えます。

 

・幸せの大系

 私達本教の教信徒は政治家や警察のように、勇気ある地球市民としてそうした世の流れや事件                                                                   を実力阻止することが出来ないこともあります。

しかし問題意識と希望さえ失わなければ、朝日の上がらない土地はなく出口のないトンネルがないように、必ず世の中は神の世と(しょう)()することを信じましょう。

 その為にご自身を始め御家族や身近な社会の幸せを、教えを学びながらしっかりと(つか)んで行きましょう。

 このように日常と非日常が相互に助け合う役割に気付けば、幸せの大系が見えてきます。

 

非日常への気付きとその役割

 初頭の題から間が空きましたが、夏期講習会の開・閉講式を始め、朝夕の神拝式や講義で筆者が折に触れてお話しさせて頂いたのは、()(にち)(じょう)(せい)についてでした。

 本院や教会で講習会や大・中・小の祭や清掃奉仕に参加することは、非日常の新感覚・刺激です。

 筆者の願いはこの講習会に参加されて、この非日常を意識して味わって欲しいということでした。

 (もち)(ろん)、教会長・教師の方でも、本院の境内で生活することは非日常的なことです。

 ましてや家庭や一般社会での生活が日常の方は、朝4時過ぎに起床して(みそぎ)をしたり祭式の練習に汗を流したりすることは非日常の(きわ)みです。

 そうした感覚を味わい、そのままご自分の信者さんや相談依頼者にも伝えて頂くことで、何か違う≠ニ感じて貰いたいのです。それにより信者さんや相談依頼者には気持ちを(あらた)めて頂く効果があり、そこで祈りも通じこちらの伝えたいことも一層理解出来るのです。

 

非日常への(いざな)い・心を(あらた)める

 その方法は決して難しいことではなく、例えばゆったりとした応対や祭式作法(拍手・拝礼)です。

 (いそが)しい日常からお参りした人に合わせ、同じような(あわただ)しく(せわ)しない応対や祭式をしても効果が薄いのはお互いの心が改まってないからです。

 (せわ)しない作法をする人はよほどの大先生か自分に自信を持てない未熟者ですが、ほとんどが後者です。

 それは教会長や教師だけの心得ではありません。

 本院や教会に色んな機会を通じてお参りされ非日常を体得されて、より多くの人に安心して頂きましょう。

 

(先月号の補足)日常と非日常の使い分け

 職場に()いて日常性は時間を守る事や決まった仕事をやり()げる事への安心等に対しての信用、非日常は発想力や仕事の処理能力等の才能に対しての信頼です。

 日常(生活のリズム)は必要条件で、社会生活をするに当たって必ず必要なものです。

 非日常(才能)は十分条件で、社会生活をするに当たって必ず毎日必要なものではありませんが、あれば自分だけでなく他の人にも役立つものです。

 両方のバランスが取れれば鬼に金棒ですが、なかなかそういう人は少ないものです。

 それどころか日常(生活のリズム)さえ(おぼ)(つか)ない人もいますし、非日常(才能)の力に頼り過ぎて周囲との信頼関係を保てない人も見受けられます。

 昨今はそれを個性(こだわり)(ある)いは知的ではない発達障害や自閉症(主として意志伝達力の遅滞)と考える向きもありますが、まず日常を大切にし少し努力して出来る事は行いたいものです。

 その日常(生活のリズム)を基盤にして、非日常(才能)を見出し(みが)いて行くことが大切です。

 

季節のことば    秋分の日         9月23日頃(今年も23日)

 秋分の日は二十四節気の1つ、秋の彼岸の中日です。
 昔の秋季皇霊祭という祝日を、”祖先を敬い亡くなった人を偲ぶ日”と再規定した法律が昭和23年に施行されました。
 “彼岸”という字も、農耕民族である日本人は昔から昼夜が相半ばする日を知っていて、その自然の不思議さへ太陽を象徴として崇敬した"日願≠ェ元と伝えられます。
 秋分の”分”は『ひとし』とも読み、昼夜の長さが同じという意味です。
 日本の七十二候では、秋分の始めを《雷声を収む》とし、夏には盛んだった雷も秋が深まると鎮まるとしています。
 続いて、秋分の中に《蟄虫戸をふさぐ》で虫が穴に入って戸を閉め冬籠もりを始め、終わりに《水始めて涸る》で水気が無くなる季節となります。
 お墓参りをされ、本院や教会の祖霊祭にも参拝下さい。