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2010−5
人に二つの過去あり 2 (神理教を“ 神道の原点 先月号は父四代管長の教話の紹介でしたが、途中になったので続きをお話しさせて頂きます。 『人には二つの過去があります。 一つは自分が生まれてから今日までの過去で、もう一つは自分が生まれる前の過去です。』の3行の解説に先月号を それだけ内容が 神道をアミニズム(=霊的存在が肉体を支配すると信じる宗教)とかシャーマニズム(=霊と交信する呪術師の能力によって成立する宗教)として原始的だと 平成19年11月号にも触れましたが、この見方は近年日本文化(言語・文字・習俗・宗教等)の再認識と共に修正されつつあると聞きます。 四季を それは宗教も同じというより、未文明を意味する原始的(プリミティブ)ではなく、基本的(プライマル)な宗教であるという見方です。つまり神道は全ての宗教に共通する基本を踏まえた宗教でありその文化を支えてきたのが日本人である、という考え方です。 これは日本人が自信を持つことを 便利さを物質的に積み上げる文明と、精神的に積み上げる文化は区別されるべきで、同時に 他教には、鳥居を 数年前本教を研究するように言われたと、仏教系大学の男性の学生さんが来たことがあります。 境内の案内を願われてお連れしたのですが、徳力山に登るのに無数の鳥居を 又正月参拝に日本の文化を知りたいと、親戚の友人でキリスト教系の外国の娘さんが来たことがあります。 面会を願われて 神道にも同様に禁ずる教派や教会もあるかもしれませんが、日本人の古来の習慣としてはありません。 基本的(プライマル)な宗教である立場からか、神道自体が他教を批判することはありません。 一般に神道には他教と違い教祖と教義がないと言われ、それを理由にしてか他教には、神道を未文明・原始的宗教として低い位置づけをする向きもあります。 又その批判しない部分を指して、批判の 筆者はそこまで神道軽視を理論付けする人こそ、神道の基本的(プライマル)な教えに対しての つまり神道の持つ潜在能力の大きさを感じるほどに、自らの信仰との整合性が保てず理屈抜きの感情的な批判の為の批判になっているのかもしれません。 又は神道を全く理解出来ず、そうした批判を 本教の他教批判? ・批判の理由二つ 本教は他教を批判する時もありますが、理由のない 本教は神道の一派でありながら、御教祖もおられますし神道の教義も確立してします。教義が確立しているが 本教は神道の基本的(プライマル)な教えを、巫部家に伝わる 御教祖が他教を批判するような教えを説かれるのは、次の二つの理由がある時だと拝察します。 一つは、日本人が 日本人としての誇りと自信を失い、先ほどの神道批判などを真に受けてフラフラとついて行こうとする日本人を 二つは、人間にとってはっきりと重要なことを迷わせるような教えについてです。例えば性欲・食欲等を ・欲や感情は生きる力 本教ではこれらには七罪の一つ『 それは悲しみや怒りなども同じで、行き過ぎさえなければ、人間の情感全体のバランスを取るための一つとして決して邪魔なものではありません。 又例えば悪行をなす人を見て怒りを感じないというのは、正常とは言えません。 御教祖は遺言≠フ第六十二條に、 【 (朝怒りを発してそのまま一日中怒ったままというのは、心が情けない{修行が足りない}からである。 人は普段は怒るべきでない。特に自分自身の不利益等については怒ることを しかし国家の為・人道の為{人としての善悪}・不義不正の為に間違ったことがあれば怒るべきである。 怒るべき時に怒ることが出来ない人は私の友ではないし、私の弟子でもなく、又私の信徒でもない。)】と厳しいことを言われています。 このような批判は、他教が神道に行うような嫌悪感や憎悪からの否定の為の批判ではなく、人として守るべきものを守る為のものなのです。 筆者の神道批判失敗談 以前お話ししたことがありますが、筆者は大学時代マルクス経済を少し もう完成間近というところで、自分自身の心の中で《どんでん返し》を 誰から指摘された訳でもなく自分の中で、 『それは違う、そこまでは批判に整合性があっても、神道の根幹を全く見損なっていた』という内なる声にひっくり返されて、全てが 原始的(プリミティブ)と基本的(プライマル)を混同していたことと同時に、人を神の子孫と見なすことの大切さに気付いたのです。 その時神道思想の莫大な包容力に比べ、自分は反抗期の子どもだったと気付かされました。 筆者は他教派との交流等で寺院や教会に行くことがあります。日宗連や世界宗教平和会議に参加する宗教者の大部分は、他人が大切に崇拝するものは同じ尊敬の念を持って共に祈りを捧げます。筆者も人が崇拝・尊敬の念を持つものに対して敬意を表します。しかし信仰は敬意とは別物という認識から頭を下げるのだし、それは他教の参加する宗教者も理解の上だと思います。 現世において神になる 先月の宿題である自分の心を入れ替える方法≠簡単に記せば、輪廻転生ではなく現世において神になる気持ちに生まれ変わりたいものです。その為に、 『祖先が遺した過去の徳は戴き罪は祓う』つまり、自分が生まれる前の過去を正すことです。次に、 『自分が通った過去の徳は戴き罪は祓う』つまり、自分が生まれてから今日までの過去を正すのです。 加えて、そうして作った過去の道を突き進む勢いを以て、新しい人生に勢いを付けたいものです。 |
季節のことば 端午の節句(たんごのせっく) 5月5日(水) "端≠ニは初めの意味で、端午とは『月の初めの午の日』のことでした。 かつては他の月も『初めの午の日』を端午といっていたものを、いつからか特に5月をいう(2月は初午)ようになったようです。 従って端午の節句(日本では子供の日)は毎年変わる筈ですが、3月3日(重三・桃の節句)・7月7日(重七・七夕)・9月9日(重九・おくんち)に合わせたという説もあります。 奇数(陽)の重なりの方を吉として優先したものでしょう。 中国や朝鮮でも季節の変わり目を祝う行事で、中国ではこの日に薬草を摘み・ヨモギの人形を作り・ショウブ酒を飲む習慣が日本に伝わり、魔除け(軒に指す)にもなりました。 5月は大切な田植えの季節で、端午の節句は早乙女となる女性の心身を清める『五月斎』の行事でもありました。 |