H.22.
2月号
自然の道 管長 巫部祐彦
寅さん名言と幸福の方程式
(神理教を“本教”と記します)
寅さんの名言
昨年文化庁の宗教審議委員会に参加した折、会議が早めに終わり、飛行機の離陸時間まで大幅に空いたので、葛飾柴又の『寅さん記念館』に行きました。
昭和44年から平成7年まで48+1作(帰幽1年後の平成9年に特別編)、筆者の中学時代から始まった『男はつらいよ』シリーズは観光バスでよく見たものです。
当日は12月の改装開館を控えて休みだったのですが、氷雨を受ける傘から見上げると、近くの標識に『寅さん名言集』の一つが札にして掲げられていました。
「なるほど、へえ〜」と思いながら帰りましたが、後で思い付いたこともあり、うろ覚えだったのでインターネットで前後も調べ直して以下にご紹介します。
満男「伯父さん、質問してもいいか」
寅 「あまり難しいことは聞くなよ」
満男「大学へ行くのは何のためかな」
寅 「決まっているでしょう。これは勉強する為です」
満男「じゃ、何のために勉強すんのかな」
寅 「難しいこと聞くなと言っただろう。
つまり、あれだよ、ほら、人間長い間生きてりゃいろんなことにぶつかるだろう。
なあ、そんな時に俺みたいに勉強してない奴は、振ったさいころの出た目で決めるとか、その時の気分で決めるしかしょうがない。
ところが勉強した奴は、自分の頭できちんと筋道をたてて、こういう時はどうしたらいいかなと考えることができるんだ。
だから、みんな大学へ行くんじゃねえか。だろ。
あ〜、慣れないこと考えたら頭痛くなってきた。」
勉強してない伯父(寅)さんに聞く甥(満男)も余程落ち込んでいたのでしょうが、寅さんの返答も風変わりながら妙に的を射ている部分もあります。
「難しいこと聞くなと言っただろう。」と怒りながらも、
「…振ったさいころの出た目で(人生を)決める…」等、無茶苦茶な発想に一々吹き出し笑いをしながら、納得できる部分もあるまさに名言です。
論理ではなく感覚で、『そうか勉強した方が良さそうだ』ということが分かると言う感じです。続いて、
満男「人間は何の為に生きてんのかな」
寅 「難しいこと聞くなぁ、お前は。
…何と言うかな、あ〜生まれてきてよかった。
そう思うことが何べんかあるだろう。
その為に生きてんじゃねえか。」
何とまあユーモラス且つ分かりやすい言葉で、人が生きる意味≠解釈しているのでしょうか。
これもやはり『そうか生きることは得なんだ』と感覚で掴み取れます。
こうしたいい加減のようで結構真面目に考えさせる言葉の使い方・考え方が、人生を楽しく生きるコツのように思えます。
冷たい雨の中の失敗談が、寅さんの言葉に釣り込まれ得をした気持ちになったのも嬉しいことでした。
尊崇・尊敬・敬愛
平成10年9〜11月号に『生きる(命の)火種』のお話をしたことがあります。
その内容は火種が過去に体験した親子の触れ合いや楽しい思い出等ですが、寅さんの言葉は今すぐ命の火が付きそうな心地がします。
笑いの力を併せる山田洋次監督の脚本と渥美清の人柄が醸し出すところだと敬愛の念がわいてきます。
帰りの電車の中でも家に帰っても、軽妙なテンポの話し振りに思い出し笑いをしながら、本教ではどう考えるのかなと振り返ったことです。
その時、御教祖は本当に素晴らしい人物だと、改めて感心しました。
同時に本教の教えは周囲にある教えとはある意味全く異質でありながら、筋の通った素晴らしい教えだといつも感じてしまいます。
余談ながら筆者の尊敬する歴史上の人物は、諸葛孔明(蜀の宰相・出師の表・謙虚に人民を愛する心)やマルクス・アウレーリウス(ローマの皇帝・自省録・権力に溺れない高潔な心)等あげられます。
しかし天皇陛下に対する尊崇の念とは別に、本教の御教祖の右に出る人を筆者は見ることが出来ません。
幸福の方程式(安定供給される方法)
・不幸の原因を探る
平成20年5月号の《徳の袋2》でも触れましたが、もう少し掘り下げてみます。寅さんの考え方も一理ありますが、本教の御教祖は遺言≠フ第四十五条に、
【幸福を得むとして幸福の方のみ求めむよりは、人の不幸は何より来りしかをよく探知して己を慎みなば、幸福は自ら来るべし。】と教えています。
寅さんの考え方も生きる為の勇気を与えてくれるものですが、御教祖はその根元である幸福の一層の安定供給を受ける方法について示して下さっています。
『いつ来るか分からない幸せを漠然と待つのではなく、先ずは私達の不幸がどこから来るか考えてご覧なさい。
不幸の原因を知り、それを行わない・防ぐ心掛けをするだけでも随分運勢が変わりますよ』ということです。
その方法・目安が覚書(今日訓)・定旨第十一条≠ノある七罪(怠・詐{嘘}・貪・憤・慢・憂・怨)です。
即ち、怠り・詐り・貪り・憤り・慢り(威張る)・憂い・怨み(怨まれる)の心に、自分又ご先祖が染まっていないか振り返ることを伝えています。
・祓いと長呼吸法
不幸の原因を作らないようにした上で、過去に作った七罪は取り除かなくてはなりません。
その方法が、教内でよく交わされる言葉ながら『神道の悟り・極意』の一つである祓いなのです。
決して私達が汚いから祓うのではなく、私達の霊魂は神から分け戴いた分霊で本来至上の美しい物であるからこそ、少しの汚れも付かないように祓うのです。
目に見える汚れと平行して、目に見えない穢れにも気を遣うのが日本人の信仰の文化というものです。
祓いの方法については前20年10月号の《入り口(基本)の悟り(安心)と…》今年度4月号の《普段の信仰とは》に述べたのでここでは重複を避けます。
祓い(目には見えない)の心得は掃除(目に見える)と同じで、まだ取れ易い穢れ・汚れを凝り固めないようにすることですから、是非普段からお心掛け下さい。
同時に本院・教会・家の神殿で、長呼吸法も行いましょう。基本は手を合わせ背筋を伸ばし・汚れた体内の気を吐き・次に神の気を戴く感謝と決意を以て吸い込み下腹に貯め・力を込めた後吹き出す事の繰り返しです。
・自ら幸福を招く
祓いや長呼吸法も同じで、自ら幸福を招こうという気持ちは決して汚い欲ではなく清く必要な意欲です。
御教祖は信条≠フ二十八条に、
【禍は拂はねば入り、福は招かざれば来らざる事を知るべし。】と教えています。
寅さんの考え方も懸命に生きていれば必ず良いことがあると暗示しているものですが、御教祖は一層の安定供給を受ける方法について示して下さっています。
『まず七罪に触れないように気を付け・触れたならば祓うべきなのだが、それに加えて自分から幸せを招くという心掛けも大切ですよ。
防ぎ・祓うと同時に招き入れようという気持ちになれば、運勢は開かれるのですよ』ということです。
その方法・目安が定旨第十一条≠ノある八徳(健康・誠実・陰徳・施捨・労役・愛他・克己・自白)です。
即ち自ら福を招き入れる積極的な方法であり、この心掛けに励むべきことを伝えています。
信仰の効用
いつ来るか分からない幸せを大切にするという寅さんの考え方が間違いというのではないけれど、より幸せを安定させる心掛け(=信仰)があるのです。
それは《人は神の分霊であり常に幸せであるべき》という御教祖の強烈な信念を私達教信徒が真実として信じ認めるところに安心を得る始まりがあります。
又《今の自分が不幸なのは自分かご先祖に過ちがあり、未だにそれを解いてないからである》も同じです。
人は何の為に生きているかは、神の御意志を形に表し、神や人(子孫・社会)の役に立つという至上の喜びを得る為と、この紙面でも折に触れ述べてきました。
何の為に生きているかを知ることにより、信仰の効用(生きる喜びを保存・育成)を理解出来るのです。