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                                                          2010−1

平成22年1月号 第1151号

        

H.22. 1月号

自然(おのずから)(みち)   管長 巫部(かんなぎべ)(さち)(ひこ)

 元気な社会の復活 ーお参りの順番―

 

(神理教を“本教(ほんきょう)”と記します)

年頭のご挨拶

平成二十二年のお正月を迎えることが出来ました。

今年は(かのえ)(とら)(こう)(()())(おも)(だるの)(かみ)・寅は(つぬ)(ぐいの)(かみ)()()です

来年は(かのと)(うざぎ)(しん)(()())は綾惶根神・卯は(いく)(ぐいの)(かみ)()()ですから、(そう)(こく)の年が続くことになります。

 相克だから悪いということではなく、昨年述べたように(一昨年は(つち)が重なる基礎固め)今年は形が固まると共に(みき)()が伸び上がる(きざ)しとなります。

 また(けず)って道具を作るように、物や組織が形成される年とも考えられます。

とすると折角物や組織が2年続けて形作られて行くのであれば、善い物や組織を、善い形に作るべき≠ニいうことになります。

 一旦作ってしまうと修正は難しいものですから、しっかりと計画を立てて作らねばなりません。

 何を作るにしても主体になる人と補助をする人が心を合わせ、一体となって取り組むよう心掛けましょう。

 今年もお仕事と共に信仰に(はげ)まれ、健康で豊かな年となりますようお祈りします。

 

本院での参拝の順番―Q&A―

最近続けて3回ほど同じような質問を受けました。

【本院では、何故教祖殿→大教殿の順番でお参りするのですか?】でした。

 毎日の(しん)(ぱい)(しき)でも、まず教祖殿で(きよし)(はらい)(おお)(はらい)(きょう)()(しん)(ぱい)()(そう)(じょう)して、次に大教殿に進んで(きよ)(はらい)(にっ)(ぱい)()()(ねん)()(かむ)(ごと)を奏上します。

 質問者の中には、

『大教殿に(まつ)られる(あめに)(ます)(もろもろ)(のかみ)(あわせ)(まつる)(もろもろ)(のかみ)は、教祖殿の(きょう)()(みょう)(じょう)(おお)(かみ)より神格が高いですよね。

神格の高い神様が祀られる大教殿からお参りするのが本当なのに、教祖殿が先というのは間違っているのではありませんか?』という(ふん)()()(げん)(がい)(にお)わせる方もおられます。

現在の本院職員は何か勘違いをしているのではないかと不審に思う、というところのようです。

 筆者は次のように応えています。

【神道の極意・悟りは(はら)にあり、まず祓わなければ御神徳を戴くことは出来ません。

そこで家を出発する時から(けい)(けん)気持ちを心掛け、本院に着いて頭を下げて正門を(くぐ)時・参道を進む時・(かみ)(なり)(ばし)を渡る時に境内での祓い≠受けています。

だから、あまりぺちゃくちゃとおしゃべりをしながら参道を歩くべきではないのです。

次に石段を上がる時には自然と腰を(かが)め・頭を下げて鳥居を潜り()(みず)(しゃ)で手を洗い口を(すす)のも、全て 祓い≠ネのです。

そこで、自分で出来る祓い≠フ手段を全て使ったからと大教殿に向かう前に、まだ行うことがあります。

そこが先に教祖殿に向かう理由です。

今度は教祖殿で鈴を鳴らして(かしわ)()を打ち(おと)(だま)の祓い≠行いますし、祝詞を上げるのはもっと丁寧な(こと)(だま)の祓い≠ナす。

教祖殿で御教祖に(さら)なるお祓いを戴き、(あめに)(ます)(もろもろ)(のかみ)(あわせ)(まつる)(もろもろ)(のかみ)へのお取り次ぎを願うのです。

御教祖には失礼ながら、神様の門番というか執事のような役割を果たされているから、その順番でお参りをすることになるのです。

 

()(へい)した現代社会・理由@

 ところで今の世の中は、何故こんな風になったのでしょうか。

昭和30年生まれの筆者の青・少年時代と現代は明らかに違うし、今もどんどん変わっていると感じます。

 良くなっている部分もあるのかもしれませんが、極端な例では自殺者や親殺し子殺しの数や割合が増えています。

またストレスや薬害やゲーム脳や環境汚染が原因とされる、(めん)(えき)(りょく)の低下やアレルギー病も増え子どもの体力が落ちています。

 精神面や体力面や知的な思考力さえも、具体的な数字に表れて低下の一途をたどっているのです。

 筆者はその理由の一つに、お金や不動産など『目に見えるもの』は信じるが、先祖や家族の愛情等お金に換算出来ない『目に見えないもの』は信じないという風潮にあるように思うのです。

 同時に『信仰の文化』の一つである祓い≠フ観念が抜け落ちて来たからではないでしょうか。

 もし大切に思っているにしても、順番というか感謝や()(けい)という感覚がずれているように感じます。

 テレビ等で「人間死ねば終わり」としゃべっても周囲の反発もなく、外国に行っては「私は信仰を持ちません」と宣言してあきれられる、という具合です。

 『死後の世界がどうなっている』等と言ってしまうと、混乱して反発を買うのかもしれません。

しかし亡くなった人の心を()(けい)する心があれば、それは(れい)(こん)の存在を認めているのと同じです。

それを認め()(れい)の気持ちを持つことを『信仰がある』というのです。

『死後の世界の()(よう)』等は、(あわ)てて(うん)(ぬん)するべきものではなく、その後で考えることです。

『神理教はこう考える・他教はどう』というそれぞれの宗教の歴史の英知なり先人の説について考え合わせるもので、霊魂の存在を否定する為に用いるものではありません。

 

()(へい)した現代社会・理由A

 理由の二つに、平成14年5月号で世代論≠ニして書いたことがありますが、筆者と同じ30年生まれの人が別の角度から書いたものを見ました。

 (こん)()(びん)の警察小説『リオ』で読んだのですが、作者は今の世の中になった理由と言うより、現代の価値観を形成した要素について述べています。

 それは60(昭和3435)年と70(昭和4345)年の二つの(あん)()(とう)(そう)(けい)()、ということのようです。

 作者の言う通り、この時代に古い価値観というものは全て(へん)(かく)するべき、となり徹底的に(こわ)されました。

 それは安保闘争に参加した人のみならず、安保闘争を(うと)ましく思っていた人にさえこの点では巻き込まれた割合が多かったと言えます。

 その結果、『戦争を負けに導いた神も信頼出来ない風潮』また『戦後の混乱』に加えて、安保闘争に伴う価値観の(ほう)(かい)が『信仰は古くて役に立たない不要なもの』となっていった一つの道筋が見えてきます。

 今となれば、日本の神が欧米の神に負けたのではなく、全てを(ほう)(かつ)する(あま)()(かみ)がその必要を以て日本を負けさせたことが分かるのですが…。

 (もち)(ろん)60年・70年安保での価値観の崩壊は信仰のみに向かったのではなく、家族観や道徳・文化・文学観等あらゆるところに及んでいます。

 価値観の崩壊は新しい文化の芽生えが(ともな)えば返って良いこともあるのですが、この急激な変革は残念ながら大切なものを捨て去ったままとしたようです。

 そして今、日本は『信仰の文化・祓いの文化』も()(きゅう)(そん)(ぼう)(とき)≠迎えているのです。

 

現代社会の活性化の原動力

 教信徒のお宅に祭りに(うかが)っていて、貧富に関わりなく元気の良い家庭を感じる時があります。

 いつも笑顔で出迎えて下さり、家庭に入っても笑い声のする家です。

 どうすれば笑顔に満ちた家庭が出来るか、どうすれば腹の底からの笑い声の聞こえる社会が出来るかと言えば、先の二つの理由をひっくり返せば良いだけです。

 元気の良い家庭や教会は、やはり祈りの声にも満ちています。

 勢いのある家の人は大祓詞や祈念詞や唱え言葉を、例え葬儀の場でさえしっかりと声に出しています。

 『信仰の文化』を取り戻すことと同時に、『(おん)()()(しん)』気を取り直し新たな気持ちで昔から伝わる文化を見直し創造することも大切です。

 祓い≠ニ崩壊・排除≠ヘ違いますが、一旦全て神にお返しするという祓い≠フ気持ちは大切です。

 一旦全て神にお返しする(=お祓いする)ことによって、神は新たな息吹を以てより良く変革されたものをお返下されるのです。

 安保闘争は歴史的に意義もあったことと思いますが、本当の進化という意味では祓い≠ナはなく崩壊・排除≠セと言えます。

 しかし『悪しき返して善となす』の気持ちでこの歴史を振り返り、良い部分を復興する心掛けを持ちたいものです。

 御教祖にお祓い戴き、その御加護を以て天在諸神の御徳をお受けしながら、ご自分と家庭と社会の発展の為にご一緒に励みましょう。

季節のことば    睦月(むつき)
 
月の和名シリーズも、年の初めのこの睦月で全て終わります。
平安時代の奥義抄に、『貴い人も卑しい人も、親しい人も疎遠な人も、互いに親しみ仲良くする月』とあります。
むつは「仲むつまじく末永くお幸せに」と結婚式等でも使われますが、そのむつび月から来たのです。
他に、『元つ月(一年の元になる月)』・『萌月(これから新しい一年が萌え上がる{芽生える}月)』・『生月(新しい一年が生まれる月)』等の説があります。
異名も『祝月・嘉月・霞染月・端月・初月・正月・建寅月・元月・泰月・太郎月・早緑月・年端月・年初月・初春』等あります。
いずれも趣があります。少し前の映画の評論家ではないですが、「日本語ってホントにいい」ですね。
こうした言霊に後押しされて、今年も仲良く過ごしましょう。