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2010−10
(古神道・神理教を“ すき間産業!? すき すき間産業≠ニいう言葉をご存じでしょうか。 インターネットで調べてみると、 『一般の大衆には目を向けられないけど、一部の人達の間では熱烈に支持されている。といったビジネス』とあり、ニッチ産業とかニッチ市場とも言うそうです。 ニッチ(Niche)とは「 1.消費者の数が少ない(特定の用途や目的に 2. 3.既存の手法では収益性が悪く、市場としての魅力が無い。等が 市場規模の小ささから既存企業が進出していないため、ベンチャー企業が進出しやすい。転じて、 『大手資本が手をつけないようなマーケット』のことを言う場合もあるのです。 神理幼稚園の教育はすき間産業型? 先月号で少し触れましたが、本院 保育手法は日常性(繰り返し)を基本にしながら、非日常性を効率よく個性に合わせて工夫しながら取り入れる本教の信仰への取り組み方と同じです。 これに加え平成20年度から、家庭や一般社会と濃度(生活の在り方)を 始めは年齢別の習熟度や体力差からくる 基本は3学年で一緒に過ごしながら、はっきりと習熟度が違う遊びは年齢別に行いますし、体力差がある運動会の駆けっこ等も別けて行います。 上の子は編み物や質の高いゲームをしながら、目配りをして下の子どもを導き世話もこなします。 普段は一緒に過ごすことで、ゴッコ遊び等のテーマ制作に取り組む時は 最初難しい部分を教えながら上の子がやっていたものが、下の学年に直ぐに追いつかれそうになる事から、上の子は一層質の高い遊びを工夫します。 いわゆる『遊びの文化』が単年度で終わらず、そのクラスで 保育者(教師)は世話等について楽になった分、保育室等の環境整備や成長の観察等に 多数の長所が上げられる中で、本園の自慢は宗教的な 私達はこうした手法を、自然に子どもの発達を 今、日本を抜かして最も教育レベルが高いと言われる北欧ではこうした考えからくる手法が基本ですが、日本ではまだ小学校の 同じ“小学校に行っても困らない”ように、遊び込む中で礼儀の基礎を学び・人の話を聞ける事で授業が理解出来るとする考え方はすき間産業(教育)なのです。 成熟した正義感・秩序感・自主性を持った社会に改善発展させる為に、こうした教育理論と手法を一般化させ、すき間産業(教育)から 神理教の教えはすき間産業型? こんな題を書くのは大変 本教の教師・教信徒でさえこの教えの確かさ・本当の素晴らしさを理解していない人もいるかも知れません。 本教を理解して信奉する人が少なくなるのは、社会の為にも不利益ですから何とかしたいものです。 本教は明治27(1896)年に独立を認められた時、成年男女2百数万人の署名を集めました。 子どもが多い時代での人口が4千万人位であり、世帯数にすると日本人の1割を越えていたと思われますから、現代とは その理由は 教義・霊魂観・神徳・神術・歴史外全ての分野で最高の水準を保つ古くても新しい本教の教えは、いつの時代でも変わらず活かして行くことが出来るのです。 本教が宗教界の王道であり神に近づく1番の近道であることは、本誌を毎回購読の皆様には 【…。 (もし本教の教えをこの世界から取り去ったならば、人に神の しかし現実は“安心・充実した生活が出来る”ように、神が創った宇宙・自然・人、又それ等は仏性(仏の 同じ“安心・充実した生活が出来る”ように、大元の先祖が宇宙・自然であり人はその子孫という神道の考え方からの手法はすき間産業(宗教)なのです。 仏・基の“ 安心・充実の社会に改善発展させる為に、本教の教えと神術を再び一般化させ、生まれ変わった積もりになってすき間産業(宗教)から 無神論・自分(家族)教について しかし現実は信仰が 医学や科学の進歩に頼り多くは医学で解決出来・科学で解明出来るので、信仰は面倒 少し考える人でも、『自分の宗教は神道や仏教やキリスト教等の何教・何派でもない自分(家族)教だ』等と自分や家族に言い聞かせ、得心する人もいます。 こうした人たちを育てた地域社会や家庭に、信仰の何たるかを伝える力が無かったのでしょう。 伝える方法は難しい事ではなく、親や祖父母が神仏に手を合わせる姿を見たり、神社や教会の祭に行って親と一緒に手を合わせてから夜店に行く等の体験です。 まあ、自分(家族)教の人の方が何も考えない人や無神論者よりましですが、次のようなことに気付き・考え合わせて頂ければと記してみます。 先ほど、幼稚園教育で遊びの文化≠ェ単年度で終わらずそのクラスで 『人生で必要な智恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ(ロバート・フルガム)』という本がありますが、人の本性はまず白紙で何もないように思えます。しかし そこで親や保育者を含めた幼児同志が 宗教は教育の書式に加えもう一段深い信仰心という書式があり、 それは『遊びの文化』と同じように、決して自分一人や家族だけで出来るものではありません。より広い社会の体験・錬磨を集め、より長い世代間の分かち合いや蓄積によって成り立つものです。 教育に秩序感・正義感・自主性等という そこに信仰の本筋である『 |
季節のことば 霜降(そうこう) 10月23日頃(今年も23日) 霜降は二十四節気の一つで、秋もそろそろ終わりに近く霜が降りる頃という意味です。 今年は猛暑日の新記録が各地で続いていますから、本院で霜が降りるのは大分後のことになるでしょう。 二十四節気を更に三つに別けて七十二候としますが、日本で言う霜降の三候は初候《霜初めて降る》で始まります。 続いて、二候《少雨時に施す》で秋雨も終わる乾期の中にも恵の雨が少し降り、三候《桐蔦黄ばむ》となります。 三候となると11月の初旬ですが、今年は桐や蔦が黄ばみ出すのも遅くなりそうです。 今季は20日(水)から立冬前日の11月6日(土)までが土用ですから、その期間の土木や建設は控えるか、教会長・教師に間日(手を付けても良い)や祭事等よくご相談下さい。 秋の大祭でお会いするのを楽しみにしています。 |