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                                                          2009−6

平成21年6月号 第1144号

        

H.21. 6月号

自然(おのずから)(みち)   管長 巫部(かんなぎべ)(さち)(ひこ)

 信仰の文化2. ―武士道―

 

(神理教を“本教(ほんきょう)”と記します)

家の宝

()(おし)()  竹の(その)()の  (すえ)()まで

        家の宝と  継ぎ伝えなむ(題は生)

 (ぼう)(とう)毎年四月に行う(さち)(ひこ)(しゃ)への(けん)()の一つを、恥ずかしながら何年振りかにご披露させて頂きました。

『竹の(その)()(すえ)()まで…』というのは、筆者が高校時代に習った鎌倉・南北朝時代の歌人・随筆家である(よし)()(けん)(こう)の『(つれ)(づれ)(ぐさ)』の一節です。

 確か『天皇陛下の尊さはその()(まご)になろうと変わることはない』、という意味だと思います。

 それにあやかるように、(もとつ)(おしえ)(しん)()(きょう)の至上の教えと御神徳を、家の宝として子々孫々にまで伝えたいという思いをこの歌に(たく)しました。読者の皆様にも是非この気持ちを共有下されば有り難く思います。

 

(ほか)の教えを信ずることなかれ

・様々な受け止め方

 春の大祭二日目に、()(きょう)(かい)の十番目『(ほか)の教えを信ずることなかれ』についてお話しさせて頂きました。

 昔、教内でも『他の教えを信じるべきではない等の言い方はいかがなものか』の議論があったと聞きます。

 戦後、GHQ(日本を占領した連合国総司令部)(けん)(えつ)を恐れて、書き換えを検討した時期もあったと聞いたことがあります。

又、この教えを他教の人から『なんと心の狭い教えであるか』と非難されたことへの議論についての書き物(御教誡の略解)もあります。

筆者自身も初めて接した時、九番目まではごもっとも≠ニ受け止めていた処を『他の教えを…』と読んだ時、えっ?≠ニ引き戻されるような思いをした記憶があります。ご一緒に考えましょう。

 

・セカンドオピニオン(医学)

 最近では、『医療現場でもセカンドオピニオン(複数の医者の話を聞いて自分で判断する)の時代なのに、宗教現場は遅れている』という考え方もあるようです。

 しかし、今年3月号で紹介した御教祖の『(ざる)の教え』もあります。(そもそ)、もし現代の医者の信用が薄れたとしても、最初から疑いながら病院に行く人は少ないでしょうし、そんな思いでは(なお)るものも治りません。

 一生懸命に治療を受けても治らない時や医師の言動に不信を感じた時に、別の医師にも相談するのです。

・セカンドオピニオン(宗教)

 セカンドオピニオンとは新しい言葉ですが、そうした話は宗教の世界の方が早いという記憶があります。

 いわゆる『あっちの()(とう)()にふらふら、こっちの占い師にふらふら』と宗教を信仰の対象として(とら)えず、人の(うわさ)や自分の感で、自身の迷いや苦しさから逃れようと諸宗派・教会をさまよい歩く、というものです。

 本教の祝詞にも『…()(さき)(くぼ)()心を奪われ…』があり、物事の元を見て正さずに些事(さじ)(小さな損得)に心が()れて、いつまで()っても苦しみから抜け出せない状態をいいます。

「そんなことでいいのですか?」と問い掛けられ、「反省します」と言いながら、やはり心も体もフ〜ラフラという状態を迷う(まよう=(まが)()び)と言うのです。

 現代宗教はより自由にセカンドオピニオンが許されるものの、それは医学の世界と同じく『(ざる)の教え』のように一旦真剣に祈ってからの話です。

 またこれも医学と同じながら、教会長・教師の話に()きがたい不信を感じてからの話です。

・中心は本教

 違うところは、本教を真剣に信仰して祓い・祈ったからには、今年2月号で紹介したように、必ず通じる(みこと)(わり)と御神徳があることです。

 春の大祭でも墓前祭を執行された弘前教会の青山先生の教話を引き合いにさせて頂きながら、そこのところをお話しさせて頂きました。

 本教の教えを中心に信奉しながら他教を直ぐに離れられない歴史とするならまだしも、両方を併用して使いこなそうなど『百害あって一利なし』となります。

 本教の教えだけで十二分に、宗教・信仰の歴史と心と教えの全てを兼ね備えているからこそ、『他の教えを信ずることなかれ』と力強く言えるのです。

 

素晴らしい絵本の話

3月に幼児・初等教育の70代の女性講師の講演・講習を聴き・受ける機会がありました。その時、一つの絵本を読みながらの話に(かん)(めい)を受けました。

それは子どもがお母さんに普段の世話に感謝したいと、プレゼントをしたという話です。

講師はプレゼントを渡す前のページで、子ども達に次のように聞くそうです。

「さあ、この子はお母さんに何をあげたのでしょうね」

 すると最近の子ども達の答えは、『お金!』や『洋服?』だそうです。講師が、

「ううん、違うの」と言うと、『ケーキ・メロン・イチゴ・お菓子』等、本当にお母さんが好きなのか自分たちが好きなのか(こん)(ぜん)とした答えが返ってくるそうです。そこで、

「それはね」と言ってページを開きながら、

「この子はこのように、お母さんの首に抱きついて(ほお)ずりをしてあげたの」という風に読むのだそうです。

 この本を読んだ後、お母さん達から、

「最近我が子が、やたらと抱きついてくる」と言われたと笑わせていました。子ども達にとっても印象深かったのでしょう。素晴らしい伝え方だと思いましたし、講師の工夫や感性を感じました。

 

信仰がないと言う人の信仰とは

その後夕食を他の講師を含め7人ほどでご一緒することになりました。

名刺を交わしたので筆者が神職であることを意識したのか分かりませんが、若い頃スペインに3年ほど留学した時の話を皆の前でされました。

「私は今も独身ですが、若い時から信仰がありません。

 スペインにいる時にその話しを当地の人にすると大変驚かれましたが、本当にないのです」

 最近は筆者も70代の男女が信仰がないと自慢?するのに驚かなくなりました。その(おお)(かた)が、

『自分は、信仰をしなくても人生の(つら)い部分を乗り越えた。信仰は心の弱い人がするものだ』と信じて?いるようです。

 このような話しの時、いつも誰も何も言われないので、必然的に筆者の出番になります。筆者は、

「最近目に見えない物は信じないという風潮が感じられますが、先生はお父さんお母さんや御先祖に手を合わせることはないですか?」と聞きました。

「勿論、実家の仏壇やお墓では手を合わせます」と応えられるので、筆者は、「私達神道では、それを信仰というのです」と言うと、「ああ、私は特定の宗教を信仰しないという意味で…」など口ごもっています。そこで、武士道「以前5千円札の(しょう)(ぞう)にもなった()()()(いな)(ぞう)、アメリカで日本の教育の原点である宗教は何かと聞かれ、無いと応えて驚き(あき)れられたそうです。

 家に帰るとアメリカ人の妻にもなじられました。

 欧米はキリスト教・中東はイスラム教・インドはヒンズー教・朝鮮半島は儒教など、どこも教育の原点になる宗教があるのです。

そこで日本には武士道≠ェあり、中世から近世までこの精神に貫かれたことに気付き、それを本にして世界のベストセラーとなったとあります。

 稲造自身はキリスト(クェーカー)教徒でありながらも、武士道の本質にそうした敬神尊祖の神道の要素を認めていたようです」という話をしたことでした。

 殊に日本の経済学などでは道徳が基盤のように言われますが、その道徳も元はと言えば信仰の文化から(つちか)われた物だということが忘れられているようです。

 現代の日本ではせめて私立学校くらいはその部分を認識していたいものです。

 次ぎに公立学校も、人類がまた日本人が古来大切にしていた信仰の文化を見直して頂きたいものです。

 給食時の「戴きます」や授業開始終了時の「きをつけ・礼」は、信仰以前の文化だと胸を張って伝えて頂きたいと切望します。

 

信仰の文化の根源

 公立・私学に関わらず、現代の日本は宗教を(けん)(せい)し合い足の引っ張り合いをするうちに、信仰の文化が(すた)れつつあるのを感じます。信仰が(すた)れると文化も廃れ文化が廃れると、経済も国自体も廃れてしまいます。

 それは先ほどあげたGHQ等の壮大な日本亡国計画だとの(ささや)きを聞いたこともありますが、筆者はそれより日本国民一人ひとりの意識の問題だと思います。

 本教の私たちは信仰の文化の根源は神道にあると信じますし、是非ここから日本人の本当の心を取り戻し、活力ある社会を築きたいと念じます。

季節のことば    入梅(つゆいり・にゅうばい・ついり等)
 

10日頃(今年は11日)
 6月は平成19年にお話ししていたので、月の和名シリーズは一旦お休みです。
入梅は表題のように色んな読み方があります。
雑節の一つですから、気象庁の“梅雨入り宣言”とは別です。
旧暦では二十四節気の芒種を過ぎて初めての壬(水の兄)の日であり、現在の暦では立春から135日目です。
“つゆ”は“露”のこと、又この時期は食べ物などが傷みやすいので“潰ゆ(やつれる・くずれる)”が転化したものだともいわれます。
 湿度が上がり黴が生えやすくなるところから、“黴雨”と呼ばれるようになったという異説もあるそうです。
 普段“もったいない”運動をしている人も、この時期ばかりは気を付けなければなりません。
 梅雨が終われば暑い夏ですから、今月初めから体力を着けると共に、朝のご神拝に始まる規則正しい生活を心掛けましょう。