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2009−5
H.21.
5月号 信仰の文化1. ―人類の良い習慣― (神理教を“ 現代の家庭 現代の家庭で朝夕の食事を家族一緒に食べる機会が減ったと感じるのは筆者だけでしょうか。 他の家の食卓を それは、友人・知人の仕事の様子を見ても、直ぐに感じられることです。 夫婦で働く家庭が増えていますし、子どもも塾やクラブ活動で食事の時間が不規則です。 また 生活の安定を心掛け努力するほど家族の 必然の不幸 皆『生活の為には仕方ないではないか』と自他に言葉で或いは心に訴えながら、目をつぶって通り抜けようとしています。しかし現実には通り抜けられる家庭がどんどん減ってきているように思えます。 私たちはこれを『仕方がない』、で終わらせて良いのでしょうか。マスコミを騒がせる事件やその原因となる家庭の病気を、自分の家だけには来ないかも知れない、と思い込もうとしていないでしょうか。 それは楽観というより、生活の疲れやあきらめ( またそれらに全く気付かない、或いは感じながらも防ごうとする積極的な意欲が出ないのも現代人の病気なのだと思います。 神から戴いた本能としての危険信号に気付かない、或いは気付いても何をしてよいか分からず、『仕方がない』と居直ってしまうのでしょう。 鉄砲の弾倉に1つだけ玉を入れ、無作為に回した後に運を 『仕方がない』の居直りでその場を片付けようとすることはロシアンルーレットにも似た行為で、程度は違え自暴自棄は自分を必然の不幸に近づけます。 何か仕事も家庭も両立できる良い方法はないか、ご一緒に考えてみましょう。 家庭・社会の病気の 最初に戻り、食事を一緒にしなくなると何が起こるか、家庭崩壊にも及ぶかも知れない 筆者の家でも或る時思春期の子どもと食事をする時に、横目に入った食事の様子に『ハッ?』と思ったことがありました。何か足りない、そうだ、 「あなた今“戴きます”をしなかったよね。」 幼い頃から何百回も一緒にしたはずだけれど、やはり我が家もその時期辺りが特に減っていたからかと反省したことでした。 何故、何時からしなくなったのかと聞いてみると、そんなに前からのことでなく『友だちがしないから自分だけがすると恥ずかしい、 そういえば、筆者がレストランで一人で食事をする時手を合わせていると視線を感じ、そちらを見ると、『今時珍しいことをしている』という目で見ています。そこで周りを見回すと、運ばれてきた食事を前に手を合わせる人を見つけられませんでした。これは恐ろしい事だ、と感じるのは筆者だけでしょうか。目に見えない物には感謝の形すら表せないのは病気の徴候です。 現代の社会 現代社会の変容や異常性については、30年も生きていればそれを感じ取ることが出来るでしょう。 テレビや新聞をまとめたような話を清川 『今の日本には約140万人の その全てではないがそうした中から毎年何百回も「誰でも良かった」等と言って、無差別殺人を行ったりする事件や事件 人口当たりの自殺の割合も毎年更新されている。 親殺し・子殺しはそれぞれ2〜3日に1度起こり、こうした事件は 『テレビやパソコンなどの画面からの情報は多くて便利だが、脳波を調べるとむしろ悪影響を及ぼしている。 日本の子どもは就学時間を上回る世界最長のテレビ視聴という、最悪の人体実験をしているようなもの。 昭和40(1965)年に東京オリンピックがあり、日本にテレビが普及したが、この頃からテレビやラジオを付けっぱなしの環境に幼児をさらすようになった。 テレビやラジオや音楽漬けにされた子どもに1次的な悪影響があり、更にそれがその子ども達に引き継がれる。この辺りに毒された子どもが、引き籠もり等の始まりとなる。 平成7(1995)年は“しまじろう症候群”の言葉が生まれ、人気キャラクターに集中するあまり“人と目を合わせられない・笑わない”という 平成17(2005)年は携帯電話やそれを使ってのメールが盛んになる。乳児の母親が一番リラックス出来るのが、授乳中のメール交信という人が増えた。その結果、赤ちゃんが一番最初に愛情を覚える言葉掛けや視線を交わして頬笑みを見る機会を失う。そして今、学級崩壊は小学校の高学年から低学年に移行している。 体力低下も止まるところを知らず、現代の乳児を持つ母親の3割程度は子どもを抱くと腰痛になるという、まさに人類存亡の危機を迎えている。 それらの原因の多くが“メディア 解決への手掛かり・意欲 故半村良の短編小説集『どぶどろ(いも虫)』に、「苦労ってのはどういうことか、考えてみたことがあるかい」という作中人物の言葉がありました。続いて、「苦労ってのは、てめえが何かをしようとして、そのときはじめてぶつかるもんだ」というのです。 この人物は 「苦労の味にも手の届かねえ貧乏人なんざ…」と自分の事を 筆者も同感で、 教会や先人に頼りながらも、まず自分が解決するという意欲が大切で、共にその 信仰の文化 戴きますも恥ずかしい時代ですから、信仰などもっと恥ずかしいと思う人が多い時代になったようです。 しかし筆者は日本だけでなく世界中に信仰の文化(敬神尊祖)があったと思いますし、その大元であり大部分を占めるのは他宗ではなく、神道だと考えます。 この信仰の文化が薄れた現代は、言うなれば昔と違い世相は益々罪穢れが 私たちはそうした中で先人達と同じように過ごして済むわけが無く、一層まず自身に掛かる罪穢れを祓い次ぎに家族や社会の祓いを心掛けねばなりません。 また、これを 信仰の文化を見直し、まずご自分から・次ぎに家族・次ぎに社会へと、自然の道として伝え共に世直しの核となりましょう。 |
季節のことば 皐 月 (五月) キサラギ<сイ<Eズキ≠ノ続きサツキ≠ニ、耳にも口に出しても心地よい、美しくも優れた日本語です。 皐月も旧暦五月の呼び方ですが、今の暦でも通用しています。 江戸時代中期の『滑稽雑談』に田植えが盛んな月なので小苗月と言ったのを略してサツキ≠ノなった、とあります。 又五月雨月の略の説や、幸月の略の説もあります。 旧暦の五月は現代の梅雨の季節ですから、こうした雨に関連した言葉が出来るようです。 二月(如月)・三月(弥生)と草木に関連し、四月(卯月)・五月(皐月)と農作物に関連するのは、農耕民族である日本を象徴しています。 筆者は、人の本魂である幸魂を連想させる幸月に一票です。 |