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                                                          2009−1

平成21年1月号 第1139号

        

                 自然(おのずから)の道(みち)

管長 巫部 祐彦

                                        
誠の悟り―真の安心―
(神理教を“本教”と記します)
年頭のご挨拶
平成21年のお正月、おめでとうございます。
今年は己丑、己(土の弟)は須比遅邇神・丑は宇比遅邇神で土の兄ですから、土が重なる年となります。
何か混沌とした年を予想させますが来年は庚寅、庚(金の兄)は面足神・寅は角杙神で木の兄で、形が固まると共に幹や枝が伸び上がる兆しとなります。
 とすると混沌とした本年にこそ、来年善い形として固まり善い方向に伸びるように基礎固めをするべき、ということになります。
 ご家庭・社会・信仰の場を居心地良く、安心充実の基礎となるように共に心掛けましょう。
 御教祖は巫部観志伝・観相伝・十二神伝また人体本言考に、生まれ年に分けて運勢・気質・体質また病気の起こる部位についてのお知らせを説いています。
 年によっては巡り合わせの悪い人もいますが、信仰がそれらの全てを変えるのであり、もし良い人も信仰が無くてはいずれ悪変すると教えています。
 今年もお仕事と共に信仰に励まれ、健康で豊かな年となりますようお祈りします。

顕(陽)の基本理念(大きな御神徳の根拠)
 昨年秋の大祭で、本教の教えを簡易な言葉にまとめた基本理念についてお話しさせて頂きました。
 教えを顕と幽或いは陽と陰に分け、顕(陽)の理念を一言で示すと“誠の悟り”を伝え戴く、となります。
*1顕と幽=顕は生きている世界即ち現世・この世であり、幽は死後或いは神の世界・黄泉の国を指す。
*2陽と陰=易学で天と地の二元気をこの二つ(陽・陰)に分ける。
 陽は天・男・日・昼・動・剛・奇数など積極的・能動的な事物の性質を表す。

 陰は地・女・月・夜・静・柔・偶数など消極的・受動的な事物の性質を表す。
一般に陰陽五行説は古代中国からの伝来と言われるが、本教では影響はありながらも日本独自に発達してきたものと考える。
 これをもう少し簡易な言葉にすると“真の安心”を伝え戴く教えとなります。
 本教の御神徳が大きいのは何故かというと、一つは偶然のような奇跡ではなく、教えがしっかりとしているからで、これを学べば必然と戴けるのです。
 二つに、この教えを理解して守っている言わば質の高い上根の信仰者が多いから、互いに拝みあい良い影響力を及ぼしあっていると言えます。
 本教には卓越した霊能を持つ教師・教会長も居られる中で、そうでない教会も栄えているのは、この辺りに要因があるのです。

陽と陰(裏・幽・陰が嫌われる風潮)
 陽も陰も全ての事に裏と表があるように、どちらも欠かすことが出来ない大切なものです。
 最近日本の地域を分けて表日本と裏日本、また山陽と山陰等の表記を見かけなくなりました。
 裏や陰という言葉を、暗く劣った物という見方が生じてきたからのようです。
 しかし例えば“裏”という言葉は祝詞では、“浦(心)楽し・哀し”等と表情に出ない心について使います。
 陽と陰もそれぞれ顕と幽に通じ、目に見えない幽(陰)の世界が元であり目に見える顕(陽)を支えていると、古来より日本人は捉えてきました。
 本教には日月五星を図示した表紋と、それらを表音(ローマ字のように音を表す)した裏紋があります。
 表紋の図柄は分かり易いものの教義を読み取ることは難しいのですが、裏紋は一見難しそうで神代文字の元にもなる天地の理・本教の教義全般を含むものです。
また『吾心清々し』は本教で最も簡易な言霊を使う、言わば表(意味が分かる)の祓いの唱え言葉(詞)です。
そして『遠津神笑み給へ(トホカミエミタメ)』は木火土金水・北南東西中央等の教義の根幹を使う、言わば裏(教義を伝える)の祓いの唱え言葉です。
また『天在諸神守り給え幸い給え』は、言わば本教の主祭神への表の唱え言葉です。

そして『神霊物降り清神波寄せて(みたまものおりすがかみはよせて)』は、天在諸神の十五柱を個別に称える、言わば裏の唱え言葉です。
陽と陰は雄性と雌性、即ち男性と女性を象徴する言葉でもありますが、生物学でも女性が先に発生したとの説があるように、神道でも陰は大切な元と考えます。
 男女差別の問題もこの視点から見直せばと思います。
裏(幽・陰)が元で表(顕・陽)は氷山の一角、との見方の方が真実に近いといえます。
目に見えない物は信じないという風潮が広まると、このような結果になるのは寂しいことです。
 しかしながら、顕幽一貫・陰陽・裏表は不二であり、二つに見えても実は一つの物なのです。

誠とは何か、その心をどう活かすか
・四代管長様の教え

 そこで顕(陽)即ち表の理念についてお話しします。
 筆者は高校時代に父四代管長様に、
「例えばキリスト教では“愛”といい、仏教では“慈しみ”を宣伝文句のように使っているようだが、本教ではそれは何にあたるか?」と質問したことがあります。父は即座に、
「それは“誠”だ」と応えて下さいましたが、若い私はその意味を聞くこともなく、
「まるで新撰組だね」と言って笑い話にしてしまい、神理教が右翼の過激な団体と間違われなければよいが、など勘違いの心配をしたものです。本教の“誠”は勿論新撰組より遥かに古くから御神徳を戴く心構えとして伝えられた大切な言葉です。
従って本教の教書や御教歌には、大量と言うほどの解説があります。ここではその中から表題の目的に合わせて御紹介します。
・四徳
 前年11月号の教祖の道統にも、御教祖の教典道徳の章から引用して、『…誠は清・明・正・直(四徳)なり』とあり、以下にそれぞれの説明があります。
 漠然と感じる“誠”もこの四徳を考えあわせると、理解しやすいのではと思います。まずこの四徳から成り立っていることを心に納め誠を理解する骨格として捉え、次ぎにその肉付けをして行きたいと思います。

・中国の儒教や仏教の言葉との関連
 続いて12月号には、『…中国の儒教や仏教に伝わる徳目は誠が発現する行為をいう』とあります。
ここでいう徳目とは“実践(行動)”の仁・義・忠・孝等のことで、御教祖は誠の“心(命令)”の四徳がこれらを指揮して行くものと教えているのです。御教祖の御歌に、

 仁と義と 忠と孝てふ 其四つの
    非ざるという 文字ぞ罪なる (内伝百首)


と、四と非の二つの字を併せて罪となる事に注意を喚起しながら伝えています。
 これはまた清明正直がない、つまり濁暗邪曲の心を持ってはいけない、と教えていることにも通じます。
 余談になりますが、本教のブロック研修会で瀬戸局長がこの御歌を紹介した後、体験談がありました。
 発表者は涙ながらに、『この歌を教えて頂いてなるほどと腑に落ちたことがある。自分は父が本教を信仰する姿を見ながらも高校時代に反発していた。
それはこの四つの中の孝について罪を犯していたのだ』と反省して、参加者に感動の涙を誘いました。
・誠の本言、本教人の志
 本教巫部家に伝わり御教祖が大成された教えの一つである言霊学は、物事の本質を見極める点で大変役にたちます。御教祖が“誠”の本言(本来その言葉が持つ意味)を二つあげているのは、これが大切な言葉だからでしょう。
 一つは『元→根本』とされています。
 細かい解説は省略しますがモト(元)のモ→(マ)・ト→(コト)で、(マコト→誠)となります。
 誠は教えの元、即ち根本ということです。
 二つは『身・明・心→身体に神の明かりが入った心』とされています。
 ミ(身)アカリ(明)ココロ(心)のミ・アカリ→(マ)・ココロ→(コト)で、(マコト→誠)となります。
 誠は身に神性を引き入れた清々しい心、即ち人はこうした心持ちになれるし又なるべきなのです。
 その前向きな心持ちが、大きな御神徳を戴ける事への気付き(誠の悟り)となるのです。
 私たちは裏・幽・陰も大切に考えながら、まず目に見える表・顕・陽の理念を以て、社会・祖先・家族・自分の為に誠の悟りを志し共に御神徳を戴きましょう。
季節のことば  おせち料理

お正月の楽しみの一つがおせち料理です。
近年は仕出し屋さんやデパートやコンビニでまで扱っているようで様変わりを感じます。
我が家は女性陣が精を出していて、こっそりとするつまみ食いが楽しみですが、2・3日過ぎるとラーメンも恋しくなります。
鏡餅の添え物に由来があるように、おせち料理にもクロマメ・カズノコ・ゴマメ(タツクリ)を入れて、『くろぐろとマメに働き、数々の田を作る』等と縁起をかつぎます。
おせちはお節で元は五節句(人日・上巳・端午・七夕・重陽)の他、正月は代表的な節句なので今では正月料理となりました。
四つの重箱を四季に見立て青(春)白(秋)赤(夏)黒(冬)と作り、正月三日間は主婦を仕事から解放する意味もありました。
正月料理は保存食ですから『食積』といい、江戸時代は台の上に米・のし・鮑・昆布・勝ちグリ等を盛り合わせ客にすすめました。