H.20.
7月号
自然の道 管長 巫部祐彦
通夜祭・帰家(十日)祭でのお話し
(神理教を“本教”と記します)
先祖祭の起源
来8月は穂見祭(お盆)で、各教徒・信徒(依頼のある)の霊殿を一軒一軒お祓いする巡拝が始まります。
*1教徒=宗旨が神道神理教の家庭。信徒=宗旨は別でも天在諸神の神璽(長く祀る箱形の神符)を鎮め信仰する家庭。
初穂見祭(初盆)を迎えるご家庭だけでなく、その親族・知人もあることですから、古神道神理教の死生観などを知られる一つの機会と考えお話しします。
本教の日常業務の一つに神葬祭があります。
これはお盆と同じに、神道が葬儀や先祖祭(霊祭=ミタマ・マツリ)をすることに驚かれる方が多いのですが、実は神道こそ葬儀や霊祭の本元と言えます。
葬儀や霊祭は結婚式や合格祈願や地鎮祭等と共に、本教でも重要な神事の一面でもあります。
折に触れてお話しすることですが、先祖祭は日本古来の信仰である神道が行ってきたことです。
インドで発生した仏教自体には先祖祭の教義・習慣・儀礼がなく、日本に伝来した時に布教の為習俗となっていた神道儀礼を取り込んだようです。
従って仏教の七日毎の法事や神道の十日毎の霊祭・仏教の四十九日と神道の五十日祭で、その儀礼や祭具が似ていることは自然の成り行きともいえます。
七日毎の霊祭も神道が起源ですが、明治以降皇室の変更に併せて十日毎に変えたものです。
それらの儀礼は神道が仏教を真似たのではなく、神道にこそ儀礼や祭具の発祥の元があるのです。
これもよくお話しすることですが、お盆や彼岸という言葉も、神道の先祖にお供えする為の祭盆≠竍日願(太陽を拝む)≠ェ語源です。
日本や仏教の歴史・法事や霊祭の日取り・祭具・祭式の起源を調べれば自ずから判明することです。
江戸時代の寺請制度
何故神道が葬儀や霊祭や穂見祭をすると驚かれるようになったのでしょうか。
それは日本人がいつどうした経緯で仏教徒になったかを振り返ると理解出来ます。
仏教が伝来しても長い間、信仰する人は貴族や武士階級や都市部や特定の地域など一部でした。
日本人が仏教徒になったのは江戸幕府によって寺請制度≠ェ作られ、宗旨が強制されてからのことです。寺請制度では仏寺が戸籍を扱う市町村や区役所のような役目をしたので、仏教徒にならないと人間扱いされなかったのです。
徳川幕府が何故仏教を選んだかというと、名目はキリスト教の禁止としながら、本当の理由は神道の最高権威である皇室の力を削ぐためでした。
江戸の中期から興った国学が盛んになる幕末まで、鎖国もあいまってこの点で日本人は長い眠りについていたと言えます。
*3国学=古事記や日本書紀や万葉集や延喜式などの古典を研究して、儒教・仏教渡来以前の日本固有の文化や精神を明らかにしようとする学問。
御教祖はこの国学を西田直養翁に学び、巫部家に伝わる古神道を併せ大成して神理教を開設された。
明治の初めに大政奉還となり信教の自由が確保されたものの、政治的な動きもあり元の神道に帰教する割合は少なかったのです。
*4大政奉還=徳川幕府が政権を朝廷に返上したこと
帰家(十日)祭の直会で
仏教では初七日というようですが、神道では帰家祭或いは十日祭との合同の祭事の後、直会といって神と先祖と遺族親族が食事をすることがあります。
*5帰家祭=葬儀が終わった後に家で行う仮霊殿での報告祭。
現代では火葬場から持ち帰った遺骨を、霊璽(仏教の位牌のようなもので故人の奇魂を鎮めた板)と共に家の仮霊殿に鎮めて行う。
*6十日祭=亡くなった日から数えて十日目に行う霊祭。
直会には私たち祭官も声掛けを頂き、食事をご一緒することがあります。その折りに、最近2回ほど続けて親族の方達にお褒めと同時に質問を頂いたことがあるので、次にご紹介します。
『神道の葬儀は太鼓や鉦や笛が鳴って賑やかながら、清々しいですね』とか、
『昨日の通夜祭や今日の帰家(十日)祭のお話しを聞いたのですが、神道は前向きな教えですね』とか、
『清々しい葬儀やお話しによって、故人(まだお若かったのですが)が心地良く神様の世界に帰り昇ったことが感じられました』などお声掛け下さり嬉しく思いました。
通夜祭・帰家(十日)祭でのお話しの要点
そこで通夜祭や帰家(十日)祭でのお話しについて、その内容に簡単に触れさせて頂きます。
・通夜祭でのお話しの要点
通夜祭では本教をご存じない方が多いことから、
『神理教は日本人が古くから信仰してきた神道の一派です』と簡略に自己紹介します。そして、
『神道で人は死後どうなるかといえば、肉体は無くなってもその霊魂が滅びることはなく子孫を見守るのです。本教の御教祖はその霊魂を更に詳しく解説され、幸魂・和魂・奇魂・荒魂の四魂に分かれます』とお話しして、その生きている時と死後の働きを簡単に解説します。(ここでは省略)
そして遺族の心得を次のようにお伝えします。
『死に伴っての悲しさ・悔しさ等も神から与えられた大切な感情ですが、そのことばかりにこだわって自分の生きる力を失うことが罪・穢れです。
神道ではこれを祓うために塩を使います。
悲しむことは決して無駄ではありませんが、次に故人との楽しい思い出等思い浮かべ、時間を薬に少しずつでもその悲しみを薄れさせましょう。』そこで、
『故人の死後の幸せを願うならば一生懸命に生きて幸せを掴み、それを霊前で故人に報告することです。
またご自分の幸せを願うのならば祭りを行い、故人の霊魂の安定を祈ることです。
先祖の霊魂が安定し子孫と共に清々しい状態であるからこそ、子孫を守る力が強まるのです。
親が死ねば孝行が出来ないと思い込むのは間違いで、これからの子孫としての生き方と祭りが本当の意味での親孝行なのです』
・帰家(十日)祭でのお話しの要点
神離や霊璽の意味や扱いの話もしますが(ここでは省略)、主に五十日祭までの毎十日祭や霊前での家人の心使いが如何に大切かをお話しします。
仏教の四十九日や神道の五十日が三ヶ月にわたる時に、三月が身尽き≠ノ通じるなどと語呂合わせをして早々に仮霊殿を片づける家があるようです。
昭和の前半位まで土葬をしていたことを考えると、早めの納骨は良いのですが、仮霊殿まで片づけるなどしてはいけません。先祖の祭祀に心が向かない人は仮霊殿を邪魔と思い違え、早く片づけて清々したいと思うのでしょうが、それは反対に先祖と自分の心を濁らせることになるのです。そこで、
『喪に服すことについては宗教・宗派により、また神道でも色んな考え方があり期間も異なります。
本教では故人との別れを思い、謹む心さえあれば神殿への参拝など禁止しません。
拍手も火葬場から帰れば、忍び手(音を立てない拍手)から普通の拍手に戻します。』と話し、霊殿中央の神離の意味と2枚の霊璽の意味と永代祭祀の説明をします。(ここでは省略)
そして五十日までの祭の意味や遺族の心の持ち方を次のようにお伝えします。
『今日から五十日祭までの祭事の目的は3つです。
1つは死の自覚≠ナ、祭官や家族が毎日霊前で故人の事を思ってお祈りする姿を見て、故人は「やはり自分は死んだのか」と気付き、子孫も初めは例えば朝起きると戻ってくるような気がしていたのが、毎日の祈りを通じて落ち着きを取り戻すのです。
2つは生前の罪・穢れを祓う≠ナ、故人も家族も思えば人を憎んだり反対に人に怨まれたりすることがあり、それが凝り固まれば罪・穢れとなります。
これを祭り・祈り・祓いを通じて取り除くのです。
3つは死後の役割の自覚≠ナ、ここが一番大切なところです。死んだ後にも役割が在り、それは生きている時とも共通する役に立つ喜び≠ネのです。
死というのは決して暗い冷たい苦しい物ではなく、子孫を守る喜びがあることに気付くことです。
そこで家族は毎日霊前に進んで手を会わせ、十日毎に祭官と一緒に祭を行ってその態度を表し祝詞によってその神理を噛みしめて行くのです。
通常この五十日でこの3つの目的に達した後、この家の御先祖の霊殿に一緒にお鎮め(合祀)することになります。だからこそ、この期間のご遺族のお心持ちと祭が大切なのです』とお話しします。
こうしたお話しが、本教が前向きな考え方だと言って下さる理由と考えます。
信徒の皆様には宗旨の違いは別にして、大元の教えである古神道神理教での先祖祭をお勧めします。その役割と喜びにさえ気付かない人もいます。
昨今親殺しや子殺しの事件がありますが、心さえ清明であれば、子は親の有り難さに気付き親は子どもを愛おしく思うのは本能でもあるのです。
その力を発揮出来る