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2008−7
H.20.
7月号 (神理教を“ 先祖祭の起源 来8月は *1教徒= 本教の日常業務の一つに これはお盆と同じに、神道が葬儀や 葬儀や霊祭は結婚式や合格祈願や地鎮祭等と共に、本教でも重要な神事の一面でもあります。 折に触れてお話しすることですが、先祖祭は日本古来の信仰である神道が行ってきたことです。 インドで発生した仏教自体には先祖祭の教義・習慣・儀礼がなく、日本に伝来した時に布教の為習俗となっていた神道儀礼を取り込んだようです。 従って仏教の 七日毎の霊祭も神道が起源ですが、明治以降皇室の変更に併せて十日毎に変えたものです。 それらの儀礼は神道が仏教を真似たのではなく、神道にこそ儀礼や祭具の発祥の元があるのです。 これもよくお話しすることですが、お盆や 日本や仏教の歴史・法事や霊祭の日取り・祭具・祭式の起源を調べれば自ずから判明することです。 江戸時代の 何故神道が葬儀や霊祭や穂見祭をすると驚かれるようになったのでしょうか。 それは日本人がいつどうした 仏教が伝来しても長い間、信仰する人は貴族や武士階級や都市部や特定の地域など一部でした。 日本人が仏教徒になったのは江戸幕府によって 徳川幕府が何故仏教を選んだかというと、名目はキリスト教の禁止としながら、本当の理由は神道の最高権威である皇室の力を 江戸の中期から *3国学=古事記や日本書紀や万葉集や延喜式などの古典を研究して、儒教・仏教渡来以前の日本固有の文化や精神を明らかにしようとする学問。 御教祖はこの国学を 明治の初め *4大政奉還=徳川幕府が政権を朝廷に返上したこと 仏教では初七日というようですが、神道で *5帰家祭=葬儀が終わった後に家で行う 現代では火葬場から持ち帰った遺骨を、 *6十日祭=亡くなった日から数えて十日目に行う霊祭。 直会には私たち祭官も声掛けを頂き、食事をご一緒することがあります。その折りに、最近2回ほど続けて親族の方達にお 『神道の葬儀は太鼓や 『昨日の通夜祭や今日の帰家(十日)祭のお話しを聞いたのですが、神道は前向きな教えですね』とか、 『清々しい葬儀やお話しによって、故人(まだお若かったのですが)が心地良く神様の世界に帰り昇ったことが感じられました』などお声掛け下さり嬉しく思いました。 通夜祭・ そこで通夜祭や帰家(十日)祭でのお話しについて、その内容に簡単に触れさせて頂きます。 ・通夜祭でのお話しの要点 通夜祭では本教をご存じない方が多いことから、 『神理教は日本人が古くから信仰してきた神道の一派です』と簡略に自己紹介します。そして、 『神道で人は死後どうなるかといえば、肉体は無くなってもその そして遺族の心得を次のようにお伝えします。 『死に伴っての悲しさ・ 神道ではこれを 悲しむことは決して無駄ではありませんが、次に故人との楽しい思い出等思い浮かべ、時間を薬に少しずつでもその悲しみを薄れさせましょう。』そこで、 『故人の死後の幸せを願うならば一生懸命に生きて幸せを またご自分の幸せを願うのならば祭りを行い、故人の霊魂の安定を祈ることです。 先祖の霊魂が安定し子孫と共に清々しい状態であるからこそ、子孫を守る力が強まるのです。 親が死ねば孝行が出来ないと思い込むのは間違いで、これからの子孫としての生き方と祭りが本当の意味での親孝行なのです』 ・ 仏教の四十九日や神道の五十日が三ヶ月にわたる時に、 昭和の前半位まで土葬をしていたことを考えると、早めの納骨は良いのですが、仮霊殿まで片づけるなどしてはいけません。先祖の 『 本教では故人との別れを思い、謹む心さえあれば神殿への参拝など禁止しません。 拍手も火葬場から帰れば、 そして五十日までの祭の意味や遺族の心の持ち方を次のようにお伝えします。 『今日から五十日祭までの祭事の目的は3つです。 1つは死の自覚≠ナ、祭官や家族が毎日霊前で故人の事を思ってお祈りする姿を見て、故人は「やはり自分は死んだのか」と気付き、子孫も初めは例えば朝起きると戻ってくるような気がしていたのが、毎日の祈りを通じて落ち着きを取り戻すのです。 2つは生前の これを祭り・祈り・祓いを通じて取り除くのです。 3つは死後の役割の自覚≠ナ、ここが一番大切なところです。死んだ後にも役割が在り、それは生きている時とも共通する役に立つ喜び≠ネのです。 死というのは決して暗い冷たい苦しい物ではなく、子孫を守る喜びがあることに気付くことです。 そこで家族は毎日霊前に進んで手を会わせ、十日毎に祭官と一緒に祭を行ってその態度を表し祝詞によってその 通常この五十日でこの3つの目的に達した後、この家の御先祖の霊殿に一緒にお鎮め( こうしたお話しが、本教が前向きな考え方だと言って下さる理由と考えます。 |