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2008−10
H.20.
10月号 入り口(基本)の (神理教を“ 入り口(基本)の 本年2月号(本教ホームページにも記載)で、 “ “祓い”は神道信仰の基本であり、初心者から “祓えば戴ける・祓わなければ戴けない”ということに気付けば、次は祓う事に意識を向ければ良いのです。御教祖の御歌に、 祓い清めて 神祭りせよ (人道百首) とあるように、まず物理的に 次に精神・霊的に祓い心を 本年5月号でもお話しした 『幸福を得ようとして幸福の (幸せやお金や物や望みが得られるよう神に願うより、まず自分の周囲と心身を祓い清めなさい。 そうすれば特に願わなくとも、自然に望みは 願ってばかりではなく受け止める態勢がなければ、御神徳は 御神徳は願わなくとも空気や水のように、常に流れ来て周囲に戴いているのですから、私たちはそれを受け止め受け入れる心掛けを実行するべきです。 これが入り口(基本)の“ 日常(普段)の祓い では日常(普段)の祓いの心掛けとは何でしょうか。 ・日常の祓い1(物理的な まず身辺の清めは、自分の体を清潔にし・身なりを正し・周囲を 身なりを正すといっても、決して高価で新しい衣服を身に着けることではありません。 安価でもまた古くとも、清潔であれば良いのです。 御教祖も着る物には しかし医師の経験もあることですし、清潔には気を付けられたことでしょう。 高価な物や新しい物を身に着けなくとも、身辺の清潔は確保出来るのです。 次に霊前の清めは、家の神殿・出来れば本院・教会のご神前の清掃奉仕をされることです。 家では毎日神棚の水を新しく替え、月に2回は御神酒や米・塩を替えます。 新しくご 社会奉仕(ボランティア)は、これが出来た後に行う事です。 これらは日本人が昔から行ってきた自然の事で、これを行わなくなってから、今の日本は変わってきているのではないでしょうか。 目に見えない物は信じないという理性 目に見えない神や御先祖の存在を感じてこそ、広い意味での判断が出来、無責任な無差別殺人など起こらないのです。 ・日常の祓い2(精神・靈的な心の祓い) 精神・霊的に祓い心を 4・5月号の“徳の袋”や先9月号の“生き方”等でお話しさせて頂きました。 また日常の心掛けである七罪八徳は5月号で紹介しました。七罪が御教祖の この部分の話は他とも より深い悟り 松本清張は小説『神々の乱心』の登場人物に、 「神仏に一身を任せれば病気も そうではなく、悟り(例えば祓い)の境地が自然と現世利益も戴ける事をこそ悟るべきなのです。 人皆の現世利益は神の希望でもあるのですから。 ・教育技術主体の教育と気付きを 数日前、私立小学校の理事長・校長をされている方と話をしました。 教育の世界ではほとんどの学校が 学力・体育・音楽等の教育技術の向上を通して、人格の形成を目指すと訴えます。しかし中には学力・体育・音楽等に重点を置き過ぎて、真の人格育成とのバランスに於いて疑問符の付く学校もあります。 この方が言うには、疑問符の付く学校もあるというより、疑問符の付く学校の方が多いと 達観というのは、真の教育について世の関心があまりに薄い事から児童が集まらない事についてです。 いわゆる目先の受験への(人格はさておいて)強さを強調する学校が ・ 宗教の世界でもほとんどの宗派が悟りや平和や幸福を 修行・祈り・願い事の達成等を通して、霊格の形成と平和や幸福を目指すと訴えます。 しかしこれも中には修行・祈り・願い事の達成等に重点を置き過ぎて、真の霊格育成とのバランスに於いて疑問符の付く宗派もあります。 筆者に言わせれば、疑問符の付く宗派もあるというより、疑問符の付く宗派の方が多いと 達観というのは、真の宗教について世の関心があまりに薄い事から信徒が集まらない事についてです。 いわゆる目先の現世利益(霊格はさておいて)を強調する宗派が流行るのです。 一言付け加えさせて頂いたのは、その理事長・校長でさえこんなに近くにある本教にまだ関心が薄いのではないか、ということでした。 まあ私たちは教育や宗教等、目先の受験合格や しかし教育者が宗教に、また反対に宗教家が教育に共通点を感じず関心も持たないのでは困ります。 教育の原点は、 ・真の教育と真の宗教(誠の悟り) この理事長・校長と筆者との教育についての共通認識は、次のようなものです。 その学校の基本理念である人間教育とその手法である環境が達成された時、結果的に受験にも打ち勝つ強い精神力や学力が人格と伴に育つことです。 実際にその学校の兄姉校では、相当数の人格と学力の両立した人材が育っているようです。 難関の学校を卒業し大企業に就職しても、家庭が壊れたり事件を起こしたりでは、何にもなりません。 筆者は宗教についても、強く共通点を意識します。 本教の基本理念である“誠の悟り(真の安心)”とその手法である“ そこに本教の存在理由が有ります。大元の神や教えへの気付きを 決して数多くの教信徒を望むのではなく、よりい霊格を築こうされる教友と、 |