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                                                          2007−3

平成19年3月号 第1117号

        

H.19. 3月号

自然(おのずから)(みち) 管長 巫部(かんなぎべ)(さち)(ひこ)

― 成長を補完するもの

 

()みつき症候群(しょうこうぐん)

近年保育園では、()みつく幼児が増えているそうです。幼稚園ではまだ少ないものの、保育園並みになるのは時間の問題だ、と聞いたことがあります。現在の保育園と幼稚園の違いと、将来同じ条件になる要因は何でしょうか。

(そもそ)も何故周囲の友だちを咬むのでしょうか。

例えば友だちとおもちゃの取り合いをして、ケンカをしている内に咬んでしまうという、理由のある咬みつきはある程度理解が出来ます。

 しかし最近は『は虫類型』とか『両生類型』などと言われ、トカゲやカエルのように目の前に動く物をだせばいきなり咬みつく、という場合が多いというのです。

またいきなり頭突きをする子もいるようです。

 さして理由もなく、目の前にたまたま差し出された指や手や顔を衝動的に咬んだり頭突きをしてしまう、というのは一体何なのでしょう。

 こうした子どもがそのまま成長すると、1月に起きた陸橋から幼児を衝動的に投げ落とすような大人になることもあるのではないでしょうか。

 救われる方法はないのでしょうか。

 

ボーダー((さかい))の子ども達

 『ボーダー』というのは境・境界線のことで、これも近年乳児・幼児のいる保育園・幼稚園、そして小学校で問題になっている言葉です。

 健常な子どもと障害の子どものどちらとも言えない、いわゆる境界線上の子どものことを指します。以前は身体がだるくなったり頭痛や腹痛がして働けない・学校に行けないのはさぼり(ぐせ)であり気の(ゆる)みである、と言われたようです。

しかし以前は気の弛みと思われていたのが、現代は実は心身の障害であったことが判別出来ることもあります。以前はそうした人が目立つほど少なかったからさぼり癖などいわれたものが、現代は反対に目立たないほど多くなっているのです。

 その症状は多岐(たき)にわたり身体の障害だけでなく、先にあげた咬みつきや頭突きとしても現れます。

 1月の陸橋事件も許せる物ではないにしても、そのような精神構造から起きているのではないでしょうか。人と人との交わりの疎遠化(そえんか)を背景に益々高度化する犯罪とは裏腹に、こうした精神的な病に起因する事件も増えています。

 大部分が健常でも一部分の脆弱(ぜいじゃく)さ異常さが極端に現れ、自分の生活を維持出来ない人間が増えているのは何故でしょうか。

 また精神的に健常と障害の間を往き来し、普段は健康な笑顔を見せていても、ある時突然牙をむくような人間が何故増えつつあるのでしょうか。

 

昔と現代の違いがあるのか

 歯ごたえのある物を食べなくなったからとか、食べ物の成分が薄くなったから、また反対に粗食に耐えないからなど、と考える向きもあります。

 また食生活と同様に地球規模の環境破壊が原因であるなど、と分析する向きもあります。

また社会環境の変化や、核家族化で祖父祖母との付き合いが(わずら)わしくなくなった代わりに、人間関係の力が低下したからである、となげく向きもあります。そうしたことが原因で、咬みつき・頭突き症候群を含むボーダーの子どもや大人が増えたのだ、という考えもあるのです。

しかし、直せない結果を()いるよりも、今私達がなすべき事はないのでしょうか。

昔と現代との違いを前向きに問い直すことにより、私達がし忘れていたことに気付き、皆が立派な大人になれるようにして行きたいものです。

 

脳は(おぎな)う・障害児は増えていない

 最近樋口正春氏という幼児教育の研究家の話を聞いて、氏の言葉に目から(うろこ)の落ちるような気付きを感じました。氏は、「障害児やボーダーの子どもが増えたとよく聞くが、本当の事だろうか。五十年くらい前の自分たちが子どもの頃も、結構多くいたような気がする。

しかし子どもの頃は少し変わった子だと感じていても、大人になると普通の生活が出来ている人が多かったように思う。

現代のように、少し変な子どもが大人になってもそのまま変、という人が多い今の世の中が変ではないか」と述べました。更に、『昔の社会ではそうした子ども時代の障害の部分ほ多くは(おぎな)われ、大人になれば普通の人になった。だから現代とは違い、異常で発作的な事件が少なかったのである』と言われました。更に、『人間の脳というのは誰も完全でなく、部分的に欠落や異常がある方が普通である。

しかし幼児・児童期に少々の欠落や異常の部分があっても、よほどひどいものでなければ成長するに従って自然と(おぎな)われ、普通の社会人として立ち行けるものである』ということなのです。

しかし現実は、『ボーダーの子どもの出生率は昔と変わらなくとも、大人の異常者の発現率が増えている。

それは現代に成長の過程を奪う何かが在り、また成長しながら補う何かが欠けている』ということでした。昔に比べ現代多くなっている、成長の過程を奪うものとは何でしょうか。

 何故結果的に現代の子ども達は、脳の部分的な欠落や異常が補えないのでしょうか。

 また現代でも補うことは出来るのでしょうか。

 

現代でも補える成長の過程で必要なもの

 まず、自然に補えない理由は何かというと、長時間のテレビや電子ゲーム、そして発達課題を踏まえない早期教育だというのでした。

 これも以前から言われながら止められない、社会の依存症のようなものです。幼児への長時間の雑音は、将来の精神的不安定の原因になります。

 テレビや電子ゲームは人間らしいスキンシップ(心や肌の触れあう親子の情)の時間を奪います。

 親も一緒に見て笑い悲しむことがあっても、会話を交わしてそれを分かち合う時間がありません。

 幼児期に親が子どもとテレビを一緒に見ることはお勧め出来ません。発達課題に合わない早期教育も、本来そのために使われるべきでない脳の部分を使ってしまう、などの弊害(へいがい)から、欠けた部分や不全の部分を補う余裕がなくなるのです。

 幼児とは肌の触れ合いを行い、静かな部屋で親の肉声での絵本の読み聞かせをすることが、脳の成長と補完を行えることになります。

 保育園と幼稚園の違いは、預かり時間の違いで親と子が過ごす時間が少ないというストレスから“咬みつき”や“頭突き”が多いことが考えられます。最近は、幼稚園でも長時間の預かりを行うところが増え、区別が付きにくくなることから幼稚園でも“咬みつき”や“頭突き”が近い将来出てくるということのようです。

 

信仰こそが1番の補い

最近教育でも目に見えないものの大切さの話題が出ますが、文部科学省も学校の現場も得意分野ではないようです。

しかし目に見えない教育は新興宗教に助けを求めなくとも、日本古来の伝統の中にあります。

古人の知恵や習慣は重要なものがあり、見直すことが大切ですし、そこに生活に活かせる本教の教えがあります。

私達の祖先が行ってきたように、目に見えない神や祖先にまず手を併せ、“戴きます”の気持ちが持てる信仰こそが1番の補いになるのです。

テレビやゲームばかりに依存しない、家庭で心や肌の触れあえる人間らしい生活を営むことが大切です。

そして敬神尊祖の人間本来の信仰生活を行うことが、大切な脳・人としての育ちを補うのです。