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                                                          2007−2

平成19年2月号 第1116号

        

H.19. 2月号

自然(おのずから)(みち) 管長 巫部(かんなぎべ)(さち)(ひこ)

― ボケない方法

 

痴呆症(ちほうしょう)について

“ボケない方法”と表題で引きつけておきながら突き放すようで申し訳ありませんが、医学的には5人に1人がそうなる遺伝子を持っているのだそうです。この話は昨年9月に日本宗教連盟の創立60周年に伴う、94歳の院長で有名な日野原重明氏の記念講演でお聞きしたものです。

宗教界ではいまだに“ボケ封じ祈願”などとこの言葉を使いますが、社会ではアルツハイマーとか痴呆(ちほう)(しょう)認知症(にんちしょう)の方が一般的になっているようです。

 

日野原氏の講演

・良く生きる

余談ながら、日野原氏(以下は氏とします)の講演の興味深かったお話を幾つかご紹介します。

まず94歳で講演とはいかがなものかと思ったのですがさにあらず、矍鑠(かくしゃく)としているどころか年に二百回以上の講演をこなされるそうです。

 それでいて院長としての朝七時半からの幹部会議のお仕事や深夜までの研究もされているそうですから、空いた口が(ふさ)がりません。

45年前は日本に百歳以上が250人だったところが、現在は2万5千人となっているそうです。

 そこで氏は、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉を引用して『ただ生きるのではなく、良く生きる』ことが大切だと強調されました。

 痴呆(ちほう)や寝たきりではなく、自分のことが出来且つ人生が楽しめる、ということのようです。

 

・人は悩まないと考えない・感謝と(いたわ)

 氏は京都大学の医学部出身だそうですが、戦前でも出世競争の激しかった環境の中で大病を患い、1年間の闘病生活を送ったそうです。

 ここでいわゆる出世競争からは完全に取り残され、そこからの再出発が一つの基盤となって今の人生観があるようです。

『健康な人は自分の存在さえ感じることが出来ない。(やまい)を得て始めて健康との違いに気付き、健康の有り難さや自分の存在を意識する』と述べられました。また、『()んでいない医者は患者の気持ちが分からない』事を反省し、『哲学者でさえ健康であれば生を享楽(きょうらく)してしまい、哲学が生まれない』ということでした。

 筆者も学校の倫理(りんり)か何かの授業で、教師が、「人は配偶者の人格が出来ていればであれば幸せになれる。しかしそうでなければ哲学者になる」と言うのを聞きましたし、昔テレビのCMで、『ソッソッ・ソクラテスもプラトンも、みんな悩んで大きくなった』の記憶があります。氏は次に、「宗教者でさえ、()まないと内省(ないせい)しないのではないか」と述べて参加者を苦笑させていました。

 私達は常に“健康への感謝”と伴に“(いたわ)りの心”を意識していたいものです。

 

・痴呆症の遺伝子・大食は早死にの元

『遺伝子医学的に見て、全て健康な人間というのは一人もいない』ということでした。

 それは誰もが何らかの病気の遺伝子を持って生まれていているから、と言うのです。

 これは反対(自分の病気を心配する側)から考えると、少し気楽になれる話だと思います。

現代は遺伝子を見れば、ガンで死ぬか痴呆症で死ぬかが分かるのだそうです。

痴呆症も周囲が大変なだけでなく、余命6〜8年と言われますから、恐い病気です。

『家が3軒並べばその内の2軒に症状が発現することになるのは、時間の問題』ということです。

 しかし、その発症の時期を遅らせたり病状の程度を下げることは、普段の生活から出来るのだそうです。

 食事内容についても少し触れていましたが、「余り意識しても大変だから、一つ大食を控えること。運動をしない人はカロリーを3割減らす。

 自分は1日1300カロリーである」ことを、知人の大食が原因の病気を引き合いにして述べられました。

 (ちな)みに氏は御自分の遺伝子は調べてないのだそうで、それは“クヨクヨしない方が良い・予防になる”ということのようです。

 結果を見て思い悩んでもしようがない、自分の目の前をしっかり見よう、ということでしょう。

 

ボケない・痴呆症から戻る方法

 さて日野原氏は予防について述べられましたが、筆者は最近ラジオで痴呆症が軽減するケアハウス(養老療養施設)の話しを聞きました。

 これも最近『脳トレーニング(訓練)』で話題になっている川島隆太東北大学教授の指導で、治療というか日常の習慣から痴呆症を軽減或いは復帰した実績を持つ施設でした。

 私が聞いたのは熊本県でしたが、日本中に段々と増えて来るのかもしれません。

 そこでは例えば1から50まで声を出して数える、や簡単な足し算引き算や読み書きをするのだそうです。

 95歳の痴呆症の人が、オムツが取れたり自分で食事が出来るようになったりするのだそうです。

 施設にとっても結果的に手間が(はぶ)けるし、何よりも本人の意識が戻ることが画期的です。

 老後がどうなるか不安な私達にも、希望を与えられる話しです。家庭においても家族があきらめたり放置するのではなくて、声を掛けて景勝地などに連れ出し常に刺激を与えることで、症状が改善する話しを聞いたことがあります。

 この施設の場合は多分そうした声掛けや刺激を与えながらの、日常トレーニング(訓練)なのだと思われます。

 

日本人の古来からの知恵

 筆者がここで思ったことは、こうしたトレーニングは、実は日本人が古来から日常行ってきたものの、近年の便利な社会の中で忘れ去られたものではないでしょうか。

 読み書き算盤(そろばん)(計算)は日本人の習慣であったものが、便利なレジ計算機や電話やテレビが普及する内に、そうした能力を日常生活の中で(みが)くことを忘れたのです。

 痴呆症の発症が増えたのは食べ物のせいなど諸説あるようですが、読み書き算盤をしなくなったことにも原因があるのではないでしょうか。

 読み書き算盤は、人が生きていく上で不可欠な知らず知らずに身につけた、日本人の知恵です。

 

ボケない方法・信仰

 では読み書き算盤が日本人の習慣になる前はどうだったのでしょうか。

 日本人は今のように痴呆症に苦しむ人の割合が多かったのでしょうか。

 筆者はそうではなく、読み書き算盤以前には信仰があったのだと考えます。

 本院や教会では毎日言霊(ことだま)(すい)である祝詞(のりと)を奏上します。祝詞を声を出して読み或いは書き、それと同時に御神徳を戴くという素晴らしい知恵が日本人にはあったのです。

 是非、本院や教会にお参りされ、この有り難い祈り・古人の知恵を共に使わせて頂きましょう。


季節のことば

 節分(大星祭)   二月三日頃

 
節分は年に4回あるのをご存じでしょうか。
季節の分かれ目、即ち立春・立夏・立秋・立冬の前日は皆節分です。
有名な(皆様周知の)節分はこのうち立春の前日(今年は三日)で、二月四日から季節(旧暦)の上で春!となるのです。
豆まきは、もとは大みそかの追儺(鬼やらい)の行事が、旧暦で正月と日が重なることが多い内に“節分の豆まき”に移行したようです。
平安時代に方相師(呪術師)が鬼の姿になり桃の弓や杖また葦の矢で追われる行事のなごりで、室町時代から豆をまくようになると共に「福は内!」と唱えるようになったようです。
筆者は子どもの頃大変な恐がりでお化けに会いたくない一心で、物置やトイレや押し入れの中までまんべんなく豆をまいたものです。
本院では大星祭(おおほしまつり)とも呼び、お正月から節分までを目安に、厄祓いの御祈願に沢山の人がお参りされます。