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                                                          2007−1

平成19年1月号 第1115号

        

H.19. 1月号

自然(おのずから)(みち) 管長 巫部(かんなぎべ)(さち)(ひこ)

― 年が教える

 

新しい年の始まり

お陰で新しい年を皆様とご一緒にお迎えすることが出来ました。

今月から今までのペンネームの(さち)彦を、本名の(さち)彦に改めさせて頂きます。

筆者にとっては、昨年四月に父四代管長を失いましたので心の底からの喜びを表しにくいのですが、この新しい年に生を得ていることは御神徳の不思議さを思うと共に一層の有り難さを感じます。

 人は誰でもいずれは死を迎えるものですが、生きている私たちが、「めでたい!」と言って生きている喜びを分かち合い、次にこのめでたさを何かに向けて使わせて頂くことが生きている(あかし)であり、生きる意味でもあります。

 自分の為に又周囲の方々の為に、この喜びの心を何かの形にして生かして行きたいものです。

 何に向けて使わせて頂くか、わくわくとした気持ちで考えられるのがお正月というものです。

「今日も朝起きた。生きていた。嬉しい。何をしよう。何に役立てるだろう」この気持ちを忘れないように、新しい一年に向かって歩み出したいものです。

 

(かぞ)えの年齢

 “数え”は現代人・特に若い世代は一〜二歳多くなるので嫌がりますが、(かぞ)えで年齢を言えばこの1月で私達は全員一つ年を取ることになります。

 例えば筆者は昭和30年の生まれですから、今年は昭和でいうと82年ということで、引いて1を足すと、新年からは数えで53歳になります。

『年が変われば年齢が増えるなど、大まかに過ぎる!』と思われる方もいるでしょうが、考えようによっては満で数えても1年に1回しか変わらないのは同じです。しかも、後で述べますですが、数えの年齢の方が正確な部分もあります。

 全員一緒に年を取るというのも、昔の日本人の考え方の楽しいところではないでしょうか。

 

数えの意味(前)

 近年では馴染(なじ)まない年齢の数え方ですが、これにも意味があるのです。即ち

『人の生は何を以て始まるか』、ということです。

 命は母の胎内(たいない)から出た時ではなく、父と母の精子と卵子が受精した時から始まる、という考えです。明治時代に入るまで、日本人は欧米より文明が遅れていたと思い込みがちですが、かえってより科学的・医学的な根拠を以て考えられた年齢の数え方なのです。

 最近は小・中学生の堕胎(だたい)が私たちの想像以上に増えていると聞きますが、このことは早期に今の子供達に伝えて頂きたいものです。

 

現代の子供達の現実

 余談ですが、性行為についても、「他に迷惑を掛けることはなく二人が好き合っていれば良い」と考える子供の割合が多いそうです。

 そして間違った性知識、例えば“子宮外で射精すれば…、とか童貞(どうてい)処女(しょじょ)の性交は妊娠しない”等、先輩からの言葉を鵜呑(うの)みにしているのです。

 いざ妊娠してみると、殊に女の子の方にはこれ以上ないような悲劇となります。そしてその心が(いや)さ(祓わ)れないと、社会憎悪引いては自殺や近親殺人へ(つな)がってしまうのです。

 これらは先日警察現場のサポートセンターの方から聞きました。さらに親と教師が伝えない・伝える手法を知らないことから起こる悲劇ということでした。またその基本に子供への幼児期からの愛情表現やスキンシップ(肌の触れあい)が足りないことが上げられるそうです。

 少年少女漫画の成人本以上に過激で無責任な話を真に受けて、童貞や処女を“ダサイとか格好イイ”で判断しているようです。小・中・高校時の性行為を自慰に(とど)めるべきなのは、精神心理学からも証明されるそうです。即ち、性格・感情などの情緒に崩壊(ほうかい)現象が起こるということです。殊に男の子はその傾向が強く、生まれ備わった女性への崇敬の念(心の中の女神)を(けが)し、「女性とはこんなに簡単に性行為に応じるものなのか」という人間不信が育つ、ということでした。

 性行為、いわゆる“おちんちん”の話しが出来、「あなたが大切だ。いじめや堕胎や薬物依存は嫌だ」と言える親や教師になるべき、との事でした。

 

(かぞ)えの意味(後)

 先ほど正確と述べたのは、満年齢が1年365日であるのに対して、“数え”は母の胎内に居るのが十月(とつき)十日(とおか)、すなわち約285日だからです。

 年齢が加われば誤差割合は縮まるものの、最初の1年は(はら)みからの差が最大約80日違います。

 孕みの日にちは若干の誤差がありますが、生年月日はそれがないことから、満で数える方が法律などの部分では便利なことはあります。しかし、『人の生命とは何ぞや』と考える処から教えを説く宗教、殊に(神道)神理教に於いては数えの年齢を考慮することは大切です。

孕みの年月日を把握(はあく)することから、『十二神伝(じゅうにしんでん)・『巫部観(かんなぎべかん)志伝(しでん)』・『観相伝(かんそうでん)』などを使って運勢や性格を推しはかり、人生の指針にするのです。

『生まれた時が一歳・年が変わればすぐ二歳』と数える方法は、いきなり年を取らされたようで抵抗を感じるでしょうが、“数え”には生を戴いた事を感謝する気持ちが込められているのです。

 受精(生を戴いた事)を崇高で有り難いと思える心から、運勢や性格を()しはかることが出来るのだと信じます。

 

嘆かわしいこと

 年の考え方も様々で、殊に年少児や年配の方は返って年が多く見られる方が、大人として認められていると喜ぶ向きもあります。

 “数え”は日本の大切な習慣であると共に、誇るべき知恵であり文化なのですから、失わずに伝えて行きたいものです。“数え”から人の運勢や性格を推しはかることも日本の文化です。

 最近小中学生と話した時に、自分の生まれの星座は言えるものの、干支(えと)を言えないことに驚いたものです。その小中学生が知らないことはまだしも、その親が知らない・関心がないのは残念です。

そのくせ日本古来の木火土金水だけでなく、星座や海王星・冥王星人まで加えた占いがはびこるのは遺憾(いかん)です。本来の教えは本教にあるのです。

 

年が教える

 話しが脱線しましたが、お正月に年を取ることを大切に思うことは意味があります。子供の頃(にが)くて不味(まず)かったビールが美味しくなるように、年を重ねることで色んなものが見えてきます。

 先ほどの少年少女の話しも、大人になって見える(=教えられる)からこそ、私達の子孫や周囲に今伝えなければならないことが分かるのです。

 最近そうした社会全体の力が衰えたのか、還暦になっても信仰をしない人が多いと聞きます。

 御先祖とも(つな)がることが出来る安心の道信仰を、今から周囲の人に伝え役立ちましょう。


季節のことば

 七草と七種
 七草と七種   一月七日(平安時代は十五日)
秋の七草は食べられませんが、新春の春の七草は昔から縁起の良い薬草として、食べることが出来ます。
七草は七種節供を略したもので七日正月とか七草の祝いと言って、若菜の七草がゆを食べて祝います。
もともと七草(若菜)がゆは支那の習慣で、七種(穀物)がゆが日本の習慣であったようです。
七草はセリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロで、七種は米・麦・豆・栗・小豆・黍・小麦
(それぞれ異説も有り)です。
七“草”と七“種”節供の二つがいつか一緒になって、なんとなく混同されているようです。七草の方が集めやす
かったのでしょうか。
最近五穀米など耳にしますが、七穀米とは考えも及びません。
先人の知恵と感性は素晴らしいと思います。
現在では七草の方が通常のようになっていますが、今の健康ブームからすると七種の方が優れているかもし
れませんね。