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                                                          2007−12

平成19年12月号 第1126号

        

H.19. 12月号

自然(おのずから)(みち) 管長 巫部(かんなぎべ)(さち)(ひこ)

 世界平和の祈りの会で 2

(神理教を“本教(ほんきょう)”と記します)

 

仏教の方との話

・国名変更の理由

 隣の席はスリランカから来られた、高齢ながらとてもお元気な仏教の僧侶でした。

 スリランカというのはインドのすぐ南にある島国で、筆者が学校で習った時の国名はセイロンでした。

「どうして国名が変わったのか」と聞くと、植民地支配をしたイギリス人が読み間違えてセイロンと発音したからそうなっていたそうです。

 独立(1972年)して、今はスリランカという元々の発音に戻ったとのことでした。

 筆者はこの国と本院のある北九州市との友好関係から以前に動物園に象を頂いたこと、を御礼の気持ちを込めてお話ししました。

・小乗と大乗

仏教は小乗仏教が始まりですが、時代が(くだ)るにつれて大乗仏教が形成されます。

「スリランカの仏教はどちらか」と聞くと小乗(上座部)仏教だそうでした。

後で調べると、スリランカは世界的にも小乗仏教の中心地ということです。

小乗と大乗との教えの違いは、自分の悟りが中心である小乗に対して、大乗は沢山の人の悟り・解脱・極楽へ行く、ことを目指すようです。

小乗仏教は釈迦が始めた仏教の原点、ということが出来ます。

 

・修行と食べ物

「小乗仏教は修行が厳しいのでしょう」と聞くと、そうだと応えます。

「ヒンズー教は牛・イスラム教は豚を食べないというが、小乗仏教はどうか」と聞くと、肉も魚も食べず野菜だけなのだそうです。

 厳しい修行による悟りへの道を探る小乗仏教、その悟りを沢山の人に分かち与えようという大乗仏教、そして日常の生活の中に主とした修行を見出す神道との違いを興味深く考えました。

 また生き物の生命を奪わないという仏教等の考え方と、他の生き物の命を戴いて生きる仕組みを神から与えられている、と考える神道との違いを味わいました。

 

通訳の方との話(死んだらどうなる?)

・天国や地獄の名称

 会食が終わって帰り際に、通訳の方が二人ほど寄って来られました。

私達の話の内容が面白かったようで、質問の機会を待たれていたという感じでした。

「今日はお疲れさまでした。お忙しいところを申し訳ないのですが、一つだけ質問させて下さい。

で!神道では人は亡くなったらどうなるのでしょう?」と聞かれました。

 質問も性急でしたし応答の時間も少なかったのですが、筆者は次のように話しました。

「キリスト教や仏教に天国や極楽・或いは地獄や(れん)(ごく)があると聞きますが、神道でも(たか)(まの)(はら)()(わか)(みや)・或いは()(みの)(くに)という言い方をします。

・死後の喜びと苦しみ

 でも何を以て天国や極楽や高天原に行ったと言うのか、また何を以て地獄や()()に行ったと言うのかという部分では他教と違いがあります。

 神道では死について決して暗い・冷たい等とは考えません。死後生まれ変わることはなく、子孫を守る役割・楽しみ・喜びを持つと考えるのです。

 死後も生前と同じように子孫を守れる祖先になりたいもの、またなるべきなのです。

つまり、子孫を守ることの出来る霊魂にとっては天国・極楽にいるに等しく嬉しく楽しいことです。

反対に子孫を守ることが出来ない霊魂にとっては地獄・黄泉にいるのと等しく(つら)く苦しいことなのです。

・天国に行き、地獄に行かない方法

 そこで次の質問が、

「どうしたら私たちは死後天国に行き、地獄に行かないですむのでしょう?」でした。筆者は、

「まずお祓いをして、次に悪い行いをせず悪い心を持たず、善い行い善い心掛けをすることです。

 幾ら苦しくとも自殺などしてはいけません。

 祓えない罪穢れはないものの、()(ぼう)()()になること自体が、神の恩恵を忘れ・捨て去るという、祓うことの難しい重い罪穢れを背負うことになります。

 そうなれば先ほどお話ししたように、自分の子孫を守るという、死後の本来の楽しみを得られないことになります」

 短い時間で語り尽くせないことではありましたが、通訳の皆さんは先月の話でヨーロッパには神道が絶えたという話を聞いていたこともあって、

「日本には神道があって本当に良かったと思います。有り難うございました」と喜ばれて、足の運びも軽く帰って行きました。

・身近な伝道者になりましょう

 もう少しお話し出来ればこうした考えは神道の総てではないことや、こうした考えを以てお祓い出来る本院や神理教の教会を紹介出来ればと残念にも感じたことでした。

死後の行く先や役割については教内でいつも聞かれていることでしょうから、読者の皆様にはよくご存じのことだと思います。

そこで伝え方などこのお話しを参考にして頂き、今度はご自分の言葉で周囲の方にお伝え下さるようお願い申し上げます。

 周囲の方にお伝えすればするほど自分のお徳も積まれ、自分と御先祖の罪穢れが祓われることにもなるのです。

 また何より周囲の皆様の死後への不安を取り除き反対に、安心や死後のためにも今生きる意欲を与えるという、世に役立つことでもあります。

 こうした(ことわり)を知って今を大切に生きる意義があることに得心が行けば、一層充実した生を見出すことが出来るのです。

 私たちの本来の生きる目的の一つである此の世が神の世となるためにも、皆がこうした伝道者になれることが肝要なのです。

 それが生きながら神に近づくことです。

・地獄や黄泉の役割

 お時間があれば次のような話しもお加え下さい。

 神道では(たと)え地獄や黄泉に行っても、決して行きっぱなしではありません。

 これもキリスト教や仏教とは違うところです。

 本教大意にあるように、子孫にこの教えを守る人がいて、大元の神に自分と御先祖の罪を祓うことを祈れば、御先祖は神の世界に帰り昇ることが出来るのです。

 神道の黄泉の国というのは、自分が犯した罪穢れや祖先が犯していて祓いきれなかったものを祓う役割を持つ場所、という考え方も出来ます。

 となれば黄泉の国も決して()()(忌み嫌う)すべきばかりのものではありません。

 御先祖と協力し合い、黄泉の国で罪穢れを祓いつつある御先祖の霊魂の働きを祈りの力で促進し、神に願って許して頂くのが今生きている子孫の役割なのです。

・現世の黄泉も神代に

 付け加えれば現世にも黄泉にいるのと同じことが起こるのは、病気や災難や悩み事に()う時です。

 現世で苦しむのも死後の祓いと同じであり、修行とも考えることが出来ます。

 この理が分かればこれらの災難から逃げるのではなく、神の教えと神徳を後ろ盾にして立ち向かう手段があることを知り勇気が湧いてくるのです。

 

この素晴らしい教えを沢山の人にお伝えすることで、此の世が神の世となる努力を楽しみましょう。