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                                                          2007−10

平成19年10月号 第1124号

        

H.19. 10月号

自然(おのずから)(みち) 管長 巫部(かんなぎべ)(さち)(ひこ)

 入り口と出口

(神理教を“本教(ほんきょう)”と記します)

おかしな世界

先日、北極の氷の()け方が学者の予想より40年も早いという報道がありました。

 このまま進むと地球の大部分が一気に砂漠化という、地球規模でかつてないような人の住めない環境になるとのことです。

 一方人の心も(すさ)んできて、身近にも煙草の吸い殻・ゴミの投げ捨て等を見ます。

また、外国だけでなく日本でも、お菓子や肉の賞味期限や内容の不正が(あら)わになっています。

7月号でおかしな病気≠フ話をしましたが、世の中や引いては世界・地球規模でおかしな現象や事件が起きています。

原因の分からない不安というか、文明に毒された本能で弱々しくも受信される危険信号のようなもの、を感じる人も多いのではないでしょうか。

 

人の心と環境問題

 御教祖は、

『個人の災難は、その個人又はその人の御先祖の(つみ)(けが)れのお知らせである』と教えています。

 さらに、

『自然災害は人には関わりがないと思うのは間違いで、それはその地域の人々やその御先祖達の蓄積された罪穢れのお知らせである』と、その両方に共通して厳しく自省(じせい)(うなが)しています。

 自然災害まで、しかも地域の社会の責任にされてはと不快に思う向きも有るでしょう。

 しかし何ごとも神のお(はか)(ごと)であると信じる私達には、もし他にも要因があるとしても同時にこのことにも注意を払っておくべきです。

 加えて次のような見方をするのはどうかと思われますが、あえて述べます。

平成9年に世界環境について日本で協議されまとめられた『京都議定書』の(じゅん)(しゅ)を拒否したアメリカは、大型のハリケーンや巨大竜巻の被害に何度も()っています。

被害に遭われた地域の人々には申し訳なく思いながらも、これも神のお計り事かと考えます。

「では日本はどうか?」と問われれば考えることはありますし、これから大地震でも起きたならば、

「ほら見なさい。他人の事ばかり言うから…」となるのかも知れません。言い訳を考えると、

「まだ積極的でない事からのお知らせ」なども有るのかも知れません。

 しかし自然災害や環境問題も、人の心の清濁や社会や世界への環境や平和への取り組む姿勢と関連しているのだと筆者は考えます。

 更に、時を置いても必ず原因と結果があるという、御教祖の教えであると確信します。

 

現代教育の問題点

 先日、幼児教育者の樋口正春氏の話を聞いて刺激を受けたことがあります。

・量を増やしても質の薄い教育

一つは、最近話題の『教育再生会議』の(とう)(しん)内容についてでした。

 完全週休2日制になって減っていた授業時間や内容を元に戻そう(増やそう)、があります。

 これを聞いた北欧の国フィンランドの大使が、「量よりも質なのに」と言ったそうです。

 この言葉が重いのは、今の日本はかつての学力世界一ではなく、現在はフィンランドの方が上位だからです。

 フィンランドは授業時間の減った今の日本より、もっと少ないのだそうです。

 福岡教育大の前学長とお話しした時に伺ったことですが、戦前の日本も今より授業時間や内容は少なかったそうです。

それでも教育水準は世界のトップクラスだったのです。

 時間の有効活用の質が、他国が上がったのではなく日本が下がったのだと言うことでした。

 授業時間を増やしたからといって、学力の向上は望めない、とのことです。

・入り口ばかりで出口がない教育

二つは、知識を詰め込もうとすることから離れられない、日本の教育者の(がん)(めい)さについてでした。

フィンランド大使の言葉が再生会議に達したけれど変わらないのと同じです。

平成2年の教育要領の改訂に伴い、

『教えることから気付きへ』との掛け声がある割に、実際の教育現場ではそれが進んでいません。

何が何でも知識を教えて詰め込めば(かしこ)くなるだろう、という間違った思い込みが先行しているように思えます。

 現代教育は、ある程度は仕方がないにしても、その詰め込まれた知識の出口が少ないのです。

 詰め込まれた知識の出口が少ないとどうなるのでしょう?

 ストレスとなって、全国で起こっている悲惨な友だちや親を傷つける事件になる原因を作ってしまいます。

 ではどうすれば良いかというと、知識を使う出口を先に用意することです。その出口が、幼児ならば質の高い遊びであり、小・中学生であれば、実検や体験学習ということになるのです。

 質の高い遊びより小学校で学ぶ内容の先取り・実検や体験学習による気付きよりも詰め込み、が現状のようです。

『急がば回れ』という(ことわざ)ありますし、反対に『教える方が三倍早い』ともいいますが、そこを使い分けるのが教師の技量なのでしょう。

・整理する自分の静かな時間がない

 三つは、教育内容を噛みしめる家庭環境についてでした。例えば風邪をひいて熱を出して休む事は、子どもの時期に時々あったものです。

 布団の中でぼんやりした時間を過ごし、近くではお母さんが家事をしている、というものです。

 そうした時間に今までの知識を整理することから、極端に言えば病気も必要であったのです。

 しかし現代の子どもは、医学の進歩で病気をさせてもらえないというのです。

 熱が出ても解熱剤で降ろして出席皆勤へ、という家庭も見受けられます。

 また、折角の休みがあっても、そこにはテレビや電子ゲームがあって、一人静かに一日のことを整理する時間が無くなったのです。

 栄養を摂りすぎで、運動不足の状態といえます。

 

神理教に問題点はないか

 そこで本教の場合はどうなのだろう・自分の場合は、とご一緒に考えませんか。

・量よりも質

 一つ目の量より質については、本教において学ぼうとする意欲と熱意があれば問題はありません。

系統だった教えから神と人との関係や役割を理解し、一貫して敬神尊祖を心掛けることです。

信仰に於いての教義や御神徳の質については、本教の為の言葉であると自負します。

本教は(ゆい)(いつ)()()の質の高い教えです。

・学んだ教えの整理

 三つ目の整理する自分の静かな時間については、こうしてご一緒し、目を通しながら考えて頂く時間が出来ればまず解決です。

本教が他に抜きん出て素晴らしい教えである理由をここでは論じませんが、その教えを私達はどの程度理解し、どの程度消化出来ているのでしょうか。

 理解や消化が出来る出来ないは別にしても、神前に座り神祖と対話をする、或いは居間であってもテレビを消して長呼吸法を行う等は大切です。

・教えの出口

 二つ目の教えの出口が、筆者が今回述べたいことでした。幾ら優れた教えでも、入れるばかり・貯め込むばかりではいけません。知識と同時にストレスを()めるようでは、先ほどの話のようにおかしな方向に爆発させることにもなりかねませんし、資料集めに安心して無気力となります。

 祭式を習えば実際に祈願祭をすることが無くとも、本院や教会の祭官奉仕をすることです。

 霊魂観を学べば、その居場所を意識して本院や教会・産土神社・家の神殿・墓を大切にすると共にそれを家族や知り合いに伝えることです。

 こうした出口を沢山知り・作り・使う(出す)ことを、是非心掛けましょう。

 個人の災難のみでなく、地域や社会の災難もきっと祓われることでしょう。