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2006−7
H.18.7月号 ― 父への追想と教えの受け継ぎ *生々化々< 御教えの 神の 父踏み固め 我もまた踏む 故人のお働き・ 4月25日に父は日の若宮に 式年大祭当月・翌月にもかかわらず、ご参列・ご奉仕また花や供物のお志を献じて頂いた教師・教信徒の皆様へ心から御礼申し上げます。 その 神の世界( 私たちはそのお徳を受け、一層守りの御力が大きくなるようにお祈りしましょう。 守神は私たちを守り役に立つ働きが嬉しく、祈りと感謝によってその力を一層強められるのです。 文章や短歌への思い入れ 父は余り自分から教えようとはしませんでしたが、問うと誠実に応えられ、殊に文章や短歌については、丁寧に手直しをして下さいました。 最近まで筆者が書いた文の訂正を御願いすると、全文に渡っての 春の大祭後に 原型を止めぬ修正振りに、筆者を含む多くの人が、 「神理誌に掲載されたこの短歌は、自分の名前こそ付いているものの、自分が作った歌かどうか分からない」とぼやいたものでした。 文章や短歌については、私たちの想像を絶する思い入れやこだわりがあったようです。 一つの文章に同じ言葉を使うことを嫌いましたし、祝詞と同じように、 若い頃は医者を志していたようですから、人間くさい部分はありながら、論理的な思考を心掛けていたように思います。 今月の歌について 今月は父の不在を良いことに、恥ずかしながらこの文の最初に歌を作って置かせて頂きました。 生前であればどれほど朱が入るか予想も付かず、原型を止めているか疑問です。 今月の歌…、といっても父のように来月も出来るかは分かりません。 葬儀を前に 少し解説を加えさせて頂くと、 古神道神理教の教えの成り立ち 御教えの 神の 巫部・物部氏の高祖である饒速日命が 御教祖はその教えが七十七代に渡って伝えられてきたものを、ご自身の国学や医学の素養により、現代に活用出来るようにして開示されました。 これが古神道神理教ですから、御教祖が ここが、 そこで筆者は“大成”を“ふみ=踏み”と読んで頂いたのです。 斯道とは、すなわち神道のことです。 日本は太古、信仰は神道しか無いと言う時代が長く続きましたが、その時はまだ神道という呼称も無かったのです。 西暦の538年頃に仏教が伝来し、貴族階級を中心にその教えが広まります。仏教を信奉する人たちは、自分たちの国である日本を *卑下<みずからをつまらない存在のように 『神道は文化を持たない民族の、旧式の信仰である』と思い違え、神道は段々と政治的にも圧迫を受けるようになります。 当時の神道を守る側の人たちは、仏教に対応する名前を考えるのですが、その最初に使い出したのがこの“斯道”です。 斯道とは何の飾りもない道、人が普通・自然に歩んで行く(信仰する)この道、という意味です。 その後“ 教えを受け継ぎ、新しい時代に向かう 父踏み固め 我もまた踏む 鎌倉時代くらいから、仏教は民衆にも 神道は表向きには保護され存続出来たものの、布教も葬儀も出来ず骨抜きにされてしまいました。 しかし、例えば この教えは他に比類のない自然で素晴らしい教えであり、それ故に大きな御神徳があります。 父、神理教四代管長・大教主・巫部健彦 これらの先人達が、筆者にそしてこれを読んで頂いている教信徒の皆様を守りつつも望まれていることは何か。それはまた新たに力を 生々化々。皆様、ご一緒に踏み進みましょう。 |