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                                                          2006−7

平成18年7月号 第1109号

        

H.18.7月号

自然(おのずから)(みち)  (さち) (ひこ)

(せい)(せい)()()

 父への追想と教えの受け継ぎ

*生々化々<生々(せいせい)化育(かいく)ともいい、自然が万物を育て宇宙の運行を営むこと。個々・全体がそれぞれ生き生きと生まれ変わり、育って行く様子>

 

御教えの 神の()()にし ()の道を

       父踏み固め 我もまた踏む

故人のお働き・(のこ)された者の心得

 4月25日に父は日の若宮に帰幽(きゆう)する事となり、28・29日の通夜・内葬に続き5月13日の本葬には数多くの方々にお見送り頂きました。

 式年大祭当月・翌月にもかかわらず、ご参列・ご奉仕また花や供物のお志を献じて頂いた教師・教信徒の皆様へ心から御礼申し上げます。

 その霊魂(みたま)は御教祖を始めとする歴代管長のみでなく、本教の高祖(こうそ)饒速日(ひぎはやひの)(みこと)とその教えを伝えた巫部家の御先祖、同じく既に帰幽された教師・先人達と共に、天地を逍遙(しょうよう)されることになります。

 神の世界((かくり)())に帰られても、私たちの世界((うつし)())とを行き通う、私たちの守神となられるのです。

 私たちはそのお徳を受け、一層守りの御力が大きくなるようにお祈りしましょう。

 守神は私たちを守り役に立つ働きが嬉しく、祈りと感謝によってその力を一層強められるのです。

 

文章や短歌への思い入れ

 父は余り自分から教えようとはしませんでしたが、問うと誠実に応えられ、殊に文章や短歌については、丁寧に手直しをして下さいました。

 最近まで筆者が書いた文の訂正を御願いすると、全文に渡っての(しゅ)が入り、文面が真っ赤っかとなったものです。

春の大祭後に(もよお)される(さち)(ひこ)(しゃ)への献歌祭は、応募された方はご存じですが、その多くを添削(てんさく)して下さいました。

 原型を止めぬ修正振りに、筆者を含む多くの人が、

「神理誌に掲載されたこの短歌は、自分の名前こそ付いているものの、自分が作った歌かどうか分からない」とぼやいたものでした。

 文章や短歌については、私たちの想像を絶する思い入れやこだわりがあったようです。

 一つの文章に同じ言葉を使うことを嫌いましたし、祝詞と同じように、対句(ついく)や重ねなどの手法を使う姿勢は、理科系の学者を思わせるようでした。

 若い頃は医者を志していたようですから、人間くさい部分はありながら、論理的な思考を心掛けていたように思います。

今月の歌について

 今月は父の不在を良いことに、恥ずかしながらこの文の最初に歌を作って置かせて頂きました。

生前であればどれほど朱が入るか予想も付かず、原型を止めているか疑問です。

 今月の歌…、といっても父のように来月も出来るかは分かりません。

 葬儀を前に喪主(もしゅ)の挨拶を考えているうちに思いついたものを、書き表してみました。

 少し解説を加えさせて頂くと、

古神道神理教の教えの成り立ち

御教えの 神の()()にし、というのは、御教祖は多くの他教団のように、決してこの本教(もとつおしえ)をご自分の頭の中だけで構築(こうちく)たものではないからです。

 巫部・物部氏の高祖である饒速日命が天照皇(あまてらすすめ)大神(おおかみ)から(しん)()(さい)()()(つかさど)(めい)を受け、二代宇麻(うま)志麻(しま)知命(ぢのみこと)から十代五十(いそ)言宿祢(ことすくねの)(みこと)の時代にまとめられた神道の教義が元にあります。

 御教祖はその教えが七十七代に渡って伝えられてきたものを、ご自身の国学や医学の素養により、現代に活用出来るようにして開示されました。

 これが古神道神理教ですから、御教祖が大成(たいせい)された教えであり、勝手に創造したものではありません。

 ここが、天造教(てんぞうきょう)人造教(じんぞうきょう)との違いです。

 そこで筆者は“大成”を“ふみ=踏み”と読んで頂いたのです。

斯道(しどう)は神道

()(みち)の“斯・道”という字は、正に()(どう)()であり(どう)なのです。

 斯道とは、すなわち神道のことです。

 日本は太古、信仰は神道しか無いと言う時代が長く続きましたが、その時はまだ神道という呼称も無かったのです。

西暦の538年頃に仏教が伝来し、貴族階級を中心にその教えが広まります。仏教を信奉する人たちは、自分たちの国である日本を卑下(ひげ)して、

*卑下<みずからをつまらない存在のように(いや)しめ、へりくだる>

『神道は文化を持たない民族の、旧式の信仰である』と思い違え、神道は段々と政治的にも圧迫を受けるようになります。

当時の神道を守る側の人たちは、仏教に対応する名前を考えるのですが、その最初に使い出したのがこの“斯道”です。

 斯道とは何の飾りもない道、人が普通・自然に歩んで行く(信仰する)この道、という意味です。

その後“惟神道(かんながらのみち)(自然・神の御心のままの道)”や“本教(もとつおしえ)(本来の教え)”などとも呼ばれながら、“神道”という名前に統一された歴史があります。

教えを受け継ぎ、新しい時代に向かう

父踏み固め 我もまた踏む

 鎌倉時代くらいから、仏教は民衆にも浸透(しんとう)しますが、決定的なのは徳川幕府が寺請(てらうけ)制度(せいど)を採用し、仏教徒でなければ戸籍(こせき)がない(人間扱いされない)としたことです。幕府は天皇(=神道)の宗教的な権力を奪うことで政権の安定を目指したのです。

神道は表向きには保護され存続出来たものの、布教も葬儀も出来ず骨抜きにされてしまいました。

 しかし、例えば本教(ほんきょう)(神理教・巫部家)のように連綿(れんめん)と古神道の教えを受け継いできた神社や家も、極少数ながらあったのです。

 この教えは他に比類のない自然で素晴らしい教えであり、それ故に大きな御神徳があります。

 父、神理教四代管長・大教主・巫部健彦大人命(うしのみこと)は、御教祖の教書の活字化を通じて、御教祖が・巫部家の御先祖が・また二代三代管長を始め、本教の先人が歩まれた道を辿(たど)り踏み固められました。

 これらの先人達が、筆者にそしてこれを読んで頂いている教信徒の皆様を守りつつも望まれていることは何か。それはまた新たに力を()(おこ)し、知恵と汗を出して斯の道を広めることだと言えます。

 生々化々。皆様、ご一緒に踏み進みましょう。