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                                                          2006−6

平成18年6月号 第1108号

        

H.18.6月号

自然(おのずから)(みち)  (さち) (ひこ)

(さと)りと日々の心構え2ー

  人はどこから来て、どこへ行くのか

 

悟りの次は?

先月は生老(しょうろう)病死(びょうし)祈りについての、御教祖の悟りというか真理への理解についてお話ししました。

どの宗教家や哲学者の認識より分かり安く、理路整然としていることにお気づきのことと思います。

しかし悟りや真理に達することも大切ですが、私たちにとってより大事なのは、それをどう生活に活かすかということです。

いくら悟り・真理に達したからといって、ただ知っているだけでは何にもなりません。

本教(古神道・神理教)の教えは、死後のみではなく此の世を神の世にする教えです。

此の世をしっかりと楽しく生きる中で、神祖に感謝をし自分と先祖の罪穢れを解いているからこそ、死後もその楽しみが続くのです。

 その悟り・真理は、世の為人の為に活かし役立つものとするべきなのです。

 ただ悟り・真理を深めるだけに精力を使い果たすことなど、決してするべきではありません。

 

(しょう)(ろう)(びょう)()・祈り、の悟りをどう活かすか

・生についてはいかがでしょうか。

 先月の真理に基づき、神から生=息=気を戴いたことに感謝し喜び、感謝と喜びがより大きな気を戴けることに気付き、感謝を形に表すことです。

 祭りに参列し・神前奉仕を行い・教えをより深く学び周囲の人と分かち合うことです。

・老についてはいかがでしょうか。

 先月の真理に基づき、(おい)()う=責任が増え頼りにされるに耐える自分を意識し、誇りを持ち役立つことを喜びとして働くことです。

 働くのは自分や家族の生活を支えると同時に、その本言(ほんげん)(その言葉の本来の意味)は(はた)(らく)で、周囲の人を楽にしてあげることなのです。

・病についてはいかがでしょうか。

 先月の真理に基づき、神から御先祖を通して戴く気が()むことのないように、大元の神に祈り自分や御先祖の(つみ)(けが)れを祓えばよいのです。

 病気は罰ではなく、神祖からのお知らせと受け止め、対処(たいしょ)療法(りょうほう)(悪い部分だけを治す)だけでなく、そのお知らせの基の神理(ことわり)を学ぶことが大切です。

・死についてはいかがでしょうか。

 先月の真理に基づき、故人の霊魂がちゃんと神の国(日の若宮)に帰られるようにしなければなりません。

 故人の霊魂が罪に沈んで黄泉(よみ)の国へ行かぬように大元の神に祈り、日の若宮から子孫を助ける役割に気付きその仕事を楽しむべきなのです。

 

・祈りについてはいかがでしょうか。

 先月の真理に基づき、神の明かり(=御心・大霊)を自分の心に入れ一体となる方法の一つを示します。

願う前に、まず心を清め()()ますことです。

心が澄めば、自然と神は寄り添って下さります。

神前に心を静めて進み、姿勢を正しくして懸命に、『我が心清々し』『天在(あめにます)諸神(もろもろのかみ)守り給え(さちわ)い給え』を何度もお(とな)えする時間を普段から持ちましょう。

 

悟りは既に開けている3

人はどこから来て、どこへゆくのか・顕幽(けんゆう)一貫(いっかん)

 最近、筆者の仕事を話した時に、こうした質問を二回ほど続けて受けました。

 その仕事が神主や牧師やお坊さん、と聞くとこうした質問をぶつけてみたくなるようです。

 他教や本教以外の神道の教えでは、どう解説しているのでしょうか。

 筆者は『本教大意』などをお取り次ぎして、次のようにお話しします。

 人は神から創られたのではなく、神の分霊(ぶんれい)(わけみたま)を(うつ)して戴いた、言わば神の血統を受け継いだ神の子孫です。

幽界(かくりよ)から

 人はどこから来たのかというと、つまり神の国である日の若宮から、祖先・父母を通して此の世に(顕世=現世)生まれて来たのです。

顕世(うつしよ)

 そして生きている間に、世の中に役立つ働きを楽しみ感謝をし、自分と御先祖の罪穢れを祓いながら、また日の若宮へ帰る準備をします。

 

・幽界へ

 人はどこへゆくのかというと、死ぬと幽界に帰りますが、そこでは行き先が幾つかに分かれます。

1.生前に罪穢れに染まってもその都度に祓いが行われている霊魂は、その気軽く日の若宮に(かえ)(のぼ)(こま)った子孫を助けることを役立つ喜びとします。

2.生前の罪穢れに染まったままの霊魂は、その気重く黄泉(よみ)の国に行き困った子孫を助けることが出来ない(役に立てない)というもどかしい苦しみを受けることになります。

3.また、そうした苦しみを以て祓いとすることに()(まど)躊躇(ちゅうちょ)して黄泉の国にも行かず、(ぼく)(せき)(すい)()()くという中途半端な苦しみを受ける霊魂もあります。

 こうした日の若宮にも黄泉の国にも行かない霊魂は、顕世で神祖の守りの薄い人に取り憑いて、生前の諸欲を満たそうとし、より苦しむこととなります。

 

顕幽一貫、の悟りをどう活かすか

 1.についてはそのままで良い・幸せなものの、問題は2.3.です。

 そこで、生きて顕世にいる私たちが重要な立場にいる、ということに気付かねばなりません。

 生きている私たちこそが大元の天在諸神に御祈願の祭りを行い、そうした御先祖の罪穢れを祓うことが出来るのです。『生は死に優先する』と言われるのは、こうした点に起因するのかもしれません。

 顕世にいる私たちの自覚次第で、幽界→顕世→幽界の一貫した幸せを左右していることに気付き、祈りと祭りを中心とした生活を心掛けましょう。

 悟りは全ての人のものなのです。