自然(おのずから)の道(みち)

幸 彦
(さ ち ひ こ)

神の信頼を得るには
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不信の元は?

今年の3月まで、北九州市私立幼稚園連盟の役員を奉仕させて頂きました。

筆者と一緒に役を終わる方が、

「私は就任する前からあった自分への不信感を、とうとう拭うことが出来ないまま辞めることになった。一生懸命やったつもりだったが残念だった」と言
われました。筆者は「私は大変勉強させて頂いた。

先生への不信感というのは実は私も就任の前に聞いていたが、任期を通じてそんな方でないのがよくわかった。他の役員もそう感じたと思う。

一度持った先入観というのは簡単にぬぐえるものではないかもしれない。

だが努力の様子は感じ取れたし、無駄な時期を過ごされたわけではないと思う」とお話ししました。

しかしどうして2期4年も務めて、拭われる部分が本人も感じるほど少なかったのでしょうか。

筆者が観察するに決して悪い人ではないものの、本人の言葉にいつも他人への不信感を感じました。

執行部への不信や人を見下げるなど、多くを他人の悪い部分に囚われているようで、自分を省みたり前向きな意見を出すことが少なく感じました。

他人や物事の暗・濁・邪・曲など、陰の部分に囚われると、他人からも同じように見られてしまうものです。

他人や物事の明・清・正・直など、陽の部分にも目を向けたいものです。

他人に信頼されないの(不信の元)は、ご自分が他人を信頼出来ないところに原因があるのです。

神に対して信仰の心なき人は…、ある人は…

御教語の第3節に、

神に対して信仰の心なき人は、人に対しても信用せられぬがあります。

“神を信用しない人は、他人も信用しない(出来ない)人であるということです。そうなれば、“他人からも信用されず、引いては神からも信用されな
い人になる”
ということなのです。

神を信仰(信用)しないと自慢する人も、他人に信用されないと困ったことになります。

他人に信用されない原因は他人を信用しないから、ということに気付きたいものです。

ここに気が付き他人に信用される生活を送る心地よさを味わうことが出来ると、神からも信用して戴くことの大切さに気付くことが出来ます。

そうなれば、神を信仰(信用)することへの一貫性に気付き、大きな安心を戴くことになるのです。

子どもへの信頼とは-教えたがりの大人-

最近の教育界は、今だに幼児期から数字や文字等知識や技術習得にこだわるところも有りながら、自主性を重んじる学校も増えてきました。

例えば小学校で学ぶべき物を、幼稚園や保育園で先取りして教えるのはどうでしょうか。

子どもを信頼するから教えるというのは、筆者は考え違いだと思います。

教えれば出来るからと、あれもこれもと教え込む内に、一番大事な自主(自分で学ぼう)という力を失い学校の荒廃を招くことになります。

自分で学ぶより習い教わる方が3倍早いと言われますが、教育にはその両方の使い分けが必要です。

得てして大人は子どもに教えたがるものですが、必要の度合いを超すと思わぬ大きな害を招きます。

発達課題を超えた知識を植え付けるのは、子どもが出来ると言って信頼するからでなく、実は教えたがる大人の子どもへの不信感ではないでしょうか。

教えるよりは発見の機会を提供し、それを喜びと伴に分かち合うのが子どもを信頼することです。

神と祖先を信頼出来ないと

神と祖先を信頼出来ない人は、自分しか信頼していないようで、実は自分自身も信頼してないことが多いようです。

他人を信頼していない分自分を信頼しているのかと言えば、そうでもないようです。

目に見えない神や祖先を信頼出来ないと、他人も同じく信頼出来ません。引いては自分を信頼出来ず、自信のないまた意固地な性格に陥ります。

そうなると自分の考えを組み替える柔軟さに欠け、世間の波というか新しい局面に立った時、対処出来ないことになります。

吝嗇(金品を使うことを極端に惜しむ・けち)やこだわりに囚われ身動きが出来なくなるのです。

神と祖先を信頼出来ると

神と祖先を信頼する人が『自身を信頼出来ない』と言うのは、神と祖先の距離を気にするからで、それは健康な心配に過ぎません。

神を信頼するからこそ、神と祖先から離れた自分が指針を見失うことを知り、その言葉が出るのです。

神と祖先を信頼出来ると、今まで自分が培ってきた経験や知識を一旦神祖にお返ししても、例えば洗濯をするようなものと安心出来ます。

『我が心清々しい』の心で、いつでも自分の心を無にしたり組み替えることが出来ます。

幸福の青い鳥を探す西洋の童話と同じで、神や他人からの信頼が得たいならば、神を信頼することに気付くことです。


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                                                          2006−4

平成18年4月号 第1106号