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                                                          2006−11

平成18年11月号 第1113号

        

H.18. 11月号

自然(おのずから)(みち)     (さち)(ひこ)

―深いのに簡単な神道の奥義(おうぎ)

 

神道の“し”

『神道の教えは!』などと始まると、『神道の“し”』の字のところで逃げ出したくなり、それが乗り越えられても『教えの“お”』の字のところでる頭が痛くなる人がいるのではないでしょうか。

まして『宗教の“し”』や『奥義(おうぎ)の“お”』などと言うと、気分が悪くなる人も出るかもしれません。

実は筆者もそんな時期がありましたから、よく分かります。

自分の全く知らないと思い込んでいる分野に踏み込むことに興味を感じる人もいますし、反対に恐れを(いだ)きまた鬱陶(うっとう)しく感じる人もいます。

しかし日常の生活の中に、そうした教えや自分を暖かく見守っている存在があることに気付けば、本当は見過ごせない大切なものであったことが理解出来ます。

 

素晴らしい世界

筆者の子どもの時に発行され今も売れ続けている『星の王子様』で、著者のサン=テグジュペリは登場人物に次のように言わせています。

「本当に大切なものは、目に見えないのだよね」

 筆者は近年に至るまでこの言葉の、奥は深いもののそんなに難しくない意味が理解出来ていませんでした。

 幼い時(精神年齢)に読んだからか感性が不足していたのか、不思議な夢の世界に降り立つ魅力(みりょく)は感じたものの、何十年も読み継がれていることに疑問さえ感じていたものです。

 しかしほんの少し勇気を持って注意を向ければ、素晴らしい世界に足を踏み入れることが出来るのです。筆者は本院に帰り信仰に接し学び始めてから、『素晴らしい世界・大切なもの』に気付く機会を与えられました。

 いわゆる霊感・霊能など、宗教に対して特殊に受け取られる以前の世界があるのです。

 それは例えば次の様な感覚です。

 

素晴らしい日本人

 自然の移り変わりやそれを人生に反映して考える情緒(じょうちょ)と日本人の信仰は、深く関連しています。

 日本人は昔から虫の声がただの雑音ではなく、音楽のように感じることが出来ます。

自然の繊細(せんさい)な美しさを感じ、例えば他国語に訳す言葉のない『わび・さび』や『もののあわれ』は日本特有の優れた情緒感覚を現しています。

こうした情緒の(みなもと)に、神や先祖への信仰があるように筆者は信じます。

 私たち現代人が、いかに目に見える物だけに心を奪われていることか。

 

真の天才の発見したもの

天才は新しい物を発見したり発明したりする人のことだけではない、という話しを聞いたことがあります。

真の天才は私たちが住んでいるこの世界で、誰もが見たり体験したりしているけれど気付かない真実に気付く人だというのです。

本教には八十代に渡り生きて行くための真実を伝える教えが伝わり、御教祖が大成されています。

日常生活に存在し日常生活に活かせるこの素晴らしい教えを、私たちは学び活かし世に役立てて行かねばなりません。

 

()霊祭(れいさい)で・(すず)や拍手

秋分の日恒例(こうれい)の祖霊祭の教話の一部で、拝殿正面の鈴について次のような話しをしました。

「皆様の中には神社の(すず)を、呼び(りん)のように思っている方もおられることでしょう。

でも神様はいくら私たちが足音を忍ばせて(うかが)っても、いつでも目と心を向けておられます。

鈴は神様を呼ぶためではなく、その音によって私たちの心を清めるための神具なのです。」

鈴は音(音霊(おとだま))によって私たちの不意(ゆくりなく)(無意識の内に)犯した罪穢(つみけが)れを祓うものです。

拍手も同様ですが、鈴は手間を掛けたこともあるのか、特に祓う霊力が強いと信じられてきました。

続いてその場で失念したお賽銭(さいせん)のお話しをここでさせて頂きます。

 

祖霊祭で・お賽銭(さいせん)や神前奉仕

 お賽銭を奉納するのは、神様への願い事の代金や祭りへの参加費だと思う方もおられるでしょう。

 そうなると、人というものはより安くお願い事を聞いてくれたり、より安い参加初穂料の神社を探したりするという心の動きになりがちです。

お賽銭は願い事の代金や祭りへの参加費ではなく、やはりその行為によって私たちの心を清めるための祓いなのです。

神話の素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、八岐(やまたの)大蛇(おろち)を退治する功績をあげる以前に神の世界で罪を犯し、その(つぐな)いの一部を財産刑でさせられました。

祝詞(のりと)の『()(くら)(おき)(くら)に置きたらわして…』というのがそれです。

私たちは自分が不意(ゆくりなく)犯す罪穢れを認めるとしたなら、素戔嗚尊のように財産を奪われるのではなく、こちらから受け取って頂こうという心がけ・古来の知恵が伝わったものがお賽銭です。

願い事の通じるか否かは、御神徳の大小の以前に、願う私たちの心掛けにあるのです

神前奉仕も、人に言われて仕方なく行ない、頼まれてしてあげているものではありません。

そうなると、時間つぶしや心の()もらない奉仕となり、(かえ)って罪を作ることになります。

そうした人は良いことをしたにも関わらず、

「折角神前奉仕をしてやったのに、神社の対応は悪く良いことは無い。」と思ったり口に出したりして、益々(つみ)(ふち)()ちて行くことになります。

お賽銭も神前奉仕も祓いであることに気付き、誠意を尽くす心がけが大切です。

 

神道の奥義・祓い

では何故祓いが大切なのでしょうか。

筆者は神道の大学や実習に言った神社でも、また本教に帰ってからも、

『神道は、一に祓い・二に祓い・三・四がなくて、五に祓い』と教えられてきました。

しかしその時、筆者はこの意味が『星の王子様』の「本当に大切なものは、目に見えないのだよね」と同様に理解出来ていませんでした。

人は神の子(神から創られたのではなく神の子孫)、量は違っても神と同質の存在なのです。

この本教の教えに得心が出来れば、祓いの大切さは自然に理解が行きます。即ち祓いが神の心に立ち返らせ、それによって神に通じ、神の大きな徳を願わずとも戴くことが出来るのです。

祓いが大切なのは、こんな簡単な理由からです。神道の奥義の一つは祓いにあります。



季節のことば
 七五三


元は公家や武家の行事ということですが、着飾った子ども達が千歳飴をもつ姿に目が和みます。
日にちを旧暦(陰暦)の十一月十五日に決めたのは、徳川五代将軍綱吉でその子の徳松の祝いをしたから、とも伝わっているようです。
現代も日にちは変わらず新暦に移行しましたが、陰暦に併せて日にちの変わる行事もあり少しややこしいですね。
七歳の女の子の帯解き(紐落し)・五歳の男の子の袴着・三歳の男女の髪置と男女に分かれますが、三回とも行う家庭が多いようです。
七五三の呼び方は、明治に東京のデパートの販売作戦から始まって盛んになり、全国に言い習わされてきたようです。
七五三はお祝いであると共に、子どもの厄祓いの意味も兼ねているのは、やはりこの年で大病にかかる子どもが多かったからです。
大元の神のおられる本院や教会で是非お祓いをされ、子ども達が本来の神性を発揮して健康な心身を養うようにされて下さい。