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                                                          2006−10

平成18年10月号 第1112号

        

H.18.10月号

自然(おのずから)(みち)  (さち) (ひこ)

―お盆(先祖祭り)は日本古来の習慣

        私の妻は極楽・地獄?

 

 今年の8月は、4月25日に帰幽(きゆう)された筆者の父四代管長の初穂(はつほ)見祭(みさい)(初盆)を、瀬戸局長の斎主の元に執行しました。

 そうした年回りなのか、高校の同級生も父親を亡くした者が数人います。

8月中旬に穂見祭(ほみさい)の教徒の家(*1)巡拝(じゅんぱい)が終わった夕刻に、筆者が同窓生の家に訪ねたり、同級生に訪ねられたりしました。

*1巡拝<本院では穂見祭(お盆)の時に教徒(宗旨が神道・神理教)の家々の霊殿をお祓いに伺う。

その中で興味深かった、お盆にまつわる話題が2つほどあるので、紹介したいと思います。

 

@神道でもお盆があるの?

同級生の父上のお参りに行った時のことです。

そちらの家は仏教徒でした。

そこで(たず)ねられたのが、「えぇ!神社の家でもお盆をするの?

 神道の習慣を知らないから、巫部(かんなぎべ)の家はどうしたものかと相談していたのだよ。

 自分もお参りに行きたいけれど、いつ・どんな風にして行けばよいの?」と聞くのでした。

 

言葉の由来ーお盆(日本の習慣)

どうも、お盆は神道が仏教の真似(まね)をしている、と思い込んでいるようです。筆者は、「期間や故人への気持ちなどは、あなた達と一緒だよ。お盆は仏教が日本に入る以前から日本に在った習慣で、それを仏教が教化のために取り入れたものだよ。」というところから、“お盆”という言葉も仏教用語に言いかえているけれど、本来は祭盆(さいぼん)三方(さんぼう)などの(うつわ))に神祖へのお供え物を盛った事から“お盆”と呼ばれた話をしました。

「仏教の習慣と思われているものが、実は日本古来の習慣であることが多いよね」と話すと、「へぇ!」と驚いています。

お盆は日本人(古来の人間)固有の習慣です。

 

言葉の由来ー穂見祭(先祖と会う)

筆者はこの際ですから、もう少し蘊蓄(うんちく)(かたむ)けることにしました。

「どちらかというと、神道では“お盆”というより“穂見祭”という言葉を使うよ」から話し始め、穂見月(旧暦の文月)の先祖祭りであったことから穂見祭と呼ぶことを説明し、ちょうど8月は稲の穂が見えることに注意を向けました。

 文月は“文や手紙を書く月”というより、“稲の穂が見える月”の意味合いが強いのです。

更に、稲穂の“穂{ほ}”は同じハ行の{ヒ}に通じ、ヒは()()()と同じ意味を持ちます。

即ち、現代の8月は御先祖の霊魂(れいこん)を見る月、更に言えば御先祖の霊魂に会う→先祖祭りを行う月ということになるのです。

 この話は瀬戸局長も巫部家の初穂見祭の後で参拝者に話していましたし、、筆者も今年の初穂見祭の家でお話ししました。

皆さんご存じの方が少ないようで、「へぇ!」という声が聞こえました。

 神理教を信奉される皆様には、お近くの教会長や本教の教師に御願いして、穂見月(お盆)には是非神式のお祓いをお(すす)めします。

 御先祖の霊魂の安定とお喜びは必定です。

 

A私の妻は今どこに?

同級生の家で一軒、親ではなく奥様が亡くなられた家がありました。

訪ねると、まだお元気な両親とは別で普段は一人暮らしとのことでしたが、大学に行っている娘さんが二人帰られていました。

「一人暮らしは寂しいよ」と言いながら、「よく地獄とか極楽浄土に行くとか言うけれど、俺には(おど)されるようで疑わしく感じられる。

 巫部、お前のところの教えでは俺の奥さんは一体どこに行ったと教えるのか?」と聞くのでした。

 

天国=()若宮(わかみや)に行くとは

「神道でも、良いことをした人は“()若宮(わかみや)”に昇り生前行った善行を天の神様に褒めて戴き、良くないことをした人は“黄泉(よみ)(くに)”に降りそこの神に怒られる、と言われるよ。

でも、何を(もっ)て“()若宮(わかみや)(天国)”と言い、何を以て“黄泉(よみ)(くに)(地獄)”に行くと言うか、ということだよ。」と筆者は話し始めました。

その時、娘さん二人もお茶を持ってきて同級生の側に座りました。

「死ぬことは悲しいとか暗いとか苦しいとか、嫌なことを思ってしまうものだけれど、実はそうではないのだよ」と話しました。

 死後も楽しみがあり、それは自分の子孫を見守ることで、見るだけでなく守る力もあると神道では信じられています。

 死後の喜びは、その力を発揮出来、世の中に貢献する子孫の生活に役立つことなのです。

 生前に罪穢れを犯しても、その度に神に御願いし善いことをして祓っている人は、心が軽くそれが出来ることが大きな喜びです。それを“()若宮(わかみや)(天国)”に行く、と言い換えることも出来ます。

 

地獄=黄泉の国に行くとは

反対に、生前には財産や勢いがあっても、他人を踏みつけにするなど罪を重ね、それを祓うこともしなかった人は心が重く、子孫を見守ることが出来ません。

いくら悪いと言われる人でも子孫は可愛いものですが、その子孫の苦しみを見ながら守ることの出来ない悔しさや、役立つことの出来ないむなしさを味わうことは大きな苦しみです。それを“黄泉(よみ)(くに)(地獄)”に行く、と言い換えることも出来ます。

 

同級生とその家族に

「ところでこの家の奥様は、今どちらにおられるのでしょう?」と問いかけました。

 ご家族のお姿を見ると、きっと良いところに行って見守る力を発揮されていることだと話しました。

 そして、これからもそうなるためには、ただ悲しむばかりではなく、一生懸命に生きて幸せを(つか)み、それを霊前で報告することで、お母さんはもっと幸せになり、もっと家族を見守る力を発揮出来るのだと話しました。同級生から、「う〜ん。神道は前向きで明るい教えだね」と言ってもらいました。

 

先祖祭りは日本古来の習慣

 お盆だけではなく、春分・秋分の日は日願(ひがん)本言(ほんげん)(その言葉の持つ本来の意味)で、これも日本人の古来の習慣です。御教祖は国学を研究する中で、これらを検証されています。

私たちは胸を張って、先祖祭りを神道で行いましょう。