背景色が選べます!

                                                          2005−9

平成17年9月号 第1099号

        

H.17.9月号

自然(おのずから)(みち)   (さち) (ひこ)

 

神に仕える気持ち

養神

 もう二十数年も前のことですが、中華人民共和国へ観光に行った方から筆書きの文字を見せて頂きました。

 向こうの国の名人上手が書いたといわれるもので、それには見事な書体で“養神(ようしん)”とありました。

日本の書家に御願いすると数十万円もするものが、安く手に入ったと喜ばれていました。

 筆者はまだ二十才代後半でしたが、

『養神とは“神を(やしな)う”というなんとも傲慢(ごうまん)な言葉に見えるが、()()の国の人は大らかなのかな』と思ったことを記憶しています。

養神とは

 最近この言葉を思い出した時に、感じることがありました。

『“神を養う”というのは、人が外側から神を養って(つく)りあげる、というように(とら)えるべきではない。“神を養う”というのは、神の分霊である自分の心の神をいかに養うか、神や神域(しんいき)をいかに尊崇(そんすう)出来る雰囲気を(かも)し出すかである。

その意味での“神を養う”というのは、日常の生活に関わることが多い。

その一つは自分の心の持ち方であり、二つ目は自分の体の使い方である』ということです。

 大きな御神徳が戴ける理由

 今年の夏期講習会は、教師としての資質を(みが)こうと熱意ある皆様にご帰院頂き、無事に終えることが出来ました。

 筆者は夏期講習会の開講式や最近の団体参拝の皆様に、

「この大教殿(しき)殿(でん)奥の(がく)()(しん)()無敵(むてき)】は、(あり)()(がわの)(みや)(たか)(ひと)(しん)(のう)で明治の神道総裁、正門の石柱に(きざ)まれた【(よう)(きょう)(あく)()(こう)(ふく)()(ところ)】はそのお子様(たる)(ひと)親王で江戸幕府討伐の征夷(せいい)大将軍(たいしょうぐん)を務められ、皇室また国家にとっても枢要(すうよう)のお方々の書です。

 また小松宮殿下には【造化大神宮】を戴いていますし、その他()(とう)(ひろ)(ふみ)(こう)(かく)(かく)神理教】や(やま)(がた)(あり)(とも)(こう)()(ない)(さい)(じょう)(しん)()(きょう)(じょう)】など、当時の政府の枢要者にも多くの本教賛美(さんび)の書を頂いています。

 それは本教がただ御神徳のみの教団でなく、日本に長く受け継がれ御教祖によって大成された教義に裏打ちされた、正しくまともな教えであることが認められたからです。

 だからこそ、御神徳もしっかりと戴け、安心してお頼りすることが出来るのです。そこで大切なのは、私たちはこの頼ることの出来る神を心から頼り、誠意を傾けるべき神に心から誠意を尽くしているか、ということです」というようなお話しをさせて頂きます。

神は私たちの大元の親であると共に、教えの上でも安心して頼れる大きな力を持つ御存在です。

だからこそ、普段から誠意を尽くしご自分の心の神を養い、家族で尊崇出来る雰囲気を(かも)し出すように務めなければなりません。

 (おこた)りの心を持つまじきこと

 怠りは御教祖の(こん)(にち)(くん)・七罪の一番始めにあげられるもので、犯しやすい罪ですから常に気を付けなければならないものです。

 本院で生活する私たちも、気が付けばこの怠りの罪に染まったり、染まった人を見過ごすという二重の罪を犯すこともあります。

 例えば、本教の私たちにすれば世界中の一点である最重要の聖域手前の式殿に、白衣も身に付けずに意味無く昇殿したり近道したり、献餞などしてはないか。

 拝殿や教祖殿で拝礼する時に、時計や指輪などの金物を身につけたり、殿内で煙草を吸ったりしていないか。

 本殿や教祖殿の出入りに、正面を使わず横入りなどしていないか。

 本殿正面の境内へ持ち運べるものを怠って、車の乗り入れなどしていないか。

 普段の拍手や拝礼や(はらい)(ぐし)にしても、正式にお参りする時の一拍・一拝・一振りを一呼吸の間合いで心を込めているか。

 自分では心を込めているつもりでも、早口で祝詞を奏上してしまっては参拝者や一緒に奏上する人には手抜きをしているように感じられるものです。

 神に信じて戴く

 御教語の第九十四節に、『ともかくも、神を信ずる人はあるが、神から信ぜられる人が少ない。…』があります。

このようなことを行ったりそれを見過ごしたりしていれば、神に信用されなくなり目上の人からの信頼も失います。また目下の人はそれを学び、不思議なことにその神を軽んじる現場を見なくても、同じ過ちを犯すことになります。

正しい行いも誤った行いも、先人が道を作っているのです。

 そんなことが繰り返されれば、本院の神は周囲の人にも軽んじられ、自分の心の神も養い育てることは出来ません。

 本殿と同じ気持ちを広める

 それは決して本院だけのことではなく、皆様が(まつ)家庭の神殿・祖霊殿にも言えることです。神と祖先に誠意を尽くさせて頂くことが、自分の心引いては周囲の人の心の神を養うことになるのです。

 信頼に足りる神を信仰しているという自信を持って、信頼に応えられるように神と祖先に誠意を持ってお仕えしましょう。

 そうすれば、神と祖先は必ずお応え下さります。

養神は養心

神を養うとは傲慢(ごうまん)に感じる言い回しながら、誠意を持って神に仕えるということです。この養神の心を持っていれば、気がつけば自分の心を養うという養心になっていた、ということになります。

また自分の心を養おうとすれば自然と真摯(しんし)神に仕えることとなり、それが養神となっていた、ということになるのです。

養神を養心と心得てご自分の心を見直せば、神祖と心を通じ合えるのです。