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                                                          2005−6

平成17年6月号 第1096号

        

巻頭のことば


形ばかりを追い求め、理屈を重ねて物事を片付ける。

「今自分があるのは神様のお陰」
「ご先祖様のお陰」
「他人様のお陰」
物事のその奥にある見えない心を感じながら、
感謝をしながら暮らしたい。
人の心・物の心、目に見えない内面の素晴らしさ
神様はそれを教えてくださっている。




               
                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
             
   親ゆ子へ 伝へ来し道 伝へ継ぎ  
               かて   つ   
      心の糧を 積むべかりける
 人生は、色々な組織との関わり合いを持ちながら、進められていると申せます。そうした組織については、結び付きの強いものと弱いものとの別がありますし、その結び付きに対する意識についても、強いものと弱いものとの別があると見受けられます。

 その結び付きの強いものと弱いものとの別とは、受けている恩恵が大きいか?小さいか?の別と申せますし、その結び付きに対する意識の別とは、結び付きの強さを相応に強く意識できたり出来なかったり、その逆であったりする受け止め方の相違!という事になります。 

  即ち我々としては、いろいろな組織と結び付きを持っているという意識が不可欠でありますが、その関係する各組織から受けている恩恵の大小と共に、組織の一員として分担している役目の軽重についても、それぞれ的確に識別把握することが、更に肝要であります。

 万物の霊長!という言葉は、紀元前から伝わる中国の古典に見られるとの事ですが、その万物の霊長!と自負できる迄には、家族や部族という集団組織の中に結束し、分担して組織の維持強化に努め、協力して貧困と危害の克服に忍苦せざるを得なかったと推測されます。

人類は、そうした貧困危害の克服に忍苦する古い時代を長々と経験する中で、健やかな体を保つための糧を求める方策を見出し、和やかな心を養うための糧を蓄える方途をたどり、それを伝える中で、心身ともに一そう豊かな時代を招来する事に成ったと考えられます。

 然しながら、恵まれて豊かで安全な日常が続く中では、次第に組織に支えられているとの意識に欠ける人が増加し、組織から受けている恩恵や分担すべき役目に対する認識の欠落した人も生じる様で、現今の異常な世情は、この点に要因するとも申せそうであります。

 中国も韓国も、古い歴史がありながら、その歴史から学ぶ事が少ないため、心にゆとりのない言動に走っている様に思われます。先祖から子孫へ!という伝統が失われた結果の不具合は、お互いの身辺にも見られる所でありますし、我々としては、呉々も時代の風潮に流されぬよう自戒し、「心の糧」を意識した生活を目指しての前進に努力したいものであります。



H.17.6月号

自然(おのずから)(みち)   (さち) (ひこ)

教えを活かす

宗教界の構成と融和(ゆうわ)

現代の宗教界の構成をご存じでしょうか、そして神理教がその中でどのような立場にいると思われるでしょうか。

現代の、(こと)に日本の宗教界はそれぞれの教団の本部同士が、外国や他の時代に比較してよく結びつき互いの情報交換が出来ています。

初期には他教批判の(いさか)いもあったようですが、現在は大変友好的です。

こうした関係は外国に余り例がなく、世界に誇れることのようです。

世界的にも世界宗教者平和会議や世界連邦会議や人権の研究会などの連絡協議会がありますが、日本はそれらの中心的な存在といえるようです。

目的

 こうした会の目的は何なのでしょうか。よく、

「宗教の目的は皆同じだ」という言葉を聞くことがありますが、筆者は少し乱暴に過ぎるように思います。ただ、

『心の平安という宗教の目的の一つを共有する宗教者が、それを通じて世界に何が貢献(こうけん)出来るか』ということが目的といえます。そこで、

『世界の平和や世界を一つの国に出来れば、という理想とそれに向かっての具体的な行動を協力して行いましょう』ということになるのです。

本教の位置(以下区別し易いよう、団体名に【○番号・名称】を付けます)

 昨今、社会に融和出来ずに反社会的な活動やわがままで独善的な行動をする教団もありますが、そうした教団はどこにも参加していません。

日本の宗教協議団体は大きく五つに別れます。

私たち神理教が参加しているのは、【@教派神道連合会(以下教派連と記します)】といって、今年で創設百十年の歴史があります。

 構成は、神道大教・実行教・金光教・黒住教・扶桑教・御嶽教・大本・神習教・神道修成派・出雲大社教・禊教と神理教(以下本教(ほんきょう)記します)です。

 明治政府に公認された、いわゆる神道十三派を中心(天理教は新宗連に移籍・大成教は未加入・大本が戦後加入)とした団体です。

 他の四つは、神社神道・全仏教・日本キリスト教連合・新宗連となります。

 その規模は、推測ですが現在一番大きいのは歴史こそ60年に満たないものの新宗連で、神社神道と全仏教が同じくらい、その次が教派神道、日本キリスト教連合が一番小さいと思われます。

 この五つの団体で構成するのが【A日本宗教連盟(以下日宗連と記します)】で、文部科学省(以下文科省と記します)の長官も参加するなど権威ある団体です。

 本教は東京の佐々木宏・長谷川量造の両教師にお手伝い頂き、今年度【@教派連】の代表となり、同時に【A日宗連】の参事(さんじ)となりました。

【A日宗連】は全国から五名の各団体代表理事と学識経験者理事一名、十六名の参事併せて二十二名から成ります。

 歴史のある【@教派連】を構成する本教などの教団は、この会に最も参加する確率が高いのです。

 また、文科省の文化庁が主催する宗教審議会にも同じ形で選出され、現四代管長様も宗教審議会諮問(しもん)委員の経験があります。

参事会での発言

 参事の任期は二年で、四月の終わりに初めての会に参加させて頂きました。

【A日宗連】では多くの議題がありますが、最近の目立つものとして《宗教法人提出書類》の情報開示問題があげられます。

 宗教法人が提出した書類については、役所でその法人の構成運営のために使用するものの、信教の自由の確保のため閲覧(えつらん)をしないことについての解釈です。

 それは文科省が閲覧をさせないと言明したものを、鳥取県が自分の県のことは自分で判断するとの見解で、独自に閲覧を許可しているという事件です。

 もう数年間も、文科省を交えての質問状や抗議のやりとりをしています。

 参議会でこの問題を含めての発言が無かったので、筆者は、

「今までのやりとりを聞かせて頂いて、県は時間稼ぎをしているように見えます。

 私たち宗教者は一般的に“怒る”ということを良くないと思っていますが、【A日宗連】として県の判断が不当である、という信念を持っているのならば“世の為人の為には怒る”ということも検討して頂きたい。

 事が(おおやけ)になるのは県の思うつぼかも知れないが、約束違反について文科省も指導の手をこまねいているのならば、具体的に書類の提出の拒否なども考えねばならないのではないでしょうか」と言わせて頂きました。

怒る時

 御教祖は()(きょう)(かい)の第七条で

『人は(いか)るとも、(おのれ)は怒ることなかれ』と教えておられますが、同時に、『自分のことなどで(おこ)ってはいけない

しかし世の為人の為に不正が行われている時にそれを怒らないのは、自分の弟子でもないし友人でもない』と教えておられます。

 こうした教えを胸に含んでいれば、日本を代表する宗教者の集まりの場でも堂々と考えを述べることが出来る、というのは有り難いことです。

 本教の教えが、家庭のみならず世界の平和にも活かされ、貢献出来ることになればと祈ります。

 御教誡や(こん)(にち)(くん)(しち)(ざい))や(はっ)(とく)を始め、今でこそ耳慣れている教えは、開教当初の人たちには、その素晴らしさに大きな感激となったことと思われます。

 これらの教えを、もう一度感激と共に見直したいものです。