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2005−1
巻頭のことば 「自分の元」は、親である。親が自分の存在の元である。 かけがえのない絶対者として、尊び拝む。 この姿勢は、先祖代々の祖(おや)たちも、「自分の元」として 仰ぎ尊ぶ心につながる。 親を想い、祖を拝む。人としてごく自然な行為である。 先祖あっての自分であることを忘却するものは、いつか、その傲慢を罸せられる。 |
かんなぎべ たけひこ |
神理教管長 巫部 健彦 |
人は皆 神の子なれば その神の |
心に通ふ 心ともがな |
平成十七年の元旦を先ずは恙なく迎える事となりました。昨日に続く今日であり、夜が明けて朝を迎えるという自然な成り行きでありながらも、それが元旦と呼ばれる年頭の朝!という事になりますと、何となく格別なものが感じられますし、まさに同慶至極に存じます。 ところで本年は、いわゆる終戦から満六十年に当たります。その間、隣り合わせの朝鮮半島でも戦争がありましたし、世界の各地で戦闘状態が繰り返されていますが、我が国自体は戦渦に巻き込まれる事もなく、従って戦禍に見舞われる事もないままに過ごして来ました。 戦争のない状態が平和!と規定できれば、平和な六十年間であったと言う事になりますが、個人生活には、それぞれなりに浮き沈みもあり、平和であったと高言できる個人は寧ろ少ないと思われます。即ち、世の中の平和とは別に、心の平和とでも申すべきものが考えられます。 尤も、世の中が平和であれば、心の平和が得やすいとは申せそうでありますし、実は、その心の平和を求める本音が、世界平和を叫ぶ大合唱になっているという側面も窺われますが、いずれにしても、我々が真に求めているのは「心の平和」である点に思い及ぶべきであります。 その心の平和は、物金など形あるものが増える事によっても得られますが、それは一時的で不安定なものであります。人間が本音で思い求めているのは、物金に恵まれず平和とは程遠い環境の中にあっても尚、次第に安定さを増しつつ得られる心の平和!という事であります。 イスラム原理主義者とされる人達の自爆が思い合わされますが、彼等の殆どは、全く無関係な人達を死傷させる非道を犯すなど、得手勝手な自己満足による自殺と申せそうでありますし、本音で求めている心の平和とは、聊か次元が異なるものと断じざるを得ぬ様であります。 心の平和は、誰もが無意識の中で求めていると申せますが、それは他人と争わず他人を傷つける事のないものであります。年頭にあたり、共々に世界の平和を祈り合いたいと思います。同時に我が心の平和なるものにも考え及び、それが確かに充足されるよう努力する事により、おのずから御神護をいただきつつ、お互いに着々とした歩みを進めたいものであります。 |
H.17.1月号 道徳の少し上は? 昨年の十一月から、神理教の周囲の方や幼稚園の保護者向けに『 公共の場やモノレールの駅に置かせて頂き、無料配布しています。 内容は“子育て親育ち”の題で子育て・生活のヒントや、七五三や大祓・お正月や節分や 『嵐山ほっと…』の十二月号(第二号)に 『嵐山…』では題を“道徳の少し上?”にしましたが、本稿はそれに“は”を付けて“道徳の少し上は?”にしています。 目に見える家族 近年、子どもが親を 不思議なもので、同じような事件は一つあると、同時に日本や世界の別の場所で起こる、ということがあります。 なぜこんな事件が起こるのでしょうか。 またこんな事件が起こらないようにするには、どうすればよいのでしょうか。 私たちが生活する最小単位は家族ですが、そこには両親がいて兄弟姉妹がいます。 この大切さを意識出来ていれば、こうした事件は起きにくいと思われます。 ここまでは学校でも教えてくれる道徳の基本です。 そうはいっても、これをちゃんと伝えられる学校の先生が果たしてどのくらいいるのでしょうか。 最近は自殺をインターネットで示し合わせて行うという事件も続きますが、生きるということはそれほどつまらなく価値の低いものでしょうか。 家庭は心の基地で、しっかりとした基地を持っている人は我慢強く、 目に見えない家族 目に見える家庭は4・5人ですが、 また家庭には子どもがいて、その子どもにも子ども達が生まれてゆきます。 家庭には目に見える家族の他に、ご先祖と子孫という目に見えない家族がいるのです。 そこに気付ば、私たちは目に見える家族だけでなく目に見えないご先祖に支えられ、目に見えない子孫の為に今があることに気付くことが出来ます。 ここに気が付き意識出来れば、動物でも行わない親と子の暴力や自殺、また自分勝手で不道徳な行動は無くなり、皆が気持ちよく過ごせる世の中になります。では、どうすればそうした意識がしっかりと 筆者は日本人が昔から行ってきていま 道徳の少し上?、というところでしょうか。 学校では教えてもらえないことですから、是非ご家庭で、ご夫婦でお伝え下さい。 悪い事件と反対に、良い習慣を行うことが、不思議に日本中・世界中に広まればと、祈ります。 以上が寄稿の全文ですが、筆者はこの“道徳の少し上” 信仰というと人は皆 |
*** 教 祖 の 道 統 *** 教祖の道統(52) 佐野豊氏著 長崎教会 教会長 大教庁式務局長 花岡勝成 現代語化 第五章 教祖の神人関係 第三節 除悪の儀 凶悪を除去する為に 本章にて悪が起こる原因や悪の種類について説明したことから、その悪より善へ移る方法が必要である事を認められたと思います。 そこで、これから私達が向上発達する為に、障害になる凶悪から離れこれを除去する方法について、大体の要点を説明しようと思います。 除却を二つに分け、一つを忌斎とし一つを解除としてお話します。 一、 忌斎 ・忌斎の意味と忌斎神事の種類 忌も斎も共に【イミ】であって、斎い慎むとの意味です。 忌斎は重要な神事の一つであり、神を祭り又神を祭る際に献上する物には必ずこれを行ないます。 神事には、散斎(荒忌み、とも言い神事を任せられて居る人が真忌み{神祭の当日に行なう厳重な潔斎}の前後に行なう軽い斎戒)や致斎(神事にたずさわる人が前もって行なう斎戒)等の日時が定められます。 その定められた期日の間は、飲食はもちろんの事起居一切は清浄を旨として、不浄不潔のものには接してはならないと定められています。 伊勢神宮の斎王(即位の初め、伊勢神宮や加茂神社に奉仕した未婚の内親王又は女王)は未婚の皇女の中から卜い定め、三年間野々呂宮(ノノミヤ、とも読み素朴な作りの潔斎所)にて潔斎した後、伊勢に参られ斎宮に入られます。 又古来の神事に忌火(斎い清めた火)を用いていますし、天照皇大神は忌服屋【伊美波多夜】に入られて神御衣を織られた【忌服屋は日本書紀には斎服殿、織殿とあり、忌みと同じく斎い慎むと言う意味】様に、忌斎は神代より今日に至るまで行なわれている重要な儀式です。 又単に器物や肉体のみを清めるだけではなく、心の清浄も伴わなければなりませんし。 もちろん禊でも祓いでも皆この理に基ずいて心身が清められ、始めて神に仕える事が出来るのです。 ・忌斎の本言 さて、忌斎は共に【イミ】と読みますが、元々この伊牟という言葉は伊豆が本言です。 伊豆は汚れをそそぎ祓って明らかに又清くなるという意味で、明津が約まった言葉です。 【阿伎は伊と約まる】であり、要するに《斎い清めてやる》との意味を伊豆と言うのです。 伊都久・伊波布・伊牟等も皆、罪穢れを除いて清明にする意味ですから、皆伊豆より出たものです。 やがてその文字に習い、伊都久は敬う事に・伊波布はことほぎ(祝い)の事に・伊牟は忌み嫌う事になって、別々の意味の様に見えますが、その本は皆伊豆の明らかで清いという意味です。 又、斎忌(祭場)、斎庭等の斎も伊豆と同意で語も本は一つです。 清明なる語(言葉)であすから、忌も斎も共に不浄を忌み嫌う意味です。 そうして、この意味はすでに穢れに触れている者が、この忌斎によって穢れが除かれることです。 ・忌斎を行う二つの場合 例えば身内に不幸(死)が起こる事によって親族の者が不浄に接したり、又身に不浄がある場合は、一定の期間内忌斎していれば、時間の経過と共に不浄が消滅するという事です。 又穢れには未だ触れて居ないが、重大な神事を行なうに当たって、前もって忌斎して穢れに触れない様に勤める、という事です。 忌斎は、以上の二つに別ける事が出来ます。 死者(不幸)を出した家は一定の期間外出しないとか、神社・教会・神棚への参拝を遠慮することがあります。 これは前者に属するもので、現在に於ても忌服令(喪に服する)として残っています。 *編集より ここで遠慮をするとあるのは、まだ死者への悲しみに暮れ、心も乱れ落ち着かない状態での参拝を控える、ということだと思われます。 いわゆる喪中の神社や教会や家の神棚への参拝について本教では、 『死者に対しての慎む気持ちがあれば、参拝して良い』としています。 御教祖の書かれた“神理教葬祭式”には、『…忌みはアカリ・ミ(明かり・見)ということにして、己を正しく身を以て死者の為に冥福を祈るものなれば、神社教会に参拝することは差し支えなし。…』と教えられています。 神社や教会によっては、何かの先入観から参拝されるのを嫌うところもあるようです。 そうしたところへ無理矢理に押しかけるのは、控えた方がよいでしょう。 また神職が祭典に奉仕する時、前以て潔斎をして、一室に閉じ込もり穢れのない様に勤めることがあります。 これは後者に属するもので、厳粛に行なわなければなりません。 この様にして初めて、神に奉仕し又神と交感(両方が触れ合って感じる。又両方が交わって働き合う)する事が出来るのであって、それは昔も今も変わらない一貫した神理です。 忌斎はこの様に大切な儀式であり、神道宗教上にとって一大修業法であります。 二、解除 ・人は何故、忌斎から解除に進むか 忌斎は自然に穢れが去るのを待ち、又は穢れに触れない様に勤める方法であって、不浄を嫌い清浄を好む人間本性の要求です。 この要求を一歩進めれば、この様な消極的な方法では安心や満足が出来ない為、忌斎以上の手段を求めるという事になるのです。 人は何故穢れが去るのを待つ事が出来ず、積極的な方法を求めるのでしょうか。 それは穢れが非常に激しい時こそ、向上心も最も強い時だからです。 *編集より 陰と陽によって物事が成り立つという神の理は、前第二節・四の災で詳しく説明されたように、例えば善と悪が相互に刺激し合いながら良い方向へ進んで行くことを教えています。 神の分霊をもつ私たちは、穢れが激しい時にこそ、向上心を刺激されるのです。 忌斎の場合は穢れは比較的軽く、その為自然に散失します。 また、まだ穢れに触れては居ないし、触れない様に勤めるのが忌斎ですから穢れも極小さいものです。 反対に穢れが非常に強い場合、心身の清浄をも強い方法を求めますから解除が必要になるのです。 しかし、解除は穢れのみか罪過ちをも解除する方法ですから、忌斎と違い取り扱う範囲も広く、強い意味を持っています。 御教祖はこの事を、 【是(罪)変じて大きくなれば家に及び、病となり災いとなる。 故に(だから)これを避けざるを得ず(避けなければならない)。 これを避けるには神の心に適うを要する。 これを解除と言う。 つつみたるものをほどくの意味なり。 悔悟(前非を悔い悟ること)・告白などは心に属し、喜捨・勤労・克己(己に勝つこと)・慈悲の諸徳は体より生ずるものなり】と教えられています。 即ち、解除とは『包み隠したものを解く』の意味であり、その結果清明にするというものです。 ・解除の実行方法 その実行方法として、全ての包み隠している罪・過・穢(罪・過ち・穢れ)を告白し悔悟して謝罪する事は心の「行」に属します。 更にその告白・悔悟によって、喜捨・勤労・克己・慈善は体行に属します。 この体行によって神の御心に叶い、人の本性に立ち帰る事が出来るものである、という事を諭されたのです。 尚、この心行と体行とは決して別々に離して行なうのではなく、必ず二つが相一致して行なってこそ初めて効果があるものです。 心行のない解除もなければ、また体行のない解除も有り得ないのです。 必ず心行に体行が伴って解除の意は成立するのですから、二にして一であり一にして二なのです。 この心身の解除が昔から伝わっているのが禊と祓いです。 今からこれについて研究しましょう。 第5章、第三節、二解除おわり。 次は三ミソギ ハライ |
神理未来委員会が考える 「七罪八得」 「貪」(むさぼ)り心について 三重県北勢教会 k.t 私こと気が付けば早いもので、五十路真っ最中といった所です。 今回、「貪りについて」テーマを戴き幼かった当時を昨日のように懐かしく思い出しすことができました。 幼心に思ったこと すでに物心も付いた昭和30年前半のころ、その当時父は、働き盛りでしたが、昼食といえばサンマ一匹と梅干しの入った弁当を持ち、夜遅くまで骨身惜しまず一生懸命働く毎日でした。 今のように自動車や重機のような機械類は無く、鶴嘴(つるはし)やスコップ等を使用しての重労働の日々を送り、苦しい生活のために休みの日といえども休む暇もなく畑で菜種(なたね)や薩摩芋など農作物を作っておりました。 畑に行く際には、私と姉を乗せた大八車は山坂越え長い時間揺られながら行きました。 その様な両親の背中を見て育ちました。 仕事柄父の体は、筋肉隆々で重量挙げ選手をも思い出します。 そのように苦労してきた尊敬する父には「大きな大きな金メダル」を捧げたい。 田舎暮らしをしていた私どもの生活は(今も田舎として変化していませんが)その当時プロパンガスが復旧前であり、母は、山へ柴刈り(今となれば童話の世界をかいま見ているようなことですが)に出かけ遅くなることしばしば、冬の満天の星を見て寒空にも負けずに薪(たきぎ)をいっぱい背負い手を繋いで帰ってくれました。 冬は、これといった暖房もなく家の中は隙間風が通り抜け風呂焚きやご飯炊きにおくどさん(釜戸のことです)の前で暖まるのが精一杯であったと記憶しています。 鼻からはズルズルとロウソクを何時も垂らしている状態でした。 私が、小学校へ通っている頃、ズボンといえば膝やお尻当たりには、継ぎ接ぎが当てられており母が夜なべをして縫ってくれていました(歌から飛び出す文句のようなことです)。 また、田舎で小間物屋を営んでおり乾物・駄菓子・日用雑貨などを店に並べ売っていました。 ところが田舎暮らしともなれば周り近所は顔見知りで貸し付けが大半となり集金に行っても返してもらえず、問屋さんからは借金に追い立てられ支払期日が来ても払えず、逃げ隠れすることになり辛い思いをしていたと聞いています、今となってみればこれもひとえに人様のためになっていたのではと喜んでいます。 この苦肉の策として「貸して不仲になるよりも、いつもニコニコ笑う現金」と店に張り紙されていいましたが、一向に効き目無しのようでした。 これだけ沢山の仕事をしていてもまだまだ生活苦であるため、母はお店の合間をぬって豆腐・油揚げの製造をしていました。 当時は全てが手作業です井戸から釣部(つるべ)で水を汲み上げ釜戸は薪をくべマッチを擦って火を起こし、大豆を砕くのは石臼(いしうす)です。今思えば想像を絶する仕事をしてきたと敬服しています。 母の手の平には、勲章があります。おわかりでしょうか? 私は、人の手を見て常々よく思うことスベスベした手のひら、それのみか指輪をしたりマニキュアをしたりきれいに飾っているのが一般的です。 それに比べ母は・・・そうです。皹(あかぎれ)でザラザラしています。 ザラザラ程度で有れば、まだ良い方で指の節の当たりが割れて痛みますし一カ所治りかければまた別の指の節と次々と痛みます。 高齢となり歳には勝てず永年頑張った豆腐屋から退き数年経ちましたが、苦労の跡が残ります。 豆腐屋というものは、年中水を扱いますが、豆腐の入った容器の冬の水は氷も張る冷たさです(母はこの事を切れると言います、切れる冷たさ即ち痛いと言うことです)。 その中に手を入れ沢山の豆腐を扱う商売で、この事がどれだけ辛いかおわかりでしょうか。 その仕事を50有余年も続けその甲斐あって信頼も厚く幼稚園や学校給食などに納品させて頂きました、また人から人への口コミにより遠方からのお客様も多く誰にも負けない評判の豆腐屋と迄なりました。 私の大好きな大好きな母、そして、その手の平こそが世界一自慢できる最高の「勲章」です。 さて、この様に貧乏生活を見て育った私は、中学生の頃ふと母に次の様な言葉を漏らした記憶があります。 『お金も地位も名誉も欲しい』この言葉は未だ忘れることができません。 今にして思えば母は、まさかこの様なことをいうとは思わず心を痛めたのではないかと察します。 40有余年の歳月流れて 日本は、この間に先人のお陰で凄まじい程の高度成長を成し遂げてきました。 至る所で物は溢れ、どこもかしこもゴミの山、直して使うよりも新しく買い換え使い捨ての損得勘定一本槍と変化していきました。 あまりにも様変わりしすぎ裕福さをも通り越し裕福が故に災いとなり心の持ち方が問われる皮肉な結果となりました。 私は、世渡りにおいてくじけ易く弱音を吐くことがしばしばあります。 その際には、40年以上も前、母に向かって「お金も地位も名誉も欲しい」と言った欲のかたまりを反省しつつ、 『心をば 養うかてを つみてこそ 金も 宝も 持甲斐ぞある・ご教祖お歌』、幼かった頃を振り返り「あの時の飢えや寒さは今は無し、身分相応が今の幸せ」と考えています。 歳月流れて亡き祖父母の顔は、ほとんど記憶ありませんが祖父母も両親以上に大変苦労をされてきたと聞いています。 親となり子供を育て「子供には苦労をさせたくない」と願うのは、万民誰しも共通の思いであり天地親神様、先祖や両親に守られ幸せに暮らしていける喜びを、『ありがたや 今日も事なく くらしたり 神の御かげの尊きろかも・ご教祖お歌』噛み締めている今日この頃です。 ==終わり== |