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                                                          2005−12

平成17年12月号 第1102号

        

H.17.12月号

自然(おのずから)(みち)  (さち) (ひこ) 
   
 

人は神の子

最近の小学校で

ネイチャーゲーム(自然と親しむ遊び)、という活動があるのをご存じでしょうか。

今年の夏期講習会で、神理教の境内やその自然に親しんでもらうことを目的に小中学校の参加者を対象に幾つかのゲーム(活動)を行ないました。

子ども達もさることながら、お手伝い下さった『神理躍動の会』の大人も心を和ませ楽しまれたと聞いています。

人や自然環境とのふれ合い方が自然で、神道の感覚とも通じるところが多くあり、教話の導入などにも使えるように思います。

筆者も時折、近くの小学校などに依頼されて出かけることがありますが、最近の小学3〜5年生と触れあって、違和感を覚えることがあります。

もちろん学校や地域によって違いはあるのでしょうが、その一つは男の子と女の子が手を繋ぐのを嫌がることです。

理由を聞いてもなかなか言わないものの、『汚い』などの言葉が出ることがあります。『恥ずかしい』『汚い』に言い換えているのでしょうが、現場の先生達はそうした現象をどう捉えどう対処しているのかな、と思います。

そしてこれも統計を取ったわけでもありませんが、二つめにそうした集団ほど集中力が薄いように感じます。

集中力

集まるのに時間が掛かるし、集まっても話がなかなか聞けません。

目がいつも泳いでいて、刹那的な刺激やその場限りの笑いのみを追いかけていて、じっくりと考えることからくる、深い楽しみを知らないようです。

夜の活動で「懐中電灯は置いてきて」と言っても聞かないし、話している大人の目を照らして喜んでいます。

ある小学校では、そんな子どもを引きずって集めたり手を出したりする先生を見ましたが、驚きや痛みが去るとまた“元の木阿弥”です。

秩序について

しかし、そうした子ども達でも少し時間を掛けて、じっくりと話しかけると集中力を取り戻すものです。

子どもだといっても、本当は集中したいし秩序を持ちたいのです。

大人がその本質を見つめまた認めてあげないから、無秩序な学級崩壊を招くこともあるのではないかと考えます。

幼稚園の子どもに、落ちついた雰囲気の中で手先を使う遊びを用意すると、驚くことになります。

短い時間で、積み木でも編み物でも色ボタンでも、規則正しく幾何学的で秩序だった作品が出来上がります。

人は神の子

幼児の心にも、秩序の感覚というものは自から備わっているのです。

無政府主義という言葉は好きではありませんが、この思想も本当は人の本質に秩序があることを認めていたものかも知れないと思うことがあります。

例え政府が無くとも、人が本来の人間らしい感覚を持てたならば、秩序と道徳のある世の中が出来る、という人間を信頼する考え方なのかも知れません。

余談はさて置き、幼時期から秩序を好む本性があるということは、神が正しいものであるとすれば“人は神の子”と言えるのではないでしょうか。

私たちは神から生まれながらにして、強制されなくても秩序の大切なことを伝えられ、その心地よさを教えられているのです。

であれば、私たちはその感覚を思い起こし、普段から神に近づき感謝することで戴ける、より大きな充実した安心を社会全体で味わいたいものです。