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                                                          2005−11

平成17年11月号 第1101号

        

H.17.11月号

自然(おのずから)(みち) 

(さち) (ひこ)

早い(ファースト)とい(スロー)と


早い食べ物(ファーストフード)

食べ物に早い物(ファーストフード)と遅い物(スローフード)、と言われるものがあるのをご存じでしょうか。 

早い食べ物の始めは、トランプ狂のサンドイッチ伯爵が考え出したと言われる、ハムや卵や野菜をパンに挟むサンドイッチでしょうか。

それとも日本の忍者が編み出したと言われる携帯食か、もっと遡って万葉の旅人が携帯した乾飯(お湯に浸して解して食べる)と言われるものでしょうか。

お湯を掛けると食べられるというのは、インスタントラーメンや冷凍食品の発想の原点とも言えます。

近年は今はやりのハンバーガー(マクドナルドやモスバーガーやロッテリアなど)やホカ弁やフライドチキンのお店などに代表されます。車で乗り付けても余り待たせることなく、温めて盛りつけるだけで渡せるというものです。

遅い食べ物(スローフード)

遅い食べ物と言われるのは、例えば和食の料亭や洋風のレストランで一品ずつ選ばれた素材から丁寧に作られ、盛りつけられて出てくる物です。

家庭で作る食事も、早いと遅いがあります。

同じカレーライスでも、レトルトとか言われ袋に入った物を温めてご飯に掛けるのは早い物で、タマネギやニンジンなどの素材を選んで具を切って煮込むなど、手を加えて作るのは遅い物です。

世の中は乗り物や通信技術が発達し便利になる一方ですが、だからといって楽になることはなく、忙しさもそれに比例して増しているようです。

食べ物も早く口にはいることが優先されている風潮を感じますが、早いと遅いは私たちにとってどちらが良いのでしょうか。

早い生活(ファーストライフ)

私たちの日常の生活にも、早いと遅いがあるようです。

神理教の御教祖は宗教家でありながら、門司港の開発を手がけて物流の大量・高速の移動方法に思いを寄せました。

また、教えを沢山の人に一度に伝えるのに、印刷物の出版することを推し進めた先駆者でした。

郵便制度が普及して百年にもなり大変便利になったものの、最近はメール(電子郵便)により一瞬にして情報交換が行え、インターネット(電子の通信網)により大量の情報がこれも一瞬にして世界中に流せます。

より早く、より大量な情報を交換・発信出来るようになったのです。

従来のテレビや新聞・雑誌や分野別の専門情報誌などとともに、情報は本人が必要とする以前に、勝手に押し寄せてくる物もあ
ります。

また新幹線や格安の航空機や高速道路や宅配便の普及で、人や物の移動もより早く大量に行えるようになりました。

遅い生活(スローライフ)

筆者の中学時代に、旅行をするのに特急や急行列車を利用せず、鈍行(普通)列車に乗って眠り、目が覚めたところを見て回るという先生がいました。

本院にお参りするのに、新幹線などを使わずフェリーに乗られる方がいます。

近年都会よりかえって地方の人の方が近くでも車を使う人が多い中で、健康や環境を考えて歩く人も増えてきました。

幼稚園でも子どもを呼ぶのに放送を使うのではなく、呼びに行ってついでに幼児の遊びの様子を見るというところが増えているようです。

インターネットやテレビで情報を得るよりは新聞を見て、或いは親しい人と話し合って入ってきた情報をそのやりとりの中で噛みしめる人がいます。

メールでの年賀状や暑中見舞いも増えてきましたが、手書きの葉書を使う人が一度に減ることはないでしょう。

同じ葉書でも一度に一様の印刷をするのは早い物で、一枚一枚に心を込めるのは遅い物と言えそうです。早い生活と遅い生活にも、一長一短がありそうです。

早い社会(ファーストソサエティー)

もう一時期は過ぎた観があるものの、大量生産・大量消費が賛美或いは黙認された時期がありました。

世の中の発展のためには、修理・修繕などに時間を掛けるより、どんどん新しい物を取り入れ古い物は捨てた方が効率的である、という考え方です。

こうした社会の流れは、バブル(泡が膨れ上がるような)経済となりそれが崩壊した後、社会人の多くが今までの在り方を見直すという機運も生まれました。

反近代化とか脱近代化とかがそれで、人間らしさを見直そうというものですが、一旦便利な消費生活に慣れた者がそう簡単に後戻り出来ないのが現実のようです。

遅い社会(スローソサエティー)

近年、大切と分かっていて出来ない“人間性を取り戻す”ことに積極的な流れを作ろうと、スローソサエティーという運動が興っているようです。

早い物の良いところは認めながらも、あえて遅い物の良さを強く求めよう、とする運動のように感じます。

西洋の“ローマに帰ろう(バックツウロマーナ=人が生き生きとし豊かな生活を送っていた古き良きローマの時代に戻ろう)”運動や、日本の“建武の中興(後醍醐天皇の同じく古き良き日本に戻ろう)”を連想します。

ゆっくりとしっかりした食事を取り、ゆったりとして余裕のある生活を送り、社会全体のゆとりや精神的な安定を取り戻そう、という動きです。

筆者はスローソサエティーのキーワードは、やはり“信仰”にあると思います。

現代は無責任なマスコミを媒体に“不要或いは興味本位の宗教”として伝えられ、信仰に関しての恐怖感や不信感は日本中に蔓延しているように思えます。

信仰を知らないことに麻痺しようとしている日本の現状は、大変心配です。

不思議な伝達機能

テレビや新聞が普及する前でも、不思議に当時の社会は相当に早い情報を得ていたように思います。

最近の日本に見ない夕食後の縁台でのくつろぎの風景は、東南アジアの国に行くと見ることが出来る時があります。

その時タイムマシンで昔に立ち返ったように思うのは、筆者だけでしょうか。

日本人が忘れている情報交換と、ふれ合いの暖かさがそこにあります。

もう一つ不思議に思うのは、私たちが本当に大切だと思って取り組んだことは、マスコミに頼らずとも自然発生的に日本中・世界中に広まることがあることです。

人にとって基本的で大切な信仰がしっかりと広まって行くように、私たち自身が教会や教師を中心に信仰の輪を作ることで、日本中・世界中への働きかけにしたいものです。