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                                                          2004−8

平成16年8月号 第1086号

        

巻頭のことば


風呂に入って、汗や汚れを落とす。疲れも癒される。

気持ちが良いからと一日中入る訳にはいかない。

私たちが入らなければならないのは、信仰の風呂である。

心の疲れや汚れは神様の力で清められ癒される。

なにより、一生どっぷりと入ることが出来る。




               
                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
                         いやさか
   継ぎ受けし 国の栄を弥栄に
                 
            往き来 穏しき 道や開けむ


 先月は参議院選挙が行われました。従来の群雄割拠に似た小党分立という在り方から、二大政党対立という方向が目指される事になり、そうした時流であって、第一野党の民主党が今回も勢力を拡大し、次第に二大政党対立という図式に近づいたと申せそうであります。

 しかし、二大政党と呼ばれる団体は、次期政権の予備組織であります。従って、その政党に所属する人は、特に憲法や外交その他、国の基本的な姿勢に対する考え方が、凡そ同一でなければなりません。第一野党としては、この点についての信頼を得ることが肝要と思われます。
 今後およそ三年間は国政選挙なしとのことであります。自民党と民主党の二大政党対立という図式が続く事になりそうでありますが、党利を離れた政策を提示し合って、国際社会から信頼される国家としの尊厳を保持しつつ、民政の安定に協力する事が切望されます。

 尤も、与野党ともに独自性を示して民意を引き寄せる事に務める訳で、意見対立が生じるのは望ましい所でもありますが、反対の為の反対?ではなく、是は是!非は非!という素直な反応の中に一貫性を感じさせる事により、信頼を得る事になるべきかと思われます。
 我が国の現状は、非人間的で異様な犯罪が続出し、以前とは全く異質とさえ感じられるほどであります。その原因として、教育の指針をも含め、国民として努力遂行すべき義務の履行には全く触れず、権利を誇張して歓心を集めようとした政治姿勢が挙げられると考えます。

 税金は安いほどが好まれ、年金は多いほど望まれます。戦後の政治は、その種の人情に抵抗感を与えぬ方向で進められ、国土を守る事を始めとする国民の義務に関しては、殆ど関心を誘わぬ状態でありましたが、この点も見直されねばならぬ所とすべきであります。
 幸いに二大政党ともに、憲法改正に関心を示していると言われている様であります。喫緊の問題解決と共に、党是を主張するのは当然としても、国家の永続的な発展に有益な方針を模索し、選良としての義務を遂行してもらいたいと願っております。お互いとしても、国民としての義務に対する認識を深め、その実行に努力するよう心掛けたいものであります。
 



                  

H.16. 8月号

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)

(たの)しみは(なが)く、(くる)しみは(みじか)くするには

 

(ひと)(ほん)(らい)(しあわ)せであるべきこと

 5(がつ)から7(がつ)は、ブロック(けん)(しゅう)(きょう)(かい)(べつ)(しゅっ)(ちょう)(けん)(しゅう)(かい)(きた)(きゅう)(しゅう)(きょう)(ゆう)(かい)(けん)(しゅう)(つづ)きますし、()()(けん)(しゅう)(かい)もあります。

 (しん)(ぜん)(ほう)()といって、(せい)(そう)(さん)(ぱい)(そせん)(まつ)りだけが(ほう)()ではありません。

 (けん)(しゅう)(かい)(じゅ)(こう)(たい)(せつ)(しん)(ぜん)(ほう)()(ひと)つですし、(なに)よりも(おし)えを(せい)(かつ)(やく)()てる(しゅ)(ほう)(まな)ぶわけですから、()()(さん)()(いただ)きたく(おも)います。

また(あたら)しい(けん)(しゅう)(かい)()(かく)についても、(かん)(げい)しますのでご(そう)(だん)(くだ)さい。

 (こん)(げつ)は、そうした(けん)(しゅう)(かい)(ひっ)(しゃ)(さい)(きん)よくお()()ぎする(はな)しの(ひと)つを(しょう)(かい)したいと(おも)いますので、よろしければ(ほん)(きょう)(しょう)(かい)(きょう)()使(つか)って(いただ)ければ(さいわ)いです。

 ()(きょう)()は、(ひと)(ほん)(らい)(かみ)(さま)()()()()(そん))であるのだから、(しあわ)せであるのが(とう)(ぜん)()(ぜん)()(かた)ある。

(しあわ)せでないというのは(なに)(げん)(いん)があるからで、それは()(ぶん)やご(せん)()(つみ)(けが)れに()まっていないか、それを(はら)()(りょく)()りないのではないか、と()(かえ)(ひつ)(よう)がある』と(おし)えておられます。

(わたし)たちの()(ぜん)()(よう)は、いつも(しあわ)せで(たの)しく()らしているはずなのだ』ということです。

 そのためには、(たの)しみの()(ふと)くし、(くる)しみの()()(のぞ)かねばならないと(おし)えておられます。

(たの)しみを(なが)くするには

 しかし(げん)(じつ)はいかがでしょうか。

 まず(たの)しく()きているという(かん)(かく)()てない(ひと)もいるでしょうし、(たの)しさ()(たい)(ざい)(あく)(かん)のようなものを(いだ)いている(ひと)もいるかもしれません。

 (いっ)(しょう)(けん)(めい)(はたら)いて(じゃっ)(かん)のお(かね)()まったからといって、(たと)えば()(ぞく)(ゆう)(じん)(ゆう)(えん)()(おん)(せん)(りょ)(こう)()ったとします。

 しかし、1(にち)か2()()って、(あし)()はもう(いえ)(かえ)らないといけない(とき)に、「ああ!(はたら)いて(くる)しいことは(なが)いのに、(たの)しみはあっという()(みじか)いなあ」と(おも)うことはないでしょうか。

 ではそうした(たの)しみが(つづ)くには、どうすればよいのでしょう。

 ()(きょう)()(こと)(だま)(おし)えを()かれ、(たの)しみが(けい)(ぞく)する(ほう)(ほう)(おし)えて(くだ)さっています。

 (たの)しみとは(なに)か、その(ほん)(げん)(その(こと)()()っている(ほん)(らい)()())は『タマワリ・ヌシ=(たまわ)り・(ぬし)』である、と(おし)えています。

 

 (たの)しみには、それを(あた)えてくれた(もと)になる(そん)(ざい)があり、それは(かみ)でありご(せん)()であり(りょう)(しん)である、ということなのです。それを(たと)えば

(おん)(せん)(りょ)(こう)()けるのは、()(ぶん)(はたら)いたからで(ほか)には(なに)もない』などと思って(おも)しまっては、その(たの)しみが(つづ)くことはありません。

 そうした(かんが)えに(おちい)(げん)(いん)は、()(ぶん)(あそ)ぶお(かね)()(ぶん)(かせ)いだものと(かんが)え、(りょう)(しん)やご(せん)()(かみ)のお(かげ)であることに(おも)いが(およ)ばないからです。

 (いま)()(ぶん)(たちば)場に(かん)(しゃ)()()ずに()(そく)(おも)い、()(まん)(いち)(いん)(おや)のせいなどにしてしまうと、『()(ぶん)(かせ)いだ()(ぶん)だけのお(かね)』となるわけです。

 (たの)しみはそれを(くだ)さった(そん)(ざい)があるわけですから、そこに()()くことから(たの)しみの(けい)(ぞく)()()る、ということなのです。

 (たの)しみが(かみ)()(せん)から(いただ)いたことに()()けば、(かん)(しゃ)とお(かえ)しをするべきだということになりますし、それを(おこな)うことにより(たの)しみは(けい)(ぞく)できるのです。

 (こう)(じょう)(しん)()いものの、(うえ)()ればきりがなくもっと(らく)をしようと(むさぼ)りの(こころ)()つと(かん)(しゃ)(わす)()(そく)()(まん)()()え、(つみ)がふくらみます。

 “(むさぼ)り”は(しち)(ざい)(はっ)(とく)(はっ)(とく)(ひと)つですから、(たの)しみの()(いた)めることになります。

 

 まず(いま)(いただ)いているものがまだ(ちい)さいと(おも)っても、(はん)(たい)(した)をみればきりがないのですから、(かん)(しゃ)()(ほん)です。

 (つぎ)にお(かえ)しというのは、(かみ)()(せん)(りょう)(しん)への(ほう)()(つか)(まつ)ること)ですから、(たと)えば(こん)(げつ)は8(がつ)()()(さい)(せん)()(まつ)りを、(こころ)()めて(おこな)うことです。

 (かん)(しゃ)()めて(ほん)(いん)(きょう)(かい)(うぶ)(すな)(じん)(じゃ)にお(まい)りや(しん)(ぜん)(ほう)()(おこな)い、お(はか)(まい)って(きよ)め、(いえ)(かみ)(だな)にお(れい)()(きよ)めるということを(つづ)けたいものです。

 (さき)(みたま)(ほん)(いん)(きょう)(かい))・(にご)(みたま)(うぶ)(すな)(じん)(じゃ))・(あら)(みたま)(はか))・(くし)(みたま)(かみ)(だな))の(しず)まり(どころ)(かん)(しゃ)をしお(れい)とご(ほう)(こく)奉仕(ほうし)をすることが、(たの)しみを(けい)(ぞく)させることになるのです

(くる)しみを(みじか)くするには

 (くる)しみといって、いったい(はたら)くことは(くる)しいことでしょうか。

 (おお)(がね)()ちの()(やす)(ひと)つに“()(ぶん)()(ごと)(たの)しいと(かん)じていること”があげられていると()きましたが、そこには“()()()というものも(ふく)まれています。

 (はたら)くの(ほん)(げん)は『ハタ・ラク=(はた)(らく)』で、(はた)周囲(しゅうい))の(ひと)(らく)にすることでもあります。

 ()(ぶん)(ため)(はたら)いているつもりでも、(じつ)(まわ)りの(ひと)(らく)にしているのだと(おも)えることは()()らしいことですし、ならばそうした()()ちで(はたら)きたいものです。

 “(ろう)(えき)”は(しち)(ざい)(はっ)(とく)(はっ)(とく)(ひと)つですから、(いっ)(しょう)(けん)(めい)(はたら)くことが(つみ)()(くる)しみの()()()ることになるのです。

 (くる)しみとは(なに)か、その(ほん)(げん)は『コラサルル=()らさるる』である、と(おし)えています。

 

 (くる)しむというのは、(しゃ)(かい)(てき)()くない(おこな)いをし(ひと)(みち)である(ほん)(きょう)(おし)えに(そむ)くいたことについて、(かみ)()(せん)から()らしめられているということなのです。

 それは(けっ)して(ばち)()てられたとか(たた)りを()けた、ということではないのです。

 ですから、()(ぶん)()(ぞく)がどうした(つみ)(おか)しているのか、()(せん)()()()ちよく(たてまつ)られているか(つみ)(けが)れに()まったままではないか、に(ちゅう)()()けるべきなのです。

 ()(ぶん)()(せん)(つみ)(けが)れの(はら)いという(もく)(てき)()っての、(まつ)りや(はっ)(とく)(けん)(こう)(せい)(じつ)(いん)(とく)()(しゃ)(ろう)(えき)(あい)()(こっ)()()(はく))の(ほう)()(おこな)いたいものです。

 

 (ひと)に@(せい)(ぜん)(せつ)(せい)(あく)(せつ)があり、A(じん)(せい)()(かた)(らっ)(かん)()(かん)があり、B(じん)(せい)()ごし(かた)(かい)(らく)()()(なん)()があります。

 (ほん)(きょう)では、@には(ぜん)でも(あく)でもなく(かみ)であり、A・Bには(らく)()でも(かい)()でもなく(かん)(ながら)(かみ)(こころ)のまま)ということになります。

 (たの)しみも(くる)しみもそれをどうとらえるかを()(ふう)することにより、(たの)しみの()(ふと)くし(くる)しみの()()(のぞ)き、(らく)(なが)()(みじか)()ごしたいものです。

 お(かね)()(かん)(ぶっ)(ぴん)についても、『()(ぶん)(かせ)いだ()(ぶん)だけのお(かね)』から(かみ)()(せん)から(いただ)いた()(がた)いお(かね)』という()(かた)をしたいものです。

 そうできることにより、()(なか)(ひろ)(ふか)くとらえられ、より(ごころ)(ゆた)かで(じゅう)(じつ)した(まい)(にち)(おく)ることが()()るのです。





「管長様から神理未来委員会へのメッセージ」

〜新生・神理未来委員会の開催に寄せて〜

 八月二十八日・二十九日に新体制で開催される第十六回未来委員会。新体制発足を前に、先月号では郷原昇総監と、お嬢さんの高井伸子さんに「神理教の教えを未来へ」と題して、お話を伺いました。
 今回は、管長様に登場していただき、新生・神理未来委員会へのメッセージをいただきました。

――最初に、未来委員会の在り方について、どのようなことを期待されるか、その辺のお話からお聞かせください。
 管長様「神理教は、いわば縦の組織ですが、未来委員会は横のつながりになってきます。そのため、自分の教会だけでなく、他の教会についてもお互いに理解ができる、そういう点がまず、大事だと思います。ただ、今までお互いに全然知らなかったわけですから、最初は意見が出にくいかもしれません。それが、会合を重ねるにつれ、お互いの理解が進んでくると、遠慮のない意見が出てくるようになるのではないでしょうか。それが望ましいことであり、また、そういう方向に進んでいって欲しいと思います。」
――もともと、未来委員会を作った理由も、こうしたところにあるのでしょうか。
 管長様「それもありますが、神理教が十年後にどうあるべきか考える委員会を、というのが未来委員会を設置した一番の理由です。ただ、十年では短すぎる。では百年にしようと。そんなふうになったと記憶しています。もちろん、百年後という大きな目で見ることは必要ですが、間近な十年後についても考えていただければと思います。」
――これまでの未来員会の活動を見られて、どのような成果が上がったとお感じになりますか?
 管長様「やはり、相互理解が進んだということではないでしょうか。たとえば大祭の時には、それが協力という形で現れているようです。もう一つ、教義についても考え方が進んだのでは、と感じています。」
――管長様は毎回、未来委員会で挨拶をなさっていますが。
 管長様「はい。未来委員会が開催される度に、最初に簡単な挨拶をさせていただいています。ただ、私がいると皆さんが遠慮して意見を出しにくいのではないかと思い、実際の話し合いは、かげで聞いたりしていますが。」
――管長様が見られて、これからの未来委員会は、どうあるべきだと思われますか?
 管長様「皆さんに言いたいことを言っていただき、それがこちらの耳に入ってくればいいと思います。」
――未来委員会の提案の多くが庁内会議で却下される、という声もあるようですが、これについてはいかがでしょう。
 管長様「いただいた提案の中には予算を伴うこともありますからね。同じお金を使うなら、他にもっと必要なものはないか。そういうふうに、庁内会議では全体的なことを総合的に見ています。そのため、未来委員会と判断の違いはあるかもしれませんね。」
――未来委員会で、これから話し合っていただきたいことは何かありますか?
 管長様「私自身が具体的にどうこう言うことはできませんが、やはり長い目で百年後を見て、まず次の十年をどうするか、それを考えていただければと思います。」
――最後に、未来委員会の皆さんにメッセージをお願いします。
 管長様「未来委員会を通して相互理解が進んでいることは、大変いいことだと思います。話し合いもスムーズにいっているし、皆さん、伸びやかに意見を言っているのではないでしょうか。それに、机上の空論ではなく、実現の可能性が高い議題になってきているような気がします。足が地に着いた話し合いになってきていますね。教会ごとに在り方も、動き方も違いますが、神理教の教信徒であるという自覚を促すという意味でも、未来委員会は意義があると感じています。これからも、未来委員会の皆さんには、十年後、百年後の神理教を見据えて、ぜひとも活発な意見交換をしていただきたいと思います。」
――本日はお忙しい中、どうもありがとうございました。

 いつも、やさしい笑顔で気さくにお話をしてくださる管長様。管長様直属の委員会ということもあり、未来委員会に対する思いには特別なものがあるようです。
 管長様の口からは、「相互理解」という言葉が何度も出てきました。委員の皆さんの相互理解が進むということは、教会同士の相互理解を深めることにもつながるはずです。神理教のこれからの十年後、百年後を考える時、この「相互理解」は重要なキーワードになるに違いありません。新生・未来委員会の今後に、大いに期待したいものです。
 最後に管長様は、「子どもの時から、常に身近に神理教に接していることが大切。そのためにも、子どもたちが来られるような祭りにしていかなければ」と、おっしゃっていました。神理教の未来を担うのは子どもたちです。『歴史ある古きよき教えを新しい時代へ。』……このスローガンの意味を、未来委員会はもちろんのこと、教信徒の皆さん一人ひとりが心に刻み、今、自分たちに何ができるのか、自分たちは何をしなければならないかを、考えていく必要があるのではないでしょうか。




●●新・神理未来委員会のご案内●●
               神理未来委員会委員長 横 江 春太郎
               神理未来委員会相談役 巫 部 祐 彦



 お陰さまで独立百十周年・教祖ご生誕百七十年の式年大祭は素晴らしい天候を戴き、無事に奉仕する事が出来ました。
 これは天在諸神の御神護と婦人会・青年部また各教会・教師・教信徒の熱意と奉仕、そして未来委員会の皆様のご提案とその実行によるものです。
 さて、十年前の独立・教祖ご生誕の式年大祭の後に出来たこの未来委員会も、十年を迎えました。
 未来委員会はいわゆる特別委員会ですから、所定の目的を達すれば解散されるものです。
 本年二月の委員会ではそれを含めての議論もありましたが、新しい神理未来委員会として再出発することになりました。
 教会長を通じてご参加を是非お待ちします。
◇ご推薦の御願い
 以下に神理未来委員会の目的と開催要領をお知らせしますので、教会長先生には、旧委員の更新を含めて委員のご推薦を御願いします。
 推薦に当たり、現在本教への祭事や奉仕、研修会に参加されている人に限ることはありませんが、将来そうした行動の中心になると期待される方を御願いします。
◇神理未来委員会の目的
・本教の将来の発展と教信徒の資質向上を目指し、自由な意見と議論を交わして本教に提言を行う。
・本教に提言が認められるための試行と、認められた提言の実行・推進を行うことにより、委員みずからも向上することを目指す。
◇開催要領
日 時/平成十六年八月二十八日(土)
    十三時(書記以上の役員は十一時)    〜二十九日(日)十二時
場 所/神理教 明星会館
    (役員会は大教庁会議室)



    

   管長様が解説する御教祖の御歌   『人道百首』より

       罪けがれ ほどきていつも はたらけば

          福はおのづと 神ぞ授くる


 我々が住む地球という世界の自然環境は、空も海も陸も、このままの状態が進めば、生存することさえ出来がたくなるほど汚染されつつあると言われております。
 我々が日常生活を営む人間社会という環境も、時代と共に人間らしからぬ在り方への汚染が、かえって広く深く浸透しつつある?と言えそうであります。
 今や、自然環境の回復や保全については、人類全体の問題として、いわゆる先進国を中心に具体的な対策が真剣に論議され、実行されることとなっております。
 しかし結論的には、個人最優先の在り方に汚染されつつある社会環境が浄化されない限り、自然環境の浄化は達成されがたい!!ということになるのではありますまいか。
 ところで、生きとし生けるものはそれぞれに自己保全の力を備えており、その本能ともいうべき力を備えている故に、ただ今を生き得ている次第でもあります。
 しかし、我々人間には、他の生物の場合には本能ということだけで済まされるもの以外に、自己保全を助長する力?とも言うべきものが加わっているように思われます。
 いわば、他の生物が『専守防衛』とも申せる自己保全の姿勢であるのに対し、もっと積極的?といえそうな姿勢が指摘できるのではないでしょうか。
 罪・けがれが生じる原因としてはいろいろなことが考えられますし、既成事実として混濁汚染している現代社会が原因!!、という声もしきりに聞かれるところであります。
 しかしながら、我々としては生物一般に見られる自己保全の姿勢に満足せず、さらに強化したつもりの姿勢の中に原因を見い出さねばならぬと考えます。
 自己保全という本能が、いわゆる人知の発達に伴う欲望につつまれて、本来の様相を失うところに罪・けがれが生じる原因があると考えられる訳であります。
 現代社会が混濁汚染しているために罪・けがれが生じやすい!!という点は否定しがたいところでありますが、それのみを罪・けがれの原因とするのは誤りとすべきであります。
 ただし、我々としては混濁汚染した環境に囲まれている実状と、程度の差はあっても汚染していない人は皆無ともいえる現状は、しっかり踏まえていなければなりません。
 つまり、自分自身も既に汚染されており、それゆえ現に罪けがれを持つ状態にある!!ということに気付かねばならぬ訳であります。
 そうした自省や自覚に伴う自戒の念が、おのずから罪・けがれをほどき払うこととなり、自己保全の画策をしなくても自然に幸福が得られるというのが御教示であります。
 行き過ぎた自己保全が身勝手な論理の自己弁護となり、大きな不幸を招くことは、いわゆる湾岸危機が戦争に発展する経緯の中にも明々白々と申せるところであります。
 我々としては、それに似た状態になりかねぬものを持っているという受け止め方で、御教歌の趣旨を体した生活を進めねばならぬと思います。


 





  幸福への出発
            光陽教会  中山 勇

    第29集   先祖の霊は家系を管理する


 
  
家の繁栄と永続は先祖にとって一番の望みなのです。先祖の「霊魂とは目と耳を持った霊気(空気)」なのです。先祖の霊は私達の日常生活を絶えず見守っているのです。良い行いも悪い行いも見逃すことなく見ているのです。
自分の身体の中の遺伝子も細胞も全ての中身は親と先祖(父母の精子と卵子)から作られた授かりものなのです。
先祖は肉体を授けた責任として子孫の健康と繁栄を神の道に照らしながら四魂の働きの中で罪の祓いを管理しているのです。
先祖から授かった肉体の魂(喜怒哀楽)は、遺伝子と一緒に性格の和魂と体質の荒魂を妊娠時に授かるのですが、神様からは「幸魂と奇魂を腹帯の入魂時に良心」として頂くのです。
赤ちゃんの心は神様と同質の善の心なので、両親を始め、家族や周囲の人たちの心を和ませる神の心(愛情と笑顔)を皆に分け与えて居るのです。赤ちゃんの無邪気な心は神の子の証明です。
神様に順応した心なのです。全ての人間の誕生は、無邪気な神の心の入魂から一生が始まっているのです。「邪気の無い心」は神と先祖の大きな守りの中で生きて行けるのです。邪気とは先祖から続く我欲で残した罪が遺伝として、子孫の日常の生活の中に病気や災難等の祓いとして存在しているのです。
その原因となる罪は三大欲望の性欲・金欲・出世欲の我欲と言われているのです。この欲望の盲点は「自分本位の心なので、もっと欲しい欲望の心が限りなく増大していく事」なのです。
ここで作る我欲の罪は限りが無いので容易に祓える罪では有りません。欲望で作った罪には必ず相手が有り、「相手の先祖を含めた恨みや妬み、そして苦しみを伴い、長く永遠に続く相手の生霊(恨み)となる可能性が有る」のです。「先祖の霊魂には目があり耳も有るのです。
壁に耳あり障子に目あり」なのです。先祖の霊魂には目と耳が有るから、罪が許される事は絶対に無いのです。先祖の霊魂は願えば聞いてもらえるし、危ないところも守って貰えるのです。しかし、子孫としての罪の祓いも厳しくさせられる事に成るのです。
ほとんどが先天性(体質)の病気となり、家族全員で祓いをさせられる事に成るのです。病気のほとんどは持って生まれた罪の祓いなので、先天性の罪の祓いとして「年齢に応じて体力が弱くなったその時に、血液と自律神経により発病します。」これが持って生まれた体質なのです。
体質は和魂(間脳)の性格(自律神経)が血液とホルモンの管理をしているのです。この間脳(和魂)が自律神経の副交感神経で、新陳代謝の発信基地なのです。
この間脳の中にある心が先祖の守りで善に成す信仰と奉仕の祓いと救いの働きが有るのです。この間脳(性格)の働きが怒り(欲望の心)なので、自分の家族を守り子孫を守る力になるのです。その守りを強くする信仰と実践が敬神尊祖の神理教なのです。

 先祖と言えば、この原稿を書いている今、長崎で小学六年生の女の子が同級生をカッターナイフで殺害したニュースが放送されました。何とも言いようの無い悲しい事件なのです。子供の起こす事件は、大きく見れば両方の家族とも被害者と言えるのです。
被害者の家族は、何でうちの子が…時間がそこで止まった感じがします。これから何年も悲しみと苦しみが続いて行くのです。加害者の家族は、何でうちの子がそんな恐ろしい事を…これから何年も苦しみと人の目が怖くて人に会いたくない生活が続くのです。
しかし事件の原因は色々有ると思いますが、「子供が悪い、即ち親が悪い」と言う事になるのです。子供の心をしっかりと両親が育てていない事が事件の原因なのです。しかし両方の家庭とも事件後の家族の生活が一変します。誰も予想できない事件なのですが、加害者の子供にして見れば、この事件を起こす事しか考える事が出来なかったのでしょう。「心のどこかに思いやりの心や愛の心が有れば、この事件は起こらなかった」と思います。
 敬神尊祖の信仰は確実に先祖の守りと命に関わる事件等は神様の救いが必ず有るのです。
悲しくも両方の家庭には守りと救いの働きが有るのに、その働きを受ける信仰が無かったのでしょう。どんな事件でも人事と思って見過ごしてはいけません。両方の家族も今でも信じられない事件でしょう。
「今日は人でも明日は我が身」のことわざの様に、子供の育て方やしつけの基本を知らなければ、人の事と無関心では居られないのです。
子供を取り巻く環境が大変悪くなっています。この様な凶悪な事件だけでなく、いじめやストーカー、いたずらや通り魔そして万引き等の魔の手がすぐそこに有り、被害者にいつなるのか判らないのです。子供の育て方を間違えれば自分本位の性格に育つ可能性が有ります。
子供は親の遺伝子を持って生まれています。そして親と一緒に生活をして、習慣的に親のすることや態度を見て育つのです。その為に持って生まれた子供の性格が親のすることを手本にして性格が固定化してしまうのです。親には「子供の誕生と同時に子供と一緒に自分の心を成長をさせて行く信仰の勉強が大切」なのです。
この事件の背景には、家庭の中に子供を守る神の子としての基本の信仰と親が手本になる行ないが無かったのです。最近の事件は子供の起こす凶悪な事件が増えています。
これは事件を始め、食べ物や考え方も欧米風に成って来ているからなのです。その為に「病気や事件等が数字も中身も結果も欧米風」に近づいて来ているのです。
日本には日本の昔からの良い習慣や風土が有るのに、欧米の真似をしてインテリと思っている人が増えている事が寂しいのです。その国の風土が人の心と身体を育む仕組みと働きがあるのに、日本の古い食事や習慣を貧乏くさいとか古臭い等と嫌う風潮が有るのは悲しい事です。
加害者の家庭の中の事はわかりませんが、たぶん子供を良くしたい思いが強すぎて、厳しく躾をされたのではないかと想像されます。
子供からしてみれば、親の愛情や思いやりをあまり感じることが無い家庭の中で、両親が不在の時間が多かったのでは無いのかと思われます。親子の会話の少ない寂しさから、コンピューターのゲームにのめり込んだ可能性が有ります。
この事件も、ゲーム感覚で自分が主人公の役を演じた可能性が有るのです。
もっと「何でも話せる親子であれば事前に子供のシグナルを親が見つけている」と思います。事件が有れば、その時には多くの意見や批評も出ますが、その時だけの一過性で終わるので、また次の事件が発生するのです。他人の事件は自分には関係も責任も無いので人事で終わってしまうのです。
この様な事件を教訓として、それぞれの家庭で生かすことが出来ないのです。自分の家庭では子供の話を良く聞いていますか。
子供の立場で一緒に考えていますか。子供の変化に気が付いていますか等の、もう一度家庭を振り返る心の働きが今の親に必要なのです。自分の子は加害者にはならない自信のある親でも、被害者にならない自信の有る親はいません。私たちは「先祖が守護霊としていつまでも自分を守っていると勘違いをしている人が多い」のです。先祖の霊の出発は、納骨と同時に土の中なのです。
子孫の根としての働きは有るけれど、守りとしての働きは「この日界(日の若宮)に昇り守護霊となる信仰が必要」なのです。信仰は守ってもらう子孫がするものです。この世の中は、神様の清濁(罪と罰)を分ける自然の働きの中で生活をしているのです。一日一日確実にゴール(死)を目指して走っているのです。
幸不幸も家系の永続として、この世からあの世まで続くのです。敬神尊祖の神理教は、子供の命と健康を守る多くの体験の中で発展しているのです。信仰の心と家庭環境を家族の話題にして、皆で子供を守る家庭と社会をつくる信仰を多くの人に広めて行く事が急がれます。






 『教派神道の形成』弘文堂(平成三年三月発行)で大きく神理教の紹介をして頂いた、國學院大學の井上順孝先生が國學院雜誌に研究論文を掲載されました。
 神理教が独立してからの、教師の全国分布などを二年ほど前に調査に来られましたが、そうしたものの一つのまとめとされたようです。原文を尊重したため、御教祖の氏名に尊称をつけていません。


『國學院雜誌(第104巻 第11号)より転載しています。』

教派神道の地域的展開とその社会的条件  井上順孝

 − 神理教の事例を中心に −

  三 初期神理教の教勢
 神理教は明治中期から後期にかけて信者数が増え、教師数もかなり安定した割合で増加していく。『千代田日誌』のなかで、経彦は神理教は分教会五〇と信徒五〇万人にのぼると述べている。一派独立する少し前の一八九〇年段階での話である。また、神理教の幹部であった藤江伊佐彦はその著『教祖様の面影』のなかで、一九〇六年の経彦死去の時点で、門人約七千人、公称信徒数は一五〇万に達していたと述べている。
 一派独立してからの公称教師数は内務省に報告されているので、毎年の『内務省統計報告』によってその推移が分かる。神理教が一派独立した一八九四年から、一九一二年までの間のデータがこの統計によって得られる。これをもとに男女別の教師数の推移を示したのがグラフ1である。

なお、神道教派は、一九一三(大正二)年に内務省宗教局から文部省宗教局へと管轄が変わり、内務省の統計数値はなくなる。
 以上のことから、一派独立の時点で各地にすでに相当数の信者及び分教会が存在していたことが分かるが、一派独立する以前の信者数や教師数の変化状態を詳しく知れる資料はない。これに対し、一派独立以後の展開に関しては、信者の地理的拡大その他の状況を考察する上で参考になる資料が存在する。これによって、一派独立以後、どの地域にどれくらいの数の布教師的な人物が存在したかが明らかになり、神理教全体の展開を知るきわめて重要な手がかりが得られる。
 それは現在の神理教大教庁に保管されている、一派独立以来の禁厭祈祷等の免許(「巫神占免許」)を得た教師の名簿である(以下「免許名簿」と表記する)。 「巫神占」の免許であるので、これを取得した者は、佐野経彦が教えた禁厭法や神理教独特の占い法、その他を信徒に対して行うことを許可される。「免許名簿」には、そうした人物一人一人の本籍地、住所、紹介人、任命年月日、生年月日、その他の情報が記されているのである。
 この名簿のうち、一九六〇年代までの分について複写を依頼し、許可が得られたが、その間に合計約一万人近くの人物に関するデータがある。個人情報が記されているので、個別の情報を公にはできないが、データを数量的に分析することについては神理教より了承を得ているので、この名簿をよりどころにしながら、初期神理教の信者の地域的展開について論じてみたい。
 本稿では得られたデータのうち、経彦が生存していた時代の展開について扱うことにする。宗教運動の展開において、創始者の在世中と没後では大なり小なり運動の変化が観察される。創始者の死去は一つの節目になる。神理教の場合も、経彦の没後教師数はわずかであるが減少に転じている。経彦時代を神理教の展開における一つの区切りとしてみなす立場から、データの分析を行いたい。
 一八九五年から佐野経彦が死去する一九〇六年までの一二年間に任命された数を調べると、一、五六〇名にのぼる。男性が八三〇名、女性が七〇一名、性別が判別できないもの二九名である。これを年別、男女別に分けて示したのがグラフ2である。
内務省に届けられた教師数のデータと比較すると、教師の数よりも免許を得た者の数が七〇〇人近く少なくなる計算だが、女性に限ってみれば、逆に免許取得者の方がやや多い。教師では男女比は大きな差があり、男性が八割強を占めるが、免許取得者では半々に近い。これからすると、免許を得ても教師ではないものもいることになるが、数から判断すれば、どちらかといえば教師より厳しい資格であったと考えられる。
 第一号は一八九五年九月一七日任命となっており、一九〇六年までを平均すると、毎年おおよそ百三十名程度が免許を得ていることになる。一派独立した直後は数値の変動は大きいけれども、その後は激しい変動は見られない。





研究のページ

*質問1

 神世も三次元も同じ写し鏡であると聞きましたが、実際奉斎主神十八柱及び配祀諸神十四柱の神としての役割担当、立場上の配列、又宇宙根元の神とされる元津大神と高皇産霊之大神、神皇産霊之大神の関係及び宇麻志阿志詞備彦遅神の関係は?
*お応え
神世も三次元も同じ写し鏡…
 まず、神理教(以下本教と言います)では『宇宙根元の神とされる元津大神』は”大元の神“や”大元の天津御祖(あまつみおや)“や”天地御祖の神“等とお呼びしますし、具体的に神名をあげると”天之御中主神“ということになります。
 また、『高皇産霊之大神』は”高皇産巣日神“、『神皇産霊之大神』は”神皇産巣日神“と表します。
 天之御中主神に、この高皇産巣日神と神皇産巣日神を加えた五柱の”造化三神“を、『宇宙根元の神とされる元津大神』とする見方もあります。
 またこの”造化三神“に宇麻志阿志詞備彦遅神と天之常立神を加えた”別天神(ことあまつかみ)“を『宇宙根元の神とされる元津大神』とする見方もあります。
 人が下から見上げると、最上位の大きな神の存在は同じように見える、ということかもしれません。
 本教では『神世も三次元も同じ写し鏡』という表現はしませんし、三次元というものがいわゆる立体を指しているのか他の何を指しているのか、そのような説明の仕方を取らない本教の私には分かりません。
 ただ、三次元が現世という立方体であるならば、本教はそれに時間を加えた四次元以上のものを見ようとする教えであると言えます。
奉斎主神十八柱及び配祀諸神十四柱の神としての役割担当
 奉斎主神十八柱は、ご存じの通り本教では天在諸神とお呼びします。
 このお話しをすると長くなりますが、本教は日本古来の多神教でありながら、同時に伝わり忘れ去られていた天在諸神という一神教とも言えます。
 簡単に言えば天在諸神は命令する神、配祀諸神はその命令を受けてそれぞれの特性を活かしながら人を助ける為の実行をする神、ということになります。
 例えば衣食住や商売繁盛を願うならば豊受媛神(稲荷大神)、病気平癒ならば少彦名神、ここにはない祈願をする神であれば天神地祇、ということになります。
立場上の配列
 基本的に古事記にあげられた順番が、神の中でも親から子どもというような順列です。
 ”天照皇大神“など大きな御神徳を持つことで有名な神様もおられますが、その神様にさえご先祖がおられるということなのです。
 配列は、本教の『信徒の祝詞』また夏期講習会の資料などで、”五元“の説明に伴って配られています。
 ご存じがなければ、配列の表など差し上げることは出来ますが、授業などの説明を受けてからでないと誤解を生じることと恐れます。
宇宙根元の神とされる元津大神と高皇産霊之大神、神皇産霊之大神の関係及び宇麻志阿志詞備彦遅神の関係
 これも先ほどの表に記されていますが、”宇宙根元の神とされる元津大神“は本教で言えば天之御中主神です。
 ここでも簡単に述べれば、この神は全ての物の始めの神であり、高皇産巣日神は『陽』の気を分け持つその元始であり、神皇産巣日神は『陰』の気を分け持つ元始であられます。
 宇麻志阿志詞備彦遅神は、その『陽』の発展を受け持ちます。
 質問には無かったものの天之常立神は、『陰』の発展を受け持ちます。


*質問2

 宇麻志阿志詞備彦遅神は増幅修正が可能と聞きましたが、いったい何面鏡を持っておられるのでしょうか?
*お応え
 本教では”増幅修正“とか”鏡を何面持っている“という言い方はしません。
 天照皇大神の皇孫である邇々芸命に伝えられたのは三種の神器、即ち鏡と剱と玉です。
 その兄である饒速日命に伝えられたのが十種の神宝、即ち沖津鏡・辺津鏡・八握剱・生玉・死返玉・足玉・道返玉・蛇比礼・蜂比礼・品々物比礼です。
 鏡が二面・剱一振・玉四品・比礼三振の四品です。
 その一つ一つが天在諸神の内の十五柱に当てはまり、宇麻志阿志詞備彦遅神は生玉に当たります。
 生玉は伊久留・多麻=イクル・タマ=生くる・玉と読み、その本言は宇古伎・古母留=ウゴキ・コモル=動き・籠もるという義で、物の動き働く生霊を籠めたということで、宇麻志阿志詞備彦遅神の霊代です。
 その辺りを考え合わされて、神に向かって
”増幅修正“などを働きかけるのではなく、莫大なる神の力をお受けする量を祈りの質と量によって修正するということになります。

        



***地方特派員だより***


「感謝の心」の継承
  名古屋大教会 岩押 頼子


      吉村臣司さん(左)と奥様の安江さん

 
吉村臣司さん(七十一才)のご両親が満州で終戦を迎えた時、お父様はソ連に拘留され、先にお母様の伎代先生が帰国されました。
 その後お父様が無事帰国されるまでの間、伎代先生が不安な思いで過ごされていた時に神理教に出会ったのです。その教えに感銘を受け信仰され、しばらくして教師を拝命されるまでになりました。
 伎代先生は平成十二年に神理教教師永年表彰を受けられましたが、残念ながらその翌年八十八才で帰幽されました。
 臣司さんは「母は終戦から人並みならぬ苦労をしたと思いますが、神理教を信じて常に感謝の心を持ち、教師を最後まで続ける事ができたのも、横江初恵教会長のお導きのおかげです。母は幸せな人生を全うしたと思います」と話されます。
 臣司さんが二十九才の時に独立し、屋外広告業「(有)吉村工芸」を始められた頃は不安や不調も多く、御祓いなど受けました。その後努力の結果、昭和五十九年愛知県優秀技能者・知事表彰をはじめ、数々の愛知県知事表彰、名古屋市長表彰を受け、平成八年には建設大臣表彰を受賞されましたが、「周囲の方々に恵まれたおかげ」と、お話の中で、周囲への感謝を繰り返されます。
 平成十三年四月から愛知県中小企業共済協同組合総代と、平成十四年五月からは、愛知県広告美術業協同組合参与の役職を務めておられます。
 昨年古希を迎え、長女友江さんのご主人勝山啓一さんに社長職を譲り会長となられましたが、「せっかく任せた以上は、できるだけ口出しを控えようと、殆んど出社していないのですよ」との事。
 空いた時間にスポーツセンターへ通っておいでですが、素晴らしい出会いや、商売に大変役立ったゴルフをこれからも続ける事ができて、お医者様のお世話にならないようにとの思いからだそうです。そのうえ書道教室の秋の作品展出品へ向けて、掛け軸一本を制作中との事で、無駄なく、かつ有意義な時間を過ごされています。
 以前は神棚に手を合わせるだけでしたが、毎朝晩には、清祓、大祓、祖霊拜禮詞、祈念詞を読んでお参りされているそうです。
 奥様の安代さん(六十八才)は、高齢の伎代先生に付き添われて、名古屋大教会の月例祭や大祭に参拝されていましたが、今も月例祭の後のお手伝いをしてくださいます。
 昨年、伎代先生の三回忌を終え、自宅の耐震などの問題もあったので、八月に横江教会長に改築の相談をしますと、「いいのは今年の奇数月ですよ」との事。あと九月か十一月しかありません。大急ぎで工事を十一月から始める事に決めた直ぐ後に、次女の岡橋文江さんが、結婚十二年目にして双子の妊娠が分かったとの連絡がありました。
「今、家も出来て、一月に双子の孫も授かり、神様と横江教会長に感謝の気持ちで一杯です。先生に相談していなかったら、家も出来ていなかったでしょう。
 親が神様を信じ、先祖を尊ぶ思いを持ち続けたおかげで、今の私どもに素晴らしいものを与えていただけたと感謝しています。これからも親の意志を継ぎ、神理教の真理に沿って、神様と先祖に感謝して努力していきたいと考えています」と臣司さんが話される横で、奥様もうなずいておいででした。
 生前、伎代先生は「子供や孫に恵まれ、私は本当に幸せです」とよく話してくださいましたが、そのお声が聞こえてくるようです。

                
                                                         




「家族で奉仕」  福山教会の皆さん


 多くの教信徒の皆さんの奉仕は、春秋の大祭に欠かせないものです。こうした皆さんの奉仕があるからこそ、毎回、滞りなく大祭を執り行うことができるのです。大祭を支える奉仕活動―。今回は、その中から福山教会の皆さんにスポットを当ててみました。
 福山教会の特徴は、大祭前に幅広い年齢層の皆さんが清掃奉仕に訪れるということです。家族揃って奉仕する姿を目にすることも、決して珍しくありません。清掃奉仕のために、仕事を前倒しにして休みをとる人もいるとか。奉仕の内容は、それぞれに振り分けられるということですが、家族で奉仕する素晴らしさを、福山教会の津尾美智子さんはこんなふうに語ってくださいました。
 「家族で奉仕に来ると、親が奉仕を行っている姿を、子どもたちも目にすることができます。日頃、子どもたちが、そういう親の姿を見ることはあまりないので、子どもたちにとってもいい機会になると思います。」
 子どもは親の背中を見て育つと言います。子どもの頃から、親が黙々と奉仕活動に汗を流す姿を目にして育つのは、素晴らしいことです。きっと、親に対する思いを新たにするとともに、信仰心も根付いていくことでしょう。
 福山教会の皆さんが行う清掃奉仕の一つに、本庁横の池の掃除があります。池の掃除と一言に言っても、あの広い池のこと。かなり大変な作業です。実は、福山教会の皆さんが池の掃除をするようになったのは、ある不思議なできことがあったからと、津尾さんは言います。
 現在、中学三年生の津尾さんの息子さんがまだ二歳の時のこと。五歳年上のいとこの子の真似をして、池にある石の上を飛んで遊んでいたら、バランスを失い、後ろにひっくり返ってしまったそうです。息子さんは一度、池の中に沈んでしまいましたが、不思議なことに、次の瞬間には石の上にちゃんと立っていたというのです。
 「どうやって石の上に立ったのか、本人も覚えていないと言うし、いとこもびっくりしているうちのことで、私たちにも分かりません。しかし、池につかった息子の体が頭の先まで全身びしょぬれで臭かったので、池に落ちたことは事実です。息子を助けていただいた感謝の気持ちも込めて、池の掃除をしようと思い立ったのです。今年の春の大祭前に、五回目の池の掃除を行いました。」と、津尾さん。
 不思議なことがあるものですね。ちなみに、津尾さんはこのほかにも数多くの不思議な体験をされています。そのお話は、また改めてご紹介したいと思います。
 さて、大元稲荷にはたくさんの幟旗が奉納されていますが、幟旗の旗をはずし、竿をふいて、きれいな旗を付け替えるのも、福山教会の皆さんの奉仕活動の一つです。清掃奉仕のたびに、この大変な作業を行っているとか。しかも、福山教会だけで春秋の大祭にはそれぞれ三百本の幟旗を奉納しているそうです。
 福山教会の皆さんを見ていると、和気あいあいとした、一つの大きな家族のような感じがします。秋の大祭前にも、家族連れで清掃奉仕に汗を流す福山教会の皆さんの姿を目にすることでしょう。


熊本南地区ブロック 研修会報告

 七月四日、熊本県芦北町 野坂屋旅館に於きまして、熊本南地区ブロック研修会が行われました。参加は十名で、本院からは瀬戸局長、立元課長、末若教修生が出向しました。

午前中は立元課長が「神理教のあらまし」についてお話されました。

神理教の歴史、御教祖のご生涯、今日訓や御教誡を通して、教義についての解説がおこなわれました。
次に末若教修生が、「家庭の祭祀」。神棚のまつりかたについて話しました。
お供えの順番や種類など貴重なご質問をいただくことができました。
その後昼食。食前、食後の言葉の先達は参加者の瀬戸真智子さん。
昼食後、瀬戸局長による「御神徳」の講義。
神様、祖先、親、子の関係について詳しくお話されました。
茶話会では、率直なご質問をいただきました。
 来年の開催日は七月三日に決まりました。記念撮影の後解散。ご参加ありがとうございました。
(記者/末若)
 


第六回 中部地区ブロック研修会の開催

 名古屋大教会 横江春太郎教師会長より、ご報告いただきました。ありがとうございます。



教師会長挨拶◇◇◇◇◇◇◇◇◇
教師会長 横江 春太郎
…(一部抜粋)…折角の研修の機会であります。研修には、熱意を傾けられることをおねがいする次第であります。その上で、あわせてこうした機会をとらえて、実に一言、「心を磨く」としました話を関連して申し上げさせていただきたいと思います。
 それは皆さん、皆さんは一日の中で果たしてお互い深く自分を見つめ直す時間を持ち合わせてみえるでしょうか、ということであります。例えば、
・今日、自分のとった行動は。
・どんな人に会い、どんな行動をしたのだろうか。
・人のため、どんな行動をしたのだろうか。そこには、嬉しかったこと、楽しかったこと、悲しかったことなどいろいろなことがあったはずであります。しかし、毎日が忙しくてそんなこと考えるヒマもない、又、深く見つめ直す余裕もないと言われ、又、思われている人が大部分だと思います。ところで、自分を深くみつめる時間、例えば、それが帰りの電車やバスの中で、あるいは、夕食後のくつろいだあとで、そういう時間をあえて作り、自分を深く見つめ見直される方は、そこにある面では、反省し、非をあらため、善いことは伸ばしていく。
こうした対応により、そこに人間として精進する機会が生まれ、有意義な人生を送ることができるのであります。としますと、本日の研修を終えられましたあと、これで終った、ホッとしたというとらえ方はなくなるのであります。そんな心がけで、今日の機会をとらえられ、「心を磨く」気持ちを是非、身につけられますことを本日の研修とあわせておねがいする次第であります。……
教会長祝辞◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
教会長 横江 初恵
 

本日は、大教庁より副管長様並びに瀬戸局長様を講師としてお迎えし、平成十六年度の第十六回中部ブロック研修会開催の運びとなりました。本日は皆様方、とりわけご遠方よりお越しいただきました小坂井教会様には、教会長様初め多くの方々のご参加をいただきましたこと厚くお礼を申し上げます。
さて、この研修会にご参加の皆様方には、この研修会に対する深いご理解のもと、日々の敬神の念、又、神の心の満なる思いで、今日一日有意義に研修され、明日からの明るい社会づくりに進みたいものとの思いをしているところでございます。
 本院の講師の方には重ねて厚くお礼申し上げ私の祝辞とさせていただきます。

 



夏越祭平成16年7月11日(日)十一時〜



     
            玉串拝礼 柳純恵さん

 例年よりも早く梅雨明け宣言が出た十一日。今年の夏越祭は、朝から夏の日差しを感じさせるような快晴に恵まれました。大元稲荷神社へ続く参道は、木々のひさしで陽が遮られており、登っていくにつれ、熱い体が少し涼んでいく感じがしました。
この夏越祭とは衣食住の感謝や、商売繁盛を祈願する行事です。管長様はお話の中でこう語ってくださいました。「天候に恵まれ、山へも登りやすかったことは、ありがたいことです。以前は赤土だった参道も、現在は石敷きになっています。これも、それぞれの方が真心を尽くして頂いた結果です。そうした皆様のお陰を考えながら、参道をたどる中で神様へ思いを馳せます。
 『清ければ 神は寄るなり 掃き清め 祓い清めて 神祭せよ』
清さが参道を歩く中でまた清められるのです。便利のよさに慣れてしまいがちですが、参道はそうはいきません。これからも足を運びましょう、無理でも心は神へ向けましょう」
 今回も津山や長崎など、遠方からのお参りを頂きました。そんな中、津山教会の柳純恵さんにお話をお伺いしました。津山教会は大元稲荷の分霊を奉斎されており、夏越祭には毎年参拝。今年は柳さんが津山教会を代表して来られたそうです。「今年は特に暑い中での祭典でしたが、管長様の祝詞やお言葉を頂き、また山に登っての祭典も清々しい気持ちになりました。遠方からの参拝者もあり、信仰の深さを感じました」と感想を述べてくださいました。
 柳さんは津山教会の教師であり、幼稚園教諭でもあります。毎日早朝のご神拝を欠かさず行っているそうです。また、夏・秋の大祭には本院より先生に出張して頂き、参拝者の方にも大変喜ばれているとか。今年は信者様の家内安全と身体健全、子どもたちの幸福と津山教会、幼稚園の繁栄をご祈願された柳さん。遠方からの参拝、本当にお疲れ様でした。
第24回 短期出張講習会開催
福山教会 特派員 兼 祭典部長
 小林  隆
 平成五年二月にスタートしたこの出張講習会も、回を重ねること二十四回を迎えました。
 毎回ご多忙の中、信者の為また教師の為に講義、祭式等の講師を務めて頂いております巫部祐彦副管長様と瀬戸正和宣教局長様に紙面を借りて、心より御礼申し上げます。

 この講習会の目的は、@教師の資質の向上A厳粛かつ適正な祭典の執行B本院の先生方との交流等を主眼としており、年二回(二月と六月)開催しております。

 今回は六月十九日(土)、二十日(日)の二日間、延べ五十名参加の下、実施されました。それでは、詳細について報告致します。
 土曜日快晴。朝十時、十六名で教会三階の会場設営開始。
十時三十分、副教会長が副管長様と瀬戸先生を松永駅に出迎え。教会へ到着され、二階神前にて先生方御神拝の後、教会長以下教師、信者と懇談。

 二ヶ月ぶりの再会にも話も弾み、あちこちで笑顔や爆笑。和やかな雰囲気で昼食会場へ。食事をしながら、本院「式年大祭」の思い出話、苦労話に花が咲きます。

     

午後一時御神拝。先達、祓行事、太鼓、摺鉦、笛。これらの所役は教師が交代で務めます。終了後、三階で講義。講師は副管長様。はじめに「副管長職就任の挨拶」、次に自ら初めて出版された著書「かがやき」のご説明。内容は「神理雑誌」の「自然の道」を纏めたもので、皆様是非ご一読されることをお勧めします。そして「火水の巻・人体本言考(神理の声)・暗夜の灯台の比較研究」について、資料を交えながら、丁寧かつ明快な解釈で講義されます。資料を受講者が順番に読み上げていくので、うかうかしておれません。いつも感じておりますが、副管長様の講義は「優しさと誠実さ」が随所にあふれております。

 午後三時半。講師は瀬戸先生。「大祓詞の信仰」について講義して頂きます。
 「夏越祭」「芽の輪」の説明。「蘇民将来と巨旦将来」のお話。「祓い」について詳細な説明。そしてメインの「五元」の解釈など盛沢山。事前の準備方よろしく説明書をパソコンで作成され、黒板に貼り付けて、迅速かつ的確に説明されます。突然指名されて質問が飛んでくるので、受講者はピリピリ。居眠りなんて出来ません。時折ユーモアを交えて話を進められるので、その時ばかりは会場は大爆笑。
 午後五時、夕食。教師による「食前の言葉」「食後の言葉」。そして暫しの休憩時間。
 午後六時。講師は副管長様。講義内容「神理教 御教誡」。
 本教の基本となる教です。新任の教師も六名参加しておりますので、おさらいの意味を込めて講義して頂きました。教会では月例祭の中で、教師が「本教大意」と共に奉読しております。
 午後六時五十分。講師は瀬戸先生。「大祓詞の信仰」の続きです。「悪」や「除悪の儀」について説明。そして宿題が先生から出されます。なんと「五元」の暗記です。翌日は指名されるので、受講者は夜も眠れません(?)「五元」の表は本教の中枢の教義です。教師の皆さん、是非暗記して下さい。
 午後七時四十分からの御神拝で本日の日程は全て終了。お疲れ様でした。また明日。皆さん、満足の表情で帰路に着きます。

 翌朝九時。御神拝。副管長様「御教話」〜演題「人として、如何に生きるべきか。心の中の人間性」要旨・「健康に生きる為には、奉仕、感謝、反省の心を忘れない」・副管長様自らの体験談を交えて「子供との接し方、教育方針」について講義。特に「病気」や「事故」は十三歳までは親の責任である(神理教の教)、など受講者は真剣な眼差しで話に聞き入っています。
 十時四十五分。講師は瀬戸先生。昨晩の宿題の「五元」について受講者が黒板に貼付。
 本教の紙旗の説明・「品具」「榊」「玉串」「神籬」「真榊」の説明。「神道の教は祭式にある」などの充実した内容。
 昼食を挟み、午後一時。祭式の時間が始まります。その前に、このたび教師を補名された小林眞理子教師に対しまして、副管長様から辞令が授与されました。「おめでとうございます」
 祭式は@新任教師は基本中の基本「膝進、膝退」の反復練習。立礼、座礼の基本作法Aベテラン教師は「祓い行事」「後取」「齋主の作法」B一般信者は「玉串拝礼」「日常の祭事」と三班に分かれ、厳しい特訓を受けます。講師の補助は井上誠祭典部副部長と檀上由光青年部長が務めます。
 しかし、本院夏季講習会で大教殿において、汗まみれになって行う祭式とはかなり厳しさが違います。やはり祭式練習は本院が一番です。
 祭式も終わり、反省会。「練習の繰り返しの必要性を感じた」「本院大祭時に所役を振られても対応できるように努力したい」「初心に帰って練習をした」「緊張の連続だった」「二日間、一生懸命勉強した」など受講者から様々な意見が出されました。

 最後の御神拝も終わり、先生方からの講習会全般の講評。箱田定義代表総代、教会長からのお礼の言葉があり、無事脱落者も無く、講習会は幕を閉じました。次回の講習会は来年の二月を予定しております。今回以上の参加をお待ちしております。皆様お疲れ様でした。
 そして、最後まで真摯な姿勢でご指導頂きました副管長様と瀬戸先生に再度御礼申し上げます。「どうもありがとうございました。次回もよろしく御願い致します」


大祓・焼納祭   平成16年6月30日(水)11時〜・13時

 いつも雨に見舞われてしまう大祓・焼納祭ですが、この日は真夏を思わせるほどの快晴となりました。数年ぶりに滝場での儀式も行われ、水の流れる爽やかな音と蝉の鳴き声が交差する中、大祓の祈念詞があげられました。
自分の悪い箇所を書いたり触れさせたりした形代(人や車、バイクの形もあります)を清め、その後は燃やして供養するのですが、昭和四十年頃までは、形代をそのまま紫川に流していたそうです。
川に流すことができなくなってからは、滝場で清めた後、古い御神符などと一緒に焼納しています。
 そもそも大祓とは、いにしえの昔、天皇が国民のために始められたもので、神理教だけでなく全国の神宮などでも同日に行われている神事です。
日本人は一年を六月までの上半期と、十二月までの下半期に分け、それぞれの期末(六月末と十二月末)に半年ずつのお祓を行い、罪や汚れを清めてきたのです。
 十三時より行われた焼納祭では、御神酒と塩で清めた形代などを、五色の折り紙で作った贖物(全世界の罪を代わりに償う生け贄のような意味合い)と一緒に大教殿前にて焼き払いました。
 大祓・焼納祭に参加して、もう一年も半分が過ぎてしまったんだな、としみじみ感慨深くなると共に、残り半年も頑張っていこうと、身の引き締まる思いがしました。そして生活していく上で、こうしたけじめのような行事は大事だなと、再確認できた一日となりました。




                             雑        記       遊歩 太郎
                
 
 排気量25ccのエンジンは快調に動いている。青白い排気の煙が私の背中の方で噴き上がっている。アクセルは右手の取っ手に付いている。重量は約4キロ、時間の経過と共に肩に掛けたベルトを通して肩の肉に食い込んでくる。
 境内は広いので分割して順繰りの作業となる。平地はたやすく出来るのであるが、法面のきつい所などは足がすべって度々コケルことがある。最近は大津教会の皆さんが法面を中心に草刈をしていただいているので大助かりなのである。
 6〜7年前は、草刈機の歯は3枚又は4枚歯を使っていた。切れ味が悪くなるとグライダーで磨いてまた使っていた。今はチップソーというギザギザの歯が沢山ついたものを使っている。切れ味が断然違う。草刈が楽しくなるほど違う。直径5センチほどの孟宗竹なら簡単に切れてしまう。ときどき調子に乗ってそれ以上の太さの竹を切りに行って竹の間に歯が挟まり苦労したこともあったが・・。
 私は、草刈機の歯の使用が4枚歯の時、大変怖い思いをしたことがある。
 その時、私は一人で草刈作業をしていた。セイタカアワダチソウそしてカヤと格闘していた。セイタカの方は茎が硬いし、カヤは密生しているし、アクセルレバーを引きながら回転を上げて、力を入れて右から左に草に向けて歯をぶつけていた。
 少し窪地の所にカヤが密生していた。回転を上げて切り始めたが、そのカヤに負けて歯が止まってしまった。2回同じような状態になった。歯が鈍ってしまったか、カチンときた。フルスロットルにして大きく右上から振りかぶって歯をぶつけていった。その時、「ガッキーン」と大きな音と共に草刈機は跳ね飛ばされ、私の頭上まで返ってきた。エンジンは不規則な音とともに停止。歯も回転をやめて止まろうとしている。見ると歯が半分無い。歯はどこだ。何秒だろうか、後方で「カッキーン」と乾いた音がした。振り返った。続いて「カラッ・カラッン」の音、音を探した。見つけた。少し見下ろす所に建っている二階建ての家だ。歯の半分がその二階建ての屋根瓦を滑りながら落ちていっている。二階から玄関の屋根、そして玄関の正面のコンクリートの上に落ちて止まった。しばし唖然として見ていた。
 オオゴトだ、と思った。家の人が出てくる前に謝りに行かねばと思った。しかし足が動かない。少し待った。家の人が出てくる気配は無い。少しだけ安心したのか、草刈機に目をやった。先の方が歪に曲がり、手元の方も緩んでしまって使用不能状態、修理も無理だと思った。
 再び、二階建ての家を見た。相変わらず人の気配は無い。30メートルはゆうにある距離だ。屋根瓦でよかった、人に当たっていれば、建物のどこかに当たっていれば、思うとゾッとした。今度は、草刈をしていた状態にスタンスをとってみた。ぶつかって跳ねた大きな石が目の前にある。その石から後方の屋根瓦への直線上に私の右足があった。私の身体に当たっていれば、思うとまたゾッとした。たぶんブーメランの様に曲線を描いて飛んでいったのだと思う。
 飛んでいった歯を回収し、壊れた草刈機を持って大教殿の前に立った。私のミスを反省した。大事に至らなかった事への御礼は勿論、無事にここに立っている事に感謝した。
 道具は使い手の意思如何で変化する。慢心か怒りか、そのどちらも私にはあった。使い手は平常心で機械の能力を引き出さなければならない。まだまだ修行が足りない・・。トホホ・・。  

                 終わり