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                                                          2004−12

平成16年12月号 第1090号

        

巻頭のことば


「幸福・幸運は与えられるもの」と考えがちである。

間違いではないが、「すでに与えられているもの」の多さを感じているかが問題である。

「まだ与えられてないもの」をやたら欲しがる。

不平・不満・羨望・妬みは、不幸な人へのスタートと言える。

「幸福を感じる」「幸福を発見する」その心根こそ、

幸福への出発点となる。




               
                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
     あめつち 
   天地の 中に成り立つ 人なれば
                 
           その天地を 忘るべきやは

 
 平成十六年も最後の十二月という事になりました。本教独立一一〇年という節目の年を迎えるにあたり、数年来の努力を重ねて来た訳ですが、その式年大祭を盛大に奉仕する事ができましたのは、何にもまして有り難いことと感銘、心から感謝している所であります。

 難儀や苦労が大きかっただけに、独立認可を得た時、ご教祖を始めとする先人・先輩たちの喜びは、絶大だったに相違ありません。銘々の生活についても、苦労をいとわず前向きな姿勢につとめることにより、そうした絶大な喜びに結びつく事が望まれます。

 それにしても本年は、異常な酷暑に続き、記録的な台風上陸、更に新潟中越地震などの天災が重なりました。苦労の成果として喜びとともに得ていたものを失った方や、死傷されるという惨事に遭われた方々には、お見舞いやお悔やみの詞もない状態であります。

 尤も、酷暑や台風や地震そのものについては、確かに「天災」と言わざるを得ませんが、そうした自然現象により、多くの人々が取り返しのきかない被害をうけた事については、「天災」ということで済ませてはならぬものがあるようにも考えさせられます。

 山川草木その他、自然界の万物は、長い歴史の中で銘々なりに落ち着く場を占めている訳ですが、人間は、その落ち着いている場に割り込んで、向こう見ずに自身の場を広げ、結果的には落ち着いている自然のたたずまいを乱していると、申せそうだからであります。

 そうした自然と人間との関係は、社会と個人との関係についても通じる所があり、異端な存在としての割拠が拒絶されるのは必至であります。即ち我々としては、地域社会や国家という廣い視野の中に自分を位置づけ、その進退の是非を試行錯誤すべきかと考えます。

 今月は平成十六年を総括し、新年の心構えを定めるべき月と申せますが、そうした回顧や展望についても、只今を戴いている事への感謝の気持の中で、身近の出来事をも廣い視野の中に位置づけて考察すべきかと思います。即ち、おのずから一貫した軌跡の延長線を進む安心感が得られると思いますし、そうした安心感と共に良き年を祝い合いたいものであります。
 



                  

H.16.12月号

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)

(かみ)(ほとけ)(ちが)い ((あと)

 ようやくご質問の本題に入ることが出来ました。

A(かみ)()(せん)が、(れい)(てき)にどう(はたら)かれることによって(まも)られているか。

*勘違い・曲解

 (しん)()(きょう)(以下(ほん)(きょう)といいます)のことを(しん)(こう)(しゅう)(きょう)とか(じゃ)(きょう)(など)()()(きょう)の人がいますが、それは大きな勘違(かんちが)いで、(ほん)(きょう)はご(ぞん)じの(とお)りそうしたことを言う教団以上の(ふる)くからの(れき)()()(ほん)(じん)(ほん)(らい)(しん)(こう)()()(きょう)(だん)です。

それらは、(しん)(とう)や本教の(れき)()()らないところから()()(かい)や、知っていて(まよ)わせようとしたり、()()()()に自分でそう思い込もうとする(きょっ)(かい)なのです。

()()(たの)しみ

 本教の(おし)えからいうと、人は()んで(いち)()(かな)しく(つら)いことはあっても、神から()()(よろこ)びを戴きます。

 その喜びとは()(おこな)いをし(しん)(とく)()んだ人は、()くなった(あと)()(そん)()(まも)るという(たの)しみ・役割を()ることが()()ることです。

 そして()(そん)(しあわ)せな(よう)()を見れば、(れい)となった()(せん)()(しん)(あん)(しん)と喜び(すなわ)(れい)(こん)(あん)(てい)を得ることが出来ます。

 ましてや、それが祖先としての子孫への働きの結果そうなったのだとすれば、これに増しての喜びはなく、まさに至上(しじょう)の喜びと言えます。

(れい)(てき)(はたら)

“霊的にどう働かれるか”ということを()(たい)(てき)に言えば、(たと)えば、

(こう)()(てん)が青になって、もう一歩早く()()していたら(しん)(ごう)()()の車にはねられていたが、そうならずに助かった』ということがあります。

これらはご先祖の霊的な守り、と有り難く()()めたいものです。また、()んでしまおう』とか『(はん)(ざい)(おか)そう』と(けつ)()しても、(けっ)()(てき)それをしないで()むような(きゅう)な出来事が起こるのも、ご先祖の霊的な守りと言えます

 (はん)(たい)()(さつ)をしたり犯罪を犯してしまったり、また突然の()()()()まれたりというのは、ご先祖の守りの(うす)(ひと)ということになります。

 (とく)を積んだご先祖も罪を犯したご先祖も、子孫を守りその(はん)(えい)を見守りたいという()()ちは(おな)じです。

 ご(せん)()(こう)()(こう)()かれ()は、()(そん)(はん)(えい)を見るか(すい)(ぼう)を見るか、そしてその守る力が(はっ)()出来るかどうか、ということなのです。

ご先祖にとって、(れい)(てき)な守りの力を(はっ)()出来役割を果たすことが、同時にご先祖自身の(しあわ)せとなるのです。

 るという(やく)(わり)()()き、その力を発揮出来るご先祖は幸せで、いわゆる(てん)(ごく)(あま)()(くに)()(わか)(みや)(かみ)(くに))におられるということです。

 本教の言葉で言えば、“(れい)(こん)(あん)(てい)()ている”ということになります。

 (はん)(たい)に子孫を守る力が出せず、子孫の(すい)(ぼう)を見て何も出来ないご(せん)()()(しあわ)せで、まさに()(ごく)()()(くに)(くる)しみを()けているようなものです。

*祖先の霊的な守る力を()すにはどうすれば()いか

 徳のあるご先祖を持ち幸せを感じて()らす子孫は、そのご先祖の徳の有り難さを忘れないことです。

徳の薄いご先祖を持つ子孫は、(おお)(もと)(てん)(ざい)(しょ)(じん)にご先祖と自分の(つみ)(けが)れを(はら)って(いただ)くことを(いの)ることです。

その両者共に、信仰の三(げん)(そく)である(かん)(しゃ)(ほう)()(はん)(せい)の心を持つことです。

そしてさらに、祭り(祈り)・神前奉仕(次に社会奉仕)・教えを学ぶ(生活に活かせるように)、を実践(じっせん)することが徳を(たくわ)え霊的な力を増すことになります。

 本教くらいに(しあわ)せの(ほん)(しつ)(つた)え、その(ことわり)と実現方法を()(たい)(てき)に伝える教えはないのではと思います。

*天在諸神とご先祖こそが守りの根元

 ()(きょう)(かい)第二条()(おん)(わす)るることなかれ』で、ご先祖を大切にするということは『ただ(ぶつ)(だん)()(れい)にして(ねん)ずることばかりではない』と(おし)えられています。

 (たと)(しゅう)()(ぶっ)(きょう)であろうとも、本教を信仰するからにはご先祖の大元は(てん)(ざい)(しょ)(じん)であることを知らねばなりません。

この天在諸神にご先祖の霊魂の安定を祈ることをしなければ“ご先祖と自分の罪・穢れを祓う”という不幸の(こん)(げん)(のぞ)くことにはなりません。

 仏教その他の教えをを()(はん)するつもりはありませんが、本教を信ずるならば私たちとご先祖との血の(つな)がりのある、天在諸神を信仰するのが本教を信仰する者の筋であるといえます。

 仏教ではその教団の(せい)(じん)(けつ)(けち)(えん)(かん)(けい)(むす)んで守りを得ようとする(しゅ)(ほう)もあると聞きますが、ご先祖を一番の守り神とする神道では論外(ろんがい)です。

 ()()(やく)()(ため)(けつ)(けち)(えん)(かん)(けい)などは、(せん)()と子孫に本当に大切なもの(神祖との繋がりと守り)を見失わせ(どう)(よう)させるだけなのです。

()(きょう)の神仏は(あわせ)(まつる)(もろもろ)(のかみ)(ひと)

 本教の教信徒にとって天在諸神が大元の主祭神(しゅさいじん)なので、仏教その他の教えやその神や仏は、(あわせ)(まつる)(もろもろ)(のかみ)の中の(てん)(しん)()()の中の一神ということになります。

 日本では古来から、外国から入った例えば七福神(しちふくじん)なども(ばん)(しん)(日本固有でない神)として受け入れてきました。

 キリスト教やイスラム教等の一神教と本教との違いの一つは、他教の神や仏を全く認めず排除(はいじょ)するいうのではなく、こうした形にして取り入れることです。

 仏教の守りというのは、もしご(そん)()のどなたかがその守りによって何か救われたことがあるのならば感謝するべきですが、それは(ほん)(きょう)で言えば(あわせ)(まつる)(もろもろ)(のかみ)の救いと同じで、その大元は天在諸神なのです。

 日本は神の国ですから、約四百年間の(ぶっ)(きょう)()であってもそれは神の守りの中でのことだとは、多くの日本人の感じるところだと思います。

*安心出来る宗旨

 (てん)(ざい)(しょ)(じん)こそ(おお)(もと)(かみ)と見るか、そうした(ほとけ)や他教の神を大元の神と見るかは、江戸時代に無理強(むりじ)いされたご先祖ではなく、こうした事実を確認された今のご(そん)()(はん)(だん)(ゆだ)ねられていることだといえます。

 宗旨(しゅうし)を元の神道に改めら(帰さ)れる方は、ご安心して本教とその大元の天在諸神にお頼り下さい。





神理未来委員会が考える 七罪八徳   「詐り」について

神洲太鼓教会 小路 美保

 今回、「詐り」というテーマについて考えようしたとき、まさに今から三年前の自分の姿を思い出しました。それはどうしてかというと、私が三年前、神理教の教会の跡を継ぐきっかけとなったのは、まさにこの「詐り」が大きな要因となっていたといえるからです。
私は「自分を詐ると、心身を正常に保てなくなる」ということを経験し、それがきっかけとなってこの神理教に導かれたので、その体験談を書かせていただきたいと思います。
 私は十年前からおよそ七年間に渡り、不妊治療というものに取り組んだ時期がありました。それは、今思えば本当に子供がほしくて行ったことではなく、嫁ぎ先に早く嫁として認めてもらいたいと願っての「見栄」からくるものでした。
それでも、私はそれに取り組むことが長男の嫁として、年齢若く嫁いだ自分の務めと考え、真剣に取り組みました。然しながら、結果分かったことは、「子供は神様の授かりもの」であり、思い通りに求めて授かるものではないという事実でした。さらに子供が出来ると聞けばどんな物でも、どんな方法でも逃したくないと取り入れた私は、神経をすり減らし、ホルモン剤で体を痛め、自力で生理のリズムも刻めない体になっていたのです。

 そんなある時、父が神理教の本教大意と、当教会の鼓道という教義を奉読し、「もう一度当教会の和太鼓を通じて神理教の教えを広めていくことに力を注いでみてはどうか」と提案してくれたのです。子供の頃に親しんだ和太鼓。私は、楽しくて仕方がなかったその記憶が甦り、また無心で自分に正直に、素直にお腹の底に響く音を打ってみたいと思いました。
それと同時に、もう誰に対しても自分を良く見せようとするのをやめて、もう一度深い呼吸のできる場所で自分の体と精神を立て直したいと思いました。
そうしているうちに、教会の跡を継ぐ形となり、その立場の重さを日々感じながらも背筋を伸ばし、一心に神様に近づきたいと思うようになりました。それは本院に足を運び教義や祭式を学ぶこと、また和太鼓の技術を習得すること、という行動に変わっていきました。
 そうして三年が経った今現在、私の体は、医師の反対を押して薬物療法を断ち切ったにも関わらず、自力で生理のリズムを刻めるようになり、しかもほとんど風邪も引かないくらい元気になりました。さらに神事と和太鼓の両方面について、もっと学びたいという意欲は尽きず、積極的に活動をしています。
このように、自分を詐り続けてきた二十代の私が健康を害することで気づかされた「本当の自分」は、三十代以降の自分にさらなるエネルギーを与えてくれていると実感しています。
 最後に、私は今回のこの「詐り」についての考察によって、あらためて今自分が進んでいる道筋が自分の心から願うものであること、またそれが大変清々しく気持ちよいものであることを再確認しましたので、ご報告させていただきます。 (感謝)





    

「教祖言行録」より

*管長様が活字化し一冊にまとめられた「教祖言行録」(当時の生存者を訪ねて、教祖様のお言葉や、教祖様に関するエピソード、思い出話を聞き取り、清書したもの)の中から毎回、順不同で一話ずつ選び、それを現代語に改めて簡潔にまとめたものをご紹介しています。


  企救郡企救町堀越   上川 勇太郎 談


 私がまだ幼少の時のことで、あまり詳しいことは知りませんが、教祖様がお医者さんをなさっておられた時分から、堀越にはよくお見えになっておられました。

 子ども心にもよく覚えていますが、まことにやさしいお方で、いつもニコニコと微笑まれ、子どもであろうが老人であろうが、本当に気安くお話をしてくださいました。まことに親切なお方でした。
 そして、夜も昼もなく中歯の下駄を履かれて、病人のいる家を見舞っておられましたが、堀越においでになると、必ず私の家へお寄りくださいました。
 もし、夜遅くなって家族が休んでいるような場合は、外から「半六さん、半六さん」と小さな声で父の名を呼ばれます。すると父が早速、返事をして雨戸を開けると、中にお入りになり、
「昼はあなたもお忙しいので、お話もできませんが、夜は暇だからゆっくり話せます」
とおっしゃって、ぼつぼつお神様のお話をしてくださいます。お神様のお話を始めますと一生懸命になられて、夜の明けるのも気づかないほどでした。

 これは、いつも父から聞いていた話です。その当時のことは子どもだったので、よく覚えていませんが、田川郡の福智山に橘権現というのがあって、そこにいる法印(僧の最高位)さんの息子は出来が悪く、博打を打つ、酒を飲む、喧嘩もするというありさまで、親も閉口し、ついに勘当してしまいました。それで、その息子は仕方なく子どもを一人連れ、堀越にあるコヤンの観音という御堂に来て、堂守をしていましたが、間もなく病気にかかり、食うに食われず、おまけに子どももいるということで、非常に困っていました。

 そこで堀越区の者も同情して、いろいろ世話をし、交代でご飯を持って行って与えることにしていました。ちょうどその頃、教祖様はお医者をなさっていて、堀越にもおいでくださっていましたので、ある日、村人がその話をしたところ、教祖様は、
「それは、まことにかわいそうなものじゃ。私が一度見舞うてやろう」
とおっしゃり、すぐそのままおいでくださったのです。そして、いろいろと神様のことや、人の道について話して聞かせ、診察した後、その日はお帰りになりました。
 翌日、ご自身でお薬を調合され、小さなビンに入れてお持ちになり、与えてくださいました。それからというもの、おいでになるたびに薬はもちろんのこと、ご飯や子どもにはお菓子までも、わざわざ徳力から持って来られ、時々は小遣い銭も恵んでお帰りになるという次第で、ご親切にお世話くださり、遂にその人をお助けになったそうです。村人も、この教祖様のご慈悲深いお心に、感激しない者はいなかったとか。

 たいてい、薬代の少しも滞ると、たまにお願いしても来る足が重いというのが当時の人情でしたが、教祖様はそんな薄情なお方ではありませんでした。それどころか、困っている人を見ると、薬代のことはおろか、お金を恵んででも、その人を救ってあげるのです。
 また、その人が乞食であろうが、賤しい者であろうが、そんなことにはまったく頓着なさらなかったのです。だからこそ、このかつて見たこともない堂守に、これほどまでに親切にして、お救いくださったのでしょう。
 教祖様は普通のお方ではなく、本当に生神様でいらっしゃいました。堀越区民が揃って神理教の教徒になったのも、一つは教祖様のお徳に教化されたためだと思います。

《ご子孫にお聞きしました》
 現在、堀越には上川勇太郎さんのお孫さんにあたる上川総一郎さん(七年前に亡くなられました)の奥様が住んでいらっしゃいます。直接、勇太郎さんに会ったことはないものの、勇太郎さんの話は聞いたことがあるとか。
「とにかく、お酒が好きで、近くを通りがかる人を呼び止めては、『一杯、飲まないか?』と誘っていたそうです。」
 恐らく、大変な酒豪だったのでしょう。そんな勇太郎さんのことです。お酒で失敗したこともあったといいます。ご主人の総一郎さんがご存命なら、お祖父様のお話をもっと聞けたかもしれません。

「主人は一人息子で、とても大事に育てられたと聞いています」と、奥様。
 今も堀越で、神理教の信仰を守り続けている勇太郎さんのご子孫。「堀越区民が揃って神理教の教徒になったのも、一つは教祖様のお徳に教化されたためだと思います。」という勇太郎さんの言葉に、改めて感慨深いものを覚えました。 





百瀬ミュージックだより (46) 代表 百瀬 由の

◎日野原重明氏のお話シリーズ(10)
 長生きはするもの、老いとは衰弱ではなく、
 成熟することです
 七十五歳になったら晴れて「新老人」
 二千年秋、私は「新老人運動」を旗揚げしました。
 二十年後の二千二十年には、日本人の四人に一人が六十五歳以上になることが予測されています。これほどの爆発的な高齢化は、世界中のどこにも前例がありません。
 そこで、「新老人運動」です。高齢者の権利を守ってもらおう、手厚く擁護してもらおうという運動ではありません。
 年寄りにしか出来ないこと、年寄りだからできることを、年寄りの使命として、年寄りの手で、実現させようという運動です。
 日本は豊かだ、おまけに世界一の長寿を約束されていると、このままのんきにあぐらをかいていたら、日本の未来はどうなることでしょう。考えただけで私は身震いする思いです。その軌道修正ができるのは、年寄りをおいてほかにない。多くのお年寄りを巻き込んで、一大ブームメントを起こしたいのです。
 資格は、「新老人」にふさわしい、満七十五歳以上の、心身ともに元気な老人です。仕事やボランティアで、もてる能力を社会のために使っている、あるいは使える機会をうかがっている、いまだ現役志向の人にかぎります。どんなに元気であろうと、子や嫁の世話になることだけを期待している人に、この資格はさしあげられません。
 世の中では一般に、六十五歳以上を「高齢者」と呼んでいますが、私から見れば、六十五歳はまだ若い、元気であって当り前です。七十五歳を過ぎてなお元気であり続ける人の、その生きる知恵とパワーを結集しましょう。年齢に満たない方は、どうぞ七十五歳を迎える日まで、ご自分で心身の健康維持に努めてください。
(以下、次号に続く)
◎今年もあと三週間もすれば、もう年末を迎えようとしています。一年が経つのは早いもので、あっという間ですが、この間いろんな方との出会い、別れがあり、そして神理教の皆様はじめいろんな方のお世話になりました。少し早いごあいさつになりますが、良いお年をお迎えください。

百瀬ミュージック様は神理教の明星会館を拠点に、高齢者や障害者、困難を抱えている方々に対して、居宅福祉サービスなど、音楽を通してボランティア活動をされている団体です。「奉仕」のひとつの形である社会へのボランティア活動を、神理教として応援させて戴いております。ここでは、百瀬ミュージック様の活動や関係者のコメントなどをご紹介し、皆様にも深く活動を理解していただきたいと存じます。

                 



  幸福への出発
            光陽教会  中山 勇

    第33集  自分で難しくしている人間関係


 人は一人では生きられない動物なのです。近所や会社そして親戚などの多くの人との付き合いの中で生活が成り立っているのです。その為にお付き合いの難しさは誰もが感じている事でしょう。しかし神様は宇宙の大自然と言う当たり前の奉仕を、分け隔てなく私達に与えているのです。人とのお付き合いも神様の当たり前の奉仕に習い助け合いの実践と思いやりの心を持つ必要があります。
良心と言う神様と同じ心を持っているのですから、人間は誰とでも仲良くなれる筈なのですが、本音と建前として裏と表の心が有るので神の心とは違っているのです。その本質が性格なのです。この性格は持って生まれているので、家系的にその家庭全体の幸福と不幸の原因を持っているのです。
性格は人間関係を無意識のうちに「良い子 悪い子 普通の子に識別をしている」のです。そして自分を一番良い子にして他人を見ているので、他人は普通の人か悪い人しかいない事になるのです。その意識が言葉や態度に表れて、人とのお付き合いを自分の方から難しくしているのです。人間は顔や体型を始め双子で無い限り、同じ心や身体を持っている人は存在しません。地球上にいる何十億人の顔や形や心が全て違うのです。この様に同じ人が生まれて来ない事実が、人は神様が創造された神の子の証明なのです。
同時に親から受け継いだ遺伝子を家系の永続の原因として、自分達が毎日の生活の中で善と悪の原因を作り、子供や孫に遺伝的な祓いを残す事に成るのです。難しい「人間関係の中で最悪な関係がいじめ」なのです。「いじめで作る罪は相手の人格を否定する事」なので、大きな罪として不幸の原因を積み重ねて後世に残す事になるのです。そして「いじめの本質は弱い者いじめ」がほとんどなのです。
人間は誰でも人に負けたくない競争心と、どうしても勝てないと思う劣等感を持ち合わせているのです。そのため自分より弱い者に暴力的な攻勢をかけて、優位性を保つ事で自己満足をしているのがいじめなのです。誰でも不安感や劣等感は無意識の中にあるのです。自分の心の弱さを隠すために「いじめや暴力を振るう」のです。いじめが大きな罪を作る原因になるのは長く続く継続性があるからです。「いじめには必ず相手が有り、その相手の先祖を巻き込んで恨みを伴う罪」だから、その罪は大きいのです
いたずらは一度で止めるからご愛嬌で済むのですが、いたずらも何度も繰り返せばいじめに成るのです。しかし一番大切な事は「いじめられる人は先祖の守りが少ないからいじめられる」のです、その先祖は少ない守りの中で、子供を一生懸命守っているので、いじめられて苦しみながらでも耐えられるのです。しかし、いじめる方は自分が作る罪のために先祖の守りが無くなるので、自分より強い者が来ると途端に、もろくて弱い心になるのです。だから弱さを見せないために集団でいじめたり、ストーカーのように隠れていじめているのです。
こうして作る罪は相手の先祖が絶対に許さないので、自分の持っている勢いが落ちてくると、自分を始め家族や子孫が罪の祓いとしての不幸が長く続いて、なかなか罪が消える事の無い継続性のある苦しい祓いとなるのです。いじめやストーカーは人の道から見れば、殺人と変わらない大きな罪なのです。これは「加害者が持って生まれた罪を隠す為に作る罪」なので罪を積み重ねることになるのです。被害者側の方にも先祖に対して怠りの罪と言う祓う罪があるのです。
その為に先祖の守りが少ないから被害に遭っているのです。諺の中で「喧嘩両成敗と言う通り」罪の祓いが両者とも共通した所が有るので神の支配の中では両方とも敗者になるのです。加害者が絶対に悪いのですが「被害者にもいじめられる原因が有る」のです。原因になる罪は「信仰と奉仕の不足が両方の家系と家族の中に有る」のです。原因を取り除く唯一の方法は敬神尊祖の信仰です。人間関係で一番多く罪をつくるのは言葉と態度なのです。言葉は心を表現するので相手のその時の心の状態と雰囲気で、受け取り方がこちらの意図とは違ってくる事も多々有るのです。言葉の独り歩きで罪になったり、徳に成ったりするのです。言葉は生きているので軽い気持ちで言葉を使ってはいけないのです。
いじめやストーカーも原因は言葉から始まるのです。「言葉は使いよう」と言いますが、自分を一番高い位置に置き良い子の立場で人を見ているのであれば、ついつい命令調で指示を出しているのです。その言葉と態度に相手が腹を立てたり反発をするのは当然な事なのです。それなのに「自分も逆の立場になり人から指示されると腹を立てたり反発をする」のです。人間関係を難しくしているのが負けたくない反発の心なのです。特に親子関係では子供の年齢に合わせた「親としての適切な言葉で躾をする事が大切」なのです。この子供達が社会に出た時に、その社会に順応出来る心が育っている事が、大切であり親としての責任が有るのです。
最近は家事やお手伝いを子供にさせない家庭が多くなり、心の成長が中途半端で止ったままで、子供っぽい心の大人が増えているのです。そんな大人が会社に就職してからは、同僚や先輩から仕事に関する初歩的な事から教えてもらうのです。家庭とは全然違う職場の環境が有るのですから、教えてもらう先輩に感謝の気持ちがあれば、必ず会社に無くてはならない人材に成長します。信仰も仕事も感謝が基本になるのです。良い先輩ばかりでは有りませんが、それでも感謝できる心が人切なのです。
感謝の出来る人の心に神様の守りが働き自分の行く明日が開けて来るのです。人間は人と交わることで心が磨かれていくのです。心を磨いてくれるどんな他人に対しても感謝の心を持つことは、どんな人よりも心が豊かになるのです。それは自分の中に有る「神の心の良心」が豊かになるからです。この良心を強くする為には家庭の中で、体験と訓練を多く経験をした人が周りの人から信頼をされるのです。
人に感謝の出来ない人は自分本位で、自己主張が強くて不平や不満ばかりの毎日で、仕事の仲間からは、軽く見られて仕事が辛くなるばかりです。「三歳児の魂百まで」と言われる通り家庭での躾としての体験と訓練は、育つ子供の将来に大きな力となり人から信頼される人間となります。この体験が持って生まれた性格の悪い所を修正して良い肉付けになるのです。その事を親は良く知って「子供と一緒に自分の心を成長させて行く努力が必要になります」。最近は子供を叱らない親が増えています。子供に何もさせない、責任も持たせない、そんな親は親として失格です。「叱る事は教える事」なのです。でも怒る事はいけません。「怒る事は感情的に全て否定する事」なのです。親として叱るか怒るかにより子供の心の成長に微妙に影響して来ます。
冷静に判断して叱るのか感情的にヒステリックに怒るのかは、やっている動作は同じでも結果は歴然と違うのです。躾の心は親が手本になる態度と、子供が良い事をした時は必ず褒めてやる、それだけでも子供の心は素直になります。良い事も悪い事も言葉で繰り返し教えてやる根気が必要です。黙って見逃せば善悪の判断が自分勝手の解釈で当たり前に成ってしまうのです。人に感謝とは、やがて自分も感謝されるのです。人を憎めば自分も憎まれる事になるのです。持って生まれた性格を家庭教育の現場で肉付けをしているのですから、子育ての手抜きは自分の首を絞める事になるのです。先ず神様に感謝と先祖に感謝を日常生活の中で親が手本を見せて、「有難う御座います」の言葉が自然に言える家庭をつくりたいものです。






    夏期講習会に参加して

梅尾 俊行さん

 梅尾さんは造船関係の技術的なお仕事に長年携わっておられ、時間は不規則、出張などもあり、大変忙しい日々を送られていたそうです。「だから、私の母が教会をやっていても、継ぐ、継がないなどの話は今まで一切したことがありませんでした。そんな母が今年の夏、初めて夏期講習に行かないかと勧めてきたのです」。
 梅尾さんのお母様は三代目にあたり、初代は梅尾さんの祖父様です。梅尾さんが小学生の頃から神理教は身近な存在で、いつも誰かが拝んでいる姿を見て育ってきました。
働き出し仕事でストレスがたまるとお母様に拝んでもらったりして、常々心の中には”神道とはどういうものなのか“という思いがあったそうです。「長年の仕事が少しアイドリング状態になった折、母に勧められ、自分のタイミングと合致したという感じで”勉強してみたい“と思ったんです。ですから夏期講習の前日に袴などを購入し、急遽参加が決まったという状態でした。いつも聞いていた祝詞の意味が知りたかったので、今回は祝詞ぐらいは覚えて帰ろうという心持ちで参加しました」。

 神理教は身近な存在ではあったものの、知識としては全く白紙の状態だった梅尾さん。初めての夏期講習では慣れない言葉や音楽、そして神理の歴史など四日間を通してびっちりと勉強されました。
「ほとんどが初めての経験ですし、厳しさは承知で参加しました。とくに長時間にわたる正座が辛かったです。いつも椅子の生活なので、辛さは想像以上。二日間は足首が裏返ったほどです(笑)。
二晩湿布をして寝たんですよ」。しかし、早朝起床や水行の禊などは辛いどころか逆に心地よかったそう。祝詞を全て覚えることはできなかったそうですが、聞きなれていたので閻魔帳を見ながらだとスラスラと唱えられたそうです。「楽練習は、どうやってリズムをとるのかも分かりませんでしたが、家にも太鼓があるので、なんとしても叩けるようになりたいですね」。

 全てが初めてづくしのきつい経験の中で、鍛えられた夏期講習会。講師の先生方やいろんな方に教えられ、梅尾さん自身にとって、ヒントのあった有意義な四日間だったようです。「入り口を見つけた、というのでしょうか?今後教会を継ぐ、継がないは別として、神理教のことを勉強してみようという気持ちになりました。
私自身、今までは祝詞を聞いていてもどんな意味か分かりませんでしたが、これからは自分の中での理解との差が埋められるようにしていきたいですね。
もともと母の後姿を見て育っていますから、信じることに関してアレルギーというのは全くないんです。ですから自分のペースで、挫折のないよう、前向きに上を目指して進んでいくのみです」。と、夏期講習が終わった直後の感想として、大変正直な胸のうちを語ってくださいました。
 お母様が今年の夏期講習を勧めてくれたことと、梅尾さんがちょうど人生の転換期を迎えていたこと、全てはタイミングが合ったからなのですが、やはりそのタイミングこそが神のお導きのような気がしてなりません。最後に「今回の夏期講習に、来て良かったと思う」と言われたその一言に、梅尾さんの気持ちが詰まっているような気がしました。


高知県 土佐教会   豊永 悠聖 教会長


 豊永悠聖教会長は今年の夏期講習会が初めての参加だったそうです。「実は九年前ぐらいからずっと参加したいな〜と思っていたのですが、なかなかタイミングが合わず、今回はやっとの思いで参加できたという感じです。以前から参加するなら、フルで参加したいと思っていたので、今回は四日間全て受講することができました」。
 以前はご両親が教会長をされていたのですが、平成九年にお父様がご逝去され、その後、二代目として教会長に就任されました。豊永教会長曰く、お父様は土佐男の典型である”いごっそう“(一本気で頑固、言い出したらあとへは引かない土佐の男性のこと)だったようです。
「父は母のサポートもあり、とにかく神道に没頭できるいい環境でした。 ”いごっそう“らしく、へんこつなところもありましたが、思いやりが深く、情に厚い人でした。
また、母はこれまた典型的な土佐女”はちきん“(明るく元気な土佐の女性のこと。性格は竹を二つにわったようにあっさりとし、カカア天下タイプ)ですから、人間関係やお金のことなど、父の守備範囲でない部分は、すべて母が支えていました」。

 そんなご両親の姿を見ながら平成八年に教会長に就任して、今年で八年目。とにかく人様を導いていくことは大変なことだとおっしゃいます。
「やはり導く以上、自分もきちんとしていなければいけないなと思っています。今年初めて夏期講習会へ参加でき、初心に帰ることの大事さを実感しました。本当に勉強になりました」としみじみおっしゃってくださいました。
 実は四国には神理教の教会が少ないということから、土佐以外からも相談があるそうです。出張も多く他の仕事との両立は難しいことから、豊永教会長も神道一本の人生を選択されています。「自分は貧乏ですが、贅沢をしなくても生きていけます。
神理教に携わって、自分自身が理にかなっていないことや、迷いなどもありますが、信じて前に行くしかないんです。
去年、先祖も歩いていたことから、四国霊場八十八箇所を托鉢しながら、野宿して回りました。その後、ご祈祷にいく途中で事故に遭ったのですが、車は全損。生きているのも不思議なくらいなのに右上腕単純骨折だけで済んだことがありました。
きっと神様から大難を小難にご加護していただき、怪我の痛みは私へのお叱りなのだな、と思いました。でも、怪我が治るまでの休息は、私へのご褒美だったのではないか、とも思います。死して生きろと言いますが、まさにそれが私の人生の再出発だったように思えてなりません」
 現在の信者さんは全てお父様の信者。これからは自分がふんばって頑張らなければならない、と強い信念も見せてくださった豊永教会長に、今後についておたずねしました。「人々にやすらぎを与えられるような、気軽に人々が訪れるような、そういう教会を目指しています。それには信者さんたちの協力が不可欠です。同じ輪の中で助け合いながら一緒に幸せになりたいですね」。
取材中、一貫して穏やかに、また思慮深くお答えいただいた豊永教会長。「自分はお茶漬けを食べてでも、困った人には最低限のふるまいをし、気持ちよく帰っていただきたい」という温かな一言に、お父様譲りのDNAを感じました。
 
 



お礼
 早いもので師走となり、独立百十周年併せて教祖御生誕百七十年の佳き年も幕を降ろそうとしております。秋季大祭では、管長様奥方様の金婚式のお祝い鶴も十三万七千羽を越えたとお聞きし、皆様の温かいお心をこのようにたくさん頂けましたこと、本当にうれしくありがたく、胸が熱くなりました。様々な思いを鶴に託され、祈りの中に折られたお気持ちが一羽一羽から伝わって参りました。

 管長様御夫妻はもちろんのこと、御教祖様、また先人方もさぞかしお慶びのことと思います。本当にありがとうございました。尚、大祭後も七五三祝等、たくさんの方々の目を楽しませていただきました事、御報告申し上げます。
 ここに感謝と御礼を申し上げ、佳き年を迎えられますようお祈り申し上げます。

 婦人会副総裁 巫部 恵理   





                 *** 教 祖 の 道 統 *** 


   長崎教会 教会長 大教庁式務局長 花岡 勝成

      第五章 教祖の神人関係観
       第二節 罪悪と其意義(その五)


五、罪悪の意義
・神は何故黄泉国を造られたか
 神は清明を本質とされていますので、汚れや濁りがあるものは忌み嫌われます。
 善は褒め悪は咎められますが、ではその清明なる神が穢れや濁りのある黄泉国を造られたのは何故でしょうか。
 神の恵みによって善事のみ、又清明な国だけを造られたら良かったろうにと考えられるでしょう。
 しかしそれは言い表わす事の出来ない、或いは限りない神の御心として、穢れや濁りは清明なものに対してなくてはならないものですから、罪穢れのある根国底国即ち黄泉国を造られたのです。
 その事を、御教祖は遺言状に
【月日星の尊きは、是神の理なり。理の神なり。過去も現在も将来も理なり。
 栄枯盛衰も理なり。病苦災難も理なり。神も人も植物も亦理なり。
 理を洩れて物有ることなし。理によって助けを求むのみ】と教えられているのは、病苦災難もそれなりの理がある事を認められているからです。
 つまり、罪を理として、罪より起こる悪を理と認めておられるのです。
 人には生死があり、一日には昼夜があり、一年には春夏秋冬の季節があるのは、皆この理つまり神の御心なのです。
 そして人の生を善とすれば死は悪ということになり、死という悪があるから善と言う生を授かるのです。
 或いは、昼は清明なもので夜は暗黒であるから、昼は活動し夜は休止します。
 ですから昼の清明活動を善とすれば、夜の暗黒休止は悪と言う事になりますが、暗黒休止は清明活動を起こす原因となります。
 この様な見方(休止を休息と前向きに考える)をすれば、悪と言う暗黒も休止も世間にはなくてはならない道理です。
・善悪があるのは、神の御心
 この善悪即ち吉善と凶悪が起こるのは、皆神の御心です。
【悪を勧めるの意ではない】という事を古事記を以て証明します。
 伊邪那岐、伊邪那美の二神が結婚をされ、沢山の神々や国々をお生みなられたのは皆善事であります。
 しかし始めの神に蛭子が生まれたのは、凶悪の初めであります。
 その為、天神に御相談をされた処
【曰 女 人 先 言 不 艮 (女性が先に言葉をかけたのがよくない)】との教えを戴き、それを改める事によって、次々と立派な神々をお生みになるという吉善を起こされました。
 次に、火迦具槌神をお生みになられた為に伊邪那美神が亡くなられたのは世の凶悪であります。
 しかし、この事に立腹した伊邪那岐神が火迦具槌神を斬られ、その血より生まれた神々(鉱山・粘土・灌漑用水など農耕・工業の八神)は、世の中に大きな功績を立てられたので、火の神が生まれられたのもなお吉善となります。
 この様にして、黄泉国は伊邪那美神が亡くなられたという凶悪によって、移り往で永く支配される国となったために、世の中の凶悪つまり罪穢れが帰止どまる処であり、又凶悪が出来る処でもあります。
 そうして「一日(ひとひ)に千頭絞り懲ら(一般には殺)さん」と誓われたのは、悪を認め悪を懲らしめる神となられる意味で、禍津日神が生まれ出る ”根ざし“です。
 又男神が女神を慕い後を追って行き凶悪に触れた事は、矢張り世の中の人に染悪する原因です。
(本来美しい男女の愛情も死への悲しみなども、神から戴いた感情ながら、それにこだわり過ぎ自分のなす事を忘れてしまうと罪になる、という理)
 又、天照皇大神が天岩屋に隠れられた事や、平和であるべき神の御心の国が時々乱れるのも皆この理であります。
 しかし、伊邪那岐神は黄泉の罪穢れに触れられたけれど、速やかに顯国に帰り禊をされたのは、凶悪より吉善に移る為の行ないであり、凶悪を直して吉善を行なう、人の道の起こる本です。
 それは、黄泉の罪穢れによって禍津日神が現れたのは、凶悪から祓い清め直して、その直られる時に神直毘神現れ、直られた時に伊豆能売神が現れた事によって明らかです。
 又、黄泉の罪穢れに触れた伊邪那岐神が禊をされた時に、日月(天照皇大神、月読神)の神が生まれられたのは、凶悪から吉善に移ったものでした。
・吉善は凶悪に勝つ
 尚其凶悪というものは、吉善に対してはどうしても勝つ事が出来ません。
 それが既に神の御心である事は、伊邪那美神が顯国の人たちを一日に千人殺し(懲らし)給えば、伊邪那岐神は一日に千五百人を生み出さん(罪を許す)と、宣り給いし事で明らかです。
 この事実として、天照皇大神は須佐之男命の横暴を見兼ね、一度は天岩屋にお隠れになったが、ほどなく出て来られ永く御世を照らし、須佐之男命は亡き母の国黄泉国へ退かされました。
 これは凶悪は吉善に勝つ事は出来ない、という証拠であります。
 以上の事は、自然に備わった神の御心の現れであって、
@世の中には凶悪もなくてはならないものである 事、
A凶悪は吉善を起こす原因である事、
B悪は善に勝てない事、
C悪より善へ改められる事、などを実際に示されたものです。
・清明を好む人の本性
 この理は、即ち人の道ですから、人は罪穢れを忌み嫌い悪を捨て善に就こうとするものなのです。
 禊は悪より善へ移る方法ですが、神の教えにより禊をするのではなく、人は産巣日神の御霊(分け霊)ですから、神が忌み嫌われる罪穢れは、人も又これを嫌うのは道理です。
 だから、人は生まれながらにして誰に教わる事なく、善い事悪い事というものを知り、良い事や嫌な事、即ち罪穢れという凶悪と吉善とを区分し、思い定めているのです。
 それ故に、私たちは未発達・未向上をも凶悪とし、(凶悪を含む今の在り方自体を)神の御心としたのです。
・凶悪は発展への神の慈悲心
 又ここでは凶悪も神の御心で作られたものである事も述べましたが、神の御心はこの様に遠大なものであり、私達に向上発展を十分に行なわせようとする大きな慈悲心なのです。
 つまり、小を奪って大を授け、少し損をさせて大得を与えるというのが凶悪の真意なのです。
 この凶悪の真意を拠り所にしたならば立身出世の基となり、或いは国が栄える基礎となり、向上発達の動機となって進む事が出来るのです。
 例えば地方で地震や災害が発生した場合、被災地の方には申し訳ありませんが、これを教訓にして全国・全世界に発生した時の為に、十分な備えをする事が出来ます。
 又流行病にしても犠牲者が出る度に、衛生面や医療の注意や研究が進み、症状が軽くなったり防止する事が出来るのです。
 これらを考えて見れば、世の中の善い事・悪い事は、皆神の恵みの御心の程を伺い知る事(神が教えて下さろうとしているということ)が出来ます。
・大なる平和を教える小なる乱れ
 御教祖は
【小なる平和を乱しても、大なる平和を求むべし。世界に於ても同じ。
一国も一家も一身も、異なることなし】
と教えられています。
 平和とは静かな形のもので異変のない、という意味があります。
 世界にとっては国交が円満に行なわれ、平和で全人類が幸福になるという道が開けることをいいます。
 又、個人にとっては不幸や逆境や病気災難或いは、罪穢れのない平和な生活という意味です。
『小さな不平和より大きな平和を求むべし』というは、誠に神が吉善凶悪というものを知ろし給える(教えて下さる)事なのです。
 この言葉は神の御心の真意に通じる至言(正しいことを言い当てた言葉)です。
 そこで、この凶悪より吉善に改まる事は人生で最も大事な行事の一つですから、次に離悪(悪から離れる方法)について研究しましょう。


   第5章、第二節終わり



                             あ と が き      

 あとがき
 年初に自分に誓った言葉は、
『気が付けば十二月、というふうにならないようにしよう』でしたが、どうやらこの誓いは破られたというか、達成の出来ないものであったようです。
 皆様は、年初の誓いや抱負を立てていましたでしょうか。
その結果は、いかがだったしょうか。
 誓いと抱負、強く思わねばと前者の言葉を使ったのですが、心構えに伴う方策などを用意せねば、とてもかなうものではありません。
 次々に来る行事に心を奪われ、一つ一つの物事を噛みしめ味わい楽しむ、ということが出来ていなかったように反省します。
 そう言えば、秋の大祭後に虫歯でもないのに歯茎が痛くなったのは、そうしたお知らせなのかも知れません。
 とはいえ、これも咀嚼不足ながら教書の解釈に手を付け本誌の原稿を練ることが出来るのは、有り難いことです。
 行事の合間であっても、その時間だけは我を忘れて取り組み、いかに分かりやすく教えが伝えられるかを考え没頭出来ることは、これ以上ない楽しみでもあります。
 今年は社会的にも色々なことがありました。
 台風・地震・イラクの拉致者帰国や殺害、と数え上げれば切りがありません。
 本院での相談事も社会情勢が反映されているようで、登校拒否や成人障害者への親のネグレクト(無視・子育て放棄)などありました。
 こうした天災や暗い社会情勢は、一見自分のせいではないように感じられます。
 しかし、先月の『教祖の道統』にあったように、天災や社会情勢も又原因は私たちの心掛けにあるのです。
 個人の病気・災難はその人やその祖先に原因があるものですが、天災や社会情勢もその社会全体の敬神尊祖の心の持ち方にある、と教えてあります。
 それは個人の病気・災難と同じく、敬神尊祖の大切さに気づき行動を起こせば、社会全体が幸運に赴くチャンスとなるのです。
 そのためには、私たちの教団・私たち一家族や社会・私たち一人ひとりの心がけと行動が大切なのです。
 話しは変わりますが、この”あとがき“の最後にある(幸)や、”自然の道“の幸彦について、時々お尋ねがあります。
 本名ですか?というものです。
 筆者の本名は祐彦ですが、読みは同じ”さちひこ“です。
 本教では『親から頂いた名前を変えるべきではない』という教えがありますが、この(幸)や幸彦はペンネームです。
 祐彦の”祐“も天佑の”佑“に通じる字で天から戴く徳や幸福ということですから、意味も音も同じだと思って使いましたが、却って紛らわしくなったようです。
 皆様お体に気を付けられてこの年末を味わい、新しい年に向けての抱負をお立て頂ければと思います。
                             
                             (幸)