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                                                          2004−11

平成16年11月号 第1089号

        

巻頭のことば

「いただきます」ごく当たり前の言葉が消えかかっている。

食べられること、食べられるものを作った人、

全てに「ありがたい」と思うのは当然ではなかろうか。

「いただきます」。

今一度、声に出してみよう。

「ありがたさ」を感じれば、味わいも変わってくる。





               
                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
      たらちね     み たま 
   垂乳根の 御霊やすらぐ 道こそは
                 
            子らの安らぎ 栄えゆく道

 凡そ「もの」が有るか無いかは、五官といわれる目・耳・鼻・口・皮膚が刺激を感じるか否かで決まります。その五つの器官すべてに感触があれば、そのものの大小や形状その他、表面的な様子については、可成り正確に理解・把握できる事になります。

 尤も、そうした五感といわれる感触があっても、それぞれの感触を統括する思考が伴わない限り、全体像を理解・把握する事は不可能であります。幸いに五感と思考とが都合よく連携しているため、どのような「もの」があるかが判断されるという事であります。

 しかし空気と呼ばれる「もの」が有る事は、五感の直接的な感触による!とは申しかねる様であります。木の葉を揺らす風や、寒かったり暑かったりする温度差など、その移動や変化の様相を見たり感じたりして、否定できがたい「もの」となった訳であります。

 これは「心」と呼ばれるものについても通じる所と思われます。即ち、空気と同様、五感によって直接的に感触できるものではありません。しかも、五感のうけた刺激に反応したと見受けられる行動の背景には、その存在が窺われると云うことであります。

 その「心」は亦、大気とも呼ばれる空気と同様、時には偏って一方的に流されて仕舞う状況を呈します。更に、朱に交われば赤くなる等とも云われ、何時となく汚染したり、その汚染を周囲に拡大させるなど、あたかも大気さながらとも申せる状態であります。

 我々としては、人々の「心」が作り上げた世情が、大気と同様、現に汚染の度合いを増大しつつある点に気付かねばならぬと思います。そうした汚染に包み込まれる事もあって、銘々の「心」が、異常な思考に走り始めている点も見逃してはならぬと考えます。

 第十一回目の式年大祭を締めくくる秋季大祭は、二日間とも晴天に恵まれました。伝統行事を守り継ぐ中で、いささか「心」の汚染が取り除かれた様にも感じています。伝来の行事が守り継がれなくなる中で、心の汚染が助長され続けている様にも考えさせられますし、そうした視点から我が家と我が身の在り方を見直す事にも心掛けたいものであります。
 



                  

H.16.11

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)

(かみ)(ほとけ)(ちが)い ((なか)

 皆様から頂いたご意見を検討し、行間をゆったりと取り、ページ数とルビを少し減らし、難しい語句の説明を行ってみます。

 (せん)(こん)(げつ)(ごう)をご(せん)()(わたし)たち()(ほん)(じん)(こころ)(そこ)から(のぞ)む、()(ぜん)(ほん)(とう)(しん)(こう)()(かた)とは(なに)なのかをお(かんが)(いただ)ける()(かい)として(くだ)されば()(がた)いと(おも)います。

@(れき)()についてのおさらい、 のつづき

()(ほん)(じん)(ほん)(じん)(しゅう)()

 ()(ほん)(じん)には(もと)(もと)(しん)(とう)という(しゅう)()があったものの、(しん)(とう)(がわ)(せき)(にん)でもありますが(しん)(とう)(しゅう)()()(しき)していた(ひと)(すく)なかったようです。

 ()()(ばく)()から(ぶっ)(きょう)という(しゅう)()()えを()しつけられたのですが、(なが)(あいだ)(せん)(らん)()わった(あん)()(かん)(ばく)()(せい)(さく)(こう)(みょう)だったのか、(てい)(こう)(すく)なかったようです。

 (いま)(こく)(みん)(だい)()(ぶん)()(ほん)(じん)()(はじ)めて(しゅう)()(ぶっ)(きょう)、と(おも)()んでいるのですから、()()(ばく)()としては(だい)(せい)(こう)だったのです。

 もちろん(はん)(たい)はあり、(たと)えば現在(げんざい)(おか)(やま)(けん)などは(じん)(じゃ)(うけ)(せい)()(いち)()(おこな)いますが、これは()ぐに()()(ばく)()によって(はん)(たい)されてしまいます。

 (かんなぎ)()()(とう)(しゅ)()(しん)(とう)()(とも)(おお)(さか)(じょう)()もってまで(てい)(こう)しますが、(れき)()(なが)れの(なか)(いち)()(てき)()もれてしまうのです。

(しん)(とう)への()(ゆう)()かり

 (しん)(とう)()(ゆう)()かりがさすのは(めい)()(しょ)(とう)で、(てん)(のう)()(せい)(しき)(しゅう)()(しん)(とう)(いっ)(ぽん)とし、(こく)(みん)にも(しん)(とう)による(せん)()(さい)()(ゆる)されます。

 この(うご)きは(はい)(ぶつ)()(しゃく)といい(しん)(とう)(がわ)(だい)(はん)(どう)のように(おも)われますが、(せい)(けん)(こう)(たい)(こん)(らん)()(もと)(しゅう)()への(かい)()への(かん)(しん)はそう(たか)くなかったようです。

(しん)(とう)への(そん)(すう)(こころ)(つよ)(のこ)っている()(いき)()(しき)のある(ひと)(しん)(とう)(かえ)ることになりますが、(わり)(あい)(てき)(おお)くはありませんでした。

 この(とき)(しん)(とう)()(ほん)(こく)(しん)(こう)として(じん)(じゃ)(しん)(とう)という(めい)(しょう)統一(とういつ)されたものの、(ぶっ)(きょう)(せい)(りょく)(はん)(ぱつ)もあり(しん)(そう)(さい)(おこな)えず(しん)(とう)()(きょう)(きん)じられていました。

 そこで、(くに)(せい)(さく)(いっ)(たん)として(きょう)()(しん)(とう)(せい)()()()ました。

 (きょう)()(しん)(とう)(なか)でも(しん)()(きょう)(いか)(ほん)(きょう)という)や(いず)()(たい)(しゃ)(きょう)(など)()(ふっ)()(じゅん)(しん)(とう)(けい)(きょう)()は、(くに)からの()(じょ)(きん)などは(いただ)かない()わりに、(しん)(そう)(さい)(しん)(とう)()(きょう)(おこな)えたのです。

 (だい)()()(かい)(たい)(せん)()、もう(いち)()(しん)(きょう)()(ゆう)(てい)(しょう)され、(じん)(じゃ)(しん)(とう)(しん)(そう)(さい)(しん)(とう)()(きょう)(おこな)われるようになって(げん)(ざい)(いた)っています。

()()(しん)(こう)(れき)()

 ()()()(ぶん)(いえ)(しゅう)()(ぶっ)(きょう)になったのか、(いち)()その(れき)()をよく()(かえ)って()られてはいかがでしょうか。

 ご(せん)()(ぶっ)(きょう)(おし)えに(かん)(どう)(きょう)(かん)し、(ある)いはその(ちから)(すく)われてそうなったのではなく、(だい)()(ぶん)(いえ)(かん)(しん)(うす)(うち)(ごう)(いん)()(こう)(みょう)()えられたといえます。

(ぶっ)(きょう)には(なが)(あいだ)()()になったから…」というものの(なが)くともこの四百年であり、それ()(ぜん)(すう)(せん)(すう)(じゅう)(まん)(ねん)(わた)ってお()()になったのは(しん)(とう)なのです。

 ふしの()も (かみ)(まも)()は ()えぬなり  (ひと)(わす)るる (とき)のあるとも  ((しん)(とく)(ひゃく)(しゅ)

()(きょう)()()(うた)にあるように、(かみ)(むかし)(いま)(わたし)たちを(やさ)しく()(まも)って(くだ)さる、(おお)(もと)()(せん)なのです。

A(かみ)()(せん)が、(れい)(てき)にどう(はたら)かれることによって(まも)られているか。

()()(たの)しみ

 ()(きょう)(ひと)(しん)()(きょう)(しん)(こう)(しゅう)(きょう)(ある)いは(じゃ)(きょう)()(きょう)(など)()うのは()(ちが)いで、(ほん)(きょう)はご(ぞん)じの(とお)り、(ふる)くからの(れき)()()(ほん)(じん)(ほん)(らい)(しん)(こう)()()(きょう)(だん)です。

(わる)(くち)()うのは、(しん)(とう)(ほん)(きょう)(れき)()()らないところから()()(かい)や、()っていて(いっ)(ぱん)(ひと)(まよ)わせようとしたり、()()()()自分(じぶん)でそう(おも)()もうとする(きょっ)(かい)なのです。

 (しん)()(きょう)(おし)えからいうと、(ひと)()んで(いち)()(かな)しく(つら)いことはあっても、()()(よろこ)びがあるのです。

 その(よろこ)びとは()(おこな)いをし(しん)(とく)()んだ(ひと)は、()くなった(あと)()(そん)()(まも)るという(たの)しみを()ることが()()るのです。

 そして()(そん)(しあわ)せな(よう)()()れば、(れい)となった()(せん)()(しん)(あん)(しん)(よろこ)(すなわ)(れい)(こん)(あん)(てい)()ることが()()ます。

(れい)(てき)(はたら)

(れい)(てき)にどう(はたら)かれるか”ということを()(たい)(てき)()えば、(たと)えば(こう)()(てん)(あお)になって、もう(いっ)()(はや)()()していたら(しん)(ごう)()()(くるま)にはねられていたが、そうならずに(たす)かった』ということがあるのは、ご(せん)()(れい)(てき)(まも)りと()()めたいものです。また()んでしまおう』とか『(はん)(ざい)(おか)そう』と(けつ)()しても、(けっ)()(てき)それをしないで()むような(きゅう)(よう)()()()るのも、ご(せん)()(れい)(てき)(まも)りと()えます

 (はん)(たい)にそうした()()()()まれたり、()(さつ)をしたり(はん)(ざい)(おか)してしまうというのは、ご(せん)()(まも)りの(うす)(ひと)ということになります。

 (とく)()んだご(せん)()(つみ)(おか)したご(せん)()も、()(そん)(まも)りその(はん)(えい)()(まも)りたいという()()ちは(おな)じです。

 (せん)()(こう)()(こう)()かれ()は、()(そん)(はん)(えい)()るか(すい)(ぼう)()るか、そしてその(まも)(ちから)(はっ)()()()るか()()ないか、ということなのです。

 ()(そん)(はん)(えい)()(まも)るという()(ぶん)(やく)(わり)()()き、その(ちから)(はっ)()()()るご(せん)()(しあわ)せで、いわゆる(てん)(ごく)()(わか)(みや)(かみ)(くに))におられるということです。

 (ほん)(きょう)(こと)()()えば、“(れい)(こん)(あん)(てい)()ている”ということです

 (はん)(たい)()(そん)(まも)(ちから)()せずに()(ぶん)のふがいなさに()()き、()(そん)(すい)(ぼう)()(なに)()()ないご(せん)()()(しあわ)せで、まさに()(ごく)()()(くに)(くる)しみを()けているようなものです。

()(せん)(れい)(てき)(まも)(ちから)()すにはどうすれば()いか

 だからどうすれば()いのか。

 (とく)のあるご(せん)()()(しあわ)せを(かん)じて()らす()(そん)は、そのご(せん)()(とく)()(がた)さを(わす)れず、(かみ)()(せん)(かん)(しゃ)して(しん)(こう)の三(げん)(そく)である(かん)(しゃ)(ほう)()(はん)(せい)(こころ)()つことです。

 (とく)(うす)いご(せん)()()()(そん)は、(おお)(もと)(てん)(ざい)(しょ)(じん)にご(せん)()()(ぶん)(つみ)(けが)れを(はら)って(いただ)くことを(いの)り、(みずか)らも(しん)(こう)の三(げん)(そく)(すい)(しん)することです。

()(こう)(かん)じても()(まん)()つのではなく、まず(かん)(しゃ)をすることです。

 ()(きょう)(かい)(だい)(じょう)()(おん)(わす)るることなかれ』で、ご(せん)()(たい)(せつ)にするということは『ただ(ぶつ)(だん)()(れい)にして(ねん)ずることばかりではない』と(おし)えられています。

 (たと)(しゅう)()(ぶっ)(きょう)であろうとも、(ほん)(きょう)(しん)(こう)するからにはご(せん)()(おお)(もと)(てん)(ざい)(しょ)(じん)であることを()らねばならない。

そしてこの(てん)(ざい)(しょ)(じん)にご(せん)()(れい)(こん)(あん)(てい)(いの)ることをしなければ“ご(せん)()(じぶん)分の(つみ)(けが)れを(はら)う”という()(こう)(こん)(げん)(のぞ)くことにはならない、というのが(ほん)(きょう)(おし)えです。

 (ほん)(きょう)()(がい)(おし)えで、このように(しあわ)せの(ほん)(しつ)(つた)え、その(ほう)(ほう)()(たい)(てき)(おし)えて(くだ)さるものがあるでしょうか。

(てん)(ざい)(しょ)(じん)(おお)(もと)()(きょう)(あわせ)(まつる)(もろもろ)(のかみ)(ひと)つ)

 (ぶっ)(きょう)()(はん)するつもりはありませんが、(ほん)(きょう)(しん)ずるならば(わたし)たちとご(せん)()との()のつながりのある、(てん)(ざい)(しょ)(じん)(しん)(こう)するのがご(せん)()(れい)(てき)(まも)りの(ちから)(もっと)(はっ)()させ、それがご先祖(せんぞ)(しあわ)せを()ぶことになるのだと(わたし)(しん)じます。

 (ぶっ)(きょう)ではその(せい)(じん)(けつ)(けち)(えん)(かん)(けい)(むす)ぶという(しゅ)(ほう)もあると()きますが、(わたし)たちはご(せん)()こそ(いち)(ばん)(まも)(がみ)(しん)じます。

 (よう)()(えん)(ぐみ)などではなく、ただ()()(やく)()(ため)(けつ)(けち)(えん)(かん)(けい)などはご(せん)()(じょ)(れつ)()(あん)などを(あた)(どう)(よう)させるだけだと(おも)うのです。

 (ぶっ)(きょう)(まも)りというのは、もしご(そん)()のどなたかがその(まも)りによって(なに)(すく)われたことがあるのならば、その(まも)りはあるのでしょうが、それは(ほん)(きょう)()えば(あわせ)(まつる)(もろもろ)(のかみ)(すく)いと(おな)じです。

 ()(ほん)(かみ)(くに)ですから、(やく)四百(ねん)(かん)(ぶっ)(きょう)()であってもそれは(かみ)(まも)りの(なか)でのことだとは、(おお)くの()(ほん)(じん)(かん)じるところだと(おも)います。

 (てん)(ざい)(しょ)(じん)(おお)(もと)(かみ)(あわせ)(まつる)(もろもろ)(のかみ)はお(はたら)きになる(かみ)でその(なか)(てん)(しん)()()があり、(ぶっ)(きょう)(しょ)(ぶつ)はその(てん)(しん)()()(なか)(いっ)(しん)(わたし)たちは()ています。

 その(ほとけ)(おお)(もと)(かみ)()るか、(てん)(ざい)(しょ)(じん)こそ(おお)(もと)(かみ)()るか、それはご(そん)()(はん)(だん)(ゆだ)ねられていることだと、(わたし)(おも)うのです。




*前回の語句の説明(読みと意味)

氏神様=古墳時代の名前の名残で、始めは一つ一つの氏族の守り神や祖霊を祀る神聖な場所でしたが、段々とその地域の守り神となりました。

 産土社とも呼び、神理教では、亡くなった人の和魂の鎮まりどころとしてお参りします。
 産土社のない教信徒は、本院祖霊殿に産土大神を祀っていますのでこちらにお参り下さい。

檀家=仏教用語で、仏教で葬儀や先祖供養を行う家をいうようです。
 神理教では教徒といい、神社では神徒などというようです。

先祖崇拝=日本人というより、人間本来の祖霊を敬うという信仰以前の習慣。

神葬祭=本教や神社で行う神式の葬儀をいいます。


*今月からの語句の説明
1)宗旨=その家の葬儀や祖先祭りの霊祭をする宗派。

2)神社請制度=寺請制度に反発して作られようとした、神式の葬祭・霊祭を行うことでの戸籍制度。

3)大阪城に籠もる=巫部家六十五代右京常重命は、仏教重視の徳川幕府に反発し、大阪城に籠城しました。

 この時より江戸末期まで佐野姓を名乗ります。

4)廃仏毀釈=江戸時代の反動で、仏教を攻撃し仏像などを壊すという、過激な活動が行われたことがありました。

5)神社神道=明治初期より国の保護を受けるようになった神社。

 現代の伊勢神宮を本宮とし神社本庁を事務所とする制度につながる。

6)教派神道=神理教に前後して、出雲大社・黒住・神道修正派・扶桑・実行・神習・神道大成・御嶽・神道大教・禊・金光・天理の十三教団が独立した。
 独自で教会や教師を任命出来た。




秋季大祭参加者取材

大祭に来ようという気持ちがあれば来られるものです。 
福山教会 杉原 朋子 さん

 かつて、神理幼稚園の先生を一年間していたという杉原さん。それだけに管長様・奥方様とのご縁も深く、金婚式を迎えられたことに感慨もひとしおのようです。
「管長様と奥方様には大変お世話になりました。お二人には、いつまでもお元気でいていただきたいと、心からお願いするだけです。お祝いの鶴は、子どもたちと一緒に二百羽折りました。」
 大祭や清掃奉仕には、来られる限り来ているそうです。杉原さんも、他の福山教会の皆さんと同様、「清掃奉仕は楽しい」と言います。
「今度は休めないかなぁと思っていても、不思議と休みがとれたりするものです。行きたいという強い気持ちがあれば、休みはとれるものなのかもしれませんね。ありがたいことです。」
 管長様のお体のことを気遣い、「お元気でいていただかないと寂しいですから…」と呟いた杉原さん。その一言が、心 に残りました。



一羽一羽に心を込めて鶴を折りました
福山教会 一信者


「管長様・奥方様には、いつまでもお幸せで長生きしていただきたいと願っています。」
 というお祝いのメッセージを下さったのは、福山教会から帰院された女性です。ご本人の希望で、『一信者』として紹介させていただきます。
 福山教会の皆さんからは、管長様ご夫妻の金婚式のお祝いに、たくさんの折り鶴が寄せられましたが、この一信者さんも一人で三百羽近い鶴を折ったそうです。
「ご健康で長生きしてくださいますように、と心を込めて折りました。」という鶴は、見栄えのいいように、配色にも気を配ったとか。
「大祭はもちろんのこと、毎回、清掃奉仕にも来させていただいています。清掃奉仕は楽しいですよ。今回はたまたま都合がつかず、清掃奉仕できなかったのですが、来られないとなんだか『悔しい』と思ってしまいますね。」
 この一信者さんのような教信徒の皆さんに支えられて、素晴らしい大祭が開催できるのだと、改めて痛感しました。


私たちの折った鶴が大教殿に飾られていました
誠真分教会  村田 英子 さん  亜麻 さん

 十五日の夕べの集いに出席していた村田英子さんと亜麻さんは、まるで姉妹のように仲がいい親子です。なんでも、誠真分教会では一番古い信者さんだとか。橘田教会長のお宅とは近所ということもあり、誠真分教会ができる前から、それこそ気兼ねのない『近所づきあい』をしていたそうです。
「ごく自然な形で神理教に入信して、もう二十六年になります」と、母親の英子さん。亜麻さんを素直な子にしたいというのが、入信のきっかけだったといいます。明るく屈託のない亜麻さんを見ていると、確かに英子さんの願いは叶ったようです。
「祝い鶴は、どうせ折るなら千羽折ろうと、仕事から帰って来て、二人で心を込めて折りました。自分たちの折った鶴が大教殿に飾られているのを見つけたときは感動しましたね。」と、亜麻さんが嬉しそうに話してくれました。たくさんある鶴の中から、よく見分けがついたものだと感心していると、「配色で分かりました。それに、皆さんそれぞれ折り方が微妙に違うようですね」とにっこり。教会へ持って行く前に、ちゃんと記念の写真も撮っておいたそうです。
 大祭には、これまで五、六回お参りしている村田さん親子ですが、「帰院すると、胸がキュンとなります」という亜麻さんの言葉に、お二人の神理教に対する熱い思いの一端を垣間見たような気がしました。
「教会長が頑張っている姿をいつも見ているので、私たちも進んで奉仕をしようという気持ちになります。月例祭も楽しいし、みんな家族みたいですね。」と話す英子さんの横で、橘田教会長の奥様が一言。「とにかく仲のいい親子で、二人とも本当に頑張っているんですよ。」
 最後に管長様ご夫妻へのメッセージをいただきました。
「私たちにとって管長様は、それこそ雲の上の方ですが、でも、とても親しみを感じます。というのも、本院ですれ違ったときなどに、にっこり微笑んでくださるんです。それが、うれしくて…。管長様・奥方様、いつまでもお元気で、長生きしてください。」

祝賀会をみんなで盛り上げたいと、一生懸命練習しました
大津教会 森内 久恵 さん

 祝い鶴を最初に奉納し、全部で一万羽以上もの鶴を折った大津教会の皆さんのもとへ、本院からある依頼がありました。それは、「管長様・奥方様に贈呈する花束と首にかけるレイを鶴で作りたい」というものでした。その後の様子を、森内さんはこんなふうに振り返ります。
「どうやって鶴で花束を作ればいいのか、みんなで思案していました。すると、三池トキワ教会長先生が造花を持って来て、花の部分を手ではずしてみながら、『花の代わりに、ここへ鶴を付けたらどうだろう』と言い出したんです。やってみたら、『これはいい』ということになり、立派な鶴の花束が完成しました。」
 結束力には定評のある大津教会の皆さんのこと。和気あいあいと楽しそうに花束やレイを作っている様子が、なんだか目に浮かぶようです。
 祝賀会では、見事な『よさこい黒田節』や、『冬のソナタ』(ダンス)を披露し、会場を大いに盛り上げてくれました。
 森内さんいわく、「よさこいは二ヶ月かけて練習しました。子どもたちは、振り付けを覚えるのが本当に早かったですね。本番前、みんなが緊張していると、教会長先生が『大丈夫! 本番に強いから』と言って送り出してくれたので、みんな練習の成果を精一杯、発揮できたと思います。」
 なるほど、教会長先生の一言で、皆さんリラックスできたのでしょう。
「大津教会には幸い、大工さんと板金さんがいるんです。この二人がいれば、何でも作れますよ。」と笑う森内さん。アイデア豊富な教会長先生を中心に、芸達者も揃っているようです。次回はどんな芸を披露してくれるか、今から楽しみですね。

大津教会
上段左=森内久恵さん、上段右=田中美知子さん、
下段左=涼平くん、真中=春菜ちゃん、下段右=流音ちゃん

 祝賀会で副管長様に花束を贈呈したのが、末っ子の流音ちゃんです。当日、急な指名を受けてドキドキしたそうですが、見事、大役を果たしました。もちろん、「おめでとうございます」というお祝いの言葉を添えて。
 お祖母様の田中美知子さんが、流音ちゃんが小さな頃の話をしてくださいました。「みんなが大祭へ行くとき、置いていかれるものですから、『風呂敷に包んで連れて行って』とせがんでいたんですよ」。ただし、当の流音ちゃんは覚えていないそうです。
 春菜ちゃん、涼平くん、流音ちゃんの三人は、『よさこい黒田節』でも見事な踊りを披露し、盛んな拍手をあびていました。みんな踊りが大好きで、家でも三人仲良く練習していたとか。感想を尋ねると、顔を輝かせて「楽しかった」と一言。礼儀正しく、こちらの質問にもハキハキと答えてくれました。本当に将来が楽しみな三人です。
上段左=森内久恵さん、上段右=田中美知子さん、
下段左=涼平くん、真中=春菜ちゃん、下段右=流音ちゃん

これからも、神様と縁をつないでいただきたいという一心で…
福山教会小林 播つ江 教師


 十月十五日の午前中に行われた萩尾墓前祭に神官奉仕された福山教会の皆さん。雲ひとつない秋晴れの中、みごとなチームワークで粛々と墓前祭を取り仕切って下さいました。大役の一つを終えホッとしたムードの中、福山教会の小林さんにお話をお伺いしました。
「私には家族が6人いるのですが、全部で六百羽の鶴を折らせていただきました。折り始めたら夢中になってしまい、六百羽折るのにそんなに時間はかかりませんでした」。
平成九年から清掃奉仕などで頻繁に帰院され、春・秋の大祭も欠かさず参加されているという小林さん。最近はご主人様と一緒に参加されることも多くなったそうです。「これからもずっと神様と縁をつないでいただきたい、と思いながら鶴を折りました。
管長様・奥様へはおめでとうございます、という気持ちでいっぱいです。これからもお元気で、皆のことをお守りください」というメッセージを頂きました。今年の春に教師を拝命されたばかりの小林さん。これからのご活躍が楽しみです。






奥方様と女学校の同窓生だったんです
飯尾 てる さん



 大祭は信徒さんだけでなく、地域の方なども気軽にお越しいただける楽しいお祭りです。今回お話をお伺いした飯尾さんも年に数回、お祭りなどに参加してくださっているそうです。
「私は足が悪いので、頻繁に来ることはできませんが、体調や気分のいいときはお参りに来ています。こうしたお祭りは、普段中々味わうことができないので、楽しいですね」。実は娘さんの嫁ぎ先が神理教の信徒だったというご縁があった飯尾さん。この日も娘さんは大祭でご奉仕をされていたそうです。

さらに驚いたことに、飯尾さんは奥方様の女学校の同窓生だとか。「娘と名簿を見ていて、気がついたんですよ。それで思い出したのですが、女学校時代、奥方様のお母様がPTAでお話されたことがあって。それが大変印象に残っています」と教えてくださいました。

現在87歳の飯尾さんは、はつらつとお答えくださり、また突然こちらからお声をかけたにも関わらず「いい記念になりました」と喜んでくださいました。これからもご気分のいい時は、ぜひ本院の方へお越しください。お待ちしております。



妻と二人で百羽折りました
福永教会三角 五十六 教師


 大祭の前夜から参加し、青年部としてご奉仕されていた三角さん。お話をお伺いした十五日は、朝から造化宮大祭や大元稲荷神社大祭、萩尾墓前祭などの神饌係(主に設置や撤収など)を担当されていました。そんな三角さんは福永教会の三角清三教会長のお孫さんでもあります。
「祖父が教会長ということもあって、こういう行事には極力参加するようにしています。今年の大祭はめったに見ない顔ぶれもいたし、今のところ行事なども時間通りにスムーズに進んでいるし、いい感じだなと思いました」。
お仕事柄、土日より平日の方が休みやすいという三角さん。日々のお仕事が多忙な中、たびたび奉仕活動に参加くださっています。また今回のお祝い鶴も参加してくださったそうです。
「妻と二人で百羽折りました。折りだしたらのってきて、楽しく折らせてもらいました。管長様、奥様に対してはおめでとうございます、という一言に尽きますね」と語ってくださいました。








お手本にしなければいけないなと思っています 
美保教会井口 千代子 教師





 十五日の本殿祭で、感謝状を受け取られた井口さん。教師活動三十周年の功労を称えられての感謝状贈与です。「今年は夏期講習にも参加させていただきました。今日は感謝状をいただくため本院へ帰院させていただいたし、こうして何度か本院へ来ることができたのも、神様のお導きなのでしょうね」という井口さん。
作法が乱れたなと思ったときは、進んで夏期講習に参加しているそうです。
また、今回の祝い鶴奉仕では、一人で四百羽も折られたそう。「ちょっと手が空いた時にいつでも折れるよう、いつも身近な場所においていました。母が病気になってしまったのでペースが落ちましたが、それでも一ヶ月ほどで折ることができました」。
折りながら、どんなことを思われたのかとお尋ねすると「平和を願い、また管長様にあやかって長生きできればな、と思っていました」。宮司の奥様という顔を持つ井口さん。
「行事では裏方に徹しておりますが、本院の皆様たちが気持ちよく裏方をしていらっしゃるのを見て、いつもお手本にしなければいけないなと思っています」。そうおっしゃって、岡山への帰途に就かれました。



どちらも辛抱しないといけないということでしょう   
哮が教会松岡 節子 さん寿々代 ちゃん



 巫女の姿で歩く4歳の寿々代ちゃんは誰もが振り向く愛らしさ。そんな寿々代ちゃんの手を引いていたのは、本院の松岡功課長のお母様・節子さんです。「哮が教会はうちで4代目になります。
年に2〜3回は本院へ帰院していますが、孫に会えるのが何より嬉しいですね」と目を細めます。
また、巫女の姿で楽しそうにしている寿々代ちゃんを見ながら「小さい頃から、こうしたことに馴染ませるというのはとても大事なことですね」とも。
さすが四代も続いてきた教会の所以を感じさせます。
おばあちゃんの傍らで嬉しそうな寿々代ちゃんにも大祭の感想を尋ねると「こうした大祭はとっても楽しい」とにっこり。
お父さんの活躍ぶりを目の当たりにすることも、寿々代ちゃんにとっては嬉しいようでした。
また、管長様ご夫婦へのお祝い鶴を五百羽も折られた節子さん。ご自身たちもすでに金婚式を終えられており、その秘訣については「どちらも辛抱しないといけないということでしょう」と笑って答えてくださいました。
最後に「いつまでも管長様ご夫妻には長生きして欲しいです」というコメントも。節子さんもお元気で、また本院でお孫さんと楽しそうな姿を見せてください。




    

「教祖言行録」より

*管長様が活字化し一冊にまとめられた「教祖言行録」(当時の生存者を訪ねて、教祖様のお言葉や、教祖様に関するエピソード、思い出話を聞き取り、清書したもの)の中から毎回、順不同で一話ずつ選び、それを現代語に改めて簡潔にまとめたものをご紹介しています。


 西谷祇園町     岩本 佐太郎 談

 私が三十歳のときのことです。大病にかかり、はげしい咳が出て医者に診てもらったところ、とても助からないと言われました。そこで、教祖様の診察を受けて、薬をいただくことになりましたが、どうしたことが一向に薬が効きません。すると、教祖様がこう教えてくださいました。
「これほど手を尽くしても薬の効きめがないとすれば、どうしようもない。
 天地の親神様にお願いすよりほか、ないだろう。ただ今、その方法をお授けしよう。美しい茶碗に清い水を入れて、太陽様の御影を映し、その水をいただくのじゃ。」
 早速、教祖様から教えていただいた通りにしました。そんなある夜のことです。屋根の煙出しから赤い鳩が飛んできて私の懐に入ろうとするので、私はその鳩を捕らえようとしました。これは一夕の夢でしたが、不思議なことに、それから後は少しずつ薄紙をはぐように症状は回復し、良くなっていったのです。
 以来、今日まで御神様のありがたさを忘れたことはありません。
 そして、年を経て、私は七十歳になりました。
 昨年、娘に誘われて朝鮮の韓口(原文通り)というところへ行き、まもなく帰りましたが、この春はどうしたことか、体全体が腫れてきました。
 医者にかかったものの一向に治る気配はなく、私も天寿と思い、あきらめていました。そんなある日のこと、昔のことを思い出し、天水をとっていただいたところ、三十四・五回ほど尿通がありました。しかし、それから不思議に全快して、もとの体になったのです。
 あまりのありがたさに、今日は御礼参りやらご無沙汰のお断りやらで、本院へお伺いしたような次第です。

《縁のある方に聞きました》
 岩本佐太郎さんのご子孫を探して、西谷に古くからある岩本家の方にお電話したところ、「あぁ、私の曽祖父です」という返事が返ってきました。なんでも、その昔、今で言う薬剤師のような免許を持っていて、『岩本神明堂』という看板を上げ、薬を調合して売っていたそうです。
「曽祖父のことは、うっすら覚えています。とてもハイカラで、かんかん帽をかぶりステッキを持って歩くようなモダンな人でした。」
 ところが、話を伺っていくうちに、この曾お祖父様のお名前は、岩本佐太郎さんではなく、「や太郎」さんだということが判明しました。しかも、「佐太郎」さんのことはご存知ないと言います。
 ただ、同じ地区の出身で苗字も同じ、名前も似ていることから、もしかして「佐太郎」さんと「や太郎」さんはご兄弟なのかもしれません。
いずれにしても、親戚ではないかと思われます。
 結局、佐太郎さんの思い出話は伺えませんでしたが、突然、お電話を差し上げたことで、応対してくださった岩本さんも、九十歳で亡くなったという曾お祖父様のことを懐かしく思い出すことができたようです。きっと、曽お祖父様も喜んでくださっているのではないでしょうか。




百瀬ミュージックだより (45) 代表 百瀬 由の


◎日野原重明氏のお話シリーズ(9)

 小倉遊亀先生にふただひ絵筆をとらせた「気力」
 元気と言うのはあくまで「気」がもたらすもので、たとえばカロリーではありません。
 私の朝食はコーヒーとジュースだけ、昼も牛乳一本とクッキーですませることがほとんどです。まるで水分だけで生きているようです。
 食べなきゃ元気が出ない、というのは気のせいで、気持ちに張りがあれば元気でいられます。どこかでまとめて食べてもいいのですから、「こうでなきゃ」とあまりからだのことに杓子定規にならないことです。
 困ったことに、医者というのも、からだという器の出来ばかりをとやかく言いがちで、なかなかアバウトになれないものです。ことに若いと、教科書どおりに患者さんを厳しく指導します。けれど、お年寄りに「これをやめなさい」「あれを減らしなさい」と生活をきつく制限すると、見る間に気が萎えてしまいます。生活の質まですっかり落ちてしまいます。
 昨年百五才で亡くなられた日本画家の小倉遊亀先生を、私は主治医として毎月一回往診していました。小倉先生は非常に血糖値が高いために、医者から再三「血糖値を下げるように」といわれていましたが、そのうち元気がなくなられ、絵を描くこともなさらなくなりました。
そこで、私が代わって往診することになったのです。
 まず私は先生に、「そんなにきつく制限なさらずに、ときどきは甘いものをどうぞ」と、申し上げました。
 往診のたびに、先生は私にお菓子をすすめられました。
きっとご自分も召し上がりたいはずですから、私は一ついただく。と、先生もひとつ召し上がる。そうして満足なさるわけです。
 血糖値は依然として高かったのですが、一度は置いた絵筆を、またお取りになりました。まさに健康感をもった生きかたです。
ですから、血糖値のことはもう強く申し上げないことにしたのです。「健全なる精神は健全なる身体に宿る」ということばはよく知られていますが、原典を調べてみると、ローマの詩人ユヴェナリス(五〇頃〜一三〇)による「健康な身体に健全な精神を宿らせ給え」という祈りのことばであったようです。
からだが健全だからといって、そう簡単に健全な精神がついてくるわけではないのです。健全な精神はやはり得がたい。
けれど、肝心なのはからだより健やかな精神、あるいは魂というのが本来の意味です。
 老化によるからだの衰えや、不幸にして治る見込みのない病に見舞われても、私たちは、「欠陥があるにもかかわらず健やかである」という生き方を求めていくべきだと思います。
(以下、次号に続く)
◎先月号でもお知らせしましたが、今年も南小倉公民館・南 丘市民福祉センターのお世話で第二回目のワンコイン・コ ンサートを十月三十一日(日)に開き、そのうち当百瀬ミュー ジックは「不思議なポケット」「明日があるさ」の二曲の手話 ダンスの練習に励み、日ごろデイサービスにお見えになる お客さんも参加され演じました。
                     



  幸福への出発
            光陽教会  中山 勇

    第32集  先祖の守りの中に自分の存在がある


 親が有って今の自分が有るのです。子供として親の恩を感じる環境が家庭の中から少しずつ消えて行く様に思います。親の親は先祖です。先祖の徳により家系が永続しているのです。たとえ先祖の遺伝で不幸であっても、罪の量より徳の量が多いので現在の自分が有るのです。罪の量は自分が罪を祓う信仰をすれば罪が減って徳が増えるのです。不幸は自分が持って生まれた遺伝の中に有るのです。
もともと遺伝子は神様より神の子として完全な形で授かって生まれて来ているのです。
しかし先祖を通して親から受け継いだ遺伝子は、この世で作った罪と言う汚れのために、神様から頂いた遺伝子が、病気を治す治癒力の働きを、罪という血液の濁りの為に弱くしているのです。病気になる直接の原因は、ウイルスや食あたり等のように外から身体の中に病原菌が入ってきて感染をするのです。
身体の中から起こる病気は体質として持って生まれるのです。その為に病気になる事は避けられない事も多々あるのです。
この病気を治すのは治癒力の働きを持っている遺伝子の中に有るのです。神様から頂いた遺伝子は人間をつくる設計図と治癒力なのです。
しかし、遺伝子は先祖を通して治癒力を受け継ぎ、人は先祖の罪を通して生まれて来るので、病気にかかる原因と病気を治す力の強弱を持っているのです。重要なのは神様から頂いた神の子としての完全な形の遺伝子の中で、未祓いの罪(汚れ)により病気の強弱の症状が自律神経と血液の働きにより結果として表れるのです。
正常な遺伝子は病気になっても神様からの遺伝子の治癒力により、本人の知らないうちに治癒しているのです。
だから伝染病や、はやり風邪でも自分の持っている治癒力により、病気に罹らない人や、たとえ発病しても軽い人や重い人が有るのです。それは遺伝子の中に神幽現の三段階の治癒力(守り)が有るからなのです。神様の守りは神経細胞の中の遺伝子なのです。
先祖(幽)の守りは血液細胞の守りなのです。現の守りは体力(内臓細胞)なのです。発病をしない人は神幽現の守り(治癒力)が有るので元気で居られるのです。神経細胞の中の治癒力の弱い人は痛みが強く出ます。例えば神経痛やリュウマチなどです。
血液細胞の中の治癒力の弱い人は、よく熱の出る病気で炎症を伴い苦しい病気となります。体力の無い人は内臓細胞の治癒力が弱く慢性的な体質になるのです。
この様に家系として先祖の罪(汚れ)を遺伝子として受け継いで先天的に持って生まれているのです。
人間は、この世で作った罪はこの世で無ければ祓えないのです。先祖がこの世で作った罪の祓いは子孫が祓う義務が有るのです。
病気をする身体の弱い子孫と罪を作った先祖は「メンデルスの遺伝の法則」の通り、三代前迄の先祖の罪と徳が両親を通して遺伝子で繋がっているのですから、寝ている無意識の時に遺伝の元の先祖と夢を見る状態で脳波が交信をして治癒力を働かせているのです。「病気の原因は先祖が子孫の治癒力を弱めて罪を祓って欲しいと要求している」のです。
その為に自分の中の弱い治癒力を強くする信仰が必要になるのです。
信仰のポイントは「教会での大祓いと先祖祭りと奉仕」なのです。「奉仕とは教会と本院に参拝する事が神様と先祖に対する直接の奉仕」になるのです。発病の医学的な原因は自律神経と血液の不調和に関係しています。つまり神様と先祖の不調和ということになるのです。
その不調和は先祖が生前に犯した罪と穢れなのです。その罪が性格に表れ穢れが体質になるのです。体質は体力の元になるのです。
「現在の医学では体力はあまり重要視されていません。」それだけ医学が進んだので、体力に関係なく手術と薬で回復させているのです。つまり医学は病気になって初めて役に立つのです。
病気は信仰をして欲しい先祖のシグナルなのです。薬で治した病気は又シグナルとして発病します。敬神尊祖の信仰は神幽現(神と先祖と家族と自分)の治癒力を強くして体力をつけて健康な身体をつくる働きが有るのです。病気にならない信仰(祖霊祭)と病気に罹らない行い(神への奉仕)病気に罹らない体力(心の修養)が健康の原動力になるのです。
現在の医学で使っている医療器具の原料は全て神様が創られた物です。薬も神様が創られた薬草を加工しているのです。
人間の技術や経験は日進月歩でたいした物ですが、神様の働きと比べれば、まだまだ小さいものです。遺伝子の中の罪の祓いになる原因が神幽現の三段階あり、先祖が作った罪の中で神の道に対する罪、人の道に対する罪、親子夫婦に対する罪が祓いとして遺伝子の中に有るのです。その治癒力が罪の為に弱くなっているから病気が治りきらないのです。
そのため医者は、この悪いところの手術をした方が良いとすすめるのです。人は手術をすればすぐ治ると考えますが、小さい手術でもリハビリを考えると三ヶ月から半年はかかります。大きい手術は正常になるまで二年から三年かかるのです。
信仰で完治するにも同じ位の時間はかかりますが、信仰は働きながら日常の生活をしながら回復と養生が出来るのです。
神幽現の守りが有るから、一段階の治癒力の低下が有っても残っている治癒力が働くので、薬を飲み注射をしただけで治るのです。
二段階に病状が進んでも身体を休めて養生すれば快復するのです。その為に人は体力を付ける工夫をするのです。しかし神と先祖(幽)は信仰をしなければ治癒力の回復は有りません。神幽現の三段階の守りが健康の三原則なのですから、敬神尊祖の神理教の信仰は元気で長生きが出来る近道なのです。もし病気になったら先ず神様と先祖をお祭りする事、そして現(身体)は病院で適正な診断を受けて睡眠を良くとり規則正しく養生する事が大切です。
祖霊祭は先祖を良く調べて根気良く先祖のお祭りを繰り返しする事が血液の治癒力を強くするのです。先祖の祭りは多いほど良いのです。
この世で作った罪の祓いは、一度や二度のお祭りで祓える量ではないのです。祓う量が大きいので病気に成っているのですから、急がず時間を掛けて自分が子孫に罪の祓いを残さないようにする信仰と奉仕の心が大切なのです。先祖の守りは病気だけではありません。家系と家族の幸不幸に関係した重要な守りがあります。
その守りの中で「守護霊としての一番の守りは子孫の安全」なのです。家族と言っても人それぞれの性格や体質があるので、身体の守りは遺伝子の中に有るのですから、親子でも兄弟でも遺伝の元の先祖が違うので、守りの中身が違うのは当たり前です。
しかし家族の安全は守護霊の力の強さに比例します。近年、この日本は治安が悪くなっています。警察の検挙率の低さは事件を拡大させているのです。
しかも三人から四人で組んだ強盗殺人のような凶悪な事件が増え続けているのです。
犯人の多くは外国人と聞きました。ある雑誌で読んだのですが、ある国の学校の教科書には戦争中に日本の兵隊さんが犯した残虐な事件を子供達に今でも教えているのです。だから日本人に対して強盗殺人をしても罪悪感が無いのです。平気で子供まで殺しているのです。
彼らの意識の中では日本人は今でも敵としての教育を受けているのです。これからの日本は少子化のため、数多くの外国人を受け入れるように成って来るのです。子供や孫達の将来を考えて「自分の家族は自分で守る信仰が大切なのです」。
家族を守る働きは守護霊です。事件は向こうからやって来るのです。先が見えるのは守護霊だけなのです。先祖は明日の危険を知って今を守るのです。墓参りと祖霊祭は多ければ多いほど守りが強くなるのです。先祖の導きと敬神尊祖の信仰が家族の安全を守るのです。神に感謝と先祖に感謝の信仰が明日の幸せを導くのです。






夏期講習会に参加して



熊本県荒尾市 上野 リツ子さん

 上野リツ子さんの第一印象は、「笑顔がとても素敵な方」。夏期講習会の最終日、温かく包み込んでくれそうな笑顔で、インタビューに快く答えてくださいました。しかし、そんな笑顔からは想像もできないような辛く苦しい日々を、上野さんは経験しています。
 結婚して子宝にも恵まれ、幸せな毎日を送っていた上野さんを突然、不幸が襲いました。ご主人が難病にかかり、余命五年と宣告されたのです。
「娘はまだ三歳で、私は二十九歳でした。どうしよう…と目の前が真っ暗になりましたが、この子のためにも夫を死なすわけにはいかない、と思い直しました。」
 上野さんは、なんとかしてご主人を助けたいと、いろいろなところへお参りに行ったり、先祖供養をしたりしたそうです。しかし、先が見えず、不安はつのるばかり。そんな時、神理教の先生と知り合います。
「ひと目見たとき、『あぁ、この方は違うなぁ』と感じたんです。
それからは、ずっと神理教一筋です。」
 それが昭和六十年ごろのこと。以来、本院へ足繁く通い、「一生懸命、拝ませていただきました」と、上野さんは当時を振り返ります。
そして、ご主人は五年と宣告された命を十六年長らえて帰幽されたのです。三歳だったお嬢さんは、大学受験を迎えるまでに成長していました。
「神理教と出会ったことによって、家族みんなが真剣に手を合わせるようになりました。神様やご先祖様に救っていただき、心のやすらぎをいただきました。神理教の神様は寛大で、本当にすごいと思います。」
 上野さんは毎年、大祭はもちろんのこと、夏期講習会にも参加しています。帰院したときには、初心に帰って神様にいろいろな報告しているそうです。
「常に初心を忘れないようにしないと、間違った方向へ行ってはいけませんからね。見直し、聞き直し、足元を見ながら。それが一番大事だと思います。」
 夏期講習会は、初心に帰り見直し聞き直す、ちょうどいい機会になっているようです。
 上野さんは現在、八十一歳になるお母様と暮らしています。お父様は平成十年に亡くなりましたが、その翌年、今度はお母様が脳内出血で倒れました。
「意識がなく、もうダメかもしれないと弱気になったこともありますが、とにかく本院に足を運んで一生懸命、手を合わせました。おかげさまで半身不随も良くなり、身の回りのことは自分でできるまでに回復しました。神様の力は本当にすごいんですよ!」
 そう、熱く語る上野さん。
 家族のために頑張っていた頃の上野さんは、どんなに辛くても笑顔を忘れないように心掛けていたと言います。
「神理教のおかげで心の窓を開かせていただきました。神理教のない生活は、あり得ないですね。」
 そんな上野さんは今、「神様やご先祖様と一体になり、相手の気持ちになって、人助けをしていきたい」と考えています。
「これまで神理教で学ばせていただいたことを、今度は人様に恩返しできれば。自分が体験してきたことを、困っている人に教えてあげたいですね」。
 どんなときも笑顔を忘れず、常に前向き。そして、神様やご先祖様への感謝の気持ちを決して忘れない上野さん。その柔和な笑顔の中に、信仰への熱い思いを感じました。



誠真分教会 丹羽 宏昭さん

 丹羽宏昭さんが結婚したのは平成十二年。この結婚が、丹羽さんのその後の人生を大きく変えることになります。というのも、奥様のご両親は神理教誠真分教会の教会長ご夫婦、お兄様は未来委員会などでも活躍している橘田和親さん、そして奥様ご自身も神理教の教師だったからです。
「うちは仏教でしたが、神理教に対して抵抗はありませんでしたね。結婚前に初めて月例祭に参加したとき、皆さんがそれこそ一心同体になって一生懸命お参りしている姿に感銘を受けました。」
 丹羽さんは長男ですが、実家のお父様も丹羽さんの奥様の日頃の行いを見て、「神理教は間違いのない教えだから、自分たちで神道をやっていきなさい」と、理解を示してくれたそうです。
「尊敬するのは名古屋大教会の横江初恵教会長、義理の両親と兄、それに叔父や諸先輩方」と言う丹羽さん。またとない良縁とは、まさにこのことを言うのでしょう。当の丹羽さんもそう思っているようで、「ご縁というか、お導きを感じますね」とにっこり。きっと、亡きお母様も喜んでいらっしゃることでしょう。
「以前は、しょっちゅう風邪などを引いていましたが、今は本当に健康になりました。実家の父も驚いているほどです。これも神様のおかげと感謝しています。精神面でも、以前に比べて我慢強くなったような気がします。弱音を吐かなくなりましたね。」
 神理教は、丹羽さんという人間そのものを変えてしまったようです。そして、丹羽さんは周りにいる素晴らしい先輩方の姿を見て教師を目指すようになり、今年の四月に横江初恵教会長よりご推薦をいただき、教師を拝命されました。
 そんな丹羽さんが夏期講習会に参加したのは、今回が初めて。
「分からないことがたくさんあるので、勉強しなければならないこともたくさんあります。とにかく一つでも自分のものにしていければ、という気持ちで頑張りました。講習会を通して横のつながりができたことも、自分にとってはすごく良かったと思います。」
「もし、神理教とのご縁がなかったら?」という質問に、「多分、普通の生活をしていたでしょうね。今と考え方が違えば、まるで違った生活になっていたはずですから。」と、本音で答えてくださいました。
 取材を通して感じた丹羽さんの印象は、「素直」の二文字です。何事にも素直な気持ちで向き合うことができるからこそ、神理教とのご縁を人生の転機としてとらえ、心身ともに強くなることができたのではないでしょうか。しかも、感謝の気持ちを決して忘れません。丹羽さん自身、「神理教を信仰するようになって、感謝の気持ちが持てるようになった」と語っています。
「神理教を信仰するのは自分のためでもありますが、人の役に立てればうれしいですね。人の役に立てる、そういう人になりたいと思います。」
 丹羽さんの話を聞きながら、「素直さ」は「輝き」だと痛感しました。丹羽さんたちのような若い教師の皆さんに、今後ますます活躍していただきたいものです。

 
 



   管長様が解説する御教祖の御歌   『人道百首』より

       善き人の よき行は すこしでも

         学びて おのが 鏡とぞせよ




 年頭(平成三年)に九州南部在住の旧友から寄せられた賀状に、『本年四月から母校で学習生活の予定』という旨が記されていました。
 彼は、神道指令で神官皇学館大学が廃校となった後、旧制高校を経て国立大学を卒業、有名企業の重役をつとめ、近年、郷里に落ちついたばかりという人物であります。
 古くから六十の手習い!!という言葉があり、このごろでは生涯教育!!なることが言われておりますが、郷里を離れて伊勢に遊学!!とのことには万感尽きず!!でありました。
 われわれの生活の場には、学ぶべきものが充満している!!と申せますし、学校教育が行われていなかった時代、
それは唯一の学習の場だったわけであります。
 現代でも、生活の場が学習の場である点には変わりはなく、特に人間関係の中から学習する部分は極めて大きい!!ということは、申すまでもないところであります。
 しかし、たとえば核家族化などに見られる社会構造の変化により、努めて学習せざるを得ぬ条件も軽減したと考えられます。
 つまり、注意深く相手を見る機会が少なくなったわけでもあり、それだけに相手から学び取るものも少なくなっていると申せるのではないでしょうか。
 活動範囲が拡がり多様な人と接する機会が多くなっているにも関わらず、相手から学び取るものがかえって少なくなっているのではないか?との反省が望まれそうであります。
 同時に、情報化時代といわれる中に生きていると、次から次にと寄せられる情報の波にたたかれて、いわゆる感受性が薄らぎがちな点への自戒も肝要!!と考えさせられます。 寄せられる情報が少なければ、一つ一つ情報が強い刺激として感受され、従って拡がりをもたらすことにもなり、すなわち得るところも多くなることが考えられます。
 一つの情報が注意深く考察検討されることとなり、結果的には多角的に活用されることにもなるわけで、そうした姿勢がなければ、充実向上は望めぬのではありますまいか。
 概して、いわゆる感受性は青少年期が最も鋭敏であり、それ以降は次第に鈍化するのが一般的とされているようであります。
 しかし、その鋭敏な感受性も、時代の傾向として、たとえば衣服などの物質面あるいは外装面に向けられすぎているように思われます。
 それにしても、目には映じがたい内面的あるいは精神的なものへの感受性が失われることになってはならぬということであります。
 ややもすれば外面に重点をかけがちな時代的傾向に流されることのないよう、多方向からの感受を心掛けねばならぬと思われます。
 付き合いについても、そうした心掛けで進めることになれば、おのずから多くを得られるようになる点を改めて認識すべきではないでしょうか。

 



                           祖霊祭  
     
平成16年9月23日(祝)11時〜
 朝からしとしと雨が降り、ようやく秋の肌寒さを少し感じた秋分の日に、祖霊祭が実施されました。大教殿に入ると、いつもより多くの参拝者がお越しになっていたよう。聞くところによると、祖霊祭の前に総代世話人の打合せがあったとのことでした。久しぶりの方と挨拶を交わしたり、家族連れの方はお子さんやお孫さんと談笑したり。祖霊祭が始まる前まで、大教殿には和やかな雰囲気が漂っていました。
 先祖の霊を慰めるための祖霊祭では、神殿に管長様の祝詞や玉串が奉納され、ご先祖に家族の健康や幸せをお祈りしました。祭りの儀式が済んだ後は、瀬戸局長による講話です。ご先祖にまつわる内容で、大変心にしみるお話をしてくださいましたので、以下要約、抜粋してご紹介します。

 「私たちは日々、いろんなことを忘れてしまいます。今日の私の話の内容も同じことで、日数が経つと九十九〜百%忘れていますが、それでいいのです。でも、今日この祖霊祭に足を運んでいるということは、誰かからこの日のことを教えてもらっているはず。それは誰かというと、ご先祖からなのです。私たちには五つの親がいます。
国の親、体の親、知識の親、教えの親、そして神様…この五つの親たちのお陰で生かされていることを忘れてはいけません。『祖恩を忘るることなかれ』という言葉があるように、祖霊祭や穂見祭などで感謝の意を表すことは大事なことです。だから私たちは常日頃、最低年四回はお墓参りに行きましょうと言っているのです。
 お墓といえば、こんな話があります。お墓参りで息子が父の墓に向かっておもむろにウイスキーをかけました。聞くと『父はウイスキーが好きだったので喜ぶと思った』と言いますが、神道ではこんなことはありえません。
神道では水をかけたあと、きれいに墓を拭き上げ、よごれや水あかなども一緒に拭きとります。ウイスキーなどをかけっぱなしにすれば、お墓はべたべたとし、汚れてしまいますよね。こんなことが起きたのは、ご先祖から色々と教えてもらっていないという表れなのです。こうしたことは、先祖代々教えていかなければ、伝わるものも伝わりません。だから、墓というのはおがみやすい場所に求めるのがいいですね。一人ではなく家族と一緒にお墓へ訪れ、その際に家のルーツなどを語ることは、とても大事なことなのです。

 よく歌に使われる言葉として『ときはに かきはに 守りたまへ』という言葉があります。どんな悪天候にもビクともせず、永遠に先祖を守ってくれるお墓。ひいては私たちが永遠にご先祖から守ってもらえるということなのですから、私たちは先祖の存在を認め、その徳によって今の自分があるということをお墓参りで認識しなければいけません。祖霊の役目は、子孫を守ることです。だからそのことに対して私たちがお礼を言うのは、あたりまえのことなのです。

 そして守って頂くだけでなく、私たちは神、祖霊に対しても役に立たなければいけません。それにはまず、自分から自分の周りを明るくしましょう。人の役に立てるというのは、自分も相手も嬉しく楽しいことなのです。
そうやって自分から喜びを作り、相手も喜ばせることが大事なのです。例えば、定年退職した夫に、洗濯物をたたむのが上手だとほめた妻がいました。ほかの事はなにもできない夫は、進んで洗濯物をたたむようになりました。夫は人の役に立っている喜びを、妻は手伝ってもらう喜びを得たのです。この夫婦の喜びというのは、祖霊の喜びでもあるのです。
 最後に。今日は家に帰ったら、ぜひ先祖に対して好物や夕飯などを供え、感謝の気持ちを表してみませんか?また、もうじき秋の大祭がやってきます。独立百十周年を祝う今年のしめくくりです。家族みんなで独立を祝いましょう」

 講話の後は、場所を神理会館へ移し直会が行われました。昼食のお弁当を頂きながら、皆さん楽しくお酒を酌み交わしていました。そんな中、合馬の奥・石坂地区の総代である小田明弘さんにお話をお伺いしました。

石坂地区総代 小田 昭弘さん
 小田さんは総代になられて今年で十年目。先祖代々、ずっと神理教を信仰されてきたそうです。普段は家に祭ってある神棚を拝んでいるそうですが、お盆や正月、奥様の命日などには子どもや孫たちが集まって、みんなで本院へご参拝されているそうです。お孫さんは、下は四歳から上は十一歳まで計五人。お孫さんたちは本院へ来ることを楽しみにしてくれているそうで、家族が揃った小田さん一家の楽しそうな笑顔が目に浮かぶようです。
 祖霊祭の前に実施された総代世話人たちの打合せから参加していた小田さんに、大祭でのお話をお尋ねしました。
「十年間総代の務めだけはまじめにとりくんできたつもりです。大祭では百数本もあるのぼりを立てています。三人一組で一つののぼりを立てるのですが、みなベテランばかりですから、約三時間もあれば終わってしまいますよ」と笑います。しかし、のぼりは風が吹いても倒れないように結ぶなど、様々な工夫が凝らされているようです。「角結びという昔ながらの縄の結び方をすれば、しっかりと固定することができるんですよ。みんなが集まる機会に、そういういろんなことを教えてもらいました。今の若い人たちは、角結びなんて知らないでしょうね。若い人たちが集まるような方法を、考えていかないといけませんね」と、次世代のことを気にされていたのが印象的でした。
 瀬戸局長も講話の中でおっしゃっていたのですが、大祭ののぼり立ては総代世話人や地元の人だけでなく、どなたでも自由に参加できる奉仕です。この機会に、ぜひのぼり立てに参加し、昔ながらの結び方を教わったり、総代や地域の方といろんなお話をしながら、人のため、大祭のために役立つ喜びを味わってみませんか?きっと祖霊も喜んでくれることでしょう。



                 *** 教 祖 の 道 統 *** 


   長崎教会 教会長 大教庁式務局長 花岡 勝成

      第五章 教祖の神人関係観
       第二節 罪悪と其意義(その四)


四、災い
・災いとは何か
 災いはワザハヒと言い、ワザは所為の意味です。
ハヒは幸ハヒ・和ハヒ・味ハヒ、等と等しい言葉で、ワザは神の所為です。
 災いとは主として神の凶悪とも感ぜられる所為について言っている事で、神即ち気と比べれば所為は一層具体的に見たものです。
 これ等は古代の宗教心より地震・風雷その他の現象(天災)を神の所為と感じていた関係から、ワザワヒは神の所為つまり人格的な所為の様に解釈したものでしょう。
 罪と過ちは自己の意志より起こるか、又自身の知識や意志の不足が原因で起こります。
 穢れは自分より発する場合もあるし、又不注意や或いは注意をしていても免れることの出来ない外部との関係から生まれて、自己の責任となる場合もあります。
 だからこれ等を修祓とか解除とか贖い(償い)とか又は忌斎(汚い物や心を避け身を清める)という手段を以て、これを免れる必要がある事を説きました。
 しかし災いは普通に考えて見ますと直接の原因は他にあって、自分はその結果として被害に遭う事です。
(しかし、本教では直接の原因は他にあるようでも、私たちの行動や考えと無関係とは考えません。)
・災いは偶然ではない
 大祓詞に災いあるとは、高津神・高津鳥の災い・昆虫の災い・飛鳥の災い、又不慮の災害、疾病等をいいます。
 それは自己の知力や意志の欠点から起こるものではないと一般的には言われます。
 しかし御教祖は、
『災いは自身の犯した罪穢れより来るもの』と教えておられます。
 その起こる原因は直接自身にあると言われているのです。
【是(罪)変じて、大なるは家に及ぼし病となり 家の災いとなる】
と教えられている様に、これは七罪(怠詐憤貪慢憂怨)から来る災いの意味があるのです。
 その罪から来る結果が偶然であったり突然であったりする為に、その原因は外部にある様に考えられがちです。
 しかしそれは、矢張り知らず知らずの間に自己が作った罪穢れ、又は過ち等の反省や贖いや修祓を完全に行なっていなかった結果なのです。
 それを時間が経つうちに偶然のように災いが起こり、その時自分の過去を振り返る余裕がなかったり、時間と共に忘れ去る場合があるので、全く自己以外の外部からの原因によるものと考えてしまうのです。
 しかし災いが降りかかるという事は、過去に於て必ず何等かの罪や過ちがあったという事を認めなければなりません。
 大祓いの中に災いを罪の内に加えているのは、災いそのものが罪ではなく、災いを起こす原因そのものを罪悪と見たからです。
・火災の原因は人にあり
 例えば火災は災いの一つで、これは偶然に或いは突発的に発生する様に思われますが、そこには当然火災が発生するだけの原因があるのです。
 煎じ詰めれば過失となるでしょうが、その過失が災い(火災)の起こる原因になるべき罪なのです。
 その原因となる罪とは、例えば私達の生活の中でなくてはならない大切な火を粗末にしたり、忘れずに後始末をしなければいけないものを、消火という注意を怠った為です。
 その怠りや粗末にする事は、過失やその他の罪に結び付きますから、その結果火災という災いに遭うのです。
・天災の原因は国にあり
 又地震に付いて考えて見ますと、地震は言うまでもなく天地自然の法則です。
 その自然の法則に地震となるべき気があって、その気が偶然的に又突発的に起こって災害を引き起こすのです。
 これは火災の様に粗末とか怠り等という様な、具体的な原因を意味するものではありません。
 地震という自然界の異変が起こった場合、時期や世相との相互関係を良く調べて考えて見ますと、人の心が乱れているとか、物質的にぜいたくな暮らしを求めた結果であるという相対観念を起こすものです。
 その起こす観念は何にあるかと言えば、勿論社会の姿の欠点を認めたり、又自己個人の側から見れば自然現象です。


 つまり神の御心の有り難さを忘れていたとか、或いは事業に対して怠慢であった為の天罰であるとか言って、宗教心と結び付けて天然現象を災いとしたのです。
 但し、古い歴史に於てもこの様な事は良く実証されていた様で、神を敬う習慣がすたれて悪疫が流行したり、天災地変があった事を伝えています。
・反省により、災いは人と国のより大きな幸福と 変わる
 要するに災いというものは、祖先と自己の善悪の行為の報いから起こるものです。
 他の罪・穢れ・過ちが修祓・解除によって贖われる(取り除かれる)様に、過去の罪悪を反省する事によって、より以上のものを得る事が出来ます。
 その反省とは、修祓・解除を意味するものなのです。
 又天災地変等は前にも言った様に祖先と自己の善悪の行ないの結果、言い換えれば人の力によって起こることがあります。
 又これを復旧したり今まで以上のものを建設する事が出来るのみか、天災に対する周到な知識や能力を得る事によって、精神的にも落ち着いて対処する事が出来るのです。
 ですから、国内で起こった天災は全国民の共有責任、という考えのもとで救助や援助を行なうのは、丁度身体のある一部が負傷すると、体全体の機能の働きが必要になるのと同じで、当然その責任があるのです。
 即ち、天災とは一般人類の上に起こる罪が原因であるという考えによって、その罪を修祓し解除する手段が、一般的に言う勤労・喜捨(キシャ=進んで社寺に寄進する事、又人様の為に寄付する事)という行為になるのです。
 つまり、災いも他の罪・穢れ・過ちと同じ因果関係で、原因から言えば罪、穢れ、過ちがある為に生まれるものであり、その結果が災いであります。
 だから災いも他の罪悪と同じく、祓除や解除の必要があるのです。 

         (つづく)


ご教祖の筆跡を訪ねて(一)

文責 「神理」編集 平 嶋 洋 子
 総代相談役・内山茂さんそして石原町総代の原口さんにご案内していただき、瀬戸宣教局長と著者、4人で小倉南区に残るご教祖の筆跡を訪ねました。内山さんは郷土誌「三谷むかしがたり」の編纂に携り、地元・菅生中学校でも教鞭をとっておられた方です。ご教祖の筆跡を訪ねる旅・5話シリーズでお送りします。


ご教祖の筆跡を訪ねて(三)

 小倉南区・石原町石原公民館に向かって、離合ができない細い道を車でのぼってすぐの、竹林の中に碑・墓場がありました。竹林の中は明るく、あまり墓場という感じがせず、最初、石碑が何個か並んでいるように、見えました。その中で一番大きな石に、粕谷保太郎権大教師の碑とありました。この肩書きの「権大教師」という表現は、瀬戸宣教局長によると、独立から開教までの苦しい時期ということ。粕谷さんという方は、布教にかなり貢献した方らしく、碑の裏側に、「薩摩 大隈諸島」という記載がありました。鹿児島まで布教にいったということでしょうか。となると、このような方は当時はたくさんおられたはず。もっともっと密かにご教祖が残された碑があるのではないかと思ってしまいます。
 周囲にも小さなお墓があり、刀自などの記載があるので、神道だろうということ。いまこの粕谷さんの親族も周辺に住んでおられないらしく、ひとつ、ひっくりかえっているお墓がありました。これをなんとかするのはご子孫の役目だろうけど…と思っていたところ、瀬戸宣教局長がきれいに元に戻しました。私なんぞは怖くてできません。粕谷さんのご子孫は、いまどうしていらっしゃるのでしょう。

   (次回へつづく)




                             あ と が き      

 
九月号からの『自然の道』の解題

(教徒の薦め)
 神理教信徒の形の上での”理想の在り方“、というのはどんなものでしょうか。
 信徒とは神理教(以下、本教という)の教えを信奉するし、その教えを生活に活かす人、ということで一番基本的な形です。
 理想の在り方というのは、この信徒という気持ちを持ちながら、先祖ぐるみで天在諸神の恩頼を受けるということです。
 つまり、宗旨を神道・神理教にして神理教の教徒になる、ということです。
 これを本教では元の教えに帰る、という意味で帰教(改教)というのです。
 ご自分と自分の信者さんとそのご先祖の、真の霊魂の安定を願うには、最終的に神理教の教徒になって頂く、というのが責任のある本教教師の目的だと思います。
 そうした思いを持って、先月から『自然の道』を書かせて頂いています。
 近代の日本人が禁忌としているように思われるものを二つあげると、男性の養子と宗旨替えです。
 禁忌とする、というより面倒に思う、ということではないでしょうか。
 『面倒な』『もうこれでよい・十分』というのは、多くの現代日本人が持つ退廃感というか、極端に言うと日本の衰亡に繋がる感覚だ、と思うのです。
 勿論、この感覚が全く無くなると世の中に潤滑油がなくなるようなもので、立ちゆかなくなるものの、もう少し真剣に考える時があってもよいのでは、と感じるのは筆者だけでしょうか。
 男性の養子について真剣に考えないと、子孫のいない=祀ることを誰からもしてもらえない祖先が出来ることになります。
 宗旨についても、同じようなことが言えます。
 子々孫々に繋げられる本当に信頼出来る信仰について考えないと、いつまで経ってもあっちの信仰・こっちの信仰とさまよい歩き、ついには無信仰を誇る子孫が出来ることになってしまいます。
 少しおかしいとか、分からないと思っても誰にも聞く人がいず、比較することも出来ない中で、
「まあ、いいか」で、何もかも終わってしまって本当にいいのかな?、という心配をしてしまうのです。
 目先の仕事や家庭のことはとても大事な事ながら、信仰がその基本にある、という感じ方が共有出来るならば、是非この問題はお考え頂きたいものです。
 本教は宗旨替えをした家庭もしていない家庭も、信仰をして頂くことには平等で自由です。
 無理矢理にお勧めすることもありませんが、教徒になることが一番の安定の道であることを、意識して頂ければ有り難いと思います。
 そして既に教徒になられているご家庭には、教徒という前に信徒という基本に戻り、感謝・奉仕・反省に共に勤しみたいものだと願います。  
                            (幸)



語句の説明(読みと意味)

1)教徒=宗旨が本教で、冠婚葬祭、殊に葬儀や先祖祭りの霊祭を本教で行う家、または人。

2)信徒=宗旨は他宗派であっても、本教天在諸神の御神璽を祀り信仰をする家、または人。

3)御神璽=天在諸神・配祀諸神・大元稲荷・教祖神などの御神霊をお鎮めした箱。

4)天在諸神=本教の主祭神、古事記所載の天之御中主神から天照皇大神までの十八柱の総称。

5)主祭神=教団で最も尊崇され、教えと御守りの中心として信仰される神。
6)古事記=日本に残る最古の書物。日本の神話に始まり、歴代天皇の御名前と共に歴史を記したもの。

7)恩頼=神から戴く御恩と御神徳。

8)宗旨=その家の葬儀や祖先祭りの霊祭をする宗派。

9)霊魂の安定=ご先祖と本人の本教の根元的な目的。 そうなることにより、真の幸せが得られる、と信じるもの。

10)神理教教師=本教から特に免許状を受けて、本教の神祭りを行い、鎮魂禁厭を行うことを許され、世の為人の為に率先して役立つ人。

11)鎮魂禁厭=免許状と共に戴いた神宝を使い、神事によって自他の災厄を祓い、神占いなどの神術を行うこと。

12)神宝=物部氏より本教・巫部家に伝わる、十種の宝を象徴・具現化した本教教師専用の神具。

13)物部氏=饒速日命を高祖(物部氏の初代)とする、本来神事を司るべき氏族であるが、武力を持つ時期も  ある。一時蘇我氏に倒されるが、子孫は日本全国に散らばる。

14)巫部家=物部氏の系統を受け継ぐ家。雄略天皇の難病(西暦四百八十年頃)を、饒速日命の十六代兄奇宿祢命  が平癒した功で巫部の姓を賜る。  本教の御教祖は七十七代。

15)饒速日命=天照皇大神の孫で、邇々芸命(天皇家の初代)の兄にあたる。

16)禁忌=一般に忌み嫌われること、行ってはいけないとされるタブー。ここでは、宗旨替えや男性の養子を、そうあるべきものではないと思い込んで、避けようとする態度。