背景色が選べます!

                                                          2004−7

平成16年7月号 第1085号

        

巻頭のことば


感謝とは御礼です。
御礼の言葉は「有難うございます」。
この言葉を一日何回言っていますか。
多いと思っている人は、それだけ人を幸せにしています。
祖霊に・神様に、「有難うございます」を言っていますか。
自分の幸せは、ここから始まります。





               
                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
               おだ    であ
   心して 心 穏しく 出会ひなば
                 ゆ   き   おだ
            往き来 穏しき 道や開けむ

  国連の新決議案採択やG8サミットの合意により、多国籍軍の支援体制が一応まとまる事になった様であります。不安定とは言われながらも、イラク人による閣僚人事も決定して、今月からはイラク人によるイラク暫定政権の活動が実現することになりました。

 この国の部族間・民族間・宗教間の争いには、怨念めいたものも受け継がれ、俄に一挙解消する事には望みがたいものが感じられますが、日々の暮らしの安全を願う気持は万人同列であり、治安の保全を最優先した妥協的な歩みを始めて貰いたいものと願われます。

 それにしても、この国には既に国際的テロ集団の活動がみられる由で、激化の方向!とさえ報じられる混乱状態も、そうした集団の扇動によるものが多いと思われますが、所詮、多数の死傷者を含め、最終的に最大の被害損失を受けるのは、イラク国民という事になります。

 尤も旧フセイン政権下では耐え難きに耐えて辛抱・妥協する事により、日々の暮らしの安全を保ち得た訳で、そうした圧政から解放された状況下でも、治安保持の為には辛抱・妥協が不可欠!としていれば、これほどの混乱や惨状には至らなかったと思われます。

 つまり、イラク国民の辛抱・妥協が、旧フセイン政権下と同程度であれば、抑制から解放された状況下では、暮らし向きは同程度以上に良好であったに相違なく、徒労同然の殺傷や抗争が日常化している現状には、寧ろイラク国民自身が招いたと言えそうな側面が窺われます。

 混乱の渦中に巻き込まれた状況下では、疑心暗鬼、出会う相手を敵か味方かの二者択一に決め込む事が生じそうでありますが、日々の暮らしの安全を願う気持は万人同列であり、辛抱・妥協、穏やかな心で出会いの時を持てば、おのずから穏やかな場が展開できるものと思われます。

 我が国では、どうにか不況から脱出!と言われていますが、我々としては、そうした異変の中にあっても、辛抱・妥協していた姿勢を忘れてはならぬ様であります。イラクの人々の様に、心を乱されて前途を見失う事にならぬよう、まずは現状を確認して、感謝し、その上で前途を見据える事に心掛け、大きく踏み外す事のない歩みを進めたいものであります。
 



                  

H.16. 7月号

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)

(がん)()らない・あきらめない、(げん)()()して!

 

(がん)()って!

 (くるま)のラジオで、その(とき)とても()れているという(ほん)(ちょ)(しゃ)が、(あたら)しい(ほん)()すということで()(かい)(しゃ)(いろいろ)々と(はなし)しを()かれていました。

 ()(まえ)(しつ)(ねん)しましたが、(ちょ)(しゃ)()()(ほん)()(まえ)は『(がん)()らない』でした。

「この(ほん)(だい)はどうして()まったのですか」という()(かい)(しゃ)(しつ)(もん)に、

(わたし)がまだ()()になって()もない(ころ)(まっ)()ガンの(かん)(じゃ)さんを()()ちました。

 いつもの(しん)(さつ)を終えて、いつものように(がん)()って(くだ)さい』と()うと、(なん)とも()えない(かお)をされて(なみだ)(なが)しました。

 (わたし)(わか)かったし、その(とき)()(かん)(じゃ)さんも()っているのでそのままにしてしまいました。

しかし()になるので、(つぎ)(かい)(しん)(とき)にその(かん)(じゃ)さんに(なみだ)()(ゆう)()いてみました。すると、

(わたし)(いま)まで(びょう)()(くすり)(くる)しみに()えて、もう(じゅう)(ぶん)(がん)()ってきました。

まだ(がん)()らないといけないのですか』と()ってまた()かれたのです」と(こた)えていました。

()()はその(とき)(なん)とも(こた)えようがなく(なぐさ)めの言葉(ことば)(おも)()かばなかった、ということのようでした。

(がん)()らない』には(わか)(とき)(はん)(せい)()まえ、(じゅう)(びょう)といわれる(かん)(じゃ)さんの(びょう)()への(かんが)(かた)や、(かん)()をする(とき)(にん)(げん)(てき)(かか)わり(かた)について()かれているようです。

努力(どりょく)

 (ひっ)(しゃ)(たと)えば(しょう)(がっ)(こう)()(ぶん)()きな(こと)()()きなさいと()われれば、“()(りょく)”とか“(けい)(かく)(じっ)(こう)”・“(にん)(たい)(など)をあげていたような()(おく)があります。

 そうした()()けば(おと)()(よろこ)ぶという、あまり()(まん)できない()()(はたら)いていたのかも()れません。

 (みな)(さま)は、いかがですか?

 (わたし)たちの()(だい)は、どうもそうした(こと)()にがんじがらめに(しば)られて()(うご)きが()れないという(いき)(ぐる)しさを(かん)じます。

「もう(がん)()らなくていいのだよ」と()われると、ホッとする(ひと)もいるのです。

 (ひっ)(しゃ)(しゅう)(かん)になっているのでなかなか(あらた)まりにくいのですが、(おと)()()どもに(かか)わらず『(がん)()って』とか『()(りょく)して』という言葉を控えるようにしています。

(がん)()る』という(こと)()は『(がん)()って』という()(たい)(はげ)ましの(とき)にではなく、『(がん)()ったね』というねぎらいの(とき)使(つか)いたい、と(かんが)えるのです。

(たの)しさ

 ()(ごと)(ほう)()などの(かつ)(どう)()()れば()(ちゅう)になるくらい(たの)しく(おこな)いたいものですし、(ねっ)(ちゅう)するあまり(あと)で『(がん)()ったなあ』と()(かえ)ることが()()れば、と(かんが)えます。

 『(がん)()る』というのは(けっ)()であって、その(もと)というか(げん)(どう)(りょく)(たの)しみを(じっ)(こう)しようという()(よく)です。

 (さい)(しょ)から『(がん)()るぞ!』『(がん)()って!』を(こえ)()()ちに()してしまうと、()()けば(せい)(しん)(しょう)(もう)という(びょう)()(かか)っていたという(れい)をよく()きます。

 しかし(たの)しむたのしむと()っても、()(ほう)()(かいらく)楽を()(もと)めるような()(かた)はいかがなものか、という()きもあることでしょう。

 この『(がん)()らない』を(あらわ)した()()も、その(あた)りに()(かい)(しょう)じる(おそ)れを()いたのではないでしょうか。

あきらめない

 そこで『あきらめない』という(ほん)(あらわ)すことになったようですが、ラジオを(ぜん)()()(まえ)(もく)(てき)()()いてしまったので、その(あと)(ひっ)(しゃ)(そう)(ぞう)になります。

これ()(じょう)(びょう)()(たい)(けつ)して『(がん)()らない』までも、だから()(よく)()(ぼう)(うしな)うことは(けっ)してない。

あきらめなくても()()(がく)(てき)(こん)(きょ)あるのだから、(けっ)して『あきらめない』ぞ!という()()ちになりましょう、ということでしょうか。

また()(りょう)(しゅ)(ほう)()(ぼう)(つい)(きゅう)することを(あわ)せて(こころ)のよりどころにしよう、という(しゅ)()ではないかと(そう)(ぞう)します。

 ()(よく)(たい)(りょく)(げん)退(たい)からくる(しつ)(ぼう)(かん)(ねつ)()()(ぼう)にかえてゆこう、ということではないのでしょうか。

 

(えだ)(みつ)(きょう)(かい)(しの)(ぐさ)

 (さい)(きん)(ほん)(いん)(ちか)くの(えだ)(みつ)(きょう)(かい)(よん)(じゅう)(ねん)()、『(しの)(ぐさ)』((しょう)()(よん)(じゅう)(いち)(ねん))を()(かえ)()(かい)がありました。それには、

(げん)(さん)(だい)(きょう)(かい)(ちょう)(ふく)()カヲル(きょう)(せい)(はは)(うえ)である()(だい)(きょう)(かい)(ちょう)()(ふく)()カネ(きょう)(せい)は、(なが)(あいだ)リュウマチに(くる)しんでいましたが、(しょ)(だい)(きょう)(かい)(ちょう)()(とよ)()フデ(きょう)(せい)にお(たす)(いただ)き、その(もと)()(つだ)いと(しゅ)(ぎょう)をされる(なか)(いろ)(いろ)(たい)(けん)をされます。

 ある(とき)()(なか)()()みや()(じゅん)()づき(ひと)()(ごころ)にも()れ、(いま)()(ぶん)()(ろう)などまだまだ(もの)(かず)ではない。

 ()(ぶん)(びょう)(にん)でも()()(しゃ)であっても、(じゅっ)(さい)()ども(カヲル(きょう)(せい))のためには(はは)という(もの)がいなくては、と(ふる)()たれたそうです

 すると(やまい)()から”、たちまちその()から(あたま)があがり、(よく)(じつ)から(あさ)(ゆう)()(しん)(ぱい)はもとより、(すい)()(そう)()(さい)(ほう)まで()()るようになった>とあります。

 生きる()熱意(ねつい)希望(きぼう)湧けば()思わぬ(おも)奇跡(きせき)のような改善(かいぜん)()こることもあるのです。

 (しん)()(きょう)(おし)えでは、()(なか)()(よう)(ひと)など(ひと)()もいないと(かんが)えます。

 (たと)(びょう)()(くる)しみ、(しゃ)(かい)(こう)(けん)()()ないと(おも)われる(ひと)(ひつ)(よう)なのです。

 (びょう)()をしているということは(しゃ)(かい)(めい)(わく)()けていると(おも)われがちですが、そんなことは(けっ)してなく、それはその()()(かなら)ずあるはずなのです。

 (たと)えば()んで(くる)しむことが(すい)(ぎょう)などと(どう)(よう)()(ぎょう)としての(みそ)(ばら)いとなっているのかもしれませんし、()(ぶん)(ため)()(ぞく)(ため)・ご(せん)()(ため)のお()らせを()けているのかも()れない、と(かんが)えるのです。

 だから、(けっ)して()(ぶん)からの()などを(かんが)えるべきではないのです。

 まさに『あきらめない』ですね。

(げん)()()して

(がん)()って!』という(こと)()がよろしくないとすると、(わたし)たちはその()わりに(なに)という(こと)()使(つか)えばよいのでしょうか。

 (ひっ)(しゃ)(しょく)(ぎょう)(じょう)(たま)()り!』など(かんが)えるのですが()()(かん)じる()きの(おお)いことでしょう。

(げん)()()して!』などはいかがでしょうか。

 これから(あつ)(なつ)(むか)えますが、お(たが)いに『(げん)()()して』()かってゆきたいものだと(おも)います。





「神理教の教えを未来へ」

  〜新生・神理未来委員会の開催に寄せて〜
  
                   郷原 昇総監
                   高井 伸子さん



     左から、郷原総監、高井伸子さん。



 「次の百年を考える委員会の設置を」と、平成七年六月三日・四日の両日、第一回神理未来委員会が開催されました。あれから九年。委員の若返りが検討され、今年八月二十八日・二十九日には、新体制で第十六回未来委員会が開催されます。
 そこで、新体制発足を前に、郷原昇総監と、総監のお嬢さんで大根地教会の後継者である高井伸子さんにお話を伺いました。
――まず、未来委員会が発足した当時のことを、お聞かせください。

総監 「私が総監になったのは平成七年一月で、未来委員会が発足した当時は、すでに総監を務めさせていただいていました。未来委員会についてお話する前に、ちょっと神理教の成り立ちに目を向けてみたいと思います。皆さんもご存知のように、神理教は明治二十七年に一派独立を果たしました。その五年後の明治三十二年には教信徒百五十万人という大教団に成長しますが、天皇を中心とする教えが終戦によって否定され、教信徒の数は減少してしまいます。宗教的な教義には、今の若い人がついていけない部分もあるでしょう。しかし、神理教を立て直すには、若い人たちに教えを引き継いでいかなければなりません。未来委員会をつくった理由も、実はここにあるのです。」
――これまでの未来委員会の活動を振り返って、いかがですか?

総監 「ある程度の進展が見られたのではないでしょうか。例えば、未来委員会の提案が実現し、神理雑誌に人物紹介などが取り上げられるようになりましたが、とてもいいことだと思います。若い人の感覚で、どんどん書いていただきたいですね。時代と共に、教会の在り方自体、変わって来ています。継承者の考え方や感性は、親先生とは違うでしょう。やはり、時代に取り残されてはダメです。時代を先取りしていかなくては。後継者を育てるという思いを、親先生に強く持っていただきたいというのが、私の一番の望みです。それは、未来委員会に対しても同様ですね。」
――未来委員会の提案が庁内会議で却下されるケースも多いようですが。

総監 「提案されたことが、庁内会議で理由もなく却下されるということはないはずです。ただ、今後は未来委員会との話し合いは必要になってくるかもしれませんね。」
――高井さんは、未来委員会に出席されたことはありますか?

高井 「はい、設立当初は参加していました。皆さん、目指していることは一緒だと思います。神理教の発展を願っているわけで、そういう方たちの中にいると、私も頑張らなければという気持ちがわいてきました。」
――総監にも未来委員会にぜひ出席していただきたいという声が多く上がっているようですが。

総監 「私も最初の頃は出ていたのですが、病気をしたこともあって、最近はなかなか出席できませんでした。これからは、できるだけ出席したいと思っています。」
――総監として、これからの未来委員会に望むことがあれば、お願いします。

総監 「新人の方には斬新な発言を期待しますが、やはりこれまでの動向を知っている経験者の皆さんの存在も大きいと思います。一度に世代交代するのではなく、それぞれの意見を尊重しながら徐々に世代交代できれば、一番いいのではないでしょうか。それから、例えば野球などの親睦会を通して、お互いにコミュニケーションをとることも必要だと思います。それが、教会間の横のつながりにもなるはずです。」
――ところで、独立百十周年記念の春の大祭は金・土・日曜日に開催されましたが、総監は以前から日曜日の開催を提案なさっていたそうですね。

総監 「はい。これまで春秋の大祭は十六日という日にちにこだわって来ましたが、やはり皆さんが帰院しやすい日がいいのではないでしょうか。もちろん、一度に変えられるものではありませんから、春だけ、あるいは秋だけでも日曜日を入れることができればと考えています。日曜日なら、子どもたちもお参りできますからね。子どもたちに、まず、そういう場を経験させることが大切だと思います。」
――今日は、どうもありがとうございました。

 福岡市の都心にある大根地教会は、まさに神理教と共に歩んできた、歴史ある教会です。現在、教師は六十名。教会に新任の教師が誕生すると、総監は信者さんに、こうお願いするそうです。
「信者さんは大きな砥石で、先生は刀です。どうぞ、先生に難問を投げかけてください。苦しいこと、辛いこと、何でも先生に言ってください。そうすれば先生は、また勉強します。信者さんの砥石で、先生の刀を研いであげてください。」
 大根地教会の後継者である伸子さんは、昔から総監と一緒に信者さんの家を回っていたそうです。
「それこそ、寝食を忘れて信者さんのためにやってきた父の姿を、ずっと目にしてきました。だからこそ、信者さんたちが何十年も付いて来てくださるんだなぁと感じています。そんな父が教会長だけに、後継者としての不安やプレッシャーは大きいですね。」
 教会は教会長一人ではできない、家族の支えが必要、と口を揃える総監と伸子さん。もちろん、奥様の存在が大きいことは言うまでもありません。
「何よりも大切なのは、信者さんとの信頼関係です。私たちは易者と違って、祈ることを知っています。例えば、信者さんに『こうなる』と言ったら、信者さんが帰ったあとで、そうなるように祈るのが教師の努めです。それは、相手には見えません。しかし、私たちには祈ることしかできないのです。信仰とは、祈ること、そして任せることだと思います。」
 お忙しい中、貴重なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。





●●新・神理未来委員会のご案内●●
               神理未来委員会委員長 横 江 春太郎
               神理未来委員会相談役 巫 部 祐 彦



 お陰さまで独立百十周年・教祖ご生誕百七十年の式年大祭は素晴らしい天候を戴き、無事に奉仕する事が出来ました。
 これは天在諸神の御神護と婦人会・青年部また各教会・教師・教信徒の熱意と奉仕、そして未来委員会の皆様のご提案とその実行によるものです。
 さて、十年前の独立・教祖ご生誕の式年大祭の後に出来たこの未来委員会も、十年を迎えました。
 未来委員会はいわゆる特別委員会ですから、所定の目的を達すれば解散されるものです。
 本年二月の委員会ではそれを含めての議論もありましたが、新しい神理未来委員会として再出発することになりました。
 教会長を通じてご参加を是非お待ちします。
◇ご推薦の御願い
 以下に神理未来委員会の目的と開催要領をお知らせしますので、教会長先生には、旧委員の更新を含めて委員のご推薦を御願いします。
 推薦に当たり、現在本教への祭事や奉仕、研修会に参加されている人に限ることはありませんが、将来そうした行動の中心になると期待される方を御願いします。
◇神理未来委員会の目的
・本教の将来の発展と教信徒の資質向上を目指し、自由な意見と議論を交わして本教に提言を行う。
・本教に提言が認められるための試行と、認められた提言の実行・推進を行うことにより、委員みずからも向上することを目指す。
◇開催要領
日 時/平成十六年八月二十八日(土)
    十三時(書記以上の役員は十一時)    〜二十九日(日)十二時
場 所/神理教 明星会館
    (役員会は大教庁会議室)



    

        管長様が解説する御教祖の御歌   『人道百首』より

       うはべをば かざりて神を 拝むとも

          心にまこと なきはただごと




   拝む!!という言葉は、折れかがむという言葉が縮まったものとも言われており、体を折りまげ姿勢を低くして敬意をあらわす状態を意味するものであります。
 現今では、それほど体を折りかがめることはなくとも、神仏を意識して御威徳を称えたり御加護を願ったりする状態を『拝む』としており、語源とはやや遠いと申せます。
 もっとも、現今でも、いよいよ真剣な場合には、語源通りに、折れかがむ状態が見られるわけで、拝むという言葉の持つ概念が拡大された!!とする方が妥当とも申せそうであります。
 いずれにしても、この拝む!!折れかがむという姿勢は、恐らくは原始に近い時代から、敬意を感じた心が自然に示される動作として、固定化したものと思われます。

 人間は、目に見えがたく感受したところを、言葉や文字で表現するということが次第に上達したわけですが、その上達以前から『拝む』という姿勢はあった!!と考えられます。
 言葉づかいが豊かとなった当今では『身の縮む思い』という表現が聞かれますが、この言葉を体で示すのが『拝む』という姿勢にほかならぬと申せるのではありますまいか。
 すなわち、身の縮む思い!!が自然な反応的動作として体にあらわれる状態が、『拝む』という姿勢の原点である!!ということができそうであります。

 人間は、小賢く小ずるい側面を持ち合わせているようで、言葉にしても、心にもない美辞麗句を見えすいていても使う人さえ、いないではないようであります。
 拝むという姿勢にしても、損得利害を打算した上で、心とは裏腹に、その場かぎりというケースが見受けられ、いわゆる社交的なものも少なからず?ということであります。
 もっとも、『拝む』という姿勢の原点にも見られるように、心と体とは密に関連しており、体の姿勢が心の姿勢を正すという側面のあることも考えられるところであります。
 そうした点からは、拝むという姿勢にしても、それが形式的なものであっても、当初から非とするのは行き過ぎ!!と言えないでもない面がありそうであります。
 ただし、ただ形式を守っていれば良し!!ということでは、いつまでたっても心の姿勢との関連はあり得ないわけで、これは不可欠であります。
 これは、『拝む』というような体による表現だけではなく、人間が他の生物より特段にすぐれた言葉や文字による表現についても、申せるところであります。
 いわゆる美辞麗句は、もともとは単なる修飾の辞句ではなく、先人が心をこめる中で出来上がったものであり、いわゆる礼儀作法も同様の経緯により伝わるものであります。
 冒頭の御教歌は、心のこもらぬ拝みは徒事にすぎぬ、すなわち拝まぬのと同じ!!と教示されたもので、初詣でに始まる本年の拝みについて、改めて考えさせられる次第であります。
 この御教歌と共に、『拝む』という姿勢の原点にも時には思い及びながら、御神護に恵まれた良き年!!を感謝し合いたいと願っております。

 





  幸福への出発
            光陽教会  中山 勇

    第28集   墓は長男の運命を支配する


 
  墓には沢山の制約があります。また、良い墓悪い墓等の著書なども出版されているのですが、良い墓としての条件の整った墓は少ないのではないかと思われます。それは宗教的な時代の流れの中で、神道から仏教やその他の宗教により、その時代の変革の中で墓の持つ意味が変化をしてきたのです。また、宗教家の力関係の中で、その時の政府の思惑も入り、宗教と墓は政治的にも利用されてきたのです。
民主主義で自由な、宗教の中でも、墓を重要視している宗教は少ないと思われます。しかし、人間は墓の中で管理されている先祖の遺伝子の影響により誕生するのです。
そして亡くなればまた墓に帰るのです。人間は四魂の働きの中で、妊娠時から先祖の和魂の働きを受けて遺伝子の設計図の通りに身体を創造していくのです。
身体作りの作業は荒魂の担当なのです。人間としての形が整ったその時期に神様から良心の働きのある幸魂と運命を育てていく奇魂の入魂が有るのです。
この時期に、腹帯をしてお祝いをするのです。この腹帯の頃から赤ちゃんの心が育ち始めるのです。この頃からの胎教が潜在意識として性格に影響します。
胎教で一番大きなものが、お母さんの心臓の音なのです。お母さんの喜んだ心音、笑った時の心音、リラックスした心音、優しい心音は赤ちゃんの心と身体の育成にとても良い影響を与えます。たとえ悪い遺伝子が有ったとしても、お母さんの明るいリズムで罪の祓いが出来るのです。
しかしこの時期に苦しんだり、悩んだり、怒ったり、悲しんだりする心音は、心と身体の育成のリズムを乱すので、遺伝子の設計図の中の持って生まれた罪の祓いが強くなるのです。病気になる悪い部分を強く表す事になるので、内臓の弱い子供に成り易く、生まれてくる子供の顔や形も明るさが無くなる可能性があります。
腹帯は神様の神霊が宿る、お祝いの儀式なのです。この神霊の奇魂は生まれてくる子供の一生の運命の始まりとなるのです。この時の胎教は潜在意識として運命の根源の一端を担います。ここで長男の嫁と言う立場が微妙に関係してくるのです。
嫁と姑の心の問題だけではなく、一緒に生活をしている家族全員の心と心の問題が大きく影響するのです。「生まれてくる子供の運命は、実は子供ではなく親の運命」なのです。生まれて来る子供がもし病弱であれば、家庭の中の生活環境を一変させます。七歳までの子供の病気は家庭内で生活をしている全員の責任なのです。家庭内の和(協力)が無かった事に対する神様の御教えなのです。
神の清濁を分ける働きの中で、家族全員の心(助け合いの不足)が原因で胎教の時期から潜在意識の中で病弱な身体が創造されていくのです。長男の嫁としての心の持ち方は非常に難しく、若くて元気な夫の両親や弟や妹の家族の中で初めての妊娠の体験をしていくのです。
嫁としての立場は良く分かっているのですが、潜在意識として自分が育ってきた実家の家庭環境と今の生活を比較して悩んでいるのです。
実生活の中では、今まで育ってきた家庭環境しか知らないので、すぐ順応出来る性格の人は多少のストレスで済むのでしょうが、順応できない性格の人は自分が育った家庭環境と違うために必要以上に遠慮して、また必要以上に我慢をしてしまう事が多くなるので、ストレスが溜まり心の余裕が持てなくなって、被害者意識を持つようになるので、夫の協力とねぎらいの優しい言葉が大切になるのです。
この心の状態で赤ちゃんの胎教をしていくのですから、生まれてくる子供の為に家族が協力して、お互いの立場をよく理解して母子共にこの毎日の生活の中で、安心して子育てが出来る環境を皆で作る必要が有ります。
「生まれて来る子供のために一番良い生活環境を整えて、子供の将来を考えた楽しい家族構成を作る事が必要です。」その為には人を変えるのではなく、自分が良い体験に変えていく努力が必要です。子供の魂は神様が与えているのですから、夫婦が助け合ってお互いに子供と一緒に成長していく事が大変重要なことなのです。
特に長男の家は両親を含め「家族全員が敬神尊祖の神理教の教えの中でこそ、楽しく生活が出来ることを先祖が保障している」のです。
信仰は生まれて来る赤ちゃんの心の成長には大変良い影響が有ります。しかし日本の昔からの家族関係の中での嫁としての立場は弱いものでした。
ある一部では働き手が一人増えた位の待遇で、家族としての立場は都合の良いときは家族だから当たり前として、都合の悪いときは他人としての使い分けをされてきたのです。現在でも時々こんな家族関係を見る事がありますが、大部分で両親と別居の家庭が増えているように思います。その為に親と別居の影響は、先祖を含めた家族という人間関係の勉強の場所が少なくなっているのです。
子供の心の成長に「いたわりの心や思いやりの心が育つ家族(祖父母)が居ない」事が、自分の老後に直接的に関わってきます。その原因としての第一は、家庭の中で子供の数が少なくなっている事。第二は、親が子供に手を掛けすぎるので子供の心の成長が遅れる事。
第三は、子供に家事等のお手伝いをさせないために、生きる為の努力や工夫をしない事。第四に、親が何でもしてくれるのでそれが当たり前に成ってしまう事。第五に、親は子供を大事にしてくれるけれど、両親や先祖を大事にすることは教えてくれないし、見せてもくれない。
この様に家庭内での子供の生活と教育が変化しているので、子供の心の中では何でもしてくれる便利な母親は当り前で、何でも買えるお金が大事と思う心が育っていくのです。漫画のドラえもんのポケットと同じで、母親は甘えれば何でも買ってくれるので都合の良いポケットなのです。反対に都合の悪いときに逃げ腰になるのは、何も教えて貰っていないからわからないのです。
このために子供はいつまでも子供で居たい願望があり、身体は成長しても心はある時期から成長の速度が遅くなるのです。これは親の心が何時までも子供を無意識にペットと同じ感覚で可愛がり、過ぎになり親離れや子離れが出来ない自分中心の家庭環境を親が作り出しているのです。
両親と同居の長男夫婦の場合は子供の心の成長が家族を中心にした生活の中で、楽しい事も苦しい事も、良い事も悪い事も勉強する家族関係が有るので、思いやりの心や協力する心が育っていくのです。「若いときの苦労は銭を出してでもしなさい」とは、身体の苦労ではなく、心を磨く精神的な苦労の体験を積む事で、「人の痛みや悲しみの判る心を育てなさい」ということわざなのです。
それは長男夫婦だからこそ、先祖が子孫の繁栄と永続の願いと守りの中で、「両親と同居の生活環境の中で跡継ぎの心の勉強の場を与えて居る」のです。それは墓が指揮管理をしているからなのです。先祖が眠る合同墓には長男夫婦しか祀る事(納骨)が出来ないからです。
墓の中から子孫を守る霊的な力が生まれて来るのですから、墓の中で霊的な守りの協力が出来る祖霊の和が必要に成るのです。子孫繁栄と家系の永続の基礎として、長男の嫁には親と同居の仕組みが神代の時代から続いているのです。神様は陰と陽(原因と結果)の働きを神の子の定めとして与えているのです。幸せは苦労の体験の中から生まれてくるのです。苦労とは、考え方と感じ方、そして心の持ち方を幸せの種そして家系の平和のために神様が自分に家族を通して勉強の場を与えているのです。
今は嫁でもやがて姑の立場に成るのですから、苦労は子供を守る大きな力と明日の幸せの原動力に成るのです。






 『教派神道の形成』弘文堂(平成三年三月発行)で大きく神理教の紹介をして頂いた、國學院大學の井上順孝先生が國學院雜誌に研究論文を掲載されました。
 神理教が独立してからの、教師の全国分布などを二年ほど前に調査に来られましたが、そうしたものの一つのまとめとされたようです。原文を尊重したため、御教祖の氏名に尊称をつけていません。


『國學院雜誌(第104巻 第11号)より転載しています。』
教派神道の地域的展開とその社会的条件  井上順孝

 
―― 神理教の事例を中心に ――

  二 神理教の教派神道のなかでの特徴
 さて、幕末維新期に展開した運動で、のちの神道十三派を構成した教派のうち、今日の研究で通常神道系新宗教と区分される天理教、金光教、黒住教は、樹木型となる。教祖の教えや営みを弟子集団が伝えていくことによって、組繊が拡大した。それは今日に至るまで一貫した組織原理となっている。これに対し、神道大成教、神習教、神道修成派、神道本局など典型的教派神道は高坏型である。創始者が山岳信仰の講社、ことに御獄講の講社、あるいはその他の小規模な宗教組織を傘下に収める形で一派を形成した。このような性格がもっとも顕著であるのは神道本局である。
 御嶽教、扶桑教などはそれぞれ御嶽信仰、富士信仰の講社が中心になって結成され、開祖への崇拝もあるが、維新以後の展開の過程の中で、それ以外の民間の諸団体も支部に多く含むことになった。結果的に高坏型になったと理解できる。
 ただし、なかには樹木型か高坏型かに明確に区分しきれないものもある。禊教は神道系新宗教としての性格が色濃く、当初の運動の展開からすれば、組織形成も樹木型に近かった。だが、教祖井上正鉄が幕府に新義異流の疑いを受けて、一八四三年に三宅島に流罪になり、同地で一八四九年に死去するという事件が起こった。そのため、弟子たちはさまざまな活動の便法を模索することとなり、結果的に組織の統一性が保たれにくくなった。維新後は、禊教として一派独立するにいたる派の他に、神道大成教などに所属したグループも生じるなど、複雑な展開をたどった。
 では神理教はどうであるか。神道大成教や神道修成派、神道本局に比べると、多少なりとも樹木型の要素を含みもっている。初期には、佐野経彦の布教活動によって門人ができ、支部教会が設置されていったことが知られる。そもそも樹木型の組織形成の側面がないと、一定規模の組繊にするのは困難ではなかったかと考えられるからである。というのは、高坏型の組織を数年ほどの短期間に形成しえたのは、維新期の宗教行政に深く関与できた人物が管長であった場合に限られている。たとえば、神道大成教及び御嶽教を組織化した平山省斎は、維新期に宗教界に転じたが、幕末には外国奉行等の幕府の要職にあった人物である。神道本局の初代管長は稲葉正邦である。稲葉は幕末には京都所司代、老中などを勤め、維新後は、一八六九(明治二)年に淀藩知事に任じられたが、平田派の国学を学び、神道界に身を投じたという人物である。また、神道修成派の新田邦光は武士から神道家へ転じたが、一八六八年には、神祇官御用掛りとなるなど、それなりに中央政府に人脈をもっていた人物である。
 これに対し、佐野経彦は、地方で活動を開始した神道家である。国学を学んだとはいえ、中央の政界との人脈は乏しかった。それを端的に示すのが、教導職制度における扱われ方である。たとえば、新田邦光は一八七五(明治八)年六月の段階で権少教正となっている。これに対し、経彦は一八七九年にまず教導職試補からスタートしている。つまり大教正から権訓導にいたる第十四級の教導職の下に位置する職である。それゆえ、高坏型の組織を短期間で形成できるような状況の中にはなかった。北九州で小さな講社を設立し、信者を育てるということから出発したわけである。
 戦前の十三派のうち、設立当初に東京以外の地を本部としていた教派は、天理教、金光教、黒住教、出雲大社教の四教派である。このうち、奈良県に設立された天理教、岡山県に設立された金光教と黒住教は、新宗教としての展開をしたものである。つまり、新たに信者組織を築きあげたものである。一方、島根県に本部を置く出雲大社教は、出雲大社がその神社としての側面と教派としての側面を分けるために設置されたもので、基本的には近世までの出雲大社の信仰圏を基盤として、そこに高坏型の原理が導入されたものである。神理教の発祥の地は十三派のうち、もっとも中央政府から離れていたうえ、神社信仰や山岳信仰の基盤もなかった。さりとて、天理教や金光教のように、創唱宗教的な性格がはっきりと前面に出ていたわけでもなかった。
 経彦の教えに傾倒し、弟子となった人々もいた。しかし、今日の神理教の支部教会の多様性からしても、全体が基本的に樹木型の組織として展開したとみなすことはできない。また戦後、宗教法人令ができたとき、いくつかの教団が独立している。それらは新しい法令のもとでは神理教にとどまる必然性はなかったわけであり、これも神理教が樹木型の組織として展開してきたとはいい難いことを傍証している。樹木型を基本とする神道系新宗教においては、こうした形での一派独立はほとんど見られない。分派すなわち内部分裂の結果として教団が分かれるという形態になる。
 以上の点からすると、神理教は初期には樹木型の要素を一定程度含みながらも、全体としては高坏型タイプの組織を築いていったと考えた方がいい。では二つの要素はどのように絡みあい、運動が展開していったのであろうか。初期の支部教会がどのように組織化されていったかを明らかにするような資料が整っているわけではないので、展開過程を明らかにすることには限界がある。ただ神理教所蔵の資料や調査資料その他、いくらかの手がかりとなる資料もあるので、主として初期の地理的展開を追いながら、その過程を推測してみたい。

 





                 *** 教 祖 の 道 統 *** 


   長崎教会 教会長 大教庁式務局長 花岡 勝成

     第五章 教祖の神人関係観
       第二節 罪悪と其意義


・七罪の一つ一つとその弊害
 それは七罪の一つ一つについて考えて見ても明らかであります。
 怠りは、自己を向上発達させ本性を発揮しようとする性が休止する場合を言った停滞の意味です。
 向上発展の活動は人間の本性が行なうべき事でありながらそれを怠る事です。
 これは単に自己だけで止どまるかといえば、自己の怠りは自然他の向上発達の妨害となり、自分の休止は休止した分他の活動によって補われるからです。
 又怠りは不幸逆境等を引き出すばかりではなく、病気の本になるものですから罪とされています。
 貪りは、怠りより起こるものが主な原因で、総て物事に強く心を引かれ、必要以上に欲しがり、その為に他に害を与えたり、自分にも害となるものです。
 詐りは、他をだます事の意味で、他をだます事は矢張り自分の本性をもだます形となり、悪い事をしていてもそれを良い様に包み隠して、返って他に害を及ぼすものです。
 憤りはいきどおる心で、人が一度怒る心を起した時は自分の本性を忘れ物の分別も付かず、それが良い事か悪い事かを弁える事も出来ず怒って自他の向上発達に大事な影響を及ぼす事もあります。
 また自暴自棄におちいったり、逆上して病気になる場合があって、自己や他の向上発達に害を与えるから罪とされています。
 慢りは、怠りやあなどるという意味で、俗に言います高ぶる心です。
 自己の向上発展が低いにも関わらず、修養もしないで成り行きにまかせていながら、非常に進歩した様に他を侮どる様なもので心の乱れです。
 自分の本性が順序よく階段を上がっている間に、すでに一足飛びに上階へ登り着いた錯覚を起こし、やがてその階段から真っ逆様に落ちる様な結果を生むものです。
 他人に直接害を与えないにしても、その言動は自然に他の順調を狂わすものだから、これも罪の一種なのです。
 憂い・怨み等は、最も人間の向上発達を邪魔するもので、又他に大きな影響を及ぼす事はありませんが、自分の本性は全くその能力を失い、やがて人間の最後である死を招く様な事もあります。
 たとえこの様な事がないにしても活動が停滞する事は、他の罪目である怠・貧・詐等の罪になったり、憤怒を起こして自分や他人を害し、又病気や災害を起こす根元ともなります。
 この様に罪は単に自分の意志で他人に害を与えるばかりではなく、自身にも非常な変化を引き起こすものです。
 罪を引き起こす事は、神から与えられた人間の本性が善悪の境を迷っている間に染悪するものです。
 私達の本性が優秀な神の本性を目標にして、活動しなければならないものがそれを怠り・正直であるべきを詐り・十分でありながら未だ欲しがり(貪り)・反省する事も出来ないで憤り・己の分限を知らずに慢り・神の御中で自由な体を得ているのにこれを憂い・自分の活動が足らない事に気づかず他を怨む等、総て自分に与えられた本性が進むべき道に迷った結果であって、それ等が病苦災害の根元とされています。

・病気災難の元は罪
 御教祖は
【総て災いも病気も自分のなした事が回り来たか、祖先のなした事が回り来たか、この二つによる他ない】と教え又、
【是(罪)変じて大なるは家に及ぼし病となり家の災いとなる】と宣い又、
【病の元は本来心にあり、心のなせし罪の病となりたるものにして云々】
とある様に、罪は単に他を害する場合だけではなく、自分の本性を害した結果も罪とされて、病苦災害も罪の内に掲げられているのは、この様な訳です。
 要するに罪とは、自己以外の現象(人)と本性に害を与えるもので、自己の本性と現状にも害を与えるものといえます。
 その本性現象を害するというのは、人間が神の御心に添う為の向上発達する本性に害を与える振舞です。
 世の中或いは自己に害を与える罪というものはないとするものがありますが、向上発達に害を与える行為を罪としている以上、自己も他人も共に神の分霊分体であって、向上発展という本性に進む時、その本性に害を与える行為は如何に自己の向上発展の為であっても、神の前では矢張り罪です。
 従って、ここでいう罪とは他人と自己との区別はなく、その本性に害を与えるものという事が出来ます。
【神のあと つぎて生まれて 神の道 ふまぬを神の 罪人といふ】(神理百首)
(人は神の跡、すなわち神のあとつぎ{子孫}として生まれてきたのだから、その神の造られた道{教え}を歩かない人は罪人といわれる者となる)
【天津日の 神の心に 背けるを やがて罪とは 人のいふなり】(神理百首)
(大元の神の心{神の教え}を侮りあるいは信じることが出来ず、結果的に無視したり反発することを人は罪というのである)

二、ケガレ
 次に穢れはキカルルの意味であり、気とは私達の目に見えないもの即ちイキの気であります。
 言葉を替えて言えば神のみいきと言えます。その神のみいきが枯れる事を穢れと言うのです。
 穢れは穢悪(キタナ)きとも読み、穢心と書いてキタナキココロと読むのを見ても明らかであります。日本書紀に黒心(クロキココロ)、濁心(ニゴルココロ)、悪心(アシキココロ)等と書いて皆キタナキココロと読み、総て凶悪即ち汚き心の中の一つの穢れと言う意味であります。御教祖は神理教要で
【昔の人は汚穢過失をも総て罪と言う。罪とはツツミと言う意味にして、汚穢過失のみを言うのではなく、隠す事を言う。故に一切不浄の物にふれ清めずして隠したるを外に属する罪とし、邪曲の心を懐き気枯れて己が犯せし事を改めずこれを内に属する罪とす】
とあって、穢れは罪の中の一種であり、罪は即ち黄泉国の穢れ、悪より来る凶悪事であって、清明正直の心ではないのを言うのであります。
 前にも述べましたが、鏡面が曇っていれば鏡はその役目を十分に果たさない様なもので、神気であります日の気が枯れる為に自然に人間の本性を失い、向上発展も出来ず全く迷い(まがよひ)の形になるのは、この気が枯れると言う穢れは只肉体だけでなく、その心にも付着するので気かるると言うのです。
 そして、この穢れは完全に凶悪になってしまった意味ではなく、丁度木が枯れて行く様に自然に神気である日の気が消滅しつつありますから、水不足で枯れかかった草木に水を与え生き返らす様にするのと同じで、人も穢れや禍が起こっても清く明るく正しい方に直す事が出来るのです。
 それは人間の本性は穢れや禍に包まれてその力の一部を失っても、本性そのものは完全に染悪されては居りませんから、何時でもこれを清明にする事が出来る素質があるからです。あの祓いの條にあります様に伊邪那岐尊が禊をされた時、神直日神、伊豆能売神等顕れたのを見ても明らかでありましょう。
 そうして、この穢れは自分の心が清明でない限り不快の情が生まれ、又疾病等を引き起こす原因となって、外部に結果を現わす場合があります。尚この穢れは自分一人に止まらず無形的に他人にその穢れを移す場合があります。
 言葉を替えて言いますと、甲が乙に害した場合、乙に関係のある丙丁にも間接的に穢れの害を受け無形的に広まります。
 例えば、死人を見た人が非常に不快な気持ちになり、その事を他の一人に話をすると聞いたその人も不快な気持ちになり、又その人が次の人に話をすると失張り不快な気持ちになりその輪が段々広がる様に、直接見た人のみが穢れるのではなく、間接な人まで穢れに染まって行きます。
 従って、罪の場合は犯した人が償いをすれば良いのですが、この穢れの場合は直接にしても間接にしても、祓いや禊をしなければ清明には戻らないものであります。そしてこの穢れのある者、汚き心のある者は神の御前に出る事は出来ません。何故なら、神は清明なものでありますから不浄を忌み嫌われるからで、必ず祓いをして心を清浄にして奉仕しなければなりません。
 死亡疾病その他、人間の本性に反して向上発達の活動を妨害するものは、皆人が不快とする処であって、これを嫌い取り除こうとするのは、清明なる神に向かって近づこうとする人間の本性であります。
 ですから疾病や死亡又不幸に合い、又は穢れにふれた時には早くこれを解除し、不浄から脱出しようとするつまり宗教心と言うものが盛んになって来るのです。
 要するに、穢れは神気が枯れて行く様なものであると言う、広い意味から解釈して良く考えれば十分に理解出来る事であります。

三、過ち
 過ちは誤りの意味であって、私達が時々口にして居ります「仕舞った」と言う様な言葉であり、自分の本心は決してそうではないのですが、知らず知らずにこれが本当の正しいものであると思い誤った場合の過ちでありますが、この過ちも罪穢れと同じく、私達人間の進歩向上を害するものでありますから罪とされて居ます。
 清祓いの祝詞の中に「過犯 志介牟種々乃罪穢有牟乎婆」とあります様に、過ちから罪や穢れを招くものであると言う意味であります。
 総ての罪悪は悪い事だと知りながら犯す場合と、罪悪とは知らずに犯す場合があったり、知識や意志の不足等より生じた過ちから起こる場合もあります。
 例えば凶悪な事件を超こした場合過失によるものもあれば、故意に犯す事件もある様に、同じ罪悪にしてもそれが故意であるか、過失なのか区分するにはその人の心の中まで立ち入り、細かい処まで調べなければ解かりません。
 要するに、過ちは罪悪とは知らず起こした行為、又知識や意志の不足から起こった行為を言うのであり、そしてこの過ちは悔い改め二度と起こす事がなければ、罪の内に入りませんが、小さな過ちでも改めず繰り返す事は罪悪になりますので御教祖は
【凡て世の人は、思わずも過つこと多きものなれば、正しい人も必ず祓除をなして、その罪穢れを除かんことを神明に祈るべし】
と神理教要で教えて居られます様に、過ちは気が付かない内に犯すもので、たとえその時は自分では間違ってはいなかったと思って居ても、落ち着いて良く考えて見ると自分の考えや判断の甘さから、「仕舞った」と誤りに気が付く様に過ちは起こるものでありますから、大祓詞の中で多くの天津罪国津罪をあげて「天益人等が過ち犯しけむ種々の罪事」と祓いを行なって、更に善い方へ進もうとするのです。
 又人間としては不完全の処が多い為、神の前には心の行き届かない事が多いのでありますが、この様な場合も一つの過ちと言って、神にその罪の解除を乞う事があります。大殿祭の祝詞に
【斎部宿禰某が 弱肩に太襷取懸て言壽ぎ鎮奉る事の漏落むをば神直日命 大直日命 聞直し見直して】
とありますし、又本教の通常祝詞にも
【辞別に白さく、朝に夕に斎回り清回り身の罪穢を祓清めて、拝み斎き奉る事の
 




           心ひとつに、折り鶴を

                     神理教婦人会  副総裁 巫 部 恵 理

 十月十五日(金)・十六日(土)秋季大祭にて、管長様・奥方様はご結婚五十周年を迎えられます。それを記念して、真心をこめて、鶴を折ってお祝いさせていただきたいと思います。
 お体の都合で本院へ帰ってこられない方や、小さなお子さんなど、なんらかの事情で帰院できない・あきらめている方でも参加していただけることはと思い提案をさせていただきました。
 御祝いの気持をを折り紙にこめて折り、帰院できなくても「心は本院にある」ことを感じていただけたら、と考えております。
 鶴の折り方がわからない方や、忘れてしまった方・また不器用な方も、一折りでもかまいません。(仕上げは周りの方に折って頂いて)管長様・奥方様の金婚式のお祝いと、お二方のご健康を心をこめて祈りつつ、折っていただけるよう、お願い申し上げます。

 大教庁より――副総裁(若奥様)よりのご意見は、以前開かれた神理未来委員会にて承っておりました。今回、管長様の金婚式お祝いを記念して、副総裁の企画を形にしたいと、事務所より皆様へ折鶴を募集いたします。若奥様は、「心をこめて、お一人一羽でも」というお考えですが、事務所としては、お一人五十羽、寄せていただくと皆様の目安になるかと思い、左記の形式で応募を募ります。心をこめて、折った折鶴を、お寄せ下さい。

・15p×15pの折り紙を使用してください。 色は黒とグレー以外は自由です。
・顔の部分は折り曲げてください。
・顔と尾は羽根から少し出して折ってください。
・折った状態でヒモに通し、50羽で1セット とし、上と下には輪を作ってください。
・つないで提げますのでナイロン系ヒモま たはタコ糸を使用してください。
・50羽でおよそ170センチ位になります。羽 根は拡げずにお送り下さい。
・ 9月末日までにお送り下さい。



                古事記「絵で見る解説文」


Nこうして生きのびた伊邪那岐は…
☆本教の清祓いや神社の祓詞は、この禊で伊邪那岐命が祓い落とされたように、私たちの知らずに、あるいは故意に犯した罪・汚れを神の大きなお力で祓い清めて下さい、とお願いするもの。
*この清祓いや祓詞は言霊といい、こうした祝詞の言葉を声に出すことで、悪いものを祓い良いものを引き出すという力が出る、と日本人は古来から行ってきた。

 あげられることの出来る祝詞は、祭主と一緒に声を出し ”我が心清々し・天在諸神守り給え幸わえ給え“など、積極的に唱えると言葉のたましいが、その働きをすると信じる。
*人間はこの理に気付き、自分から行うという自力と、大元の天在諸神に助けていただくという他力の両方から、自分と世の中を良い方向に変えていこうとする生き物。
*ここにあげられた天照大御神が天在諸神十八柱のどの部分に位置するかを確認。
 また、本教ではこの神の呼び方がたくさんある中で、天照皇大神と称えるようにしています。
*月読神は本教では月夜見神と書きますが、御教祖は素戔嗚尊(ここでは須佐之男命)とともに配祀諸神の十四柱に入れながらも名前が違うが同じ神である、と説いています。
☆ここの部分の話から、死自体が汚れであるという考え方が出たようであるが、それは間違い。
 死に伴う、悲しさ悔しさや肉体が朽ち果て知らない世界に行くかもしれないという恐怖心も神から与えられた感情ながら、その感情にとらわれこだわり続けると罪・汚れとなる。
 それを祭や塩を使って祓うのが日本人の慣習であり文化である。
☆古事記はただ読んでも面白い神話ですが、もう一歩進めて、この神話が私たちに何を語りかけているかに気付けば、神・祖先との繋がりが理解でき、より安定した精神・生活の糧となります。


 
                                                         



***地方特派員だより***

 提灯への思い

   名古屋大教会 岩押 頼子

       幟 と 提 灯



 名古屋大教会春季大祭が、五月十五日、十六日と斎行されました。十五日の外宮大祭は予報がはずれ、お天気に恵まれましたが、十六日の本殿大祭は、朝から雨の一日となってしまいました。
 お天気が良いと、外宮のお社から本殿にかけて何本かのロープが張られて、名前が書かれた短冊を付けた紅白の直径二十p程の提灯が吊り下げられます。
 昭和五十七年から始められたものですが、「一人ひとりが心の明かりを灯し、健康を感謝し、未来への思いを込める」との思いから教信徒の皆さんの奉納によって二十三年もの間、引き継がれています。
 提灯奉納の申込用紙を拝見しますと、ご家族だけでなく、ご親戚のお名前までがびっしり書かれたものもあり、一枚の紙の中から、身内の方々への健康を願う温かい思いやりを想像する事ができます。そして奉仕の方々は、その思いを書き写すように心を込めて短冊にお名前を書き、一枚ずつ提灯に取り付けていきます。
 均等に吊り下げられた沢山の提灯は、お昼は風に短冊が仲良くゆれ、一つ一つに配線がされているため、夜には電球の灯りが燈されてとてもきれいですが、外宮大祭の夜にしか見る事ができないので残念です。それに今回は、本殿大祭の日は雨の予報でしたので、外宮のお社の中や、本殿の軒下から中へと取り付けられました。
 本殿祭の日は、朝七時に御開扉を済ませて、大祭の直前に献饌が行われますので、御開扉の行事の後は、祭官奉仕された教師の方々やお手伝いの方々と一緒に楽しく朝食を頂きます。
 雨にもかかわらず、早朝から教信徒の皆さんの奉仕によって手際よく祭事の準備、直会のお料理の準備と進められ、十時の休憩、十二時の昼食をはさみながら二時からの本殿祭へ向けて緊張した空気が張り詰めてゆきます。
 横江春太郎先生による恒例の一口話の後、本殿祭が行われました。行事を終えると直ぐに教師の方々が着替えて、お手伝いの方々と共にお餅、お菓子などの「お下がり」を配る担当、直会の準備のお手伝いにと速やかに進められてゆきます。
 一日中雨の大祭は最近では珍しく、祭典後の横江初恵教会長のご挨拶の中で、雨で足元の悪い中、足を運んでくださった沢山の参拝者の皆さんへ深い感謝の言葉が述べられました。
 雨の中の参拝者の方々やお手伝いの方々、また大祭前の準備や、翌日に幟を片付けるにも雨で濡れているからと、もう一日時間を作って奉仕してくださった方々の作業など何一つも欠くことのできない大切なものであり、実践で自然な奉仕を教えて頂けているようです。
 頭の上でキラキラゆれている提灯の身内の方々への思いやりがつながって大きくなり、教信徒の皆さんの大祭を無事に終えられるようにとの思いへと広がっているのだと、深く感じる事ができるのも雨の日のおかげだったようです。

 



本院職員家族紹介

松岡 仁美さん
まつおか ひとみ

松岡仁美さんは、本院職員・松岡功さんの奥様です。
 以前から、本院で行われる祭事に、いつも小さなお嬢ちゃんを連れて来ている仁美さんの姿を目にしていました。まだハイハイをしていたお嬢ちゃんも、今では三歳。この春から神理幼稚園の年少さんになったそうです。
 仁美さんの実家は、お祖父様の代から神理教(広島の光陽教会)の教徒です。仁美さんの名付け親は、光陽教会の前教会長様だとか。又、成人後、左目をケガして困った時、福山教会の野島先生から信仰のお導きを頂かれたそうです。
「朝夕のおつとめは幼稚園の頃からやっていました。祈念詞は幼稚園に入る前から覚えていたと思います。」
 そんな、生っ粋の神理っ子だった仁美さんですが、実は空手三段と聞いてびっくり。一見すると、とても黒帯の持ち主とは(そんなに強そうには)見えません。空手を始めたのは大学に入ってから。結婚するまで十年間続けていたといいます。
 仁美さんには、忘れられない出来事があります。平成七年一月十七日、未曾有の被害をもたらした阪神・淡路大震災。仁美さんは、その直前まで神戸にいました。しかし、前年の十二月に就職が決まり、四国へ行った直後に、あの大震災が起こったのです。
「目に見えないものを感じますね。助けて頂いたと思います。」と、仁美さんは当時を振り返ります。
 ご主人との結婚については、「やはり、信仰が同じということで、安心できますね。結婚して良かったと思います。」
 結婚して三年間ほど勉強し、教師を拝命した仁美さん。雅楽の中でも難しいといわれる笙を、短期間で修得した努力家でもあります。
「子どもが生まれて二年くらいは忙しくて何もできませんでしたが、これからは日々『祈る』ことを実践して行きたいと思います。」
 仁美さんは現在、婦人会の本部でも活躍しています。武道も道、神道も道。持ち前のガッツで、武の道同様、信仰の道も極めてくださることでしょう。

 


第56回 夏期講習会のご案内

本教の教義の探求・研鑽・祭式等の熟練を目的とします。
これからお道を学びたいと思っている方、そして経験豊かな方も、ぜひ受講して頂きたくご案内申し上げます。
●日程  7月22日(木)〜25日(日)
●会費 30、000円。(22日の昼食から25日の昼食までと宿泊費含む)
    高校・中学生15、000円。
    小学生以下無料。
    日帰り20、000円。(期間前後の宿泊・食事は実費を御願いします。別
    途資料は実費必要)
*申し込み用紙に必要事項をご記入の上、大教庁へ郵送かFAXにてご送付下さい。
*費用は当日受付けます。当日の申し込みは出来ません。
*携帯品は、白衣・袴・足袋・筆記用具・信徒の祝詞・祭式教本・水行着など。
*教本・水行着などは、当日も頒布いたします。

お早めにお申し込み下さい。 ◇申込〆日/7月15日(木)まで

TEL 093―962―4537
FAX 093―962―4634
神理教大教庁

平成16年 夏期講習会 祭式詳細
[A班]祭式の基本
基本作法のマスター
講 師   立元 誠一  大野 智弘
起居進退・敬礼作法
後取(祓具案、玉串案・軾)
玉串拝礼作法(立礼、座礼)

[B班]基礎および後取
月例祭執行を目指します

講 師   松岡  功  古川 光正
祓具案設・撤。玉串案設。
軾設・撤。祓行事。
献饌・撤饌。

[C班]祭典執行(葬儀)
模擬祭典を執行します
講 師   瀬戸 正和  末若  明
全般の復習(献・撤饌。祝詞後取。)
典礼。警蹕役。
通夜祭・葬儀執行。



夏期講習会

Q&A・・・

Q1、宿泊はできないけど、ぜひ参加したいんですが…

A、 スケジュールの中の太枠で囲んでいるところは、一般参加を歓迎します。ぜひ、ご来院下さい。また、もっと参加したい方は、ご相談下さい。

Q2、食事はどんなもの?

A、 去年のアンケート結果から、今年は一度は婦人会からの、手づくり振る舞いを予定しています。あたたかい心のこもったお料理です。お楽しみに。

Q3、一人でも参加できるの?

A、 お一人でも、大歓迎です。昨年のアンケートでも、「友人ができた」など、夏期講習会にこられて学び以外でも友人作りでもこの場所を活用していただければ、と思います。





                             雑        記       遊歩 太郎
                
 昨年秋の大祭での話し。十六日の教祖墓前祭は大牟田の白川教会大津ミツ子教正が奉仕された。私は墓前の手水舎辺りで待機していた。勿論カメラを首から下げている。墓前祭は次第通りに順調に進んでいる。静寂とした中、右や左に動いている藤本さんを見つけた。時々ポケットからハンカチを取り出し汗を拭いている。専属カメラマンのフジモト写真館の藤本さんである。ポイント毎にシャッターを押している。なんせ藤本さんは私より大祭の回数を経験しているので、ポイントは熟知している。だから大祭の重要な場面はお任せであり、私はそのすき間なりおこぼれを写真にしようと待機しているのである。
 斎主を務めた大津ミツ子教正の挨拶が終わり、典礼の花岡式務局長の閉式の声が響いて、参拝者が動きだした。私はこの時を待っていたのである。斎主・祭官のホットした顔。集合写真を撮るためにイスが並べられている、それを待っている祭官の顔は初めの入場の時と明らかに違うのである。
私はシャッターを押した。斎主と副斎主を務めた伊東清友教正が談笑している。斎主は爽やかな笑顔であったが少し目が潤んでいる様に見えた。藤本さんが祭官に並ぶように声を掛けている。声を掛けながら空を見上げていた。
早朝には曇天であったが今は眩しい位に日が照り付けている。それでも雲の流れで日差しが途切れる場合があるので、それを気にしているのであろう。
 皆さんは既に顔なじみで藤本さんを知っているであろうが、この藤本さん只者ではないのである。平成六年の独立百周年の記念アルバムは、ほとんど全て藤本さんが作ったものであり、それだけ神理教の歴史に詳しいことは勿論、言わば郷土の歴史家的存在なのである。曖昧なことなどがあると、すぐさま藤本さんに聞きに行き回答を得るのである。
 号令一括、祭官の眼はレンズ方向に向いてフラッシュが光り集合写真撮りは終った。ねぎらいの声を掛けながら祭官は山を降りていく。
 今度は、教会の信者さん達が教会長を囲んで集合写真を撮る体制に入っていた。
 その時、藤本さんが私の横に来た。「今、絞りはどの位で撮ってる?」「シボリー」そう言って藤本さんを見つめた。おかしな事聞くな〜。私はカメラを持って教会の信者さん達を狙って、シャッターを半押しした。今のカメラは自動焦点であり全て機械の方で判断してくれるのである。「今、八です」私はそう答えた。藤本さんは自分のカメラを操作しながら次々に写真を撮っている。プロのカメラマンから「絞りは?」と聞かれるのは初めてなので、「なぜ!」と思う気持ちは当然であり、そしてその真相が判明したのは二日後であった。
 大祭が全て終了し、翌々日の十八日に藤本さんは大祭の写真をアルバムに整理して大教庁にやってきた。神理雑誌用の写真を先取りする為に先ず写真を選ぶ作業があるのである。それから個人注文なり集合写真の焼き増しになるそうである。私は順を追って写真を選んだ。参拝者の事や天気の話などしながら写真を選んだ。
 墓前祭の写真のところにきて、藤本さんが口を開いた。
「この時、シボリを聞いたの覚えてる?」「絞りでしょう、なぜかなーと思っていました」と答えると、「実はね、十五日の夜に夢を見たんだ」。話が飛んだ。「変な夢、いや、今となっては有難い夢だったと思っているが、教祖様の夢だったんだ」。私は藤本さんを注視した。「教祖殿に写真があるでしょ、あの姿を夢に見たんだ。しかも、カメラを持っているんだ。そして、しゃべったんだ。『ニコンもいいぞ』。笑顔でこう言ったんだ。ニコン?変なことを言うなー?その時そう思ったんだ。
普段はペンタックスを使っているからね。それからまた寝てしまって、朝、出掛けるときまで夢の事は忘れていたんだが、玄関の所で思い出したんだ。教祖様の言葉をね。
教祖様の言葉だからね。でも、ニコンは十数年使ってないし、棚の奥から探し出してとりあえずバックの中に入れて出掛けたんだ。久しく使ってないから中の電池も当然切れているけど、持って出たんだ。墓前祭の撮影大変なのは解るでしょう。脚立とバッテリーケースを提げて右往左往するんだ。フイルムを何回も取り替えるんだ。ところがお祭りの途中で失敗したんだ。フイルム交換の時に慌てていたのか、手がすべってレンズのカーテンに親指が入って破れてしまったんだ。
使用不可だ。アチャーと思ったね。でも、すかさず思い出したのが教祖様の『ニコンもいいぞ』だったんだ。すぐさま取り出してフイルムを入れて撮影を続けたんだが、電池は切れてるから全て手動だ。取り合えずというか、何とかお祭りの終わりまで天気が一定してたから苦労はなかったんだが、絞りを聞いたときは雲の流れで影が微妙だったんだ」。一気に藤本さんは喋った。
「ウ、ウゥー、いい話ですね。まさに教祖様に助けられたと言うことですね」「本当に感謝してるよ、こんなこと全て始めてのことだから、未だ興奮している感じだよ」終始笑顔の藤本さん。
 さも有りなん、と私は思った。教祖様は必然で起こる場面を予見して夢でお知らせをしたのであろうし、藤本さんだから夢にまで見せたのであろう。誰に聞いても「真面目で誠実」という言葉がオーム返しの藤本さんだからである。
 教祖様は見ておられる。全ての人を。
おわり