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                                                          2004−4

平成16年4月号 第1082号

        


                「春季大祭」  独立百十周年記念大祭式次第


御案内

四月十六日・十七日・十八日
神理教本院


*独立百十周年記念大祭式次第*

4月16日(金)
十二時半   産土社遥拝式
        斎主 八旗八幡宮司 福江守輝師
       稚児行列
十五時    教祖祭(大教殿)講話
十八時    宵祭り イベント・歌謡・神楽など
4月17日(土)
 六時半   献饌式
 九時    造化宮例大祭
       大元稲荷神社例大祭
十二時    記念式典(奉納行事)
十三時二十分 独立特別講演  伊藤守彦師
十四時    本殿祭
十五時半   (奉納行事)太鼓・踊り
十七時    「夕べの集い」
        神理会館 各教会(歌謡・演舞)(大教殿)
   ※17日12時からの記念式典中はバザーは閉店いたします。
4月18日(日)
 六時半   献饌式
 九時半   教祖墓前祭  弘前教会奉仕
十一時半   (奉納行事)舞踊
十二時半   教話  総監 郷原昇師
十三時    本殿祭
※教会旗・支部旗・婦人会旗は、ご持参の上、
 記念式典にご来場ください。(前送りでも可。)
―お願い― バス(マイクロバスも含む)は正門前で下車してください。
 春季大祭4月16・17・18日に限り、大駐車場には入れません。
 バスの駐車はモノレール終点の基地内の駐車場をご利用ください。
 バスでご参拝の予定のかたは、事前に大教庁までご連絡ください。
                        大 教 庁




                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
     すす       もとつおしえ
   進まばや 本津教と もろともに
                    さか  ゆ    みち
           いや栄え行く 道をたどりて


 いよいよ式年大祭奉仕の四月を迎えることになりました。御教祖を始めとする先人の足跡を偲びまつり、その御遺徳に対する報恩感謝の真心が形にも表れて、御教祖や先祖を含む先人の御霊が和まれる大祭となるよう、努力を結集して奉仕せねばならぬと考えます。
 所で、我々が信奉する神理教は「本津教」として、古くから受け継がれてきた信仰であります。それは春夏秋冬という四季の巡りの順当な風土が培ったものであり、その日本という地に生まれ生きた人々の心に、おのずから備わることになったものと考えられます。
 民族間や宗教間や人間相互の争いの中から考え出されたものではなく、四季の巡りにつれて推移変化する大自然と共に生きる中で、おのずから身についた生き方であり、何時となく心に養われた受け止め方であり、天地自然から教えられた信仰!と申せます。
 その「本津教」として受け継がれた信仰は、やがて「神道」と呼ばれる事になりましたが、それは、「本津教」として受け継がれて来た信仰の総てを含むものではなく、それぞれの神社に伝わる範囲内の信仰を意味する場合に限って、使われる言葉となりました。
 即ち、「本津教」には、制度化された神社の外、民俗として民間で守り継がれる部分が生じたという事であります。御教祖は、そうした事態を憂慮され、「本津教」の復興がなければ真なる救世安民は有り得ないと決断奮起、「本津教」の宣布に懸命された訳であります。
 その後、一団の組織として纏まらぬかぎり、徹底した「本津教」の宣布は不可能という事態が判明した為、布教活動と平行して一教独立運動を展開する事となり、明治二十七年に一教独立を認可された「神理教」により「本津教」の復興が実現されたという事になります。
 その「本津教」は、これに逆らう者は衰え滅ぶという事例を現に示しながら、人類と共に生き続けているとも申せます。我々としては、そうした目に見える事例も参考にしながら、本津教に対する理解を深め信念を強め、御神護を仰ぎつつ本津教と実生活との距離を狭める事に務め、是によって、真なる安心への道筋を踏み進まねばならぬと考えます。




                  

H.16. 4月号

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)

金運(きんうん)

 年初(ねんしょ)金運(きんうん)についての質問(しつもん)()けました。

 (しょく)(ぎょう)(がら)(せん)(げつ)()への(かん)(じょう)(はなし)(どう)(よう)に、(きん)(うん)(こと)(ひっ)(しゃ)()(しん))についても

(かんが)えるべきでない』という()(てい)(かん)(ねん)のようなものが(あたま)にありました。

 ()(だん)()(ぶん)(きん)(うん)ということに、これも()づかぬうちに()(しき)()けないようにしていたので、()()(しつ)(もん)には(なに)かとても(しん)(せん)()(げき)()けました。

(しつ)(もん)

『お(かね)(かみ)(さま)から(あた)えて(いただ)くものと(おも)いますが、()()はお(かね)()いと()(さん)なところです。

(せん)(せい)(きん)(うん)”を()(ほう)(ほう)なんて()りますでしょうか』

 

 (しつ)(もん)(しゃ)はアメリカにお()まいの()(ほん)(じん)で、(くに)(ちが)うと()(ほん)では(かんが)えられない(じょう)(しき)などあるようです。

 こうした(しつ)()について、(きん)(ねん)はとても便(べん)()になりました。

(たと)(あい)()がアメリカにいてもパソコンや(けい)(たい)(でん)()のメール((でん)()(ゆう)便(びん)とでも()うのでしょうか)を使(つか)えば、1(かい)()(ぶん)10(えん)くらいで(すう)(びょう)から(すう)(ふん)()(ない)(とど)くので、(かい)()のように使(つか)えます。(でん)()(ちが)い、

1)(よう)(てん)()さえて(ぶん)(しょう)(れん)(らく)()うので、()(かん)(たん)(しゅく)できる。

2)(つう)(しん)(いただ)いた(とき)()(ざい)でも、()(かん)()いた(とき)(へん)()()()る。

3)(あと)()(ぶん)()(ろく)として(のこ)せる。

4)()(しつ)(もん)には(じゃっ)(かん)()(ろく)手直(てなお)しで(たい)(おう)できる。(など)()(てん)があります。

 (たい)(へい)(よう)()えたアメリカにお()まいの(ひと)とでも、()(しき)(ちか)づけられるのは()()()(たの)しいことですし、それで(ひと)(だす)けが()()るのは()(がた)いことです。

 (ほん)(いん)ではこの(しつ)(もん)(しゃ)(やく)(ねん)(かん)メールのやりとりをしましたが、(いま)(おお)きな(あん)(しん)()られているということです。

(かみ)(だな)(ととの)え、(しん)(こう)(こころ)()けや()(だん)(はい)(れい)()(かた)(まな)(じっ)(せん)されました。

 (ほん)(いん)からアメリカに()けて、ご(せん)()(れい)(こん)(あん)(てい)(しん)(しん)(けん)(こう)(しょうばい)(はん)(じょう)()()(がん)(なん)(かい)かさせて(いただ)きました。

(おう)(とう)

『“(きん)(うん)”について、(わたし)(あな)()(しつ)(もん)(しゃ))のお()(ごと)については(しょう)(ばい)(はん)(じょう)()()(がん)をして()(らい)(ほん)(いん)(とく)(りき)(やま)(まつ)られる“(おお)(もと)()(なり)神社(じんじゃ)”に()かって、(まい)(あさ)(よう)(はい)(すぐに()けない神社(じんじゃ)などへ(きょ)()()いて(おが)む)をしています。

 (あな)()(いえ)(まい)(にち)(しん)(ぱい)(しき)(あと)(にわ)()られるか(まど)からこちら((しん)()(きょう)(ほん)(いん))と(おも)われる(ほう)(がく)()いて(よう)(はい)されてはいかがでしょうか。

(よう)(はい)する(かみ)()(しょ)

@(だい)(きょう)殿(でん)(しき)殿(でん)(ちゅう)(おう)と、(とく)(りき)(やま)(けい)(だい)(ちい)さな(やま))の(ぞう)()(じん)(じゃ)(きょう)(かい)(てん)(ざい)(しょ)(じん)

A(だい)(きょう)殿(でん)(しき)殿(でん)()(ゆう)(あわせ)(まつる)(もろもろ)(のかみ)と、その(なか)()(せん)(しん)(おお)(もと)である(うぶ)()()(おお)(かみ)

B(とく)(りき)(やま)(おお)(もと)()(なり)(じん)(じゃ)(おお)(もと)()(なり)(おお)(かみ)

C(だい)(きょう)殿(でん)(しょう)(めん)から(ひだり)()にある()(ぬし)(しゃ)(すくな)(ひこ)(なの)(かみ)(びょう)()(へい)()(かみ))と、(おお)(とこ)(ぬし)(のかみ)

D(きょう)()殿(でん)(とく)(りき)(やま)(きょう)()(おく)()()(お(はか)のある()(しょ))の(きょう)()(じん)。に(いの)りを(ささ)げながら、一つ一つ4(はく)(しゅ)をします。

 (けつ)(ろん)から()えば、お(かね)(しょう)(ばい)(せい)(かつ))の(かみ)(さま)は『(おお)(もと)()(なり)(おお)(かみ)』です。

 (おお)(もと)()(なり)(おお)(かみ)は、(かんなぎ)()()のご(せん)()(ふる)くから(なん)(かい)()()(じん)(ぐう)()(ぐう)から(かん)(じょう)()(みたま)(いただ)いた)された、(しょく)(もつ)(つかさど)(とよ)(うけ)(ひめ)(おお)(かみ)(こと)です。

 (とよ)(うけ)(ひめ)(おお)(かみ)()(かみ)でキはケに(つう)じケは(しょく)すなわち(しょく)(もつ)であり、()(にん)(げん)()かす(くう)()(みず)(はじ)めとする(すべ)てのもので、(かみ)そのものともいえます。

()(ほん)(じん)(むかし)からそうしたお(はたら)きのある(とよ)(うけ)(ひめ)(おお)(かみ)を、いわゆる()(なり)(おお)(かみ)として(そん)(すう)し、(だん)(だん)(しょう)(ばい)(かみ)(さま)(きん)(うん)(かみ)(さま)として(ねが)(ごと)をして()ました。

 ()(なり)(おお)(かみ)(じん)(じゃ)によって、()(しん)(とく)()(めい)により()(まえ)(ちが)いますが(ほん)(いん)では、

(おお)(もと)()(なり)(おお)(かみ)”とお(とな)(もう)()げます。

(たい)(せつ)なこと

 そこで(ひっ)(しゃ)()いたいのは、(おお)(もと)()(なり)(おお)(かみ)(きん)(うん)()()(やく)があるといって、それだけを(おが)めばこと()れりとするのは()(ちが)いです」ということなのです。

 (わたし)たちは(たく)(さん)(かみ)(さま)(たち)のお(まも)りのバランスの(なか)(いま)があるのですから、(さい)(しょ)()べた(じゅん)(ばん)(てん)(ざい)(しょ)(じん)(あめにますもろもろのかみ)からお(いの)りする(なか)で、(おお)(もと)()(なり)(おお)(かみ)のところで(こと)(さら)()(ねが)いするというくらいが()いと(おも)います。

(かね)(かみ)をもう(すこ)(こま)かく()うと、(てん)(ざい)(しょ)(じん)(なか)でも(かね)(かみ)である(おも)(だる)(のかみ)(あや)(かしこ)(ねの)(がみ)(あわせ)(まつる)(もろもろ)(のかみ)(てん)(しん)()()(なか)でも()()(じん)(なか)(かね)(つかさど)(かな)(やま)(ひこ)(のかみ)(かな)(やま)(ひめ)(のかみ)などがあげられます。

 いわゆる(こん)(じん)(さま)(ちから)(つよ)いが(たた)ると(こわ)いという(かみ)(さま)ですから、()(だん)はここまで()()んで(まつ)られたりしない(ほう)()(なん)です。

(しん)()(きょう)では(おお)(もと)(かみ)(さま)(たい)(せつ)にしながらも、その(なか)にはちゃんと(きん)(うん)(かみ)(さま)(はい)っているのです』とお(はな)しました。

(きん)(うん)(よく)()()あるのか

 (よく)というのは、()(しゅう)(きょう)では“(ぼん)(のう)”などといって()(てい)されるように()()られるものが(おお)いようですが、(ほん)(きょう)では(けっ)して()(てい)されていません。

 (たと)えば(しょく)(よく)(けん)(こう)のためであり(せい)(よく)()(そん)(はん)(えい)のためで、それが(ひつ)(よう)()(じょう)(むさぼ)りとならなければ()いのです。

 アイヌやエスキモーの(ぶん)()(つた)えられるように、(せっ)(しょう)()(ひつ)(よう)なものでなければ(かん)(しゃ)()ちながらも(おこな)うべきことなのです。

 (かな)しみや(くや)しさや(いか)りも(かみ)から(あた)えられた(かん)(じょう)で、それに()らわれることがなければ(けっ)して(つみ)にはなりません。

 (きん)(うん)(おな)じで、(せい)(かつ)()(ぎょう)(ひつ)(よう)(きん)(うん)(のぞ)むことは、()じることではありません。

 (ゆた)かな(せい)(かつ)(もと)めようと(かみ)()(がん)をすることは、(ひっ)(しゃ)()きる()(よく)()てているという(じつ)(たい)(へん)()(ばら)らしいことだと(おも)います。

 

 (かみ)(そん)(ざい)(いしき)識し、()()わせる(かたち)()ると(とも)に、もっと(ひろ)(かみ)(ちから)()()()(のう)(せい)(ひら)かれるのです。

 (ちゅう)(ごく)の“(はな)()(どう)()”(だったかな)の(どう)()をご(ぞん)じでしょうか。

(びん)(ぼう)(ふう)()()(いえ)に、(ろう)(じん)(いっ)(ぱい)のお(かゆ)のお(れい)に“(はな)()(どう)()”を()いてゆきます。

 その童子(どうじ)食事(しょくじ)()して世話(せわ)をしている(あいだ)は、不思議(ふしぎ)商売(しょうばい)繁盛(はんじょう)しお(かね)()ちになるのですが、なんとも(きたな)らしいのでとうとう()()してしまうのです。

 そうすると、また(もと)(びん)(ぼう)(いえ)(もど)りました』という(はなし)です。

 

 (よく)()()(ひつ)(よう)かというと、(よく)(つう)じて(たと)えば金運(きんうん)のみでなく大元(おおもと)(かみ)()()わせることに()づくためであり、()きる()(よく)()るためといえます。

 またそこに()()(かね)()ちになればそれで()わりではなく、()()(いただ)けたのか、そしてその(たち)()をどう()かせば()いかに(おも)いを(いた)らせるべきと()えます。

 (いぜん)前、()(さん)(あらそ)(きょう)(だい)のために(ちち)(おや)(はたけ)(たから)()めたと(うそ)()き、(じつ)(さく)(もつ)(たね)()いていて、(よく)()をくらませて()(かえ)した(はたけ)から(しゅう)(かく)があり、(おや)(あい)()(ぞく)(たい)(せつ)さに()づいた、という西(せい)(よう)(どう)()(しょう)(かい)したことがあります。

 

 信仰(しんこう)三原則(さんげんそく)感謝(かんしゃ)反省(はんせい)奉仕(ほうし)といわれますが、(いま)あることを(かみ)祖先(そせん)感謝(かんしゃ)し、病気(びょうき)災難(さいなん)反省(はんせい)指針(ししん)とし、家庭(かてい)仕事(しごと)大切(たいせつ)にしながらも(しん)(ぜん)(ほう)()(だい)(いち)(こころ)()けることが、(けっ)()(てき)(きん)(うん)(こう)(じょう)することになるのです。

 (きん)(うん)への(よく)も、(かみ)()(せん)(こころ)(つな)げるきっかけとなれば()()らしいことです。




独立百十年大祭に向けて   (長崎教会長 花岡 勝成 先生 ・ 諫早市城見町)


 「ご教祖の御教えを先人、諸先輩方がしっかりと継承してこられたので、今日の神理教があると思います。この教えを後世に正しく継承していくことが、私たちの使命だとあらためて認識する機会です」と、十六日・十七日・十八日の独立百十年大祭への抱負を語る花岡勝成先生。
 最近の犯罪の低年齢化や子供の虐待、人を人と思わないような忌まわしい事件について「ひと昔前からすると、考えられない出来事に接するたび、家庭から信仰が失われていることを痛感します」
 信仰とは、なかなか結果として現れないもの、また、心身の病に悩まされている人のもの、と思われがちだが、健康な人こそ信仰に対して真摯な姿勢でのぞんでほしいと指摘。
 「私が幼いころは、悪いことをすると神様のバチが当たると怒られ、近所の大人たちにもよく怒られたものです。今の親は子供に遠慮し、よその子供には無関心という風潮があります。若い人のなかには、結果を求めすぎるあまりに世の中のせいにしてしまい、努力する過程をおざなりにしてしまう人も見受けられますね」
 自分自身を磨くのが信仰の場であり、家族で先祖をお祭りして感謝する心を育てる大切さを強調する花岡先生。
 「私自身、二人の娘も結婚して、孫にも恵まれました。この当たり前の人生をありがたく思い、父の代からの信仰のお陰だと信じています。こうした感謝の気持ちを、若い人たちに伝えていく責任として受け止めて、独立百十年を迎えたいと考えています」
 

独立百十年大祭に向けて     小倉南区 百瀬 由の さん


 毎月、神理雑誌に掲載されている「百瀬ミュージックだより」を楽しみにしている方も多いと思います。その百瀬ミュージックの代表が、百瀬由のさんです。音楽を通して施設を訪問するボランティアグループをつくり、去年で二十周年を迎えました。三年前にNPO法人を立ち上げ、現在は年間百五十回のボランティアを続けながら、明星会館で月に一回音楽療法によるマンツーマンのデイサービスを行っています。
 百瀬さんの伯母さま(お母さまのお姉さま)は、鹿児島の分教会の教会長でした。「由の」という名前を付けてくれたのも、この伯母さまだったとか。百瀬さんが十五歳の時にお父さまが亡くなり、百瀬さんとお母さまは、伯母さまを頼って鹿児島へ行きます。そして、伯母さまを通して神理教との御縁が始まったのです。
「高校生の時、夏の講習会に参加したことがあります。成人式の時は、本院にお参りに来ました」
 学校を出て音楽の道に進んだ百瀬さんは、やがてヤマハ音楽教室の小倉店の先生として迎えられます。小倉でお母さまと住むための家を探していた時のことです。ある一軒の家の二階から外を見ると、遠くに何か光るものがあります。
「なんだろう、とよく見てみたら、それは神理教の大教殿にある金の教紋だったんです。これも神様のお導きかもしれませんね」
「神様を通じて、今の活動をやらせていただいている」と言う百瀬さん。
「ボランティア活動を通して、いろいろな方と出会い、人生を教えていただきました。うまく説明できませんが、今、私は人生の心の勉強をさせていただいているような気がします」
 百瀬さんは毎年、春秋の大祭で奉仕活動を行っています。独立百十年の記念大祭でも、きっとたくさんの出会いが待っているに違いありません。


独立百十年大祭に向けて     婦人会古川 雅子 さん


 「嫁ぎ先が神理教の教会だったんです」
 古川雅子さんに神理教との御縁の始まりについて尋ねると、こんな答えが返ってきました。古川さんの御主人は、本院職員の古川光正先生です。しかし、古川さんにとって本当の意味での神理教との御縁が始まるのは、もっと後のことになります。
「主人の転勤で熊本に住んでいた頃、ボランティア活動をしていて、たまたま飛び込んだお宅が神理教だったんです。その時、そういえば古川の家も神理教だったなぁと…」
 神理教のことをもっと知りたいと思った古川さんは、「資料を送ってください」と本院に電話を入れました。
「電話に出られたのは多分、奥方様だったと思います」と、古川さん。早速、本を何冊か送っていただいたそうです。
 やがて、御主人の転勤で一家は小倉へ。それからの古川さんは、朝の御神拝に通ったりと、信仰を深めていきます。
 その一方で、社会人学生として英語を学んだ後、「神理教に対する理解を深めたい」と、改めて国文科に編入。二年前に卒業したという勉強家でもあります。
 婦人会へは、奥方様に声をかけられて入ったそうです。今は役員を務めていますが、「自称、よろず雑役係です」と、にっこり。
 独立百十周年大祭へ向けて、何かと準備に忙しい婦人会ですが、古川さんいわく、
「奥方様を筆頭に、婦人会の気合いの入れ方はすごい」とか。大祭二日目の『夕べの集い』で披露する歌の練習にも、熱が入っているようです。
「婦人会は、奥方様を中心に団結していますね。家庭の奥様たちをしっかり束ねている奥方様は大したものです」
 古川さんは、今回の記念大祭への意気込みを、こんなふうに答えてくださいました。
「与えられた部署を全うするだけです。いろいろな方が帰院されると思うので、皆さんとお会いできるのが楽しみですね。神理雑誌に写真が掲載された方や、いつも記事を投稿している方ともお会いできるでしょうから」
 ちなみに大祭では毎年、ちらし寿司の具切りを担当しているそうです。今年も大勢の皆さんが、婦人会の作るおいしいちらし寿司やうどんを楽しみにしていることでしょう。
 さすがに国文科を出ただけあって、古川さんは最後に古神道にふれ、こう話をしめくくりました。
「古神道は縄文のはるか昔から、人間の生活の中から芽生えてきたものです。日本人はこんなに素晴らしい文化と宗教を持っているということを、今の若い人たちにどうやって伝えていくか…。それが、これからの課題かもしれませんね」
 古川さんにぜひ一度、古神道の話をゆっくり聞かせていただきたいものです。

独立百十年大祭に向けて     婦人会打ち合わせ


三月二十日(祝)

 独立百十年大祭まで残り一ヶ月を切った三月二十日午前九時から、神理会館和室で婦人会の打ち合わせがありました。
 集まったのは、地元の婦人会の役員の皆さんです。いよいよ大祭も間近ということで、大祭前や当日に行う各奉仕の担当者や責任者を決めたり、準備等の確認を行ったりしました。
 三日間の大祭中、全国からいつにも増して大勢の皆さんのご帰院が予想されるだけに、バザーの準備にも気合いが入ります。例えば、人気のおすし一つをとっても、いつもよりたくさんの食材を用意し、下ごしらえをしなければなりません。その量を見計らうのも、ベテランの力量の一つ。十六日の「宵祭り」には五百食のぜんざいを無料奉仕、さらにコーヒーの無料奉仕も行うことになっています。十二日の清掃奉仕を皮切りに、大祭終了後まで忙しい毎日が続きそうです。
 また、十七日の「夕べの集い」では、御教祖御存世の頃の唱歌を奉納します。地元と地方の婦人会の皆さんの息の合った歌声が聴けそうです。お楽しみに。
 婦人会の打ち合わせ終了後、場所を神理会館アリーナに変え、総代・世話人・北九州神理の会の皆さんと合同で全体会を開催。大祭の運営について、最終確認などが行われました。

●メッセージ●

 「とにかく今は、十六日、十七日、十八日の三日間が無事に終わることを祈るだけです。特に十六日の遥拝式は、一生懸命準備するので、お天気になって欲しいですね。今年は独立百十年の式年大祭ということで、全国からたくさんの皆さんがお参りされるでしょう。地元として恥ずかしくないように、頑張りたいと思います。初めての方もぜひ、ご帰院ください。そして、少しでもご奉仕する気持ちになっていただければ嬉しいですね。」


 「青年部のメンバーも年々高齢化し、今さら『青年部』では恥ずかしいということで、昨年の夏、北九州神理の会が発足しました。神理の会の中に、分科会として青年部や祭典部があります。年代を問わず幅広く活動できるのが、神理の会のいいところだと思います。今後、全国に神理の会が広がれば、もっといろいろな皆さんが参加できるのではないでしょうか。独立百十年大祭では、地元の代表として精一杯御奉仕させていただきます。一人でも多くの皆様のご帰院をお待ちしています」

 「みんなで力を合わせて、独立百十年大祭をぜひとも成功させましょう。皆さん、ぜひご帰院ください。心からお待ちしています。」



    

        管長様が解説する御教祖の御歌   『人道百首』より

       うちくるを 敵とな なしそ やがて又

          われをば愛る 人となるなり




 信仰は、理非のわきまえが深まることの中で、究極への歩みが進められてゆくもののように思われます。拝み祈ることの中で、理非のわきまえが身につくことになるのが、信仰者の自然な成りゆきと考えられます。
 従って、お互いとしては、理非のわきまえが深まり、その理非のわきまえが身につくよう、拝み祈るということになるべきであります。
 しかし、その理を理とし非を非とする自分の在り方を、相手かまわず他人に押し付けるのは、なお理非のわきまえが足らぬゆえのこと、とすべきではないでしょうか。
 凡人なるがゆえにやむを得ないところではありますが、利己という心情の働きも加わって、世の中には自分の在り方こそ理にかなっていると主張する人が少なくないようであります。
 いわゆる北方領土についてのソ連(現在のロシア)の主張なども、これに相当すると申せそうで、諸外国も理とするところを、いまだに非としているという状態であります。
 しかも、それゆえに解消しない敵視的な関係についてまでも、自国を理とし我が国を非とする姿勢を取り続けているようであります。
 甘すぎる見方は禁物ですが、きびしく敵視するのではなく、理は理!!という点を確認しつつ交渉を進めれば、領土問題も解決できることになるのではありますまいか。
 無理が通れば道理が引っ込む!!などと言われてきましたが、そうした状態は確かに少なくなるものと思われますものの、絶無ということにはならぬようにも思われます。
 お互いとしては、公開の場では理が理として通るとしても、小さな日常生活の場では、非を理とする状態が絶えぬ、ということを覚悟せねばならぬわけであります。
 そうした日常生活の中にあっては、相手の非をきびしく責めて敵対することもですが、いささか辛抱しながら静かに対応し、相互理解の途を模索する方が賢明かと思われます。
 いわゆる敵対行為は、相互理解が進んで信頼感が深まれば、おのずから軟化して解消にいたるものと考えられます。
 利害の打算にもとづく解消も見られないではありませんが、こうした場合のものが一時的状態にすぎないのは、申すまでもないところであります。
 それこれ考え合わせますと、仮に敵対視された場合、相手を非と決めこむ前に、まずは自分が理とするところにつき再考すべきであります。
 次には、非を理とする相手の事情を、静かに考察して正しく把握理解することに努め、解消への順序を考えるべきではないでしょうか。
  



  幸福への出発
            光陽教会  中山 勇

    第25集   墓はその家の力なり

 
それぞれの家には、その家系が持っている特有の勢いが有ります。その勢いも墓が持っている潜在的な力なのです。普通の生活の中では墓のことは余り意識せずにいますが、どんな人でも行き着くところは墓の中なのです。お彼岸やお盆には墓参りをするけれど、三百六十五日の中でどのくらいお墓に参っているのでしょうか。
どこの家でも家の霊殿や仏壇には毎日手を合わせているのでしょうが、墓まではと言う人が多いのではないでしょうか。それは墓所の利便性によります。あまり遠くや車の入れない所など、物理的にお参り出来ない所もあるでしょう。それでも墓参りが疎かになれば、墓の持っている潜在的な力や勢いは減少するのです。
出来ることなら春分の日と秋分の日、そしてお盆とお正月の年四回は墓参りが必要です。この四回の墓参りは今の生活の現状維持のためのもので、生活の向上と健康を望むのであれば先祖の命日と出来れば毎月一回の墓参りが、家族の安全と健康の守りを強く働かす事になるのです。
事件や事故等の守りは墓の持っている潜在的な力が強く働くのです。この墓参りと合わせて教会での霊祭は、先祖を産須根の神として神様から御位を頂くために欠かす事は出来ません。
先祖を氏神として守りを引き出すのは、私たちの信仰が神の道に適っていることが絶対の条件なのです。
この信仰の大事なことは神・幽・現の三原則の信仰として、教会での祖霊祭(神)・お墓参り(現)・我が家の霊殿(幽)のバランスの取れたお祭りが必要です。
信仰の基本は自分の家を出て社会(他人)や自然環境に奉仕することが神の道なのです。それは先祖が作った罪が他人や自然環境に対しての罪だから、罪の祓いも奉仕をするにも自分の家の中では出来ないのです。
特に他人に対して言葉でつくる罪は大きな罪となるのです。
「言葉とは言の葉」で、言とは自分の心の表現なのです。
又言葉の葉とは神の働きがあり、木の葉は炭酸ガスを吸い酸素を生産して葉の裏側から放出しているのです。
つまり言葉とは悪いものを良いものに変えて行く神の働きの中で、人のためになる言葉、人を喜ばす言葉、人の救いになる言葉などが神の心に響く言葉なのです。
そのためいつも使う言葉は、心のこもった言葉を選んでお話をする必要が有ります。又言葉の持つ意味が受け取る人の其の時の心の状態で、違った意味に悪く受け取られることもあります。
それでも思いやりの心で補足説明が出来れば言葉で作る罪はありませんが、言葉には言葉の持っている意味とは別の雰囲気もあり、さまざまな憶測や誤解を受けることも有るのです。
それでも相手が誤解して傷つけばやはり罪になるのです。
何気なく言った自分の言葉の裏側に有るその心が、人に対して徳なのか罪になるのかを、人を通して知ることになるのです。
その言葉の中に「言葉として自分の心を磨いていく事を神は義務として持たせている」のです。それ程、良い言葉も悪い言葉も他人の心に共感や反発を招くので、自分の言葉は葉のつるつるしたきれいな表の部分だけでは、どんな言葉も人の心を打つことは無いでしょう。
葉のぎざぎざした裏の部分に自分の心が有るのです。その裏の部分は神様の働きで、神の子として人を救い人を喜ばせる事を義務として持って生まれているのです。葉の裏側は有害な炭酸ガスを吸収し、無害に浄化して命の根源の酸素をだしているのです。
私たちは神の子として心の浄化をしなければ、命(子孫)の永続や寿命(健康)の浄化が出来ないのです。人は全ての言葉が神様にも人に対しても罪か徳かに分かれる大切な言霊なのです。ことわざの「壁に耳あり障子に目あり」です。誰も居なくても神様はいつでも何処でも聞いているのです。
私たちは誰もいない神殿に毎日祝詞を唱えているのです。誰もいなくても神様は聴いてくださいます。
又誰もいなくても自分のしている事は、お日様やお月様の前でしているのです。だから仕事でも勉強でも自分が努力をすれば必ず良い結果が得られるのです。
私たちは神の子として生命を受けているのです。この言霊は心の働きを強く受けている所です。「言葉は目で見ることは出来ません。触ってみることも出来ません。耳で聞くこと以外には確認することは出来ない」のです。「言葉は心と同じ表現力を持っている」のです。
心が陰で言葉が陽なのです。心で思う事や感じることを言葉が表現するから言霊と言うのです。この言霊が荒魂と和魂なのです。
「荒魂が身体(言葉)で和魂が心(霊)なのです」。性格が自分の心の表現なので、優しさや思いやりの心を敬神尊祖の信仰で育てる事が大切です。
身体には五感の神経が有ります。触れたりさわったりして形や硬さを知る触覚神経、耳で聞いて音を聞き分ける聴覚神経、見ることにより感動や喜びを感じる視覚神経、匂いの良し悪しにより健康を守る情報源になる嗅覚神経、おいしく食べて健康維持に貢献する味覚神経、これらの働きは身体が持っている感覚神経で、その神経の全ての原因が墓の中に有るのです。
墓にある骨の中で一番大きい背骨の中を五感の神経が通り、その神経を骨が守っているのです。私たちが今現在見たり聞いたりさわったり匂いを嗅いだりする行為の全てが、遺伝の大元の先祖の罪と徳の強弱の中で結果として五感の神経の強弱に影響しているのです。これが体質なのです。
この体質を管理して働かせているのが心に強く働く喜怒哀楽の強弱と欲望です。心(欲望)が持っている五感の神経を性格と言います。
特にこの欲望は喜怒哀楽のバランスを狂わせるのです。「もっとほしいと思う心」が自分に徳になる事や楽しいこと、好きなこと、欲しいもの等の欲望に強く働きます。これを我欲と言うのです。
氏神として子孫を守る力に成るはずなのに、欲望が強く働くと、ついつい言葉と態度が自分さえ良ければ人が損をしても当たり前と思う心になるのです。欲望の心で人に対して自分が言葉で罪を作れば、先祖の作った罪は消えないばかりか、自分が罪の上塗りをしているのです。
その結果が罪の祓いとして子孫への健康や事故災難などの悪い影響が現れて、不幸の種が育ち芽を出して来るのです。信仰は自分の家族と子孫の行き先の目標を与えています。
私たちは生まれて来たその日から死と直面しているのです。
それは全て両親から受け継いで遺伝として持って生まれた罪の重さの中に有るのです。子供の健康の責任は両親の敬神尊祖の信仰の量と重さに比例しているのです。心からの信仰としては直接的に先祖と直面できる墓が大変重要なポイントになるのです。
墓に勢いを感じさせる祭り方として大切なことは、遺伝の法則により三代前までの先祖のことを良く調べる必要が有ります。例えば葬儀のとき祝詞の中で故人がこの世で、世のため人の為に尽くして来た業績を神様にご報告申し上げるのです。
つまり、子孫としては先祖の業績や、そしてどんな生き方をしたのか、どんな病歴が有るのかは必ず遺伝として持って生まれている原因に成るのですから大変重要なことです。
その先祖の罪をどのように祓うべきか、またどの様な祭りが必要なのかは自分を始め家族や子供たちには避けて通れない重要な問題です。
墓には故人の名前や命日や年齢などが記してあります。この刻んである文字が故人のこの世に残す最後の業績の全てなのです。お墓参りの重要なポイントがここに有るのです。
人は全て神と先祖の大きな守りの中で生きているのです。神様の守護は大儀の中で自然の一員として神の子としての存在なのです。先祖の守りは家系の永続と繁栄中で平和を乱す罪の祓いが遺伝として与えられているのです。
その事を自分がどれだけ自覚して敬神尊祖の信仰をしているかが幸不幸の分かれ道になるのです。





                 *** 教 祖 の 道 統 *** 


   長崎教会 教会長 大教庁式務局長 花岡 勝成

     第五章 教祖の神人関係観
       第一節 神と人及び人の善悪

 
神と人の霊は、本体から見ると同一、
       現象から見ると不同一
 神と人に就いてはしばしば述べて来ました。 これ迄述べたのは神人共通である霊を本体として、神と人とは霊そのものが同一のものであり、その霊の発現が神と人とに分かれるだけですから、その本質は同じということです。
 現実には神は神であり人は人でありますから、神と人とはそこに違いが生じてくるのは当然の事であり、従って同一ではない訳です。
 つまり本体(霊自体)を見れば神と人とは差別なく同じですが、現象(霊の外面的な現れ)を見れば、神と人とは違いがあり、同じではありません。
 それは『第三章 人生観』の所で述べました様に、「イキモチ」の量が神は大であり人は小であります。即ち神は「イキモチ」の量が優秀で、人は劣っている。
 従って人間が認めて、崇拝し敬い謹み仕える神は非常に優秀ですから、神と人との関係に於ては優劣・高下・大小という区別が明らかになって来るのです。
 ここでは、神と人とは本体である霊を認めた上での平等である神と人の意味ではなく、霊の現象から見た上で差別のある神と人との間に、どのような掛かり合いがあるものかを研究するものです。

人間の天賦の本性とは何か
 人間は神の本体である霊の発現であり、その霊というものの量が神より劣ったものですが、他の動物に比べると優っています。
 又同じ人間同士でも、その霊の深浅・高下によって神に近い人もあれば、遠ざかっている人もいます。
 又生神といえる程の優れた霊の持ち主も居れば、反対に非常に劣悪な人もいます。
 この様に人それぞれの霊の深浅・高下・優劣の差別が生じる原因は何であるかといえば、人の本体である霊の本質が向上進歩の性情を、そのまま真っ直ぐに働かすのと、そうでないものがあります。
 人と生れ出た上は、一様に優秀で最も霊の高い所のものに向かって向上する事を本性とします。
 従って人は神よりも劣っている霊ですが、霊の最高まで向上する素質があります。
 だから段々と外部にある最高の霊格に刺激され、向上にあこがれる動機が内部に生れ、霊として最高点まで進むことが出来ます。
 しかしこれに反して、その向上の活動が反対の方向へ進むことも起こるのです。
 その優秀なものに向かって進む活動は、霊の本質であって善なるものですが、その反対に向かう者は悪ということになります。今善悪ということを人間に決定するには、次の様に解決しなければなりません。
 元来、人間は善悪どちらにも付かないものですが、本体の霊の本能を完全に向上させて行く霊の活動を善とすれば、その反対は悪ということになります。
 では人の天賦(天より与えられた)の本性は何であるかというならば、神より授かった同一の霊を汚さず濁さず、神の霊と同格に向上発展するのが正統であって、それが本性であるのに、これに反して向上発展するとはいわれない筈です。
 人間より更に劣等な霊の鳥獣類でさえ、向上活動の本性に進んで自己を造り、更に子を産んでその繁栄を計り、その生命と生活を脅かされない以上、本性と反対の活動は起こさないものです。これが道理であり神の御心なのです。

よし(善し)わろし(悪し)
 そしてこれが神の御心であれば、神の御心の代表である霊というものの活動は、正しく上に伸びるものであり、この伸びるものを善と認めなければなりません。そうしてこれに反対した活動を悪いとする事が出来ます。
 古代に於てもこの観念を認めて、清陽者を天即ち清浄なる国とし、重濁者は不清浄な俗に言う罪穢れのある国として、よし(善し)わろし(悪し)を定めたもので、単に道徳上の善・悪の区別ではなく、広い意味での善し悪しです。
 そして、この善し悪しは善悪の行為のみではなく、一つの花にも善い花だとか悪い花という場合もあります。
 又鳥の声にも善い声悪い声にと区別される様に、いわゆる顕と幽に分かれる道理が善悪という名によって、一切を理に叶った区別をして行く意味と解する事が出来ます。
 そこで神の分霊を授かった人間の本質は善でありますが、未だ善悪の区別がはっきりしないものであって、霊格は最も幼稚なものです。
 従って根国より来る罪穢れに染んだり、又清濁混合のこの大地の気にも染まった霊が悪となり、それに染まらないものが善となるのです。
 霊が染悪することなく、神の霊に一致しようとする為に向上進歩が起こって、その霊を汚さない様に勉強し職業を得て、健全な身体を造り、又これを助成させる為に努力するものです。
 この様に向上発展を助長するものを善とし、これに害を与えるものを悪としたのです。

善悪が神人関係を顕著にすること
 そうでありますから人間は常に、神から授かった分霊を神の霊に一致させる為に活動をするものであり、神は人間の活動上の目的であり理想であると同時に、又一度染悪した状態から脱出して向上しようとするのは、人間共通の心理でありましょう。
 従って、この方面から考えますと悪が存在する事によって、初めて神を認めるともいえるのです。
 例えば神の存在を信じない人が、非常な不幸や病気等から自身の罪悪を悟り、この状態から救って頂く為に神にお願いをします。
 信仰によって心を安らかにし、自己の劣って悪いところを向上進歩させる行ないをします。
 優秀な人格に作り替えることがある様に、悪によって神を認め、悪を嫌って神を要求し、悪から脱出しようとして神にすがる。ここに強烈な神人関係が起こるのです。
 故に神と人との関係は、善と悪という二つの関係から起こるものです。
 その善悪が起こる原因は、顕幽分界の二大原理によるもので、この原理によって起こる善悪はともに神が治め給う処です。
 そこに人間が善悪によって神人関係を益々顕著なものにする動機が産まれるのです。
 御教祖は神理教要に
【日月は空にかかり、日は清なる物が凝り成りたるにて、清めるものを主宰り、月は濁りたる物が凝り成りたるにて、濁りたるものを主宰るも、その理成り定まりたるに基づけり。
 是に依りて高皇産巣日神の御名を負い持ちたる伊邪那岐神と、神産巣日神の御名を負い持ちたる伊邪那美神とは、天照皇大神と月読神とに別けて、伊邪那美神は人の道に背く悪人を一日に千頭くびりこらさむと詔給い、伊邪那岐神は善い人を褒める為に、一日に千五百の産屋を建て子孫を栄えしめむと詔給い、伊邪那岐神は日若宮に帰り清明持神となり、伊邪那美神は月黄泉国に入りて重濁持神となり給いて、共に善悪の賞と罰を主宰どれり】
と教えて居られます。これによって考察する時、人間の肉体に於て区別される善悪は、即ち神の治められる処であって、善悪共に神との関係が生ずるのです。
善を賞て悪をとがめる神の活らき
 すでに『第三章 人生観』のところで述べました様に、現世に道徳上の善悪に於て善い行ないをすれば賞められ、悪い行為により罰せられるのは表面上のことであり、どちらも行動を起こした後の事であります。
 例えば表に出ない善悪から考えて見ますと、小さな善い事でもそれが正しく明るい行ないであれば、必ず心が晴れ晴れしく嬉しくなる。
 しかし極小さな悪い行ないであっても頭は重く心は暗くなるのは、両者共に神より授かった霊の本質の活らきと霊の本元であって、善悪を主宰される神の活らき、つまり神の審判の結果である事は誰もが納得する処でしょう。その結果、刑罰より以上の苦痛をもたらす場合があります。
 これはすでに人間の本体は霊である事を認め、その霊は神と同一のものである事を認めた証拠であり、更に人の善悪を負い持ち知ろしめすのは神である事も、自然明らかとなる訳であります。
善と悪のはじめ(出処)
 次に同書に
【そもそも両界に座す神等より罰められる悪は何より出るものか、神より賞められる善は何れより成り出るかというと、その理はない様に思われるがそうではない。
 その理由は人の体は父母より生まれ出たといえども、その元を考えると神の気を受けてこの体あり、体ありてその気こもり心となる。
 それゆえに体あれば心ある。それは家があれば主があり、主があれば家がある道理と同じである。
 それを主がありても家もなく、家があっても主がないのは理に背いている。
 さてその心の本源を尋ねれば、あの日に座す産巣日神より賜りたる日なりけり。
 是は神より賜ったものであるから魂(賜リ・風・火)という。
 そうであるから、この魂は神から賜ったものであるから極めて清明なものである。
 この清明なものを濁り染めなければ善という。これが人の本心であり天津神の守り給う処なり。
 これに反して本心である清明が去り、汚れたのを悪しという。この阿志という事は天津神が憎み嫌われる処にして、伊邪那美神の所へ召させ給う。だからこの悪は善とは違った行ないをいう。又本心である善は伊邪那岐神が賞められる事であり、只神代より伝わっている人の道を守る事をいう】
と教えられている。
 つまり善悪のはじめは惟神(神の心のまま)なる人の道であり、言葉をかえて言えば神の御心に背くか背かないかによって善と悪に別れ、その別れた善悪の賞罰を主宰されるのは神である事も認められるのです。
 善きは賞め 悪しきは罰め 束の間も
  絶えず日月の 神は守れり(教歌百首)
 この様に述べて来たならば、人生の根本義は何にあるかは明らかになったと思います。要するに善とは神の御心に背かない行為で、自然に従い道理に服して、神の御恵みを受ける事の出来る行為であって、この行為をなす本体の霊は、即ち神の御心です。
 自然と理と御恵みの結晶でありますから、この霊を汚さない活動によって下段から段々と上段へと、最高多量の霊の本体に進んで行くのが、霊の正しい発現(人)であり活動です。そうして初めて神人一体の区域にぴったり一致する事が出来るのです。
 又悪つまりわろし(悪し)というのは、元来が人の本質は善でありますから、人が一度悪に染まっても、それを悟り前非を悔い改めれば善性に帰ることが出来るのは、丁度きれいな鏡が汚れ曇っている様なものです。
 元々鏡は一点のチリや曇りがあっては役目を果たす事が出来ないので、その鏡に曇りや汚れがあれば、それを拭い去らなければならない様に、人も悪というものが体に付着しているならば、鏡の曇りの様にこれを拭い去らなければなりません。
 その拭い去るという事は神との関係が益々深くなる訳ですが、先ずその障害となる悪とはどんなものかをこれから研究して見ましょう。

 
   




                古事記「絵で見る解説文」

Kだが、山ぶどうを食いつくすと…
  ―― K挿絵の説明 ――
 だが山葡萄を食べ尽くした女鬼たちは、またも追いすがってきます。
 そこで男神(伊邪那岐の神)は、櫛(黄泉の国で明かりに使った)をまた髪から抜くと、その歯を引き折っては投げつけたのです。
 すると櫛の歯は、地面に落ちるなり筍に姿を変えました。
 女鬼たちはそれに目を奪われると、これもまた役目も忘れて食らいつくのでした。
 女鬼たちが役立たずなのを知って、 女神(伊邪那美の神)は自分の体から生まれた雷神に千五百人の黄泉の国の兵隊をつけて夫を追わせました。
 男神(伊邪那岐の神)はその時、やっとのことで死者の国の出入り口である黄泉比良坂のふもとにたどりついたところでした。
*解説
 逃げても逃げても、また神術を駆使しても、何としてでも追いすがろうとする鬼たちに、伊邪那岐の神は身も心も疲れ果て恐怖におののくのです。
 ここには描かれていませんが、伊邪那岐の神は、十拳剣を後ろ手に振り回して逃げまどうという、
「来るな!来るな!」という心理的にも恐慌・混乱をきたしたわめき声が聞こえてきそうな様子を、古事記は見っともなく或いは滑稽に見立てて描写しています。
 本教でいえば、主祭神である天在諸神の一神である伊邪那岐の神にしてもこのような人間的な一面があるのです。
 また、その前後に表されるように厳粛で大きな力を発揮もされます。
 ここで教えられることは、
『神の力と自らの意欲があれば、失敗や気力の萎える事があっても、必ず立ち直ることが出来る。
 神と人とは、量こそ違え同じ霊魂の質を持つ存在であるから、人も伊邪那岐の神と同じく大元の神の守りを得て、自らの力を必ず発揮出来るのだ』ということではないでしょうか。
 伊邪那岐の神は人の初めの神として、見た目には格好の良くない無様な姿をお表せになりながらも、それでも立ち直ることの出来るのだという姿を自らお示になられたのだと思います。
 ここには、まるで我が家(どこの我が家?)のお父さんを弁護するような話が、太古の昔から神話として伝わっているようです。
 お父さんも失態を犯してもまた立ち直る勇気を与えられますし、家族もそうしたお父さんの本来の力を認めて上げましょう、ということでしょうか。
 神話は現代にもユーモアを持った教えとして息づいている、と言えるようです。



 
                                                         


北九州教友会
平成16年2月28日(土)
 第五回北九州教友会が二月二十八日午前十時から午後三時まで、明星会館で開かれました。今回から、教師だけでなく総代会やほかの皆さんにも声をかけて行われることになり、名前も従来の「教師会」から「教友会」に変わりました。
 午前中は、まず、末若明講義が「神理図解」を解説。神理図解は、ご教祖さまが教えを分かりやすく解説するために描いたもので、全部で十六枚あります。当時、この神理図解は教信徒を増やす大きな力になったということです。本来なら一枚の解説に一時間はかかるとか。この日は駆け足で紹介してもらいましたが、皆、熱心に耳を傾けていました。

 次に、巫部総務局長が「七罪八徳」(教示録の定旨・第十一条)について解説。神理教では「誠」が一番大切な言葉であること、信仰の三原則は「感謝」「反省」「奉仕」であることなど、こちらもたいへん興味深い内容でした。
 午後からは、総務局長のお話に続いて、本院職員を含めた参加者全員が自己紹介を行いました。日頃心掛けていることや、勉強会の感想、さらに「こう見えても実は私は…」といった楽しい話も飛び出し、会の雰囲気は和気あいあい。
 最後に、玉串拝礼(立礼)の練習を一人が二回ずつ行い、今回も実りある会となりました。

参加者の声

 昨年四月、教師になった富松清香さんは、この日、同じく四月に教師になった姪ごさん、そして二人の妹さんと一緒に大牟田市から参加しました。
「春秋の大祭には、昭和六十二年から一度も欠かすことなく、みんなで帰院していますが、教友会に出席するのは今回が初めてです。教師の免許をいただいて、改めて頑張ろうと思っています」と、富松さん。自己紹介では、自らの体験談を発表して下さいました。
「私の知り合いが、たまたま神理教の先生でした。その先生から『あなたの場合、神理教じゃないと因縁が切れない』と言われ、本院へついて来たのが、神理教との御縁の始まりです。そして、罪・汚れを取るために四十年間やっていた飲食店をやめ、在宅介護の仕事に就きました。
それこそ下の世話までする付き添いという仕事を通して人のために尽くすことで、自らの因縁を切ろうと思ったんです。おかげで付き添った方は皆、苦しまずに安らかな最期を迎えられました」
 しかし、そんな富松さんにおととしの十二月、思わぬ不幸が襲いかかります。乳癌の大手術をすることになったのです。
「それまで、本院へは『春と秋の大祭だけ帰院すればいい』と思っていましたが、 『これはいよいよ本腰を入れてやらなければいけない』『余生をこの道で頑張ろう』と考えを改めました」
 今回の体験で、神理教のありがたさがつくづく分かったという富松さん。昨年の七月には見事、社会復帰を果たしました。そして、自宅の神殿を三社に改め、初めてのお祭りをしたのが、この日の前々日のことだったとか。
「人様を介護するという毎日の行いの中で、私は自分の罪・汚れを浄化してきました。それを今日は皆さんの前で発表することができて、なんだか胸のつかえがおりたような気がします。本当にありがたかったです。これで、真っ白になって、また新しい一歩が踏み出せます」
 そう言ってニッコリ笑った富松さんの笑顔は、とても爽やかで素敵でした。





***地方特派員だより***


   「心の行動派」?     名古屋大教会 岩押 頼子



荒川律子さん(左)と娘の塚本満江さん

 「素敵でしょう!」と横江初恵教会長が差し出した一枚の絵手紙。
 今回はその差出人の荒川律子さん(八十九才)を紹介します。
 ご自宅は酒屋を営んでおり、神棚はありましたが、ご祈祷などお願いする事はありませんでした。
 四十年程前知人に紹介され、開祖(故)横江信太郎先生にお勤めして頂いたのが、神理教との出会いでした。仏教に深い信仰のあったご主人の庄松さんは、他信仰には抵抗があったのですが、信太郎先生に初めて会ったにも関わらず、先生の人柄が大好きになってしまったそうです。
 その後、信太郎先生の修行場の一つであった静岡県「桜が池」の「お櫃納め祭」に先生と共に数人で行った時の事です。
 深夜、先生について奥の院へ向かうため原生林の池の端を歩いて行くと、突然のものすごい雷雨で何も見えず進む事も戻る事もできなくなり、仕方なく皆で肩を寄せ合い、その場で朝を待ちました。
 薄明るくなった時、一本の道が目の前に現れ、歩いて行くと、宿に帰らないのを心配して探しに来た方々に出会うことができたのです。
 その事で、色々な思いを捨て一心に願えば、道が開くという喜びを感じ、信仰への思いが強くなりました。
 昭和五十一年にご主人を亡くされた後、息子さんに家業を任せ、俳句、詩吟、習字、大正琴などを習われたのですが、肝心の絵手紙のお話を聞きますと、やってみたいと思い独学で始められたそうです。
 近くに嫁がれた娘さんが訪れると、新作の中からお気に入りを持ち帰られるとのこと。
 少し前に足を悪くされたため、「家族から、心配だからあまり一人で外出しないようにと言われたので、ルームランナーを買ってもらったのですよ」と言う荒川さんの視線の先を見ると、てっきりお孫さんが使うための物と思っていたルームランナーが…。使いこなすのは大変なのでは?と聞くと、
「ゆっくりだから大丈夫ですよ」と涼しい笑顔で答えられます。
 「以前は自分で行っていたのですが、今は息子に図書館へ本を借りに行ってもらっています」の言葉に、失礼ながら、普通なら細かい字を読むことに抵抗を感じる高齢の荒川さんが本を読まれるということに驚いていると、毎回五冊借りて読破しておられるとのこと。
 行動派とは精力的に動き回ることですが、荒川さんに接していると、一見静かな隠居生活と思いきや探究心にあふれ、心が活動的なことも行動派と言えると思いました。
 家族の方にお聞きした話では、お孫さんに英語を教えてほしいと頼まれたそうです。
 「心の行動派」まだまだ健在!
*注「桜が池」静岡県御前崎近くの池宮神社内にある、三方が県立自然公園の原生林に囲まれた約二万uの池。底が長野の諏訪湖とつながっているという伝説もある。
 「お櫃納め祭」は平安末期、比叡山の名僧皇円阿闍利が身を龍と化し池に沈み、高弟法然上人がその供養のため赤飯を入れたお櫃を池に沈めたのが始まり。秋の彼岸の中日に禊を済ませた若者達が全国から五穀豊穣、心願成就を願い、奉納されたお櫃を抱え立ち泳ぎで池の中央に沈める神事、仏事、民間信仰が入り混じる奇祭で、県の無形民俗文化財。



春の祖霊祭
三月二十日(祝)十一時より
 三月二十日の春分の日、大教殿で春の祖霊祭が開催されました。この日は三月も半ばを過ぎたというのに肌寒く、小雨交じりであいにくのお天気でしたが、今年も大勢の皆さんが参拝に訪れました。儀式や参拝者全員による玉串拝礼などがとどこおりなく進められ、最後に松岡教師による講話が行われました。
春分の日は、昼と夜の時間がちょうど同じ長さになります。どうしてそうなるのかという宇宙の仕組みをわかりやすく説明しながら「我々は日々、つい自己中心的になりがちですが、私たちの住む地球は太陽の周りを公転しており、すなわち自分たちは軸ではなく、回っているのです。
我々の存在は宇宙に比べると非常に小さな存在です。それを春分の日に改めて感じ、謙虚に日々の営みを行わなければなりません(抜粋)」と話されました。
祖霊祭終了後は、神理会館にて直会が開催されました。お神酒で乾杯し、皆さんでお弁当を頂いたあと、飯塚市の目尾教会のご家族にお話をお伺いしました。
祖霊祭をはじめとするほとんどの行事にご家族で参加されているそうで「行事のたびに孫の顔を見るのが何よりの楽しみ」と素敵な笑顔で語ってくださいました。
宗像郡福間町から参列したお孫さんの綾香ちゃんと千晶ちゃんは、毎月お墓参りに行くなど、幼いながらも祖先を敬う気持ちがしっかりと芽生えているよう。取材中は、恥ずかしそうにはにかんでいましたが、大好きなおじいちゃんやおばあちゃんと一緒に、行事を楽しんでいる様子が伝わってきました。

左から須藤充一教会長、綾香ちゃん、千晶ちゃん、須藤クミコ教師



                             あ  と  が  き

あとがき
 教祖様は天保五年二月十六日、この徳力の里に生誕されました。「栴檀は双葉より芳し」との諺のように、幼少のころより普通の子供とはちがっておられたのです。二、三歳の頃から読み書きの真似事をされ、五、六歳の頃にはすでに読み書きをなされていました。
また、頂いた物を分ける時でも、良いほうを人にやり、ご自分は進んで悪い方をお取になっておられたそうです。このように総てのことがご幼少の頃から人並みすぐれた御心を持っておられ、教祖様のことを神童といって評判となったのです。
ご成長されるにしたがって、神様からの使命、いいかえればご自身は神様の御心によって教えを解き、世の中の人々を救い扶ける神様の使命者であることに、お気づきになられたのです。

 教祖様は巫部家に伝わる饒速日命から遺こされた教えを大成されようと、日夜勉強を重ねられたのです。
 本教の産須根信仰の中心であります天津産巣日考の御教書は、御年二十一歳の時の御著書です。
 慶応三年御年三十五歳には、本教三大教歌の一つであります「火にも入り 水にも入らむ 世の中の 人を助くる 道のためには」とお詠みになり、前よりもいっそう人々を苦しみや不幸から救う御決心をかためられたのです。
全国を御布教されたことはいうまでもなく、わずかの暇を惜しまれて本教の教義の確立に努められたのです。
 御睡眠わずかに二時間か三時間であったとのことで、教祖様の御門人の箕田清という人のお話によれば「ついに教祖様の御床につかれた御姿を見ることが出来なかった」とのことであります。
外出して夜中に帰る事があっても、教祖様の御居間には明かりがついていて、机に向かわれておられる影が映っていたそうです。
或る冬の朝、早くお伺いすると教祖様は机にもたれて御眠りになっておられ、しかも障子の隙間から吹き込んだ雪が、机の上から教祖様の御首筋にまで白く降りかかっていて、それを見た箕田清は、いくらお道のためとは云え、あまりに恐れ多いお姿に、言葉をおかけすることも出来ずに、その場に感涙したということです。
 また、御布教の折りの御苦心は並大抵のことではなかったのです。
ある時、御布教でやつれた教祖様の姿を不審に思って宿にも泊めてもらえず、雪の中を夜通し歩き通されたということです。御苦心の例を挙げればいとまのないほどです。
 本年は、明治二十七年十月十九日に独立を公認されてより百十年にあたります。
春季大祭に併せてその記念大祭が執行されます。
 四月十六日、十七日、十八日の三日間です。皆様おそろいで御参拝ください。

                                   (誠)