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                                                                2004−2

平成16年2月号 第1080号

        


巻  頭 の こ と ば



私たちは、神様が定めたリズムの中で生きてきました。
お宮参り・七五三・厄年など、体の変化する時期に
お参りして無事の感謝をしてきました。
その時々のお祭りをして、
リズムの変化を自覚し対応してきました。
医学は進歩しているのに、病人は増えているのは
リズムに無関心だからです。
「祭りは事のはじめ」
人生儀礼の祭りをする事は、
健やかに生きるためのものです。


                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
     とほ   おや   つ   まも  き        くに
   遠つ祖ゆ 継ぎ守り来し 日本國なれば
                  わ             いとほ
           我がものとして 愛しむべき

 我が国は、明治維新によって近代国家への歩みを始めたと言われております。それに準えて昭和維新という言葉が聞かれた時代もありましたが、明治維新に匹敵する大変革は、敗戦国という汚名と共に、いわゆる西欧化を押しつけられる形で始められる事になりました。
 その西欧化は、明治維新以降の場合も、急速ではありましたが、一応は日本流に消化しながら進められたと申せます。しかし敗戦以降の場合は、殆ど「鵜呑み」・「丸飲み」と言われる状態に近く、日本流に消化される事は皆無、と申せる様に考えられます。

 結果的には、個人の権利や自由を最優先とする思い込みに執着し、その権利や自由を保障してくれるものに対する考察に欠ける風潮が強まったと申せます。従って近隣・地域との接触協和を回避し、国家とは無関係!という言動さえも見られる事になりました。
 理想は理想として、現実的には国家の治安が保たれぬ限り権利の行使は不可能であり、その国家の治安には、国力と国際社会における信頼が不可欠と考えられます。即ち、権利や自由を得るためには、そうした視点に立っての努力が肝要という事になります。

 先頃、自衛隊のイラク派遣が現実化する事になりました。国家の治安維持を任務とする使命感があればこそ、国民一般の安全を守る為には、国際社会における信頼を得る事も肝要として、身の危険を承知の上での海外出動!に応じたものと、肝銘すべきであります。
 又、教育基本法の改正をめぐり「國を愛する心」の取り扱いについて、否定的な立場を表明する声も聞かれます。「國」を意識する心が育ちにくい社会環境の変化を踏まえ、適切な対応策を講じない限り、国民的不幸の禍根を残すことになりかねぬと案じられます。

 国土を愛し守るということは、偏狭に過ぎる立場とされかねませんが、国際関係の現状に照らし合わせれば、それが国民の為に不可欠な条件である事は明白であります。日本という国土は我々日本人のものであり、自分の持ち物を愛し守るのは人情の自然でもあります。そうした國と自分との関係を意識に置いた生活にも、心掛け合わねばならぬと考えます。



 
                  


H.16. 2月号

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)

()どもに(つた)えたいもの

(そつ)(ぎょう)(しき)でのご(あい)(さつ)

 ()(がつ)というと、()(いく)(しょ)(よう)()(えん)(はじ)(しょう)(ちゅう)高校(こうこう)などの卒業式(そつぎょうしき)季節(きせつ)(ちか)づいてきます。

数年前(すうねんまえ)のこの時期(じき)幼稚園(ようちえん)園長(えんちょう)とPTAの会合(かいごう)(とき)に、(した)しくしていた(ほか)(えん)会長(かいちょう)さんに、

(わたし)三月(さんがつ)自分(じぶん)()どもの(かよ)(よう)()(えん)(そつ)(えん)(しき)で、(かい)(ちょう)としての(あい)(さつ)をしなければなりませんが、(えん)()(あい)()にどんなお(はなし)をすれば()いものでしょう?」と()かれました

 その(とき)にこの時期(じき)話題(わだい)にしようと(おも)いながら(わす)れてしまったり(べつ)(だい)(おも)いついたりで、(ひっ)(しゃ)(なか)()()しになっていたことをお(はな)しします。

 (しん)()(きょう)(きょう)(しん)()(にち)(じょう)(こころ)がけの(ひと)つは、()(ぎょう)(しん)(ぜん)(ほう)()(つぎ)社会(しゃかい)奉仕(ほうし)ですから、学校(がっこう)町内(ちょうない)自治会(じちかい)やその(ほか)奉仕(ほうし)組織(そしき)でも()(なか)(やく)()(ほう)()をされていることと(おも)います。

 (みな)(さま)(がた)にもそうした(やく)をされた(けい)(けん)があったり、これから()けざるを()ないことがあるかも()れません。

 PTAは(こうちょう)長とは(ちが)(がっ)(こう)では(おし)えられないもの、(たと)えば()(ぶん)()(ごと)(かつ)(どう)(つう)じて()たものを、()(ほど)(しゅう)(きょう)(しょう)(ばい)()(こつ)(かん)(ゆう)でない(かぎ)()(ぶん)(こと)()(つた)えることが()()ます。

 そこで、いろいろな(がっ)(こう)(そつ)(ぎょう)(しき)年齢(ねんれい)(ちが)()どもや()()(しゃ)(まえ)に、(なに)(はな)すか・(なに)(つた)えたいかを、(せい)()して(はな)したいものです。

 (ひっ)(しゃ)(しん)()(きょう)(ほん)(いん)()(いき)との(かき)()(ひく)くなればとの(おも)いもあり、(しょう)(ちゅう)(がっ)(こう)では(なん)()(べん)(きょう)させて(いただ)きましたので参考(さんこう)になればと(おも)います。

 幼稚園(ようちえん)は、(しん)理教(りきょう)津山(つやま)教会(きょうかい)設立(せつりつ)した明星(みょうじょう)幼稚園(ようちえん)でいつもご(あい)(さつ)させ(いただ)いているので、そこでのお(はなし)(ない)(よう)をお(つた)えしました。

 その(かい)(ちょう)さんは、(おさな)()どもに(なに)(はな)せばどう()(かい)してくれるのか()(まど)っておられたようですが、(よう)()とはいえ()(がい)にしっかりと()いてくれるものです。

(よう)()(えん)でのご(あい)(さつ) (えん)()

 (よう)()(えん)(しょう)(ちゅう)(がっ)(こう)(そつ)(ぎょう)(しき)(ちが)うのは、(あい)(さつ)(まえ)に、(みな)()()、ご(そつ)(えん)おめでとうございます」と()うと、(かなら)(おお)きな(こえ)をそろえて、()(がと)うございます」と(へん)()(いただ)くことです。

 (ひっ)(しゃ)(あい)(さつ)は、(まい)(とし)基本的(きほんてき)()まっています。

「@(よう)()(えん)での(せい)(かつ)(たの)しかったですか。

 (よう)()(えん)(せん)(せい)(がた)(みな)さんが(たの)しく(あそ)姿(すがた)をずっと(おぼ)えていて(くだ)さると(おも)いますが、(みな)さんもこの(よう)()(えん)のことをずっとずっと(わす)れずにいて(くだ)さいね。

A(よう)()(えん)のそばには(かみ)(さま)()まれるお(やしろ)があって、そこに(みな)さんが(つく)った(ちょう)(ちん)(かざ)られていましたが、(はる)(なつ)(あき)のお(まつ)りにもお(まい)りしましたし、(せつ)(ぶん)(まめ)まきを(たの)しんだり(しち)()(さん)のお(はら)いも()けたりしたことでしょうね。

 ここのお(やしろ)には神様(かみさま)がいて幼稚園(ようちえん)のみんなを(まも)って(くだ)さいましたが、(みな)さんは(かみ)(さま)()たことがありますか?

 (じつ)()()える(かみ)(さま)がいるのですが、どこにいるか()っていますか?

 それは(みな)さんの(うし)ろに(すわ)られているお(とう)さんやお(かあ)さんです

 お(とう)さんやお(かあ)さんは(かみ)(さま)(おな)じで、お(かね)(はら)わなくても(みな)さんに(ふく)()せてくれたり・おいしいご(はん)()べさせてくれたり・(あたた)かい(いえ)()まわせてくれたり、(あそ)びに()れて()ってくれることもあります。

 (みな)さんが(わる)いことをしたときは(おこ)って(くだ)さるし、()いことをしたときにはほめて(くだ)さいます。

 だから(みな)さんのお(とう)さんやお(かあ)さん、それにお()()ちゃんやお()()ちゃんは、()()えるみんなの神様(かみさま)なのですよ。

B(みな)さんは()(がつ)から(しょう)(がく)(せい)ですが、(いま)までよりお(にい)ちゃんお(ねえ)ちゃんになってお(とう)さんやお(かあ)さんを神様(かみさま)のように大切(たいせつ)にして、()われることをよく()くようにして(くだ)さい。

 (がっ)(こう)であったことや(なら)ったことをお(かみ)(さま)報告(ほうこく)するように、お(はな)ししてあげて(くだ)さい。

 そうすると、きっと(こころ)(からだ)(つよ)くなって(がっ)(こう)(すこ)しくらい(いや)なことがあっても、(げん)()()してどうすれば()いかを自分(じぶん)(かんが)える(ちから)()てきます。 お(やく)(そく)できますか?

(よう)()(えん)でのご(あい)(さつ) ()()(しゃ)

「@お()(さま)のご(そつ)(えん)、おめでとうございます。

 お()(さま)(そつ)(えん)(とも)に、(おや)()さんも(きょう)(いく)()(てい)(だい)(いち)(だん)(かい)(そつ)(ぎょう)された、ということにもなると(おも)います。

A(わたし)(さん)(にん)()どもがいますが、()どもの(きょう)(いく)(かんが)えるということは、()(ぶん)(じん)(せい)()(かえ)るということでもあるように(かん)じます。

 まだ(みじか)(いま)までの()(そだ)てを()(かえ)っても、いろいろな(かべ)にぶつかったり(あな)(あし)()()れるということもありましたが、その()()一番(いちばん)勉強(べんきょう)になったのは(おや)である自分(じぶん)自身(じしん)だったな、と(おも)います。

()(そだ)ては(おや)(そだ)ち”といいますが、(もん)(だい)にぶつかる(たび)()(ぶん)()どもであったときのことをたどり、()(かえ)りながら()(ぶん)(じん)(せい)()つめ(なお)すことが()()ます。

Bこれから(ねん)(れい)()がるにつれて、(たの)しいことも()える(ぶん)(たい)(へん)なこともあるかもしれませんが、そうしたお()()ちで()(そだ)てを(たの)しんで(いた)ければと(おも)います。

 (いま)(がっ)(こう)では(がい)()からの()(けん)(みみ)にしますが、それ()(ぜん)()ども(どう)()(にん)(げん)(かん)(けい)など(せい)(しん)(めん)にも()える(ちから)(ひつ)(よう)です。

 しかし、()(てい)()どもを(やさ)しく()()める(ふん)()()があれば、(しょう)(しょう)のことがあっても(どう)じない(つよ)(こころ)(そだ)つのだと(しん)じます。

 皆様(みなさま)のご()(てい)今後(こんご)益々(ますます)のそうした(そだ)ちとご発展(はってん)をお(いの)りして、お(いわ)いのご(あい)(さつ)とさせて(いただ)きます」という(ふう)なお(はな)をさせて(いただ)きます。

 (しょう)(ちゅう)(がく)(こう)も、これに(じゅん)じたお(はなし)をさせて(いただ)いています。

 

 ()(きょう)()()(うた)に、

()(こと)の ()()にあるとも (これ)もまた

        (かみ)(こころ)と (はげ)()くさむ          (もも)(ひと)(えだ)

(もし(おも)(なや)むことがどんなに(おも)(かず)(おお)くあったとしても、それらの(しょう)(がい)(けっ)して(ばつ)などではなく(かなら)(かみ)からの(なに)かのみ(おし)え・お(さと)しなのだと(おも)い、(かみ)(いの)りながら(いっ)(しょう)(けん)(めい)にその(なや)みに()()めば、きっとより(おお)きな人間的(にんげんてき)(せい)(ちょう)(よろこ)びを(いただ)くことが()()るのである)があります。

 (なや)みや(びょう)()(さい)(なん)()(ぶん)(べん)(きょう)(さと)り、(かみ)(いの)()(てい)(たい)(せつ)にすれば(かなら)(おお)きな本当(ほんとう)(よろこ)びを(いただ)ける、ということなのです。

 (そつ)(ぎょう)(しき)では(かみ)(いの)る”という(はなし)(つよ)くすることはありませんが、(ちち)(はは)がご(せん)()ひいては(かみ)(つな)がる(みち)(すじ)であることを()どもと()(てい)()(しき)づけることが()()れば、と(おも)います。


   成人祭・寿祭

平成16年1月12日(月)
 一月十二日、本院大教殿で午前十一時から成人・寿祭が開かれました。
身の引き締まるような冷気のなかに日差しが明るいこの日、神殿に成人、
卒寿、傘寿、喜寿、古希、還暦を迎えた人たちが玉串を拝礼し、井上たけのり
さんと井口優香さんが誓いのことばを述べました。最高齢は、福岡市博多区
上呉服町から参列した卒寿の藤本正豊さんでした。

 斎主を務めた管長様は、最近の犯罪の低年齢化やいじめなどの問題に対し
て、「昔は、例祭やお墓参りなどには家族全員で行き、そうした親の背中を見
ながら、祖先を敬う心を自然に養ったものです。祖先があるから自分も生きて
いることを学んだのです。しかし、最近はそういうことが少なくなり、若い人たち
に祖先を大切にする心が欠けていると思います。今日のこの節目に当たり、
先祖への感謝と尊敬をかたちにする新しい一歩を歩んでください(要約)」と話
されました。

 午後から神理会館で行われた直会では、まず管長様から記念品が贈呈され
たあと、小倉北区徳力の岩野昭二さんが、管長様の短歌をお祝の詩吟として
朗詠。また。神洲太鼓教会の皆さんの勇壮な太鼓演奏で祝賀の雰囲気は
最高潮となり、それぞれの節目にふさわしい心に残る祭典となったようです。

 還暦を迎えた小倉北区徳力の村上礼子さんは「何事も自然にまかせているので、特別な思いはありませんが…」と、
突然の質問に少し戸惑いながらも、「いつも今が一番とおもっています」と笑顔で答えて下さいました。還暦も人生の
通過点の一つと、自然体で過ごしている様子が短い言葉の中からも伝わってきます。今は子どもさんも独立し、夫婦二人
暮らしの村上さん。きっと、充実した毎日を送られているのでしょう。お話を伺いながら、なんだか逆にパワーをいただい
たような気がしました。

 前日に北九州市の成人式に参加したという小倉北区上富野の井口優香さんは、東海大福岡短大国際文化学科で
英語を勉強する大学生です。「祖父の薦めで成人祭に参加しました。誓いのことばを述べるときに、成人になったのだと
実感しました」と頬を紅潮させて話してくれました。神理教は十年前に亡くなった曽祖父のころからで、「家の神棚に手を
合わせると、ときどき曽祖父の匂いがします。ああ、曽祖父が今も私たちを守ってくれているのだと思います」
 将来は、外国人に日本語を教える仕事に就きたいと、四月からは専門学校に通うそうです。「伝統的な日本の文化を
教え、私も外国の文化を学びたい」。自分の夢に向かって着実に前進するすがすがしい二十歳のスタートです。



    

            管長様が解説する御教祖の御歌   『人道百首』より

       宣直し 見直しつつも 聞直し

          世をよき方に なすが此道


  人間には、生物としての生活を円滑に行えるよう、五感がそなわっており、目・鼻・口・耳・皮膚などがその役目を果たしている、と言うことの様であります。
 そうした五感のほかに、いわゆる第六感もあると言われておりますが、それらを総合的に受け止めて適正に判断する能力にすぐれているのが、人間の特徴と考えられます。
 人間は、生物としてだけでなく社会人としての生活を円滑に行うべく、他の生物とは異なって、思索による判断と対応を身につけることになっているわけであります。

 今一つ、人間が他の生物と大きく異なるのは、思索とかかわりあってのことと言えそうですが、かけ離れて極めて多い音声での表現=言葉を持っている点であります。
 いわゆる五感のそれぞれについては、他の生物が特にすぐれているとのことでありますが、味覚以外の口の役目の音声=言葉は、何ものにも負けぬという次第であります。
 そうした言葉の一つひとつには先人の深い思いが込められているわけで、現今の無造作な言葉づかいは、そうした点からも自粛されなければならぬところと思われます。

 『宣る』というのは、単に言葉を口にするというのとは異なって、もっと重々しい意味合いのこもった発言とされておりますが、そうした心構えも考えるべきかと思われます。
 何にしても、言うということは、社会生活では不可欠といえるほど重要なものであり、他人とのかかわり方の善し悪しを左右しかねぬものであります。
 かたよらずに見極め、素直に聞き分け、それらの情報を適正に受け止めた上で、言葉を選びつつ言うという在り方が望まれることになるわけであります。
 しかし、見極め聞き分ける努力をしても万全でないのが、人間の常であります。即ち、適正な判断には及びがたいということになります。
 我々としては、そうした点を踏まえ、みずから進んで見直し聞き直すことにつとめ、より適正な判断を得ることになるべきであります。

 申すまでもなく、思ったことを言う姿勢は大切ですが、その言ったところが必ず適正!!と思い込んで譲らぬという姿勢は、あってはならぬところと申すべきであります。
 多く見、多く聞くことの中で知識は蓄積され、取捨も適度な方向をたどるのが一般的なようですが、なお自戒してかたよらぬよう用心することは忘れてならぬところと思われます。
 第弐代管長は、その揮毫の書幅などに『三直道人』と署名されたものを遺されておりますが、それは、この教歌に基づくものであります。

 御教祖の教示を体し、本教の伸展と御自身の生活を進める上での基本的な姿勢を、三直=宣直・見直・聞直=におかれたものと思われます。
 情報過多と言われる時代の中にある我々としても、冒頭の教歌を時には思い浮かべつつ、より良い世の顕現に努めたいものであります。



  幸福への出発
            光陽教会  中山 勇

    第23集   墓は家庭を守る最高の機関


 現在の世の中は、世界中どこに行っても安全な所は有りません。アメリカの同時多発テロ事件からイラク戦争と、人が人を裁く制裁とテロによる国対国の感情の敵対意識が強くなり、やられる前にやっつける戦争が正当化されているのです。そしてその戦争が宗教的な戦争の色合いが強くなり、お互いの国の宗教的な弾圧としてとらえられ、憎しみの根が深く絡み合っているのです。
自衛隊のイラク派遣で、日本の国内でもテロの攻撃の可能性が強くなっています。日本は出入国の管理が世界一甘い国なのです。その上に国民の危機意識の無い事が不安です。もしテロの攻撃が始まったらどうなるのか心配になります。又、外国に旅行中の日本人も標的になる可能性があります。
今の日本の安全は、一人や二人の意識や行動でどうにかなる状態ではないのです。しかし国民の意識が安全よりも生活の方に関心があり、現在日本の中で何が起こっているのか無関心な人が多くて、国民としての一体感が欠如しているように思います。
例えば犯罪の検挙率は20パーセントを少し超えた程度です。この検挙率の低下は国民が隣や近所間の連帯感や防犯意識の無さのために、事件に対しての情報が非常に少ない事が最大の原因なのです。被害者のほとんどは泣き寝入りして諦めるのが現状です。
今は国民の一人ひとりの連帯感と防犯意識と、身の周りを注意して良く観察をする行動力が大切なのです。犯罪のほとんどは犯人が何日も前から下見をしているのです。住人たち皆で注意をして観察をしていれば、事件を未然に防ぐ事も可能になるのです。
戦争やテロの場合は防ぐ方法が有りません。政治の良識を信じるしかありません。しかし家庭で出来る安全管理があります。その「安全のポイントは墓に有ります」昨年の十一月二十四日の広島のブロック研修会のテーマがその墓でした。
墓の中には結果として家族が「幸福か不幸かの選択をする道があります。
上り道と下り道と平坦な穏やかな道の三本の道」がお墓(先祖)の中に原因としてあるのです。どの道を選んで進むのかは遺伝の法則として、自分の性格の中に持って生まれた原因(和魂と荒魂)が子孫の存続の大元としてあります。
そのため墓には方角・場所・向き・使用する石・石の積み方・字の彫り方・お骨を置く場所・納骨の血縁関係・入り口の場所・周りの環境など多くの制約があります。それだけ墓は重要な原因を持っているのです。でも、このお墓の制約を完全に満たした墓は無いと思われます。まして先祖から受け継いだ墓地と墓は、問題が山積しているのがほとんどではないでしょうか。
先祖が生前に他人や兄弟などと安易な約束で作った不合理な墓や、人任せで作った墓は、子孫に大変な迷惑をかけることになるのです。例えば空気(霊気)に触れるところの病気は、皮膚病・アトピー・喘息・気管支炎などで墓と深い関係が有ります。
墓が原因になる病気は、墓の荒霊と家の和霊との祀り方の不調和が有ります。先祖の気(霊気)の流れを乱すので、その気を常に家族の身体に継続的に受けているため、身体の中の自律神経(副交感神経)が乱れて、薬や注射ではなかなか治らない病気となるのです。
また不合理な墓だからといって、多くの親戚や兄弟のいる家系では、墓を作り変えたり移動したりする事は出来ません。まして自分が次男や三男では、本家の墓はどうすることも出来ないのが現状です。
それでも日常生活の中で子孫に対しての罪の祓いとして、病気や家庭の不和などの試練が当然子孫に出てくるのです。
 墓の使命は、この世とあの世の接点です。墓にはこの世の骨があり、あの世の霊が有るのです。自分と先祖をつなぐ唯一の場所です。
接点とは陰(先祖)と陽(自分)を切り替えるスイッチなのです。そのスイッチを「先祖の守護霊に守っていただくスイッチなのか、守護霊のない自分独りで勝手に生きていくスイッチなのか」そのスイッチの切り替えは自分が選択をするのです。
しかし、そのスイッチが汚れていてはスイッチの切り替えが出来ません。この世の荒波の中に守護霊の無いまま一人で船を漕ぎ出すのと同じことになるのです。この船の前途は多難で、事件や事故の罪の祓いを「自分ひとりの無信仰的なわがままな心」なのに家族全体で祓うことに成るのです。
墓(スイッチ)の汚れは見た目できれいに掃除をするだけでは、スイッチのカバーの掃除と一緒で、肝心のスイッチ本体の中までは掃除をした事にならないので、守護霊の働きを受ける事が出来ません。墓の掃除で一番大切なことは「墓と一緒に自分の心を掃除すること」なのです。
スイッチのカバーをはずして中身の接点(自分の心)を磨くことがお墓の掃除なのです。その方法として「心を磨くためのお墓の掃除は、墓石をきれいな水でよく洗ってあげること。その後きれいなタオルで拭いてあげるスキンシップが、とても大事な心の掃除」なのです。
先祖に近親感と喜びを差し上げる心のお掃除をお勧めします。お墓は先祖の納骨の場所です。身体は親から借りたものですから親元(先祖の元)に返す為にお墓に自分も入るのです。
身体(骨)は土(自然)に返すことが神の理に合うことに成るのです。つまり納骨の場所は「土の香りがする安住の場所でなければ、守護霊(神の位)としての働きが発生(芽が出ない)しません」。
土に返す自然の営みは、信仰する上で一番大切な事項です。つまり「先祖の死後の出発は土の中からの第一歩になる」のです。
先祖には四魂があると言えども、お墓の荒魂は大変な力を持っているので、霊魂による障害はほとんどが荒魂に関係があるのです。例えば親は子供を産む(命の発生)ことが出来るので逆な立場になれば、先祖(親)は子孫の命(生死)の管理が出来るのです。
死も生も先祖の罪の祓いの中にあり、自分の命の長短は先祖の手の中に有るのです。その原因は先祖の祭り方に左右されるのです。先祖の霊魂を早く土の中から引き上げてあげる信仰が重要になるのです。敬神尊祖の神理教は御教祖の導きにより「先祖の霊魂をこの日の若宮に引き上げる」道筋を迷うことなく違う事無くお導きくださいます。
先祖が産須根の神(氏神)になられることは子孫にとって大変な出来事なのです。私たちの「信仰が神様の御心に叶い先祖が神様からみ位を頂けた」事になるのです。そして、「氏神となられて初めて子孫を守る守護霊に成られる」のです。これは大変なことですよ。
私たちは先祖がいつでも守護霊として守ってくれている感覚でいるけれど、お墓で「土の中から出られない先祖は災いこそ起こしても守護霊にはなれない」のです。
自分勝手に解釈して自分は大丈夫と思っていても、神様と先祖はとても冷静に子孫の行いと信仰を観察しておられるのです。
墓にも墓相があり、中に入れられている先祖は、その墓相の良し悪しの影響を強く受けているのです。墓をどうすることも出来ない以上、お祭りで納得と満足を十分に奉仕させて頂くことが、子孫として当然の義務なのです。

墓にはコツコツと奉仕をして徳を積んで行く上り道があり、先祖の罪が重ければ険しくて厳しい上り道になるけれど、信仰の道は確実に幸せに一歩一歩と近づいて行くのです。
平坦で穏やかな道では自己意識が強くなり、幸せなはずなのに不平や不満の心が強くなり、平穏が当たり前と思う心となり自分中心でお墓も信仰も関係がなくなる心の弱い人になりやすく、怠りの罪を重ねることになるのです。親の苦労を見て育ったので親と同じ苦労をしたくないし、親もわが子には苦労をさせたくない心が、しつけを忘れ甘やかして育てるのです。
親が辛抱して徳を残し、その徳で子は苦労を知らず、孫は親を見て育ち徳の積み方を知らないのです。
 本教大意のなかに「何事も思いのままに成就のみか生きては人に尊まれ死しては氏神となりて汝が子孫を守護る事疑いなかるべし」





                 *** 教 祖 の 道 統 *** 


   長崎教会 教会長 大教庁式務局長 花岡 勝成

     第四章 教祖の霊観
       第四節(その二)附十種の神宝略解



正しい十種神宝の公開
 この十種の神宝というのは、前節に於いて述べました天祖天照皇大神より、饒速日命に授けられたという、饒速日命七十七代の裔孫(代々は本教系譜参照)、教祖経彦命に伝わった神伝であり、巫部家の秘伝であります。
 それを、教祖神が本教の主旨である教導救済によって、これを公開されたのでありますから、私は茲に掲載して十種の神宝に含められた神理、有り難い神恩の大体を紹介して、自他共にその御恵みを受けようと考えたのであります。
 御教祖は天津十種神宝考の初めに、
【この饒速日命の御裔孫は沢山居られ、皆物部(天皇の親衛軍を率いる大豪族)となって武士を主宰し巫部となり、神々に仕え奉り神の御心を和め奉りて、世の為人の為に尽くされたが、その後国造連(臣と並ぶ有力な豪族)・直臣(正しい家来)・宿禰(朝廷豪族中に有力な諸氏に与えられた敬称)となって、その家数多く分かれたけれど、この神術を伝えて仕え奉りたるは物部にして、後巫部と分かれ今にその正法を伝え仕え奉りける。
 さて今諸国にこの氏人より伝えられた法が多く残り少しずつ異なってはいるが、その源をたどれば皆この神伝にして少しも違わない。
只その行なわれる方法が様々に移り違え誤っていることが多いのは残念である。
 特に尊く奇しきこの十種の神宝を知らない人は、名だけを知り口に唱えて、その尊いことを理解していないが、この神宝こそ大神の御霊代であることは、この神宝の御名に備わり最も尊く畏いことである。
 その御名の意味に至っては我巫部家の秘事なので、他に漏らす事がなかったので説き明かす人もなく、又この神宝の何たるかを知る事もなく過ぎ果てたるのは恐れ多い事である。
 それ故に今は吾巫部家に伝わりたる古伝を明らかにし、この由を記すこととする。】
と記されて公開の理由を述べて居られる。
十種神宝の種別
 その十種神宝というのは、息津鏡一、辺津鏡一、八握劔一、生玉一、死反玉一、足玉一、道反玉一、蛇比禮一、蜂比禮一、品々物比禮、とあって、鏡二面、劔一振、玉四品、比禮三振の四品であります。御教祖は神宝考に
【鏡はかがみと読むべし。加良多美という言の反しにして、即ち大神の魂を備え給える神器である。古事記に『此之鏡は専為我御魂而、如拝我前伊都伎奉云々』又神皇系図に『汝敬承吾寿、無念爾祖吾在鏡中焉』北畠近房卿の元々集に『為護皇孫之、祚留神於經津鏡中云々』などある様に本言を悟るべし。
 さて後のものなれど、壬生忠岑(平安前期の歌人)の歌に『人の子の親に似通うものをとて恋しき時は鏡をぞ視る』ともありて知られている。
 劔は都留伎と読むべし。劔という本言を考えるに都留伎の都は都久の反しにして、伎は伊伎保比の伊を省き伎保比の切りなり、これは軍人などが賜り腰につける道具であり、身に操り都久留勢いということなり。
 玉は多麻と読むべし。
玉の本言を考えるに多は多加の反し、麻は美於屋の切りなり。二言合わせて多加美於屋なり、三種の神宝の第一を玉とするのも、あの天津美志留志高御祖の神の神靈なればなり。
 比禮という比禮の比は布久美の切りにして、諸々の本つ息を布久美けるなり。禮は安里、安留、安禮とも活ける語にして、安良世の安の省き良世の切りなり。
魚の鰭また巾着懸供の緒などの比禮と同じく劔と同じことなり。それ故に鏡、劔、玉、比禮と四種の様であるが、鏡と劔と玉の三種であり、十箇あるが天祖の持ち給いしもので、饒速日命に授けられたのも、邇々杵尊に授けられたのも同じ事であり、只顯と幽と分け給いしまでなり】

十種神宝の個々の要点
 次に十種神宝一つ一つについて、大体の要点を示します。
息津鏡 の於伎津は宇美母登、古母里、都久ということで、世の中に生きとし生けるものの、なり出るその生のもとの根を訪ねると造化大神である。さてその造化大神というのは、天之御中主神、高皇産巣日神、神産巣日神の三神を始め、十二柱の大神達の御靈をすべて齋いこめた詞にして、於伎は以伎とも通い天下のあらゆるものの本、天之御中主神の以伎都久御加々美なり。
辺津鏡 部都加々美と読む。この本言は日根・都久・鏡という意味なり。これは高皇産巣日神の日根、則ち靈を都介玉える御鏡なり。
八握劔 屋都加乃都留伎と読む。この本言は敬手・爾伎留・頭の劔ということにして、神産巣日神の靈代なり。
生 玉 伊久留・多麻と読む。この本言は宇古伎・古母留という意味なり。物の動き活く生靈をこめたるということにして、宇麻志阿志訶備彦遅神の靈代なり。
死反玉 この本言は麻以伎・須麻里・伎日・都久・根・世里ということにして、則ちこの身の麻以伎・加禮牟とするのを反しつくる玉という義にして、天之常立神の靈代なり。
足 玉 多留・多麻と読む。この本言は手麻・波留という義なり。天神の御心のままに御靈の恩頼をかかふるを多留というなり。
国之常立神、豊雲野神の靈をこめたるなり。
道反玉 知加倍志乃多万と読む。この本言は知は多万志比の切りにして、加依志は先の死反の所でいった様に、行かむとするのを引き留めるの意にして、先の死反というのは麻加里なむとするのを引き止めるとある。諸々の禍物に取り枯らされ、その魂が黄泉道に引かれるのを止め反す御功徳のある玉にして、宇比遅邇神、須比遅邇神の靈代をこめたるなり。
蛇比禮 遠呂知乃比禮と読む。この本言は宇里古・以呂都久・登保里といえる語なり。すべて鱗のあるものを司る神なり。紀にも佐備持などありて須佐比・安良布留の類、その遠呂知の類を鎮める為の比禮なり。これは角杙神、活杙神の靈代にして大気をこめ給える神なり。
蜂比禮 波知乃比禮と読む。波里・登乎志ということなり。この虫は尻に針ありて刺し登乎須虫なり。古事記黄泉の条りに蜂の室あり。大戸之遅神、大戸之弁神の靈を齋いこめし比禮なり。
品々物比禮 志奈志奈母乃乃比禮と読む。この本言は志奈里ということにて、級津彦・級津姫二神の靈をこめたる比禮にして、諸々の禍事あらむには吹き払う御力をこめ、殊に面足神、綾惶根神の二柱神の靈をこめたるなり。

   



                古事記「絵で見る解説文」

古事記 絵で見る解説文

I伊邪那岐はおそろしさのあまり…
  ―― I挿絵の説明 ――
 死んで腐り果てた伊邪那美の神と雷神たちの有様を見た伊邪那岐の神は、恐ろしさのあまり後も見ずに逃げ出しました。
 女神(伊邪那美の神)は男神(伊邪那岐の神)が約束を破ったことを知って、
「よくも私の醜い姿を見ましたね」と叫ぶなり、手下の女鬼たちに命じて男神(伊邪那岐の神)を追わせました。

*見てはいけない、というのに見てしまって事件になるのは、ギリシアやアフリカの神話など、世界各地に見ることが出来ます。
 日本の童話もこの話から始まったのか、このパターンが多く見られます。
 …してはいけない、と言われれば言われるほどやってみたくなる、やってしまう、という人間の本質のようなものを教えているのかも知れません。
 そして行動の後は無責任に逃げてしまう、というのは現代の男性にも共通しているのでしょうか。
 女性には、
「そういう男性に気を付けなさい」
 男性には、
「そうした、みっともないことをしないように」と戒めているのかも知れません。

 
                                                         
 



   独立百十年大祭に向けて

神洲太鼓教会  小路 美保 さん(しょう じ  みお)  北九州市八幡西区


 「太鼓の音魂にのせて独立百十年の式年大祭を盛り上げよう」と、神洲太鼓教会の信徒さんたちは、昨年十一月から練習に励んでいます。その指導に当たっているのが小路美保さんです。

 小路さんと太鼓の出会いは、故郷の山口県宇部市で建築会社を経営していたお父さんが、作業の安全祈願と若い人たちの交流の場にするために太鼓の音魂を神社に奉納したときでした。「父は宮大工をしていましたので、仕事柄だけでなく精神的なバックボーンとしての信仰を大切にしています。
石川県の加賀太鼓の勇壮な音色に触発されて、独自の太鼓チームを編成して近辺の神社に奉納して歩いていました」と、幼い小路さんも太鼓の音色に魅せられ、自分もばちを握りはじめたそうです。
 平成十三年に北九州市八幡西区にて、お父さんの気持ちを受け継いで、布教活動の一環として太鼓を取り入れようと神洲太鼓教会八幡分教会を設立し、同年八月に太鼓の教室を開きました。
 現在、教室の生徒さんは幼稚園児、小学生を含めて約五十人。

「主婦、OL、整体の先生と職業はいろいろ。高齢者や体の不自由な方もいます。一人ひとりが個性的で、わたしの指導は、個性を見つけて、自分を表現できる場にすることです」
 なかには自閉症気味の若い男性が、太鼓の音が自分にはね帰ってくると熱中して、自閉症を克服、指導者になりたいという希望を抱くようになったそうです。
「太鼓を通して自分の生きる道を見つけてくれたことがうれしいですね」と、いつも笑顔を絶やさない小路さん。女性には、有酸素運動になり、ダイエットにも効果があるそうです。
 たしかに全身を使って打ち出す音色は、聴く人のお腹の底に響いてきます。合奏ともなると勇壮そのもの。小柄な小路さんをはじめメンバーの、エネルギッシュな躍動感は必見です。今では各種のイベントやコンサート、お祭りにひっぱりだことか。また、本院の大祭や成人・寿祭でも演奏しました。

 「わたし自身未熟なので、毎日の練習で切磋琢磨しています。あの天の岩戸が開いたときの天照大神の光をいただいた喜びを、とどろく音魂に表現したいと考えています。そのなかで神のお陰をいただいた感謝の気持ちを込められたらいいですね。それがわたしの神への使命だと思います」
 四月の式年大祭では、四尺の大太鼓、長胴太鼓八台、桶太鼓三台、締太鼓二台の編成で、三十人がこの日のためのオリジナル演目五曲を、境内の特設ステージで披露します。




              地方特派員だより  「良く姉妹での奉仕」

                                             名古屋大教会 岩押  頼子

亀岡美栄さん(右)・秋沢郷美さん(左)

 
お姉さんの亀岡美栄さん(七十四才)と妹の秋沢郷美さん(七十一才)は、教会
の大祭だけでなく祭事にはいつも仲良く出席されます。
 最初に教会とご縁が始まったのは、亀岡さんでした。

 ご長男の体調の悪い時期があり、普通の病からではない事を感じて、人から
評判を聞いたり、勧められたりして良いと思えばそこを訪ねるということの繰り返し
でした。
 なにか道が開かないかと暗中模索の日々でしたが、昭和五十八年に、ご長男が
知人から神理教名古屋大教会の事を教えられ、親子で訪れたのです。
 そこで横江初恵教会長に相談し、道を開いていただく事ができました。その後息子
さんは体調も良くなり仕事に専念でき、数年後には本院の講習会を受け、教師を拝命するまでになりました。

 一年後、やはり色々感じやすい体質のため苦しんでいた妹の秋沢さんも、お姉さんに勧められて教会を訪れるよう
になり、教会長との会話の中から解決の糸口を見つける事ができました。
 「尊敬できる立派な教会長に出会ったお陰で、色々な障害や困難な事が起きた時に相談して、その都度的確な教えを
いただき道が開いてきました。

 日々への感謝の心を込めてお参りし、教会の祭事の奉仕をさせていただく事が一番のお返しと思っています。無理を
せずに、自分のできる範囲でさせていただく事を心がけています」と亀岡さん。
 「横江教会長との出会いがなければ、今の私はありません。その感謝の思いを込めて、体の元気な限り教会へのお
参りや、自分のできる奉仕を続けたいと思っています」と秋沢さん。
 教会では、大祭の二日前に「旗揚げの日」として準備の日、そして大祭の次の日は「御閉扉」と後片付けがあり、有志の
方々が奉仕されます。その両日共に約十五年もの間、お二人揃って奉仕を続けてくださっています。
 「力仕事はできないですし、若い方達のようにてきぱきと動く事もできませんが、自分たちのできる事が有るはずだから
との思いで続けさせていただいています」とお二人は話されますが、気負うことのない思いが奉仕を長く続けられる秘訣
なのでしょう。
 また月例祭の後は、教師達が着替えで慌ただしくしている時に、供物の後片付けや直会のお手伝いをしてくださいます。
 亀岡さんは、洋裁学校を出た二十一才から六十六才まで洋裁の仕事を続け、今は現役を退いてはいますが、古くから
お付き合いがある方から依頼された時は仕立てており、教会長の服を仕立てる事もあります。
 秋沢さんは、健康に気を付け楽しく過ごす事を心がけていると言われるだけあって、体に良い食べ物や健康食品には
とても博学です。
 そのようなお二人の経験からの話題や、ご出身が高知県ということもあり、直会の時は食べ物や風習の違いの話題で
楽しませていただいています。
 お好きな事を聞きますと、お二人とも健康に感謝してお参りし、奉仕する事と、笑顔で答えられます。感謝をすることが喜び
につながっているのだと、お二人を見てあらためて感じる事ができます。
 今までに何度か、本院の大祭時に帰院していますが、この春の大祭には二人揃って帰院を予定しているので、それが今の
一番の楽しみとの事です。    



本院職員紹介

まつ い み ゆき
松井 美幸さん

 今回、ご紹介するのは本院の三人娘の一人、松井美幸さんです。
(ちなみに三人娘とは、上村さん、園田さん、松井さんのことです。三人娘は神理雑誌の表紙を飾った
こともあります。残念ながら後ろ姿でしたが)
 松井さんの仕事は経理の補佐。上村さんの下で、毎日の伝票や領収書の整理などを行っています。
 松井さんは田川の出身で、結婚して北九州市に住むようになりました。そんな松井さんと神理教との
ご縁が始まったのは平成九年。仕事を辞めて三カ月ほど家にいた時、友達から紹介された仕事が、
たまたま本院の事務だったのです。
「子育ても一段落したし、徳力なら近くていいなと思って」と、松井さん。でも、神理教で働き始めて、
すぐに驚くことになります。
「下の子どもが生まれてまもなく守恒(小倉南区、徳力の近所)の方へ引っ越してきたので、神理幼稚園
のことは知っていました。でも、神理教がこんなに素晴らしい歴史ある所とは、実際にこちらで働くように
なって初めて分かりましたね」
 幼い頃から松井さんは、同居していたお祖父様、お祖母様が手を合わせる姿をいつも目にしていたといいます。そのため、松井さんにとって
手を合わせるのは自然なことだったとか。
「実家も嫁ぎ先も仏教ですが、神理教へ来ても全く違和感はありませんでした。やはり、ご縁があったんでしょうね。それに、私にはこの仕事
が合っていると思います。独身時代も含めて、ここでのお勤めが一番長いんですから」とニッコリ。
 自称「脳天気」という松井さんですが、その明るいキャラクターは今や本院になくてはならない存在!と言ってもいいのではないでしょうか。
「楽しく仕事ができるのも、上村さんと園田さんという素晴らしい先輩のおかげです。他の皆さんにも助けていただいています。ありがたい
ことです」と、周囲への感謝も忘れません。
 松井さんいわく、「この仕事はモノを売るわけではありません。気持ちと気持ちで向き合うことが大切です。それだけに、心の勉強に
なりますね」。神理教での仕事を通して、学ぶことも多いようです。

 今年は独立百十周年の記念大祭を控えています。松井さんは奉進帳と掲載の担当です。
「掲載については、間違いのないようにと何度もチェックしているつもりですが、それでもたまにミスがあります。皆様には本当に申し訳
ないと思っています。お許しください。奉進帳の方も大変だとは思いますが、どうぞよろしくお願いします」
 初めて経験する記念大祭を前に、さすがに(自称!)「脳天気」の松井さんも不安になることがあるとか。

「帰院される皆さんの受け入れ態勢がスムーズにいって、何事もなく無事に終わって欲しいですね。どれくらいの方が帰院される
のか、まだ分かりませんが、きっと今回の記念大祭を心待ちにされている方もたくさんいらっしゃるでしょう。上村さんに教えていただき
ながら、自分の役目を精一杯果たしたいと思います」
 最後に、「神理教には素晴らしい歴史があります。これから、ますます発展していただきたいですね。若い先生方、頑張ってください!」
と、次代を担う皆さんへの力強いエールで締めくくってくださいました。



総代ご紹介

向って左、安部栄一さん。右、村上政治さん
村上 政治さん(61歳)
むか い とし ゆき
北九州市小倉南区田原
 村上政治さんは昨年十一月に総代になったばかり。会社を定年退職し、
時間的に余裕ができたこともあって、「それなら」と総代になったそうです。
「田原地区には陣博先生という立派な総代がいらっしゃいますが、地域や
町内の役目が多忙で、何か私にできることがあればお手伝いしようと
思ったんです」
 こうして、陣先生、井上雄文さんに続く三人目の総代が田原地区に誕生
しました。
 総代として、昨年暮れに本院で行われた門松立てに初めて参加した村上さん。
「皆さん、よく動かれるので感心しました」と言いながらも、先輩の皆さんから
指導を受け、一緒に心地よい汗を流していました。(この日は本当に寒かった
のですが、作業に精を出す皆さんの熱気で、いつしか寒風も吹き飛んでいったようです。)
 村上さんの家は代々、神理教。それも、神理教の教信徒が多い「田原」という町に生まれ育った村上さんが、自分の時間を持て
るようになった時、本人いわく「いきなり総代になった」ことも、実は案外、自然なことだったのかもしれません。
「陣先生と井上さんと相談しながら、いろいろなことを勉強している最中です。私の場合、身近に大先輩がいますからね。本当に
心強いです。今、三班を預かっていますが、年配の方が多く、何かと協力して下さるので助かります。総代といっても、逆に皆さんから
教えられることばかり。最近、ようやく時間ができたので、『これを読んだらいいよ』とすすめていただいた神理教の本を、今、読んで
います」と、あくまでも謙虚です。
 地域の皆さんに助けられながら、新総代としての勉強に励む村上さんの真摯な姿が目に浮かびます。
「総代として皆さんのお宅を回って改めて気づいたのは、神理教というだけで信用していただけるということです。やはり神理教は
すごいなぁと思いますね。まだまだ分からないこともたくさんありますが、そんな時は納得いくまで先輩方に質問するようにしています。
今年は独立百十周年という記念すべき年です。何も分かりませんが、記念大祭では縁の下の力持ちとしてご奉仕できればと思って
います」

安部 栄一さん(45歳)
北九州市小倉南区高野
 昨年五月、総代だったお父様が亡くなり、その跡を継ぐ形で総代に就任した安部栄一さん。「父の任期は、まだ一年半近く残って
いました。以前から、父が会合や行事に出られない時は総代代理を務めていたこともあり、また世話人の方から続けていくように
勧められ、じゃあ、父の任期が終わるまでは総代を引き受けようということになったんです。昨年の祖霊祭の時に辞令をいただきました」
 安部さんは、総代代理をしながら青年部(現在は「北九州神理の会」)にも入っていましたが、総代になったのを機に、今は総代の仕事
に専念しています。ちなみに、年末の門松立てにはこれまでも参加していたというだけあって、雪が舞う中、きびきびと動いていた姿が
印象的でした。
「青年部でいろいろ奉仕させていただき、総代代理もやってきて、そのままスライドして総代になったので、総代の仕事についてはい
くらか分かっているつもりです。その点、助かりますね」
 総代になった今、青年部での経験が大いに役に立っているようです。
 安部さんは神理幼稚園の出身です。お母様も婦人会に入っているという、神理教とは深いご縁のある家庭に育ちました。そんな
安部さんにとって神理教は子どもの頃から「ごく当たり前」の存在だったとか。
『神理教とご縁があって良かったと思うことは?』という質問に、
「神理教は自分にとってあまりにも自然すぎて、どう答えていいのか…、難しいですね」と苦笑する安部さん。なるほど、もの心ついた
時から、いつも神理教がそばにあったということでしょう。
 そういえば、通勤途中の乗り物の中での愛読書は、この神理雑誌だそうです。ありがとうございます。
「百十周年の記念大祭にどんな役が回ってくるのか、まだ分かりません。大祭時は炊事係なので、もしかして茶碗を洗っているだけ
かも(笑)。今から楽しみですね」
 最後に、安部さんからこんなメッセージをいただきました。
「皆さん、神理の会に入ってください!一人でも多くの方の入会を、よろしくお願いします」




門松立て

 十二月二十日(土)、 まもなく迎えるお正月を前に、地元の総代・世話人・北九州神理の会の皆さんによる、恒例
の門松立てが行われました。この日は寒さが厳しく、朝から雪が舞っていましたが、午前九時の作業開始時には
二十九名もの皆さんが集合。手際良く作業が進められ、やがて二対の立派な門松が完成しました。



@毎年、合馬や掘越、蜷田まで竹を取りに行っていましたが、今回は本院の徳力山の竹を使うことに。
午前九時。早速、徳力山に入り、使えそうな竹を選んで切り倒していきます。結構、太くて大きな竹が
ありました。
A切った竹を次々と山から下ろし、本院まで運びます。太いものはかなりの重さですが、中には竹を
軽トラックには乗せず、そのまま本院まで歩いて運ぶ偉丈夫も。
B本院の境内にずらりと並べられた竹。独立百十周年を迎える本院の新年を飾る門松にふさわしい、
見事な竹ばかりです。
C凍えるような寒さの中、門松の中心部に使う竹を水できれいに洗っていきます。
D洗い終わった竹を、次に斜めに切っていきます。この作業が、なかなか大変。三本の切り口が
きれいに揃うように、専用の道具を使って角度を微妙に調整しながらカットしていくのです。
Eカットし終わったら、今度は断面を一本一本丁寧に磨いていきます。
Fその一方で、囲いの部分を作る作業が進められています。まず、何本もの竹を同じ長さに切り揃えて
いきます。
G次に、それらを四つ割、六つ割というように、小さく割っていきます。
H割った竹を針金で編み上げます。これは数人の共同作業。四本の針金をピンと張って、その間に
竹をはさみ込み、専用の道具で針金をひねりながら上手に編んでいきます。さすが、皆さんの息は
ピッタリです。
I組み立て、土を入れ、きれいに飾りつけをして、門松の完成です。二対の門松が、正門前と大教殿の
両側に立派に立ちました。皆さん、寒い中、本当にご苦労さまでした。



肥後の国 大津教会より『しめ縄奉納』
十二月七日
熊本県菊池郡大津町大津・神理教大津教会主管者 三池 トキワ教正
 教信徒、青年部による『しめ縄』奉納当日七名が新玉の年平成十六年
を前に、教祖殿造化神宮に肥後米の稲穂の香りもほのかに飾りつけ。
 一年間参拝者の心を和ませる事でしょう。

 十二月十四日(日)故三池博教正(熊本県)一年祭執行当日本院より
渡辺課長奉仕
 十二月二十日(土)本院総代世話人(神理の会)恒例の門松立奉仕が
行われた。正門と大教殿に本院の竹林より切り出した真新しい新竹が
見事に完成、初詣での皆様には記念撮影のバックに御利用願えれば
光栄です。『総・世・神一同』
 十二月三十一日午後四時より七月より十二月下月の各家庭の
神符・神具を持ちより焼納祭執行。祭主渡辺教正。


                             あ  と  が  き

 
 大元稲荷大神は神理教本院境内の、徳力山上に御鎮祭されています。
 この大元稲荷大神は、教祖様の父君経勝翁が、江戸時代末の文化年間に、自ら伊勢に御参宮になり、
伊勢の外宮より直接に御勧請され、巫部家の守護神として奉斎されたものです。現在の徳力山上へ
遷座されたのは昭和六年頃のことであり、それ以前は明治十三年七月に神理教会を開設された記念に、
神成園が作られ、そこに奉祀されていました。その後、境内が次第に整備されて行くなかで徳力山上への
御勧請の声が高まり、熱心な崇敬者の奉仕によって敷地工事がなされ、神殿や拝殿の新築や鳥居の建立
がなされたのです。無事に完成したその年に、第二代管長様斎主のもと盛大な遷座大祭が執行されたと
記録されています。
 また、御勧請については次のようなお話も伝えられています。
 ある夜のこと「我れは外宮なり、何をぐづぐつしているか、早く迎えに来ないか、我は将来を思い、巫部家を
守護するものなり」という夢を経勝翁は見られたと言うことです。この夢を見られた経勝翁は、日頃から巫部家は、
饒速日命が天照皇大神より十種の神宝を授かり、救済安民の神術を教えられた事によって始まり、この御教えを
本義として代々信奉され、伊美岐連命の時に全国に疫病が蔓延し、天皇の命をうけて弓矢諸国を巡り、最後に
九州にとどまり豊前国規矩河上大嘗山(現在の徳力)に天在諸神を奉斎し、万民の信仰の大元とされた聖地が
造化神社の建立されてある所であります。造化神社は天在諸神、天照皇大神をも奉齋されてあるので、伊勢神宮に
神習い奉り、外宮様を祭るべきである。そして巫部家に伝えられてある神術の法を明らかにしなければならないと
日頃から、そのようなことを念頭に置いていたので、その錯覚ではないかと、このように考えていたところ、またその
次の晩も同じ事を夢に見られたので、これはまさしくお告げであると悟られ、一切の手筈を整えて出発されたのでした。
長い道中を経てようやく伊勢にご到着、うやうやうしく参拝し御歓請の旨を申し出られ、お神楽を奉納され御分霊を
奉持され、早速帰途につかれたのであります。外宮から直接御分霊を頂くという事は容易ならざることであると
承っております。
 帰られると直ぐに、近郷の人々を招き、氏神様の八旗八幡神社の宮司にお願いして、準備してあった神殿に御鎮座
申し上げたのであります。こうして敬うべきものは敬い、祭るべきものは祭る道がたったのであります。そして大御名
を大元稲荷大神と称え奉られたのが、そもそもの始まりであります。
 初午祭は九日十一時より執行されます。おそろいでご参拝ください。

                                   (誠)