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平成16年1月号 第1079号

        


巻  頭 の こ と ば


人生は、さまざまな人との出会い、
すなわち「縁」によって出来上がっていきます。
良い縁もあり、悪い縁もあります。
皆だれも、良い縁を望み、
幸せになりたいと思っています。
良い縁は、神様によって導かれてくるのです。
自分を磨き、少しでも光り輝くようにする姿勢に、
神様は良い縁を与えて下さるのです。


                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
      かみ  おや  めぐみ
   神と祖の 恩恵あればと 思ふ其の
            こころ  めぐみ  そ   ま
           心に恩恵 添い増さるらむ

 平成十六年の新春を、まずは恙なく迎える事となりました。内外ともに世情のきびしさが尾を引いていますが、国内の景気については、低迷からの脱出傾向が、数字の上では見られるとの事でありますし、気分を持ち直しての前進に心掛けたいと考えます。
 本年は本教独立壱百壱拾年という節目の年に当ります。十年一昔!と言われた時代がありましたが、仮にそうとしても、独立運動が展開された当時の生活環境は、現代を生きる我々の想像を絶して、はるかに貧困・不便利であったに相違ないと思われます。
 従って、ご教祖を始めとする先人達の労苦と難儀も、それを克服するための苦心や努力も、並大抵のものではなかったはずでありますし、それだけに独立認可!という成果を得た時の感激や歓喜も、我々の推測を越えて絶大であった!と拝察されます。
 我々は、その独立後も含めての先人・先祖の苦心・努力の御陰で、神理教の信仰に結び付いて心安らぐ時を戴いている訳で、その基本的で具体的な一つの在り方として、神恩・祖恩あればこその只今!という受け止め方の中での生活をしていると申せます。
 しかしながら、その神恩・祖恩について、切実に感じさせられる機会は決して多いとは申しがたく、真摯に考える時間を持つ事は寧ろ少ないと言えそうであります。忙しさに追われがちな日常生活の中にあっては、やむを得ぬ所とせねばならぬ様であります。
 それにしても、神恩・祖恩を忘れては、健全な生活が保持でき難い事に気付かねばならぬと思われます。苦あれば楽ありと言われていますが、先祖・先人の「苦」が我々の「楽」に結び付いて、我々の生活の基底をささえている、と申せるからであります。
 式年大祭や我が家の霊祭を機に、先人や先祖の労苦を具体的に考察して感謝を新たにする事が望まれますし、現在の「苦」を克服する事が、我々自身だけではなく、子孫や後人の「楽」に結び付く事にも考え及んで、当面の困難を打開する気持ちを強め、御神護を仰いで勇を鼓しつつ、少しでも明るい前途を開拓することに努め合いたいものと考えます。 


  新 年 を 迎 え て

総監  郷 原   昇

 新年の賀詞、謹んで申し述べます。昨年春季大祭以降、今春の百十年式年祝念大祭を執り行うに当たり、本院、大教庁挙げて計画を練り、疎漏の無いように万全を期したいと会議を重ねてまいりました。若い人達(教師、信徒)の熱意は一人でも多くの人達が此の神域に足を運んでいただく為にも、日曜日、祭日に当てられてはとの提案があり、今度の三ヵ日の祭日に、その日曜をとの希望が実現する事になりました。
幸い最初の十六日が本教由縁の日である事も幸いしました。
 教祖様誕生、昇天共に十六日である事は皆様衆知の事実であります。尚、教派神道十三派の一派として終戦まで続いた歴史、真の政府公認の経過と教祖様のほとばしる情熱と努力を拝察すると、明治十三年神理教会開設とその後の、神官、教導職の分離、或いは統合といった政府の宗教政策故の公認にむけての御苦心は到底忘れぬ事の出来ない無実であってそれが公認、一教団として教師を養成し、宗教活動が出来る事が成った事は、大変な慶事であり、それだけに独立の言葉の響きは現今でも新鮮なのです。

公認にむけての歩みは管長様を始め先人各位の文章で理解出来ますが、特に本教(モトツオシエ)という高揚した意識の中には計り知れぬ教祖様の人類救済の思いと共に、二十一才の時著わされた「天津皇産巣日考」で人は神の使命を受けて生れ出た霊止、霊跡であるとの教示が後々当時の皇典講究所の設立にも力を尽くした井上頼 を始め神道関係者に強烈な印象を与えたものと考えられます。
特に明治十五年には教書天覧という光栄に浴しました事は信徒にとって大変な喜びであったと教祖様の言行録にも記さいされています。
 教祖様の独立公認にむけての行動は詳細に御日誌に残されてあり、明治二十二年東京滞在中の千代田日誌には「神使経彦は云々」という文字がしばしば出てまいります事からも、己れの使命を大変な勢いで示されたものと思われます。此の日誌が書かれた歳から六年後の歳、教祖様六十一歳の還暦の時に政府の認可がありました。
その後、假教殿建設、そして大教殿造営(大正八年)となり、諸施設の構えを経て今日に至りました。
 大教殿広間に坐して往時の事を考え、只今の私達教え子の為す事は、一途に布教を強める事が報恩であると反省しつつ、此の稿を書いてまいりました。
私達は百十年という式年大祭に接する有難い御縁を頂いた事に意義を見つけたいものです。
 神様の縁を頂く事は決して偶然ではなく神の計らいであります。手を差し伸べられたその神の手を握る、それが縁でもあります。
 それは教義からも理解出来る事で、ここから新しい出発をせよとの教えでもあります。地位も名誉も何も彼もが神のもとでは平等である、その神のみもとに前ツラナル事で一切清浄のおかげを受け帰り、先祖、私、そして子孫への繁栄を確たるものにして頂きたいと思います。
 晴れやかな思いで聖地徳力本院へお揃いでお参り下さい。


                  

H.16. 1月号

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)

(しょ)(しん)への返り(かた)

 

 (あたら)しい(とし)(むか)え、(こころ)(あら)たにお()ごしのことと(はい)(さつ)します。

 (さく)(ねん)のことはどうあれ、「よし、もう(いち)()(はじ)めからやって()こう」とか「(いち)からやり(なお)そう」という()()ちになれる時期(じき)ですから、この(さい)初心(しょしん)とは(なに)かについて(かんが)えてみました。

(しょ)(しん)帰る”という(こと)()は、(がく)(せい)(しゃ)(かい)(なか)()()りをしたときにはとても新鮮(しんせん)(かん)じるものの、社会(しゃかい)生活(せいかつ)うん十年(じゅうねん)、人によっては数ヶ月で(こころ)実際(じっさい)とが(はな)れてくるもののようです。

初心(しょしん)(かえ)るぞ!」と(まい)(とし)(こころ)(おも)(くち)にしても、(こころ)(からだ)()()もった(おも)習慣(しゅうかん)は、なかなか()()けて()(ぶん)()つめるまでになれないものです。

 

 (さい)(きん)、ある(ほん)(きょう)(きょう)()(はな)していて、

本院(ほんいん)先生(せんせい)(さい)(しき)などで(しょ)(しん)帰ることの(たい)(せつ)さを(はな)しますが、(さい)(しき)では(しょ)(しん)(かえ)ったとしても、(きょう)()(きょう)(だん)(なか)でのあり(かた)()(せい)(かつ)では()(もん)(ひと)もいますね」ということを()いて、はたと(かんが)えてしまいました。

 (さい)(しき)(おし)えるときには『(しょ)(しん)(かえ)って』と(おし)えても、その(おし)えが()(ぶん)()(しん)(せい)(かつ)(はん)(えい)していないではないか、と()うのです。

 (きょう)(しょ)()()(だつ)()をそのままにしたり、()(もつ)(はん)(にゅう)などの(ひつ)(よう)がないのに(しん)(ぜん)(くるま)()()れたり、()なりを(ととの)えずに(しん)(ぜん)()かったり、祝詞(のりと)祭式(さいしき)のスピードが(はや)すぎたりなど、(じゅく)(れん)(しゃ)にありがちです。

 ()(ぶん)では(いっ)(しょう)(けん)(めい)にしているつもりでも、その(とく)(しり)から()けていることに()づくことが()()ません。

 (しょ)(しん)(かえ)れば、ありえない(おこた)りを(おか)していることがよくあります。

 (れい)によってまず()(ぶん)(しゅう)()()(まわ)して()てはまる(ひと)はと(さが)し、(つぎ)にそれは()くないことだと()(ぶん)(はん)(せい)するのですが、(かんが)えると()(あせ)()(おも)いがします。

 (せい)(かつ)(しん)(こう)とは(ほん)(らい)()(はな)せないものですが、(せっ)(きょく)(てき)(しん)(こう)をしようとするとき(かたち)から(はい)るか(こころ)から(はい)るか、(みな)(さま)はどちらでしょうか。

(いっ)(ぱん)(かたち)からの(ほう)が、(こころ)(くら)べると()にも()えるし(かず)(かぎ)られているから(はい)りやすいものですが、(かたち)にこだわると(こころ)(わす)れることがあります。(こころ)から(はい)ったとしてもその(ひろ)さと()()(かた)(ちが)いもあり、()()けば(また)(こころ)(わす)れるし(かたち)もなせない、ということになることがあります。

 

 (あたら)しい(しょく)()(はい)った(とき)(じゃっ)(かん)()(あん)もあるでしょうが、それに(まさ)()(ぼう)()(たい)()って()(ごと)(のぞ)むものです。

 (さい)(しょ)(いっ)(しょう)(けん)(めい)()()むものですから、アイディアも()るし(まわ)りの(ひと)(ひょう)(ばん)()く、(しょく)()(あたら)しい(かぜ)として(しゅう)()(ひと)(こころ)(あたら)しくします。

 それが段々(だんだん)仕事(しごと)にも()れ、(しゅう)()(ひと)(のう)(りょく)などがつかめてくると、『この(あた)りまでで()いのでは』とか『ここまで(おこな)えば(じゅう)(ぶん)』という(こころ)()()えます。

 ()(ぶん)(しゅう)()(ひと)のことが()えているつもりが、(しゅう)()(ひと)()(ぶん)のその(こころ)()られていた、ということがあるものです。

 そうなると、もしそのことを()(てき)されても(こころ)()(ぶん)()かず、

(だれ)()った?」とか「(きゅう)()()げて(いただ)いてもかまいません」などと、()(なお)たように()()れる(こと)()(くち)をつくことになります。「()ってもしょうがない」とか「どうせするのでしょうから」などと、()げやりな(こと)()()ると、()(ぜん)(あん)()()(りょく)()せません。

 (しょく)()(つね)(しん)()(へん)(かく)するものですが、(さい)(しょ)はその(ちゅう)(しん)にいたものが(だんだん)々と(ちゅうしん)心を(はず)れ、()()けば()(がい)する(がわ)にいることになります。

(しょ)(しん)(かえ)ることが()()ないと()(そく)()(まん)(こころ)()き、そうなればその(こころ)()(ぶん)(こころ)(からだ)(こう)(そく)して(ほん)(らい)(ちから)()せず、(しゅう)()にも(みと)められなくなります。

()(ぶん)にその()がなくとも、()(ごと)(ない)(よう)やお(きゃく)満足(まんぞく)よりも終業(しゅうぎょう)時間(じかん)(ほう)()になり、職場(しょくば)雰囲気(ふんいき)(そこ)なうことになります。

 

(しょ)(しん)(かえ)る、ということは(たい)(せつ)なことですが、ではどうすれば(しょ)(しん)(かえ)ることが()()るのでしょうか

 また、(しょ)(しん)(かえ)れないのは、(なに)()りないのでしょうか。

 その()(まわ)りを()(わた)せば、まだまだこの()()()てたものではなく、たくさんの()()らしい(ひと)がいます。

 (もの)やお(かね)(たい)(せつ)ですが、もっと(おお)きな()(しょく)()()(なか)()ている(ひと)(かなら)ずいるものです。

 (もの)やお(かね)限定(げんてい)すれば、(ひと)()()(はん)()(とお)くや(ちか)くを()(かく)(けん)(とう)する損得(そんとく)(のう)(りょく)(ちが)いはあるのでしょうが、そうしたものとは(しつ)(ちが)()(かた)をする(ひと)がいるものです。

 (てき)()(もの)やお(かね)で、その(ひと)にしか()られぬその(ひと)なりの()(ふく)(たの)しんでいる(ひと)()(ぶん)(ちから)()つけられると、()(てん)()えた(しょ)(しん)()られるのではないでしょうか。

 (ひっ)(しゃ)(きょう)(ない)での(かつ)(どう)(しゃ)(かい)(ほう)()(つう)じて、たくさんの素晴(すば)らしい(ひと)()つけました。

 

 (さい)(きん)(けい)(ざい)(じょう)()(ぐみ)とか()(ぐみ)という(いろ)()けがあるようで、あまり(じょう)(ひん)(かん)じませんが、(じん)(せい)(うえ)でも(おな)じように(かん)じることがあります。

 (しん)()(きょう)関係者(かんけいしゃ)方々(かたがた)には自分(じぶん)意識(いしき)しないまでも、いわゆる()(ぐみ)(ひと)(おお)いように(おも)うのは(ひっ)(しゃ)だけでしょうか。

 (じん)(せい)(すべ)てがいわゆる()ちではないにしても、(よろこ)びや(かん)(しゃ)(つね)(こころ)のどこかに()てている、というのは()()らしいことです。

「お(かげ)で…」とか「()(がた)いことに…」という(こと)()が、(かい)()(はし)(ばし)()てくるということは()(まん)()(そく)(せい)(はん)(たい)で、()(ぶん)()てる(ちから)(おお)きく()ばしているのです。

 (しょ)(しん)(かえ)ることを(おし)えるたくさんの()(きょう)()()(うた)の中に、

やがてまた (はる)(さか)えむ 橿(かし)()の  (まる)きは(しげ)る (はじ)めなりけり  ((もの)()(ひゃく)(しゅ)

(いま)(ふゆ)(ちぢ)こまっているようであっても、(はる)になれば(おお)きく(えだ)()ばして(さか)える橿(かし)()()のように、(こころ)(まる)さを()っていれば、(かなら)()(しげ)るようにその(ひと)(いえ)(さか)えるのである)があります。

(もの)()”の意味(いみ)は“なになにするものは”であり、この(ひゃく)(しゅ)(なか)には“ものは”という(こと)()(おお)使(つか)っていたからではないかと(すい)(さつ)します。

 (まる)き=(まる)い、というのは(やさ)しさや(じゅう)(なん)(せい)(あらわ)(こと)()で、そうし(こころ)(わす)れずに(もの)(ごと)(せっ)したり(まわ)りを()(まわ)しなさい、と(おし)えているのです。

 

 (さい)(しき)()(なお)()()いたり(はぶ)いたりぞんざいになっているところがないかを()(なお)すことは、()(ぶん)(こころ)()(なお)すことにもなります。

 (さい)(しき)とは決して(きょう)()だけのものではありません。

 ()(ぶん)()(かん)使(つか)って(いえ)(かみ)(だな)(ととの)えて()()わせること(さい)(しき)ですし、それはお(はか)(うじ)(がみ)(さま)(きょう)(かい)(ほん)(いん)(さん)(ぱい)するのも(おな)じことです。

 今年(ことし)()(だん)(さん)(ぱい)(こう)(しゅう)(かい)使(つか)わせて(いただ)き、その(おり)(おり)(たい)(せつ)()ごし、ご()(ぶん)()(なお)(しょ)(しん)(かえ)(すべ)として(いただ)ければ(さいわ)いです。



    

            管長様が解説する御教祖の御歌   『人道百首』より

       飲み食ひの ことのみ多く する人は

          遂には飲みも 食ひもしられず


  日米貿易摩擦が次から次へと続く中で、目下の最も大きな問題の一つに『米』が挙げられており、その輸入の可否については国内の議論も極めて騒々しくなっております。
 自由貿易という立場からすれば不公平!!と強調する米国の言い分については、いかが?と感じられる点もないではありません。 
 それは、米国の国是なのかもしれませんが、農家の思い通りにさせるということで生産過剰を招いているのではなかろうか?と思われる点であります。
 鉄鋼や自動車など、摩擦が問題化する度に、わが国では生産調整や輸出規制を実施してきた訳でありますし、米国側も、そうした配慮をするのが当然ではないでしょうか。
 戦勝国アメリカに対する敗戦国日本は、奇跡的と驚嘆される復興の途をたどり、その後の大きな経済的変動をも乗り切り、経済大国と言われることになりました。

 こうした状況変化の下では、いささか不当な言い分についても妥協がなされねばならぬと申せますし、そうすることが望ましいのではありますまいか。
 それにしても、米国が債権国から転じて債務国と言われるまでになったのは、覇権をかけた莫大な支出と共に、国内消費の増大も原因しているように考えられます。
 冒頭の御教歌は『飲み食い』という表現を『消費』に置きかえることで理解すべきものと申せます。分限を越えた消費を戒められたものと受け止められます。
 もっとも、御教祖は医学をおさめられておりますので、この点からは、いわゆる美食の弊害を戒められたものでもあると考えられます。
 仮に、御教歌が美食の戒めに重点を置いたものであるとしても、動き働くことの肝要な点を教示されたものと解すべきは、無論のところであります。 
 われわれの体は、動き働くために不可欠な機能を備え持っていると申せますし、飲み食いだけのためであれば、これほどの機能は不用と言えそうであります。
 もし、飲み食いだけでこと足れり!!とすれば、いわゆる平均寿命に達し得ず、飲み食いする期間も短く、飲み食いのできぬ死を迎えねばならなくなるに違いありません。
 また、われわれが、その体に備わっている諸機能の活用を怠り続けることになれば、いわゆる体調をくずして不健康を自分から招くという結果になると考えられます。
 近来では、盛んに『消費』が勧められております。それが、日常とは異なった動きを促し、平素は使われていない機能の活用につながることになれば、至極結構と思われます。
 しかし、人生は『消費』より『生産』に比重が置かれるべきものであり、このことは、より良きものを造り育てなす方向一途を示す歴史に徴しても明らかなところであります。
 この御歌から、われわれとしては広い意味での『生産』に、自分がどう結びついているか?どう結びつくべきか?を、考えることになるべきではないでしょうか。



  幸福への出発

    第22集   ますます高まる家庭の重要性


 平成十六年の新春を謹んでお祝詞申し上げます。
 今年は甲(きのえ)〔木星〕申(さる)[土星]年です。季節は春、方角は東、性質は知性、今年の運勢は物事の本質を見極める事が成功の秘訣です。すべての本質は神の道の中にあります。皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。

 昨年の一月から九月までの誘拐事件で、実に百四十四人もの未成年者が被害にあっているのです。未遂も含めると大変な数字になるのです。その中で十三歳未満の子供の誘拐が半数に近い数字なのです。また加害者も十代から二十代の青少年の若い人がかなり多くの数をしめています。この数字を見ても、夫婦と家族の関係がゆがんでいて、親が子供を良く育てていない状況が見えてくるのです。
この数字は、今の社会全体が人間性を見失っている状況が現実としてあるのです。しかし社会が悪いのでは有りません。その社会を支えているのがそれぞれの家庭なのです。家庭の成り立ちは他人同士の結婚から始まります。夫婦それぞれの先祖と親の遺伝(性格)を受け継いでいるので、自分たち夫婦が子供のとき育てられたそれぞれの生活環境の延長線の上に今わが子を育てる家庭を作っているのです。
自分が育った家庭の中で「親の愛情や思いやりの心を感じながら育てられた」思いが有るのか、厳しく育てられた思いなのか、親に対する感情が何も無いとか、また躾にはとてもうるさかった等の「自分が育ってきた生活環境を、そのまま自分の子供に押し付けている」のではないでしょうか。性格は持って生まれるものですが、育つ環境が性格の固定化になるのです。
毎日の生活の中で親から受け継いだ性格は一度固まってしまえば、なかなか良い性格に変えることは出来ないものです。つまり今の社会は、夫婦がつくる家庭が社会の大元なのです。その家庭が社会を良くも悪くもしているのです。家庭には子供の誕生があり、子供のしつけと育て方が次の社会の源になるのです。夫婦と親子の心の絆が今流行の個人主義の心得違いで自分中心の心が強くなり、「自分の言うことが通らなければすぐ腹を立てる」人が増えているのです。
それなのに「人のいうことにはすぐ反発をして人の話を聞くことが出来ない」人も多くて、家族の会話の中でも命令的(命令は会話ではありません)な押し付けの言葉が多くなる家族関係が増えているのです。今の家庭では夫婦の愛情の不足と親子の心の調和が乱れているために、人間としての心の未熟な青少年が増えているのです。今家庭の中で何が起こっているのでしょうか「家庭の中では親子や夫婦の会話が非常に少なくなっている事と、道徳(人の道)の心が欠如していること、そして親が子供の躾を十分にしていない事と、あるいは両親の不在で躾が出来ない環境」等があり、そしてゲームや携帯電話とコンピューター等の普及により、家庭より子供の興味のある物が身近に氾濫しているのも悪い原因のひとつになっています。

 幸せの種は家族全員の心の中にあります。幸せの原因は夫婦の愛情と思いやりの心の中に有ります。不幸の原因は持って生まれた性格(和魂)の中に罪の祓いとして有ります。性格は親を通して先祖から次々と受け継いだものです。
性格は遺伝子の中に不幸(病気)の原因として絶えず働いているのです。この原因は親の祓いが出来ていなければ、確実に子供の遺伝子の中にも受け継がれて行くのです。
この受け継いだ祓いの内容次第で家族全体の祓いとして、子供が事件や事故に巻き込まれる事になるのです。「不幸の原因は決して他人が悪いのでは有りません、不幸の中に神の御心が働き、幸せの種がその不幸の中に隠されているのです」。
今迄に起きている事件や事故などを振り返って良く考えるて見ると、加害者が法律で守られているのに、被害者はマスコミにさらされているので「有ること・無いこと、家族や親戚までも面白おかしく報道」されているのです。
悪いのは絶対加害者なのに…現実は被害者を守る法律が無いのです。例えば警察の取調べでも被害者だからと言う甘い考えは通用しません。
事件では被害者なのに加害者と同じ立場の厳しい取調べを受けることに成ります。現在の法律では加害者には人権があり、殺された被害者には人権が無いのです。だから勝手気ままな週刊誌やマスコミ報道の被害に被害者の家族全員があうのです。だから事件の結果や報告は加害者にはするけれど、被害者には何も無いのが普通なのです。こんな矛盾が当たり前になっているのです。この結果を見ても、被害者のほうにより多くの罪の祓いがあるのです。
むごい事ですが、被害者が犯人を恨む事は罪を余計に積むことになるので、難しい事と思いますが早く心を落ち着かせて、事件や事故を避けられなかった自分をわびて、神様に手を合わすことが大切です。近年は学校教育の中での道徳教育や社会の秩序を守る教育が少なくなり、教育現場での個性を伸ばす教育と先生に対するPTAや親が口を出しすぎる事が多くなって、個人(自分)を大切にする為の教育は進んでいるのに、「他人を大切にする教育がおろそかになっている」のです。
そのために、自分に対して損か徳かで判断をして、身勝手で善悪の区別のつかない人間が増えているのです。自分さえ良ければ他人の痛みや苦しみ等は関係ないと言う、動物的な心の人が増えているのです。「人は皆神の子」なのですが、今の社会は長引く不景気で働きたくても仕事が無い等の影響により、お金第一主義で「金のためなら何でもするという不道徳な社会」に成りつつあります。
いつの世も親が子供に望む目標は「親の言うことを良く聞く素直で優しい子供」が一番で次に「元気で明るく活発な子」が希望のようですが、これだけでは事件の被害者になる可能性が高くなるばかりです。
「敬神尊祖の信仰は先祖の力を強くして守護霊となり、子孫に対して強い守となります。
神様から頂いた命は、神の自然からなる救いを確実にする信仰」が必要です。敬神尊祖の信仰の中でこそ安全で幸せな家庭が出来るのです。日常生活の中で「親自身が夫の言うこと、妻の言うこと、そして一番大切な子供の言うことを良く聞いているでしょうか」。幸せの原点は会話の中に有ります。
神様も祝詞を通して言葉で話すことで神効があるのです。まして親子では、会話が最大のしつけになるのです。また、会話が最大の守りになるのです。「会話とはしゃべる事ではなく、よく話を聞いてやること」が親子の会話です。
今の世の中を悲観するより家族の和を大切にして、神理教とご縁を頂いている幸せを、今一度家族の皆で話し合う時間をつくり、敬神尊祖の信仰を心を一つにしてすることが家族の安全を守ることになるのです。幸せと安全はまじめで正直に生きているだけでは保障されません。自然からなる神の救いが、寝ている間に新陳代謝により身体を修復していただく有難さ、親を通した先祖の守りが自律神経と脳波による親子のつながりを強くして、幸せと安全が保障されるのです。
決して自分一人では有りません。いつも神様と先祖の守護を受けているのです。また他人もそれぞれに神と先祖の守護があり、人をいじめることは、その人の神と先祖もいじめている事を忘れてはいけないのです。

 守りとは心で引き出す神の道    幸せは心に通う神の道


研究のページ

質問
 私の家に十年位一緒にいるとても大きな猫がいます。この猫は家にではなく私に懐いている…?色々とカワッテイル猫です。実は数日前から目に黄疸が出ており、本日動物病院に連れて行きました。そしたら肝臓がん、と診断されました。現在手術できる状態かどうか、検査中です。動物病院では手術か安楽死かを求めてきます…。
 私は三十一年前に肝臓を壊しております(黄疸が出て危険な状態まで成りました)。この病気は完治しませんので、私はいつ肝臓がんに成ってもおかしくない状態です。先生、…何か妙な気分です。どうしたらよいでしょうか?
 お忙しい所この様な質問をして申し訳ありませんが、宜しくお願い申します。


応答
 さて、猫ですね。最近の医学では人間は自分の骨髄からの移植で、比較的安価に手当ができる手法が開発されていることを聞きましたが、動物の場合はお金もかかることでしょう。
Mさんの持つ障害と同じ肝臓だから気になる、というのはよく分かります。何かのお知らせかもしれませんから、まずご自分の検診などをされてみてはいかがでしょうか。猫については自然が良いのでしょうが、苦しむのならば安楽死も考えてあげても良いのかもしれません。
神道、殊に神理教では人の安楽死は良くないもの、とされています。病気で苦しむことも祖先や自分に対しての祓いである、と考えるからです。その意味では、Mさんはかなりの祓いを行われたわけですね。
 人と動物は同じ神から生まれたものであっても、直接の子孫である人間と神が生んだ自然から二次的に生まれた動物は違う、と考えます。猫の安楽死は良くて、何故人間がいけないのかと思われたかもしれませんが、以上のような考え方からその違いが出てくるのです。
従ってお金を掛けても手術をするか、それとも安楽死を与えるかは、上の意味でMさんの御意志に任せられている、といえます。繰り返しますが、猫の病気が気になることが神やご先祖からのお知らせと受け止め、ご自分やご家族の体や心の状態へのお知らせと受け止めることが大切だと思います。



                 *** 教 祖 の 道 統 *** 


   長崎教会 教会長 大教庁式務局長 花岡 勝成

     第四章 教祖の霊観
       第四節(その一)鎮魂


魂の分離による害と調和の必要
・父母の気に影響される(つづき)
 そこで和魂がその協調を破られた場合に、やさしく弱々しい意志、即ち精神作用となって現れ、志が弱く実行力の弱い者が良い人間という部類に入り、荒魂が協調を破った時には、飛び抜けて良いほうに向上発展するか、或いは大地気に染悪して悪い方に進むかに分かれるのです。
 俗におとなしい児童に対しては意志の上について心配があり、体格の上からも心配がありますから、あまりおとなしい子は役に立たないという。
 又意地悪い児童については、この子は意地が悪く、良ければ良いが、悪ければ親兄弟の顔に泥でも塗るのではないかと心配する。
 この辺の道理が魂の調和不調和を良く示しているのです。
 この様に魂が分離して協調を破りますと、前述べました様に精神が弱々しくなり、疾病を呼び、更に死を招き、或いは心が狂い乱れ無法な振舞により、身を亡ぼし家をも亡ぼし社会に害を及ぼす事となり、人間としての価値は死同様なものとなって来るのです。
分離した魂の鎮め=魂の調和
 こういう悪い結果を引き起こさない様に、予防の為に鎮魂は行なわれるものと、又既に分離しているものは、これを救い治める為に行なうものであって、巫部家の御相伝にも
【大日靈の御祭りに天神璽を身軆の中府に鎮 むるの法の妙なる哉云々】
とある様に、既に分離して居る魂を身体の中に鎮める意味ともあれば、魂の調和を常に保つ意味にも解釈されるのです。
 この様に魂の不調和を認めて鎮魂というものが、高天原時代より行なわれていた事によって、魂の作用はその時代より色々な種類の活動をなすものであったという事を、認めていたことが納得出来ると同時に、鎮魂は既に天孫降臨の前提として、饒速日命をして、鎮魂法を敷き行なわせて民心の統一を計り、出雲の国譲り大和の平定によって、邇々杵命の天降りが確定されたほどでありますから、政治を治める根本と認められていた事も明らかであって、顯幽一貫の神理が行なわれていたのです。
死後の魂の分離
 さて茲に一言述べておかなければなりませんが、以上の様に魂が分離することによって、病気になり死を誘引し、又罪悪となることが解りましたが、もし人間がひとたび死んだ後に於て魂の分離はどうなるのでしょうか。
 やはりこの様に染悪するものであるかというに、死後魂の分離活動不調和を意味するのは、益々その勢力を増し尊敬追慕されるからです。
 言い換えれば、神威の盛んな神ほど魂の分離は無制限に行なわれています。
 これは前に述べた処に於て納得された様に、一神にして魂の妙霊なる示顯によって神と出現するので、つまり物質的の制限を受けないからです。
 前章の「人生観」に於ても言った様に、人間は霊と肉体の共同制限を受けて居るから、肉体が亡びると同時に肉体の制限を離れた霊は不滅にして、活動が増大することを記憶して居られるでしょうが、これと同一原理に基づくのです。
 又肉体の制限を有する場合に於ても、魂の分離によって一層その権威を増加する場合がある。
 これはその魂の中に包み含まれている活動力が偉大であるからで、つまり量が多い為です。
 そこで量の多い魂が分離して活動する場合は、その特性が諸方面に現れて益々その力を増し、その権威を大きくする為に大国主神又天照皇大神は分魂によって、益々その霊威が高まりその力が増大している。
 例えば二人の特徴によって二つの事業を成すは当然ともいえますが、一人が二人分の特徴な活動によって、二事業を一手に成す様な場合がこの意味であり、他より優秀な魂の量を所有しているからです。
(第四章 第四節(その一) 終り)
   



                古事記「絵で見る解説文」

古事記
絵で見る解説文

Hしばらく進むと…
  ―― H挿絵の説明 ――
 しばらく進むと、伊邪那岐の神は息を飲みました。
 灯火の明かりに浮かび上がったのは、生前とは似ても似つかぬ、死んで腐り果てた伊邪那美の神の体でした。
 また体の周りは、伊邪那美の神が体のあちこちから産み落とした恐ろしげな雷神たちが守っているのでした。


*本教の霊祭詞の中に『霊祀霊前告詞(霊祀祝詞)』という少し長めの祝詞があります。
 その部分的な内容に、
『人は本来大元の先祖である天在諸神のご意志を受けて生まれたものであるから、その御神徳を受けて幸せに暮らすのが当然なのです。
 それなのに人間が勝手に作った様々な教えに迷って、大元の神に報告が出来ないようなことをすると…』とあり、次にその報いで受ける色々な罰の中に、
『八の雷神に攻め悩まされ…』という下りがあります。
 その”八の雷神“というのが、ここに現れる神です。
 恐ろしげな神という印象がありますが、良くないことをした人を懲らしめ、その罪を教えてあげる、という役割を持つ神なのです。
 そして、
『しかしながら、あなた(故人)は生きている間に神を敬い世のため人のためにも尽くし、あなたの子や子孫もこの神の道を一生懸命に守り、こうしてお祭りをしているのですから、大神様の守りがあることは疑うべくもありません。…』と続くのです。
 皆様も是非、神理教の教師にお願いして霊祭をして頂き、人が歩むべき正しい道を祝詞でご先祖に説いて頂くと共に、ご自身の生活の指針とされて下さい。
 
                                                         
 
独立百十年大祭に向けて

青森県・弘前教会 
       
青山 明憲 先生(42歳)

 本院の大祭には、五年ごとに百人を越える信徒さんが帰院する弘前教会の若きリーダーで、未来委員会の広報会部長を務めています。


 「咋春の教会大祭に管長様が来訪され、そのときに春の式年大祭で教祖墓前祭の祭官奉仕を薦められました。お受けするからには、当教会の全力をあげて、感銘深いお祭りにしたいと考えています」と意気込みを語る青山明憲先生。
 斎主は父の倫直教会長、以下祭官を教会信徒で務めようと、新たに教師の資格を取得した信徒さんもいるそうです。
 「斎主祝詞は独自のものを、また、参拝の皆さんに御教祖の遺徳をいかにして偲んでいただけるか、父の教会長とはいつもその話になります」。秋の本院大祭に弟の直樹先生と参拝、教祖墓前祭の式次第をビデオに収録して、準備は着々と進んでいるようでした。
 弘前教会は、明憲先生の祖父が、戦後間もない昭和二十一年に設立されました。通例の祭事のほかに、活動の中心は月二十日に及ぶという勉強会です。教会長と三人の兄弟先生で、東北、関東の教会、信徒さんの家庭を講師として駆けめぐるハードスケジュールをこなしているそうです。
 「勉強会を始めてから二十年以上になります。話は家庭や仕事のことなどのごく普段の生活を通しての心の勉強、神理教の教本をテーマにしています」と明憲先生。教会には二百人、家庭には二、三十人が集まるとか。
 こうした多忙な布教活動を続けながらの準備に、「新しい年を迎えて気持ちも新たに、健康に気をつけて臨みたいと思います」
 独立百十年大祭には、弘前教会からは総勢二百人以上の団体参拝となるとか。


独立百十年大祭に向けて

ぼく、ポスターのモデルになりました。


小倉南区   酒井 朝 さん・ 悠希ちゃん・ 裕史くん

 神理雑誌の裏表紙にも毎月掲載されている独立百十年記念のポスター。このポスターのモデルになった男の子が、神理幼稚園に通う酒井裕史くん(年長)です。撮影が行われたのは夏休みが始まる前のこと。当日は、お母さんの朝さんと、お姉ちゃんの悠希ちゃん(小学二年生)も撮影に立ち会ってくださいました。
 裕史くんにポスターのモデルの声が掛かったのは、幼稚園の担任の先生から。
「最初お話をいただいた時、写真を恥ずかしがる方なので、どうかなぁと思ったんですが、おかげさまで、とてもいい記念になりました。」と、朝さん。
 ただ、当の裕史くんは、何をやるのか、あまり事情は飲み込めていなかったようです。(まだ幼稚園の年長さんですから、当然ですよね。)しかし、さすがに撮影当日になって、ちょっと不安になってきた裕史くん。お母さんとお姉ちゃんと一緒に撮影場所の神理教へ行ったまでは良かったのですが、そこには知らない大人がいっぱい。しかも、いきなり撮影が始まったので、戸惑いをかくせなかったとか。
「子供ですから、どうしても集中力がもたなくて…。前半は少し機嫌が悪くて皆さんに申し訳ありませんでした。うまくいくかどうか心配でしたが、結局、撮影は三十分くらいで終わったでしょうか。家に戻って『どうだった?』と聞いたら、『楽しかった』と言っていました。」
 どうやら、裕史くんにとっても、いい思い出になったようです。
 出来上がったポスターを見て、「しっかり写ってるね」と家族みんなで喜んだそうです。
「実際より大きく見えますね。とてもいい感じで撮っていただき、感謝しています。早速、両親にも配りました。」
 裕史くんは昨年の春と秋の大祭で、巫子舞も体験しました。お姉ちゃんの 悠希ちゃんも神理幼稚園の出身です。
神理幼稚園が大好きだった悠希ちゃんは、卒園後もお友達とちょくちょく遊びに来ていたといいます。
「神理幼稚園は自然がいっぱいで、環境にはとても恵まれていると思います。
例えば竹の子掘りなど、自然の中で体験できることを、カリキュラムの中にも組み込んでいただいているようです。それに、冬の間も裸足なんですよ。
裕史は三歳になって間もなく入園ということもあって、大丈夫かなぁと心配でしたが、随分たくましくなりましたね。」と、朝さんはわが子の成長に目を細めます。
 悠希ちゃんから裕史くんまで五年間続いた神理幼稚園での生活も今年で終わり。
「なんだか寂しいですね。園とのつながりや先生とのつながりを親も一緒に楽しめた、心に残る五年間だったような気がします。」
 裕史くん、卒園しても、家族みんなで独立百十年記念大祭にぜひ来てくださいね。




              地方特派員だより  「榊から玉串へ」

    名古屋大教会 岩押  頼子

 名古屋大教会の秋季大祭が十一月十五日に外宮大祭、十六日に本殿大祭と斎行されました。
 雨の予報でしたが、十五日の夜から十六日の早朝に降り、参拝者の方々の足元を濡らす事無く、秋晴れの中、教信徒の皆様の御奉仕によって、全てが喜びとして無事に終える事ができました。
 玉串拝礼をされた方は気付かれたと思いますが、大祭時だけでなく月例祭の時にも、生き生きとした綺麗な枝ぶりの榊が用意されます。
 それらの榊は、誠真分教会長、橘田俊祐先生によって奉納されたものです。
 分教会の在る、岐阜県可児市辺りは、神道を祭祀する家庭が多い為か、山の下刈りなどでも榊を残す事が多いらしく、ご親戚が所有の山も榊に恵まれていました。その為、玉串用だけでなく、見事な神籬用、大麻用、神殿用の榊を奉納して頂いています。

 先生に山での様子を伺うと、
 「山で榊を採取させて頂くという気持ちを込めて、お酒をお供えしてから入山します。
 祭事に適切な榊に巡り会えると、神様の御導きと感謝します。ただ無闇に、目に付いた形の良いものを切るのではなく、四〜五年後には再び、良い枝ぶりの榊を取る事が出来るように、剪定しながら採取します。
 しかし、この次には、この木とあの木で取ろうと心積もりしておき、後日当てにして行くと、業者とおぼしき者に、見事に取って行かれていたという事もありました。
 最近は宅地造成が進み、榊が減りつつあるのが気がかりです。工夫して取ってきた榊が、玉串として使用された後、希望される方々の神棚用にと持ち帰って頂いているので、最後まで、生かして使っていただいている事が喜びです」との事。
 家族の方は、先生の姿が見えない時は、山へ榊の様子を見に行かれているのだと暗黙の了解で、山での一喜一憂されている先生の作業振りが、目に浮かぶようです。
 山から切り取られて来た榊は、玉串としての息を吹き込まれるかのように、初めはさっと水で洗われた後、二度目は台所用洗剤で、時間を掛けて丁寧に細かい汚れを洗い清め、枝を整えられます。
 その時は家族の方でさえ、声をかける事を控えてしまうほど、先生の周りの空気がピンと張り詰めているのを感じるそうです。
 名古屋大教会へと運ばれた榊は先ず、各代表者用玉串、次に、巫子舞の為に、振り回しても支柱の
枝がしっかりしていて子供の
小さな手でも持ちやすい
大きさの榊にと選り分け
られます。その後、教師に
よって参拝者の方々への思いを込めて紙垂が付けられます。
 榊は神様の宿る木として神道に欠かせない物。風雨にさらされた山の榊が、真心を持った手を経る事によって、自分の魂を添えて神様に捧げるのにふさわしい玉串へと変わります。
 緑の色も清々しい玉串のように、皆様にとって素晴らしい一年でありますように。



長寿会開催

福山教会
特派員 小 林  隆


 去る十一月二十三日(日)、福山教会に於いて、恒例の長寿会が行われました。当日は天候も快晴。七十五歳以上の元気な信者さん二十五名を招待して、祭典部、総務部、婦人部、青年部協力のもと、楽しく賑やかな長寿会の模様を報告します。
 十時から、教会長斎主により「長寿祈願祭」が厳修されました。副斎主は小林穣教師、祝詞後取は渡辺和子教師、祓い行事は小林隆教師、祈念詞は箱田之恵教師、玉串後取は小林鎮子教師。招待者全員による玉串拝礼。お一人お一人の拝礼の様子を祭典部副部長の井上誠教師と石岡節夫教師が撮影します。楽人は津尾ファミリー三名。祭典終了後は教師と共に、全員で記念撮影。
 そのあとは、三階ホールで楽しい懇親会です。津尾紀久雄総代の軽妙な司会で開演です。ゆっくりと茶菓子を戴きながら、見事な琴の演奏に皆さん聞き入っています。演奏は教会長のお孫さん野島大宜君(5歳)、津尾祐佳里さん、津尾健一郎君、総務部副部長の井上好恵さん、津尾美智子さんなど多士済々。
 演奏が終わると、副斎主を務めた小林穣教師による乾杯。さあ、いよいよ楽しい開宴。昨日から婦人部が下準備をして、真心を込めて作った手料理に、皆さんニコニコしながら舌鼓。あちこちで料理の味付けに賞賛の声が上がりました。
 おなじみのクイズ大会。出題は津尾美智子さん。正解者には豪華景品?贈呈。ただし全員に当ります。皆さんおおはしゃぎ。招待者の松浦さんのカラオケもお見事でした。

 「福山教会の祭典部長兼演芸部長」の漫談。芸名は武者小路スケマロ。あまりの面白さに涙を流して笑う人、椅子から転げ落ちる人など会場は大爆笑の渦。
 そして、教会長の講話。「喜びと楽しみは違います。喜びは苦しみの後にやって来るが、楽しみは娯楽や趣味の世界。本当に苦労された方は喜びも倍以上」含蓄のある話に皆さん深く頷いていました。
 真田孝子婦人部長が記念品と長寿祈願御守を贈呈。この御守も二週間前に多数の教師が心を込めて作った手作りのもの。神殿にお供えして、教会長に毎日祈念して頂きました。
 そしてお待たせ。全員で「河内おとこ節」を踊ります。これは本院婦人会の瀬戸真智子先生に無理を言って、教会長が直々教えて頂いた踊り。銀色と赤色のテープを巻いた竹の棒も二十本いただき、これでは足りないと箱田定義代表総代、小林好男相談役、檀上由光青年部長が山へ行って竹を切ること百本。この棒を叩きながら、老いも若きも輪になって踊りました。「ああ、楽しかった」「久しぶりに踊った」会場からは笑いが絶えません。
 そして、名残は尽きませんがお開きの時間になりました。青年部員が招待者を自動車で駅や自宅まで送っていきます。「来年もよろしくお願いします」「楽しいひと時、どうもありがとうございました」と感謝の声。
 皆さんを送った後は会場の後片付けと反省会。

 「来年はこうしよう。ああしよう。」など、いろいろな意見が出ます。「皆さんに喜んで頂いて本当に良かった」この思いを胸に各部員は帰路に着くことになりました。
 皆様、おつかれさまでした。
 そして、特派員の私も家族を車に乗せ、一路広島へ向かうのでありました。夜空に輝く星がにっこり笑って見えたのは、気のせいでしょうか。



                             あ  と  が  き

 佳い新春を迎えられたこととお慶び申し上げます。
 教内各位の新年の挨拶を載せて一月号はお手元へまいります。
 今年は申(甲申)年です。「猿」になぞられます。十二支の第九番目。方角では西南西、時刻では午後二時から四時までの間をさします。恵方は甲方になります。
 巫部十二神伝によると、申年の人は次のように御教示されています。
 申の年に孕みたる人は、一代の守り神は面足神にして、日の西に傾く気象(きだて・ようす)を供えて世にうまれ出たる人にして、天神より官禄(天から与えられる幸い)を受け得て金銀を集むると雖も、狡猾(わるがしこい・ずるい)にして他国をかけて心労あるべし。是れにより逆上強く眼病を患い、又、女は難産の苦しみ有るべし。よくよく信心すべし。春夏の生まれは心丁寧にして綺麗を好むの性(生まれつき・天から与えられた本質)なりとあります。
 面足神は天在諸神十八柱の第十四番目の神で(金兄)にあたり、次の綾惶根神と共に五星の中の金星に鎮まり胎児の九ヶ月目骨格と肺臓の守り神です。方角は西、季節では秋、色は白です。
 注連飾りの形は様々ですが、元来は神聖な場所を示すための縄張りであり、正月に、えび・橙・昆布・串柿などを取り付けるのは、正月の神に対する供え物を意味するものだと言われています。
 松飾りは、神の依代(神霊の宿りの場)であり神離と同じ意味のものです。現在見られる松・竹・梅を主体として組み合わせた門松の歴史は浅く、古くは門庭ではなく、床の間もしくは土間に立てていたと言われています。
 大晦日の夜に早く眠ると、白髪になるとか皺がよるなどという地方もあり、徹夜して元旦を迎えるのが普通です。古代では、一日の境が日の暮れにおかれ、祭りはその頃から未明にかけて行なわれるのが常であったので、大晦日の暮れとともに新年の訪れと考えた名残であり、祭りの前後の御籠り(参籠)も同じ意味をもつものです。
 正月に家々に来臨する神を年神・歳徳神・正月様などと呼びますが、その性格は祖先神でありまた、穀物霊、とくに稲霊です。
 としというのは、今日のように暦の発達していなかった古代では、米の作り始めから収穫の終わるまでの期間だったのです。
 本院では、元旦の午前五時を期して四方拝が厳修されます。大神祠・北・南・東・西・中央の順で、天在諸神の御神徳を祈念いたしますが、まだ夜も明けやらぬ早朝に厳修するのは、元来祭りは夜から朝へかけて行なわれるのが本義であるという事に則っているからなのです。
                                       (誠)