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神理

平成15年8月号 第1074号

        

巻  頭 の こ と ば

緑葉が雄雄しく繁っている。
自然の恵みのしるしである。
私たちが生きているのも恵みのしるしであるが、私たちは
今現在の葉の繁りを、当たり前に思ってはいまいか。
「天在諸神の高き尊き大御陰を蒙り、
  世を安く渡ろう事を恐み添なみて…」(教祖神拝詞)
今、生きている、暮らしている。今一度、支えて
下さる、神々・教祖神・祖先の恵みを、片時も忘れてはならない。


                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
      おや  おや  おや  み た ま   なご
   親の親の 親の御霊も 和むらむ
               こ   こ    こ ら   をが  すがた
            子の子の子等が 拝む姿に
 今月は凡そ旧暦の七月に当たり、古くから旧暦七月十五日を挟んで行われてきた「霊祭」の月であります。旧暦から新暦に変わる際に、東京などの大都会を除く地方では、新暦の八月十三日を中心にして、その「霊祭」が継承されているという次第であります。
 この「霊祭」を「盆」というのは、仏教で行う盂蘭盆会に因んだものとされていますが、本教では、旧暦七月は早稲の稲穂を見る月であり、その喜びを先祖と共にする気持から生じた祭り!と伝えられ、それ故に「穂見祭」と呼び慣わしている訳であります。
 何にしても、地方から大都会に職場を求めた人々にとっては、祖先の霊前や墓前に帰参すべき節目の機会であり、その為に「民族の大移動」という言葉も聞かれるほど、故郷を目指す乗物や道路が大混雑する月ともなっている、という状況であります。
 尤も、職場を求めて居着いた都会での生活が、親・子・孫と世代を重ねてゆく中では、おのずから出身地との関係が疎遠となりますし、従って「故郷」という情感や「先祖」という感覚のない人々が増加している!という状況も生じている様に見受けられます。
 考えさせられるのは、都会に移り住んで分家独立し、本家との縁が遠くなったとしても、先祖との縁が遠くなった訳ではない点であります。つまりは、目の前の生活に熱中する状態が続く中で、自分から先祖との縁を遠くしている!という事になりそうであります。
 即ち現今では、一家の中心は自分だ!とか、夫婦だ!と決め込む風潮が広まっていますが、その人達に、先祖あればこその今日只今!という慎みがあれば、子育てを含む家庭人としての姿勢や社会人としの振舞いも、犯罪とは縁遠くなるものと考えられます。
 或る統計によれば、霊殿や仏壇のない家庭は、殆ど過半数に近いとの事であります。子育てを廻って多くの見解が提示されていますが、お互いとしては、この点も見逃してはならぬ様に思われます。「霊祭」の月にあたり、家族と共に、慎んで祖先との繋がりに思い及ぶ時を持ち、おのずから心和む雰囲気を喜びあう事になりたいものであります。
        
                                             

8月号

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)

 

親と子どもの意識(他教との違い・仏教の補筆)

先月の補筆

 先月までの“他教との違い・仏教1・2”についての感想を、仏教やキリスト教を勉強されている方から聞きました。

「先月号に書いている通り、キリスト教関係の学者は『仏教は哲学の一つであり、信仰とはいえない』と言っています」とのことでした。

 仏教の僧侶の中には人格的にとても素晴らしい方がおられるのは、仏教の教えから来るもの、とは言えないようです。

 それは例えば仏教文化の醸し出す雰囲気やその哲学が、人間の知的・人格的なものを刺激する二次的なものとして作用したのでしょう。

 それに比べ神理教は神道が本来持つ雰囲気や神術といった刺激に訴える部分も持ちながら、信仰のための教えを中心とします。

 身びいきと言われることを恐れずに言わせて頂くと、本教は他に比べるものもなく信仰のために優れた教えを持っています。

 しかし、その中で仏教だけでなく他宗にも人格的に素晴らしい人が存在するというのは、ある意味では驚くべき事です。

 それはその宗教の教えのお陰というよりも、本人の努力と言うべきなのでしょう。

 

 そこに、私たちが教えられるべき点があるように思います。

 いかに本教の教えが優れていようと、私たち本人がその気持ちになってこの教えを生活に生かそうとしなければ“絵に描いた餅”に終わってしまうということです。

 神理教人でありながら人格的に怪しい人もいることに気付くこともありますし、私たち自身がそうなっているかもしれないことに恐れを抱く事も必要です。

 御教祖の言行録を見ていると、御教祖が病人に対しいかに宗教者として教えを伝え、医者として薬を与えても治らない人の話がありました。

 御教祖はその人に、朝の日拝法を教えると共にその時茶碗に満たした水をお日様にかかげ日気を受けてから飲み干すように教えます。

 その人が自ら言うのに、「それ以降薄紙をはぐように、あれほど治らなかった病気が癒えていったのです」とのことでした。

 筆者は直った原因として、確かに一つは御教祖の教えと医薬は別にしても日気を戴いたことがあると思います。

 しかし、もう一つ大切なことは、その病者が日気を茶碗に受けるという行為を通じて、自分から治ろう治るかも知れないという、希望と意欲を持ったことにあるのです。

 それまでは多分疑心暗鬼というか、健康への希望を失う中で御教祖を信じたいけれど信じられない、という思いから離れられなかったのでしょう。

 それが治ったのは、天神の守りと御教祖の努力と、病者のご先祖の守りと本人の意欲と努力が見事に結びついた結果だったのです。

 このように私たちさえ素直な心になれば、必ず神徳と安心を戴くことが出来る、という境地に導くのが本当の信仰であり、まさに本教の教えの神髄なのです。

親と子どもの意識・万引き

最近のテレビを見ていたら、万引きの警察への届け出件数が1年で約20万件、そのうち小中学生が約4万件ということでした。解説者は、

「子どもについての実際はその十倍といわれているが、私は百倍だと思います」と言っていました。

 百倍というと、一年に延べ400万人もの子どもが万引きをしている、ということになります。

 

 色んな話がある中で、罪(親と子)の意識の話がありました。

 保安員の話で、子どもを捕まえて親を呼んでも、「あなた、こんなものが欲しかったの?欲しいなら、お母さんに言えば買ってあげたのに(一応子どもを責めたつもり?)。

あなたにあげるお小遣いがが少なかったのね」と言い、保安員に向かって、「で、いくらですか?」と言う親が多いそうです。

 これでは、子どもに悪いということが教えられないわけです、とうことでした。

 子育てに真剣で子どもを本当に愛している親は、思わず手を出すこともあるでしょうし、それを引き止められる姿を見て子どもは自分の罪を自覚すると言う事になるのだといえます。

 

 その番組を側で見ていた家内が、「これは、小学校では遅いよ。

 親の意識を含めて、幼稚園・保育園でやっておかないと大変だわよ」と言うのを聞いてうなずいてしまいました。

 行政の意識や補助も必要かも知れませんが、その前に幼稚園で出来ることはないのでしょうか。

 学校では知育・徳育・体育を教えるといいますが、宗教法人と強いつながりを持つ神理幼稚園でも、本当に徳育を伝えているかというと、まだまだだと思います。

 筆者は幼稚園の園長と小学校の校長の会でこの話をしたところ、一人の校長が次のような事を話しました。

「人と動物の違いは何でしょう

 子どもを大切にする動物はいますが、祖先を意識して敬う動物はいません。

もう一つは、恥を知る事だと思います」とのことでした。

 

 筆者は朝の幼稚園の職員会議でこの話を紹介した後、「私たちは、つい自分の力で生きているとか、考える領域を狭くして家族ととか、せいぜい会社くらいが伴に生きる仲間意識の範囲ではないでしょうか。

 もう少し広く、国や世界そしてご先祖というものをまず私たち教職員から意識すべきではないでしょうか。

 例えば、信仰ということについて言えば、自分の家のご先祖をおまいりしていますか、お墓参りはされていますか。

 こうした視点から見直すことも大切ではないでしょうか」という話をしました。

 突然、何を突飛な、と思う人もいたでしょうが、これらは昔からの日本人の慣習として特別なものではなく、人としての徳育はこうした身近な信仰から始まることに気付いて頂きたいものだと考えたのです。

 この辺りに、長崎や池田小学校や神戸の事件予防の鍵があるように思うのは筆者だけでしょうか。




                ***大 祓***
平成15年6月30日(月)11時〜
 この日は、あいにくの雨模様となったため、滝場には行かず、大教殿の西の廊下から遥拝式を行いました。
 大祓とは、いにしえの昔、天皇が国民のために始められた神事です。
 日本人は一年を六月末までの上半期と十二月末までの下半期に分け、六月三十日を上半期の大晦日、七月一日を下半期のお正月(新しい始まりの時)としてきました。そして、六月末と十二月末に半年ずつのお祓を行ってきたのです。お祓をすることによって、「ここから新たに」という感謝の気持ちを持って生きよう、というわけです。
 私たち人間には身体の汚れと心のけがれがあり、「まず自分を清らかに」というのが神道の考え方です。身体の汚れは水で洗い流したりして清め、心のけがれは大祓などの神事を通して清めます。
 私たちは、自分ではゆくりなく(思いがけず、気がつかないうちに)罪や過ちを犯していることがあります。そのため、それらを形代に託して洗い流してしまおうというのが大祓です。


 
六月三十日の大祓は、上半期の清めをして、また新たな清い魂に返り、七月からの下半期を頑張るために行うもので、さらに、この暑い夏を乗り切ろうという狙いもあるようです。ちなみに、一月・五月・九月を新しい始まりの時として行うのが正五九の祭り、毎月一日を新しい始まりの時として行うのが月例祭です。
 大祓の神事の後、巫部総務局長の講話があり、その中で生きる喜びの例えとして、百歳を超えて亡くなられた神理教の教師の方の話を紹介しました。その方はいつも、「今日も目が覚めた。今日も一日生かしてもらえる。ありがたい」と一日一日に感謝していたそうです。私たちも感謝の気持ちを忘れず、新たな気持ちで下半期を迎えたいものです。
    

            管長様が解説する御教祖の御歌/『人道百首』より

          有がたし かたじけなしと 思ふ其

            心に神の 御かげあるなり


 生きとし生けるものが生き続けるためには、水と光と空気が不可欠と言われております。現に、われわれはそうした条件のそろった所に住んでいるわけであります。
 しかし、お互いの日常的な感覚としては、そうした三つの条件に恵まれているという点への切実感がとぼしく、ほとんど無視しているとさえ言えそうであります。
 近頃、いわゆる大気汚染や水質汚濁が大きな関心事となっていますが、もし自然な空気や水のありがたさを強く感じていたら、このような事態は生じなかったとも考えられます。
 同様のことは、われわれの体の健康についても言えるところで、健康であることに対する有りがたさが切実であれば、病気を招く行為は避けられることになるはずであります。
 それにしても、空気や水には自浄力があり、人間たちの身勝手な振る舞いを大目に見る側面もないではなく、そのため感謝を感じさせぬ点も考えられます。
 これは、われわれの体についても似た点があり、この頃では、万一といえる事態にも対応できる機能まで備えていることが解明されることとなっているようであります。
 このように、言わば恵まれすぎるほど恵まれることにより、どうにか健康を得てただ今を生きているわけで、考えれば考えるほどに有りがたいことであります。
 そうした感謝と共に恵まれた条件を実感すれば、その条件を有効に活用することになるでしょうし、従って確かな健康と共に長寿を保つことにもつながることが考えられます。
 それこそが、自然で平穏な御かげであり、そうした自然で平穏な御かげを有りがたいと感じつつ日々を過ごすのが、人間本来の健全な生き方であろうかと思われます。
 しかし、自然で平穏な御かげという状態は刺激にとぼしく、御かげをいただいているという実感から遠のいて行きがちなのが実態であります。
 人間の心は、御かげをいただいていることを考え知ったり実感したりするものですが、切実な実感を永くは保持できがたい一面もある、ということであります。
 そうした心の弱点は、ほとんど一般的と申せそうでありますし、それを不健全であると思い込むのは不必要とすべきであります。
 むしろ、われわれとしては、そうした心の弱点を是認し、その弱点を補完するにはどうすれば良いか?を思い求めるべきだと考えます。
 ついつい当然のこととして気付かぬままとなりがちですが、今日一日がまずまず健康で過ごせたということだけでも、実は大変有りがたいことであります。
 今日一日の有りがたさを改めて思い返す時を持てば、新しい一日を生きる意欲がさらに強まることとなるのではありますまいか。
 心がけて、今日一日の有りがたさに感謝する時を持つことが肝要であり、さらに大きな御かげのいただける段階に進みたいものであります。

    幸福への出発   光陽教会 中山 勇

       第17集 結婚は遺伝子の幸せの宝庫

 人生の進路の中で、幸・不幸の分かれ道が結婚に有ります。ことわざの中に「結婚は人生の墓場」と言うのがあります。また結婚は第二の人生の始まりとも言います。夫婦二人で築く楽しい家庭と健やかな人生の始まりと、これからの行く先の不安が入り混じっている心のあり方を言ったものなのです。結婚の最大の意義は「神の子の永続」に有ります。神の子として生きる事は、罪を祓う奉仕の実践を義務として生活の中に取り入れる必要があります。その「近道が敬神尊祖の信仰」なのです。神理教は唯一の敬神尊祖の信仰が出来る宗教なのです。私たちは「先祖の導きにより神理教とご縁」があり「自分の考え方や行い次第で誰よりも幸福になれる教えと導き」の中で生活をさせて頂いているのです。結婚も同じ事が言えるのです。神の働きを持っている相手と先祖の働きを持っている親がいるのです。だから考え方や行いで幸福になる方向も不幸になる生き方も自分が選んで進んでいるのです。夫婦はお互いに相手を神の導きと思い「命令する言葉は慎みよく話し合う事」が神のご縁を生かすことになるのです。結婚で一番重要なことは遺伝子の中にあります。夫婦として一番うまく行くのであろう兄弟やいとこ同士の近親結婚は法律で禁止されています。その原因は遺伝子の重複に有るのです。先祖の持っている罪がDNAの配列で近親者は同じ配列になっているので罪の部分が倍増されるため、生まれてくる子供に悪影響して不幸の重複となり家系が絶えることに成るからです。しかし、普通の結婚では、別々の家で育った親も先祖も育つ環境も遺伝子もまったく違う二人が一緒に生活を始めるのですから、夫婦二人だけの生活でもお互いが譲り合う心とよく話し合う事が必要に成るのです。長男の嫁となればこれは大変です。世の中はどんどん進歩しています。家庭内の道具類を見ても十年前、二十年前の電気製品や家の造り等が現在は比較出来ないほどの進歩があります。「江戸時代から全然進歩が無いのが嫁と姑の問題」です。僕が嫁さんと結婚が決まったとき母が「兄ちゃんが嫁さん貰うたら、わしの娘と思うて仲良うやっていこうと思うとる…」「母さんそれは違うよー…」「どうして違うんね 仲良うしちゃーいけんのんね…」「娘と嫁は元が違うから娘にはなれんでー…例えば母さんが娘と嫁を目の前で何かの理由でほほをたたいたとすれば、娘は二・三日で忘れるだろうが嫁さんは死ぬる迄忘れないよ…」「ほいじゃあ、どうすりゃーえーんや」「嫁さんとは何でも話せる女同士の友達になりんさい…」経験の差で嫁と姑の考え方が大きく違っているからです。嫁さんの考え方は、僕と二人の生活があり、その外に両親がいる家庭を想像しているのです。夫婦のプライバシーが最低限守られる事が前提に有るのです。
 母の考え方は、自分たちが居て息子が居る。そこに嫁さんが入って来る考え方なのです。「この考え方の違いは、多くの家庭の中で終わることの無いトラブルの原因」になるのです。お互いの不信感から言葉もきつくなり、ストレスがたまり精神的な苦痛に悩むことになります。それは母が自分の家庭は今まで自分が全てをやりくりして家庭を守り子供を育てた上に成り立っている事が多いのです。家を出て行く兄弟達はこの事実をよく考えて、親を大事と思う心が有るのなら、長男夫婦も大事に思う心遣いが必要です。なぜならば自分の子供にも必ず嫁さんを貰うからです。自分は姑に仕えなくて良くても、自分も必ず姑になるのです。自分が兄夫婦や親にしてきたことは必ず自分に降りかかります。それは子孫の永続の為に家系としての罪の祓いが有るからです。私はいつも夫婦で話し合っています。
「息子に嫁さんが来れば、わしらも婆さん達と同じ立場になる。嫁と姑の問題を経験しているので、自分が嫌だったことや辛かったことは息子夫婦にはしないようにしよう…」と。若いときの苦労は頑張れるけど、年老いてから邪魔者にされないように気をつけよう…と今迄の経験を生かして楽しく老後を生きたいですね。自分が苦しいのは、自分がまいた種を神様の清濁を分ける働きの真ん中に今いるからで、幸せなのも同じことなのです。嫁と姑の問題も今は嫁でもやがて姑に成る身なのです。考え方や思いを少し変えて被害者意識を先ず捨てることです。前向きに何でも話せる親子(嫁と姑)になることです。母と嫁さんが親子になれるか、なれないかは嫁さんが決めることなので、母が決めることでは有りません。戸籍の上では親子でも心の問題なのです。人は皆自分に対して甘い体質を持っています。自分は正しいし、することは落ち度なくやっているはずなのに、人の目が気に成る嫁の立場があります。今の時代は二世帯住宅が普及して完全に分離した生活が増えていますが、それでも言葉の遣い方や受け取り方で悩んでいる人もいます。そして世界一長寿国の問題は介護なのです。二世帯住宅であっても父母の介護が必要になれば、長男だから当り前と押し付けられるのも事実です。介護が始まれば嫁自身の自由はなくなります。このことは介護を受ける本人の自覚がとても大切です。「有難い、すまないと言う気持ちと感謝の言葉」は神の心に叶うので病気の進行が止まり、介護をする人の心に響きます。介護を受けながらの不平や不満は罪なのです。「いつでもどこでも我が心清々しい」と言える心の修養を今から積み重ねて行くことが大切なのです。結婚は自分が描く家系の始まりです。

☆★☆ 素朴な疑問 ★☆★
     
 Q & A

Q1、神前の正面中央は何歩まで歩くことができるのですか?

A、 神座の正面中央を「正中」と言います。本教では祭主と言えども三歩以上歩くことは、はばかられるのです。神様の道だからです。
 横ぎる時は、屈行と言って、上体を少し折って凡そ三歩進みます。
 大教殿(教会)に至る参道もその延長と考え、中央(正中)を避けて、左右どちらかの端を歩いて参拝すること。他家を訪問するおりは、玄関中央を避け左右どちらかに履物を脱いで上がることも、祭式作法の一端です。

Q2、「神の心に叛くことなかれ」とはどういうことですか?

A、 教祖神の御教は、この御教誡の第一節が全てであり、信仰の基はここにあると言えるのです。神の御心に叶うには、常に神に対して感謝の心とその行為を成さねばならないと、教祖神は教えられ、それを積み重ねることによって神は倍力の導きを喜んでお授けになると教えられています。

    
///近畿地区ブロック研修会報告///

 七月六日、午前十時より午後三時まで、大阪ガーデンパレスに於いて、標記研修会が開催された。参加者は二十七名。
 講義内容は、ご祭神・祭祀を渡辺課長、生活の中の神事を瀬戸局長が受け持ち、お取次ぎを行なった。
 最後、参加者の未来委員会副委員長の辻先生より、委員会近況報告ならびに来春の独立百十年に向けての教信徒として全力をあげて盛大なお祭りにしようとの力強い言葉があった。

 質疑応答の時間には、
・ 年一回を二回にして欲しい。
・教会単位で研修会を開催して欲 しい。
・もっとインターネットを活用して 神理教を宣伝して欲しい。
・次回から受講生の体験談などの 時間を作って欲しい。
・祭式と講義で二日間にして欲しい。
・若い人の参加を呼びかけよう。
以上のような、活発な発言が続いた。
 来年は、会場を広くして七月四日の開催を決定した。
本院職員紹介  田中 利夫さん



 神理雑誌の『掲示板だより』でもお馴染みの田中利夫さんは、元小学校の教諭ということもあり、みんなから親しみを込めて「先生」と呼ばれています。三十年間勤めた教諭時代を振り返りながら、「若い頃は熱血先生で、なぜ日曜日があるんだ?と思っていた程。子どもといるときが楽しく、家にいるより、学校にいる方が多かったですね」。子どもたちと同じ気持ちになって接する田中先生は、学校でもなかなかの人気者だったようです。 
 そんな田中先生と神理教とのご縁が始まったのは平成五年。シルバー人材派遣センターからの紹介で、神理教の仕事(奉進帳の整理・記録)をするようになりました。実は神理教では特に毛筆書きの上手な人を探していて、達筆の田中先生はまさに願ったり叶ったり。以来、本院の書き物はすべて田中先生の仕事になりました。こうして今では、神理教になくてはならない存在になっているのです。「神理教のことを勉強していくうちに感謝や奉仕の心が生まれ、『ハイ』『すみません』『おかげさまで』『させていただきます』『ありがとうございます』といった言葉が自然と出て来るようになりました。神理教のために自分の情熱を燃やしたいと思っています。」
 教諭時代、学校で何か新しいことをやる時には、まず田中先生に白羽の矢が立ったといいます。おかげで、いろいろなことに取り組んできた田中先生。その経験が神理教でも生きているようです。
 例えば掲示板。本院の前を通る人に読んでもらおうと、掲示板を設置したのは二年ほど前のことです。田中先生は、その担当になりました。最初は教祖様の御歌や月の行事を書いていましたが、今は読む人の心をホッと温かくしてくれる感動的な話を毎回、紹介しています。本を読んだりと、資料集めはなかなか大変だそうです。しかし、立ち止まってじっと読んでいる人も多く、『神理教の掲示板』が定着してきつつあると言えるでしょう。
 田中先生が本院に来て十年になりますが、他の職員いわく、「普段は黙っているのに、時に厳しいことや、的を得たことをピシャリと言う。それが恐い」とか。でも、「田中先生のおかげで職員のレベルアップができた」とも言います。
 現在、毎月五の付く日は境内の掃除を、〇の付く日は大教殿内の掃除を、そして行事のある時には滝場や墓地や明星会館などの掃除を、本院の職員みんなで行っていますが、これを提案したのも田中先生です。「職員が境内の掃除をする。それが基本」と、田中先生はきっぱり。決まった時間に自ら率先して掃除を始めるため、他のみんなも従わざるを得ません。こうして、今では一致団結。職員みんなで掃除するようになったのです。
 また、手先が器用で、大教殿に教祖様の御歌用の日めくりの台を作りました。今は、この日めくりを使って、みんなで御歌の勉強をしているそうです。
 瀬戸局長は言います。「ここ本院は教える場でもあります。同じく人を教える立場にあった田中先生には、まだまだ口出しして欲しいですね(笑)。そして、ここをいろいろな情報の発信基地にしていければと思います」。
 趣味は「読書と盆栽と貯蓄(笑)」。家庭では無口で、奥さんから「もう少し、しゃべった方がいいよ」と言われるそうです。ここ三、四年は毎日、奥さんとウォーキングをしています。奥さんが骨折し、そのリハビリを兼ねて始めたウォーキングだとか。「奥さんのために。本当ですよ」と微笑む田中先生は、愛妻家でもあるようです。


                古事記「絵で見る解説文」

C二人は国を作った後も…
 二神は島を生み作ったあともたくさんの神々を世に送られました。家の神、川の神、海の神、農業の神、風の神、野の神、山の神、船の神、食物の神などです。
 それら三十五柱の神のさいごに生んだのは火の神(迦具土神)でした。
 しかし女神はこの子のためにやけどを負ったので、とうとうお亡くなりになったのでした。
*火の神は迦具土神のことで、伊邪那美神はこの火の神を女陰から出すときに負ったやけどが原因で黄泉国へゆくことになる。


☆いわゆる八百万神の始め、本教でいう配祀諸神でその十四柱にない神は、本教では天神地祇に含まれる。
 国土や自然の神や衣食住の神や火の神を始めとする木火土金水や人間の先祖など。
*天在諸神は命令をする神、配祀諸神はその命令を受けて世の中を良くするために実行する神。
☆神代はもう終わってしまったわけではない。
 私たち人間も配祀諸神の一神で、今も神代なのであり、後世のために大切な毎日を過ごしていることを自覚すること。
☆神道の神髄は多神を大切にしながら、大元の神である天在諸神の一神に帰するというのが本教の考え方。
 神道は決して多神教と決めつけられるものではなく、むしろ大元の神という一神教の考え方が忘れられている。
 

                                                           
    夏 越 祭



平成15年7月13日(日)11時〜
 朝方は、まだ雨が降っていませんでしたが、天気予報は雨。そのため、大教殿からの遥拝となりました。しかし、今年も岡山や香川、大分など、遠方からもたくさんのお参りをいただきました。(お祭りと神理会館での直会が終わった後、どしゃぶりに…)
 管長様は、「まずは健やかな一日を過ごせる、一日を無事に過ごせるということは、本当は極めて貴重なことで、ありがたいことと思わなければなりません。親に『今日も一日過ごさせていただいて、ありがたかった』という気持ちがあれば、それが子どもにも伝わり、おかしな行動に走る子どももいなくなるのではないでしょうか」と、お話されました。
 
     山下 美代子先生(福岡市東区)


 今年九十六歳になる山下美代子先生は、神理教の古くからの教師です。夏越祭には毎年、福岡市からお参りに来ています。この日は親子五人、孫夫婦二人で参加。「今年も山に登る」と張り切って来られたそうです。神理教とのご縁が始まったのは、今から六十年ほど前。「以来、この歳になるまで病気一つしたことがありません。家族もみんな元気。これも神様のおかげですね」とニッコリ。とてもハイカラで、その表情は生き生きとしています。若さの秘けつは、いくつになっても旺盛なチャレンジ精神。「おもいッきりテレビ」のスタジオ見学に行った時、司会のみのもんたを、『まぁ、お嬢さん、若い!』と唸らせたというエピソードも。ちなみに、当時は九十二歳でした。インタビューの最中に、夏越祭のおみくじで当たった大きなスイカが届けられ、一同びっくり。毎日に感謝しながら、人生を前向きに楽しんでいる山下先生。短い時間の中からも、その凛とした生き方が伝わってくるようでした。           

   ***総代ご紹介***
    あき の  かず を
    秋野 和男さん(61歳)北九州市小倉南区若園
    


平成十五年四月、鷹取山登山口で



 長年、総代をされていた久保信一さんが、三年前に足を痛めて出歩くことができなくなり、後任に私が指名されました。若園地区には、総代にふさわしい方がおられ、私には荷が重過ぎると躊躇したのですが、ぜひにと勧められ「体力を使うことならできます」と、家内と二人三脚でお引き受けしました。久保さんとは、野球を通して親しくおつきあいさせでいただき、これも何かのご縁だと感じています。

 昨年から支部の青年部に所属して、大祭などの行事に参加し、リーダーをはじめ、諸先輩方から、儀式や慣習などの教えを乞うて、目下勉強中というところです。お蔭様でいろいろな方とお話をする機会ができ、「楽しく」をモットーに、皆さんの気合に負けないように奉仕させていただいています。

 若いころから好きな写真で、信徒さんに写真の先生がおられることを知りました。これも神様のご加護かなと思ったりしています。今年の六月に定年退職しまして、パソコンに写真を取り込んだりして、コンテストにも出品したいと考えているのですが。

 また、昔は冬山登山の経験があるのですが、今は二、三カ月に一回の山歩きと、毎夕のウォーキングで体力アップを心がけ、総代として皆さんにご迷惑をおかけしないように努力します。先輩の皆さん、よろしくご指導のほどお願いいたします。


@@@ウチワまつり@@@  大津教会  三池 トキワ



 本院から夏の風物としてウチワを御利用下さいとの通知を頂き、一瞬どうしよう。この世の中、扇風機やクーラーの時代なのに、信者様にもっと喜んで頂ける事はないものかと思って始めました。
 七夕祭「祈願」は昔からある行事で知らない人は誰もいないでしょう。しかし教祖様の御歌が書いてあるウチワと短冊との二重の祭り「祈願」はあまり聞いたことも見た事もないようです。このめずらしいお祭り、「御神徳がいっぱい」に健康、交通、家内安全、他に諸々の心配ごとなど色々の祈願をされる方は短冊に祈願名とお名前を書き、好きなウチワに吊して下さい。
 ところがびっくりしました事に、お祭りを始めて一週間あまりで二百本のウチワが満杯になり、一層涼しさと御加護を感じました。
 七月十六日の教祖祭、穂見祭に併せて御祈願祭を考えております。
信者さんの声 「大津弁」
 ワーヨカ ヨカコツバ
 考えなはつたな

                   +−+−雑   記+−+−

 本院の春秋大祭の時、正門・参道・大教殿前などに「大のぼり」が立てられる。大祭の一週間前位に総代・世話人・青年部の皆さんが、朝九時に集合してから百四本の「大のぼり」を立てるのである。皆さん手馴れた作業ではあるけれど、本数が多いので結構大変なのである。先ず、のぼりの竹を取り出すのであるが、途中で竹が割れていたりヒビが入っている竹は外されてしまう。この時、「そろそろ、竹の補充をしないと!」と言われるのであるが、私にとってこの言葉ほど心身を震撼させる言葉は無いのである。
 のぼり立てが終わって、山での竹取りを思い出しながら竹の残数を調べるのである。春の大祭で竹の残数が少ないことが判ると八月に山に行き、秋の大祭時であれば二月に山に行くことになっている。竹取は最も暑い時期か寒い時期が良いとされていて、只々それに従って私たちは竹取に励むのである。しかし、どちらもつらい時期である。だから八月になると、今年は行くのかしら、どうなのかしらと気を揉むのである。…先ほど問い合わせると前回二月に行ったので来年また様子を見てから、と返事がきた。ひとまず安心と言ったところである。
 八月の竹取はモー大変なのである。暑いだろうなぁ、蚊が多いだろうなぁ、ヘビがいるだろうなぁ、また急勾配の山かなぁ、真竹と孟宗竹の区別がつくかなぁ、などなど心配しながら準備をするのである。タオルでほう被りして、軍手はもちろんで長袖シャツそして長靴をはいた格好は、遠目から見ると誰だか区別が付かない程の完全装備姿に変身するのである。
 竹切り時、「今回はこの山から」、と地元の総代さんが案内してくれて現地に向かう訳だが、時には山深く分け入ることもある。総代さんも気を遣って、なるべく道沿いの竹が搬出しやすい山に案内してくれるのであるが、四トントラックロングボデーが道幅スレスレで伸びた枝などを押し除けながらの場合もある。特に八月の場合は夏草が繁りに繁って道を隠し、雨で道が侵食され泣く泣く引き返し迂回したこともあった。
 竹林の中に入ると薄暗く意外に涼しい。竹の葉が日の光を遮っているからである。だから下草が少なく、落ちた竹の葉は重なり合ってフワフワ絨毯状態になっている所もあるが、傾斜の竹の葉は足元を滑りやすくしてヒヤッとさせることが多々ある。皆さんは竹林と言うと京都のポスターなどを連想するのであろうが、あのように整然とした竹林ではないのである。薄暗いということはそれだけ竹が密に生えているということで竹のジャングルなのである。山であるから平地は無く、竹を掴みながら傾斜を登っていく訳である。
 今回の目標は八十本。結構な数であるとその時思った。早速、切りに掛かるが、孟宗竹の多い事、真竹を探す為に斜面を駆けずり回るのである。真竹を見つけても一年生はダメであり、その見分けが出来ずに総代さんに何回も注意をされた。真竹は節と節との間が長く、太さも下から上まで均等であり、それが判らずに手当たり次第に切っていて、トラックに積む時点ではねられていた。「誰が孟宗竹を切るのか!」「新竹が混じっているじゃないか!」そう言う声に、よそ見して知らん顔していたことを思い出す。
 山に入って一斉に竹を切り始めるのであるが、下ばかり見て切るから倒したときに寸足らずであったり途中に割れ目や虫食いがあったりする。またノコの刃を入れてから竹の倒れる方向などお構いなしで切るので、倒れた竹の方向転換に余計な汗をかくのである。倒れ掛かった竹が横の竹に絡んだ時が一番大変であり、押したり引いたりしてもダメな時は切らなくてもいい竹まで切るはめになってしまう。
 汗をかくから上着を脱ぐ。チョット間の清涼感を味わうことが出来る。山のニオイ、竹の葉の緑は何とも知れぬ郷愁感がある。しかしその安息もブゥーンと飛んでくる蚊で中断してしまう。虫除けスプレーは無いか?蚊取り線香はどこだ?騒いでも効き目は期待できないので、再び上着を着ることになってしまう。
 二〜三年前、雨の日に当たってしまったことがあった。予定の変更も出来ず決行した。さらに重装備になった。竹を切っていて、「ワァッチャー」の声を聞く、ハハァすべったな、見ると寝た格好で足からズリ落ちている。カッパは泥だらけだ。滑った所の竹の葉は無くなって黒々とした土が見えている。雨の時は誰もが一度や二度滑るから大して気に止めず自分が滑らないように足元を確認する程度となる。雨の日は竹に水滴が付いているので、揺らしたり倒すときには大粒の水玉が地面を叩き付けるように落ちてくる。頭と背中に音を立てて落ちてくる。
 竹の表面は滑りやすく、トラックの荷台に固定して積むにも一苦労する。ロープでグルグル巻きにするのであるが、ふもとに下りてもう一度ロープの点検を欠かした事は無い。車中、次の大祭の「大のぼり」はこれで大丈夫と思う時、安心感と充実感で山中の疲れは何処吹く風となってしまうのである。
 私は、大祭十五日の早朝、青年部の皆さんが集合する前の薄暗い時、この時間が好きだ。「大のぼり」が風に撫でられてゆっくりとなびく時、のぼりの竹が「ギィ、ギィーー」と音を出す。大神祀の御扉が開くときの音に似ているのである。この音は、「さぁー、大祭が始まるぞ!」の叱咤激励の号令に聞こえるからである。
 

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