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神理

平成15年7月号 第1073号

        

巻  頭 の こ と ば

宮参り・誕生祭・七五三・成人祭・結婚式・厄除け・寿
祭など、人が成長し生きていく中で、色々なお祭りがある。
身体が変わる時期に、新しい命を戴ける様に、
神様にお願いするお祭りである。
この節目は、いわば「脱皮」であり、
自然と一体となっての「新陳代謝」である。
神は「自然」という理を授けて下さった。
この理に従えば過ちは無いということになるのである。

                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
       あり がた  くに            ただいま
   有難し 國ありてこその 只今と
               おも            わす
            思ふ心も ゆめ忘るまじ
 米国軍を主力とする攻防戦の結果、アフガニスタンではタリバン政権、イラクではフセイン政権が崩壊し、それぞれなりに複雑多難な問題点を抱えつつも、いわゆる民主主義的な歩みが始められたり、摸索されたりという状況が見られる事になりました。
 尤も、両国ともに治安の乱れが続いており、自爆テロをも含めて、小規模な戦闘が繰り返されているようでありますし、治安にあたる兵士の死傷者の数は、結果的には、本格的な戦闘状況下の数に近づく事になるのではなかろうか?等とさえ案じられます。
 それにしても、同じ他民族・多宗教国家でありながら、米国では生死をかけて若者達が遠く外国の戦場にまで出向き、アフガニスタンやイラクでは、平和・自由への道が開かれたのに、その道を進む事に逡巡しているのは何故か?を考えさせられます。
 極論すれば、米国に住む人々は、米国という『国家』が厳然としていれば、銘々の平和・自由も揺るぐことなしと受け止め、その『国益』保持が銘々の平和・自由の保持に不可欠と認識している為、死地とも言える戦場に敢えて出向く事になったと申せそうであります。
 是に反して、アフガニスタンやイラクでは、長い歴史的な背景を持つだけに、同一の『国家・国民・国益』という意識や理解が育ちがたく、民族間や宗教問の争いについての執着が断ち切れぬため、平和・自由への歩みが遅滞していると見受けられます。
 我が国では、さき頃から『国益』という言葉が蘇りました。そして小学生にも『国家』を意識させる必要!が論じられる事になりましたが、國を愛する姿勢を示さなかった人々が、戦前の悪例を誇張するなどして、不賛成の声を挙げている様であります。
 国連という機構の成熟を期待する立場や、世界連邦制の実現を理想する活動も生じてはいますものの、その実現は程遠い将来と考えられますし、現実的には厳然とした日本という『国家』の存立が不可欠と断じられます。我々としては、自らも国を愛する姿勢に務め、是を受け継いだ次世代の人も平和と自由が享受できるよう、願わねばならぬと考えます。
                                             

7月号

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)

()(きょう)との(ちが)い・(ぶっ)(きょう) 2

 

 (ぜん)(ごう)から(どく)(しゃ)のご(よう)(ぼう)にお(こた)えして、(ひょう)(だい)について(かんが)えています。

(こう)(えん)(かい)()いて、のつづき

2.(ぞう)()について

『この()雑会(ぞうえ)の世界です。

 それは、いろんな(ひと)()()(ごと)などいろんな()()う、また()わねばならないところなのです。

 この()とは(おも)(どお)りにならない、(かんが)えもしない(おも)いがけないことが()こる世界(せかい)なのです』というものでした。

 ここでも物事(ものごと)(きび)しく(とら)えるというか、やはり(わる)(ひと)(くる)しい()()(ごと)()わねばならないのがこの()(なか)である、ということのようです。

 だから(なに)なのだ、ということが(ひっ)(しゃ)にはどうも(かん)()れません。

 この(そう)(りょ)(こう)()()われることが(ほん)(とう)ならば、(ひっ)(しゃ)にはとても(くら)くて(おも)(おし)えであるように(かん)じました。

 (ぜん)(たい)(はなし)(つう)じて(ひっ)(しゃ)(かんが)えたことは、(ぶっ)(きょう)とは(しゅう)(きょう)というより(げん)(じつ)をどう(とら)えようとするかという(てつ)(がく)(ひと)つのようなものかな、ということでした。

 (もの)(ごと)(きび)しく(とら)える(ひと)つの(がく)()(がく)(もん)であって、(ひと)(こころ)()(どころ)になろうとするいわゆる(しゅう)(きょう)とは(いっ)(せん)(かく)するものがあるのかな、と(おも)いました。

 こうした(ふう)()(なか)(きび)しさ(くら)さだけで(とら)えてしまい、()(なか)()くするとか(じん)(せい)(じゅう)(じつ)させることの(たい)(せつ)さとか、その(ほう)(ほう)について(かんが)えるといったことについて、とても()(かん)(しん)のように(かん)じました。

 (じん)(せい)(なや)(まよ)っている(ひと)()(じょう)雑会(ぞうえ)()くと、もっと()()んでしまうのではないかと(おも)いました。

 

 ここで(しん)(とう)(しん)()(きょう)との(ちが)いは?と()われれば、(しん)(とう)はこの()を“(なか)()(くに)”と(かんが)えます。

 よくされる(たと)えですが、コップに(どろ)(みず)()れて()()ぜて(ほお)っておくと、しばらくして(そこ)(どろ)(しず)み、(じょう)()には()んだ(みず)()まります。

そして()(なか)のあたりは(どろ)(みず)(にご)った(じょう)(たい)になりますが、そこが(にん)(げん)()(かい)でいう“(なか)()(くに)”なのです。

この雑会(ぞうえ)というものをどう(とら)えるかというと、(もち)(ろん)この()(なか)(わる)(ひと)()()(ごと)()わねばならないかもしれないけれど、()(ひと)()()(ごと)にも()(たの)しみがある、ということなのです。

 いろんな(ひと)()()(ごと)()(ぜん)(あく)(せい)(だく)(たい)(けん)するのは、(しん)(じつ)()りより()いものを(つく)りなすための(かみ)からの(たまわ)りものである、と(かんが)えるのです。

 

余談(よだん)榎本(えのもと)高義(たかよし)刑務(けいむ)所長(しょちょう)説教(せっきょう)強盗(ごうとう)()(つま)()松吉(まつよし)()

 以前(いぜん)刑務所(けいむしょ)教誨師(きょうかいし)をしていた仏教(ぶっきょう)僧侶(そうりょ)死刑(しけい)(しゅう)に、「あなたが(いま)こんな()にあっているのは、そうした(ごう)()っているからだ」と()って()(けい)(しゅう)(ぜつ)(ぼう)させ(かな)しませた、という(はなし)()いたことがあります。

 (さい)(きん)()んだ(じん)(じゃ)(きょう)(かい)()(はなし)で、(えの)(もと)(たか)(よし)という(けい)()(しょ)(ちょう)無期(むき)懲役刑(ちょうえきけい)になっていた当時(とうじ)有名(ゆうめい)説教(せっきょう)強盗(ごうとう)故妻木(こつまき)松吉(まつよし)()との(いつ)()()りました。

 (まつ)(よし)()が、自分(じぶん)()まれたところが(かん)(ごく)で、(そだ)った(いえ)(どろ)(ぼう)だからこうなったのは(うん)(めい)(わる)いのだからしようがないのだ」と(はな)すのに、(えの)(もと)(しょ)(ちょう)は、「それは(うん)(めい)(わる)いのではない。

 そうした(うん)(めい)()(ゆう)にして(どろ)(ぼう)ばかりしていたら、あの()()った(あと)(くる)しむことになる。

 (いま)からでも(おそ)くない。

 (ひと)()ずとも(かみ)()てござる。

 (わる)いことをしないで、(すこ)しでも(ひと)のためになることをやるように(かんが)えなさい」と()い、(さら)に、(ぜん)(こん)()ばして()けば、(いま)()()でも(きみ)(らい)()()くなるぞ。

 こんなに(わる)(うん)(めい)()まれたのは(ぜん)()(わる)いという()(かた)もあるけれど、(げん)()(わる)いのは(だれ)のせいでもない。

 お(まえ)のせいだ」と()うのを()いて、(まつ)(よし)()(さと)ったということでした。

 その()刑務所(けいむしょ)(なか)ではあるものの、(うそ)もハッタリもない立派(りっぱ)(おとこ)になったので、榎本(えのもと)所長(しょちょう)仮出獄(かりしゅつごく)申請(しんせい)をして、それが(とお)ったということでした。

 松吉(まつよし)()()(ぶん)()(ごと)(あい)()(こう)(えん)をして(まわ)るようになり、その(じん)(じゃ)(きょう)(かい)()が、「あなたはもうすっかり、(どろ)(ぼう)(こん)(じょう)()くなりましたね」と()ったところ、「とんでもない。

 泥棒(どろぼう)根性(こんじょう)人一倍(ひといちばい)あり、泥棒(どろぼう)技術(ぎじゅつ)(だれ)にも()けない。

 けれども、(ひと)()ずとも(かみ)()てござる。

 だから、(わる)いことは(ぜっ)(たい)にしない」と()ったそうです。

 ()()(ちょう)(えき)(けい)であった(まつ)(よし)()(けい)()(しょ)を出てから四十三年間(ねんかん)、八十九(さい)(とう)(きょう)(はち)(おう)()()ぬまで(ばっ)(きん)(けい)(ひと)()かったという(はなし)です。

 (しん)(とう)にも(せん)()から()()いだ(つみ)(けが)れがありますが、(げん)()(とく)()むことで(はら)うことが()()ると(かんが)えます。

 (しゅう)(きょう)というものは、こうした(すく)いを(げん)()()いだすことで(げん)()(かみ)()(ちか)づけることを()()すものだと(おも)います。

 

3.(にん)()について

(しゃ)()というのはインドの言葉(ことば)の“サーハー”から()たものです。

忍土(にんど)というのは、その(しゃ)()(しの)ばなければ()きて()けない()(かい)ということなのです。

忍土(にんど)の“(にん)”は“(にん)”に(つう)じ、この()(かい)(わたし)たちがどう(みと)めるかによって()まるのです。

それは(たと)えば(へび)(なわ)()るかそれとも(なわ)(へび)()るか、ということですし、また(あめ)(うっ)(とう)しく()るか、(うれ)しく()るかということです』というものでした。

 ここに(いた)ってようやくほのかな(こう)(みょう)というのでしょうか、(まえ)()きな姿勢が見えたことで少しホッとした気持ち(きもち)になりました。

 信仰心(しんこうしん)(たね)をまくということはとても大切(たいせつ)ですが、過去(かこ)失敗例(しっぱいれい)というかこれからも宗教人(しゅうきょうじん)()をつけねばならないことがあります。

 それは、(たね)をまくことに(ねっ)(ちゅう)するあまり、(おし)えを()()れようとする(ひと)(おど)してしまうことがあるのです。

 (すなわ)(しん)(こう)をしないと(びょう)()(さい)(なん)()うなどですが、そうではなく(しん)(こう)をすることによって()()ちが(まえ)()きになり(しん)(とく)(あい)まって(だい)(なん)(しょう)(なん)(しょう)(なん)()(なん)になり、(しゅう)()の人にも(あん)(しん)して(いただ)けるということなのです。

 

 (しん)(とう)(しん)()(きょう)との(ちが)いは?と()われれば、この()(かみ)()への()(こう)()だと(かんが)えることです。

 忍土(にんど)とは(かんが)えず、(らく)()となるべき(かたち)(あらわ)()(しょ)がこの()なのです。

 (らく)()(ぜん)()(かい)(ひと)(どう)()(たの)しめる()のことですが、いつまで()っても(すす)まないということはなく、すでに(あじ)わっている人もたくさんいるのです

 楽土(らくど)自分(じぶん)自身(じしん)から()まれるもので、()ずご()(しん)(らく)()(たい)(けん)されれば、(あと)はその(よろこ)びその(みち)(すじ)(しゅう)()(かた)()かち()えば()いのだと(おも)います。

 (わたし)たちは(かみ)()(せん)(すで)(らく)()(たっ)()()(ひと)から(つね)(こえ)()けて(いただ)いているのですが、(だれ)(こえ)(ほん)(とう)かまた(いち)(ばん)(ちか)(みち)(すじ)かに(まよ)()(うしな)っているだけなのだと(おも)います。

 どうか(こころ)()ませて、(ほん)(きょう)(てん)(ざい)(しょ)(じん)にまた(ほん)(きょう)(おし)えに(ちか)づいて(いただ)きたいと(おも)います。

 



                         第十四回 神理未来委員会

 第十四回神理未来委員会(委員長・横江春太郎、副委員長・辻正一、伊藤徳彦)が六月十四、十五日、本院の明星会館で開かれました。今回は同委員会が設立されて十年目に当たり、委員十六名のほか本院職員、オープン参加者など二十六名が出席、本教の将来に向けての熱心な討議が展開されました。
 委員会は十四日午後一時からの開式に続いて、『私の二〇世紀』と題して横江委員長の基調講演が行われ、午後三時半から資質向上と広報部会が午後八時まで(途中夕食)、翌十五日は午前八時からの各部会と部会発表、閉式と続いて予定の正午過ぎに終了しました。
 今回は、来春の独立百十年の式年特別大祭に対する未来委員会の取り組みが主要議題となり、また、夏季講習会への若い人の参加促進、本院と教会、教師とのつながりの強化、委員会メンバーの刷新についても論議されました。資質向上、広報各部会と部会発表の内容は次の通りです。



【資質向上部会】
 議 長 石原 勝義
 副議長 吉村 文男
 書 記 橘田 和親
●独立百十年式年特別大祭関係
@中学高校生などの若い人の発表 の場を設ける
 人材の育成、後継者の養成を目的に、委員会主催で。テーマは『神理教とわたし』といった信仰に関する内容で。
A大教殿大神 または教祖殿の畳替え
 老朽化が目立つ畳替えを委員会として実施する。
B過去の大祭のビデオを開催中に放映
 本教への意識の高揚を。設置場所については式年特別大祭の内容とスケジュールが決まり次第決定する。
●その他
@夏期講習会の教習料一部補助
 若い人の参加意欲をアップするために中学高校生に限り講習会費の三分の一(五千円)程度を委員会として援助する。その人選については教会長の推薦などの意見も出たが、委員会予算から検討して希望者全員にと決まる。
A本院と教会、教師とのつながり強化
 後継問題、日常の神事、講話、教会運営といった心配事、課題など、これまでは横の関係で話し合っていたが、帰院頻度の少ない人のために本院への依存度を高めたい。これに対して総務局長は、ブロック研修会や教師会などへの参加機会を増やして対応していきたい。また、個別での相談にも応じるが、本院としては教会長を通してほしいと答えた。
B委員会メンバーの刷新
 委員の高齢化や地域の偏りもあり、できるだけ若い人に参加してほしい。これに対して委員会が強いリーダーシップを発揮して努力と勉強を、機会があるごとに呼びかけをする。委員の増員についても教会の推薦があれば可能とのこと。
C参拝者の減少
 信仰離れが目立つので、もっと中身のあるものに。広報を通してアピールしていく。
●次回の検討議題
@若い世代を育てる青年部を各教会に設置する。
A全国あるいは地域で教会長会議を。
Bブロック研修会のあり方を再検討。
C委員会として収入を図る道を。


【広報部会】
 議 長 青山 明憲
 副議長 伊東 清友
 書 記 
●独立百十年式年特別大祭について
@ポスター案の検討
 大は教会用、小は信者用として作る。デザインはおばあちゃんと孫の握手、背景に参道の緑を。大祭のタイトル、開催月日を大きくする。この手直し案は各委員に送付して、秋の大祭までに完成する。
A産土社遥拝行列の稚児は二十六 人とする。
B記念植樹
 白桃、八重桜を造化宮に植えるが、大教殿前に仮植えし、式典後に植え替える。石柱に名前をいれる。
C神理雑誌の祝賀掲載
 委員会会員の顔写真、氏名入りで十一月から、教会単位で募集、試験的に十二月号に掲載する。
Dより多くの人に帰院していただくために。
・舞台を発砲スチロールで囲み、折 り鶴、または花を刺す。その写真 を配布する。
・よさこいソーラン節を弘前と九 州と競演
・君が代舞、神州太鼓のイベントを。
・婦人会で教祖存命中に詠われた 歌七から十曲を、最後に神理教 歌を歌う。名古屋チームの踊り 及び鶴崎踊りを。
・教会名と名前入りの小のぼりを 立てる。常時設置と持ち帰りの 二種に。
●神理雑誌について
@ちょっとしたことでも分からない こともあり『初めての神理教』の シリーズ掲載を
A『教会紹介』は、小さな教会も掲 載してほしい。教会の掘り起こしを。
B全体に写真を多く、夏期講習会 やブロック研修会のお知らせなど にも研修風景の写真を入れるな どの工夫を。
Cホームページのリンクに名前を、 掲示板に書きこんでもらってもいい。 チャットに参加してほしい。
●その他
@未来委員会の開催回数を増やし たい。広報部会だけでも年二回に。
A未来委員会の横断幕を新調する。

【部会発表】
 資質向上、広報両部会の提案事項を検討。資質向上部会の大教殿畳替えについては、床下からの改築の必要があり、また二年後の畳替えの計画があることから先送りとなる。中高生の夏期講習会講習料一部負担の案は、さらに検討の必要ありとの判断で来年度への持ち越しとなる。広報部会の横断幕新調については、古さのなかに委員会の歩みが見られ、会費をもっと別のところで有効に使おうとの声が多く、否決された。
 次回は平成十六年三月六日、七日の開催を決定。
 今回の未来委員会は、十四日午前中に開かれた役員会で、論議の具体性が乏しい、若い人へのPRが足りないといった委員会への見方を受けて開かれました。実際に各部会でも、資質向上の名称でいいのか、両部会の連携をいかにするのか、委員会としてカタチのあるものにしたいと模索する多くの意見が出されました。
 そのなかで総務局長は「憂きことのいかにあるともこれもまた神の心と励みつくさむ」という教祖の御歌を引用し、その必要性が問われる未来委員会のメンバーを叱咤激励。また、横江委員長は最後のまとめとして「委員一人ひとりが誇りを持って、黙っていても人が集まる徳を積もう」と締めくくりました。


    

            管長様が解説する御教祖の御歌/『人道百首』より

          家の内 みなむつまじく くらすこそ

           神の心に かなふなりけり


 人間は古くから集落の中で生活していたわけであります。
 それは、いわゆる集落社会から全く隔絶した状態では、肉体的な生存そのものさえ極めて容易ならぬものがあった故のことと思われます。
 そうした往古の集落生活の中では、いわゆる社会的恩恵を痛感する機会が多かったと推測されますし、集落への献身的な努力も多く行われていたようであります。
 当今では、そうした社会的恩恵が往時より遥かに大きいにもかかわらず、その恩恵を当然の権利?とする傾向もうかがわれる点が、いかがやと思いあわされます。
 ところで、そうした集落の中での最も小さな集団が家族ということになりますが、その家の内という集団は、夫婦・親子という情愛をきずなとするものであります。
 従って、家の内には、権利とか義務とかいうような意識はないのが当然であり、情愛の中から自然に秩序が生じ、和が保たれるということであります。
 恐らく、いわゆる集落も、それが小規模な状態の間は、家の内と似たような様相を見せていたのではないかと思われますし、現に小さな村落では、それに近い様子がうかがわれます。
 しかし、集落の規模が大きくなればなるほど家の内での自然発生的な秩序では間に合わぬ事態が多発するわけで、権利とか義務とかいう意識が増幅することになります。
 これは、めいめいが全体を意識した上で、その中の一員という自覚に立ち自主規制すべきなのに、その全体が大きくなると、その自主規制ができがたくなる故のことと申せます。
 社会構造の変化という時代的な推移の中ではやむを得ない、とせねばならぬのかもしれませんが、そうした風潮が家の内にまで持ちこまれるのはいかが?と思われます。
 親が子を扶養するのは、動物一般に通じる常識であります。それは親の義務として行われているものではなく、おのずから備わった情に基づくものと申せそうであります。
 人間の場合には、その情愛が義務感に進むのが一般的であり、扶養の義務という考えが定着化したと考えられますし、それは自然な成り行きと受けとめることができます。
 しかし、扶養に伴う親の権利を親が主張したり、扶養されるのが当然と子みずから過分な扶養を強要するのは不自然であります。
 より良き成長を願い続けて扶養に努めるのが親の自然な姿であり、成長する中で親の心を感じ取るのが子の自然な姿だからであります。
 もともと、親と子との関係は、権利や義務とは無縁なものであり、もし双方間で権利・義務が争われるとすれば、親子関係なし!!を前提としても良いのではありますまいか。
 現今では、家の内に権利や義務の持ちこまれる事例が増加しているようであります。
 これは、親としての姿勢が問いなおされねばならぬ点を示唆しているかにも思われます。
 本来の自然な親の姿に立ちもどることに努め、ないしはその現代化された在り方に努め、おのずから御神護もいただける和やかな家の内をつくることにいたしたいものであります。

    幸福への出発   光陽教会 中山 勇

       第16集 兄弟で異なる遺伝子の条件

 同じ両親から生まれた兄弟なのに、性格や体質をはじめ生き方から生死まで大きく違うのです。なぜでしょうか。「両親が同じなら先祖も同じです。因縁は同じで当たり前なのですが…」でも違うのです。しかも第一子と末の子は性格も体質も正反対に成るのが普通です。不思議ですね。自分の子供なのですから、自分に良く似たところもたくさん有ります。
上の子供にも下の子供にも体つきや性格、そして体質までも親に似た所があるのです。しかし兄弟や姉妹を子供同士で比べてみれば、やはり性格や体質が正反対に成っている事が多いものです。それなのに子供と親のDNA鑑定をすれば、すべての子供のDNAが親と一致するのです。これもまた不思議ですね。そこに神と先祖の厳しい制約と罪の祓いが性格と体質の中にあるのです。そして兄弟の中から一人の子供が選ばれて「強い因縁を持って生まれてくる事も多い」のです。体の弱い子、好き嫌いの多い子、病気を持って生まれてくる子、身勝手な子、心と身体のバランスが悪い子等は家系の存続のため、あえて先祖が「家系の罪の祓いとして強い因縁を持たせて、その子を誕生」させているのです。この事は家族にとって大変重要なことです。その子には家系の存続と家族を救う働きを先祖が選び、神の子として神が与えているのです。その働きはその子一人の問題ではなく家族全体の問題として皆が心を合わせて、罪の祓いをする行いと心の浄化を日常生活の中で常に心掛けて行く必要が有ります。その罪となる原因の多くは「人・他人に対して先祖が知らず知らずの内に作った罪」なのです。だから罪の祓いとし遺伝的に先祖と同じ性格を持って生まれて来るので、家族の心がバラバラに成るような働きが強く現れてきます。家族の中でごく自然に、因縁の強い子一人を悪者にして自分だけは良い子になろうとする心の働きが出て来て、家族の和を乱すのです。其の子が先祖の罪の祓いをしてくれる可能性が有るから、ほかの家族が健康で生活をしていられるのです。最近の家庭では、携帯電話やゲーム等で家族の会話が非常に少なくなっています。この不景気で両親もまた、楽しい会話が出来る環境が少なくなって「物事を正しく判断をする思考力が低下」しています。こんな時代だからこそ、家族や親子の会話が大変重要になっているのです。お互いに信じあえる心の平和と家族の信頼が、子供の心を大きく育てます。家庭には、家族の心を育てる一家だんらんの時間を持てるような家庭環境が、最近は特に必要です。わが子に対しての「親の責任は大変重いものが有ります」。子供は親の鏡として生まれてきます。「子供の反抗する態度は、神様が子供を通して親に心を神の道と照らし合わせてみよ」との知らせなのです。だから「子供が悪いとは、即ち親の手本が悪いので有るぞよ…と神様の御教え」なのです。家庭環境は、子供の心を育てる土壌なのです。その土壌に強い産須根(先祖の守り)を育てる信仰と行いが今こそ必要になっています。子供は子宝と言います。正にその家(家系)の繁栄と永続の原因として先祖が望んでいる「磨けば光る原石」なのです。親はその原石を宝石の輝きにするのか、又、人の道を妨げる邪魔な石にするのか、親の神様を信仰する心と善に奉仕する行いが子供と家族の未来を決定します。「子供が言うことを聞かない!とは、自分も御教えの良い話をうわのそらで聞いている事が有る」と子供を通して神が教えているのです。
 子供にも、神と先祖が与えた喜怒哀楽の四魂があります。遺伝子は子供の今と明日を管理しています。遺伝の法則は先祖が産須根の神に成る為の法則で、第一子(長男か長女)は一代二代の親(先祖)の遺伝子(性格と体質)を強く受けて生まれてきます。遺伝の法則(メンデルスの遺伝の法則)は、両親と父方の両親で四人(四魂)の男と女の陰陽の中から選ばれて、第一子として優勢な遺伝子を持って生まれてきます。その性格は親(四人の陰陽)の喜怒哀楽のどの心を強く受けているかで決まります。喜の気運が強い人は、明るい性格でお人よしの世話好きです。怒の気運が強い人は、曲がった事が嫌いな性格で短気だけれど働き者です。哀の気運が強い人は、気が弱く神経質でやさしい性格で家族を大事にします。楽の気運が強い人は、目標をしっかり持ってコツコツと頑張る性格で、気は小さくて少しのんびり屋さんです。この喜怒哀楽の中に罪の祓いとして、父親と母親の陰的な性格と陽的な性格の両方の影響を強く受けています。その為に人は全てにおいて、外の顔と内の顔の陰陽の二面的な性格を持っています。末っ子は二代三代の父方の祖父母の遺伝子を強く受けています。同じく先祖四人の中から選ばれた四魂の働きを持って生まれてきます。その為に上の子と末っ子の性格と体質が、先祖の遺伝の法則で(上の子は因縁が親に近く下の子は因縁が親から遠く)反対になるのは普通の事なのです。子供の幸せを願うのなら、三代前迄の先祖祭りは、命日祭を始め墓参りと教会での神様に奉仕と祖霊祭は絶対に必要です。特に罪の祓いは自分の家を出てから祓うことが必要です。罪は常に神と他人に対して作っているので、自分の家でいくら拝んでも奉仕にはならないからです。健康は持って生まれた罪の祓いをどれだけ出来るかで決まります。病気は先祖の罪を性格と体質で祓う仕組みが、血液と自律神経の中に組み込まれています。長男は第一子として、一代二代の先祖の中から受け継いで生まれた罪の祓い(神様に奉仕)をする仕組みが性格と体質の中にあります。同じく末っ子は、二代三代の先祖の血縁が罪の祓いの奉仕を義務として持って生まれて来るのです。子供の体の中で代謝活動をしている六十兆個の細胞は、父の精子と母の卵子です。「子供の健康と幸せは全部親に責任があります」。その為に罪の祓いは「親自身が、心からの神への奉仕と人のためになる行い」と、罪の祓いのお祭りと先祖が氏神に成る為のお祭りをすることが必要です。この奉仕とお祭りが、家系と家族の明日を明るく幸せにします。自分の罪の祓いは、遺伝子の元(原因)の先祖の罪も一緒に祓うことに成ります。そして子供に与えている遺伝子(自分)の罪も祓っています。一番大事なことは、自分自身が罪の祓いのお祭りを進んで繰り返しすることです。その上で神様への奉仕と先祖への奉仕も大切です。悪いのは人ではなく自分の怠りなのだと早く気付く事が大切です。これがお手本になり、家族全員が心を合わせて信仰と神への奉仕が自然にできて子供を育てる最高の家庭環境ができるのです。道しるべとなることわざが沢山ありますが、ほとんどが「良い事が書いてあるね」、 で終わってしまいます。なかなか血や肉には成らないものです。神の道も人の道も、頭で理解して体の方が実行を忘れている事が多いのです。まず奉仕と罪の祓いから実践しましょう。
 明日の幸せは
 自分の罪の祓いの中にある
 明日の幸せは
 神様への奉仕の中にある

             教祖の道統 長崎教会 教会長 大教庁文化局長 花岡 勝成

        第四章 教祖の霊観
         第三節 諸魂の作用(働き)
四魂についての総括的御観念
 
以上、四魂の作用についてあらまし説明しましたが、更に四魂についての御教祖の総括的御観念を記してみましょう。それは四魂論に、
【この魂の一つにして四つに分かれけるというは、いと怪しきことにして疑わしきことなるが、人の体に魂のある所を『ぬか』という。
 その「ぬか」は頂(一番高いところ。頭)にして、この『ぬか』より四つの魂、身の内に通り働く、これを力という。
 その力五体をめぐり目・口・鼻・耳の七穴に通じ、両手・両足の働きが出来るのも、四魂の心が一つに止まる如く、幸魂が本天に帰り登る時は、大元の神のおられる日天の温もりにはらまれ、限りない楽しみを得るなり。
 物が暖気を得て膨張する様に栄える故、自ら幸魂に附属する三魂ものび働くことを得るなり。
 それ故に荒魂は墓所にあって荒々しく打ち栄え、和魂は産須根の宮所にありて和やかに守り、奇魂は天翔り国翔りつつ奇妙にあやしく活動き守り幸え賜うは、人の人たる道を穢さず汚さず勉め働きたる功しなるを、人として人の道を尽くさぬとその人の本魂を穢すことになり、その本魂は天上に帰ることを得ず、黄泉国に落ちるにより雪の中に木の実がある様に、自ら本魂が縮み凍るにより、荒魂の荒びむとしても荒ぶ事を得ず、和魂は和やかになろうとしても和やかになる事を得ず、奇魂の奇しく守ろうとしても守る事を得ざるなり。
 この魂が四つに分かれるといえど、その本魂を一つにしなければ、人に手足がある様に、幸魂に奇魂、和魂、荒魂添わり、奇魂に荒魂、和魂添わり、荒魂に奇魂、和魂添わり、和魂に荒魂、奇魂添わりけるは、人に身ありて手足の働き、目口鼻耳の七穴の働きが出来るなり。
 目が見ることが出来なければ美しさはわからず、耳が聞くことが出来なければ物音もわからず、鼻がかぐことが出来なければ匂いの良し悪しの見分けもつかず、口が食べることが出来なければ美味しい物を味わう事も出来ない。
 総べて手足の働きをなすように、物として魂があり四魂が備わらないことはない。
 良く思い、良く悟りて四魂のある所を知り、善悪の判断の基を悟るべし。
 和魂の和魂のみにあらず、荒魂の荒魂のみにあらず、奇魂の奇魂のみにあらず。
 これはその幸魂の荒魂、幸魂の和魂、幸魂の奇魂なれば、幸魂が栄えればそれに従い栄え、幸魂が衰えれば従って奇魂の奇しきことも、荒魂の荒ぶることも、和魂の和やかとなることもなく衰え果てることは影と形の様に、その和魂にも荒魂・奇魂添わり、荒魂にも和魂・奇魂添わり、奇魂にも和魂・荒魂が添うことを良く思い良く考え、この四魂の働きがある事を悟るべし。】
と教えられている。
 考えますに御教祖は前にも述べました様に、四魂の中の幸魂は霊の発現である魂の本魂として立論され、幸魂は『スガカミ』の意味に於いて神と同体の本性を認めて、本魂の明るさ清らかさは他の魂の活動を起こす原因とし、本魂の染悪汚穢(悪に染まり汚れ穢れているさま)は他の諸魂の性情の活動を休止する原因として四魂の作用を説かれ、そこに霊魂に対する御信念を明らかにされて居られた事が明瞭であります。
 尚、私は本章に於て奇魂の一作用であります夢について付言しておきます。
 
附 夢
・寝ている時も活動する奇魂
 先に奇魂の性情について述べました様に、奇魂は奇しく妙なる働きをするもので、現れては人の事業の助成をし、隠れては幸魂の性情と等しく日界に座す神と行き来し、天翔り国翔りという魂は、つまりこの奇魂の活動をいったものです。
 人間が活動状態から一度休止すると、活動状態にあった諸魂もその作用を休止して本魂に統一されますので、この人間の活動休止の状態を寝入るといってそれは、諸魂が本魂の根に入るとの意味です。
 こうして諸魂がその作用を休止している場合には、どんな事があっても一切の物事を忘れて覚えのない全く無意識の状態となって、その間は動もなく罪や穢れもない静中の静でありますが、この諸魂が休止している中でも四魂の一つである奇魂だけは、活動を継続し休止することもなく上を守り下を守り、他の諸魂の休止を守るのみか天神の御許へ帰り昇り、未だ見も聞きもしない行く末の吉凶や幽冥の事などを告げられるのです。
 
・夢は奇魂の活動の結果に起こる現象
 この様な作用から起こる結果を私たちは夢といって居りますが、夢とは普通漠然なもののような意味に考えて、一般にそんなことは夢にでも見たかと気安く片付けて居るけれども、夢はつまり奇魂の奇しく妙なる活動の結果に起こる現象で現実世界と幽冥界との唯一の交通機関です。
 諸魂が休止している間も活動を続けて守護して頂ける、霊妙な作用である事を知らなければなりません。

・夢は『明り見せ』人は神の子
 御教祖は夢の考證に
【夢は阿加里美勢と言うことにて、阿加里の約め伊なり、美勢の返し目となるなり】と教えて居られます。
 良く考えますと、この世の中に生まれ出でたる人は、産巣日神の分霊を戴き人と生まれたる人ですから、天神達は常に人の上に御意を添え給い、悪に染まる事を慎み善に面向かせ、子孫の繁栄を賞め御覧になることは、親が子を思うことと少しも変りません。
 その親が子を思うという、その心の起こることも必ず天神の御心より出でたものであります。
 人間ばかりではなく生類みな子を愛すると同時に、子が親を慕う情が欠けたものはありません。
 即ち、人は神の御意を受け継ぎ、神の『ミイキ』が籠もる産巣日の日が止どまったものですから、顯幽の境界があるといえどもその戴く御恵みは変りありません。
 天神が諾冊二神にお言葉を下され、その御命令に従い人を産み育てられる御恵みは、夜昼の区別なく絶えることがない様に、氏人等を天津神の御依頼により、産須根神が守って下さるのであります。
 その御恵みによって、神と人とが一体の域にぴったりと一致させて戴くのですから、顯幽も又一貫する道理で、現世に善い行ないをした者は、幽冥にて天神より賞を戴き神の位に昇り、悪い行ないをした者は天神の御許へ帰ることが出来ないばかりか、神として子孫を愛撫する力を失うものであるという、顯幽一貫の道理が生じるのであります。
 又現世にて、例えば善い行ないをしても他人は気がつかず誉め称えなくても、善い行ないをした人の心には非常に嬉しく楽しく、まるで身長が伸びるように感じるのは現世にあって幽冥との交通をしている奇魂の作用です。
 この道理の中に幽冥に居られる神が人に顯明事を告げられるのが、阿加里美勢です。

穂見祭(ほみさい)の意味
 穂見祭とはお盆の時期(文月)に行う祖先祭りのことです。
 文月は手紙(文章)を書く月との解釈もありますが、その本言(その言葉の本来持つ意味)は ”穂・見・月=稲穂が見える月“で、年月を経る中で ”ほみ“が ”ふみ“に変化したものです。
 また言霊で説明すると、この ”穂“は ”日“つまり ”霊“につながり、そこを遡ればご先祖の霊を見る月ということになります。
 日本人は、仏教の渡来以前から祖先祭りを行っていました。
 仏教の方では一般的にお盆の間祖先が家に帰ってくると言うようですが、 神道は祖先はいつも家の霊殿におられると考えます。
 八月は旧暦の文月(穂見月)で、この時期に行う先祖祭りを穂見祭と言うのです。
 本院では毎年八月十三日から十五日は、恒例の祖先祭りである穂見祭の各家巡拝に伺います。
 十六日は、本院の両霊殿に鎮まる皆様のご先祖をお祭りする穂見大祭があります。
 ちなみに、神道での祖先祭りは、お正月と春分と秋分の祖霊祭に加えてこの穂見祭の四回が基本です。
 家でのお祭りは元より、本院へのご先祖祭りに参拝下さい。


 神棚があるのを見せて頂き安心しました。
 それも、思った以上に立派にしていると思います。
1、神札について
 神殿の中にはどのような御札をお鎮めしていますか。
 神理教としてはまず、天在諸神(てんざいしょじん・あめにますもろもろのかみ)の木か紙の御札をおすすめしますが、もう入っているでしょうか。
 
 神殿の右側に見える御札は、大星祭(節分)の御札でしょうか。
 神理教の赤い教紋が認められ、もうご縁があるのだなと嬉しく思っています。
 これらの神理教の御札は、神殿に入らない場合、向かって右側に置く方が良いです。

2、向きは東か南を向いていますか、また、仏壇と向き合わせになっていませんか。
 北は上位の方角ですから向き合わせるのは対決させるようで失礼ですし、それは神殿と仏壇を向き合わせないのと同じです。
 西は西日が入るから良くないのです。
 とにかく神とご先祖には、気持ちの良い場所に気持ちよくお鎮まり頂けることを心がけます。

 前回お墓の話をしましたが、お墓も家(玄関)も向きについては同じことが言えます。

3、家を中心として東北と西南の線上(中央も)に神棚を置きません。
 また、トイレやゴミ箱など(庭にも)汚れたものを置きません。
 鬼門、神理教では貴門といって神が通る道と考え、東北に間違いがあると主人に、西南に間違いがあると主婦にお知らせがあると言われています。

4、神棚の真上の階に、人が歩く部屋はありませんか。
 あるならば、半紙に ”空“や ”雲“と書いて天井に張ります。

5、神棚の高さは、大人が立った時に見下ろさないくらいの高さになっていますか。
 神や祖先への敬意が、気づかぬ内に高さに表れます。
 目線くらいが適当です。
 この1、〜5、は仏壇も同じです。
 (私たちは神道ですから仏壇はありません。
 大元の天在諸神にご先祖と家族・自分の安心を願うのが一本道と信じるからです)

6、向かって右側に青い、多分『信徒の祝詞』と思いますが、その中の『清祓い』を一日一回でも家族お揃いであげると良いです。(我が家も行っています)
 先導する人(大切なお願いはお父さんが、普段はご家族ができれば交代で)が『言(い)わ巻(まく)も〜伊邪那岐命』までを唱え、後は全員で一緒に唱えます。
 終わって、『我が心清々(すがすが)し』を3回、『天在諸神(あめにますもろもろのかみ)守り給えさちわい給え』を3回、『産須根(うぶすね)の神守り給えさちわい給え』を三回唱えます。
 約2分もあればできます。
 ご家族には、決して強制されないで、”自然に一緒に手を合わせて頂けると幸せ“という感覚が良いですね。

7、細かいことですが、御神酒鈴(おみきすず=お酒をお供えする徳利)に御神酒が入っているので、両側の四合瓶は特別のお供えなどでなければ、普段はなくともよいです。
 お水は、出来れば毎日換えて下さい。
 ご飯を炊いた時は、食べる前にほんの少しで結構ですからお供えして下さい。
 お水は毎日換える時に飲まれて結構ですし、ご飯もいたむ前に捨てずに頂きましょう。

☆★☆ 素朴な疑問 ★☆★
     
 Q & A

Q1、客人信仰とはどんなことですか?

A、 自分はお金を払っているのだからと、教師に全てを委ねているような信仰で、自分は「誠心」を尽くして願い祈り続けることをしないで、あの先生は良く当る、当らないと霊感ばかりに頼っているような信仰を言います。
 『神の力は、誠ある人に与えられる』

Q2、剣板(けんばん)はなぜ木で出来ているのですか?

A、 昔の儀式の時、本当の刀を使っていたのを、木に変えたら皆の心が安らかになったので、それから以後は木で作った剣板を使うようになりました。

※剣は破邪顕正の要具である。本教では剣板を もって之にかえ、身心を正し、邪悪から守ろ うとするものである。(祭式教本から)
    
                古事記「絵で見る解説文」
B神々は島へおりると…
 二神はその島にお降りになって聖なる太い柱を立て、広い御殿をも築かれました。
 そして二神は結婚式をあげることにし、その柱のまわりを男神が左から、女神が右からまわり、出会った時に声を掛けあいました。
 男神が先に、「なんと美しい娘なんだ」と声を掛け、女神が「なんとすばらしい男性でしょう」と応え式をおえました。
 二人はやがて健やかな子らを授かりました。
 その子どもたちとは、今の日本を形成している島々なのです。
*人類として初めての結婚式。
☆男が先に声を掛ける。
 古来、なべて力の強い男が、上位・下位というより向かって右側で(右手が武具を持つ利き腕)守る。
 たまには女性の方が力が強い夫婦もいるが。
 那岐(伊邪那岐神)は柱の左(神前に向かって右から始まり左から時計回り)から、那美(伊邪那美神)は柱の右から回る。
 異性に声を掛けるという難しいことは、男性の役割。
 ”男女は平等であるけれども、同権ではない“という御教祖の教え。
 それぞれの特性を生かした役割がある。
☆先に女が声を掛けて失敗(不具の神が生まれる)したとき、天在諸神に伺う。
 事業を行う前に祭(例えば結婚式や地鎮祭)をするという習慣の始まり。
☆祭と占いで願い伺ったこと。
 神に願う一番良い方法は祭(前・列なる)。いわゆる占いの元は、本教の宇良奈比真伝。
*おおらかな性観念。
 女性やその生理の血などを汚れとしない。
 血を見て痛みを連想し、その恐怖から逃れられないことが汚れ。
 那岐「あなたの体はどうなっていますか?」
那美「私の体は成り成りて成り足らない所が一所あります」
那岐「私の体は成り成りて成り余る所が一所あります。
 だったら、あなたの成り足らない所を私の成り余るところで塞いで国作りをしましょう」
 日本書紀にも、いざ国生みをするときにその方法が分からない。
 その時、セキレイが二神の前に飛んで来て腰を振るのを見、それに習って国生みが出来る。
☆神道と、仏教やキリスト教と同じ宗教とはいっても似て非なる所。
 性や飲食を禁忌としない。
 性は子孫繁栄のために、飲食は神祖と共に生の喜びを分かち合い感謝すると共に、生の存続のため栄養をつけるために当然必要のこと。
 

                                                           
                  北勢教会  三重県四日市市栄町  教会長 伊藤 守彦

 北勢教会は大正七年、私の父で初代教会長の伊藤幸吉によって設立され、昭和三年に公認されました。
 設立については次のような由来があります。幸吉が台湾に出征、渡河作戦の演習中に水牛の角に突き上げられ瀕死の重症を負って陸軍病院に入院しました。ある夜、神理教の御教祖が夢枕に立たれ、信仰への誘いを受けました。
 神理教の名前すら聞いたことのない幸吉は、約一年の療養の後、小倉を訪れました。恐らくは半信半疑の思いだったでしょうが、小倉郊外の山野と田畑のなかに神理教が存在したことに驚いたのです。さっそく入教したことは言うまでもありません。その間、当時の東海分院長の小田清彦先生のお導きをいただいたとも聞いています。
 その初代教会長も十八年前に帰幽し、私が二代目を継承しました。
 当教会では、約二十名の教徒さんとその子弟の皆さんが、お参りいただいて、ご先祖をお祭りし、教会をお守りしたいと務めています。
 年中の神事は、春と秋の大祭、先祖祭、穂見祭、月例祭と本院とほぼ同じお祭りを執り行っています。大祭のときには、赤飯を作って神前に供え、直会として皆さんでいただきます。これは、御教祖が布教で全国を巡られた折、信州の雪中で倒れ、持参した信者からのわずかな赤飯を食べて命を永らえられたという逸話に由来するものです。私たちは『御教祖の命綱』と呼んでいます。
 先祖祭のときには、おはぎを作ります。それがおいしいと評判で、若い方々から作り方を教えてほしいと言われ、「みんなで作るから、おいしいんですよ」と答えています。赤飯もおはぎも婦人部で作るのですが、私は感謝の気持ちが込められていい味が出せるのだと思っています。飽食の時代の今こそ、このような素朴な味を大切にして感謝の心を伝えていきたいと考えています。
 また、七月の中旬から八月の穂見祭まで、教会の天井に約三十の回り灯篭を飾って、先祖をお祭りしています。これは初代教会長が亡くなり、何かしたいと思っていたところ、名古屋で屋久杉と正絹で作られた灯篭を見つけて始めました。灯火が揺らめいて、それは幻想的な空間となり、『献灯月間』としてこれからも続けていきます。
 先月、帰院の途中に数十年ぶりに門司港駅に立ち寄りました。私が五、六歳のころ、父に連れられて下関から船で門司港に渡り、何回か本院に行ったことを思い出し、今も変わらない大正ロマンの駅舎を見て思わず涙しました。創立七十周年の式年大祭のころから四、五年毎に四十名位で帰院するようになりましたが、それが団体帰院の始まりだったのではないでしょうか。一番の思い出は教祖墓前祭の奉仕をさせていただいたことです。
 戦後まもなく、大教殿で管長様と本教の将来について語り合ったことがあります。当時の大教殿は大雨の雨漏りで、人間よりバケツの数のほうが多かったのを覚えています。お互いに二十代のときで、尊厳さのなかにも温和で家族のように接してくださる管長様は今も変わりませんね。
 私どもは長男夫婦と次男夫婦、孫たちと家族全体で信仰生活を続けていますが、管長様をはじめ北勢教会の信徒さんなど多くの方々に支えられていることを日々感謝しています。
※裏表紙に北勢教会の穂見祭写真 を掲載しています。
            

     本院職員紹介 会計課長 上村 良子( りょう こ)さん

 上村良子さんは大教庁で会計を担当しています。恐らく「電話で話したことがある」という方も多いはず。教信徒の皆さんにとっては身近な存在といえるでしょう。
 上村さんと神理教とのご縁の始まりは結婚でした。嫁ぎ先が神理教の教徒で、毎月、徳永先生に月参りをしていただいていたそうです。その徳永先生が、上村さんとご主人とのキューピット役であり仲人でもあったとか。
 そんな上村さんが本院に勤めるようになったのは、昭和六十一年のことです。
「何も分からずに入ったので、当時、会計課長をされていた金田良子先生に、それこそ一から教えていただきました。ここまで来られたのも先生のおかげと、心から感謝しています」
 一番苦労したのは、電話の応対でした。全国各地からかかってくるため、時には言葉が分からないことも。「それでも」と、上村さんは続けます。「電話の印象は大事ですからね。頭を下げるくらいの気持ちで応対しないと」。
 そんな上村さんの真摯な態度は、きっと受話器の向こうにも伝わっているのでしょう。ある時、年配のご婦人から「お会いしたいが体が不自由で帰院できないので、写真を送っていただきたい」と言われたことがあるそうです。(「私の写真を見て、ショックを受けたら申し訳ないから」と、今回、写真撮影に消極的だった上村さん。お願いして、ようやく一枚撮らせていただきました。それがこのページの写真です)
 さて、会計といっても、上村さんの仕事は普通の会社の会計とは少し違います。預かるお金には皆さんの心がこもっているからです。
「ですから、ただ事務的に、というわけにはいきません。あれは、入ってまだ間もないころのことです。送られてきたお初穂に、『わずかな年金ですが、お神様にお供えしてください』と一言添えてあったんです。それを見て、涙が出ましたね。その時金田先生から、『こういう方がいらっしゃるのよ。こういう方のおかげで今があるのよ』と言われたことを、今でもはっきり覚えています」
 会計の役割は、「皆さんの心がこもったお金を、お神様へ橋渡しすること」と言う上村さん。その言葉には、自分の仕事に対する熱い思いがこめられているようです。
 今年、上村さんは教師を拝命して十年目を迎えます。
「一昨年から夏の講習会の時、祭式をさせていただいています。でも、袴を踏んでしまったり(笑)。他の皆さんは、姿も流れも本当にきれいなんです。自分でやってみて、いかに大変なことか、よく分かりましたね」
 本院に勤めるようになって、「改めて神理教はすばらしいと思いました」。そして、一番良かったのは「お神様に手を合わせるようになったこと」と上村さんは振り返ります。「いろんな方と接して、心の勉強をさせていただき感謝してます。来年は独立百十周年を迎えますが、一人でも多くの方に帰院していただきたいですね。とにかく本院に足を運んでいただければ、何か得るものはあると思います。私自身がそうでしたから」。
 きっと上村さんは、帰院された皆さんを「お帰りなさい」と、温かく迎えてくれることでしょう。

                   雑   記  遊歩 太郎  献血ルームその2(終)

 献血ルーム受付で、今回で百一回目の献血大年増女性から励まされた私は、何かしら勇気凛々とした気分になった。この回数は正に偉業である。そういう人に会ったこと、又逆に励まされた事に私は甚だ感激した。遊び半分では出来ない回数である。年数も掛かるし、本人の使命感というか意志を持ち続けるパワーに只々敬服である。誰も年寄りの冷や水とは言わないであろう。齢を重ねても心の持ち方次第でいつまでも青春でいられるのである。世の中で活躍している人で熟年老年の方々の多いことを見ても一目瞭然である。
 そのパワーに後押しされた感じで一種の興奮感に包まれていると、「二階で検査をしますので、そちらの階段からお上がり下さい」と、受付嬢から促されて足を進めた。二階はひっそりと静まりかえって一階受付のワイワイガヤガヤは微塵もなかった。血液検査・血沈検査・血圧など順を追って検査は進んだ。途中、階下から男性と女性が上がって来た。若い、二人とも若い。二人は話しながらも落ち着かない素振りを見せていた。ハッハー、二人とも初めてだなー、と直感した。「○○君A型なんだー」「看護婦さん、血圧大丈夫ですか」「本当は、注射キラーイ」などと、時々スットンキョウな声を出している。耳障りではあったが、羨ましくもあった。羨ましい?そう感じている自分が可笑しかった。やはりトシ?なのか、ついさっきまで大年増のおばちゃんの励ましで ”青春だー“状態でいたのに今はそれも萎えかけていた。
 検査も全て終わり、再び階下に行き案内されるままベッドの人となった。若い二人も降りてきて同様にしていた。少しだけ若い二人を意識していた。太めの注射針が腕に入り、「これを握ったり離したりしてくださいね」看護婦さんが直径5センチ位の布製の小さな棒状の物を私の手のひらに置いた。私は、その棒を握ったり緩めたりしながら「どんなですか。順調ですか。若いころには噴き出る様に出てましたが」すると看護婦さんは「順調ですよ。この調子なら早めに終わるかもしれませんわ」と、笑顔で答えてくれた。この一言で萎えていた気持ちが消え去り、再び元気が甦ってきた。心コロコロとはこの事であろうか。棒を握る指にさらに力が入った。
 最後に大きめの絆創膏を貼り包帯を巻いて終了である。受付に戻り、検査表を渡すと「手続きがありますので少しだけお待ち下さい。後ろの販売機は全て無料ですのでお好きなものをどうぞ。ご気分は?悪くないですか?」「ありがとう」と答えて飲料のボタンを押し、立ったまま飲んだ。だいぶん間があり先ほどの若い二人が受付に行き、男の子が私の隣に立った。私よりはるかに背が高い。この時間差は私の血の出方が早かったということであり、内心勝ったと思った。まだ自分は青春だー、と思った。
 「ドタッ」と鈍い音がした。「キャャー」と、私の前で女の子が叫んだ。その目は私の足元を見ている。すぐ振り返って見ると男の子がいない。ナ、ナント男の子は私の足元に倒れているではないか。すぐさましゃがんで手を頭の下に入れ、「誰かー、先生か看護婦さんをー、早く呼んでー」私の大きな声は直接看護婦さんに聞こえたらしく、脱兎の如く駆け寄って来た。脈をとり瞼をこじあけていた。「大丈夫。暫く安静ね」さらに「そこの男性は手伝って下さい」と声を掛けた。受付ロビーにいた男性四人が集まって来て背や腰・足を持った。私は頭を持ったままで、ソファーに運んだ。
 初めての事で、いささかビックリした。先ほどの「ご気分は?悪くないですか?」と受付嬢の言葉を思い出した。何とも無い自分は、ただ有難いとの感謝の気持ちになるしか無かった。百一回目のオバチャンには到底追い付く事も出来ないであろうが、継続出来たらいいなーと思った。
人生を季節に当てはめて、青春・朱夏・白秋・玄冬という言い方がある。いつまでも青春・朱夏状態をいかに保ち続けるかが大事である。

 血液のことを血という。御教祖は人体本言考の中で、「血」の本言を「トホリ」即ち、「通り」であると説かれている。身体全体を休む事無く隅々まで行き通っているからである。この「チ」は「イノチ」の「チ」とも言える。正に「チ」は生命力の「イノチ」を身体全体に運んでいるのである。
 「チ」は「霊」の字を当てることがある。「霊」の字は、レイ・ヒ・ビ・タマ・チと様々に読む。特に「ヒ」は「日」であり「神」を指す場合が多い。コトダマ学にも多数の例があるが一部を紹介すると、アタマ(頭)はタマアリカ(霊在所)、ヒト(人)はヒタリトドマリ(霊足り止まり)、クビ(首)はキビ(気霊)、ホネ(骨)はヒネ(日根)、ユビ(指)はヨルヒ(寄る日)、ヤマイ(病)はヤムヒ(止む日)、などがある。
 乳は医学的に見ても血液が組成変化したものであり、赤ちゃんにとっては生命維持の大きな力である。女親から与えられるものを「乳」といい、男親を「父」と言うのは、それぞれから「霊」を戴いているのである。勿論、その大元は「神」であることは当然のことである。
 

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