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神理

平成15年6月号 第1072号

        

巻  頭 の こ と ば

我欲は、罪やケガレを生む。
これは、神様からいただいた御力をマイナスにしてしまう。
六月は反省を促(うなが)す月として連綿(れんめん)と続いている。
人は一人で生きているのではなく、
いろんな人との関係の中で生かされている。
我欲を少し抑えて相手を思いやる気を持つ。
そうすれば周りが明るく清らかになることは
間違いのない事実である。

                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
      あり がた  おや            ただいま
   有難し 親ありてこその 只今と
               おも            ひと  ひと
            思ひつつしむ 人ぞ人なる
 子育ては、すべての動物の親が、労苦をいとわずに行うものであります。人類も亦、自分自身が生きることさえ厳しかった遠い昔から、子育てには懸命の努力をしてきたと申せますし、そうした子育ては、動物すべてに備わった本能と考えられます。
 但し、人類は、いわゆる親離れ・子離れの時期や様相が、他の動物とは大きく異なります。即ち、動物一般の親子関係が子育ての短期間に限られるのに対して、人類の親子関係は、恩愛の情に繋がって親の歿後まで続く例も少なくない!という事であります。
 この恩に気付き愛を感じるというのは、人類が育んだ固有の性情と考えられますし、それを基調とした親子関係が長く保たれるのは人類の美風と申せそうでありますが、近来は、そうした固有の性情や美風に変化が生じているように見受けられます。
 現に、子育て期の幼児を虐待、更には殺害する事件が続々と報じられています。動物一般の親にも見られぬ蛮行であります。成人した子が親に危害を加える事例も少なからず聞かれる所であります。恩に気付かぬまま育つ子が増えていると考えられます。
 原因としては、核家族化その他、家庭環境や社会環境の激変に対応する姿勢の不適切!が挙げられそうであります。又、親子関係が長期にわたる事を前提として、打算的な智慧をはたらかせる立場からの行動が生じた点も、考え合わされます。
 それにしても、お互いが、我が親や祖父母や祖先の恩愛を認識感得し、それ相応の生活姿勢を貫き通す事になれば、おのずから円満な親子関係が保たれる状況となるに相違なく、それぞれの家庭には、そうした風潮が不可欠となるように考えられます。
 子を思う親心に気付かず、恩愛を強く認識感得しないまま育つ子の世代が続くという悪循環の中で、親心に欠ける親が育ち、恩愛に不感症な子が増えつつあるとも申せそうであります。我々としては、そうした悪循環を断つ点からも、姿勢を改めて、親・祖先に繋がる生き方を考えながらの生活を、推し進めねばならぬという事になる様であります。
                                             

6月号

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)

()(きょう)との(ちが)い・(ぶっ)(きょう) 1

(よう)(ぼう)(はん)(のう)について

 この(しん)()(ざっ)()は、(とく)にこの(すう)(ねん)(どく)(しゃ)(かた)からのご()(けん)(はん)(えい)するように(こころ)()けています。

 すぐにお(こた)()()るものや()()ないものもありますが、お(かげ)(へん)(しゅう)(すす)める(うえ)(たい)(へん)(さん)(こう)になっていることを、()(ほう)(こく)(とも)(かん)(しゃ)(もう)()げます。

 ボランティアのモニターになって(いただ)いてご()(けん)(くだ)さる(かた)から、(ひょう)(だい)について(よう)(ぼう)があったので(かんが)えてみることにしました。

この(だい)(へい)(せい)十一(ねん)十一(がつ)(ごう)〜十二(ねん)(がつ)(ごう)半年(はんとし)(わた)り『()(しゅう)()(かた)との会話(かいわ)』ということでふれたことがあります。

 その当時(とうじ)身内(みうち)(そう)(りょ)(おお)いという(かた)から、『…()(おし)えを()(はん)する(まえ)に、()(ぶん)()(なお)しもっと()(きょう)(べん)(きょう)するべきではないか…(どく)(しゃ)()(わい)そう…』(など)(ちょう)(ぶん)()(はん)のFAXを(いただ)きました。

 お返事(へんじ)用意(ようい)したのですが、差出人(さしだしにん)不明(ふめい)であったのでそのままになってしまったという()(おく)があります。

 (ひっ)(しゃ)(たい)(とう)()(ろん)()()()()べたことを、(わたし)たちが(しん)(じつ)(もと)める(ため)(かんが)(けん)(きゅう)する(ざい)(りょう)として(かい)()しました。

 (しん)(らい)がなければこの(しん)()()()めないと(おも)いますが、(ひっ)(しゃ)()いたことを(けっ)して(ほん)(きょう)のみを(ゆう)()にする(もく)(てき)()えることはなく、(ほん)(きょう)(おし)えを(もと)(たい)(おう)した(こと)(げん)稿(こう)にしているつもりです。

 (とう)()原稿(げんこう)趣旨(しゅし)もそうでしたが、他教(たきょう)から誹謗(ひぼう)中傷(ちゅうしょう)されることからは(よう)()しても、(けっ)して()(きょう)()(ぼう)(ちゅう)(しょう)することが(もく)(てき)ではありません。

 ()()(ぶん)についても、もしご()(しん)(てん)があれば()()(かぎ)りお(こた)えしたいと(おも)いますので、(じゅう)(しょ)かFAXかメールアドレスなどをお()(いただ)ければ(さいわ)いです。

 

(ぶっ)(きょう)(いっ)(ぱん)について

 (ぶっ)(きょう)といっても(しゃか)迦の(おし)えを(かい)(しゃく)するに()(よう)(きょう)()(じっ)(せん)(ほう)(ほう)や、また(れき)()によって(おお)くの(しゅう)()があって(いち)(がい)にこんな(おし)えであるとは()えないようです。

 (きょく)(たん)にいえば、(にほん)本の(しん)(とう)(ちか)(かんが)(がた)をする(しゅう)()もありますし、(まった)(あい)(はん)する(きょう)()()(しゅう)()もあるようで、それは(しん)(とう)()(よう)(せい)(おな)じです。

 ()くところによると、(ぜん)(しゅう)(けい)僧侶(そうりょ)(しゅっ)()をしているものの、いわゆる(かま)(くら)(ぶっ)(きょう)()(こう)(たと)えば(じょう)()(しん)(しゅう)などは、僧侶(そうりょ)在家(ざいけ)であるということのようです。

 在家(ざいけ)というのは、家族(かぞく)(ざい)(さん)()たないという(しゅっ)()ではなく、いわゆる(しん)(じゃ)(やく)(しょく)として僧侶(そうりょ)をしている、ということのようです。

 本誌(ほんし)仏教(ぶっきょう)研究(けんきゅう)をするものでもありませんし、筆者(ひっしゃ)一般的(いっぱんてき)勉強(べんきょう)はしているつもりですが宗教(しゅうきょう)学者(がくしゃ)ではありません。

(なん)宗教(しゅうきょう)またその宗派(しゅうは)にしても専門家(せんもんか)当事者(とうじしゃ)でない(かぎ)(もく)(てき)(きょう)()はつかみ()ないところがあると(かんが)えられます。

(ひっ)(しゃ)()(ぶん)()(しん)()()きしたものと(ほん)(きょう)(おし)えを(くら)(あわ)せながら、(みな)(さま)()(いっ)(しょ)(かんが)えられればと(おも)います。

 

(こう)(えん)(かい)()いて

 昨年(さくねん)山口県(やまぐちけん)詩人(しじん)についての講演会(こうえんかい)で、浄土(じょうど)真宗系(しんしゅうけい)住職(じゅうしょく)という(かた)(はなし)()きました。

(きょ)()()(じん)についての(はなし)(しゅ)なのですが、自分(じぶん)僧侶(そうりょ)であるので仏教(ぶっきょう)(はなし)もさせて(いただ)きます」ということでした。

 そこで(しゃか)迦の(おし)えとして(はな)されたのが、()(じょう)(ぞう)()(にん)()の3つの(はなし)でした。

1.無常(むじょう)について

『この()(たし)かなものは(なに)もありません。

 (なが)(あいだ)あれだけ(たし)かなものと(おも)われたデパートのSも(いま)はなく、スーパーのDも(あぶ)ないと()われています。

 そればかりか、(わたし)たちが(いち)(ばん)(たよ)りにしてきた()(けん)(がい)(しゃ)(とう)(さん)(あい)()ぎ、(おお)きな(ぎん)(こう)さえも(たし)かなものはない、と()われるようになりました。

 (みな)さん、()(なか)(たし)かなものは(なに)もないのです。

 その(きび)しさがあることを()るべきなのです』というものでした。

 (あと)の2つを(つう)じてもそうですが、(ひっ)(しゃ)(ぶっ)(きょう)(おし)えとは(なん)()(ぶん)()()()()んでしまいそうな(くら)いものかな、と(かん)じました。

 ここで()(もん)(おも)ったことは、(ぶっ)(きょう)(おし)えというか(きょう)()ともいえる(しゃ)()()(じょう)(ひと)つなのだろうか、ということでした。

 (はなし)(ぜん)(たい)(とお)しても、だからその(こころ)(すく)うべき(ぶっ)(きょう)があるとか釈迦(しゃか)がおられるということにこだわっていないように(かん)じました。

それは(なに)かそこで()いそびれた(しん)()のようなものがあるのか、それとも(ほん)(とう)(なに)もないのかが、(ひっ)(しゃ)には(はなし)(さい)()までつかみ()れませんでした。

 

 (しん)(とう)(しん)()(きょう)との(ちが)いは?と()われれば、()(かく)すれば(しん)(とう)(あか)るいというか(らく)(てん)(てき)というか、より()いものを(つく)()すというのが(かみ)()()()()めます。

 ()(じょう)(そん)(ざい)(みと)めても、()(なか)()(たい)()(じょう)であるとは(かんが)えません。

 ()(じょう)(きび)しい(げん)(じつ)があることは()(てい)しないものの、この()(わたし)たちの(おお)(もと)のご(せん)()である(かみ)(つく)られたものだと(かんが)えます。

だから(かい)(しゃ)とか(せい)()大切(たいせつ)(おも)いながらもこだわらない、もっと(おお)きな()(ぶん)(かなら)ずより()くなるのであるという(かっ)()たる(しん)(こう)()ちましょう!、というところが(たい)(しょう)(てき)(ちが)いのように(おも)います。

こうした(かんが)(かた)(げん)(じつ)(あい)(まい)(ばく)(ぜん)としたつかみ(かた)しかしていない、とお(かん)じの(かた)もあるかもしれません。

 しかし()(じょう)(きび)しい(げん)(じつ)があったとしても、それは(わたし)たちの(こころ)()(ちが)いやご(せん)()(くる)しみをお()らせ(くだ)さるものであると考えます。

自分(じぶん)祖先(そせん)(あやま)ちに()()(はん)(せい)(かい)(ぜん)への(みち)(いの)りと(とも)(あゆ)もうとすれば、(かなら)(おお)(もと)のご(せん)()である(かみ)(わたし)たちを(たす)けより()くして(くだ)さる、というのが(しん)(とう)(しん)()(きょう)(おし)えなのです。

 

(らい)(げつ)(ごう)(のこ)りの(ふた)つを()()すことになりましたが、(どく)(しゃ)(みな)(さま)もお()()きの(てん)などあれば、(おし)えて(くだ)さい。                    つづく

    

管長様が解説する御教祖の御歌/『人道百首』より

この道を しけば其身(そのみ)も 福を得て
  末の末まで 栄えゆくなり


 道=ミチのミは神を意味する!!という御教示が遺されており、これは一般的な学説として通用することになっております。
 また、道=ミチのチは、現今の概念としての道路を意味する!!とされております。たとえば、道路が二マタ三マタなどに分岐する所をチ・マタというような次第であります。
 要するに、道という言葉の本来の意味は、神様が造り司り居します一すじに連なった所!!
ということであります。
 ちなみに、宮=ミ・ヤは神屋すなわち神様の鎮まります家と解されますし、峰=嶺=ミ・ネは神嶺すなわち神様が鎮まります高嶺を意味するものと申せそうであります。
 これらと同様な在り方で漢字を当てますと、道=ミ・チは神道ということになりますが、この『神道』は今日的な神道の概念とはやや異なる点が考えられます。
 神理教の信仰は純神道系とされております。いわゆる教派神道の中では、いわゆる神社神道に最も近い教団の一つ、とみなされて来ているわけであります。
 しかし、その神社神道に類別される神社は、長い歴史を経験するなどの理由もあって、それぞれに個性を持つこととなっており、必ずしも一様とは申しかねる現況であります。
 それにもかかわらず神社神道とされるのは、それぞれの底流にあるものが同一!!とみなされる故のことと考えられますし、その底流=本流がミチ=『神道』であります。
 そうした意味での『神道』を鼓吹宣布するために、御教祖は一教独立にも辛苦されたわけでありますし、この道とはそうした神道=神理教ということになります。
 申すまでもなく、神の子としての我々が、この道を踏みはずせば、神の子として当然受けることのできるものを、受け得なくなるのは自明の理であります。
 幸い?にも、この道は、一般の道路と同様に、いわゆる道幅があると考えられます。それも、いわゆる路肩が分かりかねる状態で、極めて幅広いものと考えることができます。
 従って、仮に方向を誤っても、踏みはずしてしまうまでには進みかねることも考えられます。つまり、この道を知ることに目覚めれば、苦境からも立ち直れるということであります。
 まして、この道を知ることに努め続けていれば、中央ではないにしても、かなりのものを受け続け得て、それなりの安心や幸福を感じることができると考えられます。
 これを逆な立場から言えば、それなりの安心や幸福が感じられるのは、受け得られるべきものをかなり多く受け得ていることになるわけで、そうした認識と感謝が肝要であります。
 そうした認識と感謝の中で生活することは、この道を布くという点について、消極的ではあっても貢献ありと考えますが、御教歌はさらに積極的に!!とされているようにも思われます。
 われわれとしては、そこまで進むことをも含めて、この道についての考えを深め、おのずからより多くのものを受けいただくことのできる自分を目ざさねばならぬと考えます。

 幸福への出発   光陽教会 中山 勇

 
    第15集 神は遺伝子を管理する

 遺伝子のATGCは先祖が与えた物なのですが、その基本は神の子としての機能と仕組みを神様は持たせて幸魂を授けているのです。この幸魂はDNAの管理を神様から受けています。DNAは人間の体を造る細胞など小さな単位から始まる身体全体の設計図なのです。胃・肝臓・腎臓等の内臓や血液・皮膚・髪の毛・つめ・目や鼻そしてたんぱく質や血液等の神が書かれた創造計画書です。
 DNAは神幽現の三層の働きを持っています。液体に見える血液も少し小さな単位で見ると赤血球や白血球、リンパ球等の様に球体の集まりなのです。その球体や血管そして内臓の臓器や細胞等の皮膚組織また身体全体の皮膚組織も内側・中心・外側と神幽現の三層に成っています。神と先祖と自分の一体の仕組みなのです。この仕組みを管理しているのが「幸魂」です。
 幸魂は神様の神霊なので素晴らしい機能を持っています。創造性、計画性、予知能力、修復性等の善をつかさどる全ての機能と働きがあります。幸魂は脳細胞の「前頭葉」に在ります。人間は神の子としての良心を持って生まれています。だから人間は「善いことをすれば気持ちがとても良い」のです。幸魂の心霊が喜ぶからです。だから善いことをすると神の救いが働き「創造性や計画性、そして記憶力などの知能の働きが強くなり頭が良くなる」のです。
 例えば子供の頭を良くする方法は幸魂を喜ばすことです。しかし子供は二十歳くらいまでは体の中では成長ホルモンの働きが強いため、子供の幸魂は親の影響が強く働きます。其の為、子供の頭を良くする為には「両親が直接神様に奉仕と徳を積む行いで自分の幸魂を喜ばす事が一番大切」です。子供の身体の中では両親の精子と卵子の細胞が細胞分裂をしてどんどん成長しているからです。両親は細胞と、その中で働いている遺伝子とDNAを、そのまま子供の細胞として与えているのです。子供の知能の良し悪しは親の善の行いに比例します。「まさに子供は親の鏡」なのです。
 幸魂は天命で神様に対する絶対服従の使命とスガカミとしての働きが強く「神の子としての修行」を義務として与えています。その働きを管理運用しているのが「体験と神の道を勉強して成長していく奇魂」です。体の中では神がDNAを幸魂に神の子として与え、奇魂が体験や勉強を元にして善に返す心の実践でDNAを修復して強くするのです。人は誰でも平等に神の子です。神は人間が生きるために動物や植物の全てにそれぞれ遺伝子を与えて、休む事無く今も創造されています。そして人の幸せと繁栄を願い時間を刻んでおられるのです。神の望まれる幸せとは何でしょう。
 その第一は、先祖が氏神に成ることです。氏神に成るためには子孫の信仰が絶対なのです。信仰は先ず神様の存在を知ること、そして「神の道が体にしみ込むほど勉強する事」、 勉強したことを行いとして実践する事。
 第二は、先祖・親と自分との因縁「原因と結果」としての遺伝子の法則、そして先祖祭りの重要性、祭りの中での罪の祓い・奉仕・心の浄化、人の道を理解して心と姿勢を正して先祖が喜ぶ家庭を作ること。
 第三に、家庭の平和、夫婦・親子・兄弟・親戚の仲が良い事が家庭の平和なのです。平和とは何でも話せる家庭環境です。感情を抑えて冷静に話を聞く「聞き上手」が基本になります。特に親から子供への言葉はついつい命令調になりやすいのですが、 「人は誰でも命令されると反射的に反発をする」心の働きがあります。神様を信仰している自分の心の中に子供に対する「思いやりやいたわり」の親心が有るのか無いのかで、子供の「心の成長が」大きく左右されます。最近は情報過多のため、良い事も悪い事も子供たちの目や耳にお構いなしに飛び込んできます。
 第四は、心の持ち方と考え方、そして物事を正しく見る目の修養と行いです。これは子供の健康に大きく影響します。この中で一番大切なのが「永遠のテーマの嫁と姑の問題です」。 病気の原因のトップがここに有ります。このテーマは次回にします。信仰は自分の心を磨く事を神様は要求しています。こんな世の中です。親は子供のお手本に成る様に「神を信じて心の修行と、してみせる後姿での教育を」愛を感じさせる躾としての心の教育が大切です。子供が悪い。それは親の手本が悪いからです。良い事とは神様に喜んでいだける心と行いをする事です。善を求めて心からの奉仕です。人は神の跡継としてのDNAを、氏神に成るために神様から授かっています。いつでもどんな時でも「我が心清々しい」と言える環境を作る必要があります。
 わが心清々しいとは
   今を感謝すること
 わが心清々しいとは
   今を喜ぶこと

             教祖の道統 長崎教会 教会長 大教庁文化局長 花岡 勝成

第四章 教祖の霊観
 第三節 諸魂の作用(働き)
 和魂(にぎみたま)の性質
・暖かく安らかな和魂
三、和魂(ニギミタマ)と読む、その本言(言葉本来の意味)を御教祖は『ネシリ・カミ』と言う(※編集より/和をニギあるいはニゴと読むのは原文にそっています。)ことにて、ニはネシリの切りニにして、キはカミの切りにて、総て物事の根本を良く知るという意である、と教えられています。
 『ニギ』は愛、賑々しい、和、新などの語と意味が通じて、平静、平和、温楽(又はオンラク=暖かく、心身が安らかで楽しいこと)の状態をいうのです。
 従って、和魂の性質は善悪の根本を知っているから、常に穏やかで清らかなことを好み、清らかなものに添うことを本性とするものです。
 しかし、単に自然のままで何もせず物が消滅する状態をいうのではなく、自ら進んで事をなす活動を持って生まれた性質とする荒魂が、向上、進歩、努力奮励し、或いは、怒る心のような状態を表わした後に、一度その活動が休止して、うっとりと楽しく心地よい状態になった場合が、和魂の性質であり心情です。
・和魂の鎮りどころ
 そうして、和魂は本魂の『幸魂』が天上に帰った後は、産須根大神の宮にとどまり子孫を守り、長く久しく守護するものであるということを、四魂論に
【和魂が産須根大神の社に鎮まることは神賀詞に、大己貴命申賜久云々、巳命の和魂を取託て倭大物主櫛甕玉命と名を稱えて大御和の神奈備云々としるされている。
 さてここに大神の神語に天下に疫病が流行りたる時、我心なりといわれたるは何事なりというに、天下の人民がそれぞれの氏神を祭ること薄かりし故、それを世の人に示し給いたり。
 大物主神は自ら氏人大田種子をして我前を齋かせむことを示し給い、天照大神の御前をば氏子倭媛命をして祭らせ給いは、その氏人をして祖先産須根神を祭らせししるしなり】
と和魂の鎮まる産須根神を斎き奉ることの神習わしは、この様に昔より伝わっていることで今の世に於いても、氏人がその土地の産須根神を奉ることは盛んに行なわれております。
 これらの上から見ますと、子孫の繁栄長久を願い、人の跡を絶やすことなく、次々に受け継ぎ伝える性質と、平静にして平和な又賑々しい性質にあこがれるのは、ごく自然の人情であります。
 氏神祭について不昧軒翁の言葉を借りていえば《田舎祭りの極意はそこの人民の魂を生土神にしばりて、その郷にくくりつけさす霊法なり》とありますが、それは良く事理の通った言葉というべきで、人間の本性と幽冥に於ける和魂の性情が最もよく交通している処の様子で、人の魂をこの和魂を祭る産須根神に「しばってくくりつけるまでに」人間の本性は接近を願うのであります。
・寿命を司る和魂
 そこに自己の生命の安全及び永続という意味が含まれているので、和魂は寿命も司るものである事を神功紀に、
【和魂服二玉身一守二壽命一】
とあり、又大倭神社注進状にある大己貴命の神語として
【我和魂 自二神代一鎮二室山一 而助二神器昌建一】
とあるのもこの意味です。又素盞嗚命も狂暴から一度「吾心清々しい」と前非を悔い悟り英明の神になられたのも、荒魂が他の諸魂の活動より飛び抜けて一段激しい活動から、平静で温和な性情である和魂に転じたものでしょう。
 そして、更に尊い月読神になられたのは和魂の性情より一段と清明な幸魂の本魂に帰られたからであります。
※編集より/御教祖はこうしたところから素盞嗚命と月読神を同神異名と解釈されています。
 本魂から分化する魂の働きに於て、最も具体的に人間に現れるものは和魂と荒魂の作用で、この二魂は人間性を二分流して出発するものであります。
 堪忍のみを 道とないひそ 止ざれば
    鉾とりてまし 大和魂 (皇道百首)
(耐え忍ぶことだけが道である、などとは言ってはいけません。公の為に、社会を守るというような止むに止まれぬ理由があれば、武器を持って戦うという荒魂の積極性を表すのが日本人の心なのです)
荒魂の性質
・我が身を守る荒魂
四、荒魂(アラミタマ)と読む、その本言(言葉の本来の意味)を御教祖は、
【荒魂の阿良の阿はアタの約めにて、良はアリカにてアリの切りラにて、カは横音同じく省きたるなり。
 荒魂はアタアリカにして荒び、仇なす魂なり。
 しかし、この魂を悪とのみ指すにはあらず、常に身を守る魂にして、死して後も体を離れず守りけるなり】
と教えられている様に、荒魂はこの様な性情であります。
・動を特性とする荒魂
 丁度、鏡の様な水面に石を投げ入れると波が起こるのと同じで、霊が未だ何も起こしていないとするならば、荒魂はすでに起こった状態をいうのです。
 従って、霊を静とすれば荒魂は動であります。
 静に対して動の本性として活動進歩を意味するものでありますが、荒魂はこの霊の上に認められる動の意味に於ける活動の上に更に起こる活動で、霊全体の上に認められる活動とは別個の活動です。
 つまり、霊全体の活動は常に四魂が各々その性情の調和を計って、完全に進んでいる時を指すものですが、ここでいう荒魂の活動とは、四魂の調和が乱れ、他の魂の性質を圧迫して霊の活動全体が荒魂に変った時に起こる活動であります。出雲風土記に
【猪麿が娘の仇なる和爾を討つ時神に祈りし語に、
《大神之和魂者静而 荒魂者皆悉 依二給猪麿之所レ乞一》】
とあります。これは和魂の活動の中止を願って、荒魂だけの活動を願ったものであります。又神功紀に
【荒魂為先鉾導師船云々】
と荒魂が自ら進んで軍の先鋒となって師船を導くということを見ても、活動方面の特性であることを知ることが出来ます。
・荒魂の鎮魂と調和
 又、荒魂は活動する点に於て非常に功徳もありますが、これを放任しますと害を伴なって来るので、特に荒びすさぶ時には、これを平静で温和な状態に引き戻さなければならないので、ここに鎮魂祭が必要になってくるのです。
 荒魂について古書を引用しますと、万葉集に
【朝母吉木上乃宮乎常宮止定免奉利伎神従安定坐奴】
とあるのは荒魂が荒ぶことなく鎮めたものです。又同集に
【豊国乃鏡乃山乃石戸立隠爾家良乃雖待不来】
と又、今昔物語に
【実の魂は死て後天に生れただ體を守らむため一の魂、體の邊を去らず云々】とあります。
 天に生まれるものとは、本魂である幸魂が天に帰ることを指したもので、一つの魂が体のそばを去らずとは、荒魂は常に墓地にとどまり体から去らず、何時までも守り給うということです。
 荒魂が現世にある時には体に力(タマシヒキアリ)を添え、荒々しい事をするのもその身を守る為ですが、ついに染悪してこれが原因で幸魂の本魂まで天に帰ることが出来ないということになりますので、この荒魂は常に調和を計ることが必要であります。
 国の為 君の為には 荒魂 あらびすさびて   さき守やせん   (皇道百首)

 荒魂 あらぶことなく 和魂 にごやかに   世を 渡れ諸人  (神理百首)


相談1)
・(^−^)あの手この手で、このメールが届かないように方法を阻止してます、霊も大変ですね…。
応答
 どのように阻止されるとお考え、またお感じですか。
相談2)
・大変お手数ですが…、私の名前を呼んで問いかけて頂けますか、直ぐに分かると思います。
 失礼ですが巫部様が別の人と話しをされている様に感じたもので…。
応答
 声を出してお呼びすればよいのですか。
 その場合、”M・H(氏・名)“さんでよいですか。
 朝六時半からご神拝をしますが、その折りにMさんとご家族の心身の健康をお祈りしています。
相談3)
・今の宗旨は「N・S宗」で、お墓を移した記憶も有ります。(小学校の頃の事ですが)
応答
 全て「N・S宗」で統一されているのならば、とりあえずその点では問題がないということで安心しました。
 そこでまた立ち入ったことをお聞きします。
 弟さんが日本でそのお墓をお守りしているということのようですが、
一、せめて一年に四回、春分の日・秋分の日・正月・お盆に掃除をし、お参りをされているでしょうか。
 Mさん御本人は日本に帰られた時、お墓にお参りされていますか。
二、お墓が傾いたり、石がかけていたり、底に水などたまっていませんでしょうか。
三、お父様やお母様のお骨を分けて(分骨)、アメリカに持って行ったりしてないでしょうか。
(お墓の底に骨をかえして土になったものを分けるのは良いが、分骨は良くない)
四、仏教ならば、ご先祖の法事(神道では霊祭といいます)はその決められた日にあわせて行われていますか。
 アメリカのMさんの家には仏壇や神棚があり、お父様お母様の命日にはその掃除をして手を合わせておられるでしょうか。
五、仏壇があっても分骨と同じようにお父様お母様自身の位牌(神道では霊璽といいます)が、弟さんの家にもMさんの家にもある、ということはないですか。
(その家のご先祖全体の位牌を分けるのは良いが、骨と同じで個人の位牌を複数作るのは良くない)
六、弟さんやMさんの仏壇の中に、お父様やお母様の写真が飾られていないでしょうか。
(写真は神棚や仏壇の中に入れず、両脇や向いに掛ける)
七、普段、神仏をどのように拝んでおられるでしょうか。
(毎日お水やお茶をお供えし、家族で手を合わせる。
 もし近くに地元を守る神社等があれば、清掃奉仕を行うことで自分の心を清める)
 神棚や先祖の祀りができるように整えられ、この一、〜七、までのことをきっちりと行うことで、物事が驚くように改善されるものです。
 お祓いを長い間受けられてない、と書かれていたのが気になっていますが、その話は後でしましょう。
相談4)
・「天在諸神」と言うのが分かりません。
応答
 HPの”神理教“を開いて頂き、『神とは』の項に説明していますので、ご覧下さい。
 神理教は決して他の教えをけなしなさい、等とは教えていません。
 信仰と尊敬の違いがご理解頂けたらと思います。
 神理教のホームページは、www.sinri.or.jp です。
 メールマガジンも無料で送信していますので、ご希望ならばお送りします。
 バックナンバーはHPの”掲示板“から見ることが出来ます。
相談5)
・神様そして仏様を大事にする考えであれば、今の私の考えは間違い無いと思います。
 人間界では色々な名前の神様と呼ばれる形が有りますが、基本的には神は一つであり、元の教えをどれだけ間違いなく伝えているかと言う事と思います。
 元祖二百年、五百年と言うのもおかしく、関係ないと思います、…それでは地球に生命体が誕生してどれだけ経っているのでしょうか?
応答
 多分私と同じような理解をしておられるのだと思いますが、これもよろしければ、HPの『神理教とは』の下の方の ”本来の信仰“をご覧下さい。
相談6)
・私は思います、神様と悪魔は間違いなく存在します。
 プラスとマイナスです。地球自体がその様に出来ています。
 皆分かっているのに何故でしょうか?
応答
 性善説と性悪説・陰と陽・天国と地獄・神と悪魔というふうに分けて考えるとわかりやすいのですが、神道では善と悪という分け方をしません。
 人の本性は善とか悪とか学説があると言いますが、神道では善でも悪でもなく神ということになります。
 この前お話ししたように人は神の分霊を与えられた子孫ですから、悪い人間はいないし悪い神・妖魔・悪魔もいないと考えます。
 ではどうしてこんな日本語があるのでしょうか。
 これはお祓いの方法・考え方にも関連しますので、覚えておくと良いでしょう。

 なるべく簡単にお話しますが、日本には言霊学というものがあって、本居宣長などが有名ですが、神理教の教祖もその大家です。
 言霊は、言葉の力(呪力)と本言(ほんげん=その言葉が本来持つ意味)の二つに分けて考えます。
 言葉の力は、簡単にいうと「お幸せに」と声を出すとその声が相手を幸せにするように作用する、というものです。
 だから、普段から人の悪口を言ったりののしるのではなく、きれいな良い言葉を使った方が良い、ということになるのです。
 ここでは、本言の方を重視します。
 例えば、”善し“の本言は ”汚れ・去り“で、その人の心から汚れが去った状態をいうのです。
 反対に”悪し“の本言は”明かり・去り“で、神様の明かりが去った状態をいいます。
 つまり、悪い人・悪い神・妖魔・悪魔というのは、汚れようのないほど莫大な霊である神とは違い、比較的小さな霊で ”罪・穢れ“ という汚れが付きやすく、神の御心・お守りである太陽の光のような明かりがその汚れによって遮られ迷っているものなのです。
 悪も罪・穢れを除けば善となるのです。

 なぜ人は病気や災難にあうのか?
一、神と祖先の守りの弱い人が取り憑かれる。
 邪悪なものというより、迷い苦しむ霊が死後どこに行けばよいのかわからず、守りの弱い人に頼ろうと取り憑く場合があります。
 生霊・死霊と言いますがその霊自体が悪なのではなく、もとは神の分霊をお受けしたものが罪・穢れによって迷い、例えば恨みという穢れが残れば、それを神と祖先の守りの薄い人に向けてはらそうとするのです。
 ただその場の病気・災難が去ればその人の問題が根本的に解決するのではなく、
A)大元の神に祖先の罪・穢れを祓い、その霊魂の安定を祈る。
 ご先祖が一番の守護霊といえます。
B)大元の神に自分の心を清明にするため罪・穢れを祓い、霊魂の安定を祈る。
 生きているご自分こそが、形をもって神に祈ることができる存在であることに気づくべきです。
C)また、自分に取り憑いた迷える霊魂を追い払うというより、鎮めることが大切です。
 追い払って恨みを残したりよそで悪さをするより、鎮めてあげて感謝を受ける方が良いですよね。
二、神・ご先祖のお知らせ
 病気災難は悪魔とか悪霊の仕業というより神・ご先祖のお知らせと受け止め、先ほどのお墓や自分の心持ちを改め反省し、将来の幸運のための有難いお知らせと受け止める姿勢が大切です。
 御教祖の御歌に、
 わびて祈り わびて願わば    よろこびて
 神や助けん なしのまにまに
(自分の行いや心掛けを反省し、神にお詫びしながら祈り、お詫びしながら御神徳をお願いするならば、神はその姿勢をお喜びになって、その人の思うがままに助けて下さるものです)があります。

 お酒・たばこ・賭け事を、子孫の体を使って欲を果たそうとするご先祖がいる場合もあります。
 そうした祖先を救うことで、その子孫が救われるという神の理に気づき、実践に結びつけることが必要です。
 ただ毛嫌いし逃げようとするのではなく、立ち向かい癒してあげようとするくらいの気持ちを持つべきです。
 我慢のできない嗜好品は、一度神棚にお供えしてから頂くなどの方法もあります。

 では”罪・穢れ“とは何でしょう。
 言霊で、”罪“は”包み・隠す“で、人に言われないような心持ちを隠すことをいいます。
 気がつかずに他人の心を傷つけたり、悲しみや恨み自体も神から戴いた感情であるものの、その感情から解放されずにこだわり続ける心の状態をいいます。
”穢れ“は”気・枯れる“で、気すなわち神からの徳・明かりが、上の”罪“に閉ざされて届かず枯れる状態をいうのです。

 そこで大元のご先祖である神の力を頼り、”祓い“を行うのです。
 ”祓い“は”日・顕せ“で、大元の神の力で罪を除き本来の分霊をまた日の出のように出現させ、大元の神の大神霊とその気を通じ合わせることをいうのです。

相談7)
・巫部様はもしかしたら神主様でしょうか?
応答
 神主という言い方は神道一般に共通する言葉ですから、いわゆる神主というのは正解です!(おめでとうございます)。
 でも知られてご連絡されているのだ、と思っていました。
 現在の日本の神道は大きく神社神道と教派神道に分かれますが、これも興味があればホームページの”神理教とは“をご覧下さい。
巫部 祐彦

☆★☆ 素朴な疑問 ★☆★
     
 Q & A
Q1、人間のことを「ヒト」と呼ぶのは何故ですか?

A、 ヒトは ”日足止( ヒタリトド)まり“という言葉が省略されたものです。日は霊であり、神の霊が満足り止まったものが人であります。ヒアトとも説かれています。ヒアト即ち日跡、日は霊であり、神です。神のあとつぎという意味です。
 人は神の分霊をいただき、神の創造をうけつぐ為に生まれてきたものということになります。


Q2、家祓や穂見祭などのお祭りのお礼の表書きはなんと書けばいいですか?

A、 神道の代表的なものは「御初穂」です。初めて取れた稲穂を神前にお供えした事によるものです。その他に玉串料、御神前等です。「御礼」と書く人も居ますが、神職は神様のおつかいです。対象はあくまで神様に対して感謝の真心を捧げるべきです。

〈正誤表〉 五月号
 三十七頁上段、「五月に」を「五日に」に、「十月に」を「十日に」の誤りでした。 以上をここにお詫びとともに訂正致します

    
                古事記「絵で見る解説文」
 ※五月号の残り
  ―― @挿絵の説明 ――
 天地が出来たばかりで混沌とした様子の時に、大元の神である天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)がその子孫の神である伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と伊邪那美神(いざなぎのかみ)に命じました。
「この幼くたよりなく思われる世界を、しっかりつくり固めてすみやすいところにしなさい。」

A伊邪那岐神と伊邪那美神は…
  ―― A挿絵の説明 ――
 二神は、天津神から授かった天の沼矛(ぬぼこ)を天の浮橋からさし下してかきまぜました。それを引き上げると、矛の先からしたたり落ちた塩が積もって島となりました。それが淤能碁呂島です。
*淤能碁呂島の解釈
 淡路島の側の小島とも、日本とも、地球とも、太陽系とも、銀河系とも、宇宙全体とも取れるが、ここでは大きく解釈したい。
 神の心を形にする、神の世をこの世に現実のものとすることの象徴的な第一歩である、と考えたい。

※編集より
 先月号で指針とする絵本の御案内をしましたが、その本でなければならないことはありません。

                                                              五  十  年  祭
                                                                   三重県 伊 藤 守 彦


 私方の北勢教会では、最近所謂「唱い上げ法事」五十年祭を勤められるお家が多くなりました。去る三月末に浜松市遠州浜町の片岡正光様御母堂「故片岡すへの戸自命」の五十年祭を教会長出張斎主の元に執行、新しく誂えた本院の箱霊璽に片岡家先祖として遷霊合祀されました。
 お祭のあと、親戚一同打揃い故人供養、斎主を中心に囲んでの楽しい直会旅行を浜名湖弁天島ホテル観月園一泊へ、翌日はお墓参りをし、桜満開の浜松城や公園隣りの浜松一のホテルコンコルドでの和やかな昼食会等盛会裡に勤められ、何よりの親孝行供養されました事を片岡家一族の今日の弥栄と共に喜ばさせて戴きました。
 亡き母上様は教会開設八十年来の古い熱心な信者様で、戦前戦後を通じての時代と共に其の御苦労は大変で、偲べば早く御主人を亡くし、五男二女も夭折、残された三弟妹を大事にと本教に入られる中、逐に二兄弟も兵隊に取られました。戦地の息子の武運安全を只管天地の親神様のお守りに縋り、の空襲灯火管制下の中にも毎月次祭を欠かされた事無く、生前教徒としての帰依は深く厚く生涯を終えられました。
 其のおかげ様で二兄弟も無事復員し、以来お二人は共に親の信仰跡を立派に大事に継承され、昭和三十九年独立七十年式年大祭には揃って本院団体参拝を始めに毎式年大祭や教祖昇天毎に繰り出す北勢教会本院団体参拝には兄弟打揃い参加を重ねられて見えます。
 殊に兄の正光様は元海軍で大平洋戦争の殆どの大海戦には参戦、信号下士官として常に艦橋で船長の側に在り一番狙われ集中攻撃を受ける中、航空母艦「瑞鶴」の最後や戦艦「大和」沖縄特攻作戦にも真珠湾攻撃以来歴戦の駆逐艦「浜風」で参戦、大和が真二つに折れて沈み行くのを目の当りに最後は「浜風」も撃沈され幾度か火の海、重油の海(厚さ二十糎位)に放り出され数時間も海上漂流等々の中、無事全く体に何処の火傷も弾傷も受ける事無く無傷で帰られたのも奇跡では片付けられぬ、母親が世界一の天地の親神様「天在諸神」信仰の賜と只々報恩感謝さる。又、弟の正男様も陸軍から無事復員で、戦争中教会からも多くの出征の教信徒やそのご子弟皆様が一人の戦死傷者も出ず全員無事復員は有難い事だとも話されまして、親の年祭春宵の一刻を共々に喜び述懐されました次第。
 「戦争の語り部」正光様の淡々と語られる昔の凄い数々の海戦の戦争体験は次の機会に。   (完)

                                          奥方様お誕生日(五月二十日)特別企画
                                                 奥方様として
                                                  ”裏“を磨き続けた五十年
 その気さくな人柄で、地元の教信徒の奥さんたちとも日頃から親交の深い奥方・實(まこと)様。五月二十日に七十一歳のお誕生日を迎えられました。
 奥方様は昭和七年、行橋市の神社に十二人兄弟の上から八番目(上六人、下一人とも夭折)としてお生まれになります。お父様は小倉で弁護士をしていましたが、子どもが次々と七人も亡くなったため、地元に戻り宮司を受けられたそうです。
「祖父は行橋町長を四期務めましたが、手当は頂かなかったと聞いています。私も父から、『人間、貧乏は恥ではない。ただ、卑しいことはするな』と言われて育ちました」
 やがて、ご縁があって管長様とお見合いをすることに。奥方様のお父様は「おまえには過ぎた縁ぞ」と一言。そして、奥方様の知らないうちに話はとんとん拍子に進んでいったといいます。ちなみに奥方様にとっては初めてのお見合いでした。
 こうして、お二人は昭和二十九年五月三日に結婚されます。
「五十年たってみると、卵巣嚢腫や肋膜といった病気もしたし、本当にいろいろなことがありました。ただ、神理教の管長の妻として、裏方として、まじめに過させて頂いたと思います」
 「感動した出来事は?」という質問に、まず、昭和三十五年に教派神道十二派の代表として園遊会に招かれた時のことをあげて下さいました。いつもは東宮御所で行われる園遊会ですが、この年だけは皇居で開かれたそうです。
 もう一つは、その皇居へ清掃奉仕に行った時のこと。「これまで四回、清掃奉仕をさせていただきましたが、ある時、皇后美智子様から『気を付けてお帰り下さい』と、私たちを気づかうお言葉頂戴しました。こちらからお声をお掛けするわけにはいかないだけに、あの時は本当に感動致しましたね。来年、また清掃奉仕をさせていただく予定です」。
 奥方様は、婦人会の総裁としても長年、活躍されてきました。皆さんもご存知のように、婦人会は大祭当日、バザー関係のすべてを管理運営します。その奮闘記は先月号でもご紹介しましたが、後日行う後片付けには奥方様も参加し、自ら厨房にあるステンレスの流しを磨かれます。 「表に立たず、裏を磨きたい」とおっしゃる奥方様。この『裏』という言葉には、ものの裏、そして心を磨く、という意味が込められているのではないでしょうか。
 「管長様について」の質問に、
 『管長の祝詞は素晴らしいと思います。
 毎朝の御神拝に管長について大教殿へお参りする様になり約三十年となりますが、聞くたび心が和みます。』とのこと。
 そして独立百十周年を迎える来年、奇しくも管長様、奥方様は金婚式を迎えられます。
「婦人会の支部が一つでもできたら、ありがたいのですが…」
 次の新しい葉が出ないと落ちない『譲り葉』のように、婦人会も次代に継承していきたいと願っているようです。
 境内の樹木を守りたいと願う優しい心を持ち、電子辞書を片手に、英会話スクールに通うなどチャレンジ精神も忘れない奥方様。お誕生日おめでとうございます。
   北九教師会報告
      平成15年5月17日(土)10時〜15時

 5月17日、明星会館で北九教師会が開かれました。昨年10月26日、今年2月8日に続く第3回目の
開催です。
 午前中は、巫部総務局長がまず本院の近況報告、弘前教会での大祭や教会の活動の様子をパソコンを使って(写真を見せながら)紹介。その後、「霊性を磨く」というテーマで、神の法則として天在諸神の御守り(具体例)や、四魂論から普段何に気をつければ神と祖先の心にかなった生活が出来るか等について、お話が
ありました。
次に末若講義が、境内の建物や碑などの説明を行いながら、本教の教えについて紹介。
出席者からは「境内にある碑などの由来を前々から知りたいと思っていた。
今日は、その話が聞けて良かった」という声も上がり、実りある内容となりました。

 午後は、瀬戸局長の司会のもと、本院の職員五名が教祖様の御歌を一首ずつ選んで、それにまつわる
体験談などを発表。これは今回初の試みでしたが、笑いあり、涙あり、また、飛び入りで体験談を
発表したり、星影のワルツの替え歌『しあわせのワルツ』を全員で合唱したりと、大いに盛り上がりました。
 最後に総務局長が、「積極的に情報交換をし合う場、教えの分かち合いができる場にしていきたい」と
抱負を述べ、和気あいあいのうちに閉会となりました。
 次回は9月6日(土)開催の予定です。
 出席者の声
枝光教会 福馬 カヲルさん


 北九教師会には1回目から出席しているという福馬カヲルさん。「地元にはブロック会などがないため、
なんだが取り残されているような気がしていたんです。
それで、こういう会ができればいいなぁと、以前からずっと思っていました」
 ようやくその思いが形となって、北九教師会が発足したのです。
「いろいろな方の話を聞きたいし、交流もしたい。そのためにも、また来たくなるような楽しい
会であって欲しいと思います」と、福馬さん。「御教祖様の心を自分の心として、お役に立つ人間
づくりを行うのが、教師の役目ではないでしょうか。こうした勉強会は、自分の心を磨くためのものでもあります。ただ、できることなら硬い話だけでなく、気持ちが晴れ晴れしたり、うきうきしたりするような、楽しい
内容も盛り込んで欲しいですね。そして何よりもまず、もっとたくさんの皆さんに集まっていただきたいと
思います」
 福馬さんの趣味はハーモニカ。この日も、福馬さんの吹くハーモニカに合わせて、みんなで『しあわせの
ワルツ』を合唱しました。「教師会にも歌を取り入れたらいいと思っていたんです。
歌は心の癒しになりますから」
 そう言ってニッコリ微笑んだ福馬さんの顔は、楽しそうに輝いていました。
                    神徳北海道教会
                          旭川市高砂台
                                教会長 小林 澄弘

 当教会は、本院から高瀬先生が来道して北海道分院を設立、布教活動を始めたと聞いています。その後、磯部さん、私の曾祖父の小林新二郎へと受け継がれ、昭和二十七年九月、祖父の小林茂一の時に「神徳北海道教会」として本院に承認されました。
 私は昭和六十二年にサラリーマンを辞めて入教し、一年ほど本院で教習生として学んだのちに教会長を継承しました。二十三歳の時でした。
 初めて本院を見たときに「大きいなあ」とびっくりしました。高い鳥居、広い境内のなかにどっしりとした大教殿があり、朱色も鮮やかな参道の大元稲荷神社や緑に囲まれた教祖奥津城がとても印象的で、勉強するうえでも励みになりました。
 神事の作法や祝詞、太鼓や笛の三楽などを学び、早くから実体験できたのがよかったと思います。管長様をはじめ諸先生方には大変よく指導していただき、私には貴重な本院での一年間でした。
 それから十数年になりますが、その間にはいろいろなことがありまして、「教会閉鎖もやむなし」という危機を幾度か経験しました。その都度、信徒さんや本院の方々の援助で乗り越えてこられました。これも神のお導きによるものだと感謝しています。
 何のとりえもない私ですが、教会長として盛り立ててくれる信徒さんのために、教会を継続していくことが今の私の最大の望みです。
 当教会では、春と秋の大祭、穂見祭、教祖祭、月次祭が主な年間行事となっています。北海道と九州とあまりにも離れていて、本院に参拝するのも困難ですので、せめて本院のように太鼓、スリガネ、笛の三楽で祈念詞を奏上することをみんなで心掛けています。
 しかし、三楽の練習もままならず、ぶっつけ本番といった有様です。北国ですので吹雪のなかで執行することもあり、真心のこもった祭事にしたいと思っています。祭事の時に私の妻が混ぜごはんときのこ汁を作ってくれまして、信徒さんにも喜ばれ、大変助かっています。
 本院へは二、三年ごとに大祭に参拝しています。道内の教会とツアーを組んで、十数名が参加して行きますが、伊勢神宮や広島の厳島神社などにもお参りしたり、長崎に足を延ばしたりとみんなで楽しみにしています。遠方だからこそ味わえるメリットですが、いつも新鮮な気持ちで参拝できるのも利点ではないでしょうか。
 本院に行って感じることですが、祭事が以前と同じよう執り行われているのを見て、懐かしく思い、また
安心します。伝統を守り続けることは、今の時代に大変なことかもしれませんが、昔から受け継いできた信仰は人びとに安らぎを与えることではないかと思います。私自身は、今の自分の存在が必要とされていることが信仰の原点となっています。

*幸彦社献歌*(平成十四年度)
兼題 【町・街】
(15年4月21日、幸彦社の神前にて奉読献歌致しました。)


天来の ひかり漲る この街に
  いつしか馴れて 日々を安らぐ  《保 雄》

紫川 ながれ絶えせず 移りゆく
  町の姿の 今を映して   《健 彦》

戦塵に まみれしイラクの 街並みに
  日の大神の 光さしけり  《祐 彦》

候補者の 連呼あれども 町筋の
  人の流れは 変はることなし 《正 和》

ほろ酔ひの 街にタンゴの 曲流れ
  心うかれて また梯子酒  《利 夫》

街の道 四季折々の 花の香に
  移らふ時を 知りて楽しき  《誠 一》

街並みも 人も移りて 変はれども
  祈る心は 今も変はらじ  《高 雄》

世は進み 街に飛び交う 杉花粉
  昔の人は なんと見るらむ  《輝 雄》

神名備の 熊野の山の 滝の水
  流れて街の 川を清むる  《正 寛》

豊前路の 古き山陰 今はなく
  夜空を照らす 街の灯火  《ひとし》

人情の 厚き此の町 好きになり
  幾年月の 想い出恋し  《信 子》

掃き清め 注連縄引き延へし 街々は
  紅葉に劣らぬ イルミネーション  《悦 子》

太刀を佩き まげ結ひし人等 通りけむ
  町の築地の 荒れたる侘びし  《こと子》

またも来て 仰ぎ見にけり 振鼓楼
  出石の町は そぞろゆかしき  《まこと》

戦塵に まみれしイラクの 幼な児よ
  瞳かがやく 世を生きてまし  《恵 理》

紺屋町 鍛冶町 鋳物師町 今もある
  吾のふるさと 城下町小倉  《恭 子》

小倉節 唄ひつかれし 安部山の
  町の灯りは 櫻色めく  《君 恵》

春霞 おぼろにつつむ 町並みの
  花は櫻か ほのかにも見ゆ  《亜希子》

※姓の五十音順に掲載
                              みあかし祈願祭

 5月16日、本院大教殿前で年1回の「身明し祈願祭」が行われました。身明しとは、ロウソクの火を灯して身を清める祓いです。
 灯されるロウソクは、白、赤、黄、緑、紫の5色で、それぞれの色により願いが分けられています。
 病気へのお祓いは、その色で体の部分を表し、白は肺臓、大腸、鼻、赤は心臓、小腸、舌、黄は胃、脾臓、口、緑は肝臓、胆のう、目、そして紫は腎臓、膀胱、耳などとなっています。
 また、白は病気平癒、赤は良縁良職、黄は交通安全、緑は除災開運、紫は学業成就と祈願の内容でロウソクの色が分かれます。
 水とともに火もまた身を清める方法として、古くから用いられています。御教祖の言霊学にも、「明かりの入る」は「祈り」、「明かり去り」は「悪し」と出ています。さらに御教祖は「人の心の色は赤」と説いて、ロウソクの燃える赤い火が祭殿に灯されるのも、心からお祈りする私たちの気持ちを表しているのです。
 初夏の夕暮れに揺れるロウロクの明かりは、人びとのさまざまな願いを叶えてくれるかのように、境内を照らしていました。
                                雑   記
                                  遊歩 太郎
                                献血ルームその2(1)
 不定期でもあり、回数も少ないが、いまでも献血は続けている。ある時この様なことを話していると、 「血の気が多いから少し抜いてもらったほうがいいよ」 「いつも美味しいもの食べてるから血が余ってるんでしょ、少しくらい出した方が健康にいいよ」 「お目当ては看護婦さん。白衣の天使を鑑賞に行ってるんでしょう」 「もしかして、悪い病気の検査にいってるのかも?」 「献血したら何かもらえるって本当?」…
 『ウゥゥゥ…チミたちではない、君たち。ナ、ナンてことを言うんだ。私は真面目ですよ。献血ルームに遊びに行ってるわけではない。献血ルームの前に手書きの看板があって、A型○○人分不足・B型○○人分不足などと書いている。その不足不足の字を見ると、知らずに足がダッシュして受付嬢の前まで行ってしまうんだ。少しだけど人様の役に立てるという喜びと、献血出来る体に産んでくれた親に感謝の気持ちが湧き出る一瞬なんだ。ワァ、わかったか!』
 このようなやりとりがあって、数日後。足は献血ルームに向かっていた。献血ルームは商店街の中にある。日曜日の商店街は混み合っていて、まともに真っ直ぐ歩けない程であった。人の多さと商店街全域に流しているのであろう耳障りな早いテンポの歌声、それに輪をかけて人の声が前後左右から聞こえてきて、嫌悪感を感じる程であった。人と会うのがイヤ、人と話すのが苦手、の私は早くこの状況から逃れたい気持ちになりつつあった。
 そんな雑踏の中にひときわ大きな声が聞こえてきた。自然に目がそちらに向く。若者二人が「おねがーい!、しまーす」を連呼している。その場所は献血ルームの前ではないか。 『オイ、オイ、献血の呼び込みですか』つい言葉が出てしまった。チラッ、チラッとルームの中を見るとなんと人の多いこと、待つのがイヤ、じっとしているのがダメの私は、 『今日はやめて帰ろう』と即断した。ルームの前を通り過ぎようとした。その時、 「A型が○○人分不足です、B型が○○人分不足です。ご協力お願いしまーす!」その声を聞いて『ナニィ…そんなに不足しているのか』足が止まり逆行の回転(祭式用語)を素早くし体はルームへ進んでいた。
 待った、暫らく待たされた。中のソファーには座れない。座りたいと思う自分を情けなく思いつつ周囲の声に自然と耳が集中していく。圧倒的に女の子が多いのである。『フム、フム、待たされるのはイヤだが、こういう状況で待つのであれば仕方がない我慢しよう。しかし、みな若いのー』と、思いつつ端から端までゆっくりと目を移動させた。 「次の方どうぞ」 『しかし今日は若者達の集会だなー』と、 見渡していると、後方から「アノー、呼ばれてますよ」の声が掛かった。促されて受付に行き、差し出された問診票に対面した。前回、授乳中妊娠中と梅毒治療中に丸をして、えらい恥をかいたので今回は慎重に記入した。問診の項目を指で追って確認していると、先ほど後方から声を掛けてくれた人が私の隣に立った。
 横目でチラッと見た。振返ってまた見た。そこには衝撃的場面があったのである。私より白髪が多い、シワも多い、シミもある。私が中年だったら初老、オジさんと呼ばれるのならオバアちゃん、ヤングだったらオールド。一目瞭然、明明白白、青天白日の如く、私より年長の女性が立っているではありませんか。ここに来た時から若いモンにしか目が向いてなかったし、私がここでは一番年寄りだと思っていたので、その驚きは私の口をアングリとポカーンと開けさせる程であった。
 サ、さらに、驚きの衝撃的言葉がその女性から発せられたのである。「ワタシ、今日で百一回目なの。今日からまたスタートよ」受付の女性と話しているではないか。 『ヒャー、ヒャクイッカイ。ス、スゴーイ。いやスゴイですねー』私は思わず感嘆感動の声を上げていた。私の声が少し大きかったらしく、ヒャクイッカイに対し周囲からも「ヲーー」の声が上がった。その時、受付の女性が胸元で小さく拍手を始めたのを見て、私も拍手をした。私に真似して周囲の人達も拍手をした。拍手しながら「素晴らしい事ですよ、これからも頑張って下さい」と、声を掛けた。女性は恥かしそうに嬉しそうに頭を何度も下げていた。周囲が治まり、女性は私に向かい「あなたも、お若いんだからガンバッテヨ」と、言って、私の肩あたりをポォンと叩いた。意外と力強く衝撃力があった。その時、私は感じた。熟年力というか老人力を。まだまだ若いモンには負けないぞ、というパワーを戴いたと感じた。 (続)

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