神理

平成15年4月号 第1070号

        

巻  頭 の こ と ば

病気・災難は、穢れであり濁りである。
我々はいつも、神の御力によって祓い清めを願わなければ
ならない。自分自身が、祓い清められれば祖先もそうなるのである。
「祖先が神の位に昇ることを得ざれば、
        子孫に病気災難がある」(御教語)
祖の位を押し上げるのは、
自分自身の祓い清めから始まる。

                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
     う   つ     おの
    受け継ぎて 自づからなる もろもろの
       めぐ                  よ
         恵みある身と かしこむぞ宜き
  寒気も和らぎ陽ざしも暖かさを増す中で、春季大祭奉仕の月を迎えることになりま
した。我々の先祖や先人たちは、この定められた祭日を一つの節目の日として、仮に
体は運べない場合でも心は本院に運びながら、生活を推し進められたものと思われま
す。
 つまり、我々が大祭に奉仕するのは、銘々なりの信仰に基づき、心は一筋に神様に
向けられている訳でありますが、その状態は、概して先祖や先人が行った所と殆ど同
様と申せそうでありますし、先祖や先人が歩いた道を歩いていると言えるようであり
ます。
 そうした子孫や後輩の奉仕ぶりは、先祖や先人にとって、言はば快い情景と言うこ
とになりそうであります。それが和やかで賑々しいものであれば、殊更に御霊が和や
ぎ安らぐに相違有りませんし、御霊の働きかけも強まることになると推測されます。
 即ち大祭は、もともと御神徳を仰ぎまつりつつ自分の現状を御照覧いただき、御神
護を感謝しつつ報恩の誠を捧げ、或いは自分の生き方を問い直しつつ御加護を祈願す
るものでありますが、自ずから先祖や先人の御加護が頂ける事にも繋がる!と申せそ
うであります。
 我々は、受け継いだものの重みを深く考える事なく、何気なく守り継いだり、何気
なく切り捨てたりしている為、守り継ぐ事によって自ずから得られたり、切り捨てる
事によって自ずから失われたりしている訳で、この点を見逃してはならぬと考えさせ
られます。
 先祖や先人の行いを守り継ぎ、大祭に参拝奉仕する事により自ずから得られるもの
は、先祖や先人の御加護に止まらぬようにも思われますし、大祭を意識し更には参拝
奉仕される中で、そうした自ずから得られるものにも気付き、感謝を新たにする事が
望まれます。
 又、日常生活の中でも、自分が受け継いでいるものについて、その重みや広がりを
成るべく深く理解することに努め、少なくとも何気なく切り捨てる事は避けたいもの
でありますし、そう努める事により、自ずから得られている諸々に気付いて感謝し、
その感謝の気持の強まりを活力として、苦難をしのぎ前途を切り開く事になりたいも
のであります。
                                             

オノズの道

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)

 

(けっ)(こん)(しき)でのお(はなし)

 

 (こよみ)(うえ)では2(がつ)()(りっ)(しゅん)ですから、4(がつ)(はい)ると5(がつ)()(りっ)()()(まえ)段々(だんだん)(はな)やいだ()()ちになるものです。

 (ほん)(いん)でも(いく)つかの(けっ)(こん)(しき)がありましたので、その(さい)(さい)(しゅ)としてのお(はなし)(しょう)(かい)しよう(おも)います。

 

感謝(かんしゃ)

 (ひと)つはお(てん)()()かったし、(がく)(じん)(そろ)った(にぎ)やかな(けっ)(こん)(しき)だったので、()()らしい()()()た今日のような(ごう)()なお(まつ)りは(だれ)もがしようと(おも)って()()ることではなく、やはり()(しん)(とく)(いただ)いたのですね」とお(はなし)しました。

 もう(ひと)つは、ざあざあ()りの(あめ)だったのですが、

(しん)(とう)(なん)でも(あり)(がた)いと()()るので、(たと)()くないことがあっても、これも(かみ)とご(せん)()からの()くなるためのお()らせ、と()()めます。

 (あめ)()って()(かた)まる”という(こと)()があって、(きょう)日の(あめ)(しん)(ろう)(しん)()またご(りょう)()(きずな)(かた)くなるという、(かみ)のお()らせだと(おも)います」とお(はな)ししました。

 まず、(かみ)()(せん)へ手(ばな)しの(かん)(しゃ)(こころ)()てることが(たい)(せつ)です。

 

跡継(あとつ)

 (よめ)()り・婿(むこ)()りといいますが(けっ)(こん)(しき)(とつ)ぎの(のり)とも()い、『(とつ)ぐ』というのは(かみ)先祖(せんぞ)の『(あと)()ぐ』ということです。

 つまり(かみ)と、(かみ)()(そん)である(せん)()()()()ぎ、()(しん)(かみ)()(そん)として()(なか)()いものを(かたち)として(あらわ)すということです。

 (わたし)たちは()(ゆう)(もと)めますが、(ほん)(とう)()(ゆう)というのは()(ぶん)()(って)(うわ)ついた()()ちで(ほん)(のう)のおもむくままに、(かい)(らく)()(もと)めることではありません。

 (ほん)(とう)()(ゆう)というのは、()(ぶん)(ほん)(とう)(こころ)(そこ)から(やす)らぐことが()()ることで、それは(じつ)(かみ)(せん)()との(こころ)にあわさっている、ということが()()ます。

 (けっ)して(かみ)祖先(そせん)のいいなりになるのではなく、本当(ほんとう)自由(じゆう)霊魂(れいこん)安定(あんてい)()られればその(こころ)(かみ)()(せん)()()(おな)じもの、ということなのです。

 それは、(にん)(げん)(けっ)して(かみ)(つく)(もの)などではなく、(かみ)(ぶん)(れい)(いただ)いた(かみ)()(そん)であり(かみ)(あと)()(もの)だからです。

 

(やく)()(よろこ)

 (さい)(きん)()(ぶん)だけ(ある)いは()(ぶん)()(ぞく)だけ、もう(すこ)(ひろ)げても()(ぶん)(ぞく)する(しゃ)(かい)だけが()ければあとはどうなってもよい、という(かんが)(かた)(ひろ)がっているようです。

 ゴミやたばこのポイ()てをしたり、(しょう)(らい)()(ぶん)たちがもらえないかもしれない(しゃ)(かい)()(けん)には入らない、という(かんが)(かた)です。

 こうした(かんが)(かた)(おちい)(ひと)は、(よう)()()(おや)(あい)(じょう)充分(じゅうぶん)()けていない(ひと)(おお)い、という(はなし)()きます。

 (ひっ)(しゃ)(とく)(しん)(ろう)(ほう)()()っていたので、()(ぶん)(たち)(りょう)(しん)から(いただ)いたように、(こん)()はその()ども(たち)へも(かぎ)りない(あい)(じょう)(あた)えるようにお(ねが)いしました。

 そうして、()(ぶん)だけが(ちゅう)(しん)ではなく(しゃ)(かい)(やく)()(よろこ)びが(たの)しめる、(ひろ)(こころ)()()どもが(そだ)つようお(はな)ししました。

 

()きる(ちから)

 それでも(わたし)たちは、(ときどき)()きる(ちから)(うしな)いそうになる(とき)があります。

 それは、(いま)(はな)しした(りょう)(しん)からの(あい)(じょう)()けたことを(わす)れたか、()(かい)している(とき)なのです。

 (さき)ほどのお(はなし)のように()どもは(おや)(つく)ったものではないのは、(かみ)(にん)(げん)(つく)ったのではないのと(おな)じですから、もし()()(わる)いと(おも)っても(けっ)して()てたり(えん)()ったりするものではありません。

 (はん)(たい)にかばわねばならない()どもであるほど、いとおしく(おも)うものです。

 (おや)(わたし)たちに(あい)(じょう)()けるように、(おや)もその(おや)(あい)(じょう)(いただ)いていますし、そう(かんが)えれば、(わたし)たちは()きている()(ぞく)のみでなく、ご(せん)()(とも)()らしていることに()()かせて(いただ)くのです。

 もし(わたし)たちが()きていることを(いや)になるのを()れば、ご(せん)()はなんと(おも)われるでしょうか。

 (なん)とか(たす)けようと、(あたた)かく(ある)いは(きび)しくお()らせを(くだ)されることでしょう。

 (わたし)たち()(そん)(しあわ)せが、ご(せん)()(れい)(こん)(あん)(てい)(つな)がるのです。

5.

 ここのところさえ()(かい)していれば、(かみ)(つく)られた()(なか)()(じょう)であるなどとは(おも)わず、()きる()(だね)がまた(さか)んに()()がることと(しん)じます。

 ()きている(もの)だけでなく、(たと)えば()(ぞく)(はだ)()(せっ)するように、ご(せん)()とは霊魂(たましい)(せっ)しながら(いっ)(しょ)()らさせて(いただ)いているのです。

 

(かん)(ちょう)(さま)のお(さと)

 (ひっ)(しゃ)(かん)(ちょう)(さま)(けっ)(こん)(しき)(さい)(しゅ)(とき)によくお(はな)しされる『(とつ)ぎ』の(はなし)()(ぶん)(りゅう)にお(つた)えしたのですが、()(ろう)(えん)(かん)(ちょう)(さま)(さら)(つぎ)のような(はなし)をされました。

夫婦(ふうふ)生活(せいかつ)というものは、うまくいく時もあり、そうではない時もあります。

 (けっ)(こん)(まえ)のつきあいではお(たが)いのことをよく()ってないこともあるし、誤解(ごかい)をしていたこともあるでしょう。

 そうした場合(ばあい)どちらかが我慢(がまん)をすることになるのですが、たいてい場合(ばあい)我慢(がまん)はどちらもしていることでしょう。

 ただ、その相手(あいて)(こころ)()()める(よう)(りょう)(ひと)によって(ちが)うのでしょうが、ここではその(よう)(りょう)(はなし)やその(まえ)(だん)(かい)のお(たが)いへの()(かい)のお(はなし)はしません。

 ここでお(はな)ししておきたいことは、お(ふた)()どちらもが(よう)(りょう)()(かい)(りょく)こそ(ちが)え、我慢(がまん)をしているということです。

 (わたし)結婚(けっこん)当初(とうしょ)我慢(がまん)をせずとも生活(せいかつ)()()ると()()ちよく()ごしていたのですが、ある(とき)()(ぶん)()(まん)をせねばならない(とき)自分(じぶん)(つま)我慢(がまん)をしていることに気付(きづ)いた、ということがあります。

 お(たが)いが()(まん)をしていることに()()けば、その(げん)(いん)(さぐ)()(ぜん)()(ぶん)(ちゅう)(しん)ではなく()(ぶん)のことを()(にん)より()(ぢか)(かんが)える(あい)()を、()(ぶん)(たい)(せつ)(かんが)えなければならないことに()()くのではないでしょうか。

 そこから(あい)()をいたわる()()ちと(とも)により()(なお)(あい)()(おも)いを(かんが)え、(あい)()()(ぶん)()(まん)(げん)(いん)やそれを()(ほう)(ほう)(れい)(せい)()(たい)(てき)(かんが)えることが()()るのだと(おも)います。

 どうか、そうしたお(こころ)()ちを(わす)れないようにお()ごし(くだ)さい」というような()()だったかと(おぼ)えます。

 

 ()(ぶん)たちが(しあわ)せになりたければご(せん)()(れい)(こん)(あん)(てい)(いの)り、ご(せん)()(しあわ)せになって(いただ)きたければ(えん)(まん)()(てい)(つく)る、ということですね。

 そして、その大元(おおもと)(てん)在諸神(ざいしょじん)(つかさど)られているのです。


管長様お誕生日(4月9日)特別企画
『これまでの歩みを振り返って』

 管長様が管長職に就任されたのは、昭和23年の春のことでした。戦後まもない 
混乱の時代に、歴代の管長様の中でも最年少の23歳という若さで、管長職に就か 
れたのです。
 少年時代の管長様は、運動神経が良く、自称「腕白」だったとか。しかし、旧制中 
学の時に肋膜炎を患い、しばらく学校を休んでからは、大人しくなったそうです。
 やがて、管長様は神宮皇学館大学の予科(旧制高等学校と同じ)に進みますが、戦 
争によって学業中断を余儀なくされます。それどころか、学徒動員で名古屋へ、さら 
にそこから軍隊へ入隊。しかも終戦後、マッカーサーの指令により、今でいう国立の 
神宮皇学館大学は閉校になってしまいます。そのため管長様は昭和21年、故郷に 
戻って来られました。
 管長職に就かれたのは、そのわずか2年後。昭和二十九年で結婚されるまで、長ら 
く「独身の管長様」だったのです。当時の苦労話をお聞きすると、穏やかな微笑みを 
浮かべて一言、「ここには内局というしっかりとした組織があるので、若くてもつと 
まりました」。
 管長様は、朝のご神拝を率先して行ってこられました。ご教祖の書物の解読などに 
も熱心に取り組まれ、当時を知る人によると、深夜まで部屋の灯りが消えることはな 
かったといいます。昭和35、6年ごろからは、タイプライターを使って教書を写 
す作業を始められました。
「昔の教書は筆書きで、読める人はそんなにいませんでした。私はどうにか読めたの 
で、後の人たちのためにもと、タイプで写すことにしたのです」
 昭和41年からは、毎月1回「たより」を発行しています。途中、2年程の休み 
をはさみ、最新号は410号。その間、タイプライターからワープロ、パソコンへと 
道具は変化してきましたが、1文字1文字に込められた管長様の思いは変わりませ 
ん。
 その他にも、管長様は新しいことにいろいろ取り組んでこられました。「音感が良 
かった」と自ら認める才能を活かして太鼓や笛の譜面を作ったり、祭式の本をまとめ 
られたり、教師拝命10年毎表彰を提案されたのも、管長様です。また、大祭の献饌式 
を本殿祭と分けてを最初に行うようにするなど、合理的な改革も数多く行ってこられ 
ました。 神理幼稚園の開園当初から園長を務める管長様は、自らマイクロバスを運 
転して園児の送り迎えをされたこともあるそうです。
 管長職に就かれて55年。春秋の大祭は一度も欠かさずご出席され、今度の春の 
大祭が、管長様にとってはちょうど百十回めの大祭に当たります。来年、神理教は独 
立百十周年を迎えますが、管長様は大きな決断を下されました。春秋の大祭により多 
くの方が帰院できるようにと、ご教祖の時代から15日・16日と日にちで決まって 
いた大祭を、来年に限り土曜・日曜という曜日で開催することを決定されたのです。
 「血統的に強いかもしれない」という大好きなお酒も、病気をされてからは控え目 
に。酒豪揃いの中、「小トラ」と称されていた昔を思い出されたのか、「この歳まで 
長生きできるとは思わなかった」と微笑む管長様。お話を伺うために管長様のお部屋 
を訪ねた時、ちょうど神理雑誌に掲載する文章を書くため、パソコンに向かっている 
ところでした。
 管長様、お誕生日おめでとうございます。そして、どうぞいつまでもお元気で長生 
きなさって下さい。

 質問(一)
 正しい信仰と言うのは、私にも心当たりがあります。
 私が幼い頃、両親が真言宗をやめS会に入信しました。一生懸命でした。
 しかし問題は何時もありました。(床の間には ”天照大神“と、かかげてあった
記憶があります)
 
応答
 アメリカは今Mさんお一人で、ご両親は日本におられるのですか。
 今の宗旨(葬儀や祖先祀りをする時の宗派)は何ですか。
 私が気になるのは、真言宗を止められS会に入信したといっても、まだM家のお墓
やご先祖の位牌が真言宗のお寺にある、ということはないかということです。
 信仰熱心なのに守りが薄くいろんなものに取り付かれる人というのは、あちらこち
らと教団をさまよって一つの教えにとどまることのない人や家に多いのです。
 ある意味での浮気というか、いろんな教団を研究するのは悪いことはありません
が、これと決めたら出来れば家族ぐるみ、ご先祖ぐるみで信仰するという気持ちが大切です。
 そうでないと、信仰をしない人と同じか、もしくはしない人より良くない、という
ことになることがあります。
 私は決してS会を推奨するものではありませんが、まずM家が今S会一本になって
おられるのかな、と思ったのでお尋ねしました。
  
質問(二)
 幼い頃の私でも「他の信仰に触れては絶対駄目!神社に触れても駄目!」と強制さ
れてましたが、何か変だなと思ってました。
 この内容自体が本宗の考えかは分かりませんが、間違った考えを信仰すると ”大
変な事に成る“というのは私にも後で分かりました。 
 私はまだ十七年位しか居ませんが、此方には危ない宗教が沢山ありますので、今
まで興味を示しませんでした。
 
応答
 神理教にも、”他の教えを信ずることなかれ“という教えはありますが、それは
(一)でお話しした意味です。
 しかし、見ても駄目、触れても駄目とはいいません。
 神道では、身の回りの空気も水も人間もお寺も教会も全てが神であるとして尊敬します。
 いわゆる八百万神(やおよろずのかみ)というもので、外国の神も粗末にしません。
 この点はS会とは違いますね。
 
 しかし、特に神理教では尊敬する神と信仰する神を区別します。
 いわゆる神道は多神教であるなどといわれますが、古神道である神理教は多神を大
切にしながらも、天在諸神を一神として信仰します。
 ですからMさんが神理教本院で心身の健康・除霊を祈願し、今後もこの教えを通し
てご自分とご先祖の心(=霊魂)の安定をはかろうとされるのであれば、宗旨を変え
ることが難しいとしても、まず普段の信仰の仕方を神理教の手法で行う決意をされる
ことが大切です。
 
質問(三)
 この家では今まで殆ど悪霊は感じられませんでした。 (殆どと言うのは、全く無
いと言う事では有りませんでしたので…)
 ところが、昨晩お手紙を書き始めて夜中の一時頃になった時です。
 非常に嫌な感じが漂い始めました。
 それはだんだん増え続け思わず部屋のドアを閉めましたが、二時間ほど続いた時、
先週真言宗のお寺の住職に頂いたお数珠を手に巻いたら三十分位で薄れてきました。
 でも結局朝まで部屋を出れませんでした。(^_^);;
 どうも貴方様に私を合わせたくない様子です。
 私は朝晩
「迷いの霊が一日も早く幸せになり、天国へ逝けます様に…」 と祈っているのです
が、分かって頂けないようです。

 巫部様、私に憑いているものはタチが悪いと思います、申し訳有りませんがお気を
つけて下さい。
 
応答
 本院よりMさんの健康とそうした障(さわ)りが和らぐように、毎朝遙拝(ようは
い=遠くから拝む)させて頂きます。
 
質問(四)以下、幾つかのやりとり
 あの…、 私 何かお気に触る事でも書いたのでしょうか?

応答(一日返事を据え置いたので心配になられようです)
 ご心配をかけて済みません。
 お祭りや会議や打ち合わせが続いたもので、お返事が遅れました。

質問(五)
 ありがとう御座いました。
 何か…、やっとお会いできたと言う気持ちで居たので、妙に不安でした。
春の祖霊祭
3月21日(祝)11時より
 春分の日の三月二十一日、大教殿で春の祖霊祭が開催されました。風はまだ冷たい 
ものの、穏やかな晴天に恵まれ、参加者全員で、ご先祖への日々の守りの感謝と霊魂 
の安定をお祈りしました。
 引き続き行われた立元課長の講話は、日本人独特の人生儀礼、中でも葬儀や霊祭に 
関するもので、皆、熱心に聞き入っていました。その内容を、ご紹介しましょう。
 「日本人の人生儀礼、つまり冠婚葬祭は、特に独自の霊魂観、祖霊観を背景に展開 
され、多くが宗教や信仰と関わっているところに特徴があります。 『祭』は、祖先 
への祭り(供養)ということです。神道では、亡くなった日から十日ごとに霊祭をし 
て、五十日後に初めて祖霊殿に合祀します。これは、『生前の罪やけがれを祓って清 
い霊にする』『死の自覚を深める』『死後は子孫の守り神となることを悟ってもら 
う』ためです。本教の霊祭祝詞は、霊を慰めると共に、教えを説くものです。子孫は 
祖霊に仕え、祖霊を正し、祖霊はそれによって子孫を導く力をつけるのです。祖霊を 
正すことは、同時に自己を正すことを意味しているのです。私たちは、祖先を崇拝す 
ることによって繁栄してきた民族ということができます。祖先を粗末にし、祖先の祀 
りを絶やした家や人には、繁栄はないということです。春の彼岸は自然をたたえ生物 
を慈しむことに、また、秋の彼岸は祖先を尊び亡くなった人をしのぶことに重点が置 
かれています。彼岸の日に墓参りをして、祖先の霊を祭る風習は、よその国では見ら 
れない、うるわしい行事です。」


      


管長様が解説する御教祖の御歌/『人道百首』より


身そぎより 心のけがれ 祓ふこそ

       神の心に 叶ふなりけり


 人体は不断に新陳代謝し、目に見えない内臓その他の老廃物は自動的に?排せつさ
れることになっております。
 しかし、目に見える髪は伸び放題でありますし、皮膚はアカで汚れ放題となります
し、人為的な処置なしには済まされません。そこに、御神意のようなものも感じられ
ます。
 鳥は水あびをしますし、獣は土や木に体をこすりつけますし、猿などは手も使うよ
うで、そうした習性にも、御神意のようなものが感じられるのではないでしょうか。
 それら鳥獣の行為は、汚れを意識したものとは思われません。しかし、われわれ人
間の場合は、汚れがもたらす結果までを意識する方向に展開したわけであります。
 また、汚れが肉体の健康にかかわるという意識は、そうした汚れを放置する人の精
神上の不健康を意識させることにもなったという点が、考えられます。
 つまり、体が汚れている人は心も汚れている!!という意識や、体が清潔であれば心
も清浄である!!というような意識を生じることにもなったと思われます。
 ミソギは、そうした清潔感をも前提として行われ続けて来たと申せますし、心の浄
化につながる効用がある点も、決して否定できぬところであります。
 しかし、時代とともに、ミソギはいわゆる『行』という観点が重んじられることと
なり、心の浄化という願いからは遠ざかる傾向を強めることとなりました。
 心の浄化そのものよりも、心の浄化によってもたらされる結果にだけ目が向けられ
るようになったということであります。



 申すまでもなく、心の浄化なしでは得られぬものを、心の浄化なしに得ることは、
とてもできかねるところであります。
 冒頭の御歌は、そうした不当な期待をこめて行われる『水行』などのミソギについ
て、いましめられたものであります。
 従って、ミソギは全く不必要と申されたものではありません。また、いわゆる『水
行』を全面的に否定されたものでもありません。
 ミソギにはミソギの効用がありますし、その一形式の『水行』にもそれなりの効用
ありと認めた上での御教示と拝察すべきであります。
 申すまでもなく、ミソギは、体を清める動作を通じて、心を清めることに主題があ
るわけで、この点を忘れてはならぬということであります。
 いずれにしても、この御歌から強く感じなければならないのは、形式にとらわれる
ことなく、心を清める生き方を心掛けねばならぬ、という点であります。
 心を清めるには、ミソギ以外のものも考えられぬではなく、日常的にも充分に気を
つけながら前進することにならねばならぬと考えます。

        

第十三回神理未来委員会基調講演
平成14年2月23三日(土)
於、明星会館
「私の二十世紀」(その1―11)
神理未来委員会委員長 横 江 春太郎
(キ)五人組質屋強盗事件で捜査の勘があたる。
 この話は、昭和33年正月元旦に発生した出来事のことであります。当時、私は 
愛知県北警察署の司法係長、年令30才。年末迄、日々事件に明け暮れていましたの 
で、せめて正月位は好きな酒を飲もうかなと考えていました。そのころは実家の教会 
で母親と兄嫁夫婦、そして家内共々住んでおりました。酒のカンがついて盃に手酌で 
酒をつぎ、口まで持ってきたときのことです。受持派出所員が息せき切って飛び込ん 
できたのであります。聞くと、「5人組質屋強盗事件が北警察署管内で発生。すぐ出 
署するように」との非常召集であります。元旦早々酒も飲めないのかと思いながら家 
族に見送られて署に急行したのであります。それから1週間が経ちました。捜査を続 
ける中で、容疑者の目星もつき、うち1人が主犯格で三重県出身とつきとめ、捜査本 
部において捜査員を前に、「明日、三重県に行く。誰かついてくるものはいないか」 
と言いますと、正月早々からの捜査の連続でしたので、「せめて明日は日曜日だ、そ 
ろそろ休ませてくれないかな」という部下の態度がみえみえでした。がっかりして、 
「それでは俺が1人で行く」と言いますと、漸く2人の捜査員が、「私も行きます」 
「私も行きます」と言ってくれたのであります。とはいいましても、あく迄も私の勘 
による出張捜査で、容疑者が確保できるという保証はないのであります。しかし、心 
の中では自分の勘に間違いはないという自信めいたものがありましたので、翌朝、母 
親と家内に対し、「今日は必ず犯人を捕まえてきます」と見栄をきって家を出まし 
て、2人の捜査員を連れて容疑者の実家に向かったのであります。その実家は、山の 
中に所在しておりました。山を登って行きますと、まさに探していた容疑者が1人、 
山から降りてくるところでした。早速職務質問をし質屋強盗について問い詰めたので 
あります。すると突然のことであり、相手もこちらの勢いにおじけづき思わず、「ハ 
イやりました」との答えが刎ね返ってきたのであります。そのころは、まだ逮捕状を 
とるだけの資料が揃っていなかったため逮捕状を呈示する通常逮捕ができず、その場 
で緊急逮捕の形をとったのであります。この一人の逮捕で残り全員は相ついで芋づる 
式に逮捕することができ、事件は落着したのであります。しかし、そのあとの表彰の 
段になりますと本部側は、まさか係長が率先して逮捕に行くことはないだろうと勝手 
に判断し、同行した2人の刑事に本部長賞が授与されたのであります。しかし、当時 
の私の気持としましては、その日よく私に同行してくれたという部下に対する感謝の 
気持と、事件が早期に解決したという喜びそして又、家を出るとき、「今日は逮捕す 
る」と言った手前もあって、それが実を結んだことで、捜査の進展を見ながらの私の 
勘が当ったことに自分なりの満足感を抱いたのであります。

(ク)警察学校教官時代の思い出
a、伊勢湾台風(その1)
―公舎直撃、家族は風呂桶に
       避難し助かる。―
 昭和34年の伊勢湾台風の当時私は愛知県警察学校教官として公舎に住んでいま 
したが、その公舎が直撃を受け一気に家財が吹き飛んだのであります。その夜、激し 
く揺れる校舎の教官室で警戒中、生徒から、「教官の家が大変です」との知らせを受 
けてかけつけてみたところ、学校敷地内、巾約5mの道路の向こう側にある公舎が猛 
烈な風雨によりさえぎられ、その有様がはっきりつかめないのであります。すると生 
徒の2人が綱を持ち、腹這いになって公舎に向かってくれました。辿りついた2人 
は、樹木に綱を縛りつけてくれました。その綱をたよりに公舎に入ったのであります 
が、家財は飛び散り、どこを探しても家族はいないのであります。探しながら風呂の 
        フタをとりますと家内と子供2人がいたのであります。咄嗟の判断で避難の 
道を選んだ家内は立派でした。3人を学校内に連れ夜明けを待ちましたところ、風雨 
もおさまりましたが公舎は見るも無惨な姿に変身していたのであります。そのあと、 
公舎の片付けをする暇もなく、被災地である津島に生徒を引率し警備活動に従事せよ 
との出動命令を受けることになりますが、このことは別に申し上げます。こうした緊 
急事態が一段落しましたあとの受持授業に備えての勉強は、それこそリンゴ木箱に新 
聞紙を貼って机とし、猛暑のときは、バケツに水を入れて足をひたしながらの苦闘の 
日々でした。こうして今振り返ってみますと、若い時に経験した人生の苦しさを乗り 
切ったからこそ、その後、再三出会ったさまざまな局面にも対応できたものと、これ 
又試練をいただいた神に感謝したところであります。
b、伊勢湾台風(その2)
―ボートでの警備実施と
  数え切れない死体収容作業―
 猛暑に吹き荒れた伊勢湾台風も1夜明けるとまさに台風一過のすばらしい天気に恵 
まれ、さて自宅公舎の後片付との甘い考えも吹き飛ばされて、そのまま津島警察署に 
災害警備活動の出動命令を受けたのであります。直ちに担任生徒43名を引率、トラ 
ックで警察学校を出発し日光川を渡り名鉄のふじなみ駅まできましたところ、1面す 
べてが水没、全く進むことができなくなったのであります。そこで、たまたま駆けつ 
けた陸上自衛隊の上陸用舟艇を借り受け、津島警察署迄の約2qの間、担任生徒をピ 
ストン輸送することとしたのであります。エンジンはすぐかかりました。家という家 
のすべてが1階はなく2階が一階という感じでした。第1回目のことです。なんとな 
く途中迄は無事に進みましたが、なにしろこうした舟艇の操作訓練は受けていないの 
であります。突然、目の前に家が迫りましたが、これを避ける余裕もなくそのままそ 
の家を突抜けてしまったのであります。その家人に対しましては声を張り上げてお詫 
びをし、後程謝りに出向いたのであります。とにかく第一陣を津島警察署に到着させ 
ました。それも2階に通じる階段に舟艇をつけたのでありますが、鯉や金魚の泳いで 
る姿が印象的でした。ピストン輸送も終わり担任生徒を集合させ、災害警備という任 
務でしたので、次はボートによる巡回警らであります。ところがこれも生徒はボート 
を漕いだ経験がないということから、私自身がボートを漕ぎ任務に従事したのであり 
ますが、その疲れの激しいこと表現はできず、こうして2昼夜、津島警察署での任務 
を終え、続いて名古屋市港区の死体収容作業に転進を命じられたのであります。現地 
に着いて驚きました。それは巨大なラワン材がびっしりと流れつき、水は既に引いて 
いましたが、その下に数知れぬ死体が発見されたのであります。そうした死体を次々 
に運び出し収容したのであります。私1人でも何十人という死体を収容しました。連 
日の疲れで体力はすっかり弱っていました。運ばれてくる握り飯も手を洗う元気もな 
く又、そうした場所もないまま食べていたのであります。不思議なことで、緊張して 
いたこともあってか、なんの病気も拾うことなく過ぎたのであります。こうして死体 
収容作業も2日間で終えて漸く学校に戻ることができたのであります。それからが又 
々、自宅公舎の手入れということで私自身の闘いはいつ終るとも判らず日々続いたの 
であります。まことに貴重な伊勢湾台風の経験であります。
(つづく)
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独立110周年記念
キャッチコピー決定!!

 来年平成十六年、神理教は独立110周年を迎えます。
 それを記念して、皆様からキャッチコピーを募ったところ、多数のご応募があ
りま した。

 そして、決定いたしました!
キャッチコピー
歴史ある古きよき教えを
             新しい時代へ

 この言葉を合言葉に、独立110周年を迎えていきたいと存じます。
 また重ねて、多数のご応募、ありがとうございました!
神理教本院
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 幸福への出発
   
  第十三集
 遺伝子を コントロールする奇魂

 人間の運命を左右する力を持っているのが四魂の中の「奇魂」です。遺伝子は「A
TGC」の四つの単位で構成されています。四魂の働きの元を成しています。そして
「父親と母親からそれぞれ陰陽の遺伝子」の働きを受けています。奇魂は「遺伝子G
(父親のGと母親のGの陰陽一体)」の働きの影響を強く受けています。人の心もこ
の「遺伝子Gの強弱」の影響を強く受けています。この「遺伝子Gは人間の寿命の長
短」を管理しています。喜怒哀楽の四魂もATGCの遺伝子も「陽的な性格と体質」
を持っていますが、同時に「陰的な奉仕と服従」の制約を持ち合わせています。陽的
な遺伝子は先祖から受け継ぎ、陰的な遺伝子は神の子として神様から受けています。
先祖からは目で見て解る親子の遺伝子なので人は遺伝子といえば親と先祖としか考え
ません。しかし遺伝子の本質は目で見ることの出来ない「神の子としての陰的な義
務」が主になるのです。「神への絶対服従と奉仕」が寿命と健康に深く関係している
のもその為です。この役目を持っているのが「先祖の良識の奇霊」なのです。この先
祖の奇霊はそれぞれの家の神殿の中で子孫の毎日の行いを神の道と照らし合わせて
チェックする霊です。「先祖と奇霊と自分の奇魂」は常に脳波によって交信しているのです。
この奇魂は脳細胞の「後頭葉」です。後ろ頭は神と先祖の霊感のアンテナが有
るところです。同時に邪霊や悪霊の影響も受けるところです。特に幸霊(前頭葉)の
神霊とは主と従の関係にあります。「神の子としての天命(幸魂)」を基本にして具
体的に行動をコントロールしているのが後頭葉の奇魂です。この奇魂の生涯の仕事が
和魂(親と先祖から受け継いだ性格)の抑制なのです。「和魂(間脳)は持って生ま
れた心」なのですから親と先祖の影響を強く表現する「欲望の心」なのです。この欲
望(先祖のこの世に対する未練など)が強すぎると「自分さえ良ければ」と他人の事
等まったく考えない「我欲」の心に変わるのです。人間は神様と先祖から四魂「幸魂
(天命)・和魂(宿命)・奇魂(運命)・荒魂(生命)」を授かって生まれてきます。
「先祖が望む永続という義務」と「神の子としての善という誓約」と共に「家族という環境
の中」で生活をしています。「その毎日の労働と生活と家族愛が祓いと奉
仕の修行場」なのです。神と先祖を祀る信仰を義務として喜怒哀楽の四魂の中に遺伝
として持って生まれて来るからです。その証が遺伝子の中に組み込まれている病気等
の原因と不幸等の結果です。先祖が祓い残した罪の原因を持っているのが内臓(内
臓は木火土金水の神の守り)等の中で働いている「遺伝子」です。
信仰はその罪(罪により治癒力が弱くなっている)を先ず祓うことが大切です。
信仰の一番大きなメリッ トは「奇魂の働きで信仰により神様との交信が出来る事」に
有るのです。
その結果として神様から頂いている大自然の贈り物「空気・水・太陽の光と温度そし
て肉や魚・ 野菜や果物等の食べ物(健康を守る薬膳)」を自分の体の中で十分に消
化吸収できるのです。
「神理教の教義は神と人間について解りやすく教えているのです。」消化吸収とは「
先ず神の教えを元にして神の道 人の道に実践の奉仕」をすることです。
神の教えを心で消化して、行いの実践で吸収するのです。「食べ物など全てを神様か
ら頂き、そして消化吸収は内臓の木火土金水の神様の働き」により体内に「神の栄養
食」として吸収され健康な体力と精神力が造られて行くのです。そして自分の命は生
きるために有るのではなく「自分を磨くため」に有るのです。その働きを持っている
のが「運命を決める奇魂」です。奇魂は御教えや体験を通して自分を磨くために成長
していく魂です。奇魂は「神の道を基本とした物差し」を持っています。「その物差
しに合わす働きを成長していく」というのです。成長とは心の働きの中で「物の考え
方や物の見方を神の道に照らして見る」ことが結果として「運が強くなる徳」として
働くのです。私たち人間はすべて神の子として一分一秒たゆまなく神様のお蔭の中に
生かされています。本教大意の「人の体は親の生みたるものなれども、その元の元の
産須根をさかのぼれば人は悉く神孫にして…」親も兄弟も他人も皆神の子なのです。
神様はこの地球も山も川も海も人も動物も森や林も全てを創り育て守られています。
その地球上の全ての管理を神の子の人間に任されているのです。人の体も神様から
借りたものです。
「人は地球の大自然を大切に管理して守る責任」が有ります。「人の体もきれいな体
で天命を全うし神に返す義務」があります。御教誡の「神の心にそむくことなかれ」の
責任と義務なのです。その為にはどうすれば良いかを「御教えの体験」の中から勉強
して心を磨くのです。神様はお互いに助け合うために「陰と陽」の表と裏の仕組みを
大自然や人間を始め全てに与えています。小さくは遺伝子のATGCは父親のAと母
親のAが結合して子供の遺伝子Aに、またTもGもCも同じく結合しているのです。
内臓も左右に陰陽の働きを持ち、しかも左右それぞれにもまた陰陽の裏表があり
(四魂)四つの単位で一組になっています。喜怒哀楽を元にした四魂の働きがそれ
ぞれの内臓の仕組みとして有るのです。その為に心で感じる悩みや苦しみは自律
神経を通して内臓にすぐ影響が現れるのです。この心の乱れや自分の体験を活かし
て「心を磨いて善になす」奇魂の働きを思い出して「相手の立場になって物を考えた
り神の心で物を見直す」事で運が強くなるのです。
 運が悪いのは人のせいではなく自分の考え方が間違っているから不幸なのは自分
が一番正しいと思っているから心が磨けないのである情けないのは人の苦しみや
人の痛みの判らないことであるつまらないのは人の意見を聞かないことである
               

      

平成15年度 年間祭事行事
開教123年 独立109年 生誕169年 昇天97年


4月  15(火)・16(水)    春季大祭
         21(月)      幸彦社(15年の題は「町・街」)

5月      16(金)      17時、みあかし祈願祭
         18(日)       熊本北地区ブロック研修会
         未 定        近畿地区ブロック研修会

6月  7(土)・8(日)      名古屋ブロック研修会
     14(土)・15(日)    未来委員会
         未 定         議会・教務委員大会
         未 定        長崎地区ブロック研修会
         30(月)      11時 大祓  16時 焼納祭

7月      未 定        熊本南ブロック研修会
         13(日)      11時 大元稲荷神社 夏越祭
     24(木)〜27(日)    夏期講習会(青年部総会)

8月      16(土)       11時 穂見大祭

9月      23(祝)       11時 祖霊祭

10月  15(水)・16(木)    秋季大祭
          19(日)      独立記念日

11月   上 旬・中 旬       七五三
          23(祝)      11時 新穀感謝祭

12月       31(水)      11時 大祓  16時 焼納祭
☆★☆ 素朴な疑問 ★☆★
     
 Q & A

Q1、どんな人にもその裏側には、その人の守霊がいるとのことですが、本当ですか?

A、 人の中に先祖があり、先祖の中に人が生きるといいます。即ち、人と先祖は一
体であるとの強い意識を深めねば、守りが本当に生かされて来ないのです。
 直接的には、一祖霊が一人の子孫を守るというように分かれていると言えます。

Q2、「陰口」を言うとなぜ悪いのですか?

A、 それは、陰ごとが隠されたものであり、それを口にすることは、隠されたもの
を堀りかえしたことで、当然、それを見、それに触れるからです。つまり、穢れると
も言えるのです。従って、この逆を考えたいものです。即ち褒めることです。

     

                                  あとがき

 私たちは、神様から分魂を頂いて人として生まれてきたのです。
 しかし、日頃神様から頂いた恵みにも感謝しないで、人には迷惑ばかりかけ、人の 
道にはずれた悪い行いばかりする人が、例えば、月が満ち日が昇るように、する事な 
す事が順調に進むことがあります。
 その原因を探すと、この人は乱暴で道理にはずれたことをする性格なのですが、両 
親が正直で、神様を敬い人の道にかなった生き方をして、多くの善い事をした人だっ 
たので、亡くなった後、その幸魂は高天原に帰り昇り、和魂は産須根大神の左右に属 
いて、氏神となって子孫を守り、奇魂は幾つにも分かれて、私たちの目には見えませ 
んが、昼も夜も子供や孫を守ってくださるので、このような乱暴で人の道にはずれた 
人であっても、家は栄えるのです。
 いつも悪いことをしているのに、少しも悪い報いなどなくて、順風に帆を挙げる様 
に家が栄えるのは、祖先の霊神が属き添って守護してくださっているからなのです。
 人は勢いがよいときには、神様なんかどうでも良いなどと自惚れていて、なお一層 
乱暴で人の道にはずれた行いばかりしていれば、日月に鎮まっておられる大神等はそ 
れを見ておられて、この様な人が亡くなればすぐ、大国主神様のご命令で、黄泉の国 
へ連れて行かれて、子孫を守護する事が出来ないのです。
 そうなると、やがて家は衰えて行き子孫の繁栄もなく、家が絶えてしまう事もあり 
ます。
 神理学入門 第11
 現身に善を積む者は 幽冥に神祗となり 裔を守ること子を養うが如し 耳孫おの 
ずから繁禧す
 現身に悪を積む者は 幽冥に妖魑となり 裔をくるしむること子を捨てるが如し  
苗裔おのずから減衰す
 この世で徳を積んだ人は、死んだのち産須根神となって、あたかも子を育てる親の 
ように子孫を守る。従って、子孫はその守りによってさかえていくのです。
 この世で悪いことをした人は、神のみもとへ帰ることが出来ず、従って、産須根神 
となれず、神と子孫の間から離れて迷うので、親が子を捨てたように、捨てられた子 
は守りがなく自然に衰えていくのです。
 人の勢いには限りがあります。しかし、人は勢いに乗ると、全てが自分の力で出来 
たと誤解して、自己を過信してしまいます。やがて、徳を失い勢いもつきてしまいま 
す。庄屋三代続かずの諺があります。
 私たちは、神様と祖先からそれぞれに徳を頂いています。それを自覚して勢いを生 
かし、その勢いに感謝の心を忘れてはならないのです。
                                 (誠)

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