巻 頭 の こ と ば 呼吸法では息を全て吐き出しなさいと教える。 吐き出した後、さらに吐けと教える。 吐き出せば、吸い込もうとするのは自然であり理である。 全て吐き出すと言う事は、自分の持っている能力を 全て出し切れ、につながる。 生活に於いても全ての事々に全身全霊の姿勢が 大切である。 その姿勢は自ずと神祖の力を引き込むことになる。 |
かんなぎべ たけひこ 神理教管長 巫部 健彦 ゆ 見えがたき 行く 手なれども 祈りつつ ゆ ゆ 行かば行かるる 道や開けむ 軍事力による米国の対イラク包囲網が、着々と強化されている様であります。それ
だけに、国連査察団の粛々とした調査が、却って不気味に感じられます。又、約束違
反の北朝鮮に対して柔軟化?と見える米国の姿勢にも不審感が募る中で、二月を迎え
ることになりました。
イラクも北朝鮮も、我々が知らされている情報によれば『脅威』であり『危険』・
『迷惑』な存在であります。両国とも独裁者が権力を握り、国民よりも権力者自身の
地位保全を最優先している様に見受けられる点が、不安感を助長する事になっている
とも申せます。
それにしても、仮に情報がなければ『脅威』を感じる事もない訳であります。遠く
離れたイラクの場合、その國が大量殺人可能な化学兵器を開発所蔵し、世界的テロ組
織との関連が深いなどという情報がなければ、今ほどの関心は無かった!と言えそう
であります。
北朝鮮の場合には、いわゆる拉致被害者の帰国という事実に加え、不審工作船との
銃撃戦を実証する映像や実物の公開があり、当今はミサイルや核開発再稼働を宣言。
当方を敵視する過激な強弁も聞かれるだけに、危機感も切実とならざるを得ないとい
う事であります。
尤も、両国の最高権力者の今後の動向についての情報が不透明な為、危機感が増幅
されている点も考えられます。我々としては、知り得ている情報に基づき、最悪の事
態を想定しての対応を考えながら、事の成り行きを見守る外なし!ということになり
そうであります。
人生は、過程や結果を想定しながら進められるのが一般的でありますが、最悪の場
面を想定していない為、にわかに頓挫して絶望する事例も生じております。一つに
は、事の成り行きを見守る用心が不十分な為、不慮の結果を招くという側面も考えら
れます。
両国の動向は、我が国や我々自身に危害が及び兼ねぬ関心事として、見守り続けら
れねばならぬ所と受け止める事が肝要となるようであります。同時に我々としては、
自分自身の身辺についても、日々の成り行きの変化を見逃さぬよう用心する事によ
り、最悪の事態に立ち至る事のないよう、随時適宜に対処する心掛けを怠ってはなら
ぬと思われます。
どうして そうなると、 だから アメリカは これは、 その アメリカのこうした 『しっかりとした それは こうした どちらが それは |
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今回は会話調になっています。 質問を ○ 、応答を * とします。 ○有り難うございます、今手紙を書いていた所でした。 *直接手を下したということではなかったのですね。 安心しました。 ○勘違いする様な書き方でした、申し訳有りません。 *私はMさんの言われるような修行の完成した者ではありませんが、一生懸命お祭り をさせて頂きます。 ○宜しくお願い致します。 *Mさんの生年は昭和27年7月ですから辰年の生まれ、つまり卯年の孕みですか ら、木の性ですね。 私の生年は3才下の昭和30年5月ですから未年の生まれ、つまり午年の孕みです から火の性で、Mさんとは相性が良いようです。 ○何か少しホットしました。 *Mさんは脾臓や口や乳に、病気やけがをすることが多いですか。 ○口は口内炎が良く出来ます。 後、虫歯だらけです。 よく舌を噛みますが、これといったけがや病気はありません。 乳は、けがや病気をした記憶はありません。 *先ほど言った部分の病気や怪我は神からのお知らせですが、その部分の病気や怪我 については死に至る病にはつながらないと御教祖は教えています。 ○安心しました。 *反対に肝臓や胆のうや腎臓や膀胱や膵臓や目や耳に、お知らせを頂いた時は要注意 です。 ○20歳の時肝臓を壊しています。(現在もB型肝炎で保険に入れません) 今時点で胆のうは解りませんが、母は胆のう癌で逝きました。 良く膀胱炎になります。 耳は「メニエール病」といって1年中大きな耳鳴りがしています。 目は右が傷ついています。 後、上下の筋肉がおかしく首を傾けないと良く見えません、そして色弱です。 その他は精密検査をしないと分かりませんが、最近非常に体調が悪いです。 *神理教の御教祖は医師をされた時期がありましたが、”祈れ薬れ“と教えられてい ます。 ご自分でも大元の天在諸神に祈りながら、良い病院や医師や薬に出会えるように機 会を持つ努力が必要です。 ○多分、手紙を見たらあきれ返ると思いますが、何につけても縁がありません。 *私も勉強になりますので、遠距離ですが遠慮なくご連絡下さい。 ○ありがとう御座います。 *神理教は日本人が古くから信奉してきた神道ですから、数珠は使いません。 お手紙が着いてお祓いをしてお返しする時に、お守りをおつけしましょう。 ○ありがとう御座います、宜しくお願い致します。 ○すいまケん、これは何と読みますか?「脾臓」 *”ひぞう“と読みます。 話は違いますが、8月にボランティア(神理教以外)で行っているネイチャーゲー ムの研修会で、アメリカのサンフランシスコから車で6時間ほど北東のシエラネバダ 山脈の中腹のアナンダ村に行くのですよ。 一時的に一挙に距離がちぢまりますね。 そこではメディテーションの自由参加も可能と言うことで、神理教の鎮魂とよく似 ているので楽しみにしています。 そこの教えは ”人には神性があることに気づく“ということを主眼とするようで すが、神理教では ”人は神の分霊である“と考えますので、ここもちょっと似てま すよね。 あちらはインドに原点があるようでこちらは日本、考えると世界中に神道の原点が 自然にあると言えるでしょう。 神道は、例えば神理教には御教祖はおられるものの、その教えは御教祖が創られた ものではなく、自然に出来た=天が造ったものです。 キリスト教は、ユダヤ教などに原点を持ちながらもその名が示すようにキリストが 創ったいわゆる人造教で、そこでは神と人間は絶対に違うもの、別の存在と教えま す。 人間の親は子どもの出来が悪いとしても、気でも違わない限り良い子と同様の愛情 を与え、あきらめることはあっても見捨てたり殺すことなどはありません。 しかし、ノアの箱船のように、人間を自分の子孫、自分の分霊と思うことの出来な い絶対的な神は、出来の悪いと判断した人間を水に沈めてしまうのですね。 それは陶芸師が心魂を込めて作った愛しい陶器でも、ほんの小さな傷でも認めると 涙をのんで割ってしまうのと同じです。 このように私たちが信じる本当の神は、私たちを子孫として・子孫だからこそ必ず 守ろうとなされている神理(しんり=かみのことわり)を理解して、ご一緒に心から お頼りしましょう。 神は、どうしようもない私たちに対してその場はあきらめることはあっても、見捨 てることは決してありません。 神様と人間の関係は、陶芸師と陶器の関係ではなく、大元の先祖と子孫の関係だか らです。 本人が自分が知っていたり知らない内に犯した罪を詫び(謝り)、また先祖の苦し みを救って下さい、という意識を持ちさえすれば、神はきっと救って下さると信じましょう。 たたりというのは、普段から正しい信仰を行っていない、いわゆる耐性のない(= 神と先祖の守りの薄い)人が受けやすいものです。 悪いことも行っていないが良いこともしていない、という人などは”悪いことをし ていない“という意識が強いだけに、なおさら ”どうして自分が?“という気持ち になり精神的にも落ち込むことになります。 もしこちらで行うお祭りでいくらかでも効果が現れれば、その為に何を行えば良い のかもご一緒に勉強しましょう |
神理教独立までの軌跡 |
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***************************** 平成16年 独立110年を迎えます。 ***************************** |
幸福への出発 第十一集 遺伝子は身体の仕組み だけではない 生きる全てにある 人の一生はドラマチックな側面と堅実な筋書きの中に今、自分が存在しています。 堅実な筋書きは神の子として神様が創造されたものです。ドラマチックな生き方は先 祖が演出したものです。脇役に兄弟や父母、エキストラに友達や近所、そして舞台装 置が家を中心に町や村、自分の人生劇場は作家も主役ももちろん自分です。芝居なら 必ず最後は正義か愛が勝つのですが、自分で書いたドラマはどうなりますか。堅実さ なのか、波乱万丈なのか、スリルとサスペンスなのか、冒険ものなのか、恋愛ものな のか。しかし多くの人は「時の流れに身を任せ型」が無難に過ごせる様です。世界の 偉人賢人と言われる人は筋書きを超越して世界は「空・無」から始まると悟り修業に 入られました。自分の持っている能力の限界に挑戦するのです。私達には到底出来な い修業です。神様は無理な修業はするなと言われます。「日常生活の毎日が修業」な のです。修業の本意は「奉仕」なのです。先祖の書いた筋書きの目的は先祖が産須根 神に成るストーリーなのです。その筋書きの「重要性」は「子孫の繁栄」に有りま す。その為に実践しなければならない事が先祖の残した『罪の祓い』なのです。 神様の堅実な筋書きの中に『神の救い』が有ります。その仕組が「新陳代謝」の働 きです。この「代謝活動が神の清湯を分ける働き」で、罪の祓いで壊された細胞の遺 伝子を作り替えて正常にする神の働きです。ドラマチックな筋書きの目的が子孫の繁 栄ゆえに、『直接的な神への奉仕』が先祖の望みなのです。 神理教の教えは御教祖の神の教えであり「御教祖が実践された医学」なのです。医 学の本質は御教祖が病気と正面から取り組まれた『神の道を基本とした心の道』なの です。自分のドラマの結果は「心次第」と言えますが、結果は今現在の自分と家族の 状態が教えて居ます。「信仰に対する心の取り組みかた」の結果です。 先祖の要求は「家系の永続と子孫の繁栄」です。 神様の要求は「神の子としての尊敬と実践」なのです。 幸福の条件は「神と先祖の要求を受け入れる事」です。これこそが物凄い筋書きに なりドラマチックな生涯となります。その第一歩は『神理教の教え』です。この教え は「良い物の考え方と物の見方」の実行と心がけなのです。実行は「先ず身体を善に 向かって動かす事」そして「言葉で罪をつくらない事」です。人間はとかく「楽な力 に流されやすいし自分にあまい体質」を持っています。そして自分のことは棚にあげ 「人には厳しい」事を要求します。それが「自我」となり人を支配する『罪』をつく る事になります。人はそれぞれ「先祖の守」を受けています。「言葉でつくる罪」は 「その人の先祖まで巻き込む」ので「必ず神の道」に照らされて罪の祓いをさせられ ます。その人の先祖から見れば自分は他人です。他人の子孫に対しては「とても厳し く謝罪を要求してきます。」先祖を巻き込んだ罪の祓いは「神経の病気」になる可能 性があります。『口は禍のもと』なのです。信仰はまず自分を良く知ることが大切で す。自分のことが何も判らないのに自分を磨くことは出来ません。無くて七癖と言わ れています。『人間は完全な神の子として、自分に厳しく行ないを管理する義務』が 有ります。ホームドラマのヒロインは「自分の短所も長所も」有りのままを演じてい ます。見ている人は第三者の立場で客観的にそれぞれの感想を持って見ています。自 分も職場で近所で友達の間で第三者から客観的に行ないを見られているのです。自分 はいつもヒロインと同じ立場で生活をしているのです。自分のことは何も知らずに 「自分が一番正しい」と思って人を見下した言動は「罪を重ねるばかり」で子孫がそ の罪で苦しむ事になり、子孫のその苦しむ姿に涙して自分も苦しむ結果となるので す。自分を知るとは『自分の長所と短所を知る』事です。その近道は今日一日を振り 返る事です。人に対して言った言葉や態度、そして相手の反応や態度等で自分の持っ て生まれた「性格」がわかります。『神の子としての優しい心・思いやりの心・いた わりの心』が自分の心の中に有ったか無かったか反省する心のゆとりが必要です。自 分で「自分の性格の判断が出来れば」信仰の意識が高まり「良い性格に修正」するこ とが出来ます。自分を通して先祖の罪が祓われて行くのです。 「自分は何時でも何処でもホームドラマのヒロインの役者」を演じています。家族 や知人は「第三者としての厳しい目と家族や知人としての優しい目の両方」を持って います。ヒロイン(自分)に対する「忠告や意見」はより良いドラマにする為と快く 聞き入れ髏Sの余裕が大切です。 自分の行く道は 自分が決めて 自信を持って実践する 自分のドラマ 神の道も人の道も家族と一緒に歩む幸福を 自分で書いた人生のドラマ |
***1 口 話*** |
Q1、神社にはどうして鳥居があるのですか? A、 神話の「岩戸開き」で常世長鳴鳥というニワトリを集めて鳴かせた時以来、神 前にニワトリの止り木をつくり、神社の聖域を示すようになったと言われておりま す。聖域(鳥居)に入る前には、一礼して中央を歩かぬように通って下さい。 Q2、宗教は質素というイメージがありますが、贅沢な生活はいけないですか? A、 贅沢とは身分にふさわしくないおごりです。神は只で全てのものを生かし働か れています。 元来、人間も神の前には、自然の一物であるから、人間以外の生物が自然に逆らう ことをしないように、人も神の御心を尋ねてそれに従って行くことが大切です。必要 以上に派手に生活することは、他人の分までうばうことになり、むさぼりの罪として 己を誡めねばなりません。 |
あとがき 厳しい寒さの中で迎えた新年で、本院では何年かぶりで神苑の池も凍りました。 人が夢を見るのは、天神のはからいで、まだ見ることのできない後の事を見せてく ださるということです。将来おこるであろう善い事や悪い事を、夢をとおして見せて くださるのです。 その夢にも起こるべき事を其のままに見る場合と、物にたとえて見る場合があります。 私自身に降りかかる大変な事があるときは、祖父・祖母かまた父・母の姿を夢に見 せてくださるのです。その姿は生前と少しも変わることはないのです。 人は神様から霊魂を授かって人として生まれ、人の人たる道を尽くして一生を終 え、死しては其の魂は天上に帰り、子孫を守る神となるのです。夢にその姿を顕す時 は、喰べたり唄ったり喜んだり話したり、また驚いたり悲しんだりと様々の婆を顕す ことがあります。 その姿や様子で、病気や災難を知らせてくれます。しかし、中には夢に姿を顕す事 が出来ないひとがあります。生前に人の道を尽くさなかったので、魂が天上に帰る事 が出来ずに、黄泉の神の咎を受けて、子孫の悩み苦しむ姿を見ても、助けることが出 来ず、子孫の夢に懸かる事が出来ないのです。 見る夢も様々で、姿を見せても話す事ができず、声を聞きながら姿は見えず、ま た、他人の夢に顕れても子孫の夢には顕れないなど様々です。 昼寝してまどろに見るは忽ちあり、宵に見れば明日、夜中に見ればあくる日、夜更 けて見れば三日の内に、暁に見れば久しくしてあるしるしなりと教示されています。 「夢うらなひ伝」から例をあげます。 水は清浄なる物なれど井に見ては深く、川に見ては清く、沢に見てはかくれ止ま り、瀧にては物音することありき、神に願し事叶うしるしなり。 石はおもく動かざる物に見るべし、引くと見ればむつかしき事あり、なぐると見れ ば人と争い有り、石築をなすと見れば己一人にして物を成就するしるし。 宮につきし事は凡て鳥居・玉垣など皆思う事のしるしなり。 餅は思わざる富貴来るしるし。などです。 わたしたちは、夢を見る事が少ないし、見てもそれを覚えていないのです。少ない のは、わたしたちの見る力が弱いからなのです。 夢は子孫を守ろうとする祖先からの働きかけなのです。悪い夢を見たときは、神と 先祖を祀れと教示されています。 二月十六日は教祖生誕祭です。教祖殿で十一時より祭典が執り行われます。直会の 準備をいたしておりますので皆様ご参拝ください。 (誠) |