神理

平成15年1月号 第1067号

        

巻  頭 の こ と ば

元旦は誰の心もあたらしく感じる
この新しさは希望であり、喜びである。
清々しさを求めるのは人の本然の姿である。
この気持ち、新鮮な元の気持ちを持ち続けたい。
清は清を呼び自ずと心の豊かさとなる。
「今日一日は、一日の御陰である。ただ今の今は、
今のお陰であると心得て、新たな気持ちで神恩を
思い出さねばなぬ」
(御教語第1節)

                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
    あら
   新たしき 年の行く手を 思ふべし
   
        あら       いさ
         心新たに 勇み立ちつつ
  平成十五年の新春を、先ずは恙なく迎えることとなり、御同慶至極に存じます。
  年々に迎える元旦でありながらも、都度そぞろに清新な気分に立ち返るのは、これか
ら新しい年が始まる…という意識の高まりがあるからの事かと思われます。
 いわゆる「数え年」が日常的であった時代には、誰もが一斉に一歳加算という状況
になった事でもあり、それを祝い合う意味合いも籠められ、それだけに、新しい年が
始まる!という意識の高まりは、当今よりも遥かに強かったと申せるようであります。

 いずれにしても、大晦日から元旦へという時の流れは、昨夜から今朝へという日常
的な時の流れの中で行われる訳で、双方の時間的な経過は全く同一と申せますが、日
常的な今朝と新年の元旦とでは、気分的に大きく懸け離れたものが感じられます。
 これは、雰囲気的にも、いわゆる「節目」を重く感じるからの事と思われます。時間的
な経過は全く同一であっても、「けじめ」をつける時!という意識が強ければ、日常的な
成り行きとは異なる受け止め方に変わる、ということであります。
 我々の生活姿勢には、雰囲気に左右され勝ちな面があります。不況と喧伝される雰
囲気に包まれていると、ついつい気分も沈み込むという事でありますが、我々の先租
・先人は、今とは懸け離れて貧しい時代を元気に生き抜いたと申せます。
 貧しいという意識に沈み込む事がなかったので、元気に生き抜く事ができたと言え
そうでありますし、生活条件は確かに厳しくなっていますものの、沈み込む意識から
脱却できれば、前向きに元気な生活が展開できる事になりそうであります。
 厳しさに当面する中で、沈み込みがちな意識から脱却するのは至難とも考えられま
すが心機一転せぬ限り明るい前途は展望出来がたいという事であります。御神護を仰
いで魂の活力を取り戻し、「物」の貧しさに拘るよりも「心」の豊かさを願う生き方
に心掛け、一日々々の歩みを着実に進めて、本年を「良き年」にいたしたいものであ
ります。
                                     
年 頭 に 当 た り
総監  郷 原   昇

 新年を迎えまして、各位へ祝詞申し述べます。此の歳は来る平成16年4月に執り
行われます独立百十周年記念大祭を控え、本院、大教庁職員一同その準備に万全を期 す
べく、努力を致しましょうと暮に申し合せを致しました。
 御承知の通り教団の認承を当時の明治政府に求めるための教祖様の御努力は大な
ものであった事は日誌を始め先輩の語り伝えからもよく理解出来る事で、現今の宗教
法人認承とは格段の差がありました。その事は神道関係では1876年から1908 年の間に
13の教団のみであった事をも、あわせ考えますと、当時の宗教行政のあり
方がよく理解出来るのであります。
 この点を考慮しまして、独立という言葉を式年大祭毎に付けますのも、当時の教祖
様の心情と、多くの先人、先輩の血のにじむような布教の過程をしのぶ結果でもありす。
 現今の人に言わしむれば「独立」という言葉に、何とは無しに拘泥わりを持ち否定
しがちな事は他の諸教派、殊に仏教等の何百年という歴史と比較をするからかも知れ
ませんが、私としては、それはそれなりにという事で、政治をからめての問題もある
わけで、教祖様がその事をふくめて、強く「教え」を説かれた事の結果が政府を動か
した事に意義を認めるのです。本教が―古神道―という意味も「本津教」という意識
と共に巫部家の系統から歴史を考えてからの謂であると承知しています。
 新しい歳になりましても変わらぬ事は「より良き神理教」への歩みを皆さんと一緒に
進め歩むという思いであります。
 昨年の世相の中でノーベル物理学賞受賞の小柴さん、ノーベル化学賞の田中さん二
人の映像は大変参考になりました。あれだけの素晴らしい研究をしたお二人、特に田
中さんの態度と対応は国民の大多数に好感を持って、迎え入れられました。小泉首相
を中にして三人が手を握りあって記念の写真を撮られている時のハニカミ様など鮮や
かに印象に残ります。年相応という言葉がありますが、まるで青少年のようにハニカ
ミとその言葉、素直を通りこして純心としか言いようのない対応には驚きました。世
の中には知ったふりをする人、なにかにつけて威張る人と様々ですが、批判されると
あっけなく崩れる人の多いのを見るたびに肝に銘ずべき事と思います。神理教の存在
を世の人々に知らせるための日常の行動の積み重ねを教内の教信徒各位で考えてん
でまいりましょう。光り輝くためにも各人の努力が必要です。教祖様は人間相互の愛
と個人の信念は神の心であると説かれていますが、その説かれた事を活かす一つの手
段とし「NPO百瀬ミュージック」にも協力をしましたが、これは思いの一つであっ
て、もっと多く人々に神理教を知っていただく機会を皆さんと共に興したいと考えて
います。
 末筆になりましたが、管長様より内局の継続をとの話をいただきましたが、今回は
若く、決断力に富んだ愛教精神あふれる人をとお願い致しました。其の後、各局長先
生方の意向も考えて師走初めに第三次の内局を組織する事を決めました。
 今後ともそれぞれの皆様に繰り返し申しますが、自分達は神理教の一人として誇り
を持てるよう行動する事に御協力を切にお願い致しまして挨拶と致します。
        

オノズの道

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)

()(っき)(いただ)く(ストレス(たい)(さく)

 

 めでたくも、(ことし)年も(みな)(さま)とご(いっ)(しょ)(あたら)しい(とし)(むか)えることが()()ました。

 1(がつ)(ごう)()くのはどうしても(ねん)(まつ)となってしまうので、この1(ねん)(すう)(ねん)()いては()(ぶん)(ぞく)している(しゃ)(かい)(しょう)(がい)()(かえ)ってしまうものです。

 

 (さく)(ねん)(たか)(まどの)(みや)(さま)()()(ゆう)なされましたが、(ひっ)(しゃ)(だい)(がく)()(だい)その(いち)(がく)(ねん)(した)(ざい)(せき)していました。

 当時(とうじ)(いま)よりもっと未熟(みじゅく)(こころ)でおりましたから、時代(じだい)背景(はいけい)もあり皇室(こうしつ)(とく)意識(いしき)することもありませんでしたし、そうした(かた)()(ぶん)たちの(だい)(がく)におられることを()らされることも()()(かい)もありませんでした。

 最近(さいきん)皇室(こうしつ)専用(せんよう)写真家(しゃしんか)(かた)(ちか)しくお(はな)しする()(かい)がありました。

 お()きすると、()(たか)(まどの)(みや)(さま)(こう)()(けい)(しょう)(けん)(さい)(しゅう)(じゅん)()(かた)でありながら、(こう)(しつ)(わたし)たち(こく)(みん)との(こころ)(つな)がりを(もっと)(たい)(せつ)(おも)われた(かた)のお(ひと)()であったとのことでした。

 (こう)(しつ)(かい)()(ねん)(じゅう)(ぎょう)()など()かさずお()になられるお姿(すがた)は、関係者(かんけいしゃ)感動(かんどう)をよんでいた、ということでした。

 その()姿()(せい)はテレビや(しん)(ぶん)でも(しょう)(かい)されましたし、その()()でも(こう)(しつ)(こく)(みん)にとっておしい(かた)がお()くなりになったことに(こころ)からの(あい)(とう)()(ひょう)します。

 

 (とし)(ちか)(かた)()くなると“では()(ぶん)は”と()(かえ)るものですが、()(まえ)()()のことながら(ひっ)(しゃ)はとても(あり)(がた)(じん)(せい)()ごさせて(いただ)いているな、と(こと)()この(すう)(ねん)(かん)じさせて(いただ)いています。

 ()(じゅう)(ねん)()たぬ(じん)(せい)ながら(おも)った()(じょう)(べん)(きょう)をさせて(いただ)き、()(ぶん)()(しん)としてはいつお(むか)えが()ても()いはないな、と(おも)います。

 これからは()(ぞく)(ほん)(きょう)(しゃ)(かい)のために(なに)()()るか、ということで()()ちを()(なお)()()()させて(いただ)いているように(かん)じています。

 

 (せん)(じつ)(しん)(ぶん)で“みのもんた”というニュースやバラエティーの()(かい)をしている(ひと)(はなし)()みました。

 (いち)(にち)(すい)(みん)()(かん)()(かん)(はん)という、()(きょう)()のような(せい)(かつ)をしながら、(にん)(げん)(あつ)い・(さむ)い・(びん)(ぼう)だ・(いそが)しい(()(ぶん)は)という(こと)()()したらおしまい!』と(きも)(めい)じているとのことで、それで(けん)(こう)にも()()けているというのですから、たいしたものです。

 小泉(こいずみ)首相(しゅしょう)のメールマガジン(携帯(けいたい)電話(でんわ)やパソコンに文字(もじ)画像(がぞう)()()(でん)()(ざっ)())に、(しゅ)(しょう)はストレス((せい)(しん)(てき)(きん)(ちょう))は(べつ)のストレスを()ってくることで解消(かいしょう)する、とありました。

 多分(たぶん)事象(じしょう)(ちが)いながらも、(わたし)たちは(おな)じような(いろ)(いろ)()()(ごと)がある(なか)現代病(げんだいびょう)原因(げんいん)代表(だいひょう)のようなストレスの要因(よういん)()っているのだと(おも)います。

これも()(まえ)()()のことながら、(ひっ)(しゃ)がほとんどストレスと()(えん)()ごさせいて(いただ)いているのは、やはり(かみ)(さま)のお(かげ)だと感謝(かんしゃ)するより(ほか)はありません。

 色々(いろいろ)なストレスの解消法(かいしょうほう)がありながら、(ひっ)(しゃ)(いち)(にち)(いっ)(かい)でも(かみ)(さま)(まえ)()(しん)になれる()(かん)(つく)るのが(いち)(ばん)(しん)じます。

(われ)(こころ)(すが)(すが)し”で、(まい)(にち)()かさず(こころ)()まったわだかまりやストレスを、()()しお(なか)(なか)()(れい)(そう)()させて(いただ)くのです。

 

 ()(きょう)()(げん)(こう)(ろく)()ませて(いただ)いていますと、“(にっ)()(いただ)く”ことを(さか)んに(すす)めておられます。

 (いき)()うこと(たい)(せつ)ですが、その(まえ)(した)(ばら)をへこませて(よご)れた(くう)()(すべ)()()すことの(ほう)がより(たい)(せつ)です。

 (くわ)しくは(きょう)(しょ)『はじめての(しん)()(きょう)』に()かれていますが、(よう)はこれを習慣(しゅうかん)にすることです。

 新年(しんねん)()に、是非(ぜひ)この()(しゅう)(かん)をお()ちになられるようお(すす)めします。




 筆者より読者の皆さんへ
 今回で3回連続の質疑応答になりますが、私たちが共通に疑問に思う内容が多いと
思うので連載しています。
 質問者はどんな方か、という雑誌社への質問がありました。
 筆者もこのあたりはどんな方か分からないままお応えしていますし、今も質疑が続いて
います。
 しかし、神理教の教えを生かして頂くようお話しする内に、この方の生活や心持ちにとて
も大きな進境が感じられます。
 アメリカにお住まいの日本人であること、最近まで信仰ということに近いご先祖を含めて
関心が少なかったこと、現在のお仕事や健康などは今も考えようによっては心配の絶え
間のない立場におられるようです。
 この先、筆者とご本人の心の持ち方からどうなるか言えないものの、筆者もご本人も一
筋の希望を序々に広げている中で、きっと幸せになられると信じています。
 その歩みを皆で応援すると共に、ご一緒に御神徳を戴く道筋が見つけられればとご
紹介しています。
 神理の教えが、生活に生かされ人を救うことが出来るのか。 そうしたい!と筆者は祈っ
ているのです。

質問
 ありがとう御座います。
  正直に言います。以前までは一文無しになっても跳ね返す力が有りました。
 今回は非常に不安です。助けてください。
 金銭についてのお答えは、本当に感激しました。
 問題があるのだから、お金が無くなる訳です。
 その無い人に対して、『何としてもお金を作ってご供養する事が大事(AG宗)』 とは
やはり変です。
 ビジネスではないのですから、問題を解決して頂いたお礼にご供養するという方が
正しいと私も思います。

 人を助けたいという気持ちに成ったのは、私と同じ様な境遇の人が沢山いると思ったか
らです。
 私に力があれば、その方々を助ける事が可能です。理由はそれだけです。
(本当に…、大変な人生でしたから)

 御祓いして頂いた方ですが、20年ほど前です。
 その家に入った瞬間、その方は吐き気がするといって嘔吐してしまいました。
 年は50〜60位の男の方で健康に見えました。
 その方は私に
「沢山の女の人が憑いている」といきなり言われ、一度では祓えないとの事で1週間後に
伺った時に亡くなられたのを知りました。
 最初に御祓いして頂いた数日後の突然死、と聞いてます。

 私は昭和27年7月7日生まれです。
 今まで起きた事で、特に記憶に残っている事柄を手紙にして送らせて頂きます。
 後、数ヶ月前から、自分で加工したお数珠を肌身離さず付けています。
 これを一緒に送らせて頂きます、(内容の殆どがEメールでは書けないので、申し訳有り
ませんが郵送致しますので宜しくお願いします)

応答
 ご連絡有り難うございます。
 直接手を下したということではなかったのですね、安心しました。
 私はMさんの言われるような修行の完成した者ではありませんが、一生懸命お祭り
をさせて頂きます。
 Mさんは巳年の生まれ、つまり辰年の孕(はら)みですから土の性ですね。
 私は3才下の昭和30年5月29日ですから午年の孕みで、火の性ですからMさんとは
相性が良いようです。
 Mさんは脾臓や口や乳に病気やけがをすることが多いですか。
 これも神からのお知らせですが、それが死に至る病にはつながらないと神理教では
言われています。
 反対に肝臓や胆のうや腎臓や膀胱や膵臓や目や耳、にお知らせを頂いた時は要注意
です。

 神理教の御教祖は元々医師ですが、”祈れ薬(くす)れ“と教えられています。
 ご自分でも大元の天在諸神に祈りながら、良い病院や医師や薬に出会えるように機
会を持つ努力が必要です。
 私も勉強になりますので、遠距離ですが遠慮なくご連絡下さい。

 神理教は日本人が古くから信奉してきた神道ですから、数珠は使いません。
 お手紙が着いてお祓いをしてお返しする時に、お守りをおつけしましょう。

筆者より
 お金の件は若干勘違い(治れば払うといういわゆるギブアンドテイクではないと思
う)をしているようですが、御本人の気持ちはずいぶん明るく前向きに変わってきた
ようです。

        

 教会紀行
広島県 福山教会

  
   

  平成十四年十一月十七日(日曜日)天の神も味方してか、今日はいつになく暖かい。
 今年も信者の会員の家族で七十五歳以上の方を対象に、教会の祭典部、総務部、婦
人部、青年部が合同で恒例の長寿祈願祭と長寿会を挙行する事になっている。
 昭和四十七年当時、七十歳以上の方をお招きして始めたこの会も、福山市が行う敬
老会の対象者年令を平成十二年から七十五歳以上と改めたので、教会も昨年から七十
五歳以上の方を対象にさせて頂く事になった。
 時計の針が午前十時を指す頃、居並ぶ出席者達がそれぞれに拝前に進む。
 「祭官入場」典礼の声に太鼓の音が響き、笛の音が追いかける様に響き渡ると、長
寿者達の前を静々と式殿に向う正装した祭員達の姿はまるで平安絵巻を見る様だ。
「これより長寿祈願祭を厳修致します。」
「一同拝礼」(典礼 津尾紀久雄講義)典礼の発声に合わせて祭典は進み…
「長寿祈願祝詞奏上 斎主!」
一段と高く凛とした声に合わせて教会長が祝詞座に進み、二十八名の招待者を筆頭に
身体や乗物の都合等で、出席不可能な百三十二名の長寿の方々の住所氏名年令も読み
上げ、続けて長き月日を子孫の為にと骨身を削り、家政を整え家を守り身を修められ
し功績をたたえ尊び弥益々の無病長寿を、天在諸神 配祀諸神 教祖神 産須根神等
に乞祈奉ると、あちこちから忍び泣く声がもれてきた。(今年は百歳以上の方が二名
他界されていた)
 次の「祈念詞」では長寿者外四十数名の奉仕者達も一丸となって、高らかに打ち鳴
らす太鼓や笛の音に合わせて、頬をつたう涙を拭いもせず、真心の大合唱となった。
 続く玉串拝礼では足元のふらつく長寿者に思わず駆け寄り手を貸す等、心温まるシ
ーンもあった。
 こうして熱い思いの内に刻々と時は過ぎ記念撮影となったが、どのお顔も一様に美
しく年を重ねられていて輝いて見えた。

 さて、次は会場を三階に移し、趣向を凝らした催しに長寿の方々は笑いの渦に巻き
込まれ、しばし時の経つのを忘れられたのではと思う。
 来る年が
  いかであるとも あなうれし
   高天原に かようこの道

   長寿会プログラム
   司会とクイズ(小林 隆青年部長)
@教会長挨拶並びに講話
A乾杯(祭典部 小林 穣教正)
B琴の演奏「チューリップ」「雅の調べ」
 (小田昌子、津尾裕佳里、松本直樹、 小林由季、津尾健一郎)
C会食(弁当と婦人部手作りの料理)
D抽選(全員に婦人部手作りの品を渡す)
Eクイズ(豪華賞品、カイロ、物干タコ、 雨傘、手提げカバン、その他)
F教会の歌(教会数え歌を全員で合唱)
G鉢植贈呈(お土産にパンジーの鉢植)
H閉会挨拶(各部の部長)

 終了後は手分けして長寿者を車で自宅及び駅まで送る。他の方は会場後片付けと反
省会
一号車(福山市内) 津尾紀久雄
二号車(沼隈郡内) 小林 隆
三号車(三原市内) 渡辺 寛

◇■御案内◇■

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平成16年
独立110年を迎えます。


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 幸福への出発
   第十集
     自分で出来る健康管理

 
 遺伝子の強化は神が与えた代謝の中にあります。
 各教派、教団の教えの中に罪となるからしてはならない「戒律」があります。当たり前の
事ですが『常識の的に悪いこと』ばかりです。本教にも「御教誡」があります。
 わざわざ教えの中でこの戒律を一番に教える必要がある事が、人間の悲しい宿命
なのです。誰でも知っている悪いこと、しかし人間の行ないの中で無くならないのも
神に対し人に対する罪なのです。戒律で教える罪とは法律的には罪にならない我欲の
罪。その多くが「心が造る罪」です。不幸の原因がこのような罪に有るのです。DN
Aと遺伝子が受け持つ「心の罪」を「持って生まれた性格と体質」が罪の祓いとして
「抵抗力と治癒力」に作用します。
 戒律は『人に優しく自分に厳しく』肉体と精神を鍛える事を要求しているのです。
人間は時として「楽なほうに流されやすい」性格を持っています。しかし『神は時と
してとても厳しく大自然の猛威を与えられます。』そこには人の「地位や名誉」等は
有りません。「神の試練の前」では人々は恐れ嘆き「なす術」が有りません。地震、
火山、台風、津波、大雨、竜巻、等の自然災害も人的エゴによる地球環境の悪化が原
因の一つになっています。人体も小さな宇宙なのですから「自分勝手の人的エゴ」に
よる人間環境の「まずさ」から罪として心の病気、成人病、事故、家庭崩壊、職場の
不和、成績の低迷、等の祓いの一つになっていきます。
 『心の持ち方と考え方』が「神の理」に合う信仰が必要です。人に優しく自分に厳
しくとは「人に優しさを要求するのではなく自分が優しくする事が」信仰なのです。
人に不平や不満を言うことは「人に対して厳しさを要求している」事なのです。自分
に甘えがあるから不平や不満が出るのです。
 遺伝子は性格を支配しています。先祖の心で造った罪の祓いが遺伝子の中にあります。
 治癒力の低下は食べ物の不平や不満から好きな食べ物と嫌いな食べ物と「性格的
な」偏った食事と心に原因があります。「食は神なり」とは好き嫌いの無い人は「神
の心に適う性格」があると言うことです。食べ物の好き嫌いのある人は「病気に成り
やすい体質」と言えます。好き嫌いの多い人は「食材の相乗効果が不足する」ので
『抵抗力の源となる内臓(木火土金水)の働きが食材の不足によってる低下し神様の
守り迄不足』するのです。人間は不思議な動物です。大嫌いと言う「あのニガイ薬や
痛い注射」はするのに、痛くもない又苦くもない「美味しい食材が」嫌いと言うだけ
で食べられないのですから、『病気は起こるべくして起こる』のです。遺伝子の中の
好き嫌いの性格と体質を病気の原因として先祖が授け、好き嫌いを改善して生命の根
源を強くしてほしいから「性格と体質」を授けて誕生させているのです。好き嫌いの
ある人は「人間関係でも好き嫌いが強く働き」み教えの『御教誡』にふれる罪を多く
積み重ねて「子孫により多くの好き嫌い」を遺伝させる事になり、病気による子孫の
減退の原因を残す事になります。好き嫌いを無くする方法はその人に合った調理と食
材の組み合わせが大切です。何よりも親が好き嫌いを無くする事が先決です。食事の
好き嫌いを無くすれば「人間関係も」時間をかけて少しずつ良くなっていきます。
「例えばいじめ等も」時間をかけながら改善していきます。そこには『神の前に平
等』の原則による「神様の救いが必ず」働くからです。食は神なりです。神様の食材
を楽しく喜んで戴くのですから「健康な身体」になるし、健康なら心も考え方も良く
なります。そこには「いじめも病気も」無くなっていきます。健康管理は自分一人で
は絶対に出来ません。「家族皆で好き嫌いを無くする努力と実践」が必要です。好き
嫌いを無くするとは「子供や人に押しつけるのではなく自分から手本を」してみせる
事が遺伝子を強くする代謝活動を促す事になります。子供の身体の60兆個の細胞と
血液型は全部「今も親の細胞と血液」なのです。遺伝子も親の与えたものです。「親
の遺伝子を良くすれば」子供の遺伝子は良くなります。「子供は親の鏡」です。『幸
せは家族皆で神と先祖を祀り信仰を持つ』事です。
 御教誡は人間の持つエゴを戒めたものです。自分に対して厳しく健康と心の管理を
する事が神様の守りを受ける大切な条件です。大自然が大切な時間をかけて作った食
材を大自然の中の一貫として「楽しく感謝しながらゆっくりと戴く」心のゆとりを持
って、今日一日は今日のお陰と家族の「平和」の中で感じてください。

 健康管理は家族皆で努力するもの、 自分勝手のエゴの芽が出ないように

 神様の見守りの中で
 いつも生活をさせて頂いている事を
 忘れないように

 自分の身体は自分で責任を持ち
 性格を一歩ずつ神の心に
 近づけるように

 幸せの中に健康があり
   不幸の中に病気がある
    病気だから不幸ではない

              

      

☆★☆ 素朴な疑問 ★☆★
     
 Q & A

Q1、「祝詞」とは?わかりやすく説明して下さい。

A、 斎主の祝詞について説明します。祝詞はノリゴト(宣言)の転訛したものであ
り、神霊の威徳を称え祭祀の趣旨を述べ、神霊の前に至誠を表明する言葉でありま
す。
 従って祝詞奏上は祭祀の式次中、その頂点とも言うことの出来る極めて重要な行事
であり、必ず斎主が奉仕するものとなっております。

Q2、神を恐れよといい、また神に親しめともいいますが、正反対のことではないですか?

A、 この二つは矛盾しているようですが、信仰の上では立派に両立するものであり
ます。
 「神を恐れる」とは、神の理は何人にも公平で、厳しく正しいものであるから、神
中心に元を重んじ、自分に厳しく、他人にやさしくあること。 「神に親しむ」と
は、神は人の繁栄と幸福のため働いておられるので、神は絶対の誠であり、愛である
と強く深く信じることです。       

あとがき
 新年明けまして、おめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 今年は未(癸未)年です。「羊」になぞられます。十二支の第八番目。方角では南
南西、時刻では午後一時から午後三時までの間をさします。恵方は丙方になります。
 巫部十二神伝によると、未年の人は次のように御教示されています。
 未の年に孕みたる人の一代の守り神は須比遅邇神なり。此の人は天在諸神より受け
し福禄薄きにより、心正直にして、人に丁寧なり、曲がることをせず、綺麗を好み芸
あり。庭の内に花を植えたるの象、災難あらざれども運うすしとあります。
 須比遅邇神は天在諸神十八柱の第八番目の神で己(土弟)にあたり、第七番目の宇
比遅邇神戊(土兄)と共に、五星の中の土星に鎮まり、胎児の四ヶ月目の守り神です。
方角では中央、季節では四土用、色は黄色です。人の体の口・胃・肌等の肉を守
ってくださり、五臓の内の脾臓に鎮まり、そこから人の体の健康を守ってくださるのです。
また、同じ人の体でも、歳によって守り神が別で、五臓によって守護してくだ
さる処に違いがあります。
 未年の人は口・胃・肌・脾臓をとおして守り神の守護を頂くのです。しかし、守護
を受けて強いはずの口・胃・肌が、実際には弱い人が多いようです。それは、祖先や
自身の不徳が、神様の守りをさえぎるからなのです。その結果、口・胃・肌・脾臓の
働きが弱くなり、体の弱っているところに病気を起こすことにもつながるのです。
しかし、いくら口・胃・肌・脾臓を病気しても、そのために命を失うことはないのです。
守り神が鎮まっておられるからです。このほかに丑・辰・戌歳の人も同様です。
 土用は季節と季節の間にあって、一つの季節を終らせ、次の季節を生み出す力があ
ります。この期間を「土用」といいます。そのはたらきをおそれて、古くから建築や
動土などは忌むべきものとされています。各季節の終わりの十八日間です。
 本年は平成十六年四月に執行されます本教独立百十周年式年大祭の準備に万全を期
すべき年といえます。
 年賀のご協力を頂き厚くお礼申し上げます。
 皆様佳き一年でありますようお祈りいたします。
(誠)

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