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神理                                                        2003−11

平成15年11月号 第1077号

        


巻  頭 の こ と ば


人は誰でも常に反省を繰り返しながら生きている。
反省があるから進歩がある。
反省を怠っていると
その人の生き方の欠点につながってくる。
すなわち、人に嫌われ疎まれる。
『おさとし』に「身を立て名を揚げるの口伝は、
己の欠点に注意するにあり」とある。
もっと前に進もうとすれば、振り返ることも必要である。

                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
     みち        ゆ  て  み  す     すす
   道すがら 行く手 見据ゑて 進みなば
              ふ   たが      たど   つ
           踏み違ひなく 辿り着くらむ


 秋季大祭は、両日とも秋日和に恵まれて、にぎやかに奉仕される事になりました。事前からの準備奉仕や、繰り合わせての御参拝など、報恩感謝の真心が結集されて、お鎮まりの御神霊にも喜んで戴き、お互いも喜び合える結果が戴けた、と感じさせられております。
 さて今月初旬には、マニフェストなるものも提示されて、二大政党対立という図式を見せながらの総選挙が行われる事になりました。マニフェストとは、期限や数値を明示しての目標達成を公約するものと解されますし、そのこと自体は実に結構だと思われます。
 しかし、先月初旬に解散総選挙が決まってからの後の動向を見ていますと、目標や数値や期限については明言強調しながらも、その期限内に順を追って打開したり実現したりする具体的な過程や段階については、必ずしも説明充分とは申しかねる点が見取られます。
 理想は高く!と言われております。その理想と現実との間に介在する幅を埋めるのが人生!とも申せます。銘々なりに何時までには達成!という念願を持ちながら努力しますものの、なかなかに思い通りには進まぬのが、一般的な成り行きでもあります。
 理想が高いほど、現実との距離は長く遠い訳で、その過程での段階を具体的に設定用心していない限り、どれほど近づいたかという実感が得られないまま、理想を仰ぎ見るだけの状態で、空しく時が経過するのみという事に、なりかねぬ様であります。
 いわゆる「分不相応」な高望みをしたとしても、「分相応」の段階がある事を弁えての前進に努力すれば、どれほど近づいたかという実感が得られるに相違なく、そうした思慮と努力とがある限り、転落や絶望という結果は避けられる!と考えられます。
 そうした視点から、政党や立候補者を選挙することも考えるべきかと思いますし、そうした視点から、我が現状と前途との関係を見直すとも試みるべきかと考えられます。前途なお厳しいものが感じられますが、我々としては「分相応」の段階を踏み外さぬ用心と努力が不可欠と心得て、前途開拓への着実な歩みを進めたいものであります。
                                             

11月号

自然(おのずから)(みち)

   (さち) (ひこ)

(ひと)(さる)()(そん)か?

ダーウィンの(しん)()(ろん)

ある(きょう)(かい)(あき)(たい)(さい)(うかが)った(とき)、そこの(きょう)(かい)(ちょう)()(きょう)()()われる(とお)り、(にん)(げん)(さる)()(そん)なんかではないですよね」と()われました。

(たし)かに()(きょう)()医師(いし)でもありながら、『(にん)(げん)(さい)(しょ)から(にん)(げん)である』と()われ、ダーウィンの(しん)()(ろん)()(とな)えています。

キリスト(きょう)近年(きんねん)まで(宗派(しゅうは)によっては(いま)も)進化論(しんかろん)そのものを否定(ひてい)していたようですが、その()(ゆう)(ほん)(きょう)(しゅ)(ちょう)とは(おお)きく(()()(おな)じようでも)(ちが)います。

()(きょう)()のお()()ちは、『()(かい)されるような()(かた)はやめてもらいたい』ということではなかったかと拝察(はいさつ)します。

学説(がくせつ)とは衝撃的(しょうげきてき)発表(はっぴょう)した(ほう)印象(いんしょう)づけられるものであるものの、『(ひと)(さる)子孫(しそん)』などと断定(だんてい)されるのは心外(しんがい)だということです。

(ひと)(さる)とは(どう)(こん)()(そん)か?

それではもう一(っぽ)()()んで『(ひと)(さる)とは(どう)(こん)()(そん)』、というのは(みと)められるところなのでしょうか。

 ()(きょう)()はこの(てん)でも『(ちが)う』とおっしゃられる、と(ひっ)(しゃ)(しん)じます。

 (ひっ)(しゃ)もいわゆる(げん)(だい)(じん)として(なが)(あいだ)(しん)()(ろん)をそのまま(ただ)しいと(かんが)えていましたから、()()(しき)のうちにここに()れずに()ごしてきました。

 それは進化論(しんかろん)をそのまま肯定(こうてい)しながら()(きょう)()(おし)えに()れると、(けっ)()としてその(おし)えに(そむ)(おそ)れを(いだ)いたからです。

 (ひと)動物(どうぶつ)(かみ)なる()(ちゅう)(いち)()(ぶん)であり、()(きゅう)()(ぜん)(いっ)(しょ)()まれ(はっ)(たつ)してきたのだから『(ひと)(さる)とは(どう)(こん)()(そん)』は()(ちが)いない、と(かんが)えていました。

 (かみ)(そん)(ざい)()()(しん)じていたものの、『その(かみ)()()なる()(ぜん)(だん)(だん)(はっ)(たつ)()(げん)()して()()たのが(にん)(げん)(どう)(ぶつ)()(ぜん)(かん)(きょう)であるならば、その(もと)(みんな)(おな)じではないか』と(かんが)えていたのです。

(ひと)(てん)()(いただ)いた(いち)()(てき)(そん)(ざい)で、(どう)(ぶつ)(てん)()から()かれた()()から()まれた()()(てき)(そん)(ざい)である』という本教(ほんきょう)教義(きょうぎ)(まな)んでもピンと()ていなかったのです。

 そうした(わけ)で、その(かい)(しゃく)()(かた)について(まよ)っている()(ぶん)がありました。

 (あき)(たい)(さい)(うかが)ったところの(きょう)(かい)(ちょう)(はな)していて、その()()()みにたじろぐ(おも)いと『そんなことを()っても(しん)()(ろん)では…』という(おも)いが(こう)(さく)する(うち)に、ふと(せつ)(めい)がつくように(かん)じました。

(きょう)()のお(かんが)えである『(にん)(げん)(さい)(しょ)から(にん)(げん)である』と、ダーウィンの(せつ)である『(ひと)(さる)とは(どう)(こん)()(そん)』は両立(りょうりつ)することに気付(きづ)いたからです。

(がく)(もん)だけでは(せい)()()かない(かい)(しゃく)

()(もの)(ふく)(すべ)ての(もの)(みな)(おお)(もと)(こん)(げん)(かみ)というところから、言葉(ことば)解釈(かいしゃく)()(ろん)(かんが)えると(ひと)(さる)との同根(どうこん)是非(ぜひ)には(まよ)いを(かん)じていました。

しかし(しん)()(ろん)(がく)(もん)(じょう)()(ろん)として(ただ)しく『(ひと)(さる)(どう)(こん)()(そん)』としても、信仰(しんこう)(じょう)からは(べつ)(かい)(しゃく)出来(でき)ます。

 (がく)(もん)(じょう)解釈(かいしゃく)としての(どう)(こん)(ただ)しいものでありながら、本教(ほんきょう)(しん)(こう)(じょう)解釈(かいしゃく)としては(けっ)して同根(どうこん)ではありません。

(かみ)(ひと)(ひと)として()きる目的(もくてき)()たせるが(ため)に、(がく)(もん)(じょう)(おな)()のように()えながらも、(さい)(しょ)から(ちが)()(もの)(にん)(げん)としてお()(くだ)さったと(かんが)えるからです。

(ひと)存在(そんざい)する意義(いぎ)目的(もくてき)

 (ひと)祖先(そせん)をたどってゆくと、意志(いし)とし存在(そんざい)する(かみ)()()(まえ)(さる)のような(かたち)をした()(だい)もあったかもしれません。

しかしそれは(あき)らかに(げん)(ざい)(ひと)という(かみ)(ぶん)(れい)()った(さる)とは(ちが)う、(ひと)となるべき(もく)(てき)()った()(もの)だということなのです。

 生物学上(せいぶつがくじょう)()(ろん)としてはその()()(べつ)をつけることは()()ないものの、(ひと)(さい)(しょ)から(ひと)となるべき使()(めい)(もく)(てき)()ってこの()()まれたものであることに()いて、()()(もの)との(こん)(げん)(てき)(ちが)いがある、ということなのです。

 また、()(きょう)()はそのくらいの()(しん)()(かく)()って()きなさい、と(おし)えておられるのです。

 ()(せい)(ぶつ)(くら)()()とそれを()かす(かん)(きょう)(あた)られたことを、ただの(ぐう)(ぜん)として(まん)(ぜん)とその(とく)(てん)(きょう)(じゅ)し、()()()使(つか)()たすことを(いまし)めておられるのだと()()めたいものです。

(きょう)(かい)(ちょう)は『(ひと)(かみ)()(そん)であるからこそ()()のある(さだ)めを()った(そん)(ざい)なのであり、(ぐう)(ぜん)(あらわ)れた()(もの)(=(にん)(げん))がその()その()(ぐう)(ぜん)によって(こう)(どう)しているのではない』ということが()いたかったのだと(おも)います。

(にん)(げん)(どう)(ぶつ)との(ちが)いは、(もく)(てき)への()()()(かた)です。

(かみ)からまず『()きなさい!』との()()()けて()きているのは、(にん)(げん)(どう)(ぶつ)()わりありません。

()きる(よろこ)

(にん)(げん)はそれに(くわ)え『(しゃ)(かい)(やく)()(よろこ)びを(じつ)(げん)するため』・『この()(ひと)(みな)(じゅう)(じつ)して()らせる(かみ)()とするため』という(かみ)()()()(かい)し、その(もく)(てき)()って()きているのです。

 (せい)(ぶつ)(がく)(てき)(けん)()から現実(げんじつ)()()えながらも、そこに(かみ)()()とそれを(たい)(げん)する(よろこ)びを(かん)じる()(かた)(すなわ)()(きょう)()(おし)えの(ほう)(ただ)しいと(しん)じます。

また()(きょう)()(おし)えは、()きている(わたし)たちに(もく)(てき)()(ぼう)()きる(よろこ)びの根拠(こんきょ)(あた)えるものと()えます。

(ひと)(かみ)()(そん)

 (おな)()(もの)でありながら、(ひと)()()()(どう)(ぶつ)(しょく)(ぶつ)(いのち)()べるのでしょうか。

 (さら)()えば、(おな)()(もの)として()(ぜん)(たい)(せつ)にしながら、(ひと)()()(いえ)(はか)()える(じゃ)()(くさ)()()(はら)うのでしょうか。

 それは()(どう)(ぶつ)もそうであるからとか、(はん)(たい)(ほん)(らい)してはいけない(こう)()をしているのではありません。

 (ごう)(まん)(かんが)(かた)(かん)じられるかもしれませんが、()(がた)いことに(にん)(げん)()(がい)()(もの)(にん)(げん)(かみ)()(つく)るための()()(てき)(さん)(ぶつ)であると(おし)えられているのです。

 (ひと)(かみ)()(そん)であることに(たい)し、その()生物(せいぶつ)自然(しぜん)環境(かんきょう)(かみ)(つく)ったものということになります。

 だからこそ(いただ)いた()(ぜん)(かん)(きょう)()()(づか)いせず(たい)(せつ)使(つか)わねばならない、ということになるのです。

(ひと)(さい)(しょ)から(ひと)である』という()(しん)(とう)()(きょう)()(おし)えは、(わたし)たち(にん)(げん)()きる()()(もく)(てき)への()(かく)(あた)えるものと()えます。


       

    

            管長様が解説する御教祖の御歌   『人道百首』より


       わが心 はなれし後の わが心

          誠の人の 心なりけり


 人間は、どうしても自己中心的な生き方に傾きがちであります。それは、動物一般にも通じる本性のようなものであり、自然に持って生まれたもののように思われます。
 反面、生きることの厳しさから身を守るため、世代を重ねる中で次第に増幅習性化し、持って生まれた本性さながらに固定化した、というようにも考えられます。

 我々の心は、神の分霊としての魂の発露!!というのが本教の受けとめ方であり、この点からすれば、本性ではなく習性!!と断じる方が妥当となるようであります。
 それにしても、自己中心的なわが心は、何事かにつけてついつい露呈するほど、お互いの身に染みついて切り離しがたいのが現実、と言えそうであります。
 たとえば、いわゆる建前を前面に押し出していても、いわゆる本音を隠し通すことは、よほど世なれた人でないかぎり、とても不可能なことであります。
 すなわち、いわゆる凡人としては、むしろ自己中心的なわが心を率直にさらけだした方が良い!!とさえ思われる場面が、少なからず見受けられるということであります。
 そうすることにより、自分とは異なった見方や考え方のあることが学ばれ、相互の妥協点を納得して、局面を明るい方向へ展開することも期待できるからであります。
 しかし、そこまで踏み切ることのできないのが凡人であり、それゆえ自己保全に固執した自己中心的な生き方を習性とするようになった、とも申すことができるわけであります。
 そうした閉鎖的な側面を持つ生き方の全面的否定は非現実的でありますし、むしろ自己保全の姿勢を高い視点から把握することが何よりも肝要ということではありますまいか。
 たとえば、家族の一員という視点に閉じこもるのではなく、社会や国家の一員、さらには人類の一員という視点から自己保全の在り方を考えることになるべきかと思われます。
 御教祖の冒頭の『わが心』は、いわば独善的な我執の心であり、それは狭い視野での自己保全に執心しすぎた結果と考えられます。
 そうした我執の通じがたい時代が来つつあることをも含めて、我々としては、いわゆる地球的規模を念頭に置いての自己保全を模索せねばならぬということになります。
 申すまでもなく、本来のわが心は神の心に近いものであり、神の心に近づくことのできるものでもあり、そうした自覚と共に近づく努力がなされねばならぬ訳であります。

 そのためには、我執とも言うべき習性に引きずられがちな在り方に注意を怠らず、神に祈りつつ反省自戒して誠・真心に立ちもどるよう努めることが肝要であります。
 一面、自分という存在が極めて広いつながりの中にある点を確認自覚し、そうした中でどう生きれば良いか?を、思い求めつつ生きることも大切なところとすべきであります。

 お互いとしては、そうした二つの点に心がける中で、共々に心安らかな時と場を確保展開することにならねばならぬと思います。
     



   幸福への出発   光陽教会 中山 勇

     第20集 家庭は幸せの発信基地


 家庭の重要性は誰でも認めるところですが、果たして自分の家庭を幸せを原点として振り返り、反省と努力をしているでしょうか。他人の家庭のことは批判をしたり中傷するのは第三者として簡単に言葉が出て来ますが、自分の家庭の中で自分自身の反省と努力はなかなか出来ないものです。そこに持って生まれた性格と体質があるのです。
多くの場合自分は悪くないと言う自己弁護の心が働き、特に子供の躾と教育に対しては悪いのは人のせいにする自分中心の言動が、家庭の和を乱す事になるのです。その心が色々な問題を自分から作り出して行くのです。
問題が起こるたびにお前が悪いとか、あんたが悪いと、すべて人のせいにして自分はいい子で楽なほうに立ちたい心が働き、相手に対する言葉もきつくなるのです。しかし子供はそんな親の行動をお手本として、潜在意識の中に親の日常の行動を躾として自然に身につけてしまうのです。親の性格にそのまま子供が似てしまう生活環境が日常的に有るからです。
そして一番悪いことは母親が夫への不平や不満を愚痴として子供の前で平気で言う事です。この愚痴も子供の躾として子供の潜在意識の中に父親をバカにする心が組み込まれていくのです。子供の身体の中身は全部父母の精子と卵子の結合による60兆個の細胞です。
天在諸神の新陳代謝の活動で育てられているのですから、子が親の鏡とはこの様な親子の仕組みを神様がつくられたからなのです。現実に自分の身体は両親が作り先祖の守りを受けているのです。身体の元は親そして先祖でも有るのです。身体に起こる変化の全ての原因は親と先祖にあるのです。

先天性の病気や後天性の病気も遺伝として持って生まれてくるのです。身体は親から借りたもの、命は神から授かったものです。体の中で自分の物は心だけです。
喜怒哀楽の四つの心です。この四魂の心が不滅の自分の魂となり霊となるのです。最近のニュースでは子供の殺人事件の様な凶悪犯罪が増えています。其の度に評論家と言われる学識のある先生がもっともらしき批評をされ、結局家庭が悪い社会が悪いという評論でいつも番組が終っている様に思います。それはマスコミなどで「母親が子育てに専念すべきだ」と放送したら、抗議が殺到するそうです。最近は人権擁護の団体の行き過ぎた抗議も犯罪を増やす要因の一つに成っていると思われます。
男性と女性は平等なので女性だけに家庭を守り、子育てをさせるのは、人権侵害だ…と抗議が来るらしいのです。しかし神様は「男には男の使命、女には女の使命」を持たせて命を授けているのです。神様は女として母としての身体の仕組みと機能(優しさと美しさ)を、そして大きな能力(母の包容力と注意力)を授けて、母として家庭を守り子供の心を育てる機能と能力を持たせて今を守護されているのです。
男は男として父としての身体の仕組みと機能(闘争心と労働力)そして能力(社会秩序の原動力)として、より良い未来を作るために神の守護があるのです。この神の守護のある生活は事件や事故の無い楽しい生活ですが、最近では心からの男らしい男が少なくなったし、また女としての心の細やかな優しさのある人も少ないと思います。現在は急速に欧米化が進み食生活も肉食中心の献立が主流となり、日本の良き食文化が置き去りに成っています。その為に病気も欧米風に悪性なものが増えているのです。
しかしもっと危ないことは青少年の犯罪です。身体は欧米風に成長してみんな大きくなっていますが、心の成長が遅れている事が不幸の原因になっているのです。心と身体のバランスの悪い子供や青年が増えている生活環境が事件や事故を引き起こしているのです。この様に事件そのものも欧米化しているのも事実です。もっと家庭の重要性を皆が認識する必要があります。[肉食は必要ですが、健康のためと心身のバランスの為に子供がいくら要求しても肉食の量を減らして下さい。]子供の頃からの肥満や高血圧などの病気は親の責任です。家庭は明日の幸せのための原動力です。

親が子供を厳しく育てるのではなく、親が敬神尊祖の信仰を通して自分自身が目標と信念を持って、子供の心の成長の良いお手本になれる、穏やかで優しい性格を早く作る必要があります。我が子の心の成育は親に責任が有ります。家庭で「次の世代に素直な神の子を育てる」ことが自分の老後に密接に関係してきます。子供にとって不幸なのは家庭内の夫婦のトラブルです。その原因で一番多いのが性格の不一致です。そして酒、ギャンブル、浮気、暴力、嫁と姑、病気と続きます。すべてのトラブルは夫婦のお互いの「持って生まれた心(性格と体質)」なのです。自分の「性格を良くしていくことが信仰の最大の目標」なのです。
特に長男との結婚は自分の性格と心の修養(信仰)の場なのです。夫婦の問題、嫁と姑の問題、兄弟との問題など日常生活の中に多くの修養の場があるのです。特に少子化の現在は同居率が高く成ってきています。少子化の一番の問題は子供同士のコミュニケーションの場が家庭の中に無いことです。
その為に携帯電話などの出会い系サイトで外に相手を求めることが多くなるのです。家庭の中に相談できる兄弟が居ないから、いつでも何処でも簡単に相手が探せるサイトが子供には魅力となるのです。「何処の誰か知らない顔の見えない人がうそで書いたサイトの内容」に経験の無い子供は好奇心だけで友達になるのです。
結果として被害者になる要因が何処にでもあるのです。「親は子供の安全を守ると言う大変重要な役割を持っています。」幼稚園や小学校くらいまでは子供の話を良く聞いていたのに、いつの間にか話を聞かずに「ああしなさい、こうしなさい」と命令調な会話に成っているものです。
必然的に親より友達に相談するように成っていくのです。親は子供の立場で「話を最後まで聞いてやる」事がとても大切です。自分も子供の年齢にもどり一緒に考えてやる心の広さを持つことが、事件から子供を守る事になるのです。最近学校の陸上部などで普及している携帯の酸素吸入器が子供の身体を病気にしています。病気の原因のトップは活性酸素です。

「神理雑誌九月号の自然の道の中に詳しく解説してあります。」人間の身体はどんな時でも必要な量の酸素は取り込む仕組みを、神様が創られているので「携帯酸素は百害あって一利なし」です。
高濃度の酸素は身体の組織を破壊するのです。酸素特有の酸化作用で遺伝子を破壊するので確実に寿命が短くなります。酸素吸入器で酸素を吸うと麻薬と同じような感覚があります。
一時的には頭がスーッとして気持ちよく、目も良く見えて気分が軽くなるので癖になることが恐ろしいのです。例えばアルツハイマー病は活性酸素による脳細胞の萎縮による病気で、原因は不平や不満の心が血液の中に活性酸素を沢山作ることで発病するのです。
家庭で親子が良く話し合い「命を守る家庭教育が今必要」となっています。子供の話を最後まで黙って聞いてやれば学校であった事がわかるのです。隠し事をしなくてすむ親子関係は親が作る必要があります。酸素だから身体に良いものと思っている人が多いのです。例えばごはんでも食べ過ぎればお腹をこわすのと同じ事です。それを続ければ必ず病気になるのです。
 人はみな神の子です、絶え間ない神の守護の中で生きているのです。
 家庭は先祖の過去を基にして実現しているのです。



☆★☆ 素朴な疑問 ★☆★
     
 Q & A


Q1、「本を軽んずるな…」の教えは中間を省略しても良いのですか?

A、 根に幹あり、枝の大小あって、葉がある、葉と根は、幹枝の中間があって成り立ち、これを省略することはできない。葉は小枝を本の始めとする心がないと、真に本を重くしたことにはならない。人は何人といえども枝葉的存在であって、それぞれの立場において大小の本を経て大本へつながっているのです。


  「秋の大祭 婦人会玉串拝礼」


蜷 川 清 美さん(地元の婦人会代表)
小林 真理子さん(地方の婦人会代表)

 秋の大祭で婦人会代表として玉串拝礼を行った蜷川清美さん(小倉南区志井)は、同居しているご主人のお母様が高齢のため、あとを継ぐかたちで婦人会に参加しています。人生の大先輩が多い地元の婦人会では若手の蜷川さん。今回の玉串拝礼も、「若くて元気ということで、皆さん方に代わって名誉な役を務めさせていただきました」とあくまでも謙虚です。今年春の大祭に続いて二度めの大役ですが、平常心で行うことができたとか。
 地元の婦人会の皆さんは、大祭ではお寿司やうどん、お茶席などの準備から当日の接待、後片付けまで担当しています。帰院された皆さんに喜んでいただきたいと、手を抜かず、気を抜かず、心を込めて奉仕しています。その中でも、蜷川さんたち若い世代の存在は大きいようです。
 もう一人の小林真理子さん(福山教会)は、大祭前の清掃奉仕に参加して十三回目。今回も十一、十二、十三日と清掃奉仕を行い、一旦戻ってから改めて福山教会の皆さんと一緒にバスで帰院したといいます。「自分のできる範囲で、ご奉仕させていただいているだけです」と、控えめに微笑む小林さん。「十三日に玉串拝礼の命を受けました。大変名誉なことで、素直にうれしかったですね」。本番では、蜷川さん同様、緊張はしなかったそうです。「ただただ無心だったんでしょうね」と、その時の様子を振り返ります。
 留守を守ってくれるのは、亡くなられたご主人のお母様。「私が元気なうちに行ってらっしゃい」と、笑顔で送り出してくれるとか。実家のお母様も神理教の信徒で、独立百周年の時は彼女と一緒に帰院されたそうです。「もちろん、来年もまた来ます」と、清掃奉仕、そして大祭への帰院を約束してくれました。
 ちなみに、地元の婦人会では大祭前の十二日に本殿や明星会館、神理会館などの掃除を行っていますが、清掃奉仕に来てくださる地方教会の皆さんは頼もしい助っ人に違いありません。


婦人会だより

婦人会 巫 部 恵 理さん


 秋の大祭の前日、十月十四日の午後六時から小倉北区で、地方婦人会の集まりが開催されました。地方婦人会の皆さんが一堂に会する正式な集まりとしては今回が初めて。これまで地方の婦人会の皆さんには何も還元できなかったため、「皆さんで集まってお食事をしませんか? 何人でも結構ですから参加してください」と声を掛けたところ、三十四名の出席がありました。
 会場となった料亭で、まず自己紹介を行い、おいしい料理を囲みながら親睦を深めた地方婦人会の皆さん。「中には一人で出席された方もいらっしゃいますが、隣や前の席になった方と楽しくおしゃべりしたり、とても和やかな雰囲気でした」と、若奥様。
 当日は、婦人会の現状報告や会計報告を行った後、来年の独立百十周年記念大祭で婦人会として何をやるかも話し合われました。

「地元と地方の婦人会が一緒になって、ご教祖様がご存命中に流行った愛唱歌を十曲ほどメドレーで歌い、ご教祖様を偲ぼうということになりました。地方の皆さんには歌の入ったカセットテープを配り、それぞれで練習していただく予定です」
 時代を追って歌を披露しながら、その時、ご教祖様がどういうことをなさったのか、解説も入れていくそうです。楽しみですね。
 他にも、お茶席の立礼を準備しようといった計画があるとか。
 また、婦人会では来年十一月に行われる皇居の清掃奉仕についても、「一人でも多くの方に参加していただきたいですね」。ちなみに、半年前には参加者が分かっていないといけないそうです。
 これからも、地元と地方婦人会の親睦を深めていくと同時に、できればこういう地方婦人会の集まりを続けていきたいと、若奥様は言います。
 
最後に、若奥様から皆さんへのメッセージです。

「次号から、大祭などでいつも頑張っている地元の婦人会の皆さんを、順番にご紹介していきます。お楽しみに!」



                 *** 教 祖 の 道 統 *** 

                        長崎教会 教会長 大教庁式務局長 花岡 勝成
     第四章 教祖の霊観
       第四節(その一)鎮魂


鎮魂と霊振りの関係
 前節にて、霊の活動及びその発現である諸魂の作用について述べましたが、この四魂の動静が乱れることによって、生まれるものは何であるかと言いますと、霊魂が離れることによって、根本の働きが出来ない為に病気となるのです。
 この病のすべてを取り除き、更に霊魂を根本の働きが出来る状態に引き返すのが鎮魂であり、この鎮魂を研究すれば魂の作用も自ら明確になるでしょう。
 さて、諸魂の本体は霊であって、その霊の発現が魂であることはすでに述べましたが、魂が本体の霊から離れて活動作用している上から見ると多数であります。
 又本体を離れて現象的に見れば、魂は霊から離れて別個の活動をする様に考えられ、この別個の活動をする間に魂が動静を違え、調和を破ることがありますからこれを調和のとれた状態に戻す必要があり、これを鎮魂といい、又一度調和を破って離れた魂は容易に本体である霊に復帰しないので、これを引き戻し鎮めると共に、今にも分離しようとする魂を鎮める必要が生じてくるので、これが魂結びの起こる所以です。
 又調和を破ったある一魂の作用を鎮めるには、これと反対の魂を活動させて鎮めるので、ある一魂を制圧するには他の反対の一魂を発動させる必要があり、これが霊振りというのであります。
 正しく鎮魂を行なうには霊振りが生じる原因を含まないものはないので、又霊振りを行なうとしても鎮魂でない霊振りというものはないはずです。
 従って鎮魂と霊振りは密接な関係で、全く一物の表裏が同様なものです。

鎮魂の起源
 さて、鎮魂というのは何時頃から起原したかといいますと、天照皇大神が饒速日命に授けられたものを、その御子宇麻志麻治命に伝えられたものが起源となりました。
 神理教にて行なっている相伝は、饒速日命の直系であられる七十七代の御教祖がこれを継承されたものでありますから、その起源を古書にて引証してみます。
 旧事紀(旧事本紀=平安前期の歴史書、神代から推古天皇までの事跡を述べたもの)に
【此時天御祖、天璽瑞寳十種而、饒速日命而教詔日。若有痛処者、令茲十種寳謂、一二三四五六七八九十而、布瑠部由良由良止布瑠部如此者、死人反生矣。是則布瑠部之言本也。所謂天璽瑞寳十種者云々】
 とありますから、天神から饒速日命に伝わったものが今日行なわれている鎮魂法ですが、単にその起源を饒速日命とすることは出来ません。
 天神が授けられた鎮魂法はすでに高天原時代に於て行なわれていた修法と見て差し支えないでしょう。

鎮魂は国政の根本
 その修法は天神によって饒速日命に伝わり、天孫降臨より先に饒速日命が降臨した時に修行され、神武天皇の東征の際に偉大なる霊威を示して、統一治定に功を奏したのです。この間のことを御教祖は天津十種神宝考に
【この饒速日命の天降り給いしは、邇々杵尊降臨よりは以前の御代にて、邇々杵尊は現世の政治を統御されるべき天皇の皇祖にあられ、これには智、仁、勇の三つの徳を備えたる三種の神器を授けて天降らせんとの、天祖の御心なるべく、そのことは既に定め給いしに、尚精神界を鎮むべきその修法がなければ、いかに形の上に治まりても心に不平不満ありては、遂に世の乱れとなるものなれば、その精神を陶治すべき即ち十種の宝に各々神々の霊徳を配して(十種神宝義解参照)鎮魂の御修法を授け給いし天祖の厚き大御心なり。されば邇々杵尊の天降りの際、大国主命が国を譲られたのも、又他の荒振神の鎮まりしも、後の世に至るまで外国より優れて御国(日本の国)が鎮まるのも、みな鎮魂の法がある為にして、饒速日命の幽政の力と申す外なし。
 かしこけれど天皇は現世の大主宰者にして、饒速日命は幽政つまり精神界の大統領と申しても妨げなかるべし云々】
と、鎮魂祭が高天原時代に於て既に政治の大本、国を治め導く道の根本と見られていた事は明らかです。
兄の弟の命の分権の訳
 尚茲に私達が疑問に思う事は天押穂耳命の御子のうち、兄に当たられる天照国照天火明櫛玉饒速日命に幽界事である鎮魂の法を授け、弟であられる天饒石国饒石天津彦番邇々杵命に現世の大主宰たる大権を与えられた事であります。
 我国の方針に於て道理に適った事は、兄たる者がその本系を保持する事が当然であるべきを、この二御子の使命を考察しますと、そこに疑惑が起こって来るのですが、今その疑惑に答えてみます。
 元来、天照皇大神の御子として、天孫降臨の前に精神界の統一を定められた事で、鎮魂の儀を命ぜられたのは天照皇大神の御子天押穂耳命であって、一度天降り更に天に帰り登り大体の報告をされたのを聞こし召して、天照皇大神は再び天降らせようとされたが、止むを得ない事情により御自分の代わりに二人の子供の内一人を天降らせるべくお願いをされ、天照皇大神はこれを承諾され饒速日命に御命令があったのであります。この事を旧事本紀に
【正哉吾勝々速日 天押穂耳命、更還上 奏天御祖日。僕欲將降装束之間所生二兒、故此二兒之中一兒欲先天降使見中国。故奏請天御祖命、矣爾天御祖命以、饒速日命可遺詔矣。】
とあり、兄の饒速日命ではなく、弟邇々杵命が現世の大主宰者として天降られたのは、この様な訳があって起こったものであり、饒速日命は御父天押穂耳命の代理として天降り、鎮魂を行ない民心を統一し、天孫降臨の土台を作られた事が明らかになり、初めて整然とした順序が立つのであります。

鎮魂と招魂の違い
 現世を統一するには民心を前もって統一する事が大切であるとして、鎮魂を先とされた事であり、これを思えば更に我国体を樹立する上に於て、如何に広い御神慮であったか、如何に苦心経営されたか推察され尊き極みであります。鎮魂法を重視されたのはこの様な所以からであります。
 さて、鎮魂とは『みたましづめ』であって、鎮魂と言う文字を付けたのは大宝律令(文武天皇の大宝元年、七〇一年に制定した我国最初の法令集)後のことで、それより以前は『みたましづめ』又は『たまむすび』と読んで居たが、天武天皇の時代、支那の招魂と似ているところがあるから是を招魂と言ったのであります。しかし支那の言う招魂は死後、人の魂を招き帰すと言う意味でありますが、天武天皇の時に用いた招魂は、まだ生存中に行なった儀式でありますから、我『みたましづめ』であって、支那の招魂とは全然その意味が違っているのです。
 天武記に【是日為天皇招魂之】
とあるので明らかであります。それが文武天皇の時に大宝令を作るに当たって、招魂は適当でないことが解り、鎮魂と名付けたのです。
 鎮魂は霊の一作用が調和を乱し他魂より強い活動を起こした場合、これを静かに鎮めることであり、その多くの場合は荒魂が活動を起こした時であって、荒魂の本性であります他の諸魂が染悪しない様に守ろうとする時に調和を乱して、憤怒したり又猪の様に向こう見ずに突き進む様なことがある為、これを鎮静する
  



                古事記「絵で見る解説文」
  
F伊邪那岐は…
*見てはいけないものを見たいという人間、殊に男性の心理。
 これも世界の神話に共通のもので日本の童話にも同じパターンが多く見られる。
  ―― F挿絵の説明 ――
 伊邪那岐の神はその石の扉をたたきながら妻の伊邪那美の神に呼びかけました。
「愛しい我が妻よ、私たちの国作りはまだ終わったわけではないのだよ。
 どうかもう一度もどって力をかしておくれ」
 すると女神はこう応えました。
「なぜ今頃になって迎えに来られたのですか。
 私はもう、この死者の国(黄泉)の火と水で炊いた物を食べてしまいました。
 そうなれば、もう二度と生きる者の国へは帰れぬ習わしです。
 けれども、あなたが折角いらして下さったのですから、この国の神々にお願いしてみましょう。
 でも、よろしいこと?
 その間に決して私の姿を見ようなどと思ってはいけませんよ」




                                                           
         「 秋 季 大 祭 参 加 者 取 材 」

教祖墓前祭で斎主を務めた  白川教会 大津 ミツ子 先生

 八年前に教師をしていた母が帰幽、その意志を受け継いで教祖墓前祭の斎主をとどこおりなく終えて「ホッとしました。とにかく一生懸命、感謝の気持ちを込めて祝詞を奏上させていただきました」。
 これまでは神殿に参拝する立場で、自分にできるかなとの懸念に迷いもあったと前置きして「練習には本院の方々、多くの信徒さんに助けていただきました。参拝を受ける側の大変さと心の持ち方が少しですが理解できて、いい勉強になりました」
 自らを「そそっかいしいドジな性格」と分析。足の骨折も分からずに痛みをこらえて日々をすごしたこともあったそうで、「斎主という大役に、いちばん気をつかったのは健康です」。練習につきあい、車での送り迎えをしてくれたご主人の学さんの「いつもの通りでよかったよ」と労をねぎらう言葉に、に                                 っこり。

 「母が加勢してくれたのでしょうね。親孝行になりました。これからは、この経験を生かしてさらに勉強し、母が苦労して開いてくれた道を歩みたいと思います」と、晴々とした表情が印象的でした。






萩尾墓前祭で斎主を務めた   大津教会 三 池 トキワ 先生


 十月十五日に行われた秋の大祭の萩尾墓前祭で、「歴代の管長様に、御教えの間違いのないことを報告しました」と斎主の大役を果たした三池トキワ先生。
 今回で三回目の祭官奉仕でしたが、「やはり緊張しました。ご神徳とご加護により、これからも末長く務めなさいという励ましのお言葉をいただいた気がします」
 自宅の新築に当たり、近くの神理教教会に参拝した時に霊感を得て教会を設立。以来、年中無休で勉強し、祭事に務めてきました。毎日の悩みの相談も受けて「立ったまま食事をすることもありました」と苦笑。
 昨年十二月にご主人を亡くしました。「悲しむ暇もないほど忙しいのですが、いつも近くで主人が見守ってくれていると思います。これも信仰のお陰でしょうね」。この度の大祭では教師拝命二十年の表彰を受けました。
 来春の独立百十年の特別大祭には、大津教会として、本院境内の石段を花文字で飾ることになっています。「パソコンでデザインして、教会のみんなで並べます。参拝に帰られた皆さんに楽しんでいただき、記念の大祭に明るい彩りになれば嬉しいですね」と目を輝かせる三池先生です。
 花は黄色のマリーゴールド、約三千鉢。モノレールからもよく見えて、話題を呼びそうです。



秋の大祭 家族で参加     有働 美智乃さん・佐登美ちゃん(小学六年生)・隆秀くん(小学一年生)


 十六日の本殿祭でのこと。最前列に座っていた家族連れに目が止まりました。女の子はきちんと祝詞を唱え、男の子も祝詞に合わせて体でリズムをとっています。その姿がとても印象的で、本殿祭が終わって声を掛けてみました。そこで初めて、長崎県壱岐神理教郷ノ浦分教会・教会長の奥様と子どもさんたちと分かったのです。
 佐登美ちゃんが祝詞を唱えるようになったのは小学一年生の時。隆秀くんも清祓いは詠めるとか。立派ですね。春秋の大祭には、教会長であるご主人と一緒に必ず一日は帰院しているといいます。二人の上に高校生のお兄ちゃんと中学生のお姉ちゃんがいますが、みんな自然と祝詞を覚えたそうです。
「強制はしていません。でも、みんな自然と手を合わせるようになりました。例えば具合が悪くなったりすると、自然とお神様に手を合わせ、拝んでいるようですよ」と、美智乃さん。「本殿祭などでは、子ども達に祭式を見せたいと思って、できるだけ最前列に座るようにしています。せっかくの機会だし、その方が祭式を覚えるのも早いですからね」。さすが、教会長の御一家ですね。


                       の ぼ り 立 て 

 十月四日(土)、地元の総代・世話人・青年部による、秋季大祭のぼり立てが行われました。
 当日、天候が心配されましたが皆さんの迅速な作業により、午前中で終了することができました。

     【のぼりの立て方】
 
@竹のさおにのぼりを通します。 A木でのぼりが立てられないときは、枝を切ります。 B立てる石柱の前に配置します。
C穴があいている石柱にはあらかじめ縄を通します。 D力をあわせて、のぼりを立てます。 E縄で固定して、できあがり。
 



              特派員だより  「まごころの奉仕」


左から岩田岱久さん、岩田早苗さん、横江初恵教会長、近藤美代子さん、近藤寿さん

 名古屋大教会では、岐阜県との県境に位置する愛知県犬山市の国有林の中にある八王子大神の御前で春秋の大祭と月例祭を行っています。
 八王子大神とは、名古屋大教会開祖(故)横江信太郎先生が昭和初期、教会の氏神様の摂社の八王子社の御祭神である三女五男神を祀られたものです。
 開祖は大正末期から各地を修行し、犬山の現在地もその中の一ヶ所です。開祖の大神の御神徳に対する信仰は本教入信以前より始まったものですが、月例祭・大祭執行により報恩感謝の念が七十年の時を経て今日に引き継がれています。現在は行われていませんが、往時は、同地にある「不老の滝」と呼ばれる滝場で、寒行、月行が行われ、多くの信者が開祖のご指導を受けました。

 今日では、祭事が大勢で行えるように十五畳程の広さの祭場(鉄骨と板で建設)が常設されています。ここは屋外にある為、皆さんが様々な工夫をされるようになりました。例えば、天候に左右されず祭事が行えるように、ブルーシートで屋根や側面に風雨よけを張り巡らし、滑らないように足場を良くしたり、冬場は祭場が冷えないようにストーブまで持参したりと、心のこもった準備を毎月欠かさず行って下さる方々がいます。
 そんな三組のご夫婦を、ここに感謝を込めて紹介させていただきます。

 「所属の誠真分教会橘田俊祐教会長の姿勢を見習って奉仕させて頂いています。参拝をする事により穢れを無くし心あらたになれます」と近藤寿さん・美代子さんご夫妻。「でも一番の楽しみは先生方や信徒さん達の和んだお顔を拝見できること。そして、その輪の中の会話から勉強できるのが直会なのですよ」と笑顔で答えて下さいました。
 同じく一緒に奉仕をされる岩田岱久さん・早苗さんご夫妻は「横江初恵教会長を始めとする先生方のお役にたてるようにと、心掛けて奉仕をさせて頂いています。直会では楽しく食事をしながら輪になれるので毎月楽しみです。これからも皆様と少しでも多くの接点を持って、ますます勉強していきたいですね」と楽しそうに答えて下さいました。
 今回横江教会長との写真撮影に出て頂く事が出来なくて残念でしたが、福田史郎さん・みちさんご夫妻もその一組です。八十歳、七十五歳とご高齢になられますが、長年、毎月祭事の二日前〜前日に落ち葉や汚れを綺麗に清掃してくださいます。

 月例祭の直会には毎回、近藤美代子さんと橘田俊祐夫人の美枝子先生が、春は山菜料理、夏は郷土料理の朴葉すし、秋冬は温かい汁物やおでんなど季節に合った手作り料理を用意してくださいます。
 大祭時には木曽川を一望できる国定公園内で春は桜、秋は紅葉のもとに各自持参したお弁当を並べ、楽しく賑やかに直会が行われます。都会の雑踏を離れ、自然を満喫しながらの一時です。
 横江教会長も毎月の祭事がとても楽しみであり生きがいだとおっしゃっています。
 決して整った環境ではない場所での祭事ですが、皆さんが楽しんで奉仕を行っている姿勢の美しさを教師、信徒のお互いが教えられる場ではないかと感じます。これからも変わる事なく「まごころの奉仕」が受け継がれて行く事を望みたいと思います。


    祖霊祭  平成15年9月23日(火)

 先祖の霊を慰める祖霊祭が九月二十三日、本院の大教殿で行われました。さわやかな秋空が広がるこの日、参拝した信者さんは百余名(記帳者は約七十名)。夫婦で、親子で神殿に玉串を奉納してご先祖に家族の健康と幸せを祈り、なかには幼い孫を連れた親子三代のほほえましい参拝風景も見られました。

 管長様に代わって斎主を務めた新大教主様は「人は自分ひとりだけの一生ではありません。ご先祖の霊魂の安定をはかることが、子孫の繁栄につながるのです。お墓参りの習慣を家族で養ってください」と講話しました。
 春秋の大祭などに、大教殿の大きな花瓶に季節の花を生けていた母を昨年十一月に亡くした小倉南区徳力の村上経雄さんは「昨年四月に父も帰幽しまして、これからは私がご先祖をお祭りすることになり、新たな気持ちを込めてお参りしました」と感慨深げに話してくれました。
 また、テル子夫人、孫の香織さんといっしょに参拝した小倉南区下石田の佐藤賢さんは「祖霊祭には欠かさず家族でお参りしています。本院に来ると、戦後間もないころ、亡き母が黙々と、境内の草取りをしていたことを思い出します」と、戦前の朝鮮半島で教師をしていた母親を偲んでいるようでした。



                             あ  と  が  き


  お陰で秋の大祭は天候にも恵まれ、無事に奉仕する事が出来ました。
 大祭で最後のお祭りは教祖祭ですが、その前に撤饌式が行われます。
 その祈念詞の前詞の一部に、
『…今年の秋季大祭はしも、空晴れ渡り吹く風清かに人沢に賑び集い、喪なく事無く終えぬれば…』という感謝の祝詞が入ります。
 今年はまさにそうした大祭でした。
 筆者は翌十七日の片付けの後、岡山県の津山教会の秋祭りに出向しました。
 十八日の大祭当日は、盆地らしく早朝は濃い霧が立ち込めていましたが、時間が経つにつれ見事に晴れ上がりました。
 こちらも教会の皆様方と、気持ちよく神前奉仕が出来ました。

 十月十九日(日)は独立記念百九年祭があり、立元本院教司(課長)が斎主を務め、管長様も参拝されました。
 これも幸先の良い好天候でした。

 来年の春は独立百十周年の式年大祭ですが、その時もこうした晴々とした気持ちで皆様とご一緒に奉仕させて頂きたいものです。
 十年に一度の式年大祭では、特別の祭事や催し物があります。
 日程も十六日(金)から十八日(日)となり、初日の十二時三十分からは産土社遥拝式があり、十年前のように多方面から募集して稚児行列も行われます。
 また本殿の畳替えや、それに伴う下張りの補修工事が行われますし、式殿や教祖殿など一部完成しているところもあります。
 新しい畳の藺草の香りは良いものです。
 来年の春には是非御一緒に、この香りを楽しみましょう。
 墓前祭を奉仕される青森県の弘前教会からは、はるばると二百人を越える参拝が決まっているそうです。

 青年部からは嬉しい悲鳴が上がると共に、是非多数の奉仕帰院を呼び掛けるようお願いされました。
 皆様お誘いあわせの上、この喜びを大元の天在諸神と心を併せて楽しまれると共に、大きな御神徳を頂きたいものです。
 また、縁の下の力持ちとなる青年部のご奉仕も、奮ってのお申し込みをお待ち申し上げます。

 今は容量が小さく住所録も入らない旧型のパソコンを使っていますが、ようやく新しい物が入ります。
 パソコンをお持ちの方は、メールマガジンもアドレスが整理出来次第お送りしますので、もう少しお待ち下さい。

                                   (幸)

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