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神理                                              2003−10

平成15年10月号 第1076号

        

巻  頭 の こ と ば

人を喜ばせようと努力している時、
自分の苦しみを忘れてしまい、
かえって自分の幸せに変わり、苦しさを我慢できます。
願い事をすることだけがお祭りではありません。
神様の素晴らしさを敬い、
神様に喜んでいただこうというのが本来のお祭りです。
「神和らげば人和らぐ、神喜べば人喜ぶ」
神様中心主義。何事も永く繁栄する支柱の教えです。


                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
     もろ とも                す
   諸共に 生きて楽しく 過ごさばや
             かれ         われ
           彼も神の子 吾も神の子
 我が国では、次期総理大臣に最も近いとされる自由民主党の総裁選挙が行われ、今月下旬には決着する事になっていますが、米国では次期再選をめざす現大統領の人気が、殊にイラクの平和回復の遅れを要因として、次第に下落しているとのことであります。

 去る五月の初旬に「大規模な戦闘は集結」と宣言した後のテロによる米軍戦没者は、それ以前の数に近づいていると言われており、ベトナム戦争と同様の泥沼化が懸念されぬでもなく、大統領への批判と共に、米国軍の撤退を求める声も聞かれる、と報じられております。

 仮に、大統領自身の名誉は勿論、米国の国際社会における地位の失墜を無視して、イラクからの米軍撤退が実行された場合、米国自体は差し当たり問題なしとしても、国際社会の混乱や、何よりもイラク国民の平和回復は絶望的!となる事が、容易に予測されます。

 イラクにおけるテロ行為の背後にも、信仰上の指導者がいると言われています。彼らには廣い視野で平和を考える能力があると思われますし、そうした立場で指導すれば、平和回復が絶望的となるテロ行為については、寧ろ強く抑止する事になるものと考えられます。

 妥協がなければ、当面の平和も得がたいと申せます。その当面の平和を、妥協の幅の少ない平和に推し進めない限り、平和な共存は永続しがたいと思われます。宗教は、人々の心に安らぎを感じさせながら、その永続する平和社会の顕現を目ざすものであります。

 ようやく強権政治の抑圧から解放されたイラク国民に必要なのは、当面の平和であります。求められるのは、それを確保するための在り方!でなければならぬと思われます。いろいろな背景があるとしても、国際社会も亦、そうした方向に一致する事が望まれます。

 幸いに我が国の場合、妥協の幅を狭めつつ当面の平和を保持し続けてきましたが、この頃ではその方向に異変の兆候が感じられます。今季大祭に当たり、我々としては、家庭↓社会↓国家↓世界という視野の中で、改めて永続する平和への道筋や自分自身の在り方を考え、当面の平和が損なわれる事のない生活を保持できるよう、御神護を仰ぎたいものと思います。
                                             
 

10月号

自然(おのずから)(みち)

   (さち) (ひこ)

()(ぶん)のせい、と(おも)(とき)

 (わたし)たちは(いろ)んな(もの)(ごと)(ちょく)(めん)したとき、それが“()(ぶん)のせい”だとはなかなか(おも)わないものです。

 (いっ)(ぱん)(てき)()(ぶん)()()(ごう)なことが()きたときは“()(にん)のせい”で、(こう)()(ごう)なことがあれば“()(ぶん)のせい”にしたがりがちです。

 ()(だん)(せい)(かつ)していてそのどちらが(おお)いかというと、“()(ぶん)のせい”と(かんが)える(ほう)(すく)ないように(ひっ)(しゃ)(おも)いますが、(みな)(さま)はいかがでしょうか。

 ある(とき)(しょう)(がく)(ねん)()どもが(めずら)しく“()(ぶん)のせい”と()うのを()きました。

 スポーツの(たい)(かい)(ゆう)(しょう)したときに、(かみ)(さま)のお(かげ)だね」と(はは)(おや)()うのに、(こん)()()(ぶん)たちで(がん)()ったのだから“()(ぶん)のせい”だよ」と()うのです。

そこで、そうした(けん)(こう)(いただ)いたのは(だれ)のお(かげ)?とかスポーツが()()るのは…?などと(いっ)(しょう)(けん)(めい)()(うち)に、()(しょう)()(しょう)(かみ)(さま)のお(かげ)もあるね」ということになったのですが、これはどんなものでしょうか。

(ひと)()()(われ)()(なお)せ』と()いますが、(おと)()である(わたし)たちも()(がい)にそうした(かんが)えに(おちい)っていることがありそうです。

 また、(ひと)()(てき)()けたところで、(とく)(しん)()くことは(すく)ないように(おも)いました。

 

 (ほん)(きょう)(きょう)(しゅう)(せい)が、ある(とき)()(ぶん)(こう)(こう)(にゅう)()()(かえ)りながら、(こう)(こう)(にゅう)()(ごう)(かく)したとき、(うれ)しさと(とも)(こん)()だけは(だれ)のお(かげ)でもなく、()(ぶん)(がん)()ったからだ」と(おも)ったそうです。

 こちらも()(ぞく)(しん)(こう)をしていたので、いつも“(かみ)(さま)のお(かげ)”という(こと)()()(てい)でよく使(つか)われていたのでしょう。

 またよく使(つか)われるだけに、()どもながらにその(こと)()への(はん)(ぱつ)もどこかに(かん)じていたのかもしれません。

 しかし、その(あと)()()うごとに、(いっ)(しょう)(けん)(めい)(がん)()ったのは()(ぶん)だけれど、やはりそれは()(ぞく)(ささ)え・ご(せん)()(かみ)(さま)(まも)りがあったからだと(おも)えるようになりました」と()っていました。

 そのことには(きょう)(しゅう)(せい)として(ほん)(いん)(べん)(きょう)()(まえ)(おも)()たっていたようでしたし、(ほん)(いん)(かえ)ってもう(いち)()(おも)いを(あら)たにした、ということのようです。

 (きょう)()()(うた)に、

 ()(なお)し ()(なお)しつつも ()(なお)し  ()()(かた)に なすが()(みち)(じん)(どう)(ひゃく)(しゅ)

がありますが、まず(おも)いや(こう)(どう)()(ぶん)(なっ)(とく)()くものでないと()()(うす)くなるし、(なっ)(とく)()ったものを()(なお)しより(ふか)めることは(たい)(せつ)です。

 ではどうすれば、()(ぶん)()()いて(おも)いを(こう)(どう)(うつ)し、それを()(なお)してより(ふか)めることが()()るのでしょうか。

 またどうすれば、そうした()どもや(ひと)(そだ)てることが()()るのでしょうか。

 ()どもは(おや)のする(どちらかと()えば()くない(こう)(どう))ことは()()するが、(おや)()うことは()かない、と()います。

 もちろん(とっ)(こう)(やく)はないのでしょうが()(だん)(せい)(かつ)()(てい)での(にち)(じょう)(せい)(かつ)(なか)にその()(みつ)があるようです。

 (さき)ほどの(きょう)(しゅう)(せい)()(てい)のように()(だん)から(しん)(こう)する()(てい)は、(はん)(ぱつ)(おぼ)えながらも(しん)(こう)()(しき)する(かん)(きょう)があるのだと(おも)います。

 そうした(かん)(きょう)があるからこそ、()(ぶん)()(がい)(ちから)のお(かげ)()()()(ぶん)()(がい)(ちから)(かん)(しゃ)することが()()るようになるのです。

 

(ひっ)(しゃ)(さき)ほどの(きょう)()()(うた)()ると、いつも(せん)(ぜん)(ちゅう)()(ほん)(かい)(ぐん)(たい)(しょう)(げん)(すい)(やま)(もと)()()(ろく)(じん)(せい)(くん)(れん)(そう)します。

やって()せ ()って()かせて させてみて ほめてやらねば (ひと)(うご)かじ

 (わたし)たちがそうした(にん)(げん)になるには、(しん)(こう)(ふく)()い!と(しん)じることを()(ぶん)()どもや(こう)(はい)()(かえ)(てい)(ねい)(おこな)うことです。

 それを(おこな)(つた)えることが、()(ぶん)()(しん)のとても(おお)きな(まな)びとなり()(しつ)(こう)(じょう)となっていると()えます。

 (さっ)(こん)(ぶん)()(すす)便(べん)()()(なか)になり、()(かん)()かっていたものや(かなら)ずしなければならないものが(おお)(はば)(たん)(しゅく)されたりせずに()むようになりました。

 ()(そだ)てや(ひと)(そだ)ても、(じゅく)(じん)(ざい)センターなどで便利(べんり)になったことから、しなくてもよいと錯覚(さっかく)しているのかもしれません。

 ()(じゅつ)(ひと)(まか)せに()()()(ぶん)があっても、(にん)(げん)(せい)(しん)(こう)という(たい)(せつ)()(ぶん)までは(けっ)して“(いっ)(しょ)くた”にしてはなりません。

 

 (きん)(ねん)(わたし)たちは、()(ぶん)(じん)(せい)(たん)(ねん)()というか、()(ぶん)だけの(いのち)(うち)(しゅう)()(けい)(さん)をしがちです。

 (きょく)(たん)(れい)として、()(けん)(きん)使(つか)うなど(すべ)ての(きん)(せん)(てき)()(さい)()()って()んでしまい、それで()(そん)(しあわ)せになるなど(おも)いこむ(など)です。

 ()()()(さん)などというある()()では便(べん)()(しゃ)(かい)(せい)()から、こうした(はっ)(そう)()まれるのかもしれません。

 (たし)かにお(かね)(もの)()()などの(ざい)(さん)は、(いま)(しゃ)(かい)(せい)()(なか)では(たん)(じん)(せい)(ねん)()?で(かんが)えることは()()るものの、(ひと)()(とく)(つみ)とは(しつ)(こと)にします。

 ()ている()(ぶん)は、(たと)えば(ぜん)(ねん)()()(さい)(ほん)(ねん)()()()されるものの、(ほん)(ねん)()(おお)(はば)()(えき)()(さい)()(らい)(ねん)()()()されることです。

 (こと)なる()(ぶん)は、()(さい)(おお)きくなりすぎて()(さん)をしてしまえば、(しゃ)(かい)(てき)なハンデ(()(たん))はあるもののそこで(いっ)(たん)(せい)()(せい)(さん)されることです。

 ところが(じん)(せい)はそうではなく、(とく)(かなら)()(そん)(ため)となるものの、()(とく)(つみ)(けが)れ)は(かなら)()(そん)()(さい)となって(のこ)るのです。

 (かい)(しゃ)はなくなるとそれで()わりですが、(じん)(せい)(とく)()(とく)(かなら)ずその()(そん)(のこ)る、ということなのです。

 (じん)(せい)が“()(ぶん)だけで(はじ)まって()(ぶん)だけで()わる”のでないことに()()けば、“()(ぶん)のせい”という(こと)()から(のが)れることが()()るのだと(しん)じます。

 

 (ちゅう)(がく)(ねん)になる()どもに、(おお)きくなって(なに)になりたいかを()くと、「お(かね)()ちになりたい」ということで、(げん)(だい)()()()(ぶん)()れません。

「みんながお(かね)()ちになればそれでいい」という考えもあるのでしょうが、そうしたただお(かね)()ちになりたいという(かんが)えの(ひと)みんながお(かね)()ちになれば、(はたら)(ひと)(だれ)もいなくなります。

 (なん)のために(はたら)くのか・(なに)(たの)しみで()きているか、

『それは()(なか)(やく)()つために()()(じつ)(げん)()()ること』そうした(よろこ)びを()るチャンスを(あた)えられていることや、そうした(せん)(じん)(かん)(しゃ)することです。

 ここに()(ぶん)(ちから)()()けば、また()(ぶん)()()くような(かん)(きょう)(あた)えることが()()れば、“()(ぶん)のせい”という(かん)(ねん)から(かい)(ほう)されるのだと(しん)じます。

 

    

            管長様が解説する御教祖の御歌   『人道百首』より


                   大神を 敬う心 なき人は

                     親に仕ゆる こと知らぬ人



 親が子を慈しみ育てるのは、動物一般に見られるところであります。しかし、生活力を身につけさせながらの一定期間を過ぎると、親と子は生活の場を別にすることになります。
 親ばなれとか、子ばなれとかいう状態が、それまで続いていた親子の情愛を絶つ形で行われるのが、動物一般に通じる習性と申すことができるようであります。
 人間の場合でも、いわゆる原始時代には、そうした動物一般の習性に見られる状態がなかった!!とは言い切れぬものが、感じられないでもありません。
 しかし、少なくとも、いわゆる人智が進む中で、かなり古くから、動物一般とは異なった人間独自の親子関係の持続!!という状態が生じたとは言えるように思われます。
 この人間独自の親子関係は、申すまでもなく情愛のつながりによるものであり、それが消えぬことによって持続されることになるということであります。
 このように、人間の親子の情愛が消えることなく持続するのは、一つには、子育てについての努力が、他の動物よりも行き届いて大きい!!ことによるとも考えられます。
 また一つには、飼い犬などに見られる以上に、人間には誠意に感応共鳴して感謝という心情が持続するという特性のある点も、考え合わされます。
 子育てに身命を惜しまぬ親心に感応して自然に養われることとなる感謝が、親を大切に感じる『孝行』という行為につながる、ということのようであります。
 従って『孝行』は、それを教えたり強制したりすることによって行われるものではなく、自然な成り行きとして行われるべきもの!!であります。
 そうした『孝行』が、現今ではあまり見られなくなったばかりではなく、親を殺害する青少年さえ見られることになっているのは、極めて不自然で痛ましい事態であります。
 その大きな原因の一つは、子を思う親心が度を超えた過保護の世情を造ったため、かえって感謝という心情が生じにくくなった、という点にもあるように考えられます。
 人間の営みは、いろいろな恩恵を受けねば成り立ちませんし、同時にその恩恵に何らかの形でむくいない限り成り立たぬと申せます。

 そうした点から考えれば、まずは恩恵を意識することが肝要でありますし、さらには感謝することにもなるべきであります。
 そうした恩恵と感謝とが最も身近に感じられるはずの場が家庭ということになるわけで、まずは親自身が感謝の時を持つこと!!が不可欠ということになりそうであります。

 祖霊を拝み神前にぬかづくのは、そうした感謝の表明であるとともに感謝を深めることにもつながる行いであり、平凡ではあっても緊要なところと考えられます。

 生活に追われがちな日常ではありますが、そうした点にも心をくばり感謝される親、感謝される人になりたいものであります。



   幸福への出発   光陽教会 中山 勇

     第19集  親に似るのは子供だけ

 人の幸せは夫婦の愛情の中に有ります。また不幸も夫婦の性格の中に有ります。そして幸せの永続は子供の誕生の中に有ります。しかし、世の中は多種多様で色々な家庭と夫婦が有るのです。
人は全て陰的な原因と陽的な原因の二面性を持っています。陰的な原因は不幸の種で物質的で肉体的な欲望が我欲として強く働き自分さえ良ければ人の事など関係ないと言う性格になり、大きな罪をもっている先祖の影響(祓い)を強く受けているのです。陽的な原因は精神的なやさしさなのです。頭も良くて積極的に奉仕活動が出来る性格で誰とでも仲良くする環境を自分から作り出す事が出来るのです。

先祖が築いた「徳」を元にしてその上に徳を積み重ねて行くので人望が厚く人に好かれる一面があります。
 人は陰と陽の性格の強さのバランスで善にも悪にも手を染めて歩む事になるのです。そして親の陰的な性格は子供に倍増(大人が一なら子供は二倍の因縁)されやすく、和魂の脳細胞の中の間脳(因縁のある先祖)が強く支配するので幸魂の前頭葉(善を司る)の神の働きが弱くなるのです。
その為に常識では考えられない我欲と言う罪(事件)を犯して家庭の崩壊や家系に汚点を後世に残すことになります。

親が我が子を溺愛して、子供を幸せにしてやる大事な行い(奉仕)などの実践を忘れて、我が子しか見ていない教育ママ的な生活環境が神の幸魂(善の心)と先祖の和魂(道徳やしつけ)に対する怠りの罪(信仰的な無関心)を積み重ねる事になるのです。
「子供の心の成長も怠りの罪の影響を二倍強く受けている」のです。

 先般長崎で中学一年生の男の子(12才)が幼稚園児(4才)を殺害した事件が大きな波紋を広げています。色々な人が被害者や加害者の親の立場や第三者的な角度や見る目で違った面からの意見や思いをマスコミが取り上げています。
またこの事件は何の関係もない善良な人々に大きな罪を作らせています…心ない一部の大人たちが同校の生徒に対する嫌がらせや、学校に対しても皮肉たっぷりの電話で嫌がらせ等の大きな罪を作っているのです。

自分にまったく関係のない事件で罪の種をたくさん蒔いて今度は自分の子孫がその罪のために苦しむ結果に成ることも知らず…面白がって自己満足に喜んでいるのです。

子供から見ればこんな親でも親なのです子供は親を選んで生まれることが出来ません。こんな親は人の不幸が楽しいのです。こんな親のしつけを受けて育つ子供はどのような心の成長があるのでしょうか。「この親にしてこの子あり」なので想像はつきます。

この学校の子供たちはカウンセリングがいるほどの強いショックを受けているのです。それなのに、この子供たちに嫌がらせをする大人が居ること事態信じられません。人間は一人では絶対に生きては行けない動物です。他人と仲良く出来てこそ神の子として生かされている人の道なのです。
それなのに自己中心的な狭い心の人がいるのです。

法律的には罪では有りませんが道徳的には大きな罪になるのです。しかし「罪を作りながら罪の意識が全然ないところに大きな問題があるのです」誰でも陥りやすい罪なので反省と相手の立場で物事を考える必要があります。なぜこんな悲惨な事件が起きたのかを私なりに原因を考えて見ます。
原則は「子供は親の鏡」なのです。「子供が悪いすなわち親が悪い」と言う事です。その原則は加害者にも被害者にも言えることです。事件事故などは「加害者と被害者の神幽現の罪の原因が一致した時間帯のところで」起こります。神と先祖そして自分の神幽現の罪(原因)の祓いの一致です。

神幽現とは、「神は神の道や人の道の行いの中に罪があり」「幽はその原因を先祖が作り」「現は結果として自分が罪を祓う」ことに成るのです。
この神幽現の罪の祓いのどれか一つでも一致しなければ事件や事故は起こりません。加害者も被害者も苦しむ内容は違いますが結果は同じです。「何年もかけて嘆き苦しむ生活が両方の家庭で始まるのです」加害者の原因は「加害者の親と先祖の陰的な原因が強く働き」自分中心の心が働くため、人の意見を聞かない性格があります。

その為に神の道や人の道をおろそかにする「自分と子供さえ良ければと言う身勝手な心」と性格的に短気で愚痴っぽい体質が有ります。こんな家庭で育つ子供は家では良い子で外に出れば悪い子になるのです。その為子供の性格は極端な二面性の顔を持っています。
結果として子供が家庭を不幸にする引き金を性格の中に持つことになるのです。言い換えれば親が子供を自分のペットと同じように育てているのです。
溺愛(陰的な心)する親は子供の心の成長を止めるのです。あれもダメこれもダメと親の前では良い子であってほしい願望が、内の顔と外の顔の二面性を育てることになるのです。子供の道徳の無さは全部親の責任です。

なぜ信仰をしなかったのか神幽現の罪を信仰で祓って行かなかったのか悔やまれます。親が「敬神尊祖の信仰の中でしつけをしなかった怠りの罪」を積み重ねたから、神幽現の罪が大きく膨れていったのです。
では被害者になる原因(罪)も神幽現の三つの原因が有るのです。
事件や事故などは先祖の要求を知らない為に起こります。例えばこの長崎の事件の被害者は4才の子供さんです。これからの未来を大きな希望のある明るく楽しい豊かさを想像できるのです。なぜ死ななければいけなかったのかを考えて見ます。

両親を始め家族や親戚までが犯人と犯人の親に対する憎しみを持つことになります。可愛ければ尚更憎しみが強くなります。ほとんどの事件で死の場合は被害者の先祖との強い関係があります。
結果として宗教的な行事で先ず喪に服すことから始まり、通夜・葬式・火葬祭そして十日祭から五十日祭、納骨、一周年祭、三年祭と「信仰する・せん等は関係なく喪に服す宗教的な行事」をしていきます。これが正に先祖の要求なのです。
先祖が罪の祓いを早急にしてほしい、祝詞(お経)を聞かせてほしい、墓をきれいに掃除して丁寧に祭ってほしい、特に命日祭の要求は強いのです異常な死に方をした霊ほど現世に対する要求が強く「死の原因が先祖の霊魂を苦しめるので子孫に事件を起こさせている」のです。その結果「先祖の要求は新たに祭壇を作り祝詞(お経)とお祭り(法要)を無理やりあげさせている」のです。

被害者も先祖の要求を知らずに当然まつるべき先祖を祀っていなかった怠りの罪が、多くの場合悲惨な事件に巻き込まれる原因になるのです。信仰をして先祖のお祭りや墓参り等で十分に満足を与えていれば、先祖は喜んで子孫の守護霊となり子孫を一生懸命守っています。
「先祖の守りは時間的な守りなので恐らく犯人とは出会わなくて済んでいる」のです。正しい信仰は、先祖の守りも三段階の守りがあります。
第一は出会いの時間差の守りです。交通事故を始め事件や事故に合わないように先祖は一生懸命いろんな手段を使って守られます。

第二は霊感的な守りです。例えば虫が知らせるとか、胸さわぎがする、血圧が急にあがる等の症状が肉親に異変がある時は必ず親に知らせが有るものです。第三に生理的な守りです。
先祖が危ないと感じたら、自律神経を働かせておしっこに行きたくなったり、お腹が痛くなったりして何処へも行けなくなるものです。それでも守れない時は、神様の救いが有ります。命に係わるときには、人の体は天在諸神の絶え間ない救いの加護を(新陳代謝)を受けているのです。その第一は意思の違いです。
考えが一致しない為、例えば不安になったり、お父さんに聞いてくるなどの幸魂の善の働きがあります。第二は人を介しての救いです。
知った人に出会うとか、他の興味のある物に出会うとかが有ります。第三は心の救いです。事件や事故は神様の清濁を分ける働きの中で起こります。

ここでは犯人の心(考え)を変えて殺意が消えていきます。敬神尊祖の信仰はいつもこれだけの守護を受けているのです。本当に有難いことです。
嬉しいことです。もう一度感謝です。これが私の信仰上の考え方です。
 神は救いです、先祖は守りです、いつも陰陽の二重の守護を受けています。



☆★☆ 素朴な疑問 ★☆★
     
 Q & A

 Q1、重複信仰とはどんな信仰ですか?

A、 例えば神理教の教会でありながら、地蔵を信者の家に祭らせたり、観音を拝ませたり、他の教えを信じ奨励するようなこと、もし、こんな事が本当に行われていれば神理教としてなげかわしいことです。

 Q2、共同信仰とはどんな信仰ですか?

A、 個々人々の信仰のみで、皆が心を協せて固く結ばれていないときは、如何に統計上教師の数が多く、信徒の数がおびただしくとも、事ある時は、何の役に立たないものであり、吾も人も野中に立つ一本杉と同様で、折角の利益が受け得られなくなるものであると、共同信仰の大切さを御教祖は御教示下さっております。


   *** 稲荷宮教会講習会報告 ***

 九月七日(日)、大分県の稲荷宮教会に(高昌伸教会長)おいて出張講習会がおこなわれました。
 参加人数は十三名。午前九時から巫部任彦さんを中心に、天在諸神御神名十八柱、また今日訓を全員で唱和しました。続いて高教会長による七福神・恵比寿と大黒天など、その由来の詳細解説。引き続き巫部恵里総務局長夫人により、周囲の手助けや導き又、地方の方々との有難い出会いによって学び育てられ今日幸せに暮らしていることなどを話して頂きました。
そのあと末若教修生による「神具・神棚の祀り方」の説明がおこなわれました。参加者から早速神具の注文などもあり熱心さが伺えました。

次に山崎教修生により紙芝居「御教祖一代記」講演。御教祖にまつわる様々なエピソード、また時代背景などを絡めながら新しいスタイルの紙芝居ができました。昼食は、心のこもった品の数々、高先生のお母さま、工藤先生、皆様方、いつも有り難うございます。昼食後、大野教修生が「御教誡」について体験談を織り交ぜて話をしました。参加者から本院での生活についての質問も飛び出し、考えるところあり、笑いありの授業になりました。

次に古川教修生より、人生での経験に基づき、神理教の教義のすばらしさを語りました。最後に巫部総務局長より「地相・家相について」の講義がありました。凶相・吉相を学ぶことにより、難を逃れる事が出来ます。家相いろは歌など興味深いものが多々ありました。
 次回開催日は未定ですが、今回参加の方から「祭式作法をぜひ」との要望がありました。次回も有意義な会になることでしょう。
              記 者  S・S


大分県 稲荷宮教会
    教会長 高 昌伸

 今回も意義深い講習会を開催することが出来、感謝しております。参加者からも好評の声が盛り沢山でした。今後も継続して講習会を開催して皆と一緒に勉強したいと思っています。

お近くの方、お気軽に講習会に参加して下さい。お待ちしております。
                      



  *** 教 祖 の 道 統 *** 

   第四章 教祖の霊観
     
     第三節 諸魂の作用(働き)

附 夢(のつづき)
・夢は天神のお知らせ(御心)
 御教祖は
【夢は阿加里美勢という即ち伊目なり、この伊目というにも様々の品ありて、正しい伊目と悟りの伊目といって、正しい伊目はそのあるべき形を明らかに見せけれど、大方は悟りの伊目にして、この伊目は物事について悟り得ないと知ることが出来ない。
 総てこの伊目は天神の御心として告げさせ給うことなれば、身の上にかかれること(出来事)がある時は、必ず産須根神をして告げさせ給うなり。

 それを世の人は親の伊目を見れば悪い事があると言うが、親の伊目を見て悪いということはない。
 悪い事が起ころうとしているのを、幽冥より大神達が御覧になり救い助けようと、産須根神にお言葉をかけ給い、そして神憑らせ阿加里美勢給いけるなり。

 さて、この夢のことは昔より様々と論じているけれども、それは神理を極めた人のみにして、どうかすると夢は逆事などと言いなしけるは、本当に憐れなることなり。
 決してその様なことではない。
 未だ見も聞きもしない先の事を御先祖の神が告げ知らせ給うにより『幸言』という。
 『幸言』とは見ぬ先の「明かり見せ」と言える事にして、極めて貴き御ことなり】
 この様に伊目とは幸言であるということを証明しますと、神武天皇が東方の敵を征伐された時、敵軍の勢力があまりにも優勢な為、かなり苦戦をされたが、熊野の高倉下は夢で天神の霊告を受け神剣を献じた為、皇軍は力を得て東征の功をたてられた事を、日本書紀に

【熊野高倉下忽夜夢、天照大神謂武甕槌神日、夫葦原中国猶聞喧擾之響焉、宜汝更往而師征之云々、武甕槌神登謂高倉下日、予剣号日韶霊今置汝庫、宜取而献之天孫高倉下日、唯々而寝之、明旦取以献之】
又同書に
【夜夢天照大神訓千天皇日、朕今遣頭八咫鳥宜以嚮導者、果有頭八咫鳥自空翔降】又
【夢有天神訓之日、敬祭天神国祇、則虜自平伏、】
 これは皆神の御心として守り幸い給う御恵みである事が認められるのです。
 つまり夢は逆事ではなく、幸事の意味であることを納得されたでしょう。

・夢は天神が氏人を守る御心
尚御教祖は
【御祖産須根の大神が日に夜に氏人を守り給う事は、いささかも違うことなく、今も人と生まれたる人なれば、必ず怪我過ちのある時は、すぐ産須根神が現れ給い、夢をもって現世にありし姿を表わしけるなり。
さて、この夢にそのまま現世の姿見するは、人の人たる誠の道を尽くせし人なれば、日の神の御許、即ち日の若宮に鎮まりまして、和魂は産須根大神の御元にはべり、産須根神となりて守り給うしるしなれば、必ず家富み栄ゆるなり。
 されど、是にさからいたる事あれば、どんな悪い事や災難に子孫等が逢うことあれど、影も形も夢に顯われぬは、その親は必ず道に背きたる人にて、その魂は産須根神となることが叶わぬしるしにて、ついに其人の家は自然に滅亡に及ぶも氏神が守らない為である。

 さて其産須根神の伊目(夢)に顯われ見えつつも、物語ることなく、あるいは顔かたちを見定める事も出来ず、あるいは様々な形と変りたるなど、皆その御祖の罪あるにより、氏人を守る事が出来ぬしるしなり】

 逆事と いふは違へり 幸ことを
  神こそ夢に かかるなりけり(皇道百首)

(夢というのは現実に起こることと反対のことになるなどと、意味がないように言う人がいるが、それは間違いであり、”幸こと“すなわち神と祖先のお知らせを夢を通して戴けるのです。)と教えて居られる。
 四魂中の奇魂の作用は、この様に奇しく妙に活動して私たちの業務(仕事)を助けるのみか、幽冥界との交通によって幽冥なる幸ごとを、与えて下さる助成の魂であることが認められるのです。

 奇魂 天にかよひて うらもなき
  神事を夢に 見するなりけり(皇道百首)
(人に備わっている四魂のうちの奇魂こそが、天の神界の神の御許に通って、神の心{お知らせ}をそのままに夢に見せて下さっているのです。)
 



                古事記「絵で見る解説文」

  Eそこは地の底の死者の国だ。…
  ―― E挿絵の説明 ――
  そこは亡くなった人の霊魂が行くといわれる、地の底の死者の国です。
 伊邪那岐の神は妻に会いたい一心で、恐ろしさも忘れて下って行きました。
 そうすると、やがて死者の国との境の石の扉にたどり着きました。




                                                           
        * * * 「 フ レ ッ シ ュ マ ン 紹 介 」 * * *


名古屋大教会 岩押 頼子(いわおしより こ)さん

 昨年の春に教師となり、「今は、祝詞や祭式の作法などを覚えることで精一杯」という岩押さんです。
 「九年前、教師をしていた母が他界しましたが、入院中、亡くなる直前まで外泊もでき、私も元気で看病できました。これも母が信仰を重ねてきたお蔭ではないかと思い、その感謝の気持ちをどの様に神様へ表せばよいかと考えました」。そして思いついたことが、まず月例祭など祭事のお手伝いに出来る限り参加することでした。

その結果、母親が教師になったのは先祖と子孫の為だったと実感し、母親の後を継ぐことが神様への一番のお礼ではないかと思うようになりました。

 自宅が教会と隣り合っていたので、岩押家のことをよくご存知の横江初恵教会長に教師志願の決心を伝えると「その言葉を待っていましたよ」と言われ、教会の先生方と共に大変喜ばれました。
 本業はグラフィックデザイナー。忙しくても朝の礼拝を欠かさず、一日に一回、足の運びなど作法のおさらいをしています。また、昨年に続き今年の夏期講習会にも参加しました。

 「良い子にならなくてもいいからとおっしゃっていただいた管長様のお言葉で気が楽になりました。自分のリズムとペースで一生懸命やればいいのだと。同じ作法でも状況によって違い、いろいろな疑問がわいてきますが、とにかく何回も練習をして、体で覚えなくては。母が苦笑しながら見ていてくれると思います」
 岩押さんには、本業の経験を活かして「神理」の地方特派員をお願いし、本誌の内容の充実にも活躍を期待しています。


                       *○*○*教修生の紹介*○*○*

  教修生としての二年半、お疲れさまでした。  山崎 亜希子 さん

 この九月で二年半の教修生活を終え、自宅に戻ることになった山崎亜希子さん。
 「行儀見習いと思って行って来い」と神理教の教師だったお祖父様に言われ、高校卒業と同時に教修生として本院へやって来ました。「初めて来た時は言葉も態度も悪かったけれど、本当に礼儀正しくなりましたね」と奥方様。
本人も、「世の中のことは何も知らずに来たので、高校時代の感覚が抜けていなかった」と当時を振り返ります。

 本院での生活は、それまでの学生時代とは違い、いわば縦の社会。「人は人、自分は自分」と、どこか覚めた目で見ていた現代っ子の山崎さんは、いつの間にか、どんなにつらくても笑うことができるようになっていました。
「お参りに来られた方に、素っ気なくはできませんから」と、にっこり。自然と素敵な笑顔がこぼれます。
 「最近は本当によく笑っていますね(笑)。
それに、人にイヤな気分を与えないよう、一歩引いて謙虚な気持ちになるよう心掛けています。その方が自分も気持ちいいですから」
 教修生は大教庁の裏にある神理アパートや近くのマンションに住み、毎朝六時半の御神拝に参加。その後、いったん自分の部屋に戻り、八時半には本院へ来て事務所を開ける準備をします。
そして、夕方の五時まで、御礼符や参拝記念、玉串の準備、境内の掃除といった奉仕をしながら、教師を目指して勉強するのです。

 「昨年はおじいちゃんが、そして今年はおばあちゃんが相次いで亡くなりました。
足が悪く、本院に御神拝できなくなったおじいちゃんの代わりに神理教に来たという思いが強かったので、正直言って一瞬、目標を失い、気持ちが揺らいだこともあります。でも、おじいちゃんの果たせなかった夢を私が果たしてあげたい。
おじいちゃんのためにも、教師になりたい!」と、山崎さんは力強く語ってくれました。

 「勉強は好きです。知っていると、得することもたくさんありますからね。
自宅に戻りますが、これからも自分のできる範囲で最大限に努力していきたいと思います」
 山崎さん、教修生としての二年半、お疲れさまでした。これからも頑張ってください。



             +◎+◎+ 特派員だより  「総代さんのご紹介」 ◎+◎+◎


  左から大原亮吉さん、笑子夫人です

   笑子夫人は、神理教教師(教正)です。


 いつも笑顔を絶やさない名古屋大教会総代の大原亮吉さんは、今年で八十五歳(大正七年生)になられます。
 昭和五十五年に保険会社を退職後は代理店を始められ、今年六月まで現役でご活躍。現在は若い方の指導に務めていらっしゃいます。

 前の総代が体調を崩された時、急遽代理として総代を務めて以来約三十年になります。
母親に連れられて名古屋大教会開祖故横江信太郎先生(昭和三十四年帰幽)の元へ伺ったのが神理教との出会いでした。当時、父親があまりにも家庭を省みない為に、母親は心身共に疲れ果て生きる力を無くし、何かにすがりたい、助けてほしいとの思いで日参されたのでした。

 不幸は重なり、事故で父親が急逝し、大原さん(当時十歳)を頭に子供三人を抱え一寸先が闇のようだった母親を信太郎先生が励まし、
導き、結果よい方向へ道が開きました。その後、ご自身が勤め始めてからは、仕事の事をはじめ色々な悩み事を、同世代の信太郎先生の長男光明先生(前教務所長、昭和五十九年帰幽)に相談し、二代に亘って家族を助けて頂き、もし神理教に出会っていなければ今はないと断言されます。

 初めは母親のお参りについて行く事からの信仰でしたので、心からの信仰ではありませんでした。
 昭和二十一年の終戦後中国から復員され、二月十一日の真夜中に、焼け野原の市街を家族の無事を願いつつ自宅を目指しました。
 表戸を叩くと、ワッと母親と弟妹が抱きついてきましたが、様子が、ただ喜んでいるだけとは思えなかったので聞きますと、前の晩に母親が夢を見たとの事でした。
 大洋の中を小さな舟がゆらゆらとこちらへ向けて来て、その上には大きな黒いマントを着た人が両手を広げ「亮吉を無事連れてきたぞ」と告げそのまま消えたのですが、あまりにもはっきりした夢なので神様のお告げと信じ、家族で今か今かと待っていたのでした。
事実、東シナ海を一晩で日本海軍の一番小さい駆逐艦に乗って帰国されたのです。無事帰還できたのは神様の御加護と母親の一途の信仰の御陰と感じ、感謝の念で一杯になり、それ以後心から信仰するようになりました。
 昭和二十三年、笑子夫人とご結婚、二男一女を授かりました。

 母親が亡くなられた直後の昭和三十二年、笑子夫人が教師の免許を取られ(昭和四十九年に教正を拝命)、一段と神理教とのつながりが深くなりました。現在、次男御家族と一緒に住んでいらっしゃいますが、朝晩皆さんが自然に神棚に手を合わされるとの事です。

 「孫が夜遅く帰っても、必ず神棚に手を合わせているのですよ」と嬉しそうに話されます。
 総代を取材することに決まった時、教会長(故光明先生夫人)が、思い出を話されました。
「主人の葬儀に際して、総代さんが弔辞を述べて下さいました。その内容は、聞いている者に故人への思いがひしひしと伝わり、胸がいっぱいになり涙が出てきました。その事を家族の方に伝えますと、総代さんが朝まで掛かって、ご自分で一生懸命文章を考え綴られたと知り、非常に感銘を受けた事が忘れられません」
 今回の取材を通して、その弔辞の文章の中には、大原さんの人生のとても深い思いが込められていた事を感じることが出来ました。


    北九教師会報告  平成15年9月6日(土)十時〜十五時

 九月六日、明星会館で第四回目の北九教師会が開催されました。
 まず、教修生の山崎亜希子さんが御教祖のあゆみを描いた紙芝居「御教祖一代記」を紹介。自分なりに勉強したことなども盛り込みながら、分かりやすい話し言葉で、一時間かけて講演しました。
 「お母様が亡くなった時、噂が出る程お参りした御教祖様のお気持ちを考えると…」と、山崎さん。”おばあちゃんっ子“だった山崎さんは、今年、その大好きなお祖母様を亡くしています。それだけに、紙芝居には特別な思いがこもっていたようです。出席者からも、「ただ読むのではなく、自分の考えを交えて説明してくれたので良かった」という感想が聞かれました。

 続いて巫部総務局長が地相、家相について講義。全員で『家相いろは歌』の一部を唱和しました。教信徒の皆さんから家や土地、お墓などについて相談を受けた時、教師として適切なアドバイスができるようにと、出席者の皆さんの表情は真剣そのもの。

 午後からは、改めて全員が自己紹介を行いました。その中で、「自分のレベルを知るためにも、また教信徒の皆さんを導くために何が必要か知るためにも、教師、職員ともにもっと勉強しなければ」といった声も上がり、北九教師会の今後の充実に期待が寄せられました。

 そして最後は、前回も好評だった体験発表の時間です。まず、白龍教会の河野久男先生が自らの体験談を発表。小学二年生の時、河野先生の体に異常が起きたといいます。足が腫れて走れなくなったのです。
 「それまで元気に走り回?いたのに…。この世に神も仏もないものかと思いましたが、母親に連れられて神理教の教会にお参りし、おかげさまで治していただきました。

子ども心にも、この御恩を忘れてはいけないと感謝したものです。もう一つ、近所に住んでいた母親の姉にあたるおばの、『人をバカと言ってはならん!』いう言葉が心に強く残っていて、人を見下げることなくここまで来ることができたような気がします」
 その後、河野先生の人生にはいろいろなことがありましたが、昭和四十六年に教師の免許を取得。そして、何かあれば相談し、いつも助けてくださっていた橋本先生から、こう言われるのです。「わしが亡くなった後、教会を見てくれ」。

 「とても自分には無理だとお断りしたら、『そなたしかおるまいが!』と言われ、それから一生懸命になって勉強しました」と、河野先生。体が弱かった橋本先生の看病のため、夜は教会に泊まり、早朝、家に戻ってから仕事に行くという生活を十三年間も続けたそうです。
 平成三年に先生が亡くなり、河野先生は白龍教会のあとを継ぎます。霊感のある河野先生は、家出人を探し出したりと、いろいろな体験をしてきました。

 「一人でも多くの方を助けることで、神様に御恩返しができればうれしいですね。神様に一生懸命にすがれば、神様は決してお見捨てにはなりません。救ってくださいます。ある意味で、教会は愚痴のごみ捨て場と言っていいかもしれません。皆さん、教会でいい話を聞いて帰ってくだされば、と思います」
 河野先生に続いて、他の先生方も次々と体験談を発表。どれも感動的なお話で、あっという間に時間が過ぎていきました。
 次回の開催は来年二月二十一日(土)の予定です。「北九教師会」は、皆さんが気楽に話し合える場を目指しています。一人でも多くの皆さんの参加をお待ちしています。


                             あ  と  が  き
 
 使い慣れた自分のもの!というものがないと、何かと気持ちが悪いものです。
 もうすぐ届くというパソコンを待つ気持ちのせいにしてはいけないものの、心に薄もやがかかっている感じです。

 今月は原稿が全部終わった!、と開放感にひたっていたのですが、
「今月は無しにしますか?」と今日言われたのが、この ”あとがき“でした。
「間に合わないならば、しょうがないですね。済みませんでした。」に、
「明日までです」の力強い?言葉があり、そういえば『言わねばならないことがある』と気持ちを取り直して、職員共用のパソコンに向かっています。

『言わねばならぬ』というのは、神理雑誌の特派員制度のことです。
 名古屋大教会の橘田さん夫妻と岩押さん姉妹が横江教会長のご理解の許にボランティアをお引き受けいただきました。
 とっても感激しています、よろしくお願い申し上げます。
 神理雑誌は、皆様のこうした善意の上に成り立っています。
 中部地方はこうした方がおられますが、編集局ではここを先途と他の地区や県や市町村の特派員を募集します。
 こうした活動は、不思議と自然発生的に幾つか一緒に盛り上がってくるものですが、編集局としては大いに期待するところです。
 なければお願いと言うこともありますが、その折りにも出来れば二つ返事でお引き受け下さると有り難く思います。

 古事記の神話にある、須佐之男命の話を覚えておられますでしょうか。
 日若宮(神の国)で大暴れをした命は、天照皇大神が ”天の岩屋“から出られた後、捕らえられて地上に追放されます。
 その時 ”千倉の置倉に置き足らわす“という財産没収の刑も受けます。
 財産没収の刑を受けることで罪が祓われる、という感覚があるのです。
 私たちはお賽銭を奉納しますが、これも同じ罪を祓うという考え方です。
しかし、知らず知らずの罪がたまって刑を受ける前に、自分から積極的に罪を祓うという行動がご自身の、より大きな禊となるのです。
 前置きが長くなりましたが、消極的な受け身よりも積極性の素晴らしさを教えているのです。
 何にも通用することだと思いますが、是非そうしたお心持ちで、出来る方はこの活動にもご協力下さい。

 今日は祖霊祭でしたが、若手の総代さんから神理雑誌はもう少し振り仮名を、等の注文を頂きました。
 こうした皆様の色んな形での参画が、大元の神様にも通じることと思います。

 よろしくお力添えをお願い申し上げます。   (幸)
  

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