神理

平成14年9月号 第1063号

        

巻  頭 の こ と ば
心配・苦労が多いと云う人は、全て自分の力だけで
生きているという思いを持つ人に多い。
半分は、神様・先祖に支えられているのである。
だから、お任せする気持ちを働かす事が重要である。
「心配苦労は、神の居まさぬ暗き処から湧く」(神理管見)
神様・先祖に背を向けていないか、常に反省の気持ちが必要である。


                かんなぎべ  たけひこ
  神理教管長   巫部  健彦
    かん なら     つね
   神習ふ 心を 常の心にて
   
                   さや
        進み行きなば 障りなからむ
  先月五日から「住基ネット」なるものの運用が始まりました。十一桁の数字で全国
民の個々の氏名・生年月日・住所・性別の四項目を記録し、官公庁の事務手続きを敏
速簡便化するとの事であり、その趣旨については凡そ賛成多数という事のようであります。
 しかし、記録される事項の追加が予測される事をも含め、そうした個人情報の漏洩
する機会が増加しかねぬとの危惧から、その運用自体に絶対反対する論者は兎に角と
して、組織として参画せぬ市町村も見られるという状況での開始、ということになりました。

 尤も、我々個々人の情報については、色々な機関が時には違法な手法までも駆使し
て、収集の努力を積み重ねている為、上記四項目程度の内容は、言わば公然の秘密で
あり、今さら漏洩を心配するほどの事項ではない!という声も聞かれます。
 他人に知られたくないと思う事柄は、誰にもある所かと考えられます。凶悪な犯罪
者の場合は別として、一般的には知られる事が恥ずかしいという気持からの思いであ
り、その恥ずかしいと言う感情自体は、極めて自然で貴重な人情と考えられます。
 然し、隠し通すには格別な努力と不断の関心が不可欠であります。既に、自分の現
状は、恥ずかしい言動をした当時とは異なっている訳でありますし、寧ろ、知られて
も致し方ない!とした方が、気分的に楽でもあり、賢明な選択と申せるようであります。
 宜しからぬ言動に埋没している人にとっては、個人情報の漏洩が致命的となる事も
考えられますが、さほどまでもない場合には、必ず前途が切り開かれるに相違なく、
相応の用心は必要としても、仰々しく取り上げて悩み苦しむほどの事ではないとも思
われます。
 寧ろ懸念されるのは、誤った情報が恣意的に添加され、其れが本人の知らぬ所で潜
行伝播する事であります。いずれにしても、神を恐れる心があれば、個人情報の漏洩
を恐れる致命的な事態は生じ得ないと思われます。即ち我々としては、神霊がみそな
わされているという思いと共に、一日々々を生きていれば間違いなし、と言うことに
成るようであります。
                                             

オノズの道

 

自然(おのずから)(みち)

(さち) (ひこ)

みんな(ちが)ってみんな()

 

高校(こうこう)時代(じだい)同級生(どうきゅうせい)歯医者(はいしゃ)がいて、ある(とき)治療(ちりょう)をしてくれながら(ひっ)(しゃ)(はな)しかけます。(()()、( )(ない)()(くら)(ほう)(げん)「おい、今度(こんど)同窓会(どうそうかい)()く(()くん)か?」筆者(ひっしゃ)は、「その()何件(なんけん)もお(はら)いがあるから(あるけ)、もし(たい)(りょく)(のこ)っていたら((のこ)っとったら)()こうと(おも)う」と(こた)えると、「そんなことを()わずに、()()()こうよ(()こうや)。

(いっ)(しょ)()ってよ(()こうや)」と()います。

その()(ゆう)()くと、「だいたい(どう)(そう)(かい)()(もの)(けい)(れき)がすごいよね(すごいんよ)。

 大手(おおて)自動車(じどうしゃ)会社(がいしゃ)のスペインの工場長(こうじょうちょう)になりましたとか、大臣(だいじん)特番(とくばん)インタビュー記者(きしゃ)をしていたのが(いま)はアメリカの特派員(とくはいん)になってテレビに()ましたとか、財務省(ざいむしょう)出世(しゅっせ)しているとか、現況(げんきょう)報告(ほうこく)しているよね(しとるんよ)。

 (おれ)はしがない()()(しゃ)だから(やから)、ああいうのを()くと(こし)()けるのよ(()けるんよ)」と()うのでした。

 

 同級生(どうきゅうせい)経営(けいえい)する歯科(しか)医院(いいん)は、その優秀(ゆうしゅう)実直(じっちょく)人柄(ひとがら)(せい)(かく)(てい)(ねい)(いた)くしない、とても(ひょう)(ばん)()(びょう)(いん)です。

()()(しゃ)(ひと)もうらやむ(りっ)()()(ごと)だし(やし)、いつも()(ひょう)(ばん)()いている(()いとる)し、ひるむ()(ゆう)はなにも()いじゃない(()いやんか)。

それに、そんな(りっ)()(もの)(もん)ばかり()ていることはないよ(()とらんよ)」と()っても、「そんなことはない、(いっ)(しょ)()って」を(れん)(ぱつ)します。

 (ひっ)(しゃ)もとぼけていて、ずいぶん(あと)()づいたことなのですが、

(なん)で、学生(がくせい)時代(じだい)にそんなにつきあいのなかった(わたし)(さそ)ったかな』と(かんが)え、『あっ!、学生(がくせい)時代(じだい)(れっ)(とう)(せい)だった(ひっ)(しゃ)だから(さそ)ったのか』との(すい)(そく)(いた)った(とき)(おも)わずニンマリとしてしまいました。

 (ひっ)(しゃ)のこともしがない(()るに()らない)(しん)(かん)ということで、学生(がくせい)時代(じだい)結構(けっこう)最優秀(さいゆうしゅう)ではなかったものの)優秀(ゆうしゅう)(なか)()(こん)(かい)(とく)(べつ)に入れてもらったと(かん)じたからです。

 

で、(どう)(そう)(かい)()ってみると(よう)()でも()()たのか(ほん)(にん)()ていません。

 (げん)(きょう)(ほう)(こく)(かん)(れい)のようで、なるほど(みな)(かがや)かしい経歴(けいれき)業績(ぎょうせき)報告(ほうこく)していました。

 (ひっ)(しゃ)(ばん)(まわ)ってきたので、(ひさ)しぶりの(さん)()()びながら(すこ)(かみ)()(きょう)(せん)(でん)(どうした(わけ)(みな)(けっ)(こう)()っている)をした(あと)、そういう(ふう)(おも)っている(どう)(きゅう)(せい)もいるよ、という(はなし)をしました。

 (みな)(わら)いながらもその()(けっ)(こう)しらけましたが、(えん)(かい)になると()()()()(まえ)(おぼ)えてなくとも(おな)場所(ばしょ)時間(じかん)(くう)()()った(もの)(どう)()()(だい)()えずに、(たの)しい()(かん)()ぎました。

 その(とし)(どう)(そう)(かい)はほとんどの(もの)(あと)(やく)で、(かい)(ちょう)のお(てら)のお(ぼう)さんがわざわざ(しん)()(きょう)(どう)(そう)(せい)(ため)(やく)(はら)()()(がん)()て、(さん)(ぱい)()(ねん)()(みき)酒を(みな)()()ということをしてくれていました。

 (おな)(どう)(そう)(せい)といっても、いろんな(ひと)がいてそれぞれの(とく)(せい)欠点(けってん)()っていてそれでいいのだなと(かん)じました。

 (やま)(ぐち)(けん)()(じん)(かね)()みすずも『…みんな(ちが)ってみんな()い』と(うた)っています。

 

 (ひっ)(しゃ)()()は“しがない”かもしれないものの、()(ぶん)ではお(かげ)(じゅう)(じつ)した(まい)(にち)()ごさせて(いただ)いています。

 この(どう)(そう)(せい)(ほん)(にん)(おも)()(じょう)(ひょう)(ばん)()ているし、(こま)かい()()(ぎょう)()きで()(だん)()()()(こう)()さんの(りょう)(ぶん)()()(たの)しそうに(つく)っています。

 (じつ)(ほん)(にん)()(かい)してうらやむようなことを()っていることかもしれませんが、()()(はな)(ばな)しい()(ごと)は、それなりに(たい)(へん)(きょう)(そう)()(のう)もあるものです。

 (どう)()(あお)(とり)”で、あちらこちらを(さが)(まわ)った(しあわ)せは(じつ)()(ぶん)(いえ)にあったように、()(ごと)(よろこ)びも()(ぶん)(あた)えられ(おこな)っていた()(ごと)にあることが(おお)いようです。

 (かみ)()(せん)から(あた)えられたと()()めるか、(おや)(じょう)()から()しつけられたと()()めるか。

 (おや)(じょう)()(もと)はといえば(しん)()(どう)(しつ)であることに()がつけば、感謝(かんしゃ)(さかい)(こう)不幸(ふこう)()かれることにも()(かい)()くことでしょう。

 ()()ない()(ごと)をうらやむよりも、(いま)()(ぶん)()(なか)(やく)()っている()(ごと)(まっと)うする(かん)(しゃ)()()ちを()って(しあわ)せ・(あん)(しん)()たいものです。

    


Q、(先月号のつづき)ずーっと前からの私の素朴な疑問なのですが、教派神道と神
社神道の具体的な違いとは何ですか?
 多分色々あると思うのですが…神社は国でやっているものなのですか?

A、お応え 
 以上のご質問有り難うございます。
 自然とわき上がってくる疑問ですよね。
 歴史・祭神・教祖・霊魂観など、詳しく分類出来ますし視点(教派か神理教か)に
よっても言い方が変わりますが、ここでは難解でないようにお伝え出来ればと思います。

A4、
*拍手の数(教義・霊魂観・言霊学)
 神社は2回のところが多く、教派神道は4回のところが多いようです。
 これも明治の初めにそう決めたようですが、戦後は出雲大社や宇佐神宮は神理教と
同じく4回に戻し、それ以外にも3回・8回・16回という神社があります。
 神理教の4回も造化神宮の歴史が長くはっきりとは言えませんが、四魂論(四魂の
活性)からとも言われます。
 いわゆる神社神道の教義をまとめることは難しく、細かくは神官によって皆違う解
釈をしているといえます。
 細かくと大まかなどちらをとっても、ある程度決まっているようでそうでもなく、
とらえどころがありません。
 神理教は古くからの教えがかなりはっきりと伝わり、それを御教祖が綿密に大成さ
れています。
 そうした教えを、神社神道のほとんどが忘れられている、と私は認識しています。
 結果的に長ったらしくなりましたが、私の勉強にもなりますので、不明な点はご遠
慮なくお尋ね下さい。

A5、
 組織も若干違います。
 神社神道は、東京の神社庁が本部事務所で、精神的な中心はなんと言っても伊勢神
宮といえるでしょう。
 それぞれの神社は神社庁の直営?もありながら、ほとんどは単立法人といって独立
しています。
 地区や県や市町村単位で神主の登録料を納めながら、例えばもし行き違いがある時
は、はずれることもあります。
 神社庁に加入していなくても、神社神道に分類されているようです。
 神社庁というのは、緩い規制を持つ連合体と言えます。
 事実登録料の関係で、払ってもメリットがないと思う神社は加入してないところも
多いようです。
 職級も、確か上から浄階・明階・正階・直階とは別に特級以下1級2級と10数級
に分かれているようです。
 教派神道は、例えば神理教は北九州市小倉南区徳力の大教庁が本部事務所です。
 神理教は包括法人で、教会は神理教の付属教会もありながら、本院と同じ被包括法
人と法人でない個人所有の教会です。
 被包括法人は神理教という包括法人が国から信頼されている限り、単立法人に比べ
簡単に法人としての権利を所有することが出来ますが、神理教を離れてはその権利を
失います。
 被包括法人でも離れる自由はありますが、土地や建物の税金の関係で少し不自由に
なります。
 しかし、教えと教祖を中心にしていますから、結束は堅いと言えます。
 職級は上は(ご存じ?)大教正から権訓導まで15階級、賞功級は上は大功賞から
7級まで8階級、教信徒は大賛教から小信教までやはり15階級あります。


 本門仏立宗の学生さんから、以下のような質問メールが来て、それにお応えしたも
のを紹介します。

Q、最近TV等を騒がしている ”陰陽師“についての事を教えて頂きたい。
@陰陽師とは神社神道系のシャーマンだと思っていますが、また別の部類なのでしょ
うか?
Aまた神理教でも同じようなことが行われているのでしょうか?
B陰陽師とはどういった儀式なのか?
Cどうすればなれるのか?
Dどういう思想や宗教的要素があるのか?
Eどういう義が存在しているのか?
等々くわしく陰陽師について知りたいのです。

A、最近TV等を騒がしている ”陰陽師“についての事を教えて頂きたい。について…
 見た目に派手で興味本位になりがちな話題を、もう一度見直してみようという、真
摯でまじめさが感じられる質問だと思います。
 しかし、”最初からこんなものだ“という程度や質や内容について、自分の持つ先
入観念から抜けきれず疑問をていしても、折角の素晴らしい質問が色眼鏡をつけたま
ま受け入れることになります。
 先ずご自分で推理をしておくことは必要ですが、それらは整理をして一旦自分の棚
にしまって置いて、無になった自分をもって人の言葉に耳を傾けるのが、物事を正し
く見る方法だと思います。
 それから自分がしまって置いたものと比べあわせれば、より立体的に本質が観察で
きるのではないでしょうか。
 神理教の御教祖は『生まれ変わるとは(死んで別の生き物となって生まれることで
はなく)、心を入れ替えることである』と教えられています。
 私たちを産み出して下さったものを信頼するのならば、いつ自分自身の心を改革す
るために一旦分解しても、きっと本来の元の姿・心に立ち返らせて戴けるのだ、とお
思いになるのはいかがでしょう。
 ご自分の考えや仕事上の立場の保持にこだわると、物事を見る目が曇り深い洞察が
出来ません。
 気が付けば今の言葉で、改革に抵抗する保守勢力となってしまいます。
 自分の考え方が変わることを恐れて他を見ていては、いくら正しいものを見ても受
け入れることが出来ない、また正しい正しくないに関わらず他のものを見る必要がな
い、ということになってしまいます。
 例えば柔道でも投げられることを恐れず、積極的に技をかけてゆく人が上達してゆ
くようです。
 お酒でも、吐く人の方が強くなると言うではありませんか。
 自分自身の変化を恐れず楽しむ心、余裕を持って他の考え方を一旦受け入れる姿勢
があれば、もし自分の考え方が全く変わったとしても、今までの積み重ねが一度に無
になることはありません。
 若いと言うことは、その特権の幅を多く与えられているのですから、世のため人の
ために大きく羽ばたくに当たり、その権利を使わないと損です。
 議論をするのか質問をするのか、質問をするのならその返事が一旦受け入れられる
大きな心の袋をこしらえておくのがよい、と思うのです。
 ご自分の勉強はされているのだし、信頼関係を以てお聞きになられたのであれば、
袋の穴を狭めたりフィルターをかける必要はないと私は思います。
 前述の意味で ”騒がす“とは ”害を与える“というニュアンスもあり、穏当な言
葉と思えませんが、陰陽師については、一部で話題になっていることは事実のようです。
 私も、たまたま映画の陰陽師を観たことから、その原作の夢枕漠の小説三巻を面白
く読みました。
陰陽師について
 『陰陽師』の読みは ”おんみょうじ“または ”おんようじ“と読みます。
 平安時代には賀茂・安倍の両家が行い、近代は安倍家の系統である土御門家が行
い、今の神宮暦や高島易断などにつながっているようです。

        

         教  祖  の  道  統 (32)
     現代語化
      長崎教会 教会長 大教庁文化局長  花 岡 勝 成
 第四節 人生の帰着(結末)(7)
・真の善悪が解れば人生の目的が
      わかること(小見出しC)の続き
 永久にして不変の神に一致するも又その通りである。
 『よし』という力及びその活動は忠君愛国の至情(真心、ごく自然の人情)とな
り、又道徳の根本に合一して、一人格は遂に神化されて永久の存在者となるのである。
 大昔の神々が現在に示顕するのも、或いは忠臣(忠義な家来)義烈(正義な心が強
く盛んなこと)の志士(=国家、社会の為に自分の身を犠牲にして尽くそうとする志
を有する人)が国家の祭祀を受けて、その御霊が顕著に存在を認められるのも、皆こ
の顕幽一貫の神理を悟った上に一身以て造化の功業を助長した結果である。

現世と幽冥の関係・安心
 是によって見ても、現世的霊の帰入がその第一義であることを納得される処であろう。
神理学入門に
【現 世 幽 冥 始 、 幽 冥 顕 世 基】
と教え又
 現世は 神となるべき かくり世の
  しらべどころぞ つゝしめよ人
(神理百首)
と明し玉えり。
 そうしてこの顕幽一貫の道理に安心し決定したならば、現世的天賦(天が分けあた
える)の我が ”力“は神の御力に添うまで、やってやり抜くという一大勇猛心が起
こるであろう。 その勇猛心の前には何等の不平も不安も恐怖もない。
 実に生と死の間は真美に愉快に健全に精進すれば得られるものである。
 我国は古来この信仰が伝統的に我民族性として血液に流れているから、国家に一旦
事ある場合は常に、良くこの信仰を統一されて表現したものである。
 そして、善をなしたる霊は神界に帰って一段の活動を増加し、悪をなした者はその
霊が根国底国に於て苦しみの渕に沈み、可愛い子孫を護るべきカもなく、幽世への帰
着に迷うものである。
 こうした神の理があるから生存中の善悪は死後の世界での霊性に関係し、そして、
人間最後の要求にこの上もなく大きく関係を及ぼすのである。
 だからこそ人間に正しい信仰が起こり、その信仰は道徳をはるかに超えて最も深い
観念が成り立つものである。
 今、更に教祖の御歌一首を書き記して人間最後を帰結せんとするものである。
 生死は共に やすけくたのもしゝ
  神のみかげに たよりはてゝは
(教歌百首)
第三章 終わり

穂見大祭
平成14年8月16日(金)

 ご先祖の霊をお祭りする「穂見大祭」が、今年も八月十六日午前十一時から大教殿
で行われました。
 今回は、神州太鼓教会の小路教会長と村上教師、木町教会の古川先生の奥様が初め
て祭官奉仕されました。
 祭員入場の後、祓い具案設(村上教師)、祓詞奏上(渡辺課長)、祓行事(立元課
長)、祓い具案徹(村上教師)、ひざつき設(小路教師)、管長様の斎主祝詞奏上が
行われ、続いて全員で祈念詞奏上。そして、ひざつき徹(小路教師)、参拝者玉串拝
礼があり、最後は段再拝で祭典は終わりました。
 引き続き行われた講話では、立元課長が日本の年中行事の意味合いと、その中にお
けるお盆の由来や行事について。さらに、四魂論についてお話しし、「年に最低四〜
五回(お盆、正月、三月、九月の祖霊祭、命日)はお墓にお参りしていただきたい」
と、講話を締めくくりました。
●桐山 茂さん
 田川郡香春町から参拝に来ました。私は二代目ですが、代々、先生方からお参りす
ることの大切さを教わっていることもあり、穂見大祭には毎年必ず、足を運ばさせて
いただいています。また、お墓にも毎月、お参りしています。私が子どもの頃は、穂
見大祭の参拝者が二十〜三十人ということもありましたが、最近は参拝者の数も増え
ているのではないでしょうか。
●相川 ミサヲさん
 今日は、山口県宇部市から嫁と孫と一緒にお参りに来ました。大祭、お盆、祖霊祭
には毎年、こうして本院へ足を運ばさせていただいています。ご先祖さまの分霊を霊
殿にお祀りしているので、本院へ参拝すると、なんだか親元へ帰って来たような気が
するんです。こうしてお参りさせていただくことで、ご先祖さまにお会いできたとい
う精神の安心を得ることができますね
◇■御案内◇■
彼岸とは「日に願う」すなわち日願からきたものといわれています。
「日」すなわち神に先祖の浄化をお祈りし、子孫を守る力を乞願奉ったものであります。
秋の祖霊祭
九月二十三日(月・祝)
   午前十一時より
玉串拝礼・講話・直会
御家族おそろいで御参拝下さい。
本 院

******************************

平成14年度講習会等 予定

9月16日(月〈振休〉)稲荷宮講習会
11月17日(日)広島地区ブロック研修会
11月23日(祝)本院、一日講習会
12月7・8日(土・日)短期講習会(教師対象)

******************************

一日一徳キャンペーンにたくさんのご応募
ありがとうございました
発表をたのしみにお待ち下さい。

*****************************

平成16年
独立110年を迎えます。

*****************************

      

☆★☆ 素朴な疑問 ★☆★
     
 Q & A

Q1、講習会や研修会は、教会単位でして頂けますか。

A、 本院では、毎年夏期講習会を行い、教信徒の資質向上を目指していますが、参
加者は教信徒の総数からすれば、ごく一部の人達に過ぎないので、本院から地方へ積
極的に出かけて、地区単位の布教を増進して行くようにしております。現在、申込の
有る地区のブロック研修会及び教会単位の講習会を実施しておりますので、どしど
し、本院に申し込んで下さい。
 なお、今年は、12月7日・8日に本院で短期講習会を実施します。


Q2、信徒の祝詞の中に「先祖のいのりの詞」がありますが、どのようなときに奏上
するのですか。

A、 いつ奏上するものと定めてしまえば、折角、お道を説いた有難い祝詞も活用し
にくくなります。従って、祖霊・死者に敬意・真心を示したいとき、例えば、死後の
50日間の最も大事な期間に毎日・1年1回の先祖祭に、また、毎月の命日に好物を
供えると共に、この祝詞を奏上すれば、さらに心通わせることができます。
あとがき

 昨年もお話ししたことですが、最近はメール(電子郵便)が普及し、これを使うこ
とによって、普段会えない方との人間関係が深まる喜びを感じることが出来ます。
 もちろんお互いの顔を見ながらの会話ではありませんから、本物でないと思われる
向きもあることでしょうが、物は使いようです。
 以前話題になった映画『A・I』をビデオで家族と一緒に見ました。
 童話ピノキオを連想させる、科学技術の粋を尽くして作られた子どものロボット
が、人間の母親の愛を求めて時を超えてさすらうという話です。
 その最後の部分で、人類が死に絶えた後の未来人か未来の知能を持ったロボットの
ような高等な生き物?の情報交換の方法が興味深いものでした。
 数人で懸命に研究して蓄えた知識が、その生物の肩に触れると全て瞬時に伝わるの
でした。
 そしてお互いが肩に触るネットワーク(連絡放送網)を組めば、たくさんの知識を
共有出来、お互いが何を考えて行動しているのかが理解出来る、というものでした。
 映画に比べると不完全ながら、メールもそんな便利さがあります。
 そしてこれを通じて、教えの生かし方について意見を交換したり、撮りたての写真
や音楽を提供する方法を話す内に、真摯な心に触れることがあります。
 また、教祖の御著書の読解の成果を必要や要請に応じて瞬時に多人数に送れます
し、質問へのお応えについて意見交換をすることも出来ます。
 送られてきたメルマガや意見について、その場で返事が出せる、というのが優れて
います。
 最近は、お尋ねごともグローバル(世界的)になってきて、東北・近畿はもとより
アメリカからも相談事や質問が来たりします。
 そうしたものもプライバシーに気を付けながら、この神理雑誌で紹介しご一緒に考
えられればと思います。
 本教の中の人も他宗派の方も、どちらでもない方も、皆さん考え方が新鮮で本教に
とっても刺激になります。
 そこでも書きましたが、不思議とどんな難しいと思われるまた奇抜な質問にも、本
教の教えをすれば自然にお応えすることが出来ます。
 アメリカの方などは、最後は全て神理教に改め神理教の教師を目指します、とまで
言って下さいました。
 御教祖の教えの素晴らしさがあればこそと思います。
 近いうちに研究のページに質疑を連載しますので、ご覧下さい。
(幸)

戻る